押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第216話 行ってらっしゃい

 

 採石場秘密基地の作業台には、リュシアが領都から持ち込んだ仕入れ控えが広げられていた。

 

 保存食を扱う商人、布問屋、寝具を仕立てる職人。それぞれが出せる品と受け渡しの日が、違う筆跡で書き込まれている。数字を足しても、ベラクルスへ送る分にはまだ足りない。それでもリュシアは、店先へ並ぶ予定の在庫へは手をつけていなかった。

 

「金を積めば、今日中に出すと言う店もあるよ」

 

 リュシアは控えの端を爪で押さえた。

 

「でも、それをやれば領都の客が明日から困る。保存食も毛布も、救援にだけ使う物じゃないからね」

 

「そのまま分けて集めてください。こちらの都合で領都の棚を空にするわけにはいきません」

 

 澪は控えから顔を上げ、壁際へ並べられた荷へ目を移した。

 

 厚手の布を巻いた包み、乾物を詰めた袋、まだ中身の入っていない木箱が、石床の上へ間隔を空けて置かれている。数は多くない。だが、どれも誰かが普段売る予定だった品を、生活を崩さない範囲で分けてくれたものだった。

 

 その隣では、セルマがポーションの箱を開いていた。

 

 瓶を照明へ透かし、沈殿や色の違いを見てから、布を挟んで戻していく。薬草の青い匂いが、岩壁に残る石粉の乾いた匂いへ混じっていた。

 

「今すぐ出せるのは、この箱までよ」

 

 セルマは蓋を閉じず、澪へ中を見せた。

 

「残りは工房で続ける。急がせても、薬効が揃わなければ使えないわ」

 

「できた分からお願いします。西へ送る物と、領都へ残す分は、侯爵家の受け入れ状況を見て決めます」

 

「分かったわ」

 

 セルマは瓶の間へ布を差し込み直した。

 

 基地の奥では、換気設備が低い音を立てていた。外の天気は岩盤に遮られて分からない。照明の白さも、床の冷たさも、夜から変わっていなかった。

 

 転移地点の方から足音が近づいたのは、リュシアが次の仕入れ先を指で追い始めた時だった。

 

「戻りました、澪さん」

 

 ヴァルトが先に姿を見せた。

 

 侯爵邸から戻ったままの外套姿で、襟元には外の冷気が残っている。その隣を歩く真壁は、澪たちへ目を向けたものの、作業台へは寄らず、資材保管区画へ進んでいった。

 

「真壁さん、何を取りに来たんですか」

 

「方解石を回収します」

 

 真壁は在庫が置かれた区画の前で足を止めた。

 

 木箱へ触れることも、蓋を開けることもしない。収納の対象を定めると、保管されていた方解石の一部だけが消え、残った石が敷布の上で傾いた。乾いた音が木箱の中で1つ鳴る。

 

 真壁はすぐに作業台へ戻り始めた。

 

「王都へ持っていくんですか」

 

「食糧へ替える品に仕立てます」

 

 リュシアが仕入れ控えから顔を上げた。

 

「原石のままじゃないんだね」

 

「動物像にします。既存の型を使えば、商談までに揃う」

 

「もう作っているんですか」

 

 澪が尋ねると、真壁は歩調を変えずに答えた。

 

「収納した時点で工程へ入れています」

 

 真壁の手には何もない。石を削る音も、熱も、粉塵も出ていない。

 

 それでも収納内では、方解石の溶解が始まり、以前の型へ流し込む準備が進んでいる。型を作り直さず、変形と固定を並行させることで、王都へ着くまでの移動時間も製作へ使うつもりなのだ。

 

 ヴァルトは空いた在庫区画ではなく、真壁の横顔を見ていた。

 

「商業ギルドへ入る時には、完成しているのですね」

 

「提示できる状態へ持っていきます」

 

 真壁はそれ以上説明せず、作業台へ侯爵家の封印が入った書類を置いた。

 

 澪は方解石の区画をもう一度見た。

 

 領都で物資が揃うまで待つつもりなら、真壁がここへ方解石を取りに来る理由はない。西へ向かう準備は、侯爵邸を出た時からすでに動き始めていた。

 

「侯爵邸で決まったことを、聞かせてください」

 

 澪が言うと、真壁は書類を彼女の方へ向けた。

 

 

 

 

 

「ベラクルスへ先行します」

 

 真壁は前置きを置かなかった。

 

 王都の商業ギルドで食糧を確保した後、真壁とヴァルトがベラクルス侯爵領へ入る。侯爵軍の招集と進軍は止めず、2人が先に敵の動きと避難民の位置を探り、後続軍が使える経路と物資集積地点を確保する。

 

 澪は先行支援証明書へ押された封印を見つめた。

 

 約400kmの街道を、兵と馬と荷車が進むには約1週間かかる。届いた報告に書かれている町や村が、今も同じ状態で残っている保証はない。

 

「私も行きます」

 

 言葉は考えるより先に出た。

 

 地図がある。収納も使える。エアカーを出せば、道が残っている場所で物資や負傷者を運べる。ヴァルトが避難路を分けるなら、その外側を地図で探ることもできる。

 

 真壁は澪の顔を見た。

 

「澪君には後方を任せます」

 

「ですが、現地でも地図は――」

 

「前衛は私とヴァルト君で足りる」

 

 真壁の視線が、リュシアの仕入れ控えとセルマのポーション箱へ移った。

 

「補給と受け入れを、侯爵家へつなぎ給え」

 

 澪も同じ方向を見た。

 

 リュシアは品を集められる。セルマは薬を作れる。しかし、孤児院へ残す分と、西へ出す分を決めるには、侯爵家側の受け入れ状況を知る者が必要だった。

 

 リュシアが仕入れ控えを澪の方へ滑らせた。

 

「この厚手の布は、孤児院へ残すのかい。西へ回すなら、別の仕入れ先を探すよ」

 

 セルマも箱の中を指した。

 

「重い怪我へ使う分と、体力を落とした子へ使える分は違うわ。どこへ何本渡すかは、受け入れる側と決めて」

 

 澪は控えの数字を追った。

 

 王都から領都へ移される子どもたちの寝具と食事は、これからも必要になる。西部の救援へ全てを寄せれば、今ここにいる子どもたちへしわ寄せが来る。

 

 それでも現地へ行きたい気持ちは消えなかった。

 

「ヴァルトさんは、何を担当するんですか」

 

 澪が尋ねると、ヴァルトは地図へ手を伸ばした。

 

「避難路を分けます。真壁さんが敵へ対応している間に、境界と結界を置き、人と魔物が同じ経路へ入らないようにします」

 

「物資を渡す地点もですか」

 

「はい。集まった人々が押し合わずに受け取れる形を作ります」

 

 穏やかな口調だったが、真壁の護衛として同行するだけではないことが分かった。

 

 王都に残る子どもたちを侯爵家と教会へ託したヴァルトは、今度は西部で逃げる者の道を作ろうとしている。境界課で学んだ技術を、自分の任務として持っていくのだ。

 

 澪は仕入れ控えを手元へ引き寄せた。

 

「この布と保存食は、孤児院へ残してください。西へ出す分は、次に集まった荷と合わせます」

 

「ああ」

 

 リュシアが該当する欄へ指を置く。

 

「ポーションは半分を侯爵家へ持っていきます。残りは領都に置きます。セルマさん、使い分けの説明に同行してもらえますか」

 

「その方がいいわ」

 

 セルマは箱の中へ仕切りの布を入れ、瓶を分け始めた。

 

 澪が顔を上げると、真壁は先行支援証明書の横で待っていた。追加の説得も、危険についての説明もない。

 

「……分かりました。こちらは止めません」

 

「結構。頼みましたよ」

 

 真壁は証明書を収納した。

 

 澪は仕入れ控えへ手を置いた。紙の端に残った空欄は減っていない。それでも、何を先に決めるべきかは見えるようになっていた。

 

 

 

 

 

 真壁とヴァルトが転移地点へ向かおうとした時、真壁の視線が作業台の脇で止まった。

 

 椅子の背には、澪が現代側から持ってきた大学用の鞄が掛けてある。ゼミで使った資料を入れたまま基地へ来たため、厚いファイルの角が口から覗いていた。

 

「もう1つ、伝えておきましょう」

 

 真壁が足を止めた。

 

 澪は、王都での商談について話が残っているのだと思い、鞄へ伸ばしかけた手を下ろした。

 

「このままでは、澪君のゼミの発表会に間に合わない可能性があります」

 

「……えっ」

 

 ベラクルスの街道を考えていた頭へ、大学の講堂が割り込んできた。

 

「発表会の日を覚えていたんですか」

 

「当然でしょう」

 

「どうしてですか」

 

「人に紛れて見に行くつもりでした」

 

 真壁は、予定を1つ告げただけのように答えた。

 

 澪の頭に、講堂の後ろへ座る真壁の姿が浮かぶ。目立たない服を選んだとしても、空いた席へ向かう前に出入口や機材の位置を調べ、発表者より早く会場全体を把握していそうだった。

 

 本人が考えるほど、人に紛れられるかは怪しい。

 

「普通に来てくださればよかったのに」

 

「私が前へ出る場ではありませんからな」

 

「見学するだけなら、前には出ませんよ」

 

 真壁はそれ以上弁明せず、大学用の鞄から視線を外した。

 

 澪はファイルの角を押し戻した。

 

 佐伯、神谷、三浦と何度も内容を直してきた。押入商会で経験したことをそのまま話すわけにはいかず、客が何を見て商品を選び、どうして買わずに帰ったのかへ置き換えて資料を作った。

 

 真壁へ見せるためのものではなかった。

 

 それなのに、来る予定だったと聞かされた後では、講堂の後方を思い浮かべずにはいられなかった。

 

「発表は予定どおり行います」

 

「そうしてください」

 

「班の皆を待たせられませんから」

 

「その通りです」

 

 真壁は、発表会までに戻るとは言わなかった。

 

 現地の状況が分からない以上、軽々しく約束しないのだろう。澪も、発表会を理由に救援を切り上げてほしいわけではない。

 

 鞄から手を離し、真壁を見る。

 

「でも、できれば間に合ってください」

 

 換気設備の低い音が、返事までの間を埋めた。

 

「帰還までが任務です。ご心配には及びません」

 

 真壁らしい返事だった。

 

 戻ることだけを別の約束にせず、最初から任務の中へ入れている。

 

 澪は小さく息を吐いた。

 

 少し先で待っていたヴァルトは、2人の会話へ入らず、外套の留め具を見直している。澪が顔を向けると、姿勢を正した。

 

「ヴァルトさん」

 

「はい」

 

「真壁さんが、発表会へ間に合わなくなるような寄り道を始めたら……」

 

 最後まで言う前に、澪は真壁の背中を見た。

 

 寄り道に見えた行動が、後になって別の問題を片づけていることは何度もあった。何が任務で、何が真壁の暴走なのかを、ヴァルトへ見分けろと言うのも酷な話である。

 

 ヴァルトも返事を選ぶように一度息を置いた。

 

「任務経路から外れた時は、理由を尋ねます」

 

「止めるとは言わないんですね」

 

「理由を聞く前には止められません」

 

 澪は真壁を見た。

 

 本人はすでに転移地点へ歩き始めている。

 

「では、それでお願いします」

 

「承知しました」

 

 ヴァルトは一礼し、澪と並んで真壁の後を追った。

 

 

 

 

 

 転移地点へ続く石床を歩いている間も、真壁の外見には変化がなかった。

 

 方解石を収納してから、真壁は澪へ先行任務を告げ、後方を任せ、発表会について話している。その間も収納内では、動物像の製作が進んでいた。

 

 ヴァルトはしばらく黙っていたが、転移地点が見えたところで尋ねた。

 

「方解石は、どの工程ですか」

 

「固定へ回しています」

 

「商談には間に合いますか」

 

「品は揃えます」

 

 真壁の返事に迷いはなかった。

 

 魔術院で収納魔術を研究してきたヴァルトには、外で会話を続けながら内部で素材を溶解し、複数の型へ入れ、固定まで進める異常さが分かる。それでも、ここで工程を詳しく聞き続ける必要はなかった。商業ギルドの卓上へ完成品が並べば、仕事は果たされる。

 

 澪は真壁の横顔を見た。

 

「発表会の話をしている間も、作っていたんですよね」

 

「作業を止める理由はありません」

 

「話は聞いていましたか」

 

「予定どおり発表する。できれば間に合ってほしい。把握しています」

 

「それならいいです」

 

 真壁は歩調を変えなかった。

 

 作業を止めずに話を聞いていたことへ、澪は呆れてよいのか安心してよいのか決められなかった。少なくとも、発表会の話が収納内の作業に押し流されてはいない。

 

 後ろからリュシアが声をかけた。

 

「王都で救援を急いでると知られたら、足元を見られるよ」

 

 真壁が立ち止まり、振り返った。

 

「急ぎを顔に出すのでは品がない。品を見せ、向こうから値を言わせればよい」

 

 リュシアは真壁の顔を見てから、口の端をわずかに上げた。

 

「分かってるならいい。こっちは領都で集め続けるよ」

 

「任せます」

 

 リュシアは仕入れ控えの置かれた作業台へ戻った。

 

 セルマは分け終えたポーション箱の横に立ち、真壁とヴァルトへ目を向ける。

 

「必要な人には迷わず使って。持ち帰る数を考えて、治療を遅らせないで」

 

「承知しました」

 

 真壁が収納を広げると、西部へ回すポーションの箱だけが消えた。誰かが箱を持ち上げて転移地点まで運ぶ必要はない。

 

 セルマは残した瓶へ目を戻し、蓋の閉まり方を見直した。

 

 澪は転移地点まで2人についていった。

 

 途中で方解石の保管区画を振り返ると、残った在庫が照明の下に見えた。そこから消えた分は、すでに王都で商談へ出す形を取り始めている。

 

 

 

 

 

 転移地点の床へ白い光が広がった。

 

 真壁とヴァルトは範囲の中央へ立ち、澪は数歩離れた場所で足を止めた。

 

 最初の行き先は王都だった。そこで方解石の動物像を商業ギルドへ提示し、食糧を確保してからベラクルス侯爵領へ進む。

 

 王都への転移なら、これまでにも何度も見ている。

 

 けれど、今回はその先に約400kmの街道が続いていた。敵の数も、避難民がどこまで移動したのかも分からない。侯爵軍が追いつくまで、2人は現地で動き続けることになる。

 

 ヴァルトは外套へ収めた先行支援証明書の位置を確かめた。澪と目が合うと、言葉を探すように一度息を置いたが、王都に残る子どもたちのことを頼み直しはしなかった。

 

 子どもたちは侯爵家と教会が引き受けている。澪には、これから動く補給と受け入れをつなぐ仕事がある。

 

「行ってまいります、澪さん」

 

「はい」

 

 澪はそれだけ返した。

 

 真壁が澪を見る。

 

「澪君、後方は任せましたよ」

 

「分かっています」

 

 光が2人の靴元を明るくした。

 

 気をつけてください、と口へ出かかった。

 

 危険があることは、2人とも承知している。発表会へ間に合ってほしいことも、もう伝えた。

 

 澪は普段と同じ言葉を選んだ。

 

「行ってらっしゃい。2人とも」

 

 真壁の表情が、ごく短い間だけ和らいだ。

 

「では、行ってきます。澪君」

 

「行ってまいります」

 

 ヴァルトの声が続いた。

 

 転移の光が強まり、2人の外套の輪郭を白く消していく。岩壁へ反射した明るさが収まると、転移地点には誰も残っていなかった。

 

 換気設備の音が戻ってきた。

 

 澪は2人が立っていた床から、すぐには目を離せなかった。忘れ物も、戻ってくる気配もなく、白い照明だけが石床を照らしている。

 

 背後で紙をめくる音がした。

 

 リュシアが仕入れ控えへ戻った音だった。続いて、セルマが瓶を箱へ収める小さな音が岩壁へ響く。

 

 澪は大学用の鞄へ一度目を向けた。

 

 ファイルの角は、先ほど押し戻したまま見えなくなっている。

 

 澪は転移地点から目を離し、リュシアとセルマの待つ作業台へ戻った。

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