押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第220話 西方の堀

 

 

 転移の光が薄れると、足元に白く霜の降りた街道が現れた。

 

 真壁はその場を動かず、村の方角へ目を向けた。

 

 昨日通った南東側の道。その先には、人力で動かす可動橋が下ろされている。橋の両側には深い堀が延び、底に溜まった夜露が朝の光を鈍く返していた。

 

「誰だ!」

 

 橋脇の若い村人が槍を構えた。

 

 見張り台の男もこちらを向いたが、ヴァルトの姿に気づくと、すぐに声を上げる。

 

「昨日の魔術師だ!」

 

「真壁さんたちが戻ったぞ!」

 

 真壁は橋の縄と横木を見た。

 

 縄の表面には新しい擦れが増え、横木の受けには泥が付いている。

 

 ヴァルトも地図へ意識を向けていた。

 

「村の周囲に赤はありません。人と家畜の数にも、大きな変化はなさそうです」

 

「結構」

 

 橋の向こうからオルガが駆けてきた。

 

 上着を羽織り、髪を後ろで束ねただけの姿だ。目の下には疲れが残っているが、昨日の切迫した色はない。

 

「戻ったか」

 

「異常は」

 

「狼も猪も戻ってない。北の森で何度か音はしたが、村までは来なかった」

 

「橋は」

 

「夜に2度上げた。最初は縄が片方に寄ったが、掛け直せば動いた」

 

「ならば、まずまずだ。橋を上げてみ給え」

 

 オルガは村側へ振り返った。

 

「橋を上げるぞ! 昨日の組、持ち場へ!」

 

 村人たちが集まる。

 

 縄へ4人。横木の受けに2人。橋の向こうには、外を見る見張りが立った。

 

 真壁もヴァルトも手を出さない。

 

「引け!」

 

 縄が張り、橋の先端が軋みながら浮いた。

 

 途中で右側が遅れたが、縄を持つ男が位置を変える。橋は最後まで持ち上がり、横木が受けへ差し込まれた。

 

 縄から手を放しても、橋は落ちてこない。

 

「下ろし給え」

 

「もう下ろすのか」

 

「上げるだけでは、村人を閉じ込める橋になる」

 

 オルガが鼻を鳴らし、横木を外させた。

 

 縄が緩み、橋板は勢いをつけずに街道へ戻る。

 

「夜番は何組だ」

 

「4組。橋に2人、北に2人。途中で交代させた」

 

「鐘は」

 

「鳴らしてない。犬が一度吠えたから橋を上げたが、何も来なかった」

 

「見えてから動くよりはよい」

 

 真壁は橋を離れ、堀沿いへ向かった。

 

 ヴァルトも後に続く。

 

 朝の冷気で表面は固くなっていたが、北側の一部では夜露を含んだ土が崩れ、堀の底へ落ちている。

 

「ここは少し崩れています」

 

 ヴァルトが縁へしゃがんだ。

 

「深いところまでは達していません。ですが、雨が降れば広がるかもしれません」

 

 真壁は崩れた部分だけを収納し、側面の角度をわずかに緩めた。

 

 オルガが後ろからのぞき込む。

 

「埋まるのか」

 

「土である以上はな。昨日掘ったものが、何年も同じ形で残ると思ってはならん」

 

「またあんたたちが直しに来るのか」

 

「そのつもりはない」

 

 真壁は立ち上がった。

 

「村の堀だ。次からは君たちが見つけ給え。雨の後に縁を歩けばよい」

 

 オルガは崩れた箇所へ目を向けた。

 

 ヴァルトは橋の縄に触れ、撚りを確かめる。毛羽立った箇所をオルガへ見せた。

 

「こちらも、いずれ交換が必要です」

 

「もうか?」

 

「今すぐではありません。擦れる場所は決まっています。橋を下ろしている間なら替えられます」

 

 真壁も縄へ目を向けた。

 

「同じ縄を1月使えると思ってはならん。壊れてからでは遅い。替えを用意し給え」

 

「横木もか」

 

「ああ」

 

 オルガは縄をつまみ、太さを確かめた。

 

「同じくらいの縄なら村にもある。横木も切れる」

 

「ならば問題ない」

 

 

 

 

 

 遠くから馬の蹄と車輪の音が近づいてきた。

 

 見張り台の男が声を上げる。

 

「街道から兵が来る!」

 

 村人たちが槍や農具を取り、橋の内側へ集まる。

 

 先頭の騎兵が掲げていた旗を見て、オルガが息を吐いた。

 

「ベラクルス侯爵家の旗だ」

 

 騎兵は橋の前で馬を止めた。

 

 後ろには兵士が十数人。工兵道具を積んだ小型荷車と、治療用品を載せた車両もある。

 

 先頭の男が馬を下りた。

 

 40歳ほど。革鎧の上に厚手の外套を着ている。腰には剣を下げているが、背には測量棒と巻いた縄を括りつけていた。

 

「この村の責任者は」

 

「私だ」

 

 オルガが前へ出る。

 

「街道警備所へ逃げ込んだ旅人から聞いた。村が三方から襲われたとな」

 

「襲われた。昨日の昼までは、村が残るとも思ってなかった」

 

 男は村内へ目を向けた。

 

 家畜の鳴き声がし、家々から上がる煙は炊事のものだ。

 

 次に、街道を断つ堀と可動橋を見る。

 

「この堀は、村で掘ったのか」

 

 オルガが真壁とヴァルトを指した。

 

「あの2人だ」

 

 男の視線が移る。

 

「ベラクルス侯爵家、街道砦付きの工兵長ガレスだ」

 

「押入商会の真壁です。こちらはヴァルト君」

 

「商会?」

 

 ガレスは堀を見て、もう一度真壁を見る。

 

「立ち話より、先に怪我人を見てやり給え。堀は逃げません」

 

 ガレスは一拍置き、兵へ振り返った。

 

「治療のできる者は村へ。2人は家畜小屋を見ろ。残りは周囲を警戒。街道警備所へ伝令を戻せ。村は無事、負傷者あり。工兵と食料を追加で寄越せとな」

 

 兵士たちが動く。

 

 指示を終えたガレスは、可動橋の脇へしゃがんだ。

 

 橋板を持ち上げる支点を見て、縄の経路を追い、横木の受けを叩く。次に堀の縁へ立ち、幅と深さを目測した。

 

「これは、いつから造った」

 

「昨日の午後だ」

 

 オルガが答える。

 

「昨日の午後?」

 

「牙猪を落とした穴があった。そこから村の周りへ伸ばした」

 

 ガレスが真壁を見る。

 

「半日で、これを造ったのか」

 

「元からあった窪地を利用したまでだ。村全体を囲う必要もないのでね」

 

「普通のやり方ではないな」

 

「普通の方法で掘ったとは言っていない」

 

 ガレスがヴァルトへ目を移す。

 

 ヴァルトは崩れた土だけを収納し、堀の側面を整えた。

 

「収納で地面を抜いたのか」

 

「そうです」

 

「土は」

 

「種類ごとに分けています」

 

 ガレスは堀の底を見下ろした。

 

「同じ物を周辺村にも造れば、守りは固くなる」

 

「同じ形を並べればよいというものではない。地形を見給え。川も崖も、使い方次第では立派な防壁になる」

 

 ガレスは村の北側へ目を向けた。

 

「そのための工兵だろう」

 

「この村では、どこを外した」

 

「外側の畑と作業小屋。守ったのは人家、井戸、家畜だ」

 

 真壁は橋を示した。

 

「街道を残し、橋は村人だけで動かせるようにした。私やヴァルト君がいなければ閉じられぬ橋では、用をなさん」

 

 ガレスはオルガを見た。

 

「村人だけで動かせるのか」

 

「さっき上げた。夜にも2度使った」

 

「見せてくれ」

 

「またかよ」

 

「工兵に見せず、誰に見せる」

 

 オルガはぼやきながら、村人を呼び戻した。

 

 橋が再び持ち上がる。

 

 ガレスは支点の動きと縄の張り方を見ながら、横木が差し込まれる位置まで確かめた。

 

「縄は長く持たん」

 

「替えを作るところだ」

 

「支点の木も、乾けば割れる。鉄帯を巻ければ長くなる」

 

 ガレスは部下へ必要な金具と交換用の縄を書き留めさせた。

 

「後続が来るまで、私がここに残る。崩れた箇所を見て、村の者に補修を教える」

 

「それがよい」

 

「周辺村の様子も調べさせる。そちらはどうする」

 

「西へ行く」

 

 オルガが近づいてきた。

 

「ルーデへ行くのか」

 

「状況を知っているのか」

 

「昨日、東へ逃げてきた荷車が言ってた。周りの村から人が集まって、宿場が一杯になりかけてる」

 

「位置は」

 

「地図を出す。正確じゃないが、空からなら分かる目印がある」

 

 真壁は頷き、ガレスへ向き直った。

 

「この村は任せます」

 

「任された。戻って来た時に手直しばかりでは、工兵の面目が立たん」

 

「ならば、頼みます」

 

「言われるまでもない」

 

 村の共同小屋に、簡単な地図が広げられた。

 

 羊皮紙の上には、西へ延びる街道と、川らしい線、いくつかの丸印が描かれている。縮尺も方角も大まかだが、道を知るには足りた。

 

 オルガが指を置く。

 

「村を出て西へ行く。川が2つに分かれるところを越えると、赤茶色のでかい屋根が見える。それがルーデの宿場だ」

 

「距離は」

 

「荷車なら半日以上。空を飛ぶなら、あんたたちの方が分かるだろ」

 

 真壁は地図へ意識を向けた。

 

 オルガの村と周辺の街道は映っているが、西側は途中から空白になっている。その中に、複数の赤い反応だけが浮かんでいた。

 

「西に反応はあります。ただ、地形がありません」

 

 ヴァルトが言う。

 

「ルーデより向こうにはエルトがある」

 

 オルガの指が羊皮紙の北西側へ移った。

 

「森際の木こり村だ。昨夜から、あっちで煙が上がってた。木が何本も倒れるような音を聞いた奴もいる」

 

「エルトから来た者は」

 

「まだ見てない」

 

 ヴァルトは地図の空白を見た。

 

「ならば、まずルーデです」

 

「赤だけを追っても埒が明かん。まず宿場を押さえる」

 

「エルトへ先に行かなくていいのか」

 

「人が集まった場所を放置すれば、魔物の餌場になる。先にルーデだ」

 

 真壁は川の分岐と赤茶色の大屋根を頭へ入れた。

 

「怪我人に使え」

 

 収納からポーションの木箱を出す。

 

 続いて不足している毛布の数を聞き、その分だけを取り出した。

 

「食い物は」

 

「昨日、家へ戻した分がある。兵も来た。今すぐ尽きるほどじゃない」

 

「ならば、それで持たせ給え」

 

 王都に残した本隊用の補給まで、ここへ置く必要はない。

 

 共同小屋を出ると、ガレスの部下が橋材を調べ、別の兵が負傷者へ薬を配っていた。オルガは村人へ毛布を運ぶよう指示している。

 

「また来るのか」

 

「必要ならば」

 

「今度は酒でも持って来い。助けてもらって、何も返してない」

 

「村が残った。それでよい」

 

 真壁は歩き出した。

 

 ヴァルトがオルガへ一礼し、後を追う。

 

 2人は村の南東側、転移してきた場所まで戻った。

 

 堀と橋から離れ、人も家畜もいないことを確かめてから、真壁が収納へ手を入れる。

 

 空地へ4座のエアカーが現れた。

 

 遠くにいたベラクルス兵が足を止める。ガレスも一度だけ目を向けたが、橋の点検を続けている。

 

「真壁さん」

 

 ヴァルトが地図を見ていた。

 

「前方に、小さな反応が増えています」

 

「地形が見えぬ以上、赤だけ追っても仕方がない。先に宿場を確認する」

 

「街道をたどります」

 

 真壁が前席へ乗り込む。

 

 ヴァルトも後席へ座り、地図を開いたまま固定具を締めた。

 

 機体が静かに浮き上がる。

 

 村へ風圧を当てないよう、真壁は畑側へ離れてから高度を上げた。

 

 オルガの村が眼下に小さくなる。

 

 朝日に照らされた堀が村の周囲へ黒い線を引き、南東側には可動橋が架かっている。橋の脇では、ガレスと村人が縄を確かめていた。

 

 真壁は機首を西へ向けた。

 

 冬枯れの畑が続く。

 

 街道には、東へ向かう荷車が何台も見えた。荷台には寝具や樽が積まれ、家畜を引く者もいる。皆、オルガの村より西から逃げてきた者たちだろう。

 

「街道の北側に2つ。南西に3つあります」

 

 ヴァルトが赤の位置を告げる。

 

「距離は」

 

「近づいてはいません。南西の3つは、南へ移動しています」

 

「追う必要はない。村へ向かう反応だけを見給え」

 

「はい」

 

 街道は林の間へ入り、やがて川沿いへ出た。

 

 オルガの説明どおり、川は先で2つに分かれている。片方は南へ曲がり、もう片方は街道とともに西へ続いていた。

 

 真壁は西側の流れを選ぶ。

 

 街道上の人影が増え始めた。

 

 荷車が途切れず同じ方向へ進み、その間を徒歩の者たちが埋めている。牛を引く者、羊を追う者、鶏籠を抱える者。荷車には家具や穀物袋、寝具が積み重ねられていた。

 

「見えました」

 

 ヴァルトが前方を指す。

 

 丘の南側に、赤茶色の大屋根がある。

 

 その周囲へ家々と厩が集まり、街道は村の東側から中へ延びていた。

 

 ルーデ村。

 

 村の入口には荷車が詰まり、ほとんど動いていない。

 

 村へ入ろうとする者の列と、満員だと聞いて戻ろうとする者が、狭い街道上で向かい合っていた。その間を家畜が塞ぎ、道から外れた畑にも人があふれている。

 

 真壁は速度を落とした。

 

 村の南には浅い川が流れ、北には緩い斜面がある。西の牧草地は広く開け、東側には街道が延びていた。

 

 その街道では、牛に押された荷車が斜めに止まり、後ろの列まで動けなくなっている。

 

「村へ入る前から詰まっています」

 

「中へ押し込めば、井戸も道も塞がる。敵が来る前に、こちらが身動きできなくなるな」

 

 真壁は村の上空を低速で回った。

 

 宿場の馬柵は満杯だった。空き地にも牛や羊が集められ、共同井戸の周囲には長い列ができている。屋根の下へ入れなかった者たちは、壁際に毛布を広げていた。

 

 西側の牧草地には、まだまとまった空間がある。

 

 東側の街道脇には、機体を下ろせる空地があった。

 

「降りますか」

 

「ああ。まず道を空ける」

 

 真壁は村の中ではなく、街道から少し離れた空地へ向けて高度を落とした。

 

 エアカーが地面へ近づくにつれ、人々が顔を上げる。

 

 見慣れない乗り物に、避難民の列からどよめきが起きた。

 

 機体が土の上へ静かに降りる。

 

 真壁は固定具を外し、扉を開けた。

 

 目の前には、動かなくなった荷車の列と、村の入口まで続く人の群れがある。

 

 ヴァルトもエアカーを降り、周囲を見回す。

 

 西の空白には、赤い反応が残っていた。

 

 真壁は街道へ向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 街道の中央では、2台の荷車が互いに鼻先を突き合わせ、どちらも動けなくなっていた。

 

 一方は村へ入ろうとしている。もう一方は、村内に空きがないと聞き、東へ戻ろうとしていた。荷台からは寝具と木箱がはみ出し、その隙間に子どもが身を縮めている。横では牛が首を振り、後ろから押された別の荷車が車輪を畑の畝へ落としていた。

 

「荷車を街道から退け給え。家畜は畑側へ回す。このままでは、救援も入れん」

 

 真壁の声に、御者たちが振り返った。

 

「退けるって、どこへだ」

 

「こっちは昨日から並んでるんだぞ」

 

「戻る所なんかない!」

 

 怒鳴り声が重なったが、真壁は止まらない。

 

 斜めになった荷車の前へ立ち、街道脇の空地を指した。

 

「止まった荷車から動かし給え。奥へ入ろうとする者は待たせる。まず道を空けるのだよ」

 

「だから、あんたは誰なんだ」

 

 御者の1人が荷台から身を乗り出す。

 

 その横へヴァルトが立った。

 

「私たちは王都とヴァルディス侯爵家から、西方の救援に来ています。東の村では、すでにベラクルス侯爵家の巡回兵とも合流しました」

 

 ヴァルトは村の入口へ視線を移した。

 

「責任者の方を呼んでください。その間に、街道を通れるようにします」

 

 御者はエアカーとヴァルトの外套を見比べた後、荷車を降りた。

 

「分かった。だが、こいつは畑へ入れられん。車輪が沈む」

 

「収納します」

 

 ヴァルトが荷車へ手を向ける。

 

 御者と子どもを降ろし、荷を載せたまま荷車だけを一度収納すると、街道脇の固い場所へ向きを変えて出した。

 

 御者が言葉を失う。

 

「次です」

 

 ヴァルトが後ろの荷車を指した。

 

 真壁は家畜を連れた者たちへ、街道南側の空地を使わせた。牛と羊を同じ場所へ押し込まず、綱を持つ者ごとに間隔を取らせる。逃げ出した鶏を追っていた少年には、籠を道の外へ置くよう命じた。

 

 荷車が1台動くと、その後ろの列も少しずつ前へ詰められるようになった。

 

「真壁さん」

 

 ヴァルトが小声で呼ぶ。

 

「村の中にも人が集中しています。井戸と厩の周囲が特に多いです」

 

「見れば分かるほど詰まっている。外だけ空けても意味はないな」

 

 街道の奥から、体格の大きな男が駆けてきた。

 

 50代ほどで、厚い上着の前を留める暇もなかったらしい。後ろからは、袖をまくった女がついてくる。女の前掛けには煤が付き、手にはまだ木杓子が握られていた。

 

「村長のハインだ!」

 

 村人の1人が声を上げた。

 

 ハインは真壁たちの前へ来るまでに、左右から何度も呼び止められた。

 

「井戸の水が足りない!」

 

「西の馬柵も一杯だ!」

 

「宿の裏に、また家族が来たぞ!」

 

「分かった、分かったから、ネラに言え!」

 

「私に全部回すんじゃないよ!」

 

 木杓子を持った女が、ハインの背中を叩いた。

 

「寝床も鍋も増えやしないんだ。先に入れる人数を止めな!」

 

「追い返せば死ぬ」

 

 ハインは街道に詰まった人々を見た。

 

「入れれば村が動かなくなる。どうしろというんだ」

 

「村の全てを守ろうとするから、何も守れなくなる。範囲を絞るのだよ」

 

 真壁が答えた。

 

 ハインは眉を寄せる。

 

「何を外せというんだ」

 

「まず村を見ます。井戸、食料庫、家畜、人の寝所。それ以外は後だ」

 

「畑も木材置き場もある。冬を越す物が全部外にあるんだぞ」

 

「畑は逃げはせん」

 

 真壁は村の西側へ目を向けた。

 

「人と水と食料を内側へ入れ給え」

 

 木杓子を持った女が真壁を見る。

 

「私はネラ。宿と厩と炊事場を預かってる。水と食事を止めるわけにはいかないよ」

 

「井戸と炊事場は防衛線の内側へ入れる。それを失えば、堀だけ残しても意味はない」

 

 ネラは少しだけ目を細めた。

 

「堀を造るのかい」

 

「地形を見てからだ」

 

 真壁はハインへ向き直る。

 

「村の外周を案内し給え。ネラ君は、人と家畜を街道から外す。ヴァルト君」

 

「はい」

 

「東側を空けておき給え。救援も避難も、ここを使う」

 

 ヴァルトは頷き、街道と空地の境へ向かった。

 

 ネラは木杓子を腰へ差し込むと、近くにいた村人を捕まえた。

 

「井戸の列を2つに分けな。村の者は北側、外から来た者は南側。水は同じだけ配る。家畜は東の畑へ。荷車を扱える奴を集めておくれ!」

 

 声が通る。

 

 ハインはまだ迷っていたが、村の入口で再び荷車がぶつかる音を聞き、踵を返した。

 

「こっちだ。外を回る」

 

 

 

 

 

 ルーデ村の南には、幅の狭い川が流れていた。

 

 深くはないが、岸はぬかるみ、荷車がそのまま渡れる場所は限られている。北側には緩い斜面が続き、その先で森へつながっていた。

 

 真壁とヴァルトは地図と目の前の地形を見比べながら歩く。

 

「南は、この川を使えます」

 

 ヴァルトが岸を見下ろした。

 

「水量は少ないですが、牙猪が勢いを保ったまま越えるのは難しいでしょう」

 

「川底を少し削れば、さらに使える」

 

「北側は斜面ですね」

 

「深い堀を掘る必要はない。下りてくる場所を西へ寄せればよい」

 

 ハインが2人の後ろを歩きながら、村の外側を指した。

 

「西には牧草地がある。羊を出す時に使ってる。あそこまで囲えないのか」

 

「囲わない」

 

「冬の餌も積んである」

 

「移せる物は内側へ移し給え。動かせぬ物まで守ろうとすれば、肝心の村が広がりすぎる」

 

「牧草を失えば、家畜が飢える」

 

「人が死ねば、家畜の世話をする者もいなくなる」

 

 真壁は足を止めた。

 

 西側の牧草地は大きく開けている。森も川もなく、魔物が速度を落とす物はない。村の住居区、井戸、共同倉庫、厩を囲うなら、ここを切るのが最も早かった。

 

「西を止める」

 

 真壁は地面へ視線を落とした。

 

「南は川。北は斜面を使う。東は街道を残す」

 

「東から魔物が来たら」

 

 ハインが聞く。

 

「入口を真っ直ぐにはしない」

 

 真壁は街道の左右を指した。

 

「両側から短い堀を内へ伸ばす。鉤形に曲げれば、勢いをつけたまま入れん。閉じる時は荷車を使い給え」

 

「荷車を門にするのか」

 

「空荷にして横へ並べ、車輪を外す。丸太と土袋で押さえれば、狼や猪が押した程度では動かん」

 

 ヴァルトが東側へ目を向ける。

 

「橋を造るより早いですね。街道もそのまま使えます」

 

「ここでは可動橋が詰まりを作る。村ごとに同じ物を造る必要はない」

 

 真壁はハインを見る。

 

「守る範囲を決め給え。住居、井戸、倉庫、厩、炊事場だ」

 

 ハインは西側の牧草地と村内を何度も見比べた。

 

 やがて、奥歯を噛むように口を閉じる。

 

「分かった。牧草と木材は運べるだけ運ぶ。外の小屋は捨てる」

 

「よろしい」

 

「何人要る」

 

「人は多いほどよい。ただし、掘るのは私とヴァルト君だ」

 

 ハインは真壁の顔を見た。

 

「2人で?」

 

「昨日もそうした」

 

 ヴァルトが穏やかに補足する。

 

「村人の皆さんには、縄を張り、近づく人を止めてもらいます。入口に使う荷車と丸太も必要です」

 

「ネラに集めさせる」

 

 ハインは村へ向けて走り出した。

 

 真壁とヴァルトは西側の牧草地へ向かった。

 

 

 

 

 

 ヴァルトが境界を張ると、牧草地の一角に淡い光の線が現れた。

 

 人と家畜が近づいてはならない区域。東側へ続く通路。村内へ戻す土を置く位置。真壁とヴァルトは互いの担当範囲を地図で確認する。

 

「私は北西側へ回ります」

 

 ヴァルトが斜面を見る。

 

「斜面を下りてきた魔物が、こちらの堀へ流れるようにつなぎます」

 

「よろしい。こちらは西を切る」

 

 真壁は牧草地の表面へ片手を向けた。

 

 地面が帯状に消える。

 

 土煙も、大きな音もない。草の根ごと表土が切り取られ、その下の褐色の土が露出した。

 

 真壁は表土と下層土を別々に収納する。

 

 続いて深い部分を抜き、人の頭が隠れるほどの深さと、牙猪が越えにくい幅を取った。反対側は、落ちた勢いのまま駆け上がれない角度へ削る。

 

 一度に長く抜かず、地図上で人と家畜の位置を確認しながら区切っていく。

 

 少し離れた北西側では、ヴァルトも地面を収納していた。

 

 斜面下に段差が生まれ、その先が西側の堀へ向かって曲がっていく。真壁が一直線に掘るのとは違い、地形へ沿う滑らかな線だった。

 

「北側を、もう少し内へ曲げます」

 

 ヴァルトが声を上げる。

 

「斜面を下りた魔物が西へ流れます」

 

「よろしい。こちらへつなぎ給え。魔物の進路は西へ絞る」

 

「西側の線と重なるところまで掘ります」

 

「隙間だけは残すな。魔物というものは、こちらの都合の悪い所から入ってくるのでね」

 

 ヴァルトがわずかに笑い、再び地面へ手を向けた。

 

 村側ではハインが縄を張り、見物に来た子どもたちを追い返している。

 

「近づくな! 落ちたら引き上げられんぞ!」

 

「父ちゃん、あれ、土が消えてる!」

 

「見れば分かる! 家へ戻れ!」

 

 東側からネラの声も聞こえてきた。

 

「空の荷車はこっちだ! 荷物があるなら降ろしな! 木こりは丸太を持って入口へ!」

 

 避難民の中から、斧を背負った男たちが出てくる。

 

 村人の1人が顔をしかめた。

 

「余所者のために、こっちの荷車まで出すのか」

 

 避難してきた木こりが丸太を肩へ担いだ。

 

「なら俺たちが運ぶ。斧も腕も置いてきちゃいない」

 

「壊したら弁償できるのか」

 

「壊れないように使うんだろうが」

 

 2人の声が強くなる。

 

 真壁は堀の縁から顔を上げた。

 

「話は後だ。丸太を運び給え」

 

 村人は顔をしかめたまま、丸太の反対側へ肩を入れた。

 

 木こりも礼は言わない。

 

 足並みは揃っていなかったが、丸太は入口へ動き始めた。

 

 ネラが大鍋の方角を指す。

 

「働いた者から食べろ! 村の者も、外から来た者も同じ鍋だよ!」

 

 別の避難民は荷車から寝具を降ろし、村人と一緒に車輪を外す。女たちは古い袋へ土を詰め、子どもたちは空の水桶を炊事場へ運んでいた。

 

 ハインは井戸の列を村人と避難民の混成に組み直し、見張り役にも双方から人を出させた。

 

 堀は西側から北西へつながり始めている。

 

 真壁は地図で施工線を確かめた。

 

 あと少しでヴァルトの掘った部分と重なる。

 

 その時、北西側の見張りが声を上げた。

 

「人だ!」

 

 周囲の手が止まる。

 

「森側から人が来るぞ!」

 

 ヴァルトは収納を止め、境界の一部を開いた。

 

「何人ですか」

 

「5人……いや、6人! 子どもがいる!」

 

「通路を空けてください!」

 

 北西側の作業員が縄を外し、人が通れる幅を作る。

 

 しばらくして、森へ続く脇道から数人の男女が現れた。

 

 先頭の女は泥にまみれ、背中に子どもを背負っている。上着の袖には血が付いていたが、本人のものか、背負っている子どものものか分からない。

 

「エルトの者だ!」

 

 ハインが駆け寄る。

 

 女は村へ入ったところで膝をつきかけた。

 

 ネラが腕を取る。

 

「子どもを渡しな」

 

「この子を……先に」

 

「分かってる。あんたも座れ」

 

 女は背負っていた子どもをネラへ預けた。子どもの顔は青白いが、目は開いている。

 

 ヴァルトがポーションを持って近づいた。

 

「怪我は」

 

「私は、擦っただけです」

 

 女は息を整えようとしたが、言葉が途切れる。

 

「村に……まだ人が」

 

 真壁が歩み寄る。

 

「名前は」

 

「サーラです。エルト村の」

 

「残っている人数は」

 

「村長さんと、歩けない年寄りと、怪我をした人が……全部で10人を少し超えるくらいです」

 

「兵は」

 

「いません。木こりが何人か残っています」

 

 ヴァルトが水を差し出す。

 

 サーラは一口だけ飲み、両手で器を握った。

 

「狼が来たんです。でも、村を襲いに来たんじゃない」

 

「どういうことですか」

 

「森の奥から走ってきて、村を抜けて、そのまま南へ逃げました。私たちのことなんか見てなかった」

 

 ヴァルトが真壁を見る。

 

 真壁はサーラへ視線を戻した。

 

「狼の後ろに、何か見えたか」

 

「姿は見てません」

 

 サーラは首を振った。

 

「でも、木が倒れて……何本も続けて。地面を何かが擦るような音がして、村の皿まで揺れました」

 

「音はどちらから」

 

「西の森です。伐採路より、もっと奥から」

 

「最後に聞いた場所は」

 

「村を出る時も、まだ近づいてました」

 

 真壁は地図へ意識を向けた。

 

 ルーデ村の西側から先は、地形のない空白が広がっている。その中に、大きな赤が1つ浮かんでいた。

 

 作業を始めた時よりも、わずかに東へ寄っている。

 

「大きな反応が先ほどより東へ動いています。周囲の小さい反応は南と東へ散っています」

 

 ヴァルトも同じものを見ていた。

 

「断定するには材料が足りんな。だが、サーラ君の話と無関係とも思えん」

 

 サーラが真壁たちを見上げた。

 

「助けに行ってくれるんですか」

 

「行く」

 

 ヴァルトが答える。

 

「真壁さん、すぐに向かいますか」

 

 真壁は掘りかけの西側を見た。

 

 堀は北西側とまだ完全につながっていない。東の入口も、荷車を並べただけで固定が終わっていない。

 

「今ここを離れれば、避難民を一か所へ集めて敵に差し出したも同然だ。先に閉じる」

 

 サーラの顔が曇る。

 

 真壁は彼女を見る。

 

「半端な村をもう1つ増やすつもりはない。ここを閉じ次第、エルトへ向かう」

 

 サーラは唇を結び、頷いた。

 

「道を教えます」

 

「その前に休み給え。道は逃げん」

 

 ネラがサーラの肩を抱き、炊事場へ連れていく。

 

 真壁とヴァルトは堀へ戻った。

 

 

 

 

 

 西側と北西側の堀がつながった時、昼を少し回っていた。

 

 真壁は接続部を歩き、幅の狭い場所がないか確かめる。ヴァルトも反対側から進み、斜面との境を整えていく。

 

「こちらは終わりました」

 

「東を閉じる」

 

 村の入口では、荷車が鉤形に並べられ、すでに車輪を外されていた。荷台の下には、固定用の丸太が差し込まれている。

 

 村人と避難民が土袋を積んでいた。

 

 ハインが真壁へ歩み寄る。

 

「並べたが、これでいいのか」

 

 真壁は荷車の角度を見た。

 

「1台目をもう少し内へ。隙間を人が通れる幅だけ残し給え」

 

「閉じたら、人が出られない」

 

「開閉の責任者を決め給え。皆でやる、などという仕事ほど当てにならんものはない」

 

「責任者と交代役を置く」

 

「それでよい」

 

 ハインは村人の中から2人を指名した。

 

 ネラは避難民の荷車持ちを呼ぶ。

 

「こっちからも2人出すよ。村の者だけに任せて、荷車の扱いを間違えられちゃ困る」

 

「避難民に門を任せるのか」

 

 ハインが言う。

 

「自分たちも内側にいるんだ。開けたまま逃げやしないよ」

 

 ハインは一瞬黙り、頷いた。

 

 荷車を動かす者が決まる。

 

 一度、入口を完全に閉じる。

 

 車輪を外し、丸太を差し、土袋で押さえる。閉鎖が終わるまでの時間をヴァルトが測った。

 

「これなら、村人だけでも間に合います」

 

「今度は開ける」

 

 真壁の指示で、固定を外す。

 

 最初は丸太が引っかかったが、荷車持ちが角度を変え、通路を開けた。2度目には、最初より早く動かせた。

 

「夜は閉じろ。昼も見張りを外すな」

 

 真壁はハインへ言った。

 

「西と北西の赤が近づいたら、鐘を鳴らす。入口を閉じ、家畜を内側へ寄せ給え」

 

「井戸と食事は」

 

「ネラ君に任せる」

 

 ネラが腕を組む。

 

「最初からそのつもりだよ」

 

 真壁は共同倉庫前へ移動した。

 

 収納から保存食を取り出す。

 

 すぐに食べられる硬パンと乾燥肉。共同炊事へ回す麦と豆。ポーションと、数を絞った毛布。

 

 積み上がった物資を見て、ネラが数を目で追う。

 

「これで、次の荷が来るまで持つのかい」

 

「西には、まだ取り残された者がいる。ここへ置けるのは次の補給までの分だ」

 

「その次は」

 

 ハインが尋ねる。

 

「不足が見えた時点で、ベラクルス侯爵家へ知らせ給え。黙って飢えることだけは許さん」

 

「街道警備所へ伝令を出す」

 

「避難民の人数と、残った食料の量も書かせるのだよ。足りないとだけ言われても、何を運べばよいか分からん」

 

 ハインは若い村人を2人呼び、伝令の準備を命じた。

 

 避難民の人数。

 

 怪我人の数。

 

 食料の残量。

 

 エルト村に残っている者たち。

 

 堀と入口を造ったこと。

 

 必要な兵、工兵、治療要員。

 

 ネラは物資を倉庫へ運ばせ、子どもと怪我人へ先に配る分を分け始めた。

 

「村の人数は今日中に数え直す」

 

 ハインが言った。

 

「井戸の順番も決める。家畜は東側へ寄せる」

 

「よろしい」

 

「戻ってくるのか」

 

「必要ならば戻る。だが、君たちが動いているなら、その分こちらも先へ進める」

 

 ハインは完成した堀の方角を見た。

 

「分かった。ここは任せろ」

 

 真壁は頷き、エアカーを置いた東側の空地へ向かった。

 

 

 

 

 

 サーラは炊事場の脇で待っていた。

 

 子どもは毛布に包まれ、温かい湯を飲んでいる。サーラ自身の腕にも布が巻かれていた。

 

 地面には、ネラから借りた木片が置かれている。

 

「ここがルーデです」

 

 サーラは木片で土へ線を引いた。

 

「北西へ行くと、川が一度西へ曲がります。その先に森の切れ目があって、木を運ぶ伐採路があります」

 

「道は上から見えるか」

 

「森の中では見えにくいです。でも、伐採路の入口に大きな切り株があります。村の屋根は黒くて、煙突が2本ある家が一番高いです」

 

「川の曲がり、森の切れ目、大きな切り株、2本の煙突」

 

 ヴァルトが繰り返す。

 

 サーラは頷いた。

 

「村の東側に広い木材置き場があります。空からなら、そこが見えると思います」

 

「十分だ」

 

 真壁はエアカーへ向かった。

 

 まずエアカーで村へ入る。転移を使うのは、安全な場所と負傷者の数を確かめてからだ。

 

「私も行きます」

 

 サーラが立ち上がった。

 

「子どもを置いてか」

 

「道を間違えたら」

 

「目印は聞いた。君はここに残り給え」

 

「でも、村には」

 

「戻った者がいると知れば、残った者も無茶をする。君まで連れて戻り、また負傷者を増やすつもりはない」

 

 サーラは言葉を失った。

 

 ヴァルトが静かに続ける。

 

「村へ着いたら、残っている方へ、あなたたちがルーデ村まで逃げ切ったと伝えます」

 

「……お願いします」

 

「承りました」

 

 真壁が前席へ乗る。

 

 ヴァルトも後席へ乗り込み、地図を開いた。

 

 背後では、ハインたちが入口の閉鎖をもう一度試していた。荷車の車輪が外され、丸太が差し込まれる。堀の縁では、村人と避難民が見張り位置を確認している。

 

 ネラは大鍋へ麦と豆を入れ、配る順番を怒鳴っていた。

 

「地形は、まだ出ません」

 

 ヴァルトが地図を見た。

 

 空白の奥には、大きな赤が浮かんでいる。

 

「地図になければ、上から探せばよいだけのことだ」

 

「大きな反応は、まだ動いています」

 

「位置を見失わないようにし給え。村を探している間に、向こうから来られては面白くない」

 

「はい」

 

 エアカーが地面を離れた。

 

 避難民の列と、完成した堀が眼下へ下がっていく。東側の鉤形入口では、横向きに並べられた荷車が村への直線を塞いでいた。

 

 真壁はサーラから聞いた川の曲がりを探し、機首を北西へ向ける。

 

 森の向こうから、木が倒れる低い音が続けて響いた。

 

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