押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第221話 ジェダイ騎士団

 

 エアカーは川の流れを右手に置き、冬枯れの森を北西へ進んでいた。

 

 高度を上げれば地上の目印を失い、下げれば枝が機体へ触れる。真壁は梢との間へ細い隙間を残し、操縦桿を小刻みに動かしていた。乾いた枝先が機体の腹をかすめるたび、軽い振動が座席の下から伝わる。

 

 後席のヴァルトは、地図と眼下の景色を交互に追っていた。

 

「次の川曲がりを越えれば、大きな切り株が見えるはずです。その先に木材置き場と、2本の煙突があります」

 

「人の反応は」

 

「エルトと思われる位置に残っています。大半は1か所へ集まっていますが、北側にも2人います」

 

 その周囲では、小さな赤がいくつも動いていた。

 

 さらに北西には、ほかとは比べものにならない大きな赤がある。動きは遅い。だが、その進路から小さな反応が押し出され、森の奥からは断続的に木の倒れる音が届いていた。

 

 ヴァルトは、真壁がその大きな赤を見ながら対処を考えているのだと思った。

 

「ヴァルト君。少々、まずいことに気づいた」

 

「大きな反応の進路ですか」

 

「押入商会だ」

 

 一瞬、意味がつながらなかった。

 

 王都へ預けた魔物素材の処理か。ルーデへ渡した物資か。それとも、領都側の補給に見落としがあったのか。

 

「商会が、どうかしましたか」

 

「オルガの村でも、ルーデでも名乗った。この先の大物まで始末すれば、押入商会が討ったという話になる」

 

「名が広がること自体は、商人として悪くないのでは」

 

「商品で広がるならばな」

 

 前方へ太い枝が張り出していた。真壁はエアカーをわずかに持ち上げ、その上を越える。

 

「堀を掘り、魔物を討ち、転移で補給をつなぎ、森の大物まで処理する商会として知られるのは品がない」

 

 ヴァルトは背後へ遠ざかる森を振り返った。

 

 オルガの村には村人が残り、ルーデには避難民が集まっている。侯爵家の救援隊も動き始めた。真壁たちが去った後、話は人の数だけ増えていく。

 

 押入商会が村を囲う堀を短時間で掘った。

 

 押入商会が魔物の群れを消した。

 

 押入商会が王国軍より先に西方を救った。

 

 言葉が大きくなっても、完全な嘘にはならない。それだけに否定しにくい。

 

「軍事力を持つ商会として見られますね」

 

「ああ。私だけなら構わん。しかし、澪君もリュシア君も同じ看板の下にいる。商会の裏を探る者が、商品だけを見るとは限らない」

 

 仕入れ先、倉庫、転移先、侯爵家との関係。真壁がどこから武器を出し、どうやって大量の物資を動かしているのか。

 

 押入商会を警戒する者が現れれば、澪やリュシアまで巻き込まれる。

 

「商会の看板へ剣を吊るすつもりはない」

 

 真壁の視線はすでに地図へ戻っていた。話を終えた時には、次の手段を考えている。

 

「押入商会とは別の者が戦ったように見せる必要がありますね」

 

 ヴァルトは、魔術院の書庫で読んだ古い軍事記録を思い出した。

 

「以前、他国で軍神と呼ばれた方が行った偽装があります」

 

「軍神が偽装を?」

 

「本人は前線へ姿を見せず、結界に人の形を与え、棒を持たせ、その上からローブを羽織らせたそうです。遠目には、別の騎士が戦場へ出ているように見えたと」

 

「人型結界か」

 

「近くで見れば、不自然さは残ったでしょうが」

 

「近づけなければよい」

 

 返答は早かった。

 

「作れるか」

 

「等身大なら、おそらく。ただし、戦わせるなら1体です」

 

「1体でよい。君が操作する。私たちは後ろから入る」

 

「私たちも姿を見せるのですか」

 

「隠れて声だけ出す方が怪しい」

 

 木陰から声だけを響かせる集団の方が、救援者としてはよほど信用しにくい。

 

「では、まず形を決めます」

 

 ヴァルトは掌を上へ向けた。

 

 

 

 

 

 透明な線が掌の上で伸び、小さな人型を作った。

 

 頭、胴、腕、脚。細部を省き、動かすために要る部分だけを置く。片腕へ棒を持たせ、歩かせようとしたところで、人型結界は上半身から前へ倒れた。

 

 歩き出すはずだった人形が、ヴァルトの掌へ顔から伏せる。

 

「人間の歩行を再現する必要はない」

 

 真壁は前を見たまま言った。

 

「ローブで脚を隠し、滑らせればよい」

 

「歩いているようには見えませんが」

 

「戦場で足運びを眺める者は少ない」

 

 ヴァルトは人形を起こし、脚の動きを捨てた。

 

 胴体を前へ滑らせ、肩と腕だけを歩調に合わせて揺らす。先ほどよりは人らしく見える。

 

「軍神の方が見れば、別物だと仰るでしょうね」

 

「使えるならば改良だ」

 

 原型を作った人物への敬意があるのかないのか分からない。だが、理には適っていた。

 

 人間と同じように歩かせようとすれば、膝や足首、重心の移動まで扱わなければならない。ローブで隠せるなら、足元へ魔力を使う必要はない。

 

 真壁は掌の人型を見た。

 

「膝をわずかに曲げたまま、地面を滑らせ給え」

 

「膝を?」

 

「立ち姿のまま動かせば、人形らしさが出る。腰を落とし、移動方向へ身体を傾ける。足で蹴らず、水平に押し出す」

 

 ヴァルトは人型の姿勢を変えた。

 

 膝を浅く曲げ、上半身をわずかに前へ傾ける。そこから横へ滑らせると、先ほどまでの頼りない人形とは印象が変わった。

 

 足を運んでいないのに、次の一撃へ備えて低く構えているように見える。

 

「なるほど」

 

「走らせる必要はない。敵が来る位置へ移せばよい」

 

 真壁の頭にある動きは、ヴァルトの知る騎士のものではなかった。

 

 だが、結界で作る人型に、人間の身体の制約を守らせる理由もない。

 

「腕は2本とも精密に動かせるか」

 

「1体だけなら可能です」

 

「ならば二刀だ」

 

「2本、持たせるのですか」

 

「腕を振り回す必要はない。敵が通る2か所へ置けばよい」

 

 ヴァルトは掌の人型へ2本の棒を持たせた。

 

 右手は腰の高さ。左手は肩の高さ。両腕を別々に動かしながら、身体を滑らせる。

 

 操作量は増えるが、2体の人型を動かすよりは軽い。

 

「これなら扱えます」

 

「結構」

 

 真壁が収納から2本の柄を取り出した。

 

 王都でヴァルトが作ったビーム・サーベルの魔道具だった。

 

 柄の先へ棒状結界を伸ばし、内部へ粒子を保持して加速させる。持ち手側には熱を返さないよう遮断が入っている。袋の口を閉じた時も、湯を温めた時も、出力を落として使っただけだ。

 

「二刀にするなら、両方を仕上げる」

 

 ヴァルトは1本を受け取った。

 

「ただ、今の粒子では加熱までです」

 

「器はもう出来ている。中身を替える」

 

「粒子を、ですか」

 

「ああ」

 

 真壁は前方の森を見た。次に地図へ目を落とし、周囲に人の反応がないことを見定める。

 

「ある粒子が要る」

 

「こちらで用意できるのですか」

 

「できる。こちらへ」

 

 エアカーは川曲がりの先へ出た。

 

 大きな切り株が見える。

 

 真壁は伐採跡へ機体を下ろし、木々と倒木に囲まれた場所へ着地させた。

 

 風が止まり、機体の駆動音だけが残る。

 

 ヴァルトが身を寄せると、真壁は耳元へ短く何かを告げた。

 

 説明は数秒で終わった。

 

 ヴァルトは聞いた内容を頭の中でもう一度組み直した。何かを聞き落としたのではないかと思ったが、真壁はすでに身体を離している。

 

「……そんなものなんですか」

 

「そんなものだ」

 

「もっと複雑な設備や、希少な素材が必要なのかと」

 

「粒子を作るだけならな。収束路も加速器も、君はもう作っている」

 

 真壁はヴァルトの手にある柄を指した。

 

「中身を入れ替え給え」

 

 ヴァルトは柄へ意識を通した。

 

 現在の粒子を抜き、真壁から聞いた方法で作ったものへ替える。保持する結界も、加速させる魔術式も、遮熱もそのままでよい。

 

 魔石から魔力を流す。

 

 ブゥン、と低い振動音が響いた。

 

 柄の先へ白い光が伸びる。

 

 炎のようには揺れない。

 

 金属の刃にも見えない。

 

 空気から切り離した白い何かが、棒状結界の中へ押し固められている。

 

 ヴァルトは近くに積まれていた伐採済みの丸太へ刃を触れさせた。

 

 白い光は木へ食い込むのではなく、自分の占める部分を押し分けるように通り抜けた。丸太の端が地面へ落ち、切断面から薄い煙が立つ。

 

「これが、本来の」

 

「そうだ」

 

「器は、もう出来ていたのですね」

 

「君が作った」

 

 真壁はもう1本を差し出した。

 

「こちらも替えたまえ」

 

 2本目にも同じ粒子を入れる。

 

 ヴァルトが同時に起動すると、低い唸りが重なり、2本の白い刃が冬の森を照らした。

 

 

 

 

 

 ヴァルトが等身大の人型結界を作り、真壁がその上へ黒いローブを被せた。

 

 中身のないフードは潰れたが、内側から形を支えると、顔の位置へ暗い空洞ができた。肩へ厚みを持たせ、両腕へビーム・サーベルの柄を握らせる。

 

 刃はまだ出さない。

 

 真壁とヴァルトも、外套の上から黒いローブを羽織った。

 

 ヴァルトは収納から小さな境界魔道具を2つ取り出し、片方を真壁へ渡した。

 

「姿を消すものではありません」

 

「承知している」

 

「顔、声、体格、魔力の癖を、記憶へ結びつけにくくします。以前から私たちをよく知る相手には、動作で疑われる可能性があります」

 

「エルトの村人に知己はいない」

 

 2人が魔道具へ魔力を通すと、薄い境界が身体の周囲を覆った。

 

 見た目は変わらない。

 

 真壁の顔も、ヴァルトの髪も、その場では普通に見える。だが、目を離した後に思い出そうとすれば、輪郭や声の高さがうまくつながらない。

 

 ヴァルトは黒いローブ姿の結界騎士を見た。

 

「ジェダイに見えます」

 

「知っている」

 

 真壁の返事に、ヴァルトは顔を上げた。

 

「ご存じなのですか」

 

「最後まで見た」

 

 ヴァルトにとって最も新しい記憶は、『ファントム・メナス』だった。

 

 砂漠の少年。ローブを羽織った騎士。赤と黒の顔を持つ敵。光る剣。

 

「続きでは、あの方々はどうなったのです?」

 

 真壁の手が止まった。

 

 森奥の大きな赤を見た時より、返事までの間が長い。

 

「君は知らぬままでいたまえ」

 

「それほどですか」

 

「積み上げたものを粗末に扱う者の話は、今はしたくない」

 

 声が低かった。

 

 ヴァルトは、それ以上尋ねるのをやめた。

 

「では、名前だけお借りしますか」

 

「ジェダイか。悪くない」

 

「王国の秘密騎士団として」

 

「王国とは名乗らん」

 

 真壁は結界騎士のフードを直した。

 

「勝手にそう思わせればよい」

 

 ヴァルトは結界騎士を前へ滑らせた。

 

 浅く膝を曲げた姿勢のまま、ローブの裾を地面すれすれに引いて進む。足音はしない。肩と腕だけが移動に合わせて揺れ、両手の柄は低く下げられている。

 

 その数歩後ろを、真壁とヴァルトが並んで歩いた。

 

 黒いローブが3つ。

 

 うち1つに人間の身体はない。

 

「困った騎士団だな」

 

「何がですか」

 

「3人いて、1人は結界だ」

 

「人員不足を補うのも魔術の仕事です」

 

「結構」

 

 地図上の小さな赤が、エルトへ向きを変えた。

 

 森から枝の折れる音が近づく。

 

「ここから先、本名は使わん」

 

「承知しました、マスター」

 

「結構だ、パダワン」

 

 真壁はエアカーを収納し、3つの黒い影は木こり村へ向かった。

 

 

 

 

 

 エルトは木材置き場を中心に、家々が寄り集まった村だった。

 

 2本ある煙突のうち、煙が出ているのは片方だけである。数軒の屋根が倒木に押し潰され、伐採路には枝と丸太が重なっていた。

 

 人の反応は木材倉庫へまとまっている。

 

「倉庫に9人。北側の家に2人です」

 

 パダワンの声は境界魔道具を通し、聞き手の記憶へ特徴を残しにくい響きへ変わっていた。

 

「動ける者は」

 

「半数ほどです。北の2人は移動していません」

 

 先頭の結界騎士が倒木の間から現れる。

 

 その後ろにマスターとパダワンが続くと、木材倉庫の前にいた男たちが一斉に斧を構えた。

 

 片脚を引きずった年配の男へ、背後の木こりが「村長」と呼びかける。男は返事をせず、斧の先を3人へ向けた。

 

「止まれ! 何者だ」

 

 マスターは足を止めた。

 

「ジェダイ騎士団の者だ」

 

「王国の騎士団か」

 

「所属を説明している時間はない。怪我人を倉庫の奥へ移したまえ」

 

 村長はフードの奥を見た。

 

 顔は見えている。だが、眉の形へ目を留めたはずなのに、隣へ視線を移した途端、先ほどの顔を思い出せなくなったらしい。

 

 斧の先が3人の間を迷うように揺れる。

 

「来ます」

 

 地図上の赤が森の縁へ達した。

 

「大きい反応が2つ。その後ろにも複数」

 

 森の縁が割れた。

 

 先に姿を現したのは灰狼だった。

 

 これまで見た個体より一回り大きい。背は木こりの胸ほどまであり、冬毛の下で肩の筋肉が波打っている。口を開くたび、白い息の奥に長い牙が見えた。

 

 その後ろから、牙猪が若木を押し倒して出てくる。

 

 こちらも大きい。

 

 頭を下げたままでも、背は荷車の屋根に届きそうだった。左右へ突き出した牙が枝を払い、踏み込むたびに泥が深く沈む。

 

 2頭とも人間を目指して森を出てきたのではない。

 

 後ろを振り返りながら逃げ、村へ入り込んだところで人の匂いを拾ったのだ。

 

 巨大灰狼が身を沈める。

 

 巨大牙猪は木材置き場へ頭を向けた。

 

 マスターには、2頭の姿より先に進路が見えた。

 

 灰狼は右から跳ぶ。

 

 牙猪は積み丸太の間を抜けて、倉庫へ真っすぐ来る。

 

 2本の軌道が、黒い騎士の前で重なる。

 

「パダワン。右を低く。左は肩の高さへ」

 

「承知しました、マスター」

 

 結界騎士が、わずかに膝を沈めた。

 

 次の瞬間、足元の泥を踏み返すことなく、身体が横へ流れた。

 

 走ったのではない。

 

 黒いローブの裾を低く引きながら、地面の上を滑ったのだ。

 

 巨大牙猪の牙が、つい先ほど騎士の胸があった位置を貫く。

 

 結界騎士は巨体の側面へ並んでいた。

 

 マスターの目には、その位置だけで十分だった。

 

「そのまま。2か所へ置き給え」

 

 両手の柄が起動する。

 

 ブゥン、と低い振動音が重なった。

 

 2本の白い刃が伸びる。

 

 右は腰より低く。

 

 左は肩の高さへ。

 

 構えというより、2本の進入禁止線だった。

 

 巨大灰狼が先に跳んだ。

 

 黒い騎士は腕を振らない。

 

 狼の胸から腹が通る位置へ、左の白刃を置いただけだった。

 

 灰狼は、そのまま光へ飛び込んだ。

 

 音はなかった。

 

 白い線が巨体の中央を走り、狼の身体が空中で上下へ分かれた。

 

 前半身は騎士の向こうへ落ち、後ろ半身は泥を跳ね上げながら手前へ転がる。勢いだけが残り、2つに分かれた身体が別々の方向へ地面を滑った。

 

 その間にも牙猪は止まらない。

 

 灰狼が落ちた脇を踏み越え、頭を下げたまま突っ込んでくる。

 

 マスターは牙の高さと首の位置を見た。

 

「半歩前だ。右を残し給え」

 

 結界騎士が滑った。

 

 膝を曲げた姿勢のまま、牙猪の正面からわずかに外れる。

 

 右の白刃だけが、巨体の進路へ残った。

 

 牙猪の牙が騎士のローブをかすめる。

 

 その直後、首から肩が白い刃へ入った。

 

 光が通った幅だけ、皮も肉も骨もまとめて押し分けられる。

 

 巨大牙猪の身体が斜めに真っ二つになった。

 

 右前脚と頭部を含む半身が木材置き場へ滑り、残る半身は勢いのまま数歩進んでから横倒しになる。

 

 ドン、と遅れて巨体の重さが地面を揺らした。

 

 積み上げた丸太へ血と泥が散る。

 

 結界騎士は振り返らない。

 

 2本の白い刃を左右へ下げたまま、次に森から出てくる赤へフードの暗がりを向けていた。

 

 木こりたちは斧を握ったまま動かなかった。

 

 巨大灰狼が跳び、牙猪が突進してから、2頭が地面へ落ちるまで、ほんの数息しか経っていない。

 

 黒い騎士は一度も走らなかった。

 

 足音も立てず、泥の上を滑っただけだった。

 

 2本の白い刃も、激しく打ち振られてはいない。

 

 魔物が来る位置へ置かれ、通り過ぎた後には、もう次の場所へ移っていた。

 

 マスターは地図へ目を落とした。

 

 小さな赤が3つ、森から村の左右へ散っている。

 

「右に2。左に1」

 

「見えています」

 

「倉庫は私が見る。騎士を前へ」

 

 結界騎士が低く滑った。

 

 マスターは村人の前へ出ると、倉庫と木材置き場の間へ収納から丸太を置いた。柵を作るほどの時間はない。狼が一息に人へ届かないよう、進路を曲げるだけでよい。

 

「斧を下ろしたまえ。怪我人を奥へ」

 

 村長は巨大牙猪の半身から目を離せずにいた。

 

「聞こえなかったか」

 

「怪我人を運べ! 倉庫の奥だ!」

 

 村人が動き始める。

 

 右から来た2頭の灰狼が丸太を避け、木材置き場へ回り込んだ。

 

 マスターには、狼の目より先に足元が見えた。

 

 1頭は結界騎士へ。

 

 もう1頭は騎士を囮と見て、その背後を抜けようとしている。

 

「左右へ開き給え」

 

 結界騎士が両腕を広げた。

 

 2本の白い刃が、低い唸りを残しながら左右へ離れる。

 

 正面の狼が跳ぶ。

 

 騎士は後ろへ下がらなかった。

 

 膝を曲げた姿勢のまま半身だけ横へ滑り、左の刃を狼の着地点へ残す。

 

 灰狼の胸が白い光へ入る。

 

 身体が前後へ分かれ、片方は騎士の背後へ、もう片方は足元へ落ちた。

 

 背後を抜けようとした狼が方向を変える。

 

 マスターが置いた丸太に道を塞がれ、結界騎士の右側へ寄った。

 

「右を寝かせ給え」

 

 右腕が下がる。

 

 白い刃が地面と平行になる。

 

 結界騎士は狼を追わない。

 

 逃げ道を塞がれた灰狼が、倉庫へ向かって走る。その首が来る位置へ、黒い騎士の右腕だけが滑り込んだ。

 

 光が横へ走る。

 

 狼の頭部が先へ飛び、身体はそのまま数歩進んでから崩れた。

 

 左側の1頭は、木造家屋の陰を回っていた。

 

「北の家へ向かいます」

 

「先回りしたまえ」

 

 結界騎士が向きを変えた。

 

 人間の足運びなら、踏み直しが必要になる。

 

 結界騎士には要らない。

 

 膝を落とした姿勢のまま身体だけが弧を描き、黒いローブの裾が木屑を巻き上げる。

 

 灰狼が家の陰から飛び出す。

 

 結界騎士はすでにそこにいた。

 

 2本の白い刃が、狼の進路を挟むように立っている。

 

 狼は右へ身をひねる。

 

 右には光。

 

 左へ跳ぶ。

 

 左にも光。

 

「中央だ」

 

 両腕が内側へ閉じた。

 

 ブゥン、と低い音が一度重なる。

 

 白い刃が交差した。

 

 灰狼の身体が3つに分かれ、木屑の上へ落ちた。

 

 それで、村へ入り込んだ赤は消えた。

 

「刃を収めたまえ」

 

 2本の白い光が消える。

 

 結界騎士は柄を下げ、森へ正面を向けたまま止まった。

 

 村人たちは誰も口を開かなかった。

 

 斧を握る指だけが白くなり、視線は黒い騎士と、真っ二つになった巨大牙猪の間を行き来している。

 

 マスターには、それでよかった。

 

「北側の2人は動いていません」

 

「道を開ける」

 

 収納を使い、北側の家まで積み重なった倒木を取り除く。

 

 枝と幹が消えるたび、細い通路が伸びていく。

 

「担架を持てる者は」

 

 村長が振り返った。

 

「2人、来い!」

 

 木こりたちが倉庫から担架を出す。

 

 結界騎士が通路へ先行する。マスターとパダワンもその後ろへ続いた。

 

 歪んだ家の扉は、倒木の重みで開かなくなっていた。

 

 結界騎士が右手の柄だけを起動する。

 

 ブゥン、と白い刃が伸びる。

 

 蝶番の周囲をなぞると、扉が内側へ倒れた。

 

 家の中から老人の声が聞こえる。

 

 木こりたちが駆け込んだ。

 

 マスターは切り開かれた戸口を一瞥し、担架が通れる幅まで倒木を収納した。

 

 村長は黒い騎士へ何か言いかけた。

 

 だが、声にはならなかった。

 

 マスターは森へ目を戻した。

 

 

 

 

 

 北の家から、歩けない老人と足を潰した男が運び出された。

 

 パダワンは村外れの伐採地へ仮設拠点を置いた。建物から離れ、周囲に人も家畜もいない。転移先はルーデ村前に置いた安全な地点である。

 

「数名ずつ送ります。歩けない方から」

 

 村人たちが顔を見合わせた。

 

「全員、一度には無理なのか」

 

「何度か往復します」

 

 マスターは倉庫前へ集められた荷へ目を向けた。

 

「持ち出す物は1か所へ集めたまえ。家へ戻る必要はない。荷は私が持つ」

 

 毛布、薬草、食料袋、斧、村の書付。

 

 村人たちは迷いながらも、持ち出す物を倉庫前へ積み始めた。

 

 村長だけが家々を見ていた。

 

「私は最後でいい」

 

「村長が残れば、ほかの方も残ります」

 

 パダワンは譲らなかった。

 

「先に送ります」

 

「だが、村を誰かが」

 

「村を守るために人を残すのでは、本末転倒だ」

 

 マスターが荷を収納へ入れていく。

 

「命が残れば戻れる。戻る者がいなければ、村はそこで終わる」

 

 村長は唇を結んだ。

 

 やがて腰の革袋から、小さな木札と折り畳んだ書付を取り出す。

 

「村の印と土地の書付だ」

 

「持っていきたまえ」

 

 最初の便には、歩けない2人と、足を負傷した木こり、その付き添いが入った。

 

 2本の白い刃が消えた。

 

 次の瞬間、黒い騎士そのものがローブも柄も残さず消える。

 

 村人の視線が、何もなくなった地面へ集まった。

 

 パダワンは振り返らず、負傷者たちを転移位置へ導いた。

 

「マスター。最初の便を送ります」

 

「ああ。こちらは任せたまえ」

 

 村長がマスターを見た。

 

「1人で残るのか」

 

「1人で十分な間だけだ」

 

 パダワンは付き添いと怪我人を光の内側へ入れ、転移を起動した。

 

 光が収まると、黒いローブ姿のマスターと、残った村人だけがエルトに残った。

 

 森の奥で木が倒れる。

 

 マスターは地図へ目を落とした。

 

 大きな赤が近づいている。

 

 村人を村の東側へ寄せ、森側へ丸太を積む。倒木を収納し、巨大な反応が進みやすい道を1本だけ残す。村を広く守ろうとはしない。敵の進路を狭め、転移位置から外すだけでよい。

 

 最後の丸太を置いた時、背後へ光が立った。

 

「戻りました、マスター」

 

「騎士を立て給え、パダワン」

 

 パダワンの前へ、黒い騎士が何の前触れもなく現れた。

 

 フードの暗がり。

 

 浅く曲げた膝。

 

 両手に下げた2本の柄。

 

 村人たちは、消えた時と同じように、その出現にも声を上げなかった。

 

「大きな反応が近づいています」

 

「戦闘音を拾ったか」

 

「このままなら、次の往復中に森の縁へ出ます」

 

「怪我人から送る。荷は私が持つ」

 

「次の便を送って戻るまで、持ちますか」

 

「考える時間はない。送って戻り給え」

 

 パダワンは次の数名を転移位置へ集めた。

 

 その時、森の奥で太い木が倒れた。

 

 1本ではない。

 

 梢が大きく揺れ、鳥の群れが空へ飛び立つ。地面の振動で、木材置き場の丸太が低く転がった。

 

 大きな赤は、確かにエルトへ向かっている。

 

 結界騎士が森へ向く。

 

 刃は出さない。

 

 2本の柄を下げ、膝を曲げた黒い影が、マスターとパダワンの前に立つ。

 

 その向こうで、木々より高い何かの輪郭が動いた。

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