森の奥で、また木が倒れた。
幹が裂ける音より先に、地面を走った震えが木材置き場へ届く。積み上げられた丸太が互いの腹を擦り、重い軋みが端から端へ伝わっていった。
最後までエルトに残っていた木こりたちは、荷を抱えたまま森へ顔を向けた。
巨体はまだ見えない。それでも、梢より高いところで枝が左右へ揺れている。鳥の群れが空へ逃げ、その下で大木が1本ずつ傾いていった。
「マスター」
ヴァルトは真壁の名を呼ばなかった。
黒いローブの下では、認識不明化の境界魔道具が動き続けている。顔も声も、その場では見えて聞こえる。だが視線を外せば、鼻の形も背丈も、記憶の中で別々の人物のものに入れ替わった。
「次で全員を送れます」
「村長も一緒に送り給え。荷はこちらで預かる」
片脚を引きずった村長が、斧の柄を杖代わりにして振り返った。
「待ってくれ。村の者を先に送れ。私は最後でいい」
背後に並ぶ木こりのうち、2人が顔を上げた。
村長が残れば、自分も残ると言い出す。誰かが家へ戻れば、別の誰かも取り残した道具を思い出す。逃がす相手が増えるばかりか、守る範囲まで広がる。
「村長が残れば、戻ろうとする者が出る。先に行きたまえ」
「だが、あれが村へ来る」
森の奥で、太い枝がまとめて折れた。
村長の手が斧の柄を握り直す。刃を向けたところで、木々より高い何かを止められるはずがない。それでも長年暮らした村を背にして、素手になることはできないらしい。
真壁は森側に立つ黒い騎士へ目を向けた。
結界騎士は浅く膝を曲げ、両手に2本の柄を下げている。黒いローブの裾だけが、地面を這う風に揺れていた。
「そのために我々がいる」
村長も結界騎士を見た。
巨大灰狼も牙猪も、あの黒衣の前では村へ一歩も入れなかった。村長は口を開きかけ、やがて斧の刃を土へ下ろした。
真壁は返事を待たず、共同倉庫へ歩いた。
村の印、土地の書付、冬越しに使う木工道具、毛布、薬草、予備の斧。村人が運び出した物から、順に収納へ消えていく。
「そ、それも持っていくのか」
束ねられた木挽き鋸が消えたところで、村長が声を上げた。
「戻ってから不足を数えるのは面倒だ。必要な物は先に持つ」
「面倒だから村の倉庫を空にする者を、俺は初めて見た」
「よい経験になったな」
真壁の手は止まらなかった。
村長が言い返す言葉を探している間にも、樽が1つ、縄の束が2つ、収納へ収まる。共同財産を守るはずの村長は、いつの間にか倉庫が空になる速さを見届ける役へ変わっていた。
ヴァルトは村外れの転移地点へ、残る者たちを集めている。
負傷者の肩を支える木こり、荷を背負う女、家へ戻ろうと何度も振り返る若者。ヴァルトは声を荒らげず、光の内側へ立つ位置を手で示した。
地図の上では、迫る巨大な赤の前から、小さな反応が左右へ逃げ続けている。
獲物を追っているのではない。
歩いているだけで、森の魔物を外へ押し出していた。
「全員入りました」
ヴァルトの声に、真壁は最後の荷を収納した。
村長だけが光の縁で足を止め、エルトの家々へ顔を向けていた。折れた煙突、倒木に潰された屋根、積み上げたままの丸太。どれも逃げる者を呼び戻すには十分な姿をしている。
「……村を頼む」
真壁は守れるとは言わなかった。
巨体がどこへ倒れるかは、これから決める。約束で向きが変わる相手ではない。
「行きたまえ」
転移光が高くなった。
村人たちの輪郭が薄れる。
森へ向いていた黒い騎士も、跡形なくその場から消えた。
村長が目を見開く。
問いかけるより早く光が閉じ、エルトから最後の村人が消えた。
人の声がなくなると、村は急に広くなった。
煙の出ない煙突の脇を冬の風が抜け、扉の外れた家の中では、吊るされた道具が壁へ触れて乾いた音を立てている。
真壁は地図を開いた。
ヴァルトと村人の反応はルーデ側へ移っている。エルトに残った人間は真壁1人。その西から、森を押し分ける巨大な赤が近づいていた。
黒いローブの袖をまくる。
村人がいなくなったからといって、偽装を解いている時間はない。着替えるより先に、巨体が倒れる空間を用意する必要があった。
真壁は木材置き場の西側を歩いた。
倒れれば家屋へ届く大木を収納し、転移地点の周囲に散らばる丸太を消していく。森側の倒木はすべて除かず、一部だけを斜めに残した。
約20tの相手を、壁で止める気はない。
丸太を積んで受ければ、砕けた木片が村へ飛ぶ。杭を立てても、巨体に踏まれれば地面ごと掘り返される。
倒木の向きを変え、森から伐採跡へ通じる1本の道だけを広く開けた。その先には家屋がなく、転移地点からも外れた平地がある。
最後に、横倒しになった巨体が触れそうな丸太を収納した。
「丁重に倒れてもらおう」
聞く者はいない。
森の奥で、大木が斜めに傾いた。隣の枝を巻き込み、根元から引き裂かれて倒れていく。
真壁は距離を測り、伐採跡の端へ積まれていた薪まで移した。村人が戻った時、冬越しの燃料まで巨人の下から掘り出すことになれば面倒である。
巨体を誘うために残した倒木の隙間から、折れた枝がこちらへ押し出された。
もう遠くない。
真壁は転移地点へ続く道をもう一度見渡した。地面の傾き、家屋との距離、倒れた時に舞う破片の方向。巨人が想定どおりに進まなくても、2方向までは修正できる。
3方向目へ逸れた場合は、その場で考えればよい。
背後へ転移光が立った。
「全員、ルーデへ送りました。真壁さん」
「結構。認識不明化も止めてよい、ヴァルト君」
ヴァルトが境界魔道具への魔力を切った。
真壁も同じように停止する。
顔も声も変わっていない。それでも、薄い膜を1枚剥がしたように、周囲との距離が元へ戻った。
ヴァルトは黒いローブの襟へ指を入れ、首元の空気を逃がした。
「マスターでなくなると、少し物足りませんね」
「続けても構わんぞ、パダワン」
「いえ。今のは忘れてください」
ヴァルトは収納から黒いローブと2本の柄を取り出した。
結界が人の輪郭を作り、空だったローブを内側から押し広げる。頭、肩、腕、胴。最後に脚が形を持ち、浅く膝を曲げた黒い騎士が2人の前に立った。
両手へ柄を持たせる。
刃はまだ出さない。
真壁は結界騎士ではなく、森から伐採跡へ続く通路を見た。倒木の隙間、木材置き場との距離、転移地点までの空間。巨体が直進すれば、こちらが空けた場所へ出る。
「奥の反応が森の縁まで来ています」
「鑑定できる距離まで待つ」
「村へ入れますか」
「入れん」
真壁は伐採跡を顎で示した。
「倒れる場所はこちらで選ぶ」
ヴァルトは巨体の進路と、何もなくなった平地を見比べた。
「倒す前から、倒れ方まで決めるのですね」
「倒した後で困るのは品がない」
「便利な言葉ですね」
「便利だから使っている」
ヴァルトは笑いかけたが、森の縁で大木が押し曲げられるのを見て口元を戻した。
結界騎士を真壁たちの前へ滑らせる。
足音はない。膝を曲げた姿勢のまま、黒いローブの裾が地面すれすれを流れていく。
真壁は自分の立つ位置を半歩ずらした。
ヴァルトもそれを見て、巨体の正面から外れる。
森の縁が盛り上がった。
最初に見えたのは頭ではなかった。
若木を押し分ける肩だった。
泥と折れた根を幾重にもまとい、家屋の屋根ほどの高さから枝を左右へ押し開いている。
続いて、樹皮のような外皮に覆われた胸が、木々の間からせり出した。
巨体は木を避けない。
片腕で幹を押し、足で根を踏み抜き、邪魔になった枝を身体の脇へ折り曲げながら進んでくる。
全身が森から出た。
高さは約9m。
長い腕は膝より下まで届き、指には土と細い根が絡みついていた。足を踏み出すたび、足裏から新しい根が伸びて地中へ潜り、湿った土が周囲へ盛り上がる。
真壁は鑑定を向けた。
樹喰い巨人。
推定重量は約20t。胸腹部の奥には、大型の魔核が埋まっている。
踏み込んだ足から根が伸び、地中へ潜る。根を通じて魔力が流れ込むたび、肩の外皮に入っていた亀裂が、樹皮に似た繊維でゆっくりと塞がれていった。
膝裏と踵だけは、その厚い外皮が薄い。
「樹喰い巨人です」
ヴァルトも鑑定を使いながら、足元から地中へ伸びる根を追っていた。
「地面から魔力を吸っています。足がついている限り、傷を塞ぐようです」
「外皮は」
「通常の刃では難しいでしょう。ただ、ビーム・サーベルなら通ります」
「問題は硬さではないな」
「深さです。今の長さでは、外皮を切れても魔核まで届きません」
真壁は巨人の胸ではなく、歩き方を見た。
右脚が前へ出る。
左脚へ巨体の重量が移る。
足裏から根が地中へ打ち込まれ、長い腕を持ち上げる直前に、軸足の膝が深く曲がった。
腕だけで殴っているのではない。
根で地面へ身体を固定し、20tの重量を支点へ集め、その重さごと相手へ叩きつけている。
「重さを武器にしている」
「ええ。正面から受ければ、結界騎士でも飛ばされます」
「ならば、その重さを支えられなくすればよい」
樹喰い巨人が、エルトの家々へ顔を向けた。
口らしい裂け目が開き、太い幹をねじったような音が響く。
右脚が前へ出ると、巨体の重量が片側へ寄った。
真壁は右膝の裏へ視線を定めた。
樹喰い巨人が大きく踏み込む。
足裏から太い根が伸び、土へ食い込んだ。長い右腕が持ち上がり、木材置き場へ大きな影を落とす。
「ヴァルト君。右膝だ」
「承知しました」
結界騎士が膝を沈めた。
巨人の腕が落ちる。
空気が押され、木材置き場に残っていた木屑が一斉に舞った。
結界騎士は振り下ろされる腕の外へ逃げなかった。
黒いローブの裾を地面すれすれに引き、腕が通り過ぎる内側へ滑り込む。
右手の柄が起動した。
ブゥン、と低い振動音が鳴る。
白い刃が伸びた。
騎士は振り上げない。
前へ移る右膝の軌道へ、刃を水平に置く。
巨人の脚が白い光を越えた。
膝から下が、その場へ残る。
巨体の上半身が大きく沈み、振り下ろされた腕は狙いを外して木材置き場の外へ落ちた。
地面が割れた。
土と木片が爆ぜ、太い丸太が回転しながら真壁たちへ飛んでくる。
真壁は丸太だけを収納した。
小枝と土までは間に合わない。
乾いた土埃が黒いローブへ叩きつけられ、視界が灰色に染まった。ヴァルトが片腕で顔をかばう。
「前を見たまえ。まだ倒れていない」
樹喰い巨人は両腕を地面へ突き、残った左脚へ全身の重さを移していた。
足裏から先ほどより太い根が伸びる。土を割り、地中へ深く潜り、傾く巨体を引き戻そうとしている。
切断された右膝の表面では、樹皮に似た繊維が盛り上がり始めていた。
「再生が始まっています」
「先に支柱をなくす」
巨人は腕で地面を押し、上半身を起こそうとする。
真壁は左の踵へ目を留めた。
そこから地中へ張った吸収根が、20tの身体を引き戻す最後の柱になっている。
「背後へ回り、左の踵を落とし給え」
結界騎士が巨人の脇を滑り抜ける。
巨人の腕が頭上を薙いでも、黒い騎士の動きは鈍らなかった。膝を沈めた姿勢のまま、腕の下を抜けて背後へ回る。
巨人が左腕を返す。
結界騎士は急停止せず、その軌道と同じ方向へ滑って衝撃を外した。ローブの裾が腕の先へ触れ、布が大きくたわむ。
左手の柄が起動した。
白刃が低く伸びる。
左脚へ巨体の重さが沈んだ。
その踵が、地面すれすれに置かれた白刃へ入る。
踵と、地中へ食い込んでいた吸収根がまとめて断たれた。
土の中から太い根が何本も跳ね上がり、切断面から濃い魔力の靄が漏れる。
支えを失った巨体が前へ傾いた。
樹喰い巨人は両腕をさらに深く地面へ突き立てた。
背を反らし、肩を震わせ、それでも起き上がろうとする。
「まだ立つ気です」
「立とうとしているだけだ」
右膝を失い、左の踵と根を切られ、それでも巨人は両腕で土を押していた。指が地面へ深く潜り、腕の周囲で土が盛り上がる。
真壁は胸から腹へ伸びる斜線を見た。
倒れまいと背を反らしたことで、樹皮に覆われていた胸腹部が伸び、魔核を通る角度が開いている。
通常の白刃では、表面を切れても魔核まで一息には届かない。
「ヴァルト君。2本分を右へ集められるか」
ヴァルトの視線が、結界騎士の両手へ移った。
「収束路を延ばすのですか」
「柄を大きくする必要はない。2つの魔石と、左の収束路を右へ重ね給え」
「やったことはありません」
真壁は巨人から目を外さない。
「今からやれば、やったことになる」
ヴァルトは一度だけ息を詰め、結界騎士の左手から柄を外した。
2本目の魔石と収束路を右手側へ重ねる。魔力の通り道をずらし、棒状結界を延ばした。
右手の柄が低く唸る。
白刃が伸びかけ、途中で大きく揺れた。
「収束が外へ逃げます」
真壁は揺れている刃の根元へ目を留めた。
「柄の近くは変えるな。安定している部分を残し、その先だけ延ばせるか」
「試します」
ヴァルトは結界の形を組み替えた。
柄のすぐ先は元の太さを保ち、その先から収束路を緩やかに広げていく。白い光の揺れが収まり、2つに割れていた低音が1つへ重なった。
ブゥゥン、と腹へ響く音が木材置き場へ広がる。
白い刃が伸びた。
通常の倍を越え、さらに木々の間へ長く延びる。家屋の屋根より高い位置まで白光が届き、周囲の森を夜明け前のように照らした。
「保持できました」
「結構。振る必要はない」
「振ったら、村まで切れそうです」
「だから置くのだ」
結界騎士が長大な白刃を構えた。
刃そのものに重さはない。それでも白い光が森と村の間へ斜めに伸びると、空間そのものが2つに分けられたように見えた。
「左へ半歩。その角度だ」
結界騎士が膝を曲げたまま滑る。
長大な白刃の位置が、巨人の肩から胸腹部の魔核を通り、腰へ抜ける斜線へ重なった。
ヴァルトは刃を動かさない。
樹喰い巨人の指が土へ沈んだ。
腕が伸び、肩が持ち上がる。だが、脚を失った胴は、それ以上に前へ出た。
木々を押し倒してきた重さを、今は自分の両腕だけで支えている。
指先の土が崩れた。
巨人は再び地面を掴む。肩が上がり、背中の樹皮が裂け、内部の繊維が太い縄のように張った。
持ち上がった分だけ重心が前へ移る。
20tの巨体が、長大な白刃へ近づいていく。
「そのままだ」
最初に肩が光へ触れた。
白刃は樹皮へ食い込まない。
そこに光が存在した分だけ、厚い外皮が左右へ押し分けられる。
続いて胸が沈んだ。
肉に似た繊維も、骨のような芯も、同じように白刃の両側へ分かれていく。
巨人はなお腕で地面を押した。
押せば押すほど、身体が前へ出る。
自ら白い光へ沈んでいく。
白刃が胸腹部の魔核へ届いた。
内部で紫色の光が膨らみ、樹喰い巨人の輪郭を内側から照らした。樹皮の裂け目から細い光が漏れ、肩から腹へ走っていく。
次の瞬間、白刃が魔核を越えた。
巨人の腕から力が抜ける。
上半身は森側へ、下半身は伐採跡側へ崩れた。
真壁が先に空けておいた場所へ、2つに分かれた巨体が落ちる。
地面が跳ねた。
乾いた表土と砕けた樹皮が、壁のように立ち上がる。
真壁もヴァルトも、正面から土煙へ呑まれた。
視界が灰色に染まった。
ローブの隙間へ細かな土が入り、口の中までざらつく。鼻から息をすると、森の湿った匂いより先に乾いた土臭さが来た。
「……真壁さん」
「何かね」
「何も見えません」
「地図を見給え」
「風情がありませんね」
「巨人の死体を眺める風情に心当たりはない」
地図上から、大きな赤は消えていた。
土煙の中で長大な白刃が消える。魔力を落とされた結界騎士が片膝をつき、両手の柄を地面へ下ろした。
やがて風が土を運び、二分された巨体の輪郭が現れ始めた。
真壁の黒いローブは、フードから裾まで灰色に変わっていた。肩を動かすたび、積もった土が小さく崩れ落ちる。
ヴァルトも髪から頬まで土埃に覆われていた。
「酷い顔です」
「鏡を見てから言いたまえ」
「鏡がなくても、同じ程度なのは分かります」
「ならば問題ない」
「問題しかありません」
ヴァルトが袖で額を拭い、土を横へ広げた。
拭う前より目立つ筋が頬へ残る。
本人が気づいていないため、真壁は何も言わなかった。
結界騎士の肩には、小枝が1本引っかかっている。
ヴァルトが腕を動かすと、黒い騎士は自分で肩を払ったように見えた。
「妙に人らしくなったな」
「今は土埃まみれですが」
ヴァルトが巨体へ鑑定を向けたところで、口元から笑いが消えた。
「……真壁さん」
「どうしたね」
「酷い魔素です。魔力だまりができそうですよ」
巨人の切断面から、黒紫色の靄が湧き上がっていた。
死後に行き場を失った魔素が、空気と地面へ染み出している。周囲の草は風と逆方向へ傾き、切断された右脚から伸びていた根も、土中へ濃い魔素を漏らしていた。
靄は上へ散らず、地面近くへ沈もうとしている。
真壁は巨体と、土へ残った根を見比べた。
「収納してしまいましょう」
「巨体だけでは足りません。地中の根にも残っています」
「ならば周囲の土ごとだ」
真壁は上半身から収納へ収めた。
続いて下半身、切断された右脚、左の踵。土の中に残った吸収根は、周囲の表土ごと薄く切り取るように消していく。
地中から現れた根は、切断後も指ほどの太さで脈打っていた。真壁が周囲の土を収納すると、その動きも黒紫色の靄も一緒に消えた。
最後に魔素を強く含んだ地面を浅く収納する。
巨体のあった場所には大きな窪みが残り、冬の風がそこへ流れ込んだ。
ヴァルトは目を閉じた。
森から流れてくる魔素と、伐採跡に残ったものを分けて探る。やがて肩の力が抜けた。
「収まりました」
「帰ってから、隔離したまま解体だな」
「素材として使うのですか」
「根、外皮、魔核。捨てるには大きすぎる」
「危険だから収納したのでは」
「危険な物と、価値のない物は同じではない」
ヴァルトは土埃だらけの顔で真壁を見た。
「商人ですね」
「ジェダイ騎士団ではなくなったからな」
真壁は地図を開いた。
樹喰い巨人が消えても、森奥の赤い流れは完全には止まっていない。ただ、先ほどまでのように一方向へ押し出される動きは弱まっている。
「この個体が周囲の魔物を追い出していたのは確かです」
「ああ。だが、これだけで西方全体の異常は説明できん」
「まだ奥に何かいますか」
「いるだろうな」
ヴァルトは土埃にまみれた袖で頬を拭った。
汚れは落ちず、口元へ新しい筋が増える。
「先にルーデへ戻りますか」
「村人を待たせるわけにはいかん」
「この姿で?」
真壁は自分の肩を軽く叩いた。灰色の土が煙のように舞う。
「戦ってきたことは伝わる」
ヴァルトは自分の袖を見下ろしたが、着替えを出す代わりに結界騎士へ手を向けた。
黒いローブと2本の柄を収納し、人型結界を解く。
真壁も黒いローブを収納した。
ローブを脱いでも、外套から靴まで灰色のままだった。
ヴァルトも自分のローブを収める。
無人となった木材置き場には、巨体が落ちた深い窪みと、吸収根を土ごと取り除いた跡が残っていた。
「では、戻るか」
「その前に、認識不明化を戻します」
ヴァルトは収納から境界魔道具を取り出し、自分と真壁へ魔力を通した。
薄い境界が2人の輪郭を覆う。
土埃は残ったままだった。
それでも、顔も声も、目を離せば記憶の中で形を失う。
「これでよいかね」
「はい」
「では、戻るか」
ヴァルトが転移先を定めた。
光が2人の足元へ広がる。
光が閉じた後、エルトを抜ける風が、残った土埃を少しずつ森の方へ運んでいった。