押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第222話 重さに抗うもの

 

 森の奥で、また木が倒れた。

 

 幹が裂ける音より先に、地面を走った震えが木材置き場へ届く。積み上げられた丸太が互いの腹を擦り、重い軋みが端から端へ伝わっていった。

 

 最後までエルトに残っていた木こりたちは、荷を抱えたまま森へ顔を向けた。

 

 巨体はまだ見えない。それでも、梢より高いところで枝が左右へ揺れている。鳥の群れが空へ逃げ、その下で大木が1本ずつ傾いていった。

 

「マスター」

 

 ヴァルトは真壁の名を呼ばなかった。

 

 黒いローブの下では、認識不明化の境界魔道具が動き続けている。顔も声も、その場では見えて聞こえる。だが視線を外せば、鼻の形も背丈も、記憶の中で別々の人物のものに入れ替わった。

 

「次で全員を送れます」

 

「村長も一緒に送り給え。荷はこちらで預かる」

 

 片脚を引きずった村長が、斧の柄を杖代わりにして振り返った。

 

「待ってくれ。村の者を先に送れ。私は最後でいい」

 

 背後に並ぶ木こりのうち、2人が顔を上げた。

 

 村長が残れば、自分も残ると言い出す。誰かが家へ戻れば、別の誰かも取り残した道具を思い出す。逃がす相手が増えるばかりか、守る範囲まで広がる。

 

「村長が残れば、戻ろうとする者が出る。先に行きたまえ」

 

「だが、あれが村へ来る」

 

 森の奥で、太い枝がまとめて折れた。

 

 村長の手が斧の柄を握り直す。刃を向けたところで、木々より高い何かを止められるはずがない。それでも長年暮らした村を背にして、素手になることはできないらしい。

 

 真壁は森側に立つ黒い騎士へ目を向けた。

 

 結界騎士は浅く膝を曲げ、両手に2本の柄を下げている。黒いローブの裾だけが、地面を這う風に揺れていた。

 

「そのために我々がいる」

 

 村長も結界騎士を見た。

 

 巨大灰狼も牙猪も、あの黒衣の前では村へ一歩も入れなかった。村長は口を開きかけ、やがて斧の刃を土へ下ろした。

 

 真壁は返事を待たず、共同倉庫へ歩いた。

 

 村の印、土地の書付、冬越しに使う木工道具、毛布、薬草、予備の斧。村人が運び出した物から、順に収納へ消えていく。

 

「そ、それも持っていくのか」

 

 束ねられた木挽き鋸が消えたところで、村長が声を上げた。

 

「戻ってから不足を数えるのは面倒だ。必要な物は先に持つ」

 

「面倒だから村の倉庫を空にする者を、俺は初めて見た」

 

「よい経験になったな」

 

 真壁の手は止まらなかった。

 

 村長が言い返す言葉を探している間にも、樽が1つ、縄の束が2つ、収納へ収まる。共同財産を守るはずの村長は、いつの間にか倉庫が空になる速さを見届ける役へ変わっていた。

 

 ヴァルトは村外れの転移地点へ、残る者たちを集めている。

 

 負傷者の肩を支える木こり、荷を背負う女、家へ戻ろうと何度も振り返る若者。ヴァルトは声を荒らげず、光の内側へ立つ位置を手で示した。

 

 地図の上では、迫る巨大な赤の前から、小さな反応が左右へ逃げ続けている。

 

 獲物を追っているのではない。

 

 歩いているだけで、森の魔物を外へ押し出していた。

 

「全員入りました」

 

 ヴァルトの声に、真壁は最後の荷を収納した。

 

 村長だけが光の縁で足を止め、エルトの家々へ顔を向けていた。折れた煙突、倒木に潰された屋根、積み上げたままの丸太。どれも逃げる者を呼び戻すには十分な姿をしている。

 

「……村を頼む」

 

 真壁は守れるとは言わなかった。

 

 巨体がどこへ倒れるかは、これから決める。約束で向きが変わる相手ではない。

 

「行きたまえ」

 

 転移光が高くなった。

 

 村人たちの輪郭が薄れる。

 

 森へ向いていた黒い騎士も、跡形なくその場から消えた。

 

 村長が目を見開く。

 

 問いかけるより早く光が閉じ、エルトから最後の村人が消えた。

 

 

 

 

 

 人の声がなくなると、村は急に広くなった。

 

 煙の出ない煙突の脇を冬の風が抜け、扉の外れた家の中では、吊るされた道具が壁へ触れて乾いた音を立てている。

 

 真壁は地図を開いた。

 

 ヴァルトと村人の反応はルーデ側へ移っている。エルトに残った人間は真壁1人。その西から、森を押し分ける巨大な赤が近づいていた。

 

 黒いローブの袖をまくる。

 

 村人がいなくなったからといって、偽装を解いている時間はない。着替えるより先に、巨体が倒れる空間を用意する必要があった。

 

 真壁は木材置き場の西側を歩いた。

 

 倒れれば家屋へ届く大木を収納し、転移地点の周囲に散らばる丸太を消していく。森側の倒木はすべて除かず、一部だけを斜めに残した。

 

 約20tの相手を、壁で止める気はない。

 

 丸太を積んで受ければ、砕けた木片が村へ飛ぶ。杭を立てても、巨体に踏まれれば地面ごと掘り返される。

 

 倒木の向きを変え、森から伐採跡へ通じる1本の道だけを広く開けた。その先には家屋がなく、転移地点からも外れた平地がある。

 

 最後に、横倒しになった巨体が触れそうな丸太を収納した。

 

「丁重に倒れてもらおう」

 

 聞く者はいない。

 

 森の奥で、大木が斜めに傾いた。隣の枝を巻き込み、根元から引き裂かれて倒れていく。

 

 真壁は距離を測り、伐採跡の端へ積まれていた薪まで移した。村人が戻った時、冬越しの燃料まで巨人の下から掘り出すことになれば面倒である。

 

 巨体を誘うために残した倒木の隙間から、折れた枝がこちらへ押し出された。

 

 もう遠くない。

 

 真壁は転移地点へ続く道をもう一度見渡した。地面の傾き、家屋との距離、倒れた時に舞う破片の方向。巨人が想定どおりに進まなくても、2方向までは修正できる。

 

 3方向目へ逸れた場合は、その場で考えればよい。

 

 背後へ転移光が立った。

 

 

 

 

 

「全員、ルーデへ送りました。真壁さん」

 

「結構。認識不明化も止めてよい、ヴァルト君」

 

 ヴァルトが境界魔道具への魔力を切った。

 

 真壁も同じように停止する。

 

 顔も声も変わっていない。それでも、薄い膜を1枚剥がしたように、周囲との距離が元へ戻った。

 

 ヴァルトは黒いローブの襟へ指を入れ、首元の空気を逃がした。

 

「マスターでなくなると、少し物足りませんね」

 

「続けても構わんぞ、パダワン」

 

「いえ。今のは忘れてください」

 

 ヴァルトは収納から黒いローブと2本の柄を取り出した。

 

 結界が人の輪郭を作り、空だったローブを内側から押し広げる。頭、肩、腕、胴。最後に脚が形を持ち、浅く膝を曲げた黒い騎士が2人の前に立った。

 

 両手へ柄を持たせる。

 

 刃はまだ出さない。

 

 真壁は結界騎士ではなく、森から伐採跡へ続く通路を見た。倒木の隙間、木材置き場との距離、転移地点までの空間。巨体が直進すれば、こちらが空けた場所へ出る。

 

「奥の反応が森の縁まで来ています」

 

「鑑定できる距離まで待つ」

 

「村へ入れますか」

 

「入れん」

 

 真壁は伐採跡を顎で示した。

 

「倒れる場所はこちらで選ぶ」

 

 ヴァルトは巨体の進路と、何もなくなった平地を見比べた。

 

「倒す前から、倒れ方まで決めるのですね」

 

「倒した後で困るのは品がない」

 

「便利な言葉ですね」

 

「便利だから使っている」

 

 ヴァルトは笑いかけたが、森の縁で大木が押し曲げられるのを見て口元を戻した。

 

 結界騎士を真壁たちの前へ滑らせる。

 

 足音はない。膝を曲げた姿勢のまま、黒いローブの裾が地面すれすれを流れていく。

 

 真壁は自分の立つ位置を半歩ずらした。

 

 ヴァルトもそれを見て、巨体の正面から外れる。

 

 森の縁が盛り上がった。

 

 

 

 

 

 最初に見えたのは頭ではなかった。

 

 若木を押し分ける肩だった。

 

 泥と折れた根を幾重にもまとい、家屋の屋根ほどの高さから枝を左右へ押し開いている。

 

 続いて、樹皮のような外皮に覆われた胸が、木々の間からせり出した。

 

 巨体は木を避けない。

 

 片腕で幹を押し、足で根を踏み抜き、邪魔になった枝を身体の脇へ折り曲げながら進んでくる。

 

 全身が森から出た。

 

 高さは約9m。

 

 長い腕は膝より下まで届き、指には土と細い根が絡みついていた。足を踏み出すたび、足裏から新しい根が伸びて地中へ潜り、湿った土が周囲へ盛り上がる。

 

 真壁は鑑定を向けた。

 

 樹喰い巨人。

 

 推定重量は約20t。胸腹部の奥には、大型の魔核が埋まっている。

 

 踏み込んだ足から根が伸び、地中へ潜る。根を通じて魔力が流れ込むたび、肩の外皮に入っていた亀裂が、樹皮に似た繊維でゆっくりと塞がれていった。

 

 膝裏と踵だけは、その厚い外皮が薄い。

 

「樹喰い巨人です」

 

 ヴァルトも鑑定を使いながら、足元から地中へ伸びる根を追っていた。

 

「地面から魔力を吸っています。足がついている限り、傷を塞ぐようです」

 

「外皮は」

 

「通常の刃では難しいでしょう。ただ、ビーム・サーベルなら通ります」

 

「問題は硬さではないな」

 

「深さです。今の長さでは、外皮を切れても魔核まで届きません」

 

 真壁は巨人の胸ではなく、歩き方を見た。

 

 右脚が前へ出る。

 

 左脚へ巨体の重量が移る。

 

 足裏から根が地中へ打ち込まれ、長い腕を持ち上げる直前に、軸足の膝が深く曲がった。

 

 腕だけで殴っているのではない。

 

 根で地面へ身体を固定し、20tの重量を支点へ集め、その重さごと相手へ叩きつけている。

 

「重さを武器にしている」

 

「ええ。正面から受ければ、結界騎士でも飛ばされます」

 

「ならば、その重さを支えられなくすればよい」

 

 樹喰い巨人が、エルトの家々へ顔を向けた。

 

 口らしい裂け目が開き、太い幹をねじったような音が響く。

 

 右脚が前へ出ると、巨体の重量が片側へ寄った。

 

 真壁は右膝の裏へ視線を定めた。

 

 樹喰い巨人が大きく踏み込む。

 

 足裏から太い根が伸び、土へ食い込んだ。長い右腕が持ち上がり、木材置き場へ大きな影を落とす。

 

「ヴァルト君。右膝だ」

 

「承知しました」

 

 結界騎士が膝を沈めた。

 

 

 

 

 

 巨人の腕が落ちる。

 

 空気が押され、木材置き場に残っていた木屑が一斉に舞った。

 

 結界騎士は振り下ろされる腕の外へ逃げなかった。

 

 黒いローブの裾を地面すれすれに引き、腕が通り過ぎる内側へ滑り込む。

 

 右手の柄が起動した。

 

 ブゥン、と低い振動音が鳴る。

 

 白い刃が伸びた。

 

 騎士は振り上げない。

 

 前へ移る右膝の軌道へ、刃を水平に置く。

 

 巨人の脚が白い光を越えた。

 

 膝から下が、その場へ残る。

 

 巨体の上半身が大きく沈み、振り下ろされた腕は狙いを外して木材置き場の外へ落ちた。

 

 地面が割れた。

 

 土と木片が爆ぜ、太い丸太が回転しながら真壁たちへ飛んでくる。

 

 真壁は丸太だけを収納した。

 

 小枝と土までは間に合わない。

 

 乾いた土埃が黒いローブへ叩きつけられ、視界が灰色に染まった。ヴァルトが片腕で顔をかばう。

 

「前を見たまえ。まだ倒れていない」

 

 樹喰い巨人は両腕を地面へ突き、残った左脚へ全身の重さを移していた。

 

 足裏から先ほどより太い根が伸びる。土を割り、地中へ深く潜り、傾く巨体を引き戻そうとしている。

 

 切断された右膝の表面では、樹皮に似た繊維が盛り上がり始めていた。

 

「再生が始まっています」

 

「先に支柱をなくす」

 

 巨人は腕で地面を押し、上半身を起こそうとする。

 

 真壁は左の踵へ目を留めた。

 

 そこから地中へ張った吸収根が、20tの身体を引き戻す最後の柱になっている。

 

「背後へ回り、左の踵を落とし給え」

 

 結界騎士が巨人の脇を滑り抜ける。

 

 巨人の腕が頭上を薙いでも、黒い騎士の動きは鈍らなかった。膝を沈めた姿勢のまま、腕の下を抜けて背後へ回る。

 

 巨人が左腕を返す。

 

 結界騎士は急停止せず、その軌道と同じ方向へ滑って衝撃を外した。ローブの裾が腕の先へ触れ、布が大きくたわむ。

 

 左手の柄が起動した。

 

 白刃が低く伸びる。

 

 左脚へ巨体の重さが沈んだ。

 

 その踵が、地面すれすれに置かれた白刃へ入る。

 

 踵と、地中へ食い込んでいた吸収根がまとめて断たれた。

 

 土の中から太い根が何本も跳ね上がり、切断面から濃い魔力の靄が漏れる。

 

 支えを失った巨体が前へ傾いた。

 

 樹喰い巨人は両腕をさらに深く地面へ突き立てた。

 

 背を反らし、肩を震わせ、それでも起き上がろうとする。

 

「まだ立つ気です」

 

「立とうとしているだけだ」

 

 右膝を失い、左の踵と根を切られ、それでも巨人は両腕で土を押していた。指が地面へ深く潜り、腕の周囲で土が盛り上がる。

 

 真壁は胸から腹へ伸びる斜線を見た。

 

 倒れまいと背を反らしたことで、樹皮に覆われていた胸腹部が伸び、魔核を通る角度が開いている。

 

 通常の白刃では、表面を切れても魔核まで一息には届かない。

 

「ヴァルト君。2本分を右へ集められるか」

 

 ヴァルトの視線が、結界騎士の両手へ移った。

 

「収束路を延ばすのですか」

 

「柄を大きくする必要はない。2つの魔石と、左の収束路を右へ重ね給え」

 

「やったことはありません」

 

 真壁は巨人から目を外さない。

 

「今からやれば、やったことになる」

 

 ヴァルトは一度だけ息を詰め、結界騎士の左手から柄を外した。

 

 2本目の魔石と収束路を右手側へ重ねる。魔力の通り道をずらし、棒状結界を延ばした。

 

 右手の柄が低く唸る。

 

 白刃が伸びかけ、途中で大きく揺れた。

 

「収束が外へ逃げます」

 

 真壁は揺れている刃の根元へ目を留めた。

 

「柄の近くは変えるな。安定している部分を残し、その先だけ延ばせるか」

 

「試します」

 

 ヴァルトは結界の形を組み替えた。

 

 柄のすぐ先は元の太さを保ち、その先から収束路を緩やかに広げていく。白い光の揺れが収まり、2つに割れていた低音が1つへ重なった。

 

 ブゥゥン、と腹へ響く音が木材置き場へ広がる。

 

 白い刃が伸びた。

 

 通常の倍を越え、さらに木々の間へ長く延びる。家屋の屋根より高い位置まで白光が届き、周囲の森を夜明け前のように照らした。

 

「保持できました」

 

「結構。振る必要はない」

 

「振ったら、村まで切れそうです」

 

「だから置くのだ」

 

 結界騎士が長大な白刃を構えた。

 

 刃そのものに重さはない。それでも白い光が森と村の間へ斜めに伸びると、空間そのものが2つに分けられたように見えた。

 

 

 

 

 

「左へ半歩。その角度だ」

 

 結界騎士が膝を曲げたまま滑る。

 

 長大な白刃の位置が、巨人の肩から胸腹部の魔核を通り、腰へ抜ける斜線へ重なった。

 

 ヴァルトは刃を動かさない。

 

 樹喰い巨人の指が土へ沈んだ。

 

 腕が伸び、肩が持ち上がる。だが、脚を失った胴は、それ以上に前へ出た。

 

 木々を押し倒してきた重さを、今は自分の両腕だけで支えている。

 

 指先の土が崩れた。

 

 巨人は再び地面を掴む。肩が上がり、背中の樹皮が裂け、内部の繊維が太い縄のように張った。

 

 持ち上がった分だけ重心が前へ移る。

 

 20tの巨体が、長大な白刃へ近づいていく。

 

「そのままだ」

 

 最初に肩が光へ触れた。

 

 白刃は樹皮へ食い込まない。

 

 そこに光が存在した分だけ、厚い外皮が左右へ押し分けられる。

 

 続いて胸が沈んだ。

 

 肉に似た繊維も、骨のような芯も、同じように白刃の両側へ分かれていく。

 

 巨人はなお腕で地面を押した。

 

 押せば押すほど、身体が前へ出る。

 

 自ら白い光へ沈んでいく。

 

 白刃が胸腹部の魔核へ届いた。

 

 内部で紫色の光が膨らみ、樹喰い巨人の輪郭を内側から照らした。樹皮の裂け目から細い光が漏れ、肩から腹へ走っていく。

 

 次の瞬間、白刃が魔核を越えた。

 

 巨人の腕から力が抜ける。

 

 上半身は森側へ、下半身は伐採跡側へ崩れた。

 

 真壁が先に空けておいた場所へ、2つに分かれた巨体が落ちる。

 

 地面が跳ねた。

 

 乾いた表土と砕けた樹皮が、壁のように立ち上がる。

 

 真壁もヴァルトも、正面から土煙へ呑まれた。

 

 視界が灰色に染まった。

 

 ローブの隙間へ細かな土が入り、口の中までざらつく。鼻から息をすると、森の湿った匂いより先に乾いた土臭さが来た。

 

「……真壁さん」

 

「何かね」

 

「何も見えません」

 

「地図を見給え」

 

「風情がありませんね」

 

「巨人の死体を眺める風情に心当たりはない」

 

 地図上から、大きな赤は消えていた。

 

 土煙の中で長大な白刃が消える。魔力を落とされた結界騎士が片膝をつき、両手の柄を地面へ下ろした。

 

 やがて風が土を運び、二分された巨体の輪郭が現れ始めた。

 

 真壁の黒いローブは、フードから裾まで灰色に変わっていた。肩を動かすたび、積もった土が小さく崩れ落ちる。

 

 ヴァルトも髪から頬まで土埃に覆われていた。

 

「酷い顔です」

 

「鏡を見てから言いたまえ」

 

「鏡がなくても、同じ程度なのは分かります」

 

「ならば問題ない」

 

「問題しかありません」

 

 ヴァルトが袖で額を拭い、土を横へ広げた。

 

 拭う前より目立つ筋が頬へ残る。

 

 本人が気づいていないため、真壁は何も言わなかった。

 

 結界騎士の肩には、小枝が1本引っかかっている。

 

 ヴァルトが腕を動かすと、黒い騎士は自分で肩を払ったように見えた。

 

「妙に人らしくなったな」

 

「今は土埃まみれですが」

 

 ヴァルトが巨体へ鑑定を向けたところで、口元から笑いが消えた。

 

 

 

 

 

「……真壁さん」

 

「どうしたね」

 

「酷い魔素です。魔力だまりができそうですよ」

 

 巨人の切断面から、黒紫色の靄が湧き上がっていた。

 

 死後に行き場を失った魔素が、空気と地面へ染み出している。周囲の草は風と逆方向へ傾き、切断された右脚から伸びていた根も、土中へ濃い魔素を漏らしていた。

 

 靄は上へ散らず、地面近くへ沈もうとしている。

 

 真壁は巨体と、土へ残った根を見比べた。

 

「収納してしまいましょう」

 

「巨体だけでは足りません。地中の根にも残っています」

 

「ならば周囲の土ごとだ」

 

 真壁は上半身から収納へ収めた。

 

 続いて下半身、切断された右脚、左の踵。土の中に残った吸収根は、周囲の表土ごと薄く切り取るように消していく。

 

 地中から現れた根は、切断後も指ほどの太さで脈打っていた。真壁が周囲の土を収納すると、その動きも黒紫色の靄も一緒に消えた。

 

 最後に魔素を強く含んだ地面を浅く収納する。

 

 巨体のあった場所には大きな窪みが残り、冬の風がそこへ流れ込んだ。

 

 ヴァルトは目を閉じた。

 

 森から流れてくる魔素と、伐採跡に残ったものを分けて探る。やがて肩の力が抜けた。

 

「収まりました」

 

「帰ってから、隔離したまま解体だな」

 

「素材として使うのですか」

 

「根、外皮、魔核。捨てるには大きすぎる」

 

「危険だから収納したのでは」

 

「危険な物と、価値のない物は同じではない」

 

 ヴァルトは土埃だらけの顔で真壁を見た。

 

「商人ですね」

 

「ジェダイ騎士団ではなくなったからな」

 

 真壁は地図を開いた。

 

 樹喰い巨人が消えても、森奥の赤い流れは完全には止まっていない。ただ、先ほどまでのように一方向へ押し出される動きは弱まっている。

 

「この個体が周囲の魔物を追い出していたのは確かです」

 

「ああ。だが、これだけで西方全体の異常は説明できん」

 

「まだ奥に何かいますか」

 

「いるだろうな」

 

 ヴァルトは土埃にまみれた袖で頬を拭った。

 

 汚れは落ちず、口元へ新しい筋が増える。

 

「先にルーデへ戻りますか」

 

「村人を待たせるわけにはいかん」

 

「この姿で?」

 

 真壁は自分の肩を軽く叩いた。灰色の土が煙のように舞う。

 

「戦ってきたことは伝わる」

 

 ヴァルトは自分の袖を見下ろしたが、着替えを出す代わりに結界騎士へ手を向けた。

 

 黒いローブと2本の柄を収納し、人型結界を解く。

 

 真壁も黒いローブを収納した。

 

 ローブを脱いでも、外套から靴まで灰色のままだった。

 

 ヴァルトも自分のローブを収める。

 

 無人となった木材置き場には、巨体が落ちた深い窪みと、吸収根を土ごと取り除いた跡が残っていた。

 

「では、戻るか」

 

「その前に、認識不明化を戻します」

 

 ヴァルトは収納から境界魔道具を取り出し、自分と真壁へ魔力を通した。

 

 薄い境界が2人の輪郭を覆う。

 

 土埃は残ったままだった。

 

 それでも、顔も声も、目を離せば記憶の中で形を失う。

 

「これでよいかね」

 

「はい」

 

「では、戻るか」

 

 ヴァルトが転移先を定めた。

 

 光が2人の足元へ広がる。

 

 光が閉じた後、エルトを抜ける風が、残った土埃を少しずつ森の方へ運んでいった。

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