押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第227話 冷やして、抜く

 

 

 翌朝の採石場には、夜の冷気がまだ残っていた。

 

 崖の向こうから差し込む朝日は、秘密基地の入口まで届いていない。岩肌に囲まれた作業場は薄暗く、吐いた息が白く見えた。

 

 もっとも、解体台の周囲には、朝の冷気とは別の緊張が張りついていた。

 

 木喰い巨人は幾重もの結界で固定され、その脇には冷却用の金属管と外部作業台が並べられている。金属管にはまだ冷気が通されておらず、樹皮のような外殻には、昨夜から残る湿気が鈍く光っていた。

 

 セルマは肩から下げていた革鞄を作業台へ置いた。

 

 鉗子、薄刃、小槌、採取皿、測定器。中身を1つずつ確かめながら、解体台の反対側へいる真壁を見る。

 

 真壁は朝の挨拶を済ませた後、ほとんど口を開いていない。冷却管の接続を確かめ、外部作業台の位置を直し、最後に解体台の周囲を1周している。

 

 ヴァルトも同じだった。

 

 杖を片手に、木喰い巨人の上へ重ねた結界を確かめている。結界の端へ指を触れるたび、淡い文字のような光が浮かび、すぐに消えた。

 

 解体を頼まれたにしては、2人の準備が大げさだった。

 

「普通の解体じゃないのね」

 

 セルマが言うと、真壁は木喰い巨人の胸部から視線を外した。

 

「西の魔力だまりを止める手掛かりが欲しい。この個体に残った流れを見てくれ」

 

 セルマは手を止めた。

 

「魔力だまり?」

 

「西で冷却を使う。その前に、何が止まり、何が残るかを見ておきたい」

 

 真壁は木喰い巨人から目を離さず、続けた。

 

「我々がここにいる間にも、西では被害が増えている。確認に使える時間は長くない」

 

 そこで真壁は口を閉じた。

 

 足りない説明は、目の前の死骸から拾えということらしい。

 

「それを先に言いなさいよ」

 

「今、言ったところだ」

 

「そういうところよ」

 

 セルマは革手袋を強く引いて、手首へ密着させた。

 

 真壁の返事に腹を立てている暇はない。

 

 西方の魔力だまりへ対処するなら、ここで使える方法を1つでも見つける必要がある。冷却が本当に何かを止められるのか。それとも、人間が近づける程度に表面を冷やすだけなのか。

 

 少なくとも、まだ答えは出ていない。

 

 2人の支度から見ても、調べ終わった後で1日かけて相談するつもりはなさそうだった。

 

 セルマは木喰い巨人の腹部へ近づいた。

 

 地面から見上げるほどの巨体だったものを、真壁が解体しやすい高さへ横たえている。腹部を覆う外殻は灰色がかった褐色で、古木の幹に似た深い皺が刻まれていた。

 

 小槌の柄で軽く叩く。

 

 乾いた木材のような音の奥から、湿った鈍い響きが返ってきた。

 

「ここから。外皮だけ薄く開いて。中の筋は切らないで」

 

「承知した」

 

 真壁が右手を伸ばした。

 

 セルマが白墨で引いた線に沿って、巨人の外皮へ細い裂け目が走る。刃物の音も、骨の割れる音もない。しばらくして外皮が1枚の厚板のように浮き上がった。

 

 切り離された外皮は、そのまま解体台の横に展開された冷却板へ置かれた。

 

 腹部が開いた途端、古い木材と湿った土、それに獣脂を混ぜたような臭いが広がる。

 

 セルマは鼻の奥へ刺さる臭いを無視し、長い鉗子を差し込んだ。

 

 最初に引き出したのは、半ば崩れた木片だった。

 

 その下に黒く艶のある物が重なっている。

 

 水を流して汚れを落とすと、節のある虫型魔物の外殻が現れた。別の場所からは、牙の残った顎骨と細長い肋骨も出てくる。

 

「木だけじゃないわね。外殻も骨も入ってる」

 

 セルマは外殻を裏返した。

 

 内側には、溶けかけた肉と黒い筋がこびりついている。

 

 木だけを食べる魔物ではなかったらしい。少なくとも、口へ入れた魔物をそのまま捨ててはいない。

 

「捕食した魔物の魔力も取り込んでいたのでしょうか」

 

 ヴァルトが解体台の向こうから覗き込む。

 

「まだ分からないわ。胃の中に入ってたってだけよ」

 

 セルマは即座に答えた。

 

 想像を結論へ変えると、解体はすぐに間違った方向へ進む。

 

 胃の内壁を布で拭う。

 

 茶色い粘液の下から、筋肉とも木の根ともつかない管状の組織が現れた。胃の奥から伸び、上方の暗がりへ続いている。

 

「ヴァルト。これを見て」

 

 ヴァルトが近づき、杖の先を管へ向けた。

 

 淡い光の線が組織の表面へ重なる。

 

 1本だった線は途中で幾つかに分かれ、そのうち最も太い流れが、腹部の上にある袋状の部位へ集まった。

 

 袋は人間の胴ほどもあり、半透明の膜に包まれている。

 

 内側では黒紫色の光が、ゆっくりと膨らんでは縮んでいた。

 

 死んだ魔物の身体の中で、そこだけが呼吸しているようだった。

 

「この袋へ入った後、胸部側へ流れています」

 

 ヴァルトが杖先を上げる。

 

 袋の先から細い光が伸び、肋骨の内側へ潜り込んだ。

 

 セルマは手探りで流れの先を追った。

 

「真壁。胸を開けて。光ってる筋は残して」

 

 真壁がセルマの指先を確かめ、胸部へ手を向けた。

 

 厚い外皮が左右へ分かれる。

 

 その内側には、大小の黒灰色の塊が幾つも張りついていた。

 

 魔核と呼ぶには形が悪い。

 

 表面は粗く、溶けた樹脂を途中で冷やしたように歪んでいる。塊の周囲には黒紫色の細い筋が伸び、肋骨の内側へ食い込んでいた。

 

 セルマは1つの塊へ顔を近づけた。

 

 筋は止まっていない。

 

 目を凝らしていると、端がゆっくりと厚くなっているのが分かった。

 

「白墨を」

 

 真壁が差し出した白墨を受け取り、セルマは黒紫色の筋の少し外側へ細い印を付けた。

 

「待つのかね」

 

「待つわ。動いてるかどうかは、見ただけじゃ決められないもの」

 

 セルマは小槌を置き、印から目を離さなかった。

 

 真壁も急かさない。

 

 ヴァルトは袋状の部位と胸部へ伸びる光を見比べている。

 

 解体区画に、まだ冷気の通されていない金属管から落ちた水滴の音だけが続いた。

 

 黒紫色の筋が、ほんの少し白墨の印へ近づいた。

 

 さらに待つ。

 

 細い先端が、印の上へ触れる。

 

 やがて、糸ほどの黒い線が印を越えた。

 

 セルマは小さく息を吐いた。

 

「死んでいるのに、硬い部分がまだ増えてる」

 

 ヴァルトが袋状の部位へ杖を向け直す。

 

「流れも続いています。先ほどより弱くなっていますが、止まってはいません」

 

 真壁は硬質部と袋を順に見た。

 

「ならば、冷やす」

 

 真壁が用意していた細い金属管の枠を持ち上げた。

 

 袋状の部位と胸部の硬質部を囲うように、枠を解体台へ固定していく。管は何本にも分かれ、組織へ触れない位置で輪を作った。

 

 ヴァルトが杖を向ける。

 

 低い音が管の中を走り、白い霧が一斉に噴き出した。

 

 袋状の部位へ霜が広がる。

 

 黒紫色の明滅が、目に見えて遅くなった。

 

 胸部へ伸びていた光も細くなり、先ほどまで脈打つように揺れていた線が、凍りついた糸のように動かなくなる。

 

 セルマは硬質部へ付けた印を見た。

 

 黒紫色の筋は、印を越えたところで止まっていた。

 

 念のため、別の外縁にも新しい印を刻む。

 

 しばらく待った。

 

 今度は動かない。

 

「冷えた側だけ、印を越えてない」

 

 ヴァルトは杖を横へ動かし、袋状の部位から胸部までを何度も確かめた。

 

「魔力は残っています。胸部側へ流れる速さだけが落ちています」

 

 真壁が霜に覆われた袋を見つめる。

 

「消したのではない。止めただけか」

 

 冷却で反応を抑えられるなら、それだけでも意味はある。

 

 だが、魔力が残ったままなら、冷却を止めた瞬間に再び動き始めるかもしれない。

 

 セルマは冷却管の1部を指した。

 

「少しだけ弱めて」

 

 ヴァルトが顔を上げた。

 

「再開するか確認しますか」

 

「ええ。戻るなら、今ここで見ておく」

 

 真壁は口を挟まず、冷却枠の外側へもう1枚結界を重ねた。

 

 ヴァルトが冷気を絞る。

 

 金属管を覆っていた霜が薄くなり、袋状の部位を包む白い膜も徐々に溶けていく。

 

 すぐには何も起こらなかった。

 

 セルマは白墨の印を見たまま待った。

 

 一呼吸。

 

 二呼吸。

 

 袋の奥で、黒紫色の光が弱く膨らんだ。

 

 次の明滅は、最初より少し早い。

 

 胸部へ伸びる細い光も、途切れていた箇所から再びつながった。

 

 硬質部の外縁に、新しい黒い筋が浮かび上がる。

 

「戻った」

 

 セルマが言い終えるより早く、ヴァルトが冷却を強めた。

 

 白い霧が増え、袋状の部位を再び覆う。

 

 明滅が遅くなり、伸びかけていた筋も止まった。

 

「冷やすのを弱めたら、また増え始めたわ」

 

「魔力量も先ほどとほぼ同じです」

 

 ヴァルトの報告を聞き、真壁が腕を組んだ。

 

「冷却中に処理を終える必要があるな」

 

 セルマは冷却枠へ付いた霜を指先で払った。

 

「冷やせば止まる。でも、冷やしてる間だけね」

 

 真壁は頷き、今度は袋状の部位の上へ右手を向けた。

 

「浄化を見る」

 

 

 

 

 

 冷却を保ったまま、真壁が浄化をかけた。

 

 淡い光が袋状の部位を覆い、胸部の硬質部へ流れていく。

 

 黒紫色に濁っていた組織の表面から、薄い煙のようなものが立ち上った。

 

 こびりついていた黒い残滓が乾いた灰のように剥がれ、冷却板の上へ落ちる。袋の膜を覆っていた濁りも、少しずつ薄くなった。

 

 黒い艶を失った残滓は、湿った灰色の塊となって冷却板の上へ残った。先ほどまで鼻を刺していた生臭さも、ほとんど感じられない。

 

 変化は目で見えるものだけではなかった。

 

 解体を始めてから、セルマは肩から背中へ重い布を掛けられたような感覚を覚えていた。

 

 早朝に起こされた疲れだと思っていた。

 

 だが、浄化の光が広がるにつれ、その重さが抜けていく。

 

 胸の奥まで息が入った。

 

 知らないうちに浅くなっていた呼吸が戻る。

 

「濁りは消えた。身体の重さも違う」

 

 セルマは肩を回した。

 

 先ほどまで張りついていた鈍いだるさがない。

 

 ヴァルトは杖を袋へ向けたまま、慎重に光の流れを確かめている。

 

「魔力の量は変わっていません」

 

 真壁が問う。

 

「流れは」

 

「冷却で抑えられたままです。浄化による変化は見えません」

 

 表面の汚れは落ちた。

 

 周囲の空気も軽くなった。

 

 それでも、袋の内部には魔力が残っている。

 

 冷やせば止まる。浄めれば身体は楽になる。

 

 それでも、袋の中身だけは残っていた。

 

「中身を外へ出せればいいのね」

 

 セルマが言うと、真壁は胸部の硬質部へ目を向けた。

 

「その身体は、何かへ収めようとしていたようだ」

 

「まだ決めないで。割ってからよ」

 

「無論だ」

 

 セルマは冷却された硬質部の1つを指した。

 

「これを外して。凍ってる間に見る」

 

 真壁が塊の付け根を切り離し、外部の作業台へ置いた。

 

 セルマは表面の霜を払い、小槌を振り下ろした。

 

 乾いた音とともに塊が割れる。

 

 中心から小さな白い粒が転がり出た。

 

 白い粒を採取皿へ置き、別の硬質部も割る。

 

 今度は淡い紫色の粒が現れた。

 

 断面を拡大鏡で覗き込む。

 

 どちらも、中心の鉱物粒から外側へ細い筋が伸びている。黒紫色の部分は筋に沿って広がり、周囲の素材を固めているように見えた。

 

「中心の石から、外へ広がってる」

 

 ヴァルトが横から覗く。

 

「魔力の流れとも一致しています」

 

「一致してるように見える、までね」

 

 セルマは釘を刺した。

 

 ヴァルトは素直に頷いた。

 

「はい。形成方法まで同じとは断定できません」

 

 セルマは採取皿を作業台へ置いた。

 

「採石場の方解石を出して」

 

 真壁が未加工の方解石を取り出す。

 

 セルマは楔を当て、小槌で割った。

 

 天然方解石の断面には白い濁りがあり、髪の毛より細い割れが幾つも走っている。小さな茶色い異物も混じり、内部の筋は途中でぶつかり、別の方向へ折れていた。

 

 形成途中の硬質部から出した白い粒とは違う。

 

「天然物は中が揃ってない。割れ目も、不純物も残ってる」

 

 セルマは2つの断面を並べた。

 

「こっちは中心から外へ伸びてる。天然の方は、途中で道がぶつかってる」

 

 真壁が方解石の破片を持ち上げる。

 

「1度溶かして、作り直す」

 

 セルマは真壁の手を見た。

 

「内部まで作り直せるの?」

 

 返事より先に、方解石が真壁の掌から消えた。

 

 真壁はその場に立ったまま、目だけを細めている。

 

 収納の中で何が行われているのか、セルマには見えない。外から分かるのは、真壁が途中で1度だけ指を動かしたことだけだった。

 

 しばらくして、白い物が掌へ現れた。

 

 指ほどの長さの直方体だった。

 

 セルマは受け取り、光へ透かす。

 

 先ほどの方解石にあった濁りも、割れも、異物も見当たらない。外側だけ磨いた物ではない。どの角度から見ても、内部まで同じ白さが続いている。

 

「本当に中まで消えてる……」

 

「使えるかね」

 

「それを見るんでしょう」

 

 セルマは直方体を充填架台へ置いた。

 

 真壁がヴァルトへ視線を向ける。

 

「袋から、こちらへつなげられるか」

 

 ヴァルトは白い結晶と袋状の部位を交互に見た。

 

「1度に流さなければ可能です」

 

 杖先から細い光が伸びる。

 

 袋状の部位へ触れた線が、白い結晶まで弧を描いた。

 

 冷却されていた袋の奥で黒紫色の光が揺れ、その1部が糸のように引き出される。

 

 光が白い結晶へ入った。

 

 最初は中心の1点だけが明るくなる。

 

 そこから細い線が外側へ伸び、結晶全体へ均等に広がっていった。

 

 天然石の断面にあったような行き止まりは見えない。

 

 セルマは思わず顔を近づけた。

 

「急に増やさないで」

 

「現在の流量を維持します」

 

 ヴァルトの声にも力が入っている。

 

 真壁は光の変化を見守り、結晶全体が満ちたところで手を伸ばした。

 

 鑑定している間、セルマは口を閉じた。

 

 真壁の表情はほとんど変わらない。

 

 それでも、結晶を持つ指から力が抜けたのが見えた。

 

「出来たよ」

 

 セルマは結晶を受け取り、測定器を押し当てた。

 

 針が大きく振れた後、ゆっくりと中央より上の位置へ戻る。

 

 揺れは小さい。

 

 反対側へ当てても、同じ場所で止まった。

 

「人工的に作った魔石、と呼ぶしかなさそうね」

 

 セルマは結晶を光へ透かした。

 

 中心から伸びる筋は、木喰い巨人の硬質部で見たものに似ている。

 

 だが、こちらには濁りも割れもない。

 

 真壁が問う。

 

「袋の中身を受けられるか」

 

「同じ物を並べられるなら、受け皿にはなるわ」

 

 ヴァルトが袋状の部位へ杖を向け、残った魔力の広がりを見直した。

 

「1つでは足りません。複数へ分ければ収められます」

 

「それでよい」

 

 真壁は白い結晶の隣へ、淡い紫色と褐色の石を置いた。

 

「材質を変える」

 

 セルマは1つずつ断面を確かめた。

 

 真壁が同じ形へ作り直し、ヴァルトが弱い魔力を流す。

 

 方解石へ魔力が入ると、測定器の針はゆっくりと上がり、一定の位置で落ち着いた。

 

「方解石は流れが安定してる」

 

 ヴァルトが白い結晶を見た。

 

「継続して動かす部分へ使えます」

 

 セルマは次のアメジストへ測定器を当てた。

 

 細い光は結晶の内側へ真っ直ぐ伸び、流量を落としてもほとんど揺れない。

 

「アメジストは細い流れを保ってる」

 

「こちらは制御系統へ使えます」

 

 ヴァルトは白い結晶とは別の位置へ、アメジストを置いた。

 

 最後にジルコンへ魔力を流す。

 

 結晶へ触れた瞬間、結界線の光が鋭く跳ねた。

 

 測定器の針も一気に上がり、すぐに下がる。

 

 セルマは測定器を離し、もう1度だけ弱い魔力を入れるようヴァルトへ合図した。

 

 同じように、針は素早く上がって下がった。

 

「ジルコンは一気に出す。長くは続かないわね」

 

 真壁が褐色の結晶を取り上げた。

 

「武装へ回す」

 

 セルマは結晶から真壁へ視線を移した。

 

「武装まで作ってるの?」

 

「必要なのでな」

 

 真壁はそれ以上説明せず、ジルコンを作業台へ戻した。

 

 セルマも追及しなかった。

 

 制御に使う物と、武装に使う物。

 

 何を作っているのかは気になったが、今は袋の中身を抜く方が先だった。

 

 真壁は空いた架台へ、作り直した結晶を次々に並べた。

 

 ヴァルトが袋状の部位から伸びる流れを3本へ分ける。

 

 白、紫、褐色。

 

 それぞれの結晶へ、違う速さで光が入っていく。

 

 真壁は満ちた物を回収し、空いた場所へ新しい結晶を置く。

 

 ヴァルトは流れを絞り、偏りが出ればすぐに直す。

 

 セルマは測定器を持ち、列の端から反応を確かめていった。

 

 流れの弱い物はない。

 

 急激に跳ねる物も、ジルコン以外にはない。

 

 同じ作業が続いているようで、袋状の部位には確かな変化が出ていた。

 

 最初は濃かった黒紫色が薄くなっていく。

 

 膜の内側で膨らんでいた光が小さくなり、胸部へ伸びる線も細くなる。

 

 空気の重さは、浄化した時よりさらに軽くなった。

 

 最後の列へ魔力が流れ込む。

 

 袋状の部位の明滅が1度だけ弱く膨らみ、そのまま消えた。

 

 胸部へ続いていた光も途中から途切れる。

 

 ヴァルトが結界を重ね直した。

 

 杖先を袋へ向け、胸部へ向け、最後に周囲へ動かす。

 

「袋側の反応が消えました」

 

 真壁は最後に満ちた結晶を鑑定した。

 

 ヴァルトは架台に並ぶすべての結晶へ、細い結界線を順に走らせた。

 

 白、紫、褐色の結晶が、結界線を受けて淡く光る。

 

 ヴァルトは端から端まで確かめ、もう1度だけ杖を往復させた。

 

「いずれにも、濁った反応はありません」

 

「ならば使える」

 

 真壁は充填済みの結晶をすべて収納した。

 

 袋状の部位と架台をつないでいた光も消えた。

 

 真壁が冷却枠へ手を置いた。

 

「冷却を外す」

 

 ヴァルトが冷気を弱める。

 

 霜が溶け、袋状の部位の表面を水滴が伝った。

 

 セルマは白墨の印へ目を向けた。

 

 誰も話さない。

 

 明滅は戻らない。

 

 胸部へ伸びる光も現れない。

 

 硬質部の外縁は、印の手前で止まったままだ。

 

 待つ。

 

 冷却を弱めた時には、数呼吸で反応が戻った。

 

 それより長く待っても、袋は暗いままだった。

 

 ヴァルトは結界を張り直し、袋状の部位から管状組織、胸部の硬質部へと杖を巡らせた。さらに角度を変え、解体台の反対側へ回り込み、周囲に残る反応まで確かめていく。

 

 淡い結界線が巨体の内側を横切るたび、セルマは白墨の印と暗い袋を見比べた。

 

 どこにも新しい明滅は生まれない。

 

「戻りません。胸部側への流れもありません」

 

 セルマは硬質部へ触れた。

 

 冷たさは残っている。

 

 それでも、外縁の黒い筋は動いていない。

 

「この個体では、冷却を外しても戻ってないわね」

 

 真壁は袋状の部位を見下ろした。

 

「西で試す順序は組めた」

 

 真壁は残った灰色の汚れへ、もう1度浄化を重ねた。

 

 残滓の表面から最後の黒い濁りが抜ける。

 

 湿った灰色の塊だけが冷却板の上へ残った。

 

 真壁は冷却板ごと残滓を収納した。

 

 セルマは道具を片づけながら、回収された結晶の列を思い返した。

 

 同じ形の魔石を、あれほど短い時間で並べる。

 

 魔石商が見れば、作業台へしがみついて離れなくなるだろう。

 

 だが、真壁とヴァルトはもう次の場所へ向かっている。

 

「少しは喜んだらどうなの」

 

 セルマが言うと、真壁は足を止めずに答えた。

 

「現地で通じてからにしよう」

 

 正論だった。

 

 それが妙に腹立たしい。

 

 

 

 

 

 組立区画へ続く扉が開いた。

 

 セルマは中へ1歩入り、その場で動けなくなった。

 

 巨大な白い人型が、区画の中央に立っていた。

 

 頭部を見るには、大きく顔を上げなければならない。

 

 太い胴体から巨大な両腕が伸び、脚は建物の柱ほどもある。足は広く厚く、地面へ置かれた白い板のようだった。

 

 右腕には長い黒筒が固定されている。

 

 左手は、刃のない太い柄を握っていた。

 

 頭部と胸部には黒い硝子のような部分が埋め込まれ、朝の光を鈍く返している。

 

 作りかけの模型ではない。

 

 外装の隙間は閉じられ、関節も組み上がっている。

 

 いつでも動き出せそうな姿で、白い巨体は立っていた。

 

「何よ、これ」

 

 セルマの声が、広い区画へ響いた。

 

 真壁は返事をせず、機体の胸部へ向かった。

 

 外装の1部を開く。

 

 その内側には、小型のケースが収まる枠が幾つも並んでいた。

 

 肩、腰、脚にも同じ装填口が開く。

 

 先ほど作った人工魔石が、ケースごと1つずつ収められていった。

 

 装填口が閉じるたび、暗かった機体の内側へ淡い光が灯る。

 

 セルマは最後の結晶と、頭上の白い巨体を見比べた。

 

「これを動かすための魔石だったの?」

 

「回収した魔力を、そのまま使う」

 

 真壁は胸部の装填口を閉じた。

 

 危険な流れから抜き取った魔力を、今度は巨大な人型へ入れている。

 

 危険な物を運び出すだけでも大仕事だというのに、運び出した先で働かせるらしい。

 

「無駄がないって言えば聞こえはいいけど……」

 

 セルマは右腕の黒筒を見上げた。

 

 機体の腕より長い。筒の根元は太く、先端へ向かうほどわずかに細くなっている。

 

「右腕の黒い筒は?」

 

「ジャイアントバズーカだ」

 

「名前を聞いても分からないわよ」

 

「撃つ物だ」

 

「それは見れば分かる」

 

 セルマは左手へ目を移した。

 

 握られているのは柄だけで、刃らしい物はない。

 

「左の柄は?」

 

 ヴァルトが制御卓へ向かいながら答えた。

 

「光刃を形成します」

 

「光で刃を作るの?」

 

「短時間だけですが」

 

 セルマは柄を見上げたまま黙った。

 

 魔石の性質を確かめた時、2人が口にした「制御」と「武装」が、ようやく目の前の形へつながった。

 

 アメジストの安定した細い流れは、この巨体を操るために使われる。ジルコンの瞬発力は、右腕の黒筒や左手の光刃へ回されるのだろう。

 

 もっとも、どの石が機体のどこへ収められているかまでは分からない。そこへ口を出すほど、セルマは機体の構造を知らなかった。

 

 真壁が装填口をすべて閉じ、機体から離れた。

 

 ヴァルトは制御卓へ両手を置く。

 

 低い振動が床を伝った。

 

 白い巨体の胸部へ光が灯る。

 

 細い光は肩から腕へ、腰から脚へ走り、各部の継ぎ目を順に満たしていった。

 

 頭部がわずかに下を向く。

 

 黒い硝子の奥へ光が入った。

 

 制御卓の板面に、組立区画の映像が現れる。

 

 真壁、ヴァルト、見上げているセルマ。

 

 自分の姿まで映っているのを見て、セルマは制御卓へ近づいた。

 

「そこから動かすの?」

 

「この制御卓から操作します」

 

 ヴァルトが右手を動かす。

 

 白い巨体の頭部が、同じ方向へゆっくりと向いた。

 

 続いて右腕が持ち上がる。

 

 長い黒筒が区画の奥へ向けられた。

 

 床の上に落ちていた小石が、関節の低い振動で僅かに跳ねる。

 

 左腕も動き、刃のない柄が胸の前へ構えられた。

 

 誰かが内部へ乗っている気配はない。

 

 ヴァルトの指先に合わせ、巨大な身体だけが動いている。

 

「映像、操作、姿勢制御。接続しています」

 

 ヴァルトの声は平静だった。

 

 セルマは制御卓の映像と巨体を交互に見る。

 

 こちらを向いた黒い視覚器の奥に人間はいない。

 

 それが分かっていても、見下ろされているような落ち着かなさがあった。

 

 足裏へ淡い光が広がる。

 

 低い音とともに、地面の砂が円を描いて外側へ押し流された。

 

 白い巨体が、わずかに浮く。

 

 足と地面の間へ、薄い影が生まれた。

 

 セルマは反射的に1歩下がった。

 

 柱のような脚も、広い足も、その重さを地面へ預けていない。

 

 木喰い巨人の中から抜いた魔力が、今度はこれほどの巨体を支えている。

 

 真壁は浮上した機体を見上げた。

 

「停止系統を」

 

 ヴァルトが制御卓の脇へ手を伸ばし、操作用の結界板を引き抜いた。

 

 板面の映像が途切れる。

 

 最初に、黒筒の基部へ続いていた光が消えた。

 

 左手の柄へ伸びていた細い線も途切れ、武装へ流れていた魔力が遮断される。

 

 白い巨体は黒筒を持ち上げた姿勢のまま動きを止めた。

 

 足裏の光が弱まり、浮いていた巨体がゆっくりと地面へ戻っていく。

 

 セルマは息を詰めて見守った。

 

 制御を失った巨体が倒れ込む気配はない。

 

 広い足が床へ触れ、押し流されていた砂が再び足元へ寄った。

 

 腕も頭部も、制御が途切れた瞬間の位置で固定されている。

 

 黒筒の向きは変わらない。

 

 だが、基部の光は消え、何かを撃ち出す気配もなかった。

 

 ヴァルトは引き抜いた結界板と、動かなくなった機体を交互に確かめた。

 

 制御卓の映像は消えたままだ。

 

 それでも白い人型は傾かず、足を揃えて立っている。

 

「正常です」

 

 真壁が右手を上げる。

 

 巨大な白い人型が、右腕の黒筒も左手の柄もろとも消えた。

 

 つい先ほどまで巨体が占めていた空間が、一瞬で空になる。

 

 床に押し流された砂と、広い足跡だけが残っていた。

 

 セルマは空になった組立区画を見回した。

 

「この流れを止めたと思ったら、その魔力でこんな物まで動かすのね」

 

「現場から危険物を撤去しただけだ」

 

「それを武器へ入れて持っていくのを、普通は撤去とは言わないのよ」

 

「有効利用と言ってくれたまえ」

 

 真壁は涼しい顔で答えた。

 

 セルマは両手を腰へ当てる。

 

「魔石長者というより、魔力だまり泥棒ね」

 

 真壁の眉がわずかに動いた。

 

「人聞きの悪い表現は慎みたまえ」

 

「魔力だまりは訴えないでしょうよ」

 

「だからといって風評を許す理由にはならんな」

 

 真剣に返すところが余計におかしい。

 

 セルマは小さく笑ったが、真壁はもうヴァルトの方を見ていた。

 

 ヴァルトが転移の準備へ入る。

 

 2人の足元へ淡い光の輪が広がった。

 

「撃たずに持っていくの?」

 

 セルマは消えた機体の跡を見た。

 

 あれほどの物を作り、人工魔石まで用意したのだ。普通なら、少なくとも黒筒から何かを1度は撃ち出したくなる。

 

 真壁は迷わず答えた。

 

「試射に使う時間の分だけ、西の被害が増える」

 

 返答に迷いはなかった。

 

 転移の光が強くなる。

 

 真壁は空になった組立区画を1度見渡した。

 

「手順は組めた。機体も動く。西へ戻る」

 

 ヴァルトが頷く。

 

 光が2人を包み、次の瞬間、その姿は採石場から消えていた。

 

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