採石場からルーデ村外れの転移地点へ戻ると、真壁は収納から黒いローブを2着取り出した。ヴァルトとともに羽織り、胸元の境界魔道具へ魔力を流す。輪郭がわずかに揺らぎ、顔立ちも声も、見た者の記憶へ残りにくいものへ変わった。
「行きましょう」
互いの名を呼ばず、2人は前線補給所へ向かった。黒いローブを見つけた見張りの兵が姿勢を正し、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
荷箱の前で帳面を確かめていたロルフが、2人を見るなり駆け寄ってくる。
「お戻りでしたか。保存食と水はまだ余裕があります。ですが、結界札が残り3割、魔石も想定より早く減っています。それと、今日だけで街道へ3度、魔物の群れが出ました。最初は灰狼、次は牙猪、3度目は両方です」
「村へは」
「まだ届いていません。兵が街道で押し返しました」
「負傷者は」
「斬られた者は軽傷です。ただ、妙な具合の者がいます」
案内された天幕の奥では、兵士が毛布に包まれ、浅い息を繰り返していた。傷らしい傷はない。だが顔色は青白く、指先が震え、鎧の隙間には黒紫色の粉がこびりついている。
ヴァルトは兵士の傍らへ膝をついた。
「これは魔素汚染です。少し身体が軽くなります。力を抜いてください」
両手から淡い光が広がり、兵士の身体と装備を包んだ。鎧に付着していた黒紫色の濁りが浮き上がり、細かな塵となって消えていく。兵士の強張った肩が落ち、乱れていた呼吸も次第に整った。
「息が……楽になりました」
「汚染による疲労が残っています。今日は休養を」
真壁は天幕の卓上へ地図を広げた。
西方に密集する赤い反応は、前回より明らかに東へ張り出している。中央には名称不明巨人の大きな反応が留まり、その周囲では新しい赤点が次々に生まれていた。
「発生した魔物を巨人が食い、逃れた個体が外側の群れを押している。その玉突きが街道まで届いたということですな」
「ええ。反応は地表の亀裂に沿って広がっています」
ヴァルトが外縁へ伸びる筋を指した。
真壁は赤い反応群の外側を指でなぞり、ひとつの輪を描いた。
「外へ伸びる流路から冷却する。順に塞ぎ、魔力だまりの外縁を冷却線で囲う」
「必要な冷気の量は」
「500t」
真壁は地図を畳んだ。
「作るところから始めましょう」
ルーデ村から西へ離れた高台は、背の低い草と白い石が広がるだけの場所だった。周囲に民家はなく、眼下には街道と浅い谷、その先には黒紫色の靄がたなびく西方の荒れ地が見える。
真壁が谷筋と堀を指すと、侯爵家兵の隊長が部下へ向き直った。
「高台へ上がる道を閉じろ。谷筋、堀、窪地にいる者は全員引き上げろ。見張りは風上の高所へ置け」
「魔物が来た場合は」
「街道側で止める。ここへは1歩も近づけるな」
ロルフは補給所の名簿を開き、低地へ出ている兵士の人数を確かめた。
兵士たちは2手に分かれ、斜面を駆け下りていった。高台へ通じる道には縄と槍を渡し、谷筋では見張りを回収する。堀の底にいた兵士たちも装備を抱えて上へ移り、低い場所から人影が消えていった。
真壁は高台の中央へ進み、足元を確かめてから右手を上げた。
「始める」
最初に動いたのは草だった。穂先が一斉に真壁の方角へ傾き、次いで地表の砂が細い筋となって走り始める。乾いた枯れ葉が転がり、白い石粉が地面を這った。高台を吹き抜けていた風は向きを変え、四方から中央へ流れ込む。
「風が集まっている……」
戻ってきた兵士が足を止めた。
真壁の周囲では、吸い込まれる大気が低い唸りを上げていた。黒いローブの裾が大きくはためき、草原には中心へ向かう円形の波が広がる。鳥の群れが高台を避け、慌ただしく西の空へ逃げていった。
「取り込み口を広く取っている。1点に集中させるより、こちらの方が安定する」
真壁は目を閉じ、収納内の工程へ意識を向けた。
取り込まれた大気が、成分ごとに分かれていく。最も多い窒素は広い処理領域へ送られ、酸素は別の区画へ、その他の気体はさらに細かく分離される。
窒素の温度が急速に下がった。透明な気体が収縮し、やがて液体へ変わる。液化した窒素は収納内に並べた槽へ流れ込み、槽の数値が少しずつ増えていった。
大気の取り込み、分離、冷却、液化。その4つの工程が途切れず回り続ける。真壁の額には汗が浮かんだが、周囲へ集まる風の勢いは落ちない。草は伏せたまま戻らず、砂と石粉が足元を巡り続けた。
ヴァルトは地図を開き、兵士たちの位置を確認する。
「谷筋から最後の1隊が上がりました。堀にも人は残っていません」
「よろしい。冷たい窒素は低い場所へ流れ込む。作戦区域へ入るのは我々だけだ」
15分が過ぎる頃には、高台を包む風の音がさらに低くなっていた。20分を過ぎると、収納内の槽は半分以上が満たされ、別区画には分離した酸素が蓄えられていく。
真壁はその酸素を供給単位ごとに分け、現地装備へ接続できる状態で固定した。今後活動に必要な素材はここから賄う。
30分後、真壁は静かに右手を下ろした。
高台へ流れ込んでいた風が弱まり、伏せていた草がゆっくりと起き上がる。最後の枯れ葉が真壁の足元へ転がり、止まった。
「液体窒素、500t。確保した」
侯爵家兵の隊長が高台へ戻った。
「低地、谷、堀からの退避、すべて完了しました。封鎖も維持しています」
ロルフも名簿を閉じる。
「人数も合っています」
「では、次へ移る」
真壁の収納には、荒れ地へ冬を運ぶだけの冷気と、その中へ踏み込む2人を生かす酸素が揃っていた。
真壁は高台を吹き抜ける風が落ち着いたことを確かめると、収納から灰白色の装備を2着取り出した。
足先から首元までを覆う全身服と、透明な面を持つヘルメット。背面には薄型の供給器が付き、腰と胸には接続口が並んでいる。
「これは……ずいぶん本格的ですね」
ヴァルトが黒いローブの裾を押さえながら、装備を見下ろした。
「非常時に使うため、前々から用意しておいた。今ではジェダイ騎士団の正式装備ということになる」
真壁はローブを脱ぎ、ノーマルスーツへ足を通した。脚部、腰部、胸部の順に留め具を閉じると、灰白色の生地が身体へ沿って締まり、胸と肩を薄い外装が覆った。ヴァルトも手順を追って着用する。
「外から刃を受けた場合は」
「防刃層と防弾層が受ける。内部には保温と空調がある。今回は急激な温度差と酸素濃度の低下の方が厄介だ」
真壁はヘルメットを被り、首元の固定環を回した。密閉音がして外の風音が遠のく。ヴァルトも装着すると、透明面の内側へ表示が灯った。
真壁は収納内へ分けておいた酸素を供給器へ接続する。供給圧力、酸素濃度、内部温度の数値が順に安定し、ヘルメット内へ新しい空気が流れ込んだ。
「聞こえるかね」
「はい。こちらも聞こえますか」
「良好だ」
2人は腕を曲げ、膝を上げ、腰を捻った。真壁は胸部を軽く叩き、ヴァルトは肩と脇腹の密着を確かめる。空調を低温対応へ切り替えると、内部温度が一定に保たれた。
次に真壁は、腰へ巻き付ける金属製の装置を取り出した。左右と背面に小型推進器を備え、腹部の操作部から固定帯が伸びている。
「ランドムーバーだ。低空移動、亀裂越え、急制動、緊急離脱に使う」
「稼働時間は」
「15分。冷却作業も、その15分で終わらせる」
2人は装置を腰へ固定し、ノーマルスーツの制御端子へ接続した。真壁が試験出力を入れると、推進器へ淡い光が灯り、踵がわずかに地面から浮いた。すぐに出力を落とし、姿勢制御と停止を確認する。
ヴァルトは高台の平らな場所へ制御卓を展開した。板が左右へ開き、操作具と映像板が立ち上がる。四隅へ結界札を置いて魔力を流すと、制御卓を中心に淡い線が結ばれた。
真壁はその前方へ白い機動兵器を収納から出した。
約18mの巨体が高台の縁に現れ、脚部ホバーが土を押し潰す。頭部の視覚器が左右へ動き、制御卓へ荒れ地の景色を送った。
真壁は胸部、腰部、両脚、両腕の装填口を順に開く。方解石を主駆動部へ、アメジストを遠隔操作と姿勢制御部へ、ジルコンを武装系統へ収めた。
「主駆動、安定しています。姿勢制御も反応しました」
「武装系統は」
「接続完了。光刃、ジャイアントバズーカともに供給可能です」
装填口が閉じると、胸部から肩、腕、腰、脚へ淡い光が走った。白い機動兵器は頭部を上げ、右手でジャイアントバズーカを保持し、左手へ光刃の柄を収める。
「私は外縁を回り、液体窒素で冷却線を引く。君は機体を操り、巨人と魔物を押さえ給え」
「承知しました。15分、必ず守ります」
真壁はノーマルスーツの上から黒いローブを羽織り直した。ヴァルトも制御卓の前でローブを整える。
真壁がランドムーバーの出力を上げると、腰の左右で推進光が強まり、身体が高台から浮き上がった。
ヘルメット内の表示が切り替わる。
残り15分。
同時に、ヴァルトが制御卓へ両手を置いた。白い機動兵器の脚部ホバーが低く唸り、真壁を追うように荒れ地へ向けて動き始めた。
高台を離れた真壁は、ランドムーバーの推力を絞り、地表すれすれを滑るように進んだ。黒いローブの裾が後方へ流れ、腰の左右で淡い光が尾を引く。眼下では、荒れ地を走る亀裂が黒紫色の靄を吐き出し、その周囲で泥と殻が小さく盛り上がっていた。
「最初の流路へ入る。機体は内側を頼む」
「了解しました」
ヴァルトの声が耳元へ届く。同時に、背後では白い機動兵器が脚部ホバーを唸らせ、冷却予定線の内側へ回り込んでいった。巨体が滑るたびに乾いた土が左右へ押し分けられ、頭部の視覚器が真壁の進路と周囲の魔物を交互に捉える。
真壁は最も外へ伸びた亀裂の上空で姿勢を変えた。収納の開口を地面へ向け、液体窒素を細長い帯として放つ。
透明な液体が黒い土へ触れた瞬間、白い霧が爆発するように噴き上がった。
岩肌が音を立てて白く曇り、亀裂の縁から霜が一気に広がる。地表を這っていた黒紫色の靄は、冷却帯へ触れたところで動きを鈍らせ、低く押し伏せられた。黒と紫に濁っていた一帯へ白い筋が走り、荒れ地の色そのものが塗り替えられていく。
「効いている」
ヴァルトの声に、真壁は目の前の変化を追いながら答える。
「先ほどの試験と同じだ。温度を下げれば、流れは止まる」
亀裂の脇で、泥の塊が震えた。節のような膨らみが並び、虫の脚に似た突起が土から伸びる。殻の表面が固まりかけたところへ冷気が届くと、その形は途中で止まった。半ばまで持ち上がった胴が崩れ、脚も泥と繊維の束へ戻っていく。次に膨らみかけていた塊も、輪郭を得る前に凍りついた。
真壁は高度を保ったまま、亀裂に沿って時計回りに進んだ。
液体窒素は一本の太い流れとして落とさず、地形に合わせて帯の幅を変える。細い亀裂には狭く、靄の濃い窪地には広く。白い霧が連なり、黒い荒れ地の外縁へ弧を描いていった。真壁が通過した後には、霜に覆われた地面と、動きを止めた靄だけが残る。
500tという量があっても、冷やす順序を誤れば外へ伸びる流れを取り逃がす。真壁は地図と眼下の亀裂を重ね、分岐を一つずつ拾った。流れの太い場所には量を増やし、閉じた地点ではすぐに絞る。収納内の残量表示と地図上の反応を交互に見ながら、冷却線を途切れさせずに伸ばしていく。
内側では、冷気を避けるように魔物が動き始めていた。牙猪が白い霧の切れ目を目指して走り、その後ろから灰狼が群れとなって続く。
白い機動兵器が横へ滑り、冷却線と魔物の間へ巨体を入れた。
ヴァルトが左腕を上げる。柄の先に白い光が収束し、大型光刃が伸びた。
牙猪が突進する。
機動兵器は刃を振り回さず、進路の低い位置へ静かに置いた。牙猪は自らの勢いのまま光刃へ飛び込み、頭部から胴へ白い線を引かれて崩れ落ちる。続いた灰狼も、機体の足元を抜けようとしたところで刃に触れ、雪崩れるように倒れた。
「右から3体、奥に2体」
真壁が地図上の反応を伝える。
「見えています」
白い機動兵器が脚部ホバーで半円を描き、内側へ逃げる魔物の進路を塞ぐ。光刃が短く閃くたび、冷却線へ近づく赤い反応が1つずつ消えていった。ヴァルトは機体を深く踏み込ませず、真壁が描く白い線と一定の距離を保ったまま、次の群れへ向きを変える。
真壁は2つ目の分岐へ液体窒素を流し込み、さらに外周を回る。白い帯は途切れず伸び、最初に冷やした地点へ近づいていく。
表示が残り12分へ変わった。
最後の細い亀裂へ冷気を重ねると、外へ向かっていた黒紫色の靄がそこで止まった。白く凍った地面が左右からつながり、最初の主要流路が閉じる。
真壁は地図を確認した。
東へ進んでいた小さな赤い反応が、目に見えて減っている。新しく生まれた反応も、冷却線の内側で動きを鈍らせていた。
「1本、閉じた」
「こちらでも確認しました。外へ抜ける反応が減っています」
その時、魔力だまりの中央に留まっていた巨大な赤い反応が、わずかに向きを変えた。
白霧の向こうで、名称不明巨人が岩と泥に覆われた頭部を持ち上げた。巨大な反応がわずかに向きを変え、外周へ伸びる白い冷却線を捉える。巨人の足元にいた魔物たちもざわめき、冷却帯から離れるように内側へ寄っていった。
真壁は次の亀裂へ進路を変える。
残り12分。
巨人が動き出す前に、まだ閉じるべき流路が残っていた。
真壁が4本目の亀裂へ冷気を走らせたところで、ヘルメット内の表示が切り替わった。
残り9分。
魔力だまりの外縁には、真壁が描いた白い冷却線が半円状に伸びていた。地表付近の空気は大量の液体窒素によって急激に冷やされ、凍った土の上を重い冷気が這っている。
真壁はランドムーバーで低空を滑りながら、次の流路へ液体窒素を落とした。
地面から噴き上がった白霧は、そのまま上へ抜けなかった。地表へ沈んだ冷気と周囲から流れ込む空気がぶつかり、黒紫色の靄を巻き込んで大きな渦を作る。
白と黒紫が絡み合った霧の柱が、真壁の進路を横切った。
「風が強くなっています」
ヴァルトの声がヘルメット内へ届く。
「冷えた空気が地表へ溜まりすぎたようだ。上空にも影響が出ている」
真壁は散布を一度絞り、顔を上げた。
白く濁った上空が大きく波打っている。その中で、冷たい空気が巨大な塊となって下降を始めていた。周囲の白霧も同じ方向へ引かれ、上から押し潰されるように低く沈んでいく。
「機体の姿勢を下げ給え。来るぞ」
「承知しました」
白い機動兵器は光刃を短く収め、脚部ホバーの出力を落とした。左右の広い足を大きく開き、凍結した地面へ押しつける。膝を曲げ、上体を低くして、降下してくる風へ正面を向けた。
真壁はランドムーバーの出力を上げる。腰の左右で推進光が強まり、身体を冷却線の外側へ押し出した。
直後、上空から落ちてきた冷気が荒れ地へ激突した。
地面が低く鳴った。
ダウンバーストが白霧を真上から叩き潰し、衝突地点から四方へ猛烈な風を吹き出す。土埃、氷粒、凍った泥、切断された魔物の脚や殻が一斉に巻き上がり、地表を走る灰色の壁となった。
真壁の身体が横へ押し流される。
「ぬっ……」
ランドムーバーの右側推進器を強め、左側を絞る。身体が大きく傾きながらも、地面から数mの高度を保った。
上へ逃げれば下降気流に捕まり、下へ降りれば飛来物をまともに受ける。真壁は細かく推力を切り替え、吹き出す風へ機体を斜めに向けた。黒いローブが激しくはためき、背中側へ張りつく。
白い機動兵器も風圧を受けてわずかに滑った。
それでも広い足が凍った地面を捉え、巨体は倒れなかった。肩や胸へ岩片と魔物の破片が叩きつけられ、白い外装へ灰色の傷と汚れが増えていく。ヴァルトは姿勢制御を細かく調整し、冷却線と真壁の間に機体を留めた。
「聞こえるかね」
「聞こえています。こちらは機体、制御卓ともに無事です」
「現在位置が見えん。互いの位置を地図で確認し給え」
ヴァルトは地図を開き、真壁と白い機動兵器の反応を照合した。
「確認しました。機体は、そこから北西へおよそ80mです」
「君自身は」
「高台の制御地点です。結界内にいます」
「よろしい。その位置を維持し給え」
白霧と土埃によって互いの姿は完全に見えなくなっていた。ヘルメット間の通信と地図上の反応だけが、真壁、ヴァルト、白い機動兵器の位置をつないでいる。
地表を暴れていた風は、やがて少しずつ弱まり始めた。
巻き上げられた土と魔物の破片が落ち、その代わりに細かな氷粒が真壁のヘルメットへ当たり始める。透明面に白い点が弾け、風に流されて消えていった。
表示が残り7分へ変わる。
氷粒は数を増し、形を変えた。細かな粒だったものが柔らかな白い欠片となり、白霧の中をゆっくり落ち始める。
「雪になりました」
「これだけ急激に冷やせば、大気中の水分も凍る」
雪は瞬く間に勢いを増した。
黒い土へ白い点が生まれ、岩の上、亀裂の縁、倒れた魔物の死骸へ積もっていく。やがて白い点は互いにつながり、黒と灰色だった荒れ地を一面の白へ塗り替え始めた。
降雪の中では、黒紫色の靄も地表へ押し伏せられ、雪の積もった場所ほど薄く見える。
真壁は偵察で見た光景を思い出す。荒れ地に残っていた雪の上だけ、黒紫色の靄が薄かった。
「あの残雪は、これを示していたのか」
雪が積もった地面の一部で、白さが消え始めた。
地下から魔力と熱が上昇している場所では、落ちた雪が触れた端から溶け、水となって黒い土へ染み込んでいく。冷えた場所は白く残り、流れが生きている場所だけが黒く露出した。
白い荒れ地の上へ、一本の黒い筋が浮かび上がる。
それは魔力だまりの中心方向から外縁へ伸び、途中で2本、3本と枝分かれしていた。地表からは見えなかった地下の魔力流路が、雪解けの線となって可視化されたのだ。
「流路が見えます。東へ伸びている太い筋が1本」
「私からも見えた。あれを先に閉じる」
真壁は時計回りに取っていた進路を変えた。
ランドムーバーを傾け、最も太い雪解けの黒い筋へ向けて低空を加速する。白い機動兵器も脚部ホバーを再起動し、真壁と流路の間へ先回りした。
真壁は収納の開口を眼下へ向ける。
降り積もる雪の中で黒く浮かぶ地下流路へ、液体窒素の白い奔流が落ちていった。
雪解けの黒い筋へ液体窒素を重ねると、地面から白い霧が勢いよく噴き上がった。
真壁のヘルメット内で表示が切り替わる。
残り5分。
魔力だまりの外縁では、地面から盛り上がっていた泥の塊が次々に動きを止めていた。殻を作りかけた虫型魔物は脚を伸ばす前に崩れ、巨大な獣へ育とうとしていた影も、黒い泥へ戻っていく。
魔力だまりの中央で、名称不明巨人が捕食を中断した。
太い指に掴んでいた魔物の残骸を落とし、岩と泥に覆われた頭部を上げる。周囲を見回しても、新たな餌は生まれてこない。巨人は白く染まり始めた荒れ地の向こうへ顔を向けた。
「動きます」
ヴァルトの声がヘルメットへ届いた。
「こちらへ来るようですな」
真壁は冷却の手を止めず、雪解けの筋に沿って低空を走った。
約18mの巨人が魔力だまり中央から歩き始める。一歩踏み出すごとに凍った地面が割れ、足元から泥と氷が跳ね上がった。身体に付着していた魔物の殻が雪の上へ落ち、黒い跡を残す。
巨人の進路には、形成を終えていた多足大型魔物が1体残っていた。
巨人は身を屈め、逃げようとする多足魔物の胴を片手で掴み上げた。何本もの脚が空中でもがき、硬い殻同士が激しく擦れ合う。
「投げます」
「冷却線へ落とされては面倒だ。頼む」
ヴァルトは白い機動兵器を真壁の進路へ移動させた。
脚部ホバーが雪を巻き上げ、巨体が地面を滑る。白い機動兵器は真壁と名称不明巨人の間へ入り、左肩を前に出して姿勢を低くした。
名称不明巨人が腰を捻る。
多足魔物が放たれた。
黒い塊が雪を裂き、真壁の進路へ向かって飛んでくる。ヴァルトは脚部ホバーを右へ噴かし、白い機動兵器を斜め前へ滑らせた。
投げられた多足魔物が左肩の装甲へ激突する。
衝撃で機体の上体が揺れ、片足が雪の上を削った。だが、正面から受け止めず、肩を斜めに当てたことで投射軌道が変わる。多足魔物は白い機動兵器の側面を滑り、冷却線の内側へ叩き落とされた。
「損傷は」
「肩の外装だけです。動作に問題ありません」
ヴァルトが左腕を振り下ろす。
光刃の柄から白い光が一気に伸びた。
地面でもがく多足魔物の胴へ大型光刃が落ちる。厚い殻を抵抗なく通り抜け、長い身体を中央から切断した。切り離された脚がしばらく雪を掻き、やがて止まる。
名称不明巨人は足元の武器を失うと、白い機動兵器へ向けて歩調を速めた。
ヴァルトは機体を後退させる。脚部ホバーを左右へ切り替え、巨人の正面から少しずつ西側へずれる。巨人が機体を追うたび、その進路は真壁の飛行線から外れ、魔力だまり中央へ近い側へ曲がっていった。
「そのまま引きつけ給え」
「承知しました。冷却はどこまで」
真壁は地図と眼下の雪解けを見比べた。
「あと2本だ」
表示が残り3分へ変わる。
真壁の前には、白く閉じた冷却線の間を抜けるように、黒い筋が2本残っていた。1本は細く、もう1本は魔力だまり中央から外縁へ真っ直ぐ伸びている。
先ほどのダウンバーストが荒れ地の外側へ吹き抜けた後、今度は冷却域へ戻る風が生まれていた。雪と白霧が低く流れ、真壁の背後から黒い筋へ向かっている。
真壁はランドムーバーの推進器を一度絞った。
背後から来た吹き返しが黒いローブを押し、身体を前へ運ぶ。その風へ推力を重ね、真壁は残る流路へ向けて一気に加速した。
「風を使いますか」
「残り時間が少ないのでな」
名称不明巨人が白い機動兵器との距離を詰めた。
巨人は右腕を振り上げ、そのまま真下へ叩きつける。
ヴァルトは脚部ホバーを最大まで上げた。白い機動兵器が雪の上を横滑りし、巨人の拳の下から抜け出す。
直後、巨大な拳が地面へ激突した。
凍った土と岩が砕け、雪と氷の塊が高く跳ね上がる。衝撃が機体の足元を追い、白い機動兵器がわずかに傾いた。
ヴァルトは右脚のホバーを強め、姿勢を戻す。そのまま巨人の側面へ回り込み、ジャイアントバズーカを片脚へ向けた。
白い機動兵器がさらに前へ出ると、巨人は真壁を追う進路を塞がれ、機体の方へ上体を向けた。
「こちらを見ました」
「結構。もう少しだけ、付き合ってもらい給え」
真壁は最初の黒い筋へ液体窒素を放った。
雪解けていた地面が白く凍り、外へ流れていた黒紫色の靄がそこで止まる。
残る流路は、あと1本。
降りしきる雪の中、真壁は最後の黒い筋へ向かって飛び、ヴァルトはその3分を稼ぐため、白い機動兵器を巨人の正面へ進ませた。
ヘルメット内の表示が、残り1分へ変わった。
真壁の前方では、降り積もった雪を細長く溶かしながら、最後の黒い筋が魔力だまりの外へ伸びていた。左右には、これまで閉じてきた冷却線の白い端が見える。あの流路を止めれば、外縁を囲む輪がつながる。
「最後の1本へ入る」
「こちらは押さえます」
ヴァルトの声と同時に、白い機動兵器が名称不明巨人の正面へ踏み込んだ。脚部ホバーが雪を巻き上げ、右腕のジャイアントバズーカを巨人の片脚へ向ける。巨人は進路を塞ぐ機体へ上体を向け、太い腕を持ち上げた。
真壁はランドムーバーを加速させた。
推進器の音が不安定に揺れ、表示の出力値が少しずつ落ちている。残された推力を前進へ集中し、雪解けの黒い筋へ沿って低空を走る。
流路の終点へ到達すると、真壁は収納内に残る液体窒素を確認した。
「十分だ」
開口を地面へ向け、残量を一気に放出する。
透明な液体が黒い筋へ降り注ぎ、地面から巨大な白霧が噴き上がった。雪解け水が瞬時に凍り、露出していた土が白い霜に覆われる。亀裂の奥から湧き上がっていた黒紫色の靄が押し戻され、外へ伸びていた流れが止まった。
白い冷却線が伸びる。
先に作った左側の端へ触れ、続いて右側の端ともつながった。
魔力だまりの外周に、切れ目のない白い輪が完成する。
輪の内側では黒紫色の靄が低く淀み、まだ熱を持つ中心部だけが雪を溶かしていた。外側では雪が積もり続け、白と黒の境目がはっきりと浮かび上がる。
「閉じた」
真壁は地図を開いた。
冷却線の外側では、新たに生まれる赤い反応が目に見えて減っていた。東へ進んでいた小さな反応も足を止め、いくつかは冷却線に沿って進路を曲げた。街道へ続いていた反応の連なりも、途中から細く途切れた。
「こちらでも確認しました。外へ向かう反応が減っています」
「第1段階は完了だ」
その直後、ランドムーバーの警告音が鳴った。
腰の左右に灯っていた推進光が弱まり、真壁の高度がゆっくりと下がる。真壁は冷却線の外側にある岩の高台へ身体を向け、残る推力で斜面を越えた。
靴底が雪へ触れる。勢いを殺しながら数歩滑り、岩壁へ手をついて止まった。背後でランドムーバーの光が消え、表示が稼働終了へ変わる。
真壁は高台から白い輪の内側を見下ろした。
雪はさらに強くなっていた。
白い機動兵器と名称不明巨人が、降雪の中で向かい合っている。巨人の足元には凍った泥と魔物の殻がまとわりつき、白い機動兵器の左手では大型光刃が雪を照らしていた。
名称不明巨人が一歩踏み出す。
白い機動兵器も脚部ホバーを低く唸らせ、冷却線と巨人の間で姿勢を整えた。
外縁を閉じる作業は終わり、中心へ進むための戦いが始まろうとしている。
「外周は押さえた。次は巨人を排除し、中心部の魔力を抜く」
「承知しました」
ヴァルトが制御卓を押し込む。
白い機動兵器の脚部ホバーが強く唸り、雪を左右へ吹き分けた。
ジャイアントバズーカを構えた白い巨体が、名称不明巨人へ向けて前進した。