翌朝、真壁と澪は採石場の秘密基地を経由し、現代側へ戻った。
押し入れから六畳間へ出た澪は、壁のカレンダーを見て足を止めた。
12月。
窓の外はよく晴れている。異世界の西方で季節外れの雪が降ったことなど、この部屋には何の関係もないようだった。
畳の匂いも、壁際の本棚も、座卓の上に置いたままの大学の資料も、出かける前と変わっていない。
変わったのは、こちらへ戻ってきた自分たちの方だった。
真壁は18mの巨人を倒し、地下の魔力だまりを丸ごと収納し、128,640tもの資源を持ち帰った。
その翌朝に六畳間へ戻り、澪は大学の予定と企業への納品日を確認している。
両方が同じ生活の中にあることへ、まだ頭が追いついていなかった。
「真壁さん」
「何かね」
「南方へ行く前に、現代側の仕事を済ませないといけません」
澪は座卓へスマートフォンを置き、予定表を表示した。
「東都特殊金属試作への12月分があります。チタンが1,000kg、タングステンが約500kg、モリブデンが約30kgです」
「承知している」
本当に覚えていたのでしょうか。
真壁の顔を見ても、判断できない。
西方から戻って以来、この人の頭の大部分は、収納内にある資源をどう処理するかで占められているように見えた。
「既存の納品分に加え、新しい試料も出そう」
真壁は畳へ座り、収納内の集計表示を開いた。
六畳間の中へ、半透明の文字が浮かび上がる。
チタン、タングステン、モリブデン。
その下には、ニオブ、タンタル、バナジウム、コバルトといった金属が並んだ。
「この4種類は、少量ずつ分析用の試料にする」
「いきなり商品として売るわけではないんですね」
「純度も用途も確認せずに、大量に出すわけにはいかん。先方が求める仕様も分からぬからな」
そこは慎重なのですね。
澪は少しだけ安心した。
真壁は桁外れの量を扱うが、価値が分からない品を無理に売り込むつもりはないらしい。
「蛍石も加えよう」
「蛍石ですか」
「フローライトとも呼ばれる」
聞き覚えのある名前に、澪は顔を上げた。
「フローライトって、『VIVANT』に出てきた石ですよね」
「私は見ておらんが、広く知られるきっかけにはなったようだな」
真壁が蛍石の項目を開いた。
表示された回収量は680t。
澪は黙って数字を見た。
テレビドラマでは、希少な鉱物として扱われていたはずだ。
それが今、真壁の収納内に680tある。
自分の記憶している話と、目の前の数字がうまく結びつかなかった。
「念のため聞きますけど、全部売ろうとしていませんよね」
「まずは20kgでよかろう」
急に常識的な量が出てきた。
澪は胸をなで下ろしかけたが、680tの中から20kgを取り分ける行為を常識的だと感じている自分にも不安を覚えた。
「宝石として売るのではない。工業材料として評価してもらう」
「半導体関連ですか」
「うむ。ただし、押入商会には、その分野の企業との伝手がない。東都特殊金属試作に間へ入ってもらえるか相談する」
真壁がまとめた12月分は、チタン1,000kg、タングステン約500kg、モリブデン約30kg。
分析用として、ニオブ、タンタル、バナジウム、コバルトを少量ずつ。
さらにフローライト20kg。
これだけでも、普通の会社なら十分に大きな取引だろう。
しかし、集計表示の奥には、鉄系資源12,400t、アルミ系資源5,900t、チタン系資源3,480tという数字が並んでいる。
チタン1,000kgが、小分けした見本のように見えてしまう。
澪は早くも、自分の金銭感覚と重量感覚が壊れ始めている気がした。
真壁はスマートフォンを取り出し、東都特殊金属試作へ電話をかけた。
澪は座卓の向かいへ座り、メモ帳を開いた。
「ご無沙汰しております。押入商会の真壁です」
電話口で話す真壁の声は、侯爵や宰相へ報告する時とほとんど変わらなかった。
相手が異世界の貴族でも、現代の企業担当者でも、必要な内容を順番に伝える。
「12月分ですが、チタン1,000kg、タングステン約500kg、モリブデン約30kgを予定どおり用意できます」
既存分の日程を確認した後、真壁は新規試料の話へ移った。
「加えて、数種類の材料を分析していただきたい。ニオブ、タンタル、バナジウム、コバルトです。いずれも少量ですが、純度、不純物、加工適性を確認したいと考えております」
電話の向こうから、各試料の量を尋ねる声が聞こえた。
「ニオブ、バナジウム、コバルトは数kg。タンタルは1kg前後を予定しております」
金属については、先方もすぐに話を理解したようだった。
真壁は続けた。
「もう一つ、蛍石を20kgほど用意できます」
電話の向こうで、わずかな間が空いた。
「ええ。フローライトです。装飾品ではなく、工業材料として使用できるか評価していただきたい」
東都特殊金属試作は金属材料を主に扱う会社であり、蛍石そのものは専門外に近い。
担当者は、その点を真壁へ説明した。
「承知しております」
真壁は落ち着いて答えた。
「私どもには、半導体関連の企業との取引経路がありません。試料の成分と純度を確認した上で、用途に合うようでしたら、御社に商談の間へ入っていただくことは可能でしょうか」
紹介だけでも構わない。
東都特殊金属試作が一度買い取り、取引先へ販売する形でもよい。
共同で商談へ参加し、品質や供給条件を説明してもらう形でもよい。
真壁は相手へ選択肢を示した。
担当者は、まず試料を分析したいと答えた。
純度、含有成分、不純物を確認し、取引先が求める仕様に合うか判断する。
それから紹介にするか、仲介にするか、東都特殊金属試作が取引へ加わるかを決める。
「それで結構です。最初から大量の取引をお願いするつもりはありません。結果を確認してから、次の段階へ進めましょう」
澪は真壁の隣で、会話の内容を急いで書き留めていた。
分析項目。
納品方法。
試料の識別。
秘密保持。
紹介の場合の手数料。
東都特殊金属試作を通す場合の契約方法。
今は真壁が話している。
自分は横で聞き、必要なことを覚えればいい。
そう思っていた。
「それと、今後の窓口についてお願いがあります」
真壁の言葉に、澪のペン先が止まった。
嫌な予感がした。
真壁が何かを決めた後、こちらへ相談せずに話を進める時の声だった。
「今後の納品と商談については、篠原澪君へ引き継ぎたいと考えております」
澪は真壁を見た。
真壁はこちらを見ず、電話の相手へ説明を続けている。
「原料の準備、精製、技術的な説明には、必要に応じて私も加わります。ただし、日程、数量、価格、契約条件の調整については、今後、彼女を窓口としていただきたい」
聞いていません。
その言葉は、喉の手前で止まった。
電話の向こうには取引先がいる。
押入商会の窓口を引き継ぐと紹介された本人が、隣で慌て始めるわけにはいかない。
真壁がスマートフォンを澪へ差し出した。
「澪君。後を頼む」
「今、ですか」
「今でなければ、いつ引き継ぐのかね」
電話をかける前です。
せめて、昨日です。
できれば数日前に、資料を見ながら説明してください。
言いたいことはいくつもあったが、電話口の相手を待たせるわけにはいかない。
澪は息を整え、スマートフォンを受け取った。
「お電話代わりました。篠原澪です。これまでの取引内容については、真壁さんから伺っております。今後とも、よろしくお願いいたします」
自分の声が震えていないことに、少しだけ安心した。
担当者からも丁寧な挨拶が返ってきた。
この先は、自分が話さなければならない。
12月分の希望納品日。
搬入場所。
金属ごとの梱包方法。
分析用試料の必要量。
試料へ添付する情報。
分析結果を書面でもらえるか。
フローライトが用途に合った場合、どの段階で新しい企業へ紹介してもらうか。
東都特殊金属試作が取引へ入る場合、どのような形が双方にとって負担が少ないか。
質問は次々に浮かんだ。
大学の講義だけで覚えたものではない。
異世界でリュシアの商談を見たこと。
侯爵家との話し合い。
押入家具の販売。
仕入れ、納品、請求、支払い。
これまで経験したことが、頭の中で一つずつつながっていく。
「分析結果が出るまでは、新たな供給量の提示を控えます。こちらで用意できる数量についても、結果を確認した後、改めてご相談いたします」
680tあるとは、絶対に言えない。
澪は強く思った。
試料20kgの評価も終わっていないのに680tという数字を出せば、相手は聞き間違いだと思うだろう。
あるいは、押入商会がいつの間に鉱山を所有したのかと尋ねられる。
異世界の魔力だまりを地下ごと収納しましたとは説明できない。
「秘密保持については、現在の契約へ今回の試料を追加できるか確認をお願いします。別途契約が必要でしたら、ひな型を送ってください」
自分でも驚くほど、言葉が出た。
担当者は、今後は澪へ直接連絡すると答えた。
電話番号とメールアドレスを確認し、納品候補日を2つ挙げてもらう。
最後に挨拶を交わし、澪は通話を終えた。
スマートフォンを座卓へ置いた途端、肩の力が抜けた。
手のひらが少し汗ばんでいる。
大きな失敗はしていない。
聞くべきことも聞けたと思う。
けれど、何の準備もないまま人前へ押し出され、どうにか立って戻ってきたような疲労があった。
「せめて、先に言ってください」
澪は真壁を見た。
「何をかね」
「引き継ぎです。電話をかける前に、今日から私が担当だと教えてください」
「先に言えば、君は準備が足りないと言って先延ばしにしただろう」
「引き継ぎには、普通、準備期間があるんです」
「私も隣にいた」
「隣にいることと、突然電話を渡すことは違います」
「しかし、問題なく対応できたではないか」
それが一番困るのです。
真壁のやり方は乱暴なのに、結果だけを見るとうまくいっている。
澪自身も、できなかったとは言えない。
できたからといって、やり方まで正しかったことにはならないはずなのに、真壁は両方を同じものとして扱う。
「次からは、先に言ってください」
「善処しよう」
澪は目を細めた。
アルベルトが、その言葉を信用しなかった理由がよく分かった。
取引を任されたことが嫌なのではない。
現代側の窓口を任されることは、むしろ嬉しかった。
真壁が、自分なら任せられると判断したことも分かっている。
だからこそ、素直に喜べなかった。
この人は、信頼と無茶振りを、いつも同じ箱へ入れて渡してくる。
真壁は、収納内で12月納品用の地金と試料を整えた。
チタン1,000kg。
タングステン約500kg。
モリブデン約30kg。
ニオブ、タンタル、バナジウム、コバルトの分析用試料。
フローライト20kg。
すべてを用途ごとに分け、識別番号を付ける。
澪は納品一覧へ番号と重量を書き込んだ。
「これで12月分は準備できましたね」
「うむ」
真壁は収納内の集計表示を開いた。
減った量は、2tにも届かない。
128,640tという総量を前にすると、数字が動いたようにさえ見えなかった。
「ほとんど減っていませんね」
「高価な物を少量出しても、収納の空きは増えんな」
真壁が項目を重量順へ並べ替えた。
最上段に、岩盤・母岩93,270tが表示された。
収納物全体の大半を、これだけで占めている。
「一番大きいものを使わない限り、減りませんね」
澪は先に釘を刺した。
「現代側では売れませんよ」
「まだ何も言っておらんが」
「この量を見て、砕石会社か建材会社に売れないかと考えましたよね」
「候補には入れた」
「突然9万tの石を持ち込んだら、どこの山を削ったのかと聞かれます」
「ならば、異世界側で使おう」
真壁はあっさりと現代側での売却を諦めた。
切り替えが早すぎる。
澪は、かえって不安になった。
「何に使うんですか」
「道だ」
「道?」
「南方から食糧を買い付けても、運ぶ道が泥では意味がない。領都から南方へ続く街道を整備する」
真壁は道路材へ回せる岩石成分を表示した。
金属、結晶、危険鉱物は分離してある。
残った岩石質の成分を均質化し、規格を揃えた道路用の板へ変えるつもりらしい。
「天然石を一枚ずつ切るより、溶解して固形化した方が早い」
「全部ですか」
「全部だ」
澪は、もう一度93,270tという数字を見た。
全部。
真壁は9万tを超える岩盤を、残らず道路用のタイルへ変えようとしている。
まず何枚か試作する。
強度を測る。
実際に敷いて様子を見る。
普通なら、そのような順序になるはずだ。
けれど、真壁の中では規格が決まれば量産まで一つの工程らしい。
「標準道路用は、1m四方、厚さ10cmとしよう」
真壁の前へ、石板の立体像が現れた。
四辺へ、隣の板とかみ合わせるための凸凹を付ける。
裏面には、縦横へ水を流す溝。
表面には、車輪や馬の蹄が滑りにくい細かな凹凸。
「荷馬車が集中するところは、厚さ15cmにする」
次に、重量区間用の規格が作られた。
1m×1m×15cm。
坂道、門前、倉庫前、荷受け場などへ使う。
歩道用は、50cm×50cm×8cm。
橋や広場用は、1m×2m×15cm。
「1m四方の石板なんて、人の手では運べませんよ」
「収納から敷設する場所の近くへ出す。最後の位置調整は梃子と滑車を使えばよい」
「専用の道具が必要になります」
「ならば、吊り枠と梃子も規格化しよう。鍛冶屋と大工に作らせれば、そちらにも仕事が生まれる」
また話が大きくなった。
けれど、今回は悪い方向ではない。
真壁が収納だけで道路を完成させれば、早いだろう。
その代わり、現地の石工や大工には何も残らない。
道路用の板を供給し、実際の敷設を現地へ任せれば、石工は調整と補修を覚え、大工や鍛冶屋には道具を作る仕事が生まれる。
「標準型へ換算すれば、どれくらい作れるんですか」
「約35万9,000枚だ」
澪は黙った。
35万9,000枚。
1枚でも、六畳間の床の一部を塞ぐ大きさがある。
それが35万枚以上。
六畳間へ積んだ場合を想像しかけ、すぐにやめた。
「ここには出さないでくださいね」
「出す理由がない」
その返答に安心してよいのか、澪には分からなかった。
真壁は収納内工程を開始した。
岩盤・母岩が成分ごとに整えられ、道路材に適した状態へ均質化される。
溶解。
固形化。
標準道路用。
重量区間用。
歩道用。
橋・広場用。
同じ寸法、同じ厚さ、同じ強度の道路タイルが、集計表示の中で次々に増えていく。
表面には滑り止め。
四辺にはかみ合わせ。
裏面には排水溝。
西方の地下から回収された岩盤は、積み上げるだけの石ではなく、現地へ出せばすぐに敷設できる規格品へ変わった。
形を変えただけなので、収納の重量はまだ減っていない。
それでも、用途のなかった93,270tすべてに、使い道が決まった。
「石だけ渡しても、道路にはなりませんよ」
澪が言った。
「承知している」
真壁は金と銀の項目を開いた。
高純度へ精製できる金は約1.2t。
銀は約9t。
「それぞれ10分の1を使う」
「金が120kg、銀が900kgですね」
「うむ」
真壁は収納内で金銀を精製し、10kg単位のインゴットへ固形化した。
金は12本。
銀は90本。
金は3本ずつ、4箱へ収める。
銀は10本ずつ、9箱へ収める。
合計13箱。
澪は箱の数だけを見ることにした。
現代の価格へ換算してはいけない。
計算し始めれば、たぶん落ち着いていられなくなる。
「アルベルト様個人へ渡すんじゃありませんよね」
「無論だ。侯爵家の道路整備専用会計へ預ける」
「寄付ですか」
「前貸しだ。侯爵領の物流網に対する、押入商会からの投資とする」
道路が整えば、南方からの食糧輸送が速くなる。
荷車の積載量を増やせる。
移動中に食糧が傷む量も減る。
押入家具や調味料を、今より遠くへ売れる。
鉱山や工房から領都への輸送も安定する。
慈善だけではない。
押入商会自身の商圏を広げるための投資だった。
その説明には納得できる。
けれど、金120kgと銀900kgを前貸しと言って出せること自体が、すでに普通ではない。
異世界側へ戻った真壁と澪は、領都の侯爵邸を訪ねた。
応接室には、アルベルトとエーリヒが同席した。
真壁は最初に、4種類の道路用タイルを床へ出した。
標準道路用。
重量区間用。
歩道用。
橋・広場用。
アルベルトは席を立ち、標準道路用の板を確かめた。
「天然石を切ったものではないのか」
「回収した岩盤を溶解し、成分を均質化して固形化しました」
真壁は板の四辺を示した。
「この凸凹で、隣の板とかみ合わせます。敷設後に横へずれにくくなり、破損した場合は同じ規格の物と交換できます」
板を収納で持ち上げ、裏面を見せる。
「こちらの溝は排水用です。石の下へ入った水を、道路脇の側溝へ流します」
アルベルトは表面を靴で踏んだ。
細かな凹凸が靴底を捉える。
「これを、どれほど用意できる」
「標準型に換算すれば、約35万9,000枚です」
アルベルトの足が止まった。
「聞き間違いか」
「約35万9,000枚です」
「それほどの石を、どこから」
「西方で回収した岩盤と母岩です。収納内に置いておくより、道として使う方がよいでしょう」
澪は横で黙っていた。
真壁が言うと、まるで倉庫に余っていた板を使う程度の話に聞こえる。
実際には、西方の山の一部を道路の形へ作り替えている。
「どの道へ使うつもりだ」
アルベルトの問いに、真壁は地図を広げた。
「最優先は、領都から南方へ続く幹線街道です。次に、食糧倉庫と市場へ入る道、荷車が沈む泥濘区間、橋の前後、宿場と荷受け場。将来的には、西方へ続く街道にも回せるでしょう」
「南方から食糧を運ぶためか」
「うむ。食糧を買うだけでは足りません。運び込む道が必要です」
「石材の代金は、いくらになる」
「石材については、押入商会の共同事業分として供給します」
アルベルトの眉が寄った。
「無償で渡すということか」
「我々にも利益があります。無償ではなく、侯爵領の物流基盤に対する投資と考えていただきたい」
「だとしても、道を造るには人が要る。人夫の賃金、道具、食事、宿泊。石材以外の費用は小さくない」
「そのための資金も用意しました」
真壁が収納を開いた。
応接室の壁際へ、木箱が13箱並んだ。
金を収めた箱が4つ。
銀を収めた箱が9つ。
「金が120kg、銀が900kgあります」
部屋が静まり返った。
アルベルトは、並んだ箱を見たまま動かなかった。
エーリヒの筆も止まっている。
澪は2人の反応を見て、少しだけ安心した。
やはり、これが普通の反応なのだ。
六畳間で真壁と2人きりで見ていると、自分の感覚の方がおかしいのではないかと思えてくる。
「待て」
アルベルトがようやく口を開いた。
「石材だけでも十分だ。これ以上を押入商会へ負担させるわけにはいかん」
「寄付ではありません」
真壁は金の箱へ手を置いた。
「石材を積み上げただけでは、道にはなりません。路面を均し、路盤を固め、石材を敷き、側溝を掘る者が必要でしょう」
「人夫を雇う資金か」
「うむ」
真壁はアルベルトをまっすぐ見た。
「冬場の農民を出稼ぎとして雇い、その賃金にお使い願いたい」
澪は、その言葉を聞いて真壁を見た。
道路工事を冬に始めるのは、南方からの食糧輸入を急ぐためだけではない。
冬になれば、農作業は減る。
蓄えの少ない家は、収入のないまま春を待たなければならない。
今年は西方の騒ぎもあり、物価も安定していない。
道を造る人が必要で、冬場に仕事を求める人がいる。
真壁は、収納内に余っていた岩と金銀を、その両方へ結びつけようとしていた。
「施しとして配るのではないのだな」
アルベルトが確認した。
「働いた者へ、正当な賃金として支払う。農民は冬を越す金を得て、侯爵領には道が残ります」
「押入商会にも、整備された街道が残る」
「そのとおりです。道が整えば、我々の荷も、今より速く、安く、遠くまで運べる」
真壁は地図上の南方街道を指した。
「南方から運ぶ食糧の損耗も減ります。押入家具や調味料の販路も広げられる。これは侯爵領と押入商会、双方に利益のある事業です」
アルベルトは腕を組んだ。
「しかし、これほどの金銀を一度に市場へ出せば、混乱を招かないか」
「一度に換金する必要はありませんな」
エーリヒが答えた。
筆を置き、金銀の箱へ目を向ける。
「侯爵家が保有する金貨と銀貨を先に賃金として使い、こちらの地金は商業ギルドを通して徐々に換金すればよろしいでしょう。工事の進み具合に合わせて貨幣を出せば、市場へ無理もかかりません」
「農民へ賃金を払うだけで、領内全体に効果があるものか」
「ありますな」
エーリヒは地図上の工事予定地を順に指した。
「労働者が集まる場所には、需要が生まれます。食事、寝床、酒。それに衣服、靴、燃料、道具の修理も必要になるでしょう」
澪の頭の中へ、工事現場の光景が浮かんだ。
道を掘る人。
路盤を固める人。
石板を梃子で動かす人。
温かい食事を売る人。
空いている部屋へ人夫を泊める家。
仕事を終えた者が立ち寄る酒場。
壊れたつるはしを直す鍛冶屋。
吊り枠を作る大工。
農閑期の農民が賃金を受け取る。
その銀貨で食事を買い、宿代を払い、家族への土産を買う。
商人は品を補充するため、農家や職人へ金を払う。
受け取った者は、その金で塩や布、薪を買う。
1枚の銀貨が、領内を巡っていく。
「働いた者へ渡った銀貨は、食事や宿代として別の者へ移ります」
エーリヒが言った。
「商人は仕入れを増やし、農家や職人へ金を払う。金貨や銀貨が出回れば、市場にも活気が戻るでしょう」
アルベルトは黙って聞いている。
「今年は西部の騒ぎで、誰もが財布の紐を締めております。ここで冬の仕事を作り、賃金を市場へ流せば、町も村も息を吹き返します」
「道路を造っている間にも、領内へ利益が落ちるということか」
「はい。完成した道だけが利益ではありません」
エーリヒは穏やかに笑った。
「金が回れば、景気もよくなります。今年は、落ち着いた年越しが迎えられますな」
澪は、壁際に並べられた13箱を見た。
少し前まで、その金と銀は西方の地下に埋まっていた。
真壁が回収し、分離し、精製し、10kgの塊へ変えた。
箱へ入れたままなら、ただの資産でしかない。
けれど、賃金として使えば、人が働ける。
家族へ食べ物を持ち帰れる。
宿屋や酒場、商店にも金が残る。
岩盤は道になり、金銀はその道を造る人たちの冬を支える。
真壁は、収納を減らしたいと言っていた。
最初は、増えすぎた荷物を処分したいだけなのだと思っていた。
けれど、この人は物を捨てない。
不要になった岩盤さえ、同じ形へ揃え、道へ変え、次の商いへつなげる。
金銀も収納へ積んでおくのではなく、人の手へ渡し、領内を巡らせようとする。
乱暴で、桁外れで、説明が足りない。
それでも最後には、誰かの暮らしへ道をつなげてしまう。
澪は小さく息を吐いた。
東都特殊金属試作との取引を突然渡されたことは、まだ許していない。
それとこれとは別である。
けれど、自分もその道の先を任されたのだと思えば、さきほど手渡されたスマートフォンの重さも、少しだけ違って感じられた。