押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第235話 錬金術師の仕事

 

 

 教室の扉へ手をかけたところで、セルマは中から聞こえた声に指を止めた。

 

「力を出す前に、止め方を覚えてもらいます」

 

「止める方が先なのか?」

 

 まだ声変わりもしていない少年が、不満そうに聞き返している。

 

「止められなければ、守りたい相手まで巻き込みますからね」

 

 ヴァルトの声はいつもと変わらない。

 

 怒鳴りもせず、子ども向けにわざと甘くもせず、当然のこととして話していた。

 

 用があるのだから、呼び出しても構わない。

 

 そう思って扉を押しかけたが、セルマは結局、手を離した。

 

「失敗したら?」

 

「やり直します」

 

「何度やってもできなかったら?」

 

「別のやり方を考えましょう」

 

 廊下には長椅子があった。

 

 座る気にはなれず、その横に立って待つ。

 

 弟子を取る。

 

 その話が出た時、セルマが最初に考えたのは工房のことだった。

 

 作業台を増やす。炉を分ける。薬草棚へ札を付ける。初歩の調合から始めて、何年でどこまで教えるか決める。

 

 寝床や食事も必要だとは考えた。

 

 だが、今扉の向こうで行われているのは、そんな話ではなかった。

 

 できなければどうなる。

 

 失敗したら追い出されるのか。

 

 食事はなくならないのか。

 

 子どもたちが知りたがっているのは、錬金術や魔術より前のことだった。

 

「この教室には、あと2人加わる予定だよ」

 

 ヴァルトが、領都の孤児院にいるリオとメルの名を告げた。

 

「後から来るからといって、下になるわけではありません。仲良くな」

 

 それで話は終わったらしい。

 

 椅子の動く音が重なり、ほどなく扉が開いた。

 

 最初に出てきた少年が、廊下にいるセルマを見て足を止める。後ろから来た年下の子どもとぶつかりそうになると、黙って脇へ寄った。

 

 子どもたちは何度も後ろを振り返りながら階段へ向かう。

 

 ヴァルトは最後に教室を見回し、窓を閉めてから出てきた。

 

「お待たせしましたか」

 

「少しね」

 

「呼んでくださればよかったのですが」

 

「今、呼ぶ話じゃなかったもの」

 

 ヴァルトの眉が、ほんの少し上がった。

 

「何よ」

 

「いえ」

 

「言いなさいよ」

 

「セルマさんも、待てるのですね」

 

「喧嘩なら帰るわよ」

 

「まだ御用を聞いていません」

 

 この男は、たまに真壁より腹が立つ。

 

 セルマは階段へ消えていく子どもたちを見送ってから、声を落とした。

 

「西方へ連れていって」

 

「弟子候補を迎えに?」

 

「違うわ」

 

 答えが強くなり、階段の途中にいた少年が振り返った。

 

 セルマは一度息を吐いた。

 

「少なくとも、連れて帰るためには行かない」

 

「では、何をしに行かれるのですか」

 

「それを見に行くのよ」

 

 ヴァルトが黙る。

 

 説明が足りないことくらい、セルマにも分かっていた。

 

「あの時のことは覚えているでしょう」

 

「人工魔石の件ですか」

 

「そうよ」

 

 ヴァルトは、その場にいた。

 

 真壁へ工程を見せろと迫ったことも、自分を外せば困るだろうと言ったことも、全部見ている。

 

 今さら言葉を飾っても仕方がなかった。

 

「私は、みっともなく食い下がった」

 

「否定はしません」

 

「少しは否定しなさいよ」

 

「ご本人が認めた直後に否定するのも、不自然でしょう」

 

 セルマは舌打ちしたくなった。

 

「真壁が私より先に人工魔石を作った。それが悔しかったの」

 

「今は違うのですか」

 

「今も悔しいわよ」

 

 即答すると、ヴァルトが僅かに頷いた。

 

 慰められるよりはましだった。

 

「でも、あのまま工房に籠もって鑑定と収納だけ上げても、また同じことをすると思うの。誰かが先へ行くたびに、自分にも見せろって噛みつくわ」

 

「それで、西方へ?」

 

「巨人も魔力だまりも消えたけれど、向こうの暮らしまで元に戻ったわけじゃないでしょう」

 

「復旧隊は入っています」

 

「兵士や大工が直す物もあれば、薬師や錬金術師が要る物もある。まず、それを見たい」

 

「そこで珍しい素材を見つけた場合は?」

 

「持ち帰らない」

 

「まだ何も見つけていませんよ」

 

「あなたが聞くから答えたのよ」

 

「収納へ入れて確かめることも?」

 

「しない」

 

「少し削る程度なら?」

 

「しないわよ」

 

「熱を加えて反応を見ることも?」

 

「しないって言っているでしょう」

 

 ヴァルトの口元がわずかに動いた。

 

「笑ったわね」

 

「確認が取れて安心しただけです」

 

「真壁みたいなことを言わないで」

 

 セルマは言ってから、口をつぐんだ。

 

 真壁に言われたからやめるのではない。

 

 自分で止まるために行くのだ。

 

「現地へ送ってくれれば、あなたは戻っていいわ」

 

「お1人で?」

 

「復旧隊のいる場所へ下ろして。3日後、同じ場所まで迎えに来て」

 

「通信はできません」

 

「日没前には待っている」

 

「危険があれば、復旧隊と一緒に退避してください」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「あなた、昨日まで私を何だと思っていたのよ」

 

 ヴァルトは答えなかった。

 

 答えないところを見ると、ろくな評価ではなかったらしい。

 

「明日の朝でいい?」

 

「今日は子どもたちから離れられません」

 

「……そう」

 

 セルマは階段へ目を向けた。

 

 先ほどの少年が、年少の子どもを数えながら廊下の角を曲がっていく。

 

「なら、明日でいいわ」

 

「承知しました」

 

 ヴァルトが予想外の返事を聞いたような顔をする。

 

「何よ」

 

「いえ。今すぐでなければ駄目だと言われると思っていました」

 

「まだ何も変わってないわよ」

 

 変わったと言われるほどのことはしていない。

 

 ただ、扉を開けずに待っただけだ。

 

 

 

 

 

 工房へ戻ったセルマは、作業台に空の木箱を置いた。

 

 試薬棚へ手を伸ばし、途中でやめる。

 

 未知の結晶を削る刃も、魔力測定具も必要ない。

 

 応急用のポーション。

 

 空の薬瓶。

 

 秤。

 

 厚手の手袋。

 

 洗浄用の水。

 

 補修に使う金属材。

 

 小型炉。

 

 蓋の締まる隔離容器。

 

 ひとつずつ箱へ入れていく。

 

 最後に札を3枚作った。

 

 再利用。

 

 廃棄。

 

 保留。

 

 セルマは少し考え、「保留」の札を一番上に置いた。

 

 

 

 

 

 翌朝、ヴァルトは約束より早く工房へ来た。

 

「準備は?」

 

「できているわ」

 

 木箱を持ち上げようとすると、ヴァルトが先に収納する。

 

「自分で持てる」

 

「転移の途中で手を離すと困ります」

 

「離さないわよ」

 

「昨日の子どもたちも全員そう言いました」

 

 反論するうちに、箱は消えていた。

 

「行きますよ」

 

 差し出された手を取る。

 

 足元から感覚が抜けた。

 

 身体の置き場所が一瞬なくなり、次に靴底へ返ってきたのは、工房の床ではなく湿った土だった。

 

 煙と泥と、生木の匂いがする。

 

 魔力だまりの気配はない。

 

 空も晴れている。

 

 それでも、村は元へ戻っていなかった。

 

 屋根を失った家の横へ、雨除けの布が張られている。

 

 外れた車輪が壁へ立てかけられ、泥をかぶった農具が道端へ並べられていた。

 

 兵士たちは剣ではなく、縄や鋤を手にしている。

 

 壊れた橋へ板を渡す者。

 

 水路から泥を掻き出す者。

 

 配給用の袋を数える者。

 

 真壁たちが巨人を倒し、魔力だまりを除去し、地下から大量の資源を回収した。

 

 セルマが西方を思い出す時、頭に浮かんでいたのは、人工魔石へ使った結晶や鉱物のことばかりだった。

 

 村には、そんな物を見たこともない人間が残っている。

 

「こちらです」

 

 ヴァルトが復旧隊の責任者へ声をかけた。

 

「領都の錬金術師、セルマさんです。3日間、復旧作業へ加わります」

 

「錬金術師殿が?」

 

 責任者は、セルマの後ろに助手も荷車もないことを確かめるように見た。

 

「何をお願いできますか」

 

 セルマは周囲を見回した。

 

「今、一番止まっているのは何?」

 

「止まっている?」

 

「それが直らないせいで、次の仕事へ進めない物よ」

 

 責任者は少し考え、村の端を指した。

 

「薬房です」

 

 

 

 

 

 薬房は、壁より先に匂いで分かった。

 

 湿った薬草。

 

 黴。

 

 煤。

 

 割れた瓶からこぼれた薬液。

 

 屋根の一部が落ち、床へ泥が入り込んでいる。

 

 棚は傾き、乳鉢は欠け、秤は片方の皿を失っていた。

 

 痩せた老薬師が、割れた瓶を布へ包んでいる。

 

「新しい道具が来るまで、薬は作れません」

 

「いつ来るの?」

 

「早くて10日先でしょう」

 

 復旧隊の責任者が答えた。

 

 セルマは薬房の中へ入った。

 

「その間、薬が要らないわけじゃないでしょう」

 

「ですから、領都から届く分を――」

 

「足りてる?」

 

 責任者は答えなかった。

 

 セルマは手袋をはめた。

 

「まず、中を全部出すわよ」

 

 湿った薬草を布の上へ広げる。

 

 表面が乾いていても、茎へ水気が残っている物がある。葉の裏へ白い黴が出た物もあった。

 

 残せる物と捨てる物を分ける。

 

「これは高価な粉薬です」

 

 薬師が泥の付いた袋を持ち上げた。

 

 札は濡れ、文字が滲んでいる。

 

「中身は?」

 

「おそらく解熱薬かと」

 

「おそらく?」

 

「隣の棚に置いてありましたから」

 

「捨てるわ」

 

 老人の顔が曇った。

 

「まだ使えるかもしれません」

 

「熱のある人間に、何か分からない粉を飲ませるの?」

 

 薬師は袋を見つめ、しばらくして廃棄用の布へ置いた。

 

 割れた薬瓶は、泥と薬液を洗い落とす。

 

 使える破片を収納へ入れ、溶かす。

 

 セルマは最初に1本だけ固形化した。

 

 光へ透かす。

 

 水を入れる。

 

 漏れはない。

 

「蓋を」

 

 薬師が木の蓋を押し込んだが、途中で止まった。

 

「口が狭いですね」

 

「測ったはずなのに」

 

 セルマは瓶を取り返した。

 

 もう一度寸法を測る。

 

 蓋の方が、乾燥して少し歪んでいた。

 

「瓶だけ合わせても駄目ね」

 

 2本目は、使われている蓋を数個測ってから作った。

 

 今度は収まり、逆さにしても水が漏れない。

 

「これなら」

 

「ええ。残りもこの寸法で作るわ」

 

「最初からまとめて作らなかったのですか」

 

「今、1本失敗したでしょう」

 

 薬師が黙った。

 

 セルマも、それ以上は言わなかった。

 

 

 

 

 

 薬炉は、外側の亀裂より内部の方がひどかった。

 

 火を回す溝が崩れ、片側だけが高温になる。

 

「作り直した方が早いわね」

 

 口にした途端、薬師が炉の横に積まれた鍋を見た。

 

「その炉に合わせた道具しかありません」

 

 鍋の足も、蒸し器の枠も、炉の幅に合わせて作られている。

 

 炉だけ新しくすれば、ほかが使えなくなる。

 

 セルマはしゃがみ込み、崩れた箇所をもう一度覗いた。

 

「石工と鍛冶屋を呼んで」

 

「錬金術で直されるのでは?」

 

 復旧隊の責任者が尋ねた。

 

「石を削るのは石工。枠を叩くのは鍛冶屋よ。私は、どこを残すか決める」

 

 呼ばれてきた石工へ、外す石を示す。

 

 鍛冶屋には歪んだ金属枠を渡した。

 

「全部新しくすれば丈夫になるぞ」

 

「今ある鍋が載らなくなるでしょう」

 

「なら鍋も直す」

 

「次に壊れた時は?」

 

 鍛冶屋がセルマを見る。

 

「この村で直せる形にして。私がいないと使えない物にしたくないの」

 

「錬金術師ってのは、もっと何でも1人でやるもんだと思ってた」

 

「私もそう思ってたわ」

 

 言ってから、自分で少し可笑しくなった。

 

 石を削る音と、金属を叩く音が薬房へ響く。

 

 待つ時間は長かった。

 

 それでも、セルマは手を出さなかった。

 

 石工の仕事を奪ってまで早く終わらせても、何も残らない。

 

「それも錬金術なの?」

 

 背後から子どもの声がした。

 

 薬草の籠を抱えた子が、戸口に立っている。

 

「何が?」

 

「瓶を作ったり、壊れた炉を直したりするの」

 

「使えるように戻すなら、そうでしょうね」

 

「薬を作らなくても?」

 

「錬金術師が毎日、薬ばかり煮てると思ってたの?」

 

 子どもは素直に頷いた。

 

「まあ、私も前は似たようなものだと思ってたけど」

 

 子どもが籠から葉を1枚出した。

 

「これは?」

 

「私に聞く前に、どこを見るの」

 

 子どもは困った顔をした。

 

 セルマは葉を返す。

 

「裏」

 

「黒い点がある」

 

「茎」

 

「柔らかい」

 

「匂い」

 

 鼻へ近づけた子どもが顔をしかめる。

 

「変」

 

「なら捨てる」

 

「端だけ切れば?」

 

「薬へ入れたいなら、自分で飲めると思う物だけにしなさい」

 

 子どもはしばらく葉を持っていたが、やがて廃棄用の籠へ入れた。

 

 

 

 

 

 翌日、薬房の床下を片づけていた兵士が、泥の塊を運んできた。

 

「中で何か光っています」

 

 泥を落とすと、黒い石の奥に紫色の筋が見えた。

 

 セルマの指が動いた。

 

 鑑定。

 

 名称は出ない。

 

 組成も不明。

 

 魔力へ反応する可能性だけが表示される。

 

 収納へ入れれば、成分を分けられるかもしれない。

 

 薄く削れば、内部が見える。

 

 少し熱を加えれば――

 

「きれい」

 

 昨日の子どもが手を伸ばした。

 

「触るな」

 

 セルマはその手首をつかんだ。

 

 強くつかみすぎたらしく、子どもが目を見開く。

 

「ごめん。でも触らないで」

 

 道具で石を挟み、隔離容器へ入れる。

 

 蓋を締め、上から蝋を落とした。

 

 札を貼る。

 

 保留。

 

「持ち帰らないのか?」

 

 兵士が尋ねた。

 

「今の私じゃ判断できない」

 

「領都なら調べられるだろう」

 

「持ち運んでいい物かも分からないのよ」

 

 石を見つけた場所を記録し、そのまま復旧隊へ預けた。

 

 容器から手を離す時、指が少し惜しんだ。

 

 調べたい。

 

 正体を知りたい。

 

 真壁より先に見つけたい。

 

 その気持ちは、なくなっていない。

 

 なくならなくても、手を離すことはできた。

 

 

 

 

 

 3日目の朝、修理した薬炉へ火を入れた。

 

「最初は水だけよ」

 

 薬師が鍋へ水を張る。

 

 弱い火から始め、煙の流れと石の温まり方を見る。

 

 石工と鍛冶屋も、戸口で腕を組んでいた。

 

 鍋の底へ小さな泡が浮かぶ。

 

 片側だけが煮立つことはない。

 

 火を少し強くする。

 

 ぱき、と小さな音がした。

 

 全員の動きが止まった。

 

「薪を抜いて」

 

 セルマが炉へしゃがみ込む。

 

 新しい亀裂ではなかった。

 

 接合部の耐熱材が沈み、細かな隙間ができている。

 

「ここを埋め直すわ。今日は薬を作らない」

 

「もう水は沸いていますが」

 

「だから何よ。薬を入れた後に割れたら、全部捨てることになるでしょう」

 

 薬師は鍋を下ろした。

 

 昼までかけて接合部を直し、もう一度水を沸かす。

 

 今度は音がしなかった。

 

 火を落とし、冷めるまで待つ。

 

 夕方になって、ようやく薬師が薬草を量り始めた。

 

 作るのは、傷を洗うための薬だった。

 

 セルマは横から秤と火加減を確認する。

 

 混ぜるのは薬師。

 

 薬を瓶へ移すのも薬師。

 

 出来上がった薬は、作業中に腕を切った兵士へ使われた。

 

 派手な効果はない。

 

 傷口を洗い、清潔な布を巻く。

 

 兵士は礼を言い、また作業へ戻っていった。

 

「また来る?」

 

 薬草を分けていた子どもが聞いた。

 

「来るわよ。直したばかりの炉を放っておいたら、気持ち悪いもの」

 

「その時も見てていい?」

 

「邪魔しなければね」

 

「薬草も?」

 

「それは薬師に聞きなさい。私の薬房じゃないわ」

 

 子どもは老薬師を振り返った。

 

 薬師は少し考え、顎を引いた。

 

 

 

 

 

 日没前、セルマは転移してきた場所へ戻った。

 

 持ち帰るのは、修理した箇所と廃棄品を書いた紙だけだった。

 

 珍しい素材もない。

 

 新しい薬もない。

 

 弟子もいない。

 

 ほどなく足元が揺らぎ、ヴァルトが現れた。

 

「お待たせしました」

 

「時間どおりよ」

 

 ヴァルトはセルマの周りを見た。

 

「お1人ですね」

 

「誰か連れて帰ると思っていたの?」

 

「可能性はあるかと」

 

「私は仕事をしに来たの。弟子へ勧誘しに来たんじゃないわ」

 

「何か得るものはありましたか」

 

「質問が商人みたいになってるわよ」

 

「行商人ですからね」

 

 セルマは紙を押しつけた。

 

「薬房を使えるところまで戻した。未知の石が1つ出たけれど、現地へ置いてきたわ」

 

 ヴァルトが紙から顔を上げる。

 

「持ち帰らなかったのですか」

 

「悪い?」

 

「いいえ」

 

「驚かないのね」

 

「セルマさんが、そうすると決めて来たのでしょう」

 

 その時、村の方から足音がした。

 

「待って!」

 

 薬房にいた子どもが、小さな布包みを持って走ってくる。

 

「これ」

 

 包みの中には、乾かした薬草が数枚入っていた。

 

「今日、自分で分けた。次に来た時、使えるか見て」

 

 セルマは葉を1枚取りかけた。

 

 鑑定すれば、ここですぐ答えられる。

 

 だが、子どもは「次に」と言った。

 

 セルマは包みを閉じた。

 

「分かった。次は一緒に見るわ」

 

 子どもは笑い、薬房へ駆け戻っていった。

 

「名前は?」

 

 ヴァルトが尋ねる。

 

「聞いてない」

 

「弟子候補ではなかったのですか」

 

「だから聞かなかったのよ」

 

 セルマは布包みを持ち直した。

 

「次に会った時に聞くわ」

 

 

 

 

 

 領都へ戻ると、工房には薬品と金属の匂いが残っていた。

 

 3日しか離れていない。

 

 それでも、棚に並ぶ器具の見え方が少し変わっていた。

 

 ヴァルトが、セルマの持つ包みへ目を向ける。

 

「また西方へ行かれるのですね」

 

「炉の様子を見ないといけないでしょう」

 

「それだけですか」

 

「うるさいわね」

 

 セルマは作業台へ包みを置いた。

 

 開いてみると、葉の乾き方はまだ揃っていなかった。

 

 端に湿り気の残る物がある。

 

 傷んだ箇所を取りきれていない葉も混じっている。

 

 セルマは紙を1枚取り出した。

 

 乾燥時間。

 

 葉の裏。

 

 茎の硬さ。

 

 次に確かめることを、簡単に書いて包みの横へ置く。

 

 名前を聞くのは、その時でよかった。

 

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