押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第236話 相乗り

 リュシアの帳場では、いつもの帳簿が机の端へ追いやられていた。

 

 代わりに広げられているのは、王国南部とレヴァニア王国北部を描いた地図である。ゼグルド火山の東側を回り込む街道には、赤い鉛筆で細い線が引かれていた。

 

 地図の周囲には、大麦と豆を入れた小袋、王都から届いた相場表、川船と荷車の運賃を書き込んだ紙が並んでいる。

 

 真壁は、そのうちの1枚を持ち上げた。

 

「これだけの量を、すべて荷車で運ぶのは現実的ではありませんな」

 

「だから困っているんだよ」

 

 リュシアは地図の上に両手を置いた。

 

「火山の東街道を使わなければ国境を越えられない。でも、何百台もの荷車を並べたら、魔物が来る前に道が詰まるね」

 

「収納持ちは使わないのですかな」

 

「使うよ」

 

 答えは早かった。

 

「あの街道へ、穀物を山積みにした荷車を何百台も入れる気はないからね。収納へ入れられるなら、守るのは人だけで済む」

 

 澪が大麦の袋を指先で押した。

 

「収納を持っていれば、誰でもいいんですか?」

 

「駄目だね」

 

 リュシアは即答した。

 

「麦と豆を一緒にする人には頼めない。荷主が違う品を混ぜる人も困る。昨日預かった物と、今日預かった物を分けられない人も駄目だよ」

 

「容量より、荷の管理を優先するわけですな」

 

「誰から何袋預かったか説明できないんじゃ、たくさん入っても意味がないだろう?」

 

 リュシアは紙の余白に書き込みを加えた。

 

「食品を運んだことがあって、荷主ごとに分けられる人。預かった数と出した数を合わせられて、護衛と一緒に長い道を歩けること。前に契約を破っていないかも見ておきたいね」

 

「条件が多いですね」

 

「人の食べ物を預けるんだよ。少ないくらいだね」

 

 真壁は書き加えられた文字を眺めた後、リュシアへ視線を戻した。

 

「ところでリュシア君。君の収納レベルは、その後上がったかい」

 

「5だよ」

 

 澪が顔を上げた。

 

「収納Lv5ですか?」

 

「そんなに意外かい?」

 

「上げているところを見たことがなかったので」

 

「いちいち報告していないからね」

 

 リュシアは鉛筆を置いた。

 

「商人もLv8になっているよ。毎日これだけ荷を扱っていれば、少しは上がるさ」

 

「少し、という上がり方ではありませんな」

 

「最初は空袋からだよ」

 

 リュシアは、机の下に置かれていた麻袋を足先で寄せた。

 

「入れて、出す。次は中身を入れたまま。慣れたら、仕入れ先ごとに分ける。品物ごと、入った日ごと、売る相手が決まっている物と、まだ決まっていない物も別にする」

 

「毎日やっていたのですか」

 

「食品を扱っているんだよ。入れた物が分からなくなる収納なんて、鍵のない倉庫より怖いじゃないか」

 

 味噌の原料と仕込みを終えた樽を分け、醤油に使う大豆も搾り終えた物とは混ぜない。焼酎用の芋は蒸す前と後で置き場を変えた。

 

 牙猪が大量に運び込まれた時には、肉、脂、内臓、骨、皮を、それぞれ別に収めている。

 

「戦って一晩で上げた人たちと一緒にしないでおくれ。こっちは毎日、袋と樽を数えて上げたんだよ」

 

「陰で相当な仕事をしていたのですな」

 

「表でも仕事はしていたよ」

 

 澪が吹き出し、真壁は静かに咳払いをした。

 

「それに比べて、セルマ君は……」

 

「話は聞いているよ」

 

 リュシアが、そこで真壁を遮った。

 

「私は荷を動かすだけでも商人の経験になる。でもセルマは錬金術師だろう?」

 

「左様」

 

「普通に工房で仕事をしているだけでは、必要な時に都合よく上げられないんだろうね。そこを私と一緒にしたら、セルマが気の毒だよ」

 

 真壁は一度、工房のある方角へ目を向けた。

 

「これは失言でしたな」

 

「分かればいいよ」

 

「俺もさ」

 

 帳場の隅から声がした。

 

 荷札を束ねていたトトが、紐を置いて立ち上がる。

 

「俺も、そろそろ見習い卒業したい」

 

 リュシアは地図から目を離した。

 

「仕事の呼び方じゃなくて、ジョブチェンジの話かい?」

 

「うん。商人見習いLv5になった」

 

「いつ確認したんだい?」

 

「教会に荷物を届けた時。司祭様に見てもらった」

 

 トトは胸を張った。

 

「もうジョブを変えられるって」

 

「選べるジョブは全部聞いたのかい?」

 

「商人があった。俺は商人になる」

 

「ほかに何があったかも聞いたんだろうね」

 

「聞いたけど、商人がいいんだよ」

 

「理由は?」

 

 リュシアの問いに、トトはすぐ答えなかった。

 

 机の上の大麦袋を見る。

 

「言われた荷物を運ぶだけじゃなくて、最初から最後までやりたい」

 

「最初から最後まで?」

 

「受け取って、数を見て、収納に入れて、届けて、相手に渡す。それで、ちゃんと渡したって報告するところまで」

 

 トトはリュシアを見た。

 

「リュシア姉ちゃんみたいに、自分で任されたい」

 

 リュシアは、しばらくトトの顔を見ていた。

 

「それなら、商人を選ぶ理由にはなるね」

 

「じゃあ、いいの?」

 

「もう一度、司祭様から選べるジョブの説明を聞きなさい。それでも商人を選ぶなら、私は止めないよ」

 

 トトの顔が明るくなる。

 

「澪姉ちゃんも来てくれる?」

 

「私もですか?」

 

「見ててほしい」

 

 澪は頷いた。

 

「分かりました」

 

 トトは次に真壁を見る。

 

「真壁さんも」

 

「私もですかな」

 

「最初から知ってるだろ」

 

 真壁は、わずかに目を細めた。

 

「節目には立ち会いましょう」

 

「よし」

 

 トトは拳を握った。

 

「商人になったら、南方の荷も運べるかな」

 

「最初の仕事は領都の中だよ」

 

「南方じゃないのか」

 

「ジョブチェンジした次の日に、国境を越える商人がいるものかい」

 

「俺なら行けると思う」

 

「そういうことを言わなくなってからだね」

 

 トトは口を尖らせたが、自分の持ち場へ戻っていった。

 

 荷札を束ね直す手は、先ほどより明らかに速かった。

 

 リュシアは、その背中を見てから地図へ向き直る。

 

「収納持ちを集めるにしても、王都に何人いるか分からないね」

 

「王都商業ギルドですか」

 

「そうだね。川船と荷車の今の運賃も、東街道の護衛費も聞きたい。グスタフさんなら、誰に聞けばいいか知っているだろう」

 

 澪が尋ねた。

 

「グスタフさんに、輸送方法を決めてもらうんですか?」

 

「決めるのは私だよ」

 

 リュシアは質問を書いた紙を重ねた。

 

「グスタフさんには、判断に必要な人を出してもらうのさ」

 

 真壁が椅子から立つ。

 

「では、王都へ参りましょう。現地へ赴く前に、動いている荷と止まっている荷を分けておくべきですな」

 

 

 

 

 

 転移先は、王都侯爵家の離れに設けられた転移室だった。

 

 真壁、澪、リュシアの3人が現れると、待機していた使用人が一礼する。

 

「お帰りなさいませ、真壁様」

 

「王都商業ギルドへ向かいたい。馬車をお借りできますかな」

 

 以前にも同じ頼みを受けた使用人は、理由を尋ねなかった。

 

「ただいま用意いたします」

 

 馬車へ乗ると、リュシアは質問を書いた紙を広げた。

 

 紙は、話を聞く相手ごとに分かれている。

 

 グスタフには、王都の商人がどこまで資金を出せるか。

 

 南方担当には、川船の運航状況と、北部倉庫に残っている穀物の量。

 

 最近戻った隊商主には、火山東街道の魔物と護衛費。

 

 収納運送の担当者には、食品を預けられる者が何人いるか。

 

「用意がよろしいですな」

 

 真壁が向かいの席から紙を見る。

 

「真壁さんと一緒に行くなら、先に聞くことを決めておかないとね」

 

「何か問題でも?」

 

「帰る頃には、別の商売が3つくらい増えているだろう?」

 

 澪は窓の外へ顔を向けた。

 

「澪君。何か言いたそうですな」

 

「否定できないだけです」

 

「心外ですな」

 

「最近だけでも、人工魔石と巨大な機動兵器が増えています」

 

「どちらも必要に迫られた結果ですな」

 

「そういうところですよ」

 

 リュシアは2人を無視して、質問の順番に数字を振った。

 

 

 

 

 

 王都商業ギルドへ到着すると、以前に真壁たちを案内した職員が、受付の向こうで顔を上げた。

 

 真壁とリュシアが並んでいるのを見た職員は、用件を最後まで聞かず、別の職員へ受付を任せて奥へ走った。

 

 ほどなく3人は、グスタフの執務室へ通された。

 

 机の向こうで帳面を読んでいたグスタフは、眼鏡を外して真壁を見た。

 

「今度は、石像を18体も持ち込んではおらんじゃろうな」

 

「本日はリュシア殿の付き添いです」

 

 グスタフの視線が、リュシアへ移る。

 

「その男を付き添いにして、何を始めるつもりじゃ」

 

「始める前に、止まっている荷を聞きに来たんだよ」

 

「聞くだけで帰る顔には見えんがのう」

 

「真壁さんには、まだ何も入れさせないよ」

 

「まだ、か」

 

 澪が小さく笑った。

 

 応接用の机に地図を広げると、リュシアは話を切り出した。

 

「侯爵領で、南方から食糧を継続して仕入れることになったよ」

 

「どれほど買うつもりじゃ」

 

「買える量じゃなくて、運び続けられる量を知りたいんだ」

 

 グスタフは、すぐには返事をしなかった。

 

 指先で白い髭を撫でる。

 

「1度買って終わりではない、と」

 

「1度だけ倉庫を空にしても、次の荷が動かなければ商路にならないだろう?」

 

「なるほどのう」

 

 グスタフは地図へ目を落とした。

 

「それで、何を聞きたい」

 

「火竜がいなくなってから、東街道はどうなっているんだい?」

 

 グスタフは机の上の呼び鈴を鳴らした。

 

「南方担当を呼べ。それと、昨日戻った隊商の頭もじゃ」

 

 入ってきた職員へ指示を出し、椅子へ深く座り直す。

 

「昔からの流れだけなら、わしでも話せる。だが、今の道を知るなら、通ってきた者へ聞く方が早い」

 

 先に呼ばれた南方担当の職員が、数冊の帳面を抱えて入ってきた。

 

 続いて、日に焼けた隊商主が現れる。

 

 隊商主は真壁を何度も見たが、グスタフに促されると地図の前へ座った。

 

 レヴァニア北部で収穫された大麦や豆は、農村から地方倉庫へ集められる。

 

 そこから河港へ運ばれ、川船で北部の集積地へ向かう。

 

 川から降ろした後、火山東街道を越え、王国側へ渡る。

 

「川船は止まっておらんのじゃな?」

 

 グスタフが尋ねる。

 

「運航数は減っていません」

 

 南方担当の職員が帳面を開いた。

 

「ただ、火竜が消えてから、北部集積地を出る荷車は目に見えて減っています」

 

「やはり、東街道か」

 

 隊商主が頷いた。

 

「前は、火竜を恐れて魔物が寄りつかなかった。火山へ近づかなければ、東街道は妙に静かな道だったんです」

 

「今は?」

 

「足跡が増えました。まだ大物は出ていませんが、小型の魔物が荷を狙う。夜営地の飼料袋を破られた隊もあります」

 

 小さな隊商は、単独で出発しなくなった。

 

 護衛が集まるまで、国境近くで待機する。

 

 夜営を避けるため無理に次の宿場まで進み、馬や車輪を傷める者もいる。

 

 護衛費と修理費が上がれば、利益の薄い品から後回しになる。

 

「香辛料や薬なら、まだ運べます」

 

 隊商主は言った。

 

「値が張りますから。ですが、大麦や豆は厳しい。荷車を増やすほど、護衛も増やさなければならない」

 

 南方担当の職員が、別の帳面をリュシアの前へ置く。

 

「北部集積地の倉庫では、穀物の残量が増えています。次の収穫までに空けたいという申し出も届いています」

 

 リュシアは帳面と地図を交互に見た。

 

 河港を出た荷の量と、北部集積地へ入った量には、大きな差がない。

 

 だが、そこから街道へ送り出された荷車の数だけが減っていた。

 

「川は止まっていないね」

 

 リュシアが鉛筆を置いた。

 

「止まっているのは、川から降ろした後だ」

 

「そういうことじゃ」

 

 グスタフが頷いた。

 

「収納を持つ運送人は、どのくらいいるんだい?」

 

 リュシアが尋ねると、グスタフは再び呼び鈴を鳴らした。

 

 今度は、薄い名簿を抱えた職員が入ってくる。

 

「王都ギルドへ登録されている収納持ちはおります。ただ、現在受けている仕事の多くは、薬、高級布、香辛料、魔道具材料などです」

 

「穀物より儲かる物ばかりだね」

 

「はい。穀物の長期輸送へ回すなら、継続契約と報酬保証が必要になります」

 

 職員は名簿を開いた。

 

「収納レベルの高い者から候補を――」

 

「レベルの高い順では駄目だよ」

 

 リュシアが止めた。

 

「誰の麦を何袋預かったか、きちんと言える人を選んでおくれ。届いてから持ち主が分からないんじゃ、商売にならないからね」

 

 グスタフが喉の奥で笑った。

 

「相変わらず、荷より先に帳面を見る娘じゃな」

 

「誰の物か分からなくなった荷は、届いても売れないだろう?」

 

「では、条件を付けて募集をかけましょう」

 

 職員が名簿を閉じた。

 

「個人の収納容量は開示せず、ギルド側で経験と契約履歴を確認します」

 

「それで頼むよ」

 

 リュシアは地図に線を引いた。

 

「レヴァニアの中は、今ある川船を使う。北部集積地で荷を分けて、収納持ちに預けられる分は東街道から荷車を外す。残りは護衛をまとめた荷車隊だね。王国側へ入ったら、また今ある商路へ渡せばいい」

 

「収納持ちに全部を運ばせるのではないのか」

 

「全部背負わせたら、今度は収納持ちの順番待ちになるよ」

 

 国境付近には、荷を受け渡す倉庫も必要になる。

 

 真壁の収納と転移は、最初に滞留している荷を動かすために使う。

 

 通常の商路が動き始めた後まで、真壁1人へ依存させない。

 

 リュシアがそこまで話したところで、グスタフが尋ねた。

 

「それを、そなたの商会だけで行うつもりか」

 

「まずは、できるところから始めるつもりだよ」

 

「できるところだけでは足りん」

 

 リュシアの眉が動いた。

 

「話が大きすぎると言いたいのかい?」

 

「逆じゃ」

 

 グスタフは地図の中央へ指を置いた。

 

「これは最初から、1つの商会で抱えられる大きさではない」

 

 その指が、地図上の河港と倉庫、街道を順にたどる。

 

「川船を持つ者も、倉庫を持つ者も、荷車や収納を使って運ぶ者もおる。そやつら全員に金を出させよ」

 

「皆に?」

 

「わしも一口出そう。王都の連中にも声をかける」

 

 リュシアがグスタフを見る。

 

「グスタフさんまで出すのかい?」

 

「そなたの店だけの商売ではないからのう」

 

 グスタフの指が、地図の上を南から北へ進んだ。

 

「王国の商いじゃ」

 

 大量の食糧が国境を越えれば、リュシアの店だけでは売り切れない。

 

 王都の卸売商、地方の穀物商、倉庫商、運送商、船主、護衛、小売商、加工業者まで関わる。

 

 誰か1人が利益を独占すれば、失敗した時の損も1人で背負うことになる。

 

「王都側の出資者は、わしが集めてやる。ギルドで取りまとめ、人も紹介しよう」

 

 グスタフはリュシアを見た。

 

「だが、誰からいくら集めるか。誰に何を任せるか。利益と損をどう分けるか。その案はそなたが作れ」

 

「私が?」

 

「輸送案を出したのは、そなたじゃろう」

 

「失敗したら?」

 

「損をする」

 

「簡単に言うね」

 

「商人にとって、それ以上に分かりやすい失敗があるか?」

 

 リュシアは真壁を見る。

 

 真壁は地図を眺めたまま、助け船を出さなかった。

 

「リュシア君が決めることですな」

 

「真壁さんまで」

 

「商人の話ですからな」

 

 リュシアは目を閉じ、短く息を吐いた。

 

 再び目を開くと、白紙を1枚取り出す。

 

「引き受けるなら、先に決めておきたいことがあるね」

 

「もう注文を付けるか」

 

「まとめ役にするつもりなら、まとめるための手綱も渡してもらうよ」

 

 最初に書いたのは、出資額だけを理由に仕入れ先を勝手に変えないことだった。

 

「金を出したから、自分の店へ先に寄こせはなしだよ。倉へ隠して値上がりを待つ人がいたら、その人には外れてもらう」

 

「食糧を扱う以上、そこは必要じゃな」

 

「王都だけで食べ尽くすのも困るね。地方へ回す分は最初から分けるよ。途中で荷が駄目になった時、誰がどこまで損を持つかも、荷を出す前に決めておきたい」

 

 南方担当の職員が、書き留めるため紙を寄せた。

 

「品質の基準と、計量方法もそろえた方がよろしいでしょうか」

 

「そうだね。売り手によって1袋の量が違ったら、買う方も売る方も揉めるよ」

 

 リュシアは一度、真壁を見た。

 

「それから、真壁さんの収納量と転移能力は、出資者へ詳しく教えない」

 

「そこまで隠す必要があるのか?」

 

 グスタフが尋ねる。

 

「運べると知ったら、皆が自分の荷も入れろと言い出すだろう?」

 

「違いない」

 

「真壁さんが毎回運んでくれるつもりで勘定するのもなしだね。それじゃ商路じゃなくて、真壁さんの順番待ちだよ」

 

 リュシアが条件を書き加えるたび、グスタフの口元が少しずつ上がっていった。

 

「それでよい」

 

「まだ全部は決めていないよ」

 

「決めるのは、領都へ戻ってからでよい。王都側の出資者は、こちらで候補を出しておく」

 

 リュシアは白紙へ目を落とした。

 

 単なる仕入れの相談だったはずが、王都と地方の商人を束ねる話へ変わっている。

 

 南方担当の職員が追加の帳面を取りに出た。

 

 リュシアも、収納運送担当の職員と募集条件を詰め始める。

 

 その間に、グスタフが真壁へ声を落とした。

 

「あの娘を、どこまで連れていくつもりじゃ」

 

 真壁は、職員へ細かく条件を伝えているリュシアを見た。

 

「私が連れていくのではありません」

 

「ほう」

 

「リュシア君が行きたいところまでです。私は、道を塞ぐ大岩があれば退ける程度でしょうな」

 

「大岩を退ける者が後ろにおれば、随分と遠くまで行ける」

 

「それでも、道を選ぶのは彼女です」

 

 グスタフは、しばらくリュシアを眺めた。

 

「ならば、選べる道を増やしてやろう」

 

 少し離れた席にいた澪は、聞こえなかったふりをして地図へ目を落とした。

 

 

 

 

 

 話がまとまる頃には、窓から入る光が傾いていた。

 

 グスタフが用意させたのは、南方商人への紹介状、火山東街道の報告書、北部集積地の倉庫一覧である。

 

 リュシアは地図の上で、確認する場所を絞り込んだ。

 

「真壁さんと澪には、火山東街道と、この北部集積地を見てきてほしいね」

 

「町を順番に確認する必要はありませんな」

 

「そうだよ。荷が溜まっている場所と、流れが細くなっている場所。それだけ見ておくれ」

 

「転移拠点の候補も探します」

 

 澪が地図に印を付ける。

 

「町から遠すぎず、人目につかない場所ですね」

 

「商談はしないでおくれよ」

 

 リュシアが真壁を見る。

 

「現地の確認に徹しましょう」

 

 真壁は静かに答えた。

 

 リュシアは、なおも見ている。

 

「私が見ています」

 

 澪が請け負った。

 

「澪君まで、私を何だと思っているのですかな」

 

「現地で商売を増やす人です」

 

 グスタフが声を上げて笑った。

 

 真壁は反論せず、収納から細長い木箱を取り出した。

 

「グスタフ殿。良い機会ですので、こちらを」

 

 木箱の蓋を開く。

 

 中には、淡く青みを帯びたガラス瓶が収められていた。

 

 胴の内側を、水面のような模様が流れている。栓まで同じガラスで作られ、光を受けるたびに模様がゆっくり揺れた。

 

 グスタフが身を乗り出す。

 

「ほう。見事な瓶じゃな」

 

「中身も悪くありませんな」

 

「真壁さん!」

 

 リュシアの声が応接室へ響いた。

 

 グスタフの手が止まる。

 

「どうしましたかな」

 

「どうしましたかな、じゃないよ。今、出資と紹介を決めた相手へ、そんな物を渡さないでおくれ!」

 

「グスタフ殿との友情の品ですな」

 

 リュシアの言葉が止まった。

 

「……友情?」

 

「左様。グスタフ殿には、以前より世話になっておりますので」

 

「商会の在庫じゃないんだね」

 

「私が個人的に残しておいた芋焼酎ですな」

 

「瓶は?」

 

「私が作りました」

 

「材料費は商会から?」

 

「出しておりません」

 

 リュシアは真壁と瓶を見比べた。

 

「全部、真壁さん個人の物なのかい?」

 

「左様」

 

 澪が瓶を覗き込む。

 

「個人の物なら、リュシアさんも止められませんね」

 

「止めないよ。本人の物を、本人が友人に渡すんだからね」

 

 リュシアは額へ手を当てた。

 

「でも、出資の話をした直後に出さないでおくれ」

 

「良い話がまとまったので、良い機会かと思いましてな」

 

「それじゃ仕事の礼に見えるだろう!」

 

 グスタフは、今度こそ木箱を受け取った。

 

「友情の品と言われては、軽々しく栓を開けられんな」

 

「酒は飲むためのものですな。瓶だけ残せばよろしい」

 

「ならば、特別な日に開けるとしよう」

 

「それはお任せします」

 

 リュシアは、自分の帳面を開いた。

 

「今日もらった情報と紹介状への礼は、別に通常の焼酎を渡すよ」

 

 グスタフが顔を上げる。

 

「まだ酒をくれるのか」

 

「友情の品と仕事の礼は、別だよ」

 

 真壁が感心したように頷いた。

 

「なるほど。公私を分けるわけですな」

 

「最初から私がそう言っているんだよ!」

 

 澪が堪えきれず笑った。

 

 リュシアに促され、真壁は収納から商会で扱っている通常瓶の焼酎を1本取り出した。

 

 そちらは王都商業ギルドへの正式な謝礼として、職員へ手渡される。

 

 秘蔵焼酎は、真壁個人からグスタフ個人への贈り物として、グスタフの膝の上に残った。

 

 

 

 

 

 帰ろうとする3人へ、グスタフが声をかけた。

 

「火山東街道を見て戻ったら、わしにも聞かせよ。火竜が消えた後を実際に見た商人は、まだ少ない」

 

「情報の交換なら、次は普通のお酒だけだよ」

 

 リュシアが念を押す。

 

 グスタフは、秘蔵焼酎の木箱を抱え直した。

 

「友情が深まれば、また別ではないかのう」

 

「真壁さんをそそのかさないでおくれ!」

 

 真壁は否定しなかった。

 

 澪がまた笑った。

 

 王都侯爵家へ戻る馬車の中で、リュシアは共同出資の条件を書いた紙を開いた。

 

 南方から大麦と豆を買う。

 

 それだけの話ではなくなった。

 

 王都、地方、南方の商人を同じ荷へ乗せ、その取り分と責任を決めなければならない。

 

「帰ったら、まず出資の条件を作るよ」

 

 リュシアが紙を畳む。

 

「南方へ行く前にですか?」

 

「先に決めておかないと、荷が見つかった途端に皆が自分の取り分を言い出すだろう?」

 

「実にリュシア君らしい判断ですな」

 

「真壁さんは、勝手に追加出資しないでおくれよ」

 

「まだ何も申しておりませんが」

 

「先に言っておくのさ」

 

 馬車の窓から、王都の商店が流れていく。

 

 その棚へ、レヴァニアの大麦や豆が並ぶ日は、まだ先だった。

 

 だが、荷を運ぶ前に、人と金を動かす話は始まっていた。

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