リュシアの帳場では、いつもの帳簿が机の端へ追いやられていた。
代わりに広げられているのは、王国南部とレヴァニア王国北部を描いた地図である。ゼグルド火山の東側を回り込む街道には、赤い鉛筆で細い線が引かれていた。
地図の周囲には、大麦と豆を入れた小袋、王都から届いた相場表、川船と荷車の運賃を書き込んだ紙が並んでいる。
真壁は、そのうちの1枚を持ち上げた。
「これだけの量を、すべて荷車で運ぶのは現実的ではありませんな」
「だから困っているんだよ」
リュシアは地図の上に両手を置いた。
「火山の東街道を使わなければ国境を越えられない。でも、何百台もの荷車を並べたら、魔物が来る前に道が詰まるね」
「収納持ちは使わないのですかな」
「使うよ」
答えは早かった。
「あの街道へ、穀物を山積みにした荷車を何百台も入れる気はないからね。収納へ入れられるなら、守るのは人だけで済む」
澪が大麦の袋を指先で押した。
「収納を持っていれば、誰でもいいんですか?」
「駄目だね」
リュシアは即答した。
「麦と豆を一緒にする人には頼めない。荷主が違う品を混ぜる人も困る。昨日預かった物と、今日預かった物を分けられない人も駄目だよ」
「容量より、荷の管理を優先するわけですな」
「誰から何袋預かったか説明できないんじゃ、たくさん入っても意味がないだろう?」
リュシアは紙の余白に書き込みを加えた。
「食品を運んだことがあって、荷主ごとに分けられる人。預かった数と出した数を合わせられて、護衛と一緒に長い道を歩けること。前に契約を破っていないかも見ておきたいね」
「条件が多いですね」
「人の食べ物を預けるんだよ。少ないくらいだね」
真壁は書き加えられた文字を眺めた後、リュシアへ視線を戻した。
「ところでリュシア君。君の収納レベルは、その後上がったかい」
「5だよ」
澪が顔を上げた。
「収納Lv5ですか?」
「そんなに意外かい?」
「上げているところを見たことがなかったので」
「いちいち報告していないからね」
リュシアは鉛筆を置いた。
「商人もLv8になっているよ。毎日これだけ荷を扱っていれば、少しは上がるさ」
「少し、という上がり方ではありませんな」
「最初は空袋からだよ」
リュシアは、机の下に置かれていた麻袋を足先で寄せた。
「入れて、出す。次は中身を入れたまま。慣れたら、仕入れ先ごとに分ける。品物ごと、入った日ごと、売る相手が決まっている物と、まだ決まっていない物も別にする」
「毎日やっていたのですか」
「食品を扱っているんだよ。入れた物が分からなくなる収納なんて、鍵のない倉庫より怖いじゃないか」
味噌の原料と仕込みを終えた樽を分け、醤油に使う大豆も搾り終えた物とは混ぜない。焼酎用の芋は蒸す前と後で置き場を変えた。
牙猪が大量に運び込まれた時には、肉、脂、内臓、骨、皮を、それぞれ別に収めている。
「戦って一晩で上げた人たちと一緒にしないでおくれ。こっちは毎日、袋と樽を数えて上げたんだよ」
「陰で相当な仕事をしていたのですな」
「表でも仕事はしていたよ」
澪が吹き出し、真壁は静かに咳払いをした。
「それに比べて、セルマ君は……」
「話は聞いているよ」
リュシアが、そこで真壁を遮った。
「私は荷を動かすだけでも商人の経験になる。でもセルマは錬金術師だろう?」
「左様」
「普通に工房で仕事をしているだけでは、必要な時に都合よく上げられないんだろうね。そこを私と一緒にしたら、セルマが気の毒だよ」
真壁は一度、工房のある方角へ目を向けた。
「これは失言でしたな」
「分かればいいよ」
「俺もさ」
帳場の隅から声がした。
荷札を束ねていたトトが、紐を置いて立ち上がる。
「俺も、そろそろ見習い卒業したい」
リュシアは地図から目を離した。
「仕事の呼び方じゃなくて、ジョブチェンジの話かい?」
「うん。商人見習いLv5になった」
「いつ確認したんだい?」
「教会に荷物を届けた時。司祭様に見てもらった」
トトは胸を張った。
「もうジョブを変えられるって」
「選べるジョブは全部聞いたのかい?」
「商人があった。俺は商人になる」
「ほかに何があったかも聞いたんだろうね」
「聞いたけど、商人がいいんだよ」
「理由は?」
リュシアの問いに、トトはすぐ答えなかった。
机の上の大麦袋を見る。
「言われた荷物を運ぶだけじゃなくて、最初から最後までやりたい」
「最初から最後まで?」
「受け取って、数を見て、収納に入れて、届けて、相手に渡す。それで、ちゃんと渡したって報告するところまで」
トトはリュシアを見た。
「リュシア姉ちゃんみたいに、自分で任されたい」
リュシアは、しばらくトトの顔を見ていた。
「それなら、商人を選ぶ理由にはなるね」
「じゃあ、いいの?」
「もう一度、司祭様から選べるジョブの説明を聞きなさい。それでも商人を選ぶなら、私は止めないよ」
トトの顔が明るくなる。
「澪姉ちゃんも来てくれる?」
「私もですか?」
「見ててほしい」
澪は頷いた。
「分かりました」
トトは次に真壁を見る。
「真壁さんも」
「私もですかな」
「最初から知ってるだろ」
真壁は、わずかに目を細めた。
「節目には立ち会いましょう」
「よし」
トトは拳を握った。
「商人になったら、南方の荷も運べるかな」
「最初の仕事は領都の中だよ」
「南方じゃないのか」
「ジョブチェンジした次の日に、国境を越える商人がいるものかい」
「俺なら行けると思う」
「そういうことを言わなくなってからだね」
トトは口を尖らせたが、自分の持ち場へ戻っていった。
荷札を束ね直す手は、先ほどより明らかに速かった。
リュシアは、その背中を見てから地図へ向き直る。
「収納持ちを集めるにしても、王都に何人いるか分からないね」
「王都商業ギルドですか」
「そうだね。川船と荷車の今の運賃も、東街道の護衛費も聞きたい。グスタフさんなら、誰に聞けばいいか知っているだろう」
澪が尋ねた。
「グスタフさんに、輸送方法を決めてもらうんですか?」
「決めるのは私だよ」
リュシアは質問を書いた紙を重ねた。
「グスタフさんには、判断に必要な人を出してもらうのさ」
真壁が椅子から立つ。
「では、王都へ参りましょう。現地へ赴く前に、動いている荷と止まっている荷を分けておくべきですな」
転移先は、王都侯爵家の離れに設けられた転移室だった。
真壁、澪、リュシアの3人が現れると、待機していた使用人が一礼する。
「お帰りなさいませ、真壁様」
「王都商業ギルドへ向かいたい。馬車をお借りできますかな」
以前にも同じ頼みを受けた使用人は、理由を尋ねなかった。
「ただいま用意いたします」
馬車へ乗ると、リュシアは質問を書いた紙を広げた。
紙は、話を聞く相手ごとに分かれている。
グスタフには、王都の商人がどこまで資金を出せるか。
南方担当には、川船の運航状況と、北部倉庫に残っている穀物の量。
最近戻った隊商主には、火山東街道の魔物と護衛費。
収納運送の担当者には、食品を預けられる者が何人いるか。
「用意がよろしいですな」
真壁が向かいの席から紙を見る。
「真壁さんと一緒に行くなら、先に聞くことを決めておかないとね」
「何か問題でも?」
「帰る頃には、別の商売が3つくらい増えているだろう?」
澪は窓の外へ顔を向けた。
「澪君。何か言いたそうですな」
「否定できないだけです」
「心外ですな」
「最近だけでも、人工魔石と巨大な機動兵器が増えています」
「どちらも必要に迫られた結果ですな」
「そういうところですよ」
リュシアは2人を無視して、質問の順番に数字を振った。
王都商業ギルドへ到着すると、以前に真壁たちを案内した職員が、受付の向こうで顔を上げた。
真壁とリュシアが並んでいるのを見た職員は、用件を最後まで聞かず、別の職員へ受付を任せて奥へ走った。
ほどなく3人は、グスタフの執務室へ通された。
机の向こうで帳面を読んでいたグスタフは、眼鏡を外して真壁を見た。
「今度は、石像を18体も持ち込んではおらんじゃろうな」
「本日はリュシア殿の付き添いです」
グスタフの視線が、リュシアへ移る。
「その男を付き添いにして、何を始めるつもりじゃ」
「始める前に、止まっている荷を聞きに来たんだよ」
「聞くだけで帰る顔には見えんがのう」
「真壁さんには、まだ何も入れさせないよ」
「まだ、か」
澪が小さく笑った。
応接用の机に地図を広げると、リュシアは話を切り出した。
「侯爵領で、南方から食糧を継続して仕入れることになったよ」
「どれほど買うつもりじゃ」
「買える量じゃなくて、運び続けられる量を知りたいんだ」
グスタフは、すぐには返事をしなかった。
指先で白い髭を撫でる。
「1度買って終わりではない、と」
「1度だけ倉庫を空にしても、次の荷が動かなければ商路にならないだろう?」
「なるほどのう」
グスタフは地図へ目を落とした。
「それで、何を聞きたい」
「火竜がいなくなってから、東街道はどうなっているんだい?」
グスタフは机の上の呼び鈴を鳴らした。
「南方担当を呼べ。それと、昨日戻った隊商の頭もじゃ」
入ってきた職員へ指示を出し、椅子へ深く座り直す。
「昔からの流れだけなら、わしでも話せる。だが、今の道を知るなら、通ってきた者へ聞く方が早い」
先に呼ばれた南方担当の職員が、数冊の帳面を抱えて入ってきた。
続いて、日に焼けた隊商主が現れる。
隊商主は真壁を何度も見たが、グスタフに促されると地図の前へ座った。
レヴァニア北部で収穫された大麦や豆は、農村から地方倉庫へ集められる。
そこから河港へ運ばれ、川船で北部の集積地へ向かう。
川から降ろした後、火山東街道を越え、王国側へ渡る。
「川船は止まっておらんのじゃな?」
グスタフが尋ねる。
「運航数は減っていません」
南方担当の職員が帳面を開いた。
「ただ、火竜が消えてから、北部集積地を出る荷車は目に見えて減っています」
「やはり、東街道か」
隊商主が頷いた。
「前は、火竜を恐れて魔物が寄りつかなかった。火山へ近づかなければ、東街道は妙に静かな道だったんです」
「今は?」
「足跡が増えました。まだ大物は出ていませんが、小型の魔物が荷を狙う。夜営地の飼料袋を破られた隊もあります」
小さな隊商は、単独で出発しなくなった。
護衛が集まるまで、国境近くで待機する。
夜営を避けるため無理に次の宿場まで進み、馬や車輪を傷める者もいる。
護衛費と修理費が上がれば、利益の薄い品から後回しになる。
「香辛料や薬なら、まだ運べます」
隊商主は言った。
「値が張りますから。ですが、大麦や豆は厳しい。荷車を増やすほど、護衛も増やさなければならない」
南方担当の職員が、別の帳面をリュシアの前へ置く。
「北部集積地の倉庫では、穀物の残量が増えています。次の収穫までに空けたいという申し出も届いています」
リュシアは帳面と地図を交互に見た。
河港を出た荷の量と、北部集積地へ入った量には、大きな差がない。
だが、そこから街道へ送り出された荷車の数だけが減っていた。
「川は止まっていないね」
リュシアが鉛筆を置いた。
「止まっているのは、川から降ろした後だ」
「そういうことじゃ」
グスタフが頷いた。
「収納を持つ運送人は、どのくらいいるんだい?」
リュシアが尋ねると、グスタフは再び呼び鈴を鳴らした。
今度は、薄い名簿を抱えた職員が入ってくる。
「王都ギルドへ登録されている収納持ちはおります。ただ、現在受けている仕事の多くは、薬、高級布、香辛料、魔道具材料などです」
「穀物より儲かる物ばかりだね」
「はい。穀物の長期輸送へ回すなら、継続契約と報酬保証が必要になります」
職員は名簿を開いた。
「収納レベルの高い者から候補を――」
「レベルの高い順では駄目だよ」
リュシアが止めた。
「誰の麦を何袋預かったか、きちんと言える人を選んでおくれ。届いてから持ち主が分からないんじゃ、商売にならないからね」
グスタフが喉の奥で笑った。
「相変わらず、荷より先に帳面を見る娘じゃな」
「誰の物か分からなくなった荷は、届いても売れないだろう?」
「では、条件を付けて募集をかけましょう」
職員が名簿を閉じた。
「個人の収納容量は開示せず、ギルド側で経験と契約履歴を確認します」
「それで頼むよ」
リュシアは地図に線を引いた。
「レヴァニアの中は、今ある川船を使う。北部集積地で荷を分けて、収納持ちに預けられる分は東街道から荷車を外す。残りは護衛をまとめた荷車隊だね。王国側へ入ったら、また今ある商路へ渡せばいい」
「収納持ちに全部を運ばせるのではないのか」
「全部背負わせたら、今度は収納持ちの順番待ちになるよ」
国境付近には、荷を受け渡す倉庫も必要になる。
真壁の収納と転移は、最初に滞留している荷を動かすために使う。
通常の商路が動き始めた後まで、真壁1人へ依存させない。
リュシアがそこまで話したところで、グスタフが尋ねた。
「それを、そなたの商会だけで行うつもりか」
「まずは、できるところから始めるつもりだよ」
「できるところだけでは足りん」
リュシアの眉が動いた。
「話が大きすぎると言いたいのかい?」
「逆じゃ」
グスタフは地図の中央へ指を置いた。
「これは最初から、1つの商会で抱えられる大きさではない」
その指が、地図上の河港と倉庫、街道を順にたどる。
「川船を持つ者も、倉庫を持つ者も、荷車や収納を使って運ぶ者もおる。そやつら全員に金を出させよ」
「皆に?」
「わしも一口出そう。王都の連中にも声をかける」
リュシアがグスタフを見る。
「グスタフさんまで出すのかい?」
「そなたの店だけの商売ではないからのう」
グスタフの指が、地図の上を南から北へ進んだ。
「王国の商いじゃ」
大量の食糧が国境を越えれば、リュシアの店だけでは売り切れない。
王都の卸売商、地方の穀物商、倉庫商、運送商、船主、護衛、小売商、加工業者まで関わる。
誰か1人が利益を独占すれば、失敗した時の損も1人で背負うことになる。
「王都側の出資者は、わしが集めてやる。ギルドで取りまとめ、人も紹介しよう」
グスタフはリュシアを見た。
「だが、誰からいくら集めるか。誰に何を任せるか。利益と損をどう分けるか。その案はそなたが作れ」
「私が?」
「輸送案を出したのは、そなたじゃろう」
「失敗したら?」
「損をする」
「簡単に言うね」
「商人にとって、それ以上に分かりやすい失敗があるか?」
リュシアは真壁を見る。
真壁は地図を眺めたまま、助け船を出さなかった。
「リュシア君が決めることですな」
「真壁さんまで」
「商人の話ですからな」
リュシアは目を閉じ、短く息を吐いた。
再び目を開くと、白紙を1枚取り出す。
「引き受けるなら、先に決めておきたいことがあるね」
「もう注文を付けるか」
「まとめ役にするつもりなら、まとめるための手綱も渡してもらうよ」
最初に書いたのは、出資額だけを理由に仕入れ先を勝手に変えないことだった。
「金を出したから、自分の店へ先に寄こせはなしだよ。倉へ隠して値上がりを待つ人がいたら、その人には外れてもらう」
「食糧を扱う以上、そこは必要じゃな」
「王都だけで食べ尽くすのも困るね。地方へ回す分は最初から分けるよ。途中で荷が駄目になった時、誰がどこまで損を持つかも、荷を出す前に決めておきたい」
南方担当の職員が、書き留めるため紙を寄せた。
「品質の基準と、計量方法もそろえた方がよろしいでしょうか」
「そうだね。売り手によって1袋の量が違ったら、買う方も売る方も揉めるよ」
リュシアは一度、真壁を見た。
「それから、真壁さんの収納量と転移能力は、出資者へ詳しく教えない」
「そこまで隠す必要があるのか?」
グスタフが尋ねる。
「運べると知ったら、皆が自分の荷も入れろと言い出すだろう?」
「違いない」
「真壁さんが毎回運んでくれるつもりで勘定するのもなしだね。それじゃ商路じゃなくて、真壁さんの順番待ちだよ」
リュシアが条件を書き加えるたび、グスタフの口元が少しずつ上がっていった。
「それでよい」
「まだ全部は決めていないよ」
「決めるのは、領都へ戻ってからでよい。王都側の出資者は、こちらで候補を出しておく」
リュシアは白紙へ目を落とした。
単なる仕入れの相談だったはずが、王都と地方の商人を束ねる話へ変わっている。
南方担当の職員が追加の帳面を取りに出た。
リュシアも、収納運送担当の職員と募集条件を詰め始める。
その間に、グスタフが真壁へ声を落とした。
「あの娘を、どこまで連れていくつもりじゃ」
真壁は、職員へ細かく条件を伝えているリュシアを見た。
「私が連れていくのではありません」
「ほう」
「リュシア君が行きたいところまでです。私は、道を塞ぐ大岩があれば退ける程度でしょうな」
「大岩を退ける者が後ろにおれば、随分と遠くまで行ける」
「それでも、道を選ぶのは彼女です」
グスタフは、しばらくリュシアを眺めた。
「ならば、選べる道を増やしてやろう」
少し離れた席にいた澪は、聞こえなかったふりをして地図へ目を落とした。
話がまとまる頃には、窓から入る光が傾いていた。
グスタフが用意させたのは、南方商人への紹介状、火山東街道の報告書、北部集積地の倉庫一覧である。
リュシアは地図の上で、確認する場所を絞り込んだ。
「真壁さんと澪には、火山東街道と、この北部集積地を見てきてほしいね」
「町を順番に確認する必要はありませんな」
「そうだよ。荷が溜まっている場所と、流れが細くなっている場所。それだけ見ておくれ」
「転移拠点の候補も探します」
澪が地図に印を付ける。
「町から遠すぎず、人目につかない場所ですね」
「商談はしないでおくれよ」
リュシアが真壁を見る。
「現地の確認に徹しましょう」
真壁は静かに答えた。
リュシアは、なおも見ている。
「私が見ています」
澪が請け負った。
「澪君まで、私を何だと思っているのですかな」
「現地で商売を増やす人です」
グスタフが声を上げて笑った。
真壁は反論せず、収納から細長い木箱を取り出した。
「グスタフ殿。良い機会ですので、こちらを」
木箱の蓋を開く。
中には、淡く青みを帯びたガラス瓶が収められていた。
胴の内側を、水面のような模様が流れている。栓まで同じガラスで作られ、光を受けるたびに模様がゆっくり揺れた。
グスタフが身を乗り出す。
「ほう。見事な瓶じゃな」
「中身も悪くありませんな」
「真壁さん!」
リュシアの声が応接室へ響いた。
グスタフの手が止まる。
「どうしましたかな」
「どうしましたかな、じゃないよ。今、出資と紹介を決めた相手へ、そんな物を渡さないでおくれ!」
「グスタフ殿との友情の品ですな」
リュシアの言葉が止まった。
「……友情?」
「左様。グスタフ殿には、以前より世話になっておりますので」
「商会の在庫じゃないんだね」
「私が個人的に残しておいた芋焼酎ですな」
「瓶は?」
「私が作りました」
「材料費は商会から?」
「出しておりません」
リュシアは真壁と瓶を見比べた。
「全部、真壁さん個人の物なのかい?」
「左様」
澪が瓶を覗き込む。
「個人の物なら、リュシアさんも止められませんね」
「止めないよ。本人の物を、本人が友人に渡すんだからね」
リュシアは額へ手を当てた。
「でも、出資の話をした直後に出さないでおくれ」
「良い話がまとまったので、良い機会かと思いましてな」
「それじゃ仕事の礼に見えるだろう!」
グスタフは、今度こそ木箱を受け取った。
「友情の品と言われては、軽々しく栓を開けられんな」
「酒は飲むためのものですな。瓶だけ残せばよろしい」
「ならば、特別な日に開けるとしよう」
「それはお任せします」
リュシアは、自分の帳面を開いた。
「今日もらった情報と紹介状への礼は、別に通常の焼酎を渡すよ」
グスタフが顔を上げる。
「まだ酒をくれるのか」
「友情の品と仕事の礼は、別だよ」
真壁が感心したように頷いた。
「なるほど。公私を分けるわけですな」
「最初から私がそう言っているんだよ!」
澪が堪えきれず笑った。
リュシアに促され、真壁は収納から商会で扱っている通常瓶の焼酎を1本取り出した。
そちらは王都商業ギルドへの正式な謝礼として、職員へ手渡される。
秘蔵焼酎は、真壁個人からグスタフ個人への贈り物として、グスタフの膝の上に残った。
帰ろうとする3人へ、グスタフが声をかけた。
「火山東街道を見て戻ったら、わしにも聞かせよ。火竜が消えた後を実際に見た商人は、まだ少ない」
「情報の交換なら、次は普通のお酒だけだよ」
リュシアが念を押す。
グスタフは、秘蔵焼酎の木箱を抱え直した。
「友情が深まれば、また別ではないかのう」
「真壁さんをそそのかさないでおくれ!」
真壁は否定しなかった。
澪がまた笑った。
王都侯爵家へ戻る馬車の中で、リュシアは共同出資の条件を書いた紙を開いた。
南方から大麦と豆を買う。
それだけの話ではなくなった。
王都、地方、南方の商人を同じ荷へ乗せ、その取り分と責任を決めなければならない。
「帰ったら、まず出資の条件を作るよ」
リュシアが紙を畳む。
「南方へ行く前にですか?」
「先に決めておかないと、荷が見つかった途端に皆が自分の取り分を言い出すだろう?」
「実にリュシア君らしい判断ですな」
「真壁さんは、勝手に追加出資しないでおくれよ」
「まだ何も申しておりませんが」
「先に言っておくのさ」
馬車の窓から、王都の商店が流れていく。
その棚へ、レヴァニアの大麦や豆が並ぶ日は、まだ先だった。
だが、荷を運ぶ前に、人と金を動かす話は始まっていた。