押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第238話 重さを変える者たち

 

 放課後を告げるヴァルトの声が響くと、教室の空気が一斉にほどけた。

 

「今日は串焼き、残ってるかな」

 

「先に地下へ行こうぜ。揚げ芋がなくなるぞ」

 

 王都から来た20人に、領都の孤児院から加わったリオとメル。22人の声が重なり、石板を棚へ戻す音まで騒がしくなる。

 

 その中から、澪を見つけたメルが駆けてきた。

 

「澪せんせ〜!」

 

「走ったら危ないですよ」

 

 注意しながらも、澪は飛び込んできたメルを両腕で受け止めた。

 

「先生、今日は一緒に食べるの?」

 

「後で地下へ行きます。先に皆さんで食べていてください」

 

「やった!」

 

 メルが澪へ抱きついたまま笑う。

 

 そこへリオも石板を抱えてやってきた。

 

「澪先生、今日の計算、全部できた」

 

「そうですか。頑張りましたね」

 

「ヴァルト先生にも丸をもらった」

 

「きちんと復習した成果ですね。偉いですよ」

 

 澪は落ち着いた声で褒めた。

 

 落ち着いていなかったのは、その顔である。

 

 顎がほんの少し上がり、目尻は緩み、引き締めようとした口元がまったく引き締まっていない。

 

 リュシアが、その横顔を見た。

 

「ああ」

 

「何ですか」

 

「澪は、その顔になるんだね」

 

「どの顔ですか」

 

「先生と呼ばれて、すっかり満たされている顔だよ」

 

「満たされていません」

 

 澪は即答したが、メルの頭を撫でる手は止まらなかった。

 

 真壁も澪を眺める。

 

「なるほど。自己承認欲求が十分に満たされた者の表情か」

 

「分析しないでください!」

 

「鑑定は使っておらん」

 

「見ただけで分かるんですか!」

 

「分かりやすいからね」

 

 リュシアが頷いた。

 

「いつもの顔だよ」

 

 ヴァルトは驚きもせず、残った石板を棚へ戻している。

 

 澪が振り返った。

 

「ヴァルトさん?」

 

「子どもたちが問題を解けた時や、先生と呼んだ時は、だいたいその顔になるね」

 

「毎回ではありません!」

 

「毎回だとも」

 

「先生、また教えてね」

 

 メルが澪を見上げた。

 

「はい。分からないところがあれば、いつでも聞いてください」

 

 返事が妙に早かった。

 

 リュシアが真壁を見る。

 

「嬉しいんだね」

 

「嬉しいのだろうな」

 

「2人とも、聞こえていますよ!」

 

 リオとメルが笑いながら、他の子どもたちの後を追う。

 

 澪は教室を出るまで2人を見送り、それから何事もなかったように真壁たちへ向き直った。

 

 ただし、口元にはまだ名残が残っていた。

 

「澪君」

 

「何ですか」

 

「よい顔だった」

 

「実験を始めてください!」

 

 ラウを除いた21人が夕食の相談をしながら地下1階へ向かい、廊下の向こうへ消えていく。

 

 ラウだけは、自分の席に座ったままだった。

 

 石板はとっくに棚へ戻してある。両手を膝へ置き、教室の後ろに立つ真壁たちをじっと見ていた。

 

「ラウ君」

 

 ヴァルトが呼ぶ。

 

「分かってる。勝手には始めない」

 

「それなら結構」

 

「だから早く始めようぜ」

 

「分かっていないようだね」

 

 ヴァルトが教室の戸を閉める。

 

 残ったのは、ラウ、真壁、ヴァルト、澪、リュシアの5人だった。

 

 真壁は教室の中央へ目を向けた。

 

「少々狭いな」

 

「机を動かしましょうか」

 

 澪が袖をまくるより早く、中央に並んでいた机と椅子が消えた。

 

 真壁がまとめて収納へ入れたのだ。

 

「これでよい」

 

「早いね」

 

 リュシアは感心しかけたが、すぐに真壁の右手を見た。

 

 その手は、次の物を取り出そうとしている者の構えだった。

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「今日は相談だけだったよね?」

 

「実験を行うことになった」

 

「昼間に決まったばかりだよ」

 

「左様」

 

「その割に、ずいぶん準備のよい顔をしているね」

 

 真壁は答えず、収納から大型の天秤を出した。

 

 続いて荷重を測る秤。

 

 鉄球と木球。

 

 砂袋。

 

 記録用紙。

 

 最後に、同じ大きさへ切りそろえられた鉄塊が床へ並ぶ。

 

 澪が指で数えた。

 

「1、2、3、4、5」

 

 澪は鉄塊から顔を上げ、教室に残った者を順番に見た。

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「どうして鉄塊が、ちょうど5個あるんですか?」

 

「比較する者が5人だからだ」

 

「今日のために用意したんじゃないですか」

 

「資源分離用の鉄を、同じ重量へ切り分けただけだ」

 

 リュシアが両手を腰へ当てた。

 

「それを用意したと言うんだよ!」

 

「新造した物ではない」

 

「言葉の隙間へ逃げ込まないでおくれ!」

 

 真壁は鉄塊を天秤の横へ並べた。

 

 どれも同じ形、同じ大きさで、表面まできれいにそろっている。

 

 澪が1つを指でなぞった。

 

「これ、本当に今日作ったんじゃないんですか?」

 

「帳場からここへ来る間に切り分けた」

 

「歩いている間に作っていますよね?」

 

「移動時間は有効に使うべきだ」

 

「歩きながら鉄を切らないでください」

 

「収納内だ」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 ラウが笑いながら鉄塊へ手を伸ばした。

 

 その手を、ヴァルトの杖が軽く押し戻す。

 

「まだ触れてはならないよ」

 

「触るだけだぞ」

 

「君の場合、触るだけでは終わらない」

 

「俺を信用してないのか?」

 

「それについても、先に話がある」

 

 真壁がラウへ向き直った。

 

「ラウ君。こちらへ来たまえ」

 

 真壁の声から、先ほどまでの軽いやり取りが消えていた。

 

 ラウもそれに気づき、鉄塊から離れる。

 

「何だよ」

 

「君の力についてだ」

 

 真壁はラウへ鑑定を向けた。

 

「西方へ向かう前、私はヴァルト君とともに君を鑑定した」

 

「俺を?」

 

「左様」

 

 真壁は表示を確かめ、そこに出ている言葉を読み上げた。

 

【特殊スキル】

 

【重力 芽あり】

 

 ラウは聞き慣れない言葉を口の中で繰り返した。

 

「重力……」

 

「西方へ向かう前には、すでにこの芽が出ていた」

 

 ヴァルトが静かに補う。

 

「ただし、芽があるだけで、まだスキルとして使える状態ではなかった」

 

 ラウが真壁を見上げる。

 

「前から知ってたのか?」

 

「知っていた」

 

「何で教えてくれなかったんだよ」

 

「あの時は、戦場へ向かう直前だった」

 

「だからって」

 

「伝えれば、君はその場で試しただろう」

 

「試さないよ」

 

「試しただろうね」

 

 リュシアが即答した。

 

「真壁さんたちに隠れて、こっそり試したと思います」

 

 澪も迷わなかった。

 

 ラウが2人を振り返る。

 

「俺を何だと思ってるんだよ」

 

「新しい力があると知って、帰るまで一度も使わずにいられる子どもではないと思っているよ」

 

 ヴァルトが答えた。

 

「ヴァルトまで」

 

「反論できるかね?」

 

「できる」

 

 ラウは胸を張った。

 

「どんなふうにだい?」

 

 リュシアが尋ねる。

 

「ちょっとだけ試す」

 

「試すんじゃないか!」

 

 ラウは口を閉じた。

 

 真壁が小さく息を吐く。

 

「ゆえに、あの場では『帰ってからだ』と保留した。未確認の力を戦場で試させるわけにはいかん」

 

「俺が信用できなかったからじゃないのか?」

 

「信用の問題ではない。危険な場所で未知の力を渡さぬのは、連れてきた大人の責任だ」

 

 ラウは少し俯いた。

 

 不満がすべて消えたわけではない。それでも、真壁の説明には納得したらしい。

 

「今なら使えるのか?」

 

「君が望むならな」

 

 真壁はラウの残りSPを確認した。

 

「芽を正式なスキルへ変えるには、SPを1使う必要がある」

 

「俺、自分じゃ見えないぞ」

 

「君は鑑定を持っていない。私が内容を確認し、君の同意を得た上で割り振る」

 

 真壁はそこで言葉を切った。

 

「ただし、飛行船のために取得せよとは言わん」

 

 ラウが顔を上げる。

 

「空を飛ぶ話とは別なのか?」

 

「別だ。これは君のSPであり、君の力だ。使うか否かは、君が決めたまえ」

 

「今は見送っても構わないよ」

 

 ヴァルトも続ける。

 

「取得してみれば、君が考えていた力とは違う可能性もある」

 

「真壁さんに期待されているから、という理由で決めなくていいんですよ」

 

 澪が言った。

 

「昨日まで重力なしで生きてきたんだ。今日取らなくても困りはしないよ」

 

 リュシアも急かさなかった。

 

 4人が黙る。

 

 ラウは自分の両手を見つめた。

 

 指を開き、握り、また開く。

 

「俺、自分が何をできるのか知りたい」

 

 やがて顔を上げた。

 

「空を飛ぶ船も見たい。でも、その前に、この力が何なのか知りたい」

 

 真壁が確認する。

 

「重力を取得するのだな?」

 

「うん。俺が決めた」

 

「承知した」

 

 ラウの同意を受け、真壁がSPを1割り振る。

 

【重力 Lv1】

 

 表示が切り替わった。

 

 だが、ラウが光ることはなかった。

 

 床も揺れない。

 

 風も起こらない。

 

 ラウは手を握ったり開いたりした。

 

「……何も変わらない」

 

 リュシアが天井を見る。

 

「いきなり浮かなくてよかったよ」

 

「少しくらい浮いてもよかったのに」

 

「天井を壊すので駄目です」

 

 澪が即座に止める。

 

「浮く力とは限らん」

 

 真壁が口を挟んだ。

 

「真壁さんまで期待させないでおくれ」

 

「可能性を否定しなかっただけだ」

 

「子どもの前では、それを期待させると言うんだよ」

 

 

 

 

 

 ヴァルトが天秤の両側へ、同じ鉄塊を1つずつ載せた。

 

 左右の皿が釣り合う。

 

「まずは使用前の状態を確認しよう」

 

 真壁、ヴァルト、澪、リュシアが同時に鑑定を使う。

 

 材質は鉄。

 

 重量は10kg相当。

 

 大きさと形状に変化なし。

 

 魔力反応もない。

 

 リュシアが鑑定表示を見ながら尋ねる。

 

「どうして私まで鑑定しているんだい」

 

「止めるには、何が起きているか知る必要があります」

 

 澪が答える。

 

「そうだね」

 

「もう立派な実験参加者ですね」

 

「私は監視役だよ」

 

 真壁がラウへ片側の鉄塊を示した。

 

「触れて、軽くしてみたまえ」

 

「どうやって?」

 

「それを確かめるための実験だ」

 

「分からないのにやらせるのかよ」

 

「私が知っているなら、君へ頼む必要はあるまい」

 

「それもそうか」

 

 ラウは天秤の前へしゃがみ、鉄塊へ右手を置いた。

 

「軽くなれ」

 

 何も起きない。

 

「軽くなれ!」

 

 少し大きな声で言う。

 

 やはり天秤は動かなかった。

 

 ラウが鉄塊を睨む。

 

「聞こえてないのか?」

 

「鉄へ大声を出しても変わらん」

 

「じゃあ、どうするんだよ」

 

 ラウは腕へ力を込め、鉄塊を持ち上げようとした。

 

 真壁が止める。

 

「腕で持ち上げる必要はない」

 

「軽くするんだろ?」

 

「腕力で軽く見せても、実験にはならん」

 

 ヴァルトがラウの横へ膝をつく。

 

「鉄を上へ押し上げようとせず、下へ引かれている感覚を探し給え」

 

「下へ?」

 

「君の手も、鉄も、床へ引かれている。その働きへ意識を向けるのだ」

 

 ラウは首を傾げた。

 

 それでも、もう一度鉄塊へ手を置く。

 

 今度は腕へ力を入れなかった。

 

 手の下にある重さ。

 

 鉄が皿を押し、皿が天秤を押し、そのすべてが床へ向かっている感覚。

 

 ラウの眉間に皺が寄る。

 

 天秤の皿が、ごくわずかに揺れた。

 

「あっ」

 

「そのままだ」

 

 真壁の声が低くなる。

 

「力まず、その感覚を維持したまえ」

 

 ラウが鉄塊を見つめる。

 

 天秤が、ゆっくり傾き始めた。

 

 ラウが触れている側の皿が上がり、反対側が下がる。

 

 澪が秤の目盛りを読む。

 

「10kg相当から、8kg……7kg相当です」

 

「本当に軽くなったのか?」

 

 ラウが手を離しかける。

 

「まだ離さないでください」

 

 澪が止めた。

 

「記録中です」

 

 リュシアが鉄塊を横から覗き込む。

 

「形は変わっていないね。小さくもなっていない」

 

 ヴァルトは魔力の動きを追っていた。

 

「魔力は入った。だが、上へ押し続けている流れではないようだ」

 

 真壁がリュシアを見る。

 

「リュシア君。持ってみていただきたい」

 

「どうして私なんだい」

 

「変化を確かめるには、使用前の重さを知る者がよい」

 

「真壁さんも知っているだろう?」

 

「私は記録を取っている」

 

「便利な言葉だね、記録というのは」

 

 リュシアは疑わしそうな顔のまま、両手で鉄塊を持とうとした。

 

 10kgを持ち上げるつもりで腰を落とす。

 

 だが、鉄塊は予想よりも軽かった。

 

「わっ」

 

 勢い余って上体が後ろへ傾く。

 

 澪が背中を支えた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「軽くなっているなら、先に言っておくれ!」

 

「7kg相当と伝えたはずだ」

 

「数字で聞くのと、実際に持つのは違うんだよ!」

 

 リュシアは鉄塊を皿へ戻し、真壁を睨んだ。

 

「次は自分で持ちな」

 

「承知した」

 

「どうして今は素直なんだい」

 

「比較対象は多い方がよい」

 

「やっぱり私を参加者へ数えているじゃないか!」

 

 ラウが笑った拍子に、鉄塊から手を離した。

 

「あ」

 

 全員の視線が天秤へ集まる。

 

 だが、皿はすぐには戻らなかった。

 

 軽くなった状態を保ったまま、わずかに揺れている。

 

「効果が残っています」

 

 澪が鑑定を続ける。

 

「ラウ君から魔力は流れていません」

 

「一度与えた変化が、鉄塊へ固定されているようだね」

 

 ヴァルトも頷いた。

 

「ラウ君」

 

 真壁が呼ぶ。

 

「元へ戻せるかね」

 

「触らなくても?」

 

「試したまえ」

 

 ラウは鉄塊を見つめた。

 

「戻れ」

 

 変わらない。

 

 先ほど感じた、鉄が床へ引かれる感覚をもう一度探す。

 

「元に戻れ」

 

 天秤の皿がゆっくり下がり、左右が水平へ戻った。

 

「戻った!」

 

 ラウが声を上げる。

 

 澪は持続時間と変化を記録した。

 

 リュシアは天秤を見ながら、顎へ手を当てる。

 

「軽くした樽を運んでいる途中で、急に戻ったら危ないね」

 

「持続時間と戻り方は確認する必要がある」

 

 真壁が答えた。

 

「もう次の実験を増やしたね」

 

「必要な確認だ」

 

「今日は持続時間までにしてください」

 

 澪が先に線を引いた。

 

「大きな物は次回です」

 

「異論はない」

 

「台車を出そうとしていましたよね」

 

「まだ出していない」

 

「収納へ手を向けていました」

 

「準備しただけだ」

 

 リュシアが澪を見る。

 

「この人、準備を実行に数えないんだね」

 

「鉄塊の時も同じでした」

 

 4人は使用前、使用中、使用後の記録を並べた。

 

 真壁が鉄塊を指す。

 

「材質も形状も変わっていない。鉄そのものが減ったのではない」

 

 ヴァルトが続ける。

 

「上へ押したのでもない。対象へ働く、下へ引く力へ干渉したと考えるべきだろう」

 

「つまり?」

 

 ラウが尋ねる。

 

「鉄を減らさず、軽くした」

 

 真壁が答えた。

 

「最初からそう言ってくれよ」

 

「最初は、それが正しいか分からなかった」

 

 その時、澪が小さく息を呑んだ。

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「私の特殊スキル欄に、表示が増えました」

 

 澪が鑑定結果を開く。

 

【重力 芽あり】

 

 真壁とヴァルトも、自分自身を鑑定した。

 

 2人にも同じ表示がある。

 

 リュシアは、3人の顔を順番に見た。

 

「まさか」

 

 自分の鑑定欄を開く。

 

【重力 芽あり】

 

 リュシアの眉が寄った。

 

「どうして止めに来た私まで出るんだい」

 

「最初から最後まで鑑定していましたからね」

 

 澪が言う。

 

「鉄塊も持ち上げていました」

 

「軽くなっているか確認しただけだよ」

 

「実験参加ですね」

 

「私は監視役だって言っただろう」

 

「十分に理解した証拠だ」

 

 真壁が満足そうに頷く。

 

「嬉しそうに言わないでおくれ」

 

 真壁は迷わずSPを割り振った。

 

【重力 Lv1】

 

 ヴァルトも続く。

 

「術式へ置き換えるなら、自分でも作用を知る必要があるね」

 

【重力 Lv1】

 

 澪も残りSPを確認した。

 

「比較できる人が多い方が、安全に調べられます」

 

【重力 Lv1】

 

 3人が取得を終える。

 

 視線がリュシアへ集まった。

 

 リュシアは両腕を胸の前で組む。

 

「私は取らないよ」

 

「なぜだね」

 

「私は商人だよ。鉄の塊を浮かべる仕事じゃない」

 

「穀物袋の荷役には使える」

 

「人を雇えばいいよ」

 

「樽を棚へ上げる時にも有効だ」

 

「それも倉庫の仕事だね」

 

「荷車が泥へはまった場合は――」

 

「今日は荷車を出さない約束だっただろう?」

 

 先回りされ、真壁が口を閉じた。

 

 リュシアが鼻を鳴らす。

 

「商売の話で私を釣ろうったって、そうはいかないよ」

 

「左様か」

 

 真壁はあっさり引き下がった。

 

 その素直さに、澪は嫌な予感を覚えた。

 

「真壁さん」

 

「それに、リュシア君。知っているかね」

 

 真壁は、リュシアを正面から見た。

 

「世の女性の美とは、重力との戦いであるという格言を。澪君?」

 

 教室から音が消えた。

 

 リュシアの笑顔も消えた。

 

「……何だって?」

 

 澪が勢いよく真壁を見る。

 

「どうして私に確認するんですか!」

 

「ゲンダイの女性として、見解を聞いている」

 

「私を巻き込まないでください!」

 

「否定はしないのだな」

 

「そういう問題ではありません!」

 

 リュシアが、ゆっくりと澪を見る。

 

「澪」

 

「違います。私が言ったんじゃありません」

 

「でも、否定しなかったね?」

 

「真壁さんが急に恐ろしい角度から攻撃したので、反応が遅れただけです!」

 

 ラウが首を傾げる。

 

「美人と重力って関係あるのか?」

 

「ラウ君は知らなくていい」

 

 澪とリュシアの声が重なった。

 

 ヴァルトは口元へ手を当て、顔を横へ向けていた。

 

 肩がわずかに揺れている。

 

「ヴァルト君」

 

「私は何も言っていないとも」

 

「笑っているじゃないか!」

 

「実に興味深い格言だと思ってね」

 

「そっちも敵かい!」

 

 真壁は淡々と続ける。

 

「重力を弱めれば、少なくとも持ち上げる負担は減る」

 

「何を持ち上げるつもりだい!」

 

「一般論だ」

 

「絶対に一般論じゃないよ!」

 

 澪が真壁の袖を引いた。

 

「真壁さん。今のは謝った方がいいです」

 

「私はリュシア君の美を損なうとは一言も申していない」

 

「言っていないところが、もっと悪いんです!」

 

 リュシアは真壁を睨んだまま、自分の鑑定欄を開いた。

 

 残っているSPを確認する。

 

「取るよ」

 

 澪が振り返る。

 

「リュシアさん?」

 

「商人として必要だから取るんだ。今の話とは何の関係もないよ」

 

「左様か」

 

「その納得した顔をやめておくれ!」

 

 リュシアは勢いよくSPを割り振った。

 

【重力 Lv1】

 

 表示が切り替わる。

 

 真壁が満足そうに頷いた。

 

「これで5人そろったな」

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「私に重力を使ったら、商会への出入りを止めるよ」

 

「その必要はあるまい」

 

「今、必要がないだけだろう!」

 

 澪は額へ手を当てた。

 

「商売の説得に失敗したからって、美容へ切り替えるのは卑怯です」

 

「結果として、リュシア君は有用なスキルを得た」

 

「成果を出せば許されると思わないでください!」

 

 ラウが感心したように真壁を見る。

 

「真壁さんって、強いな」

 

「ラウ君」

 

 澪がラウの両肩をつかんだ。

 

「今の真壁さんから学んではいけません」

 

「どうして?」

 

「大人になってから、ものすごく困るからです」

 

 リュシアが深く頷く。

 

「特に女商人を敵に回すよ」

 

 真壁だけが、なぜ叱られているのか分からないという顔で、5個の鉄塊を並べ始めていた。

 

 

 

 

 

「10kg相当から、5kg相当へ変える」

 

 真壁が5個の鉄塊を示した。

 

「順に試そう」

 

「もう次が始まるのかい」

 

「比較しなければ、共通の作用が分からん」

 

「美容の話をした直後に鉄塊を並べる人を、信用しろという方が無理だよ」

 

 最初はラウだった。

 

 先ほど感覚をつかんだため、鉄塊の重さはすぐに変わる。

 

 秤の針が10から一気に4まで下がった。

 

「軽すぎた」

 

「変化は速いが、止める位置が曖昧だね」

 

 ヴァルトが記録する。

 

 次は真壁。

 

 10、9、8、7と、1kgずつ段階的に下げていく。

 

 時間はかかるが、針は狙った位置で止まった。

 

「飛行船より先に、新しい秤を作りそうな使い方だね」

 

 リュシアが言う。

 

「制御できぬ力は装置にできん」

 

「やっぱり作る前提なんだね」

 

 ヴァルトは魔力の流れを観察しながら重さを変えた。

 

 途中で、鉄塊の片側へだけ作用させようと意識を細く絞る。

 

「ヴァルトさん」

 

 澪が呼ぶ。

 

「今は鉄塊全体を5kgにする実験です」

 

「片側だけ軽くできれば、姿勢制御へ使えると思ってね」

 

「増やさないでおくれ」

 

 リュシアが止める。

 

「真壁さんだけ見ていればいいと思っていたのに、こちらにもいたよ」

 

 澪は最初から5kgを狙った。

 

 4.8まで下げ、少し戻し、5.1になったところでもう一度調整する。

 

 最後は針を5へ合わせた。

 

「細かな制御は、澪君が最も正確だな」

 

「褒めても、今日中に次の実験はしません」

 

「まだ何も頼んでいない」

 

「頼む顔をしています」

 

 最後はリュシアだった。

 

 鉄塊を持ち上げ、自分の腕へかかる重さを確かめながら調整する。

 

「このくらいだね」

 

 澪が秤を見る。

 

 針は、ほぼ5を示していた。

 

「正確です」

 

「倉庫の子が無理なく運べる重さは、手で分かるよ。軽すぎても、今度は乱暴に投げる者が出るからね」

 

 真壁は記録へ書き加える。

 

「同じ重力Lv1でも、基準の置き方が違う」

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「私の欄へ『美容』と書いていないだろうね?」

 

「実用感覚による調整と記した」

 

「それならいいよ」

 

「美への応用は別紙に――」

 

「書かなくていい!」

 

 真壁は無言で別紙を収納へ戻した。

 

「今、何を隠したんですか?」

 

 澪が問い詰める。

 

「白紙だ」

 

「白紙なら隠す必要はありませんよね?」

 

「今後、使うかもしれん」

 

「絶対に出さないでください」

 

 5人分の記録を並べ、ヴァルトが共通点を拾う。

 

「対象の指定。変化量の決定。状態の維持。そして解除。この4つは共通している」

 

「効果が切れる際、急激に戻らぬ仕組みも必要だ」

 

 真壁が加える。

 

「この共通部分を術式へ置き換えれば、魔道具化できる可能性はあるね」

 

「今日は可能性までです」

 

 澪が念を押した。

 

「術式板を作るのは次だよ」

 

 リュシアも続ける。

 

「まだ台車を――」

 

「次回です」

 

「出さないでおくれ」

 

 真壁は収納へ向けかけた手を止めた。

 

「承知した」

 

 澪が目を細める。

 

「やっぱり台車も入っているんですね」

 

「測定用だ」

 

「何でも測定用と言えば通ると思っていませんか?」

 

 窓から差す光は、いつの間にか橙色へ変わっていた。

 

 ヴァルトが実験終了を告げる。

 

 真壁は天秤、鉄塊、秤、砂袋を収納へ戻した。

 

 中央に収納していた机と椅子も、元の位置と向きへ戻していく。

 

 ラウは最後に残った鉄球へ触れた。

 

 鉄球が軽くなる。

 

「ラウ君」

 

 ヴァルトが呼ぶ。

 

「今日はここまでだ」

 

「まだ疲れてないぞ」

 

「疲れてから止めるのでは遅いよ」

 

 リュシアが鉄球を取り上げる。

 

「力を覚えた初日に使い切るものじゃない」

 

「あと1回だけ」

 

「その1回が続くんです」

 

 澪も首を横へ振った。

 

 ラウは渋々、重力を解除した。

 

 ヴァルトが教室の時計を見る。

 

「もうよい時間だね」

 

 真壁とヴァルトは、記録用紙を挟んでまだ何か話したそうにしている。

 

 リュシアは帳場へ戻るつもりだったが、2人の顔を見て考え直した。

 

 ヴァルトが記録を畳む。

 

「たまには、皆で飲みに行こうか」

 

 ラウがすぐに立ち上がった。

 

「俺は飯だぞ」

 

「分かっているよ」

 

「私も行きます」

 

 澪が記録を抱えた。

 

「私もだね」

 

 リュシアも教室の戸へ向かう。

 

 真壁が2人を見る。

 

「何を警戒しているのだね」

 

 澪とリュシアの声が重なった。

 

「真壁さんたちです」

 

 ヴァルトが教室の灯りを落とす。

 

「続きは地下で話そう」

 

「続ける気なんですね」

 

 澪の声を最後に、5人は地下1階へ向かった。

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