地下1階のフードコートでは、先に教室を出た子どもたちが、すでに夕食を始めていた。
長い卓の上には、串焼きや揚げ芋、豆の煮込みが並んでいる。授業中よりも大きな声が飛び交い、空いた皿を持った子どもが、追加を求めて店先へ並んでいた。
ラウは席を探すより先に、串焼きの店へ向かった。
「ラウ君」
ヴァルトが呼び止める。
「分かってる。走ってないぞ」
「それは結構です。ですが、その盆は1人分でしょうか」
ラウの盆には、串焼きが4本、揚げ芋が山盛り、豆の煮込みと黒パンまで載っていた。
「重力を使ったから腹が減った」
「実験で消費した魔力より、食事の方が多そうですね」
「育つ時期なんだよ」
ラウは当然のように答え、空いている丸卓へ盆を置いた。
真壁とヴァルトは麦酒、リュシアは薄めた果実酒を選んだ。澪は香草茶を受け取り、ラウの揚げ芋が卓から崩れないよう、盆を少し中央へ押し戻した。
5人が席へ着くと、ヴァルトが杯を持ち上げた。
「では、ラウ君の重力取得と、最初の実験が無事に終わったことに」
「予定した範囲で終えられたことにも入れてください」
澪が香草茶を掲げる。
「放っておけば、台車まで出ていたからね」
リュシアも杯を上げた。
「測定用だ」
「まだ言うのかい」
杯が軽く触れ合った。
「俺は晩飯に乾杯」
「それは毎日でしょう」
ラウは乾杯が終わると、すぐに串焼きへ噛みついた。
1本目を食べ終え、2本目へ手を伸ばしたところで、真壁を見る。
「なあ、真壁さん」
「何だね」
「重力を強くした中で鍛えたら、俺も強くなるのか?」
真壁は麦酒の杯を置いた。
「効果はある」
ラウの目が輝く。
「本当か!」
「ただし、急に強くすれば身体が壊れる」
「どのくらいなら大丈夫なんだ?」
真壁が答えるより先に、ヴァルトが懐かしそうに目を細めた。
「真壁さん。そういえば、重力を何倍にもした部屋で修行する漫画がありましたね」
「ドラゴンボールですね」
澪が応じた。
リュシアとラウが、そろって3人を見る。
「ドラゴン……何だい?」
リュシアが聞き返した。
「ゲンダイの物語です」
澪は少し考え、言葉を選んだ。
「絵と短い言葉を順に追って読む本ですね。何冊にもわたって、長い物語が続きます」
「絵本とは違うのか?」
「子ども向けとは限りません。大人が読む作品も多いです」
「つまり、ゲンダイの絵物語かい」
「そう考えてください」
ヴァルトがラウへ向き直る。
「その絵物語では、悟空やベジータという武道家が、重力を強くした部屋で修行していました」
「どのくらい強くするんだ?」
「何十倍、時には100倍以上ですね」
「俺もやる」
「無理です」
澪が即座に切った。
「まだ試してないだろ」
「試す前に分かります」
「その悟空って奴はできたんだろ?」
「物語の中の人物です」
「なら、少し下げればいい。10倍くらいだ」
「立てん」
真壁が答えた。
「5倍」
「立てん」
「2倍なら?」
「危険だ」
ラウが串焼きを持ったまま眉を寄せる。
「たった2倍だぞ」
「自分と同じ重さの人間を、常に背負っていると考えたまえ」
真壁はラウの頭から足までを指で示した。
「腕だけではない。頭も、内臓も、流れる血もだ。立っていれば、脳へ血を送るだけでも負担が増す」
「食べ物も重くなるのか?」
「部屋全体の重力を変えるならな」
ラウは手元の串焼きを見た。
「食べるのも修行になるな」
「そこへ感心するのかい」
リュシアが呆れる。
「真壁さん」
ヴァルトが杯を置いた。
「重力を強くする訓練は、単に重い荷物を持つこととは違うのでしょうか」
「違う」
真壁は短く答えた。
「石を持つなら、主に腕や脚へ負荷がかかる。空間全体の重力が増せば、立つ、歩く、振り向く、避ける。そのすべてが訓練になる」
「身体の動かし方そのものを、学び直すわけですね」
「左様」
真壁は自分の耳の横を指した。
「人は耳の奥でも、重力と傾きを感じている。耳石器という器官だ。普段とは異なる情報が入れば、小脳は身体の動かし方を修正する」
「筋肉だけではなく、動作の制御まで鍛えられる可能性がある、と」
「過重力下で運動学習が促される可能性は、ゲンダイでも研究されている」
澪が少し意外そうに真壁を見る。
「本当に重力を強くして試したんですか」
「人間では2倍程度だ。魚を使った実験もある」
「魚まで修行したのか?」
「魚に修行のつもりはあるまい」
真壁が答えると、ラウは少し残念そうな顔をした。
ヴァルトは酒杯へ視線を落としながら考える。
「筋力を増すだけなら、重い防具でも代用できます。ですが、全身の感覚と動作を作り直すとなれば、重力を変える意味はありますね」
「うむ」
「ならば、1.5倍程度から――」
「高い」
真壁が止めた。
「では、どの程度をお考えですか」
「始めるなら1.1倍だ」
澪が香草茶を卓へ置いた。
「始めませんよ」
「仮定の話だ」
「具体的な数字が出た時点で、真壁さんの中では設計です」
「範囲を限定し、停止役を置く。状態を見ながら1.2倍へ上げる」
「役割分担まで決まっていますよね」
リュシアが果実酒を置く。
「真壁さん。酒を1杯飲むたびに、商会の設備を増やさないでおくれ」
「リュシア君。まだ設備とは申しておらん」
「床と壁の材質まで考えている顔だよ」
真壁は答えず、麦酒を一口飲んだ。
ヴァルトが卓上へ指先を置く。
「空間全体へ均一に作用させるには、境界で範囲を固定する必要があります。重力を急に戻さないための段階式も要るでしょう」
澪がヴァルトを見る。
「ヴァルトさん」
「何でしょう」
「真壁さんを止める側ではなかったんですか」
「危険を止めるには、どこが危険かを把握する必要があります」
「同じ物を作ろうとしていますよね」
「成立条件を確認しているだけですよ」
リュシアが眉を上げた。
「その言い方は、真壁さんと同じだね」
真壁が続ける。
「訓練場は明るい方がよい」
「照明まで決まったんですか」
「明るい環境が、小脳の活動や運動学習を助ける可能性もある」
ヴァルトが小さく笑った。
「白く明るい、高重力の空間ですか」
澪が目を細める。
「言わないでくださいよ」
「精神と時の部屋ですね」
「言いましたね」
リュシアが首を傾げた。
「今度は、どんな部屋なんだい」
澪が説明する。
「先ほどの絵物語に出てくる修行場です。中は白くて広く、外とは時間の流れが違います。重力も地上より強くなっています」
「1日で、外の1年分を過ごせる場所でしたね」
ヴァルトが懐かしそうに言った。
ラウが身を乗り出す。
「それを作ればいいじゃないか」
「作りません」
「地下に空いてる部屋は――」
「探しません」
「白く塗るだけなら――」
「塗りません」
澪が1つずつ切った。
リュシアは呆れたように息を吐く。
「絵物語の部屋を、そのまま店の地下へ作ろうとするんじゃないよ」
「そのままではない」
真壁が訂正する。
「安全装置を加える」
「改良案も要らないよ!」
ヴァルトは麦酒を一口飲んだ。
「ですが、精神と時の部屋という名は、重力を扱う場所として興味深いですね」
澪の視線がヴァルトへ向く。
「今度は何ですか」
真壁が答えた。
「重力と時間は、無関係ではない」
ヴァルトの目が変わった。
「一般相対性理論ですね、真壁さん」
「左様」
「そこへ行くんですか」
澪が低く言った。
リュシアは2人の顔を見比べる。
「重力の話から、どうして時間になるんだい」
真壁は卓上の空いた小皿を2枚並べた。
片方へ自分の麦酒杯を置く。
「アインシュタインは、時間と空間を別々のものとは考えなかった」
ラウが小皿を覗き込む。
「その人も絵物語に出るのか?」
「実在した学者です」
澪が答えた。
「真壁さんたちが急に難しい話を始める原因の1人です」
「原因とは何だね」
「事実です」
真壁は澪の言葉を流し、小皿を指した。
「こちらを普通の場所。杯を置いた方を、強い重力のある場所とする」
「酒を置くと、時間が遅くなるのか?」
「杯は目印だ」
ラウは残念そうに揚げ芋へ戻った。
「強い重力のある場所では、弱い場所より時間の進みが遅くなる」
リュシアが杯を見る。
「中にいる本人も、動きが遅くなるのかい」
「本人には普通だ。心臓も思考も時計も、同じ時間の中にある」
ヴァルトが確認する。
「外へ戻り、別の時計と比べて、初めて差が分かるということですね」
「うむ」
ラウが眉を寄せた。
「重い場所で1日過ごして戻ったら、外では2日たってるのか?」
「そこまで差をつけるには、今扱える重力とは比較にならぬ力が要る。だが、考え方は合っている」
「未来へ行けるのか」
「一方向ならばな」
ラウが揚げ芋を持ったまま固まった。
「本当に?」
「自分の時間を遅らせ、外の時間だけを先へ進ませる。戻った時には、周囲の方が未来になっている」
ヴァルトが真壁へ向き直る。
「高速で移動した場合にも、同じように時間が遅れるのでしたね」
「そうだ。光に近い速度で移動する者の時間は、外より遅れる。こちらは特殊相対性理論だ」
「強い重力と、高速移動。理由は異なっても、どちらも未来への一方向の移動になるわけですか」
「左様」
リュシアが2人を交互に見る。
「確認してもいいかい」
「何だね」
「最初は、ラウが強くなれるかという話だったね」
「その前は、空を運ぶ船の話でした」
澪が補足した。
「それが、どうして未来へ行く話になったんだい」
「重力を辿った結果だ」
真壁が答える。
「真壁さんのおっしゃる通りです」
「2人で正当化しないでおくれ」
ラウは新しい串焼きを手に取った。
「未来へ行けるなら、昨日にも戻れるのか?」
「それは別問題だ」
真壁が答える。
「未来へ進むだけなら、時間の遅れで説明できる。過去へ戻る方法は確立されていない」
「昨日へ戻れたら、昨日の煮込みをもう1回食えるのに」
「最初に考えることが、それなのかい」
リュシアが呆れる。
「昨日には、昨日のラウ君がいますよ」
澪が言った。
「俺が2人になるのか?」
「そこで時間旅行の矛盾が生じます」
ヴァルトが答える。
「過去を変えれば、自分が過去へ戻った理由まで失われるかもしれません」
「意味が分からない」
「先ほどの絵物語では、未来から来た少年が過去へ戻ります」
澪が説明を引き取った。
「未来では強い敵に多くの人が倒されていました。少年は、その原因を過去で取り除こうとしたんです」
「過去を変えれば、未来も直るんじゃないのか?」
「彼が来た未来は、直りませんでした」
「どうしてだ?」
真壁が2枚の小皿を少し離した。
「1本の歴史を書き換えたのではない。少年が過去へ来た時点で、世界が枝分かれしたと考える」
「こちらが少年のいた未来。もう一方が、過去へ来たことで生まれた別の未来です」
ヴァルトが小皿を指した。
「片方を変えても、もう片方まで同じように変わるとは限りません」
ラウはしばらく考えた。
「じゃあ、昨日へ戻って煮込みを食っても、今の俺は腹いっぱいにならないのか?」
「別のラウ君が満腹になるだけだ」
「意味ないじゃないか」
「時間旅行を食事の追加手段にするでない」
真壁が言った。
澪がすぐに返す。
「真壁さんにだけは言われたくないと思います」
「なぜだね」
「収納から食事を追加する人だからです」
「時間は移動しておらん」
「食事が増える結果は同じだよ」
リュシアが真顔で言った。
ヴァルトは小皿へ目を落としたまま、しばらく黙っていた。
「真壁さん」
「何だね」
「転移は、離れた2つの場所を接続します」
「左様」
「では、接続先へ場所だけでなく、時刻を指定することはできないのでしょうか」
澪とリュシアが同時にヴァルトを見た。
「できません」
「やめておくれ」
ヴァルトはわずかに眉を上げた。
「まだ尋ねただけですよ」
「ヴァルトさんの質問は、試作の1つ前です」
「条件を確認しなければ、危険かどうかも分かりません」
「その問いを真壁さんへ渡さないでください」
真壁はすでに考え込んでいた。
「現在の転移は、登録した場所を指定している」
「真壁さん」
「何だね」
「受け取らないでください」
「理論上の整理だ」
「そう言って、いつも物ができます」
真壁は2枚の小皿を見た。
「同じ場所でも、時刻によって状態は異なる。転移が空間だけを扱っていると、断定はできん」
「真壁さん。私も同じ点が気になります」
ヴァルトが杯の縁へ指を添えた。
「離れた場所を隣り合わせにするなら、空間を曲げるか、境界を一時的に接続しているのでしょう。時間も同じ時空の一部なら、完全に無関係とは言い切れません」
「ゲンダイにも、離れた時空を穴のようにつなぐ仮説はある」
「ワームホールですね」
「うむ。ただし、安定させるには、通常とは異なる性質の物質やエネルギーが必要とされる」
「この世界には、遊離魔素があります」
ヴァルトが静かに言った。
澪が額へ手を置いた。
「出ましたね」
「何がでしょう」
「ゲンダイにない物を、遊離魔素で埋めようとする発想です」
「同じ物だとは申していません。似た性質があるかを確かめるだけです」
「その確認のために、実験室が増えるんだよ」
リュシアが果実酒を飲む。
「ラウ。よく見ておきな。この2人へ酒を飲ませて昔の絵物語を語らせると、最後には世界の仕組みまで試そうとする」
「すごいな」
「褒めているんじゃないよ」
「しかし、時間を移動する機械を作った技師は、実に優秀ですね」
ヴァルトが言った。
「ブルマか」
真壁が頷く。
「重力制御装置、宇宙船、探索装置、タイムマシン。戦闘力を持たず、技術で状況を変え続けた」
リュシアが2人を見る。
「そのブルマというのは、絵物語に出てくる技師なのかい」
「はい」
澪が答えた。
「とても頭のいい女性です」
「真壁さんとヴァルトが、そろって感心するほどなのかい」
「参考になる」
真壁が答えた。
「参考にしないでください」
澪が短く切った。
ヴァルトは麦酒を一口飲み、遠い記憶を探すように目を細めた。
「ゲンダイの絵物語を魔術の参考にするなら、ジョジョの奇妙な冒険も忘れられません」
「ジョジョまで行きますか」
澪が言った。
「今度は、どのような話なんだい」
リュシアが尋ねる。
「長く続いている、奇妙な冒険の絵物語です」
ヴァルトは少し笑った。
「最初は、呼吸によって生命の力を巡らせる波紋という技が出てきます」
「呼吸で力を?」
「ええ。一定の呼吸で身体の中へ力を巡らせ、手や物を通じて外へ伝えます」
「魔力循環や治癒術へ置き換えて考えたくなる技だ」
真壁が言った。
「真壁さんも、そう思われますか」
「君なら、まずそこへ目をつけるだろう」
「否定はできませんね」
澪が2人の間へ視線を入れる。
「波紋だけにしてくださいね」
「問題は、その後に出てくる幽波紋です」
ヴァルトが続けた。
「すたんど、と読むのですが、術者の精神が固有の姿と能力を持って外へ現れます」
ラウがヴァルトの背後を覗く。
「人の後ろに、もう1人出てくるのか?」
「そのように見えるものもあります。殴るもの、物を動かすもの、遠くを探るもの。能力は使い手ごとに異なります」
「便利だな」
「絵物語の力ですからね」
澪が念を押した。
ヴァルトは卓上へ指先で小さな線を描いた。
「ですが、遊離魔素へ術者の意思を反映させ、使い手ごとに構造を変える可変術式を与えれば――」
「ヴァルトさん」
澪が呼んだ。
「何でしょう」
「もう実現方法を考えていますよね」
「まだ着想です」
「今の言葉に、遊離魔素と可変術式が入っていました」
「方向を考えただけですよ」
リュシアがヴァルトを見る。
「その方向へ歩き始めないでおくれ」
「すぐに形になるものではありません」
「すぐには、なんだね」
真壁は何も言わず、収納へ右手を入れた。
澪が、その動きを見逃さなかった。
「真壁さん。今度は何を出すんですか」
「ヴァルト君へ渡す物だ」
真壁の指先に、小さな黒いUSBメモリが現れた。
「ヴァルト君。進呈しよう」
ヴァルトがUSBメモリを見る。
「真壁さん、これは?」
「以前渡したノートPCへ挿して使う。君が見られなかった、2000年以降の漫画だ」
リュシアとラウには分からない言葉だったが、ヴァルトの手は止まった。
「2000年以降の……」
「君が知る作品の続きと、その後に始まった主な作品を収めてある」
「ジョジョの続きも、ですか」
「うむ」
「ドラゴンボールも?」
「続きと関連作を入れてある」
ヴァルトが真壁の顔を見た。
「真壁さん。これは、いつ用意されたのですか」
「君へノートPCを渡した後だ」
澪がUSBメモリを見る。
「それから、ずっと収納へ入れていたんですか?」
「渡す時機がなかった」
「今日、作品の話になると分かっていたわけではありませんよね」
「いずれ必要になると判断した」
リュシアが真壁を見る。
「何か月も、絵物語の詰まった物を持ち歩いていたのかい」
「場所は取らん」
「そういう問題ではないよ」
真壁はUSBメモリをヴァルトへ差し出した。
「私が購入した電子版を、君の端末で読めるよう整理してある。受け取っていただきたい」
ヴァルトは酒杯を置いた。
両手でUSBメモリを受け取り、指先ほどの記憶媒体を、しばらく黙って見つめた。
「私の記憶は、2000年の正月で止まっています」
静かな声だった。
「その後にも、物語は続いていたのですね」
「左様」
「……2000年の続きですか」
ヴァルトは小さく笑った。
新しい術式を見つけた時とは違う。
読むことのできなかった物語へ、ようやく手が届いた者の顔だった。
「真壁さん。ありがたく頂戴します」
「うむ」
「今夜、確認してみましょう」
澪がすぐに口を挟む。
「徹夜は駄目です」
「一覧を確認するだけですよ」
「その後は?」
「ジョジョがどこまで続いたかを確認します」
「その後は?」
「最初の数話を読む程度でしょう」
リュシアがヴァルトの顔を見る。
「朝になる顔だね」
「私は自制できます」
「泊まり込みで働いて亡くなった人の言葉とは思えません」
澪が言うと、ヴァルトは一度黙った。
「今回は仕事ではありません」
「好きなことの方が止まらないものです」
「その点は否定できませんね」
ラウがUSBメモリを覗き込んだ。
「そんな小さい物に、絵物語が何冊も入ってるのか?」
「かなりの量が入る」
真壁が答える。
「俺にも見せてくれよ」
「まずは読み書きです」
ヴァルトが教師の顔へ戻った。
「文字を覚えれば、自分で読めます。急がず学び給え」
「絵を見るだけじゃ駄目なのか?」
「言葉を読まなければ、物語の半分も分かりません」
「じゃあ覚える」
「結構です」
澪が反射的に答えた。
リュシアが澪を見る。
澪も、その視線に気づいた。
「何ですか」
「何も言っていないよ」
「顔に出ています」
「澪に言われるとは思わなかったね」
澪は口を閉じた。
ヴァルトはUSBメモリを大切そうに懐へしまう。
「ところで、真壁さん」
「何だね」
「ノートPCはマールヴェインの家にあります。今から取りに戻るには――」
「今日は戻りません」
澪が切った。
「まだ最後まで申していませんが」
「続きを聞く必要がありません」
「予備の閲覧端末なら収納にある」
真壁が言った。
「出さないでください」
「皆で収録内容を確認できる」
「確認しません」
リュシアが真壁とヴァルトを交互に見た。
「絵物語を渡した途端、飲み会を読書会へ変えるんじゃないよ」
「では、飲み終えてから確認しましょう」
ヴァルトが答えた。
「今日は寝てください」
「澪さん」
「何ですか」
「26年分あるのですよ」
「だから寝てください」
ヴァルトは懐のUSBメモリへ触れ、それ以上は反論しなかった。
過去へ戻る方法も、時間を越える転移術も、まだ誰も知らない。
けれども、2000年の正月で途切れたヴァルトの時間へ、26年分の物語が届いた。
タイムマシンより一足先に、未来の方から彼の手の中へやって来たのである。