孤児院の井戸は、朝のうちはまだ冷たかった。
石で囲まれた井戸の縁に、湿った縄がかかっている。桶を引き上げるたびに、縄の繊維から水がぽたぽた落ちた。水面は澄んで見える。底まで見えるほどではないが、少なくとも泥で濁っているようには見えない。
けれど、澪はもう、水が透明だから安心、とは思わなくなっていた。
汲み上げた桶の底に、細かな砂が少し沈んでいる。木桶の内側には古い擦り傷があり、隅には洗い残しのような薄いざらつきもあった。井戸水が悪いのか、桶が悪いのか、それとも汲み上げる途中で混じったのか。見ただけでは分からない。
澪は桶を覗き込みながら、収納五の表示を思い出していた。
時間経過は外の半分。温度変化は無し。分類登録は安定。
便利すぎる。便利すぎて、迂闊に使うと後でリュシアに怒られるやつだ。
今日は、大豆もやしを保存する話ではない。水を入れて運ぶ話でもない。水そのものを、収納の中でどう扱うかを考える日だった。
横では、ミナが両手を前で握って立っていた。小さな布袋や木札なら収納できる。小さな水袋も、桶の上なら出せた。けれど、まだ水を扱うたびに肩が硬くなる。
澪は桶から目を上げた。
「収納って、ただ入れるだけじゃないと思うんです」
ミナは不安そうに澪を見た。
「しまうだけでは、だめなのですか」
澪は首を横に振る。
「しまうだけだと、出す時に事故になります。どこへ出すか、何を出すか、何を残すかまで決めるんです」
ミナは桶の水を見た。
「残す……」
「はい。今日やるのは、それです」
その言い方をした瞬間、澪は自分の背中にリュシアの視線を感じた。本人はまだ来ていない。だが、絶対にあとで「また仕事を増やしたね」と言われる気がした。
澪は桶の横にしゃがみ、鑑定を使った。
水面が少し揺れる。朝の光が井戸の縁で反射し、桶の底に沈んだ砂がきらりと見えた。
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井戸水
透明度:良好
異臭:なし
濁り:少
混入物:細かな砂
沈殿物:微量
容器状態:桶内側に古い汚れあり
用途:飲用候補
注意:もやし用には上澄み推奨
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「やっぱり」
澪が呟くと、トトが横から首を伸ばした。
「透明なのに敵がいるのか」
「砂と泥は敵というより、混ざってる別のものです」
「水、またずるい」
「今回は水というより桶もずるいです」
トトは桶を睨んだ。
「桶も敵か」
「敵にしないでください。洗えば味方です」
シスターが桶を受け取り、内側を指でそっとなぞった。ほんの少し、ざらりとした感触があったのだろう。眉が動く。
「この桶は井戸用にしていますが、底の方はもっと丁寧に洗わないといけませんね」
「はい。水がよくても、桶で負けます」
「桶で負ける水」
トトが妙に気に入ったように言った。
澪はそれを聞き流し、大鍋を用意してもらうことにした。シスターが台所から出してきた大鍋は、普段は汁を作るためのものだが、今日は水の実験用だった。底には古い擦り傷がある。だが、洗われて乾かされていて、今日の桶より状態が良い。
司祭も少し離れたところに立っていた。こういう時、すぐ止めに入れる位置にいる。ありがたいが、少し怖い。
澪は桶の水へ手をかざした。
ただの井戸水として入れない。
それが今日の大事なところだった。
井戸水。砂。泥。桶由来の汚れ。
全部をひとつにまとめてしまうと、出す時もひとつになる。そうではなく、最初から別々に見る。別々のものとして、頭の中に置く。
「曖昧な水じゃなくて、綺麗な水として見る」
澪は自分に言い聞かせた。
ミナが息を呑んでいる。
澪はミナへ顔を向けた。
「ミナ、泥水を静かにしておくと、泥が下へ沈みます。ゆっくり、ゆっくり、砂や泥が下へ落ちていきます。上の方は少しずつ透明になります」
「上の方……」
「はい。そこだけを見ます。下の泥は残します。上の、綺麗な水だけ。健康に良い、美味しい水。そこだけを思い浮かべるんです」
ミナは大鍋と桶を真剣に見た。小さな唇が、声にならない言葉を何度か繰り返す。
上の方。綺麗な水。下は残す。
澪は桶の水を収納へ入れた。
頭の奥が、細い針で押されるように軋んだ。水をそのまま入れる時より、明らかに意識を使う。分類するというのは、容量とは別の負担だった。桶一杯程度なのに、全身が少し強ばる。
それでも、収納の中に入った感触があった。
水。砂。泥。桶由来のざらつき。
別々に見える。
たぶん、見えている。
澪は大鍋の前に立った。
大鍋は洗い場の中央に置かれている。周りには、ミナ、トト、シスター、司祭、そしていつの間に来たのかエレナまでいた。エレナは護衛の後ろから覗いている。リュシアの姿はまだない。
澪は大鍋の上に両手をかざした。
収納の中にある水から、上澄みの綺麗なところだけを出す。砂と泥は残す。桶の汚れも残す。
泥水を静かに置く。
砂が下へ落ちる。
泥がゆっくり沈む。
上の水が澄んでいく。
透明で、冷たくて、嫌な匂いのない水になる。
その上澄みだけをつかむ。
「綺麗な水だけ……」
トトが拳を握った。
「いけ、澪姉ちゃん」
澪は、掛け声なんか必要なのだろうかと一瞬思った。だが、必要だった。たぶん、合図があるとイメージが固まる。
「トウッ!」
大鍋の中へ、水が落ちた。
どばっとではない。太い水の束がほどけるように、上から大鍋へ落ちる。水面が丸く盛り上がり、鍋底へ澄んだ音が響いた。澪はすぐに底を覗き込む。
砂は見えない。
濁りも、ほとんどない。
トトが目を丸くした。
「水だけ来た」
シスターは柄杓で少しすくい、匂いを確かめた。すぐ飲もうとはしない。司祭も鍋底を見て、それから静かに頷いた。
「飲めるかどうかは、まだ大人が見ます。ですが、砂と泥を残せたのは大きい」
澪はほっとした。
「はい」
ミナは、鍋の中の水をじっと見ていた。
その顔は、怖がっているようでもあり、憧れているようでもあった。
澪は次に、小鉢を用意してもらった。
収納の中には、残した砂と泥がまだある。水ではないものとして分けたもの。今度はそれだけを出す。
「砂と泥だけ、出します」
小鉢の上へ手をかざすと、湿った砂と細かな泥が、ぽとりと落ちた。
トトが顔を近づける。
「水、砂を置いてきた」
「置いてきたというか、分けました」
ミナが小鉢を見て、小さく言った。
「水と、違うもの……」
「そうです。砂や泥は、水じゃないものとして見られます」
澪はここで、顔を上げた。
こういう時こそ、強く言わないといけない。
「ただし、何でもできるわけじゃありません」
トトがすぐ聞いた。
「じゃあ海の水も水だけにできる?」
「たぶん無理です。塩は溶けています。砂みたいに見えるものじゃないので、今の収納では分けられません」
エレナが目を細めた。
「毒は?」
「それも今は無理だと思います。病気の元も、まだ無理です。鑑定で危ないと分かることはあっても、分けられるとは限りません」
司祭が頷いた。
「できたことと、できると思い込むことは別です」
その言葉に、澪は少し救われた。自分で言ったのに、どこかで「もしかしてもっとできるのでは」と考えかけていたからだ。
便利な力は、できることより、できないことを先に書いた方がいい。
たぶん帳面に。
また項目が増える。
ミナの訓練は、乾いた砂入りの小袋から始めた。
いきなり水は扱わせない。澪はそう決めていた。ミナは真面目で、少し怖がりだ。だからこそ、最初に失敗しても大丈夫なものを使う。
「これは砂入りの小袋です。水は入っていません。落としても拭けば終わりです」
ミナは両手で小袋を受け取った。
収納する。すぐに出す。場所は桶の上。
ミナは目を閉じた。小袋が手元から消え、次の瞬間、桶の上にぽとりと出た。
「できました」
「今のは、ちゃんと場所を決めて出せました」
澪がそう言うと、ミナは少し笑った。小さな笑みだったが、さっきまでの固い表情よりずっといい。
次は木札。次は布。
どちらも成功した。
トトが横で胸を張った。
「俺もできる」
リュシアが、いつの間にか洗い場に来ていた。腕を組んで、涼しい顔で言う。
「収納がない」
「気合いで」
「気合いでしまえるのは、言い訳くらいだよ」
子どもたちが笑った。
トトは少し考えてから言った。
「言い訳ならいっぱいしまえる」
「出さなくていい」
リュシアは即答した。
次は、少量の水だった。
澪は小さな器に水を入れ、ほんの少しだけ砂を混ぜた。目で見れば分かる程度。失敗しても床を拭けば済む量。シスターが布を用意し、司祭は少し離れた場所から見守っている。
澪は鑑定した。
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少量の水
透明度:普通
混入物:砂少量
用途:訓練用
注意:飲用不可
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ミナの肩が強ばった。
「床に出したら」
「床に出したら、今日は失敗で終わりです。でも怒りません。だから少ない量にしています」
司祭が穏やかに言った。
「失敗できる量から始める意味があります」
ミナは頷いた。
澪はもう一度、イメージを教える。
「砂が下へ沈みます。上の方が透明になります。綺麗な水になります。美味しい水になります。そこだけを思い浮かべます」
「下は、残す」
「はい。下は残します」
ミナは器に手をかざした。小さな水が収納される。ミナの眉が寄る。
次に桶の上へ出す。
水は出た。
だが、桶の中心から少しずれて、縁に当たり、一部が外へ跳ねた。
ミナの顔が青くなる。
「すみません」
澪はすぐに言った。
「大丈夫です。ここで練習してよかったんです」
シスターが布で床を拭きながら続けた。
「こぼれた水は、使いません。失敗したら捨てる。怒らずに覚える。それでよいのです」
リュシアは澪を見た。
「澪、ここで次へ行く顔をしない」
澪はぎくりとした。
「してましたか」
「してた」
していた。
少しだけ。
それでも、もう一度だけ試した。
今度は、ミナが自分で桶の位置を近づけた。小さな水を収納し、両手を桶の上にしっかり置く。
水は、桶の中へ落ちた。
砂は少し混じっている。完全ではない。だが、床にはこぼれていない。
ミナの顔がぱっと明るくなる。
「できました」
「できてます。これ、もう少し練習したら……」
澪の声が少し弾んだ。
その瞬間、リュシアの目が細くなった。
「澪、その顔は儲け話を見つけた顔じゃない。もっと危ない。便利な子を見つけた顔だよ」
「そんなつもりじゃ」
「あるよ。少し」
司祭が静かに口を挟んだ。
「今日はここまでにしましょう」
「でも、もう少しで」
「できたから続ける、ではありません。できたから休むのです」
澪は口を閉じた。
シスターがミナの顔を覗き込む。
「頭の奥が痛みますか」
「少し、きゅっとします」
それを聞いて、澪はようやく自分の調子に乗りかけた心を押さえた。
鑑定を使う。
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ミナ
体力:24
集中:31
睡眠:普通
収納:1
水扱い:未熟
分類感覚:芽あり
注意:疲労時は失敗しやすい
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収納一。
でも、分類感覚に芽あり。
それを見た瞬間、澪はまた目を輝かせそうになった。危ない。自分で分かるくらい危ない。
澪は深く息を吸った。
「今日はもう水は扱いません。でも、頭の中で練習しておいてください。大事なのはイメージです。泥や砂が下へ沈んで、上の綺麗な水だけを思い浮かべるんです」
ミナは真剣に頷いた。
「はい」
その日の訓練は、そこで終わった。
翌日も、その次の日も、ミナは水を触らずに、洗い場の端で桶を見ていた。
澪が毎回いるわけではない。仕込み小屋の帳面を確認し、市場側の受け渡しを見て、戻ってくるまでに少し時間がかかる日もある。ミナはその間、言われた通りに頭の中で練習していた。
泥が下へ。
砂が下へ。
上の方が透明に。
綺麗な水に。
最初は、それだけだった。
だが、孤児院の洗い場は静かではない。
シスターが桶を洗いながら言った。
「お腹を壊さない水がいいですね」
司祭が、近くで子どもの額に手を当てながら言った。
「子どもたちが熱を出しにくい水なら、なおよいでしょう」
小さな子が、ミナの隣で囁いた。
「飲んで、ほっとする水がいい」
別の子が、桶の匂いを嗅いで顔をしかめた。
「変な匂いがしない水がいい」
その隣の小さな子が、目を輝かせた。
「あまーい水だったらうれしいなー」
また別の子が、神殿の方を見て言った。
「神殿で祈った水みたいなら安心だね」
ミナはそれを、全部真面目に聞いた。
全部、大事なことに聞こえた。
澪が言った。大事なのは、イメージ。
だから、ミナは全部をイメージに入れた。
数日後の朝、ミナは桶の前で、両手を胸の前に合わせた。
最初は、澪に教わった通りにするつもりだった。
砂が下へ沈む。
泥が下へ沈む。
上の水が澄む。
そのはずだった。
けれど、ミナの口から出た言葉は、少し違っていた。
「天にまします、やさしき神さま」
シスターが手を止めた。
「この水の底へ、砂を沈めたまえ。泥を沈めたまえ。濁りを下へ退けたまえ」
司祭の眉が動いた。
「上に残る水を、清らかな清水となし給え。飲む子の腹を痛めず、熱を遠ざけ、喉を潤し、あまーく、あまーく、心をほっとさせる水となし給え」
トトが口を開けた。
「あまーく?」
ミナは真剣だった。真剣すぎて、誰もすぐには止められなかった。
「肌を清め、嫌な匂いを退け、病魔の影を遠ざける水となし給え」
澪がいたら、この時点で止めていた。
けれど澪はいなかった。
ミナは、最後の掛け声だけは、澪から教わったものを少し柔らかく覚えていた。
「トーっ」
桶の上へ、水が落ちた。
透明だった。
透明すぎた。
水面が、普通の井戸水より静かに見えた。濁りがない。砂もない。嫌な匂いもない。シスターはそれを見て、すぐには何も言えなかった。
トトだけが、小さく言った。
「すごい水。あと、甘そう」
司祭がトトを見た。
「飲んではいけません」
「まだ飲んでない」
「飲む顔でした」
トトは少しだけ口を閉じた。
澪が洗い場へ戻ってきた時、様子が少しおかしかった。
ミナは桶を見ている。悪いことをした顔ではない。むしろ、自分でも何が起きたか分かっていない顔だった。
司祭とシスターは微妙な表情をしている。
トトは興奮している。
「ミナがすごい水を出した」
「すごい水?」
澪は嫌な予感がした。
桶の水を鑑定する。
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聖水
透明度:高
異臭:なし
清浄度:高
微弱な浄化性:あり
用途:飲用候補/儀礼用/食品洗浄用
注意:神殿管理対象
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澪は固まった。
文字を見たまま、瞬きを忘れた。
「……ミナ」
「はい」
「それ、聖水になってます」
「せいすい?」
「はい。聖水です。あたしが教えたのは上澄みです」
ミナは困った顔で桶を見た。
「でも、綺麗なお水を出しました」
「綺麗すぎます」
澪は慌ててミナ本人も鑑定した。
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ミナ
体力:21
集中:44
睡眠:やや不足
収納:3
水扱い:上昇中
分類感覚:上昇中
清浄化感覚:発生
注意:過集中/祈念混入
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「収納、三……?」
声が裏返りそうになった。
ミナは不安そうに澪を見た。
「悪いことですか」
澪はすぐ首を振った。
「悪いことではないです。でも、上がり方が急すぎます」
リュシアが、またしてもいつの間にか来ていた。桶を見て、澪を見て、ミナを見て、最後に澪の目を見た。
「澪、目が怖い」
「違います。心配してる目です」
「便利な子を見つけた目も混じってる」
「混じってません」
司祭が静かに言った。
「混じっています」
澪は言い返せなかった。
澪は両手を振って、慌てて説明した。
「違います。あたしが教えたのは、泥や砂が下に沈んで、上の透明なところだけ出すやつです。病魔から護るとか、お肌に良いとか、あまーく、あまーくとか、そういう機能は付けてません」
ミナは申し訳なさそうに両手を握った。
「でも、シスターが、お腹を壊さない水だと助かるって」
シスターは小さく咳をした。
「言いましたけれど……」
「司祭様が、熱を出しにくい水ならって」
司祭も少し目を伏せた。
「言いましたが、収納に祈りを混ぜる意図ではありませんでした」
「飲んでほっとする水がいいって」
小さな子が自分を指さした。
「言った」
「甘い水がいいって」
別の子が手を上げた。
「言った」
トトも手を上げた。
「俺も、甘いならいいと思った」
「思わないでください」
澪は頭を抱えた。
「言いましたけど! 言いましたけど、それを収納に入れないでください!」
リュシアが桶を覗き込む。
「澪、また変な仕事を増やしたね」
「増やしてません。増えました」
「同じだよ」
「違います。今回は本当に増えました」
「もっと悪いね」
トトが水を見ながら言った。
「聖なる甘い豆草、作れる?」
「作りません」
「聖水もやし」
「言わないでください」
「あまーい聖水もやし」
「もっと言わないでください」
エレナが、真剣な顔で一歩前に出た。
「侯爵家で管理すれば」
「待ってください」
澪、リュシア、司祭の声が重なった。
司祭は聖水の桶を見つめ、慎重に言った。
「これは神殿で確認します」
澪の胃が重くなった。
「確認で済みますか」
「済ませるよう努めます」
「努力目標ですか」
「はい」
リュシアは腕を組んで、屋台で売る品を見極める時と同じ目をしていた。
「市場で『聖水もやし』なんて言われたら、行列じゃ済まないよ」
「聖水もやしって言わないでください」
トトが嬉しそうに続ける。
「聖なる豆草」
「もっと言わないでください」
エレナはまだ諦めていない。
「侯爵家としては、聖水の扱いを」
「エレナ様、まず神殿の確認が先です」
司祭が穏やかに言うと、エレナは少し不満そうに口を閉じた。
澪はミナへ向き直った。
「今日はここまでです。聖水は封印です。ミナも休みます」
ミナは小さく頷いた。顔に疲れが出ている。収納が三へ上がったことより、過集中という文字の方が澪の頭には残っていた。
シスターがミナの肩に手を置いた。
「休みましょう。今日はもう、水の前に立たなくていいです」
ミナはほっとしたように息を吐いた。
澪も、同じくらい深く息を吐いた。
そして心の中で、帳面に書く項目が増えた音を聞いた。
六畳間に戻ると、澪はすぐに帳面を開いた。
部屋には、まだ温度計の予備箱や木札用の薄板がある。収納五の表示を見た時も大変だと思ったが、今日は別の意味で大変だった。
井戸水分離訓練。
砂・泥分離。
上澄み指定。
ミナ成功。
病原菌は不可。
塩水不可。
毒水不可。
成功しても休む。
聖水化、要封印。
ミナ収納一から三、要観察。
澪は筆を止めた。
「収納は、たくさん入れる力じゃない。こぼしてはいけないものを、こぼさず渡す力……のはずだったんだけど」
今日、ミナは小さな水を桶の真ん中へ出した。
それはすごいことだった。
けれど、その小さな水は、桶の真ん中へ出るどころか、神殿の管理札まで連れてきた。
澪は、帳面の最後に大きく書いた。
ミナの自主練は、大人同席。
祈らない。
願いを混ぜない。
上澄みだけ。
そして、少し迷ったあと、もう一行書いた。
聖水化禁止。
収納は、たくさん入れる力ではない。
そして、イメージは大切だった。
大切すぎて、澪の帳面に、また一つ、絶対に守らなければならない項目が増えた。