押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第240話 USBのもう一つの中身

 

 授業を終えたヴァルトが最後の板書を消す頃には、教室の外から夕食の匂いが流れ込んでいた。

 

 豆を煮た匂いに、焼いた肉の脂が混じっている。廊下へ出た子どもたちの足音は、階段の方へ遠ざかっていった。

 

「忘れ物をした者は、食事の後で取りに戻り給え。走る必要はありません」

 

「先生の方が急いでるじゃないか」

 

 ラウが扉のところから振り返る。

 

 ヴァルトは、机の上へ重ねた教材を揃えていた手を止めた。

 

「私は走っていませんよ」

 

「さっきから、紙を3回も揃え直してる」

 

「授業の後片づけです」

 

「ふうん」

 

 納得していない顔のまま、ラウは食堂へ向かった。

 

 足音が消えてから、ヴァルトは重ね終えた教材へ目を落とす。

 

 右端が、ほんの少しだけずれていた。

 

 直しかけた指を引っ込める。

 

 昨夜、懐へ入れたUSBメモリは、今もそこにある。

 

 26年分。

 

 その数字が頭へ浮かんだ途端、教材の端など気にしている場合ではなくなった。

 

 戸締まりを済ませたヴァルトは、人のいない部屋へ移り、マールヴェインの家を思い浮かべた。

 

 転移の感覚が足元をさらう。

 

 次に目を開けた時には、見慣れた机と椅子が薄暗い室内に並んでいた。

 

 閉め切った家の空気は冷えている。窓の隙間から入った夕方の光が、机の上へ細く伸びていた。

 

 ヴァルトは外套を脱ぎかけ、ノートPCへ目を向ける。

 

 そのまま椅子へ座ろうとして、昨夜の澪の声を思い出した。

 

『今日は寝てください』

 

「今日は、まだ夜ではありません」

 

 誰もいない部屋で言ってみたが、言い訳として弱い。

 

 ヴァルトは外套を掛け、手を洗い、湯を沸かした。茶葉を入れた器を机の端へ置いてから、ようやくノートPCの蓋を開く。

 

 起動を待つ時間が、普段より長く感じられた。

 

 画面が明るくなる。

 

 懐からUSBメモリを取り出し、向きを確かめて差し込んだ。

 

 小さな音とともに、新しい記憶媒体が表示される。

 

 ヴァルトはマウスへ手を置いた。

 

 最初に目へ入ったのは、予想していたフォルダだった。

 

『漫画』

 

 開くと、作品ごとに分けられた名前が縦に並んだ。

 

 知っている作品。

 

 途中までしか知らない作品。

 

 名前すら見たことのない作品。

 

 2000年の正月から先にも、物語は止まらず作られ続けていた。

 

 ヴァルトの指が、ある作品名の上で止まる。

 

 まず一覧だけ。

 

 そのつもりで開きかけた時、画面の端に別のフォルダが見えた。

 

『魔道具設計案』

 

 ヴァルトは瞬きをした。

 

「漫画だけではなかったのですか、真壁さん」

 

 返事が来るはずもない。

 

 漫画の一覧を閉じるのは惜しく、画面の端へ残したまま、設計案のフォルダを開いた。

 

 中には、さらに幾つもの資料が並んでいた。

 

 真壁がこれまで扱ってきた設備の改良案。運搬用魔道具。収納と接続する加工補助具。エアカーへ追加する装備。

 

 どれも完成図ではない。

 

 形と用途、誰が使うか、どこへ置くかまでは細かく描かれているのに、魔術式を入れる部分だけが、意図的に空けられていた。

 

 ヴァルトは最初の図面を開く。

 

 エアカーの下部に、細長い筒を固定する図だった。

 

『投下式術式弾』

 

 筒を1本ずつ切り離し、上空から落とす。

 

 着弾前後に術式を発動させ、効果を周囲へ広げる。ただし、範囲は投下前に変更できる構造とし、人や荷車のいる方向を除外する。

 

 図面の端には、真壁の短い注記があった。

 

『境界による範囲固定と除外方向の制御をお願いしたい』

 

 ヴァルトは身を乗り出した。

 

「投下位置ごとに境界を組み替える……ほうほう」

 

 単純に術式を封じた筒を落とすだけではない。

 

 地形と対象に合わせて、魔術が働く方向を変える。人に近い側だけ術式を閉じ、反対側へ広げることもできる。

 

 境界の形を発動直前まで保持するには、弾体とエアカー側の設定部をつながなければならない。

 

 ヴァルトは紙を引き寄せ、最初の線を引いた。

 

 数本書いたところで、次の資料名が目に入る。

 

『小型バズーカ案』

 

 ヴァルトの指が止まった。

 

 資料を開く。

 

 表示されたのは、機動兵器が使ったジャイアント・バズーカを、人が携行できる大きさまで縮めた形だった。

 

 ただ小さくしただけではない。

 

 砲身は短く、弾体は交換式。発射時に生じる負荷を使用者へ戻さず、別の方向へ逃がすための空間も設けてある。

 

 そこにも、魔術式を入れるための空欄が残されていた。

 

「こちらは、ジャイアント・バズーカの小型化ですか」

 

 砲身の内側にだけ境界を作り、発射の瞬間に閉じる。

 

 押し返される力を、そのまま後方へ流すのではなく、別に設けた境界へ受け渡す。

 

 ヴァルトは図面を拡大した。

 

「ほうほう」

 

 茶の表面からは、もう湯気が上がっていなかった。

 

 

 

 

 

 翌日の授業で、ヴァルトはいつもどおり子どもたちの文字を直した。

 

 ただし、採点用の紙の横には、細かな術式を書き込んだ別の紙が重なっていた。

 

「先生、ここは違うのか?」

 

「そちらは合っています。こちらの文字は、縦線をもう少し短くし給え」

 

「じゃあ、この丸いのは?」

 

「それは授業用ではありません」

 

「何の絵だ?」

 

 ラウが、境界式の一部へ顔を寄せる。

 

 ヴァルトは紙を裏返した。

 

「今は文字へ集中してください」

 

「先生も別のこと考えてるじゃないか」

 

「私は教師なので、複数のことを考えられます」

 

「ずるいな」

 

「文字が読めるようになれば、君も考えられることが増えますよ」

 

 ラウは納得したような、していないような顔で、自分の紙へ戻った。

 

 授業が終わると、ヴァルトは秘密基地へ移った。

 

 作業台へ弾体を並べ、真壁の設計に沿って接続部を組む。術式を最大の力で動かす必要はない。最初はごく狭い範囲へ限定し、境界の外へ漏れないかを見た。

 

 氷の術式は、狙った側へだけ伸びるよう向きを変えた。

 

 地面へ作用する術式は、街道まで巻き込まないよう端を切った。

 

 風は対象を吹き飛ばす力よりも、指定した方向から外れないことを先に整えた。

 

 炎を使う術式には、外へ広がろうとする力を内側へ戻す境界を重ねた。

 

 動かしては止め、紙へ戻る。

 

 書き直しては、もう一度組む。

 

 2日目の夜、マールヴェインの家へ戻ったヴァルトは、食事を取りながら漫画を1話だけ読んだ。

 

 続きへ進もうとしたところで、画面の端に置いた設計案が目に入り、先に試験結果を書き直した。

 

 次に気づいた時には、漫画の画面よりも、境界式の方が大きく開かれていた。

 

「これは、真壁さんの配置が悪いですね」

 

 漫画の隣へ設計案を置いた本人は、ここにはいない。

 

 3日目には、投下機構と弾体のつながりも整った。

 

 操作盤から送った設定が弾体側へ渡り、落とした後も、指定した境界が崩れず残る。

 

 4種類の術式弾を別々のケースへ収める。

 

 小型バズーカも低い出力で試し、砲身内の境界と負荷の逃げ方を見比べた。肩へ返る衝撃が抑えられていることを確かめると、ヴァルトは結果をノートPCへ入力した。

 

 設計案の隣へ、変更点と試験結果を保存する。

 

 最後にUSBメモリへ書き戻した。

 

 画面には、漫画と魔道具設計案が並んでいる。

 

 26年分の物語を受け取ったはずが、3日後には兵器の試験結果まで追加されていた。

 

 ヴァルトはUSBメモリを抜き、机の上へ置いた。

 

「読む時間は、これから作ればよいでしょう」

 

 言葉にした途端、以前にも似たことを言って働き続けた記憶がよみがえった。

 

 ヴァルトはノートPCを閉じ、その日は寝ることにした。

 

 

 

 

 

 3日後の早朝、秘密基地の作業台には、4つの金属製ケースが並んでいた。

 

 その横へ置かれた小型バズーカを見た瞬間、澪の足が止まる。

 

 機動兵器用のものよりは小さい。

 

 小さいが、比較の相手がジャイアント・バズーカである。

 

 人が携行する道具として見れば、十分に大きかった。

 

 澪は作業台と真壁を交互に見た。

 

「……街道と集積地を見に行くんですよね」

 

「左様」

 

 真壁はケースの留め具を外し、中の術式弾を見比べている。

 

 澪が聞きたかったのは、行き先の再確認ではない。

 

「見に行く人の荷物には見えません」

 

「道中の装備だ」

 

 真壁は接続部を指先でなぞり、ヴァルトへ顔を向けた。

 

「完成したかね」

 

「はい。真壁さんの設計案へ、境界式と発動術式を加えました。投下機構との接続も済んでいます」

 

 ヴァルトは小型バズーカへ手を添えた。

 

「こちらも、砲身内の境界と負荷を逃がす処理まで組み込みました」

 

 澪は、バズーカの太い筒口へ視線を戻す。

 

 街道を調べる。

 

 北部の集積地を見る。

 

 転移地点に使える場所を探す。

 

 そこまでは理解していた。

 

 今、作業台に並んでいる物だけを見ると、別の予定が隠されているようにしか見えない。

 

「ヴァルトさんも、これが必要だと思ったんですか」

 

「思いました」

 

 返答が早かった。

 

 ヴァルトは、作業台の端に置いた紙地図を開く。指先が火山周辺へ止まった。

 

「私は以前、国の仕事で火山の近くへ何度か行かされました」

 

 最後の言葉に、ほんの少しだけ当時の疲れが混じった。

 

「火山の裾野は、遠くから見るほど歩きやすくありません。岩場の間には裂け目があり、場所によっては噴気が上がります。固く見える地面が崩れることもあります」

 

 ヴァルトの指が、街道脇の岩場へ移る。

 

「岩陰や窪地へ入った魔物は、地上からでは近づくまで見えません。上へ注意を向けている時に、足元から出られたこともありました」

 

「大型もいるんですか」

 

「いました。小型の群れだけとは限りません」

 

 澪は小型バズーカを見た。

 

 先ほどより、置かれている理由は分かる。

 

 理解と好感は別だった。

 

「火竜がいた頃は、その縄張りを避けていた魔物もいたでしょう。ですが、今は火竜がいません。以前と同じ場所に、同じ魔物がいるとは考えない方がよいです」

 

「空いた場所へ、別の群れが入っているかもしれない」

 

「はい。反対に、以前いた魔物が別の場所へ押し出されていることもあります」

 

 ヴァルトは術式弾のケースを閉じた。

 

「使わずに済めば、それが一番です。ただ、必要になった時に、何もないよりはよいでしょう」

 

 澪は返事をせず、4つのケースへ目を向けた。

 

 物々しいことには変わりない。

 

 しかし、危険な場所へ重い武器を持っていくことと、危険を理由に旅そのものをやめることは違う。

 

 今回は、現地で何かを征服するために持っていくのではない。

 

 帰れる状態を保つための備えだった。

 

 真壁がケースを閉じ、収納へ入れる。

 

 小型バズーカも持ち上げ、重さを確かめるように一度構えた後、そのまま収納した。

 

「真壁さんが使うんですね」

 

「大型個体が出ればな」

 

「出ないことを願います」

 

「私もだ」

 

 真壁の返答に、澪は一度だけ目を見開いた。

 

 使いたがっているわけではないらしい。

 

 その点だけは安心してよいのかもしれない。

 

 真壁は続けて収納からエアカーを出した。

 

 作業台の横へ機体が現れ、秘密基地の床へ低い影を落とす。

 

「澪君」

 

「はい」

 

 真壁はエアカーの操縦席へ向かいながら尋ねた。

 

「今回は隠密行動だ。もし小さな商隊が魔物に襲われていれば、どうする」

 

 澪は答えを探さなかった。

 

「助けます」

 

「姿を見せずに、だ」

 

「認識不明化境界魔道具を維持します。着陸せず、上空から魔物だけを排除します」

 

「左様」

 

 真壁は操縦盤の右奥を指した。

 

「そのための投下式術式弾だ」

 

 澪はエアカーと、収納へ消えたケースの位置を見比べる。

 

「最初から、私が助けると答える前提だったんですね」

 

「君が小さな商隊を見捨てるとは思っておらん」

 

 澪は口を閉じた。

 

 街道の先で、人が襲われている。

 

 こちらには助ける手段がある。

 

 その状況で、隠密だから通り過ぎるという選択を、自分ができるとは思えなかった。

 

 真壁は澪の返答を待たず、操作盤右奥の透明なカバーへ指を掛けた。

 

「これが投下操作部だ」

 

 カバーの下には、4つのボタンが並んでいる。

 

 術式名は書かれていない。

 

 刻まれているのは、1から4までの数字だけだった。

 

「カバーは誤操作防止用だ。使用を決めてから開け給え。開けた後は、合図までボタンへ触れぬように」

 

「はい」

 

 真壁が透明カバーを持ち上げる。

 

「1は氷針、2は泥沼、3は風鎚、4は劫炎だ」

 

 澪は左から順に数字を追った。

 

「1が氷針。2が泥沼。3が風鎚。4が劫炎」

 

「うむ。1回押すごとに、対応する術式弾を1発投下する。続けて押せば、その数だけ落ちる」

 

「必ず1回ずつですね」

 

「発動を見届けてから次を使い給え」

 

 真壁は1のボタンを指した。

 

「氷針は、着弾点の周囲へアイシクルランスを展開する。魔物の群れを処理する時に使う」

 

 指が2へ移る。

 

「泥沼は足止めだ。商隊との距離が近く、攻撃より先に動きを止めたい時に使う」

 

「3は、押し離すためですね」

 

「左様。倒す必要がなければ、街道から剥がせばよい」

 

 最後に、真壁の指が4の手前で止まった。

 

「劫炎は、人も建物も燃える物もない場所に限る。これは私が指示した時だけ押し給え」

 

 澪は4の数字を見た。

 

 数字だけなら、ほかのボタンと変わらない。

 

 だからこそ、透明カバーが必要なのだろう。

 

「範囲と、商隊側へ出さない方向はどうしますか」

 

「私が投下前に設定する。起爆高度も同じだ。君は指定位置へ機体を合わせ、合図の後に番号を1回押す」

 

「私が選ぶのは、機体の位置と、押す時機」

 

「最初はそれでよい。使い分けを理解した後も、範囲と除外方向は双方で見比べる」

 

 真壁は透明カバーを閉じた。

 

 小さな音がして、4つの数字が覆われる。

 

「使用後も閉じ給え。開けておく理由はない」

 

「承知しました」

 

 澪は操縦席へ座り、右奥へ手を伸ばした。

 

 透明カバーを開く。

 

 数字をもう一度目で追い、どのボタンにも触れずに閉じる。

 

「開けるのは、使うと決めてから。真壁さんが範囲と方向を設定する。指定位置へ合わせて、合図の後に1回。発動を確認して、終わったら閉じる」

 

「それでよい」

 

 澪はカバーから手を離した。

 

 説明の始まる前よりも、数字の意味が重く見えた。

 

 1から4まで。

 

 押す行為は簡単でも、どこで使うかは簡単ではない。

 

 操縦する自分も、落とす先を見なければならなかった。

 

 ヴァルトが作業台の端から、黒いUSBメモリを取り上げる。

 

「真壁さん。こちらもお返しします」

 

 真壁が受け取った。

 

「私が加えた術式と、試験結果を保存してあります。変更した部分も、元の設計と分けておきました」

 

「承知した。次の設計へ反映しよう」

 

 USBメモリが真壁の収納へ消える。

 

 漫画を読むために渡された小さな記憶媒体が、3日で魔道具の設計と試験結果を運ぶ往復便になっていた。

 

 澪は、USBが消えた場所と、閉じた透明カバーを交互に見た。

 

「使用した後の結果も、戻られてから教えてください」

 

 ヴァルトが言った。

 

「もう改良するつもりですよね」

 

「結果を見ずに、改良はできません」

 

 ヴァルトは穏やかに答えた。

 

 作業台には、すでに新しい紙が置かれている。端には、次に書き込むための余白まで残されていた。

 

 澪はそれ以上聞かなかった。

 

 改良しない者の机ではなかった。

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