採石場の岩壁へ、朝日が斜めに差し込んでいた。
夜の冷気が残る秘密基地の外では、切り出した石の表面が白く光り、足元には細かな石粉が薄く積もっている。風が通るたび、その一部が地面を這うように流れた。
澪はエアカーの操縦席へ乗り込み、紙地図を留め具へ挟んだ。
操作盤の右奥には、透明カバーに覆われた4つの数字が並んでいる。
1、2、3、4。
操作方法は、つい先ほど教わったばかりだ。それでも澪は、指を触れないようにしながら、数字をもう一度目で追った。
「1が氷針、2が泥沼、3が風鎚、4が劫炎……」
「忘れたかね」
助手席へ座った真壁が紙地図を開く。
「忘れていません。間違えたくないだけです」
「ならば問題ない」
真壁はもう前方を見ていた。
澪としては、投下する側の慎重さをもう少し共有してほしかったが、真壁の中では、覚えているなら処理済みなのだろう。
透明カバーから手を離し、機体周囲へ目を向ける。
「認識不明化境界魔道具、正常です」
「うむ。南へ向かい給え」
澪が浮上装置を起動すると、機体の下で石粉が円形に逃げた。
エアカーが地面を離れる。
採石場と秘密基地が足元へ沈み、北側の岩山が朝の光を受けて連なった。南を見れば、領都ヴァルディスへ続く道と、その先に広がる耕地が薄い靄の中へ伸びている。
澪は移動加速を使った。
身体の内側に熱が巡り、操縦桿へ触れる指の反応が早くなる。
速く飛ぶだけなら難しくない。
紙地図と実際の地形を見比べ、地図スキルに浮かぶ人や魔物の反応を拾いながら、風に機体を持っていかれないよう進路を保つ。その全部を同時に続ける方が難しかった。
エアカーは領都ヴァルディスの市街地を避け、東側へ大きく回った。
眼下には、朝から動き始めた荷車が見える。領都へ向かう車列には樽や麻袋が積まれ、南へ向かう荷車には空の荷台も多い。畑の間を走る細い水路では、農民が板を動かし、水の行き先を変えていた。
澪は北向きと南向きの荷車を見比べた。
「北へ向かう荷車の方が重そうですね」
幌の下で膨らんだ麻袋が、荷台の側板より高く積み上がっている。
「南から品が入っている」
「街道はまだ使われているんですね」
「止めれば、領都側が困る」
短い返事だった。
だが、荷車の数を見れば、その意味は分かる。
危険だからと道を閉じれば、荷を受け取る商人だけではなく、その先で穀物を買う家の食卓まで止まる。空から見れば小さな点にしか見えない荷車も、町へ着けば何十、何百という人の生活へ分かれていく。
南下するにつれ、耕地が減った。
水路が途切れ、民家の屋根もまばらになる。土には黒い石が混じり始め、背の高い草は見えなくなった。
西側には、火山から連なる山地が大きく迫っていた。
火口の周囲には薄い煙か雲がまとわりつき、裾野には古い溶岩の跡が黒い筋となって残っている。山肌から流れ落ちた黒い帯は、途中で何本にも分かれ、草地の手前で止まっていた。
領都から南へ伸びてきた道が、その山地の東側を通る街道へ合流する。
火山東街道だった。
街道へ沿って進み始めると、地図に赤い反応が増えた。
岩場の間。
乾いた沢の底。
街道から離れた低い丘の陰。
動かずに固まっているものもいれば、荷車の進む方向へゆっくり寄っていくものもいる。
地上を歩いていれば、岩陰の先に何がいるか分からない。だが上空からなら、街道の曲がり角より先まで見通せる。地図スキルに地形が現れていない範囲でも、人と魔物の反応は浮かんでいた。
街道には複数の商隊が動いている。
護衛の数は、領都周辺で見た商隊より多かった。
「小型の魔物が結構いますね〜」
澪が地図の赤い点を追う。
「火竜がいた頃は、この辺りまで近づけなかったのであろう」
「いなくなった場所へ、下りてきたんでしょうか」
「それもあろう。間引き出来るものがいないのではな……」
真壁の声が途中で止まった。
澪も同じ反応を見つけていた。
街道を進む小さな商隊。その前後へ、赤い点が集まっている。
「商隊が囲まれてます」
「見えている」
荷車は数台しかない。護衛も少なく、街道の中央へ荷車を寄せて槍を構えている。
前方の岩場から灰色の獣型魔物が飛び出し、後方でも別の群れが街道を塞いでいた。
「隠密行動中なのだが」
「真壁さん」
澪は助手席を見た。
長く説得するつもりはなかった。
真壁も、断る理由を並べなかった。地図上の反応を指で広げ、人と魔物の位置を見比べる。
「右から回り給え」
「はい」
澪はすぐに機体を傾けた。
商隊の真上を避け、街道の東側へ回る。真壁が操作盤へ手を伸ばし、術式弾の範囲を調整する間、澪は荷車と魔物の位置が重ならない角度を探した。
後方の荷車では、怯えた荷獣が首を振っている。
護衛の1人が槍で魔物を押し返したが、別の個体が車輪の脇へ回り込んだ。御者が荷台から棒を振り下ろし、ようやく遠ざける。
「後方からだ。商隊側は外した」
澪は投下位置を中央へ合わせる。
機体が風に押され、照準が横へ流れた。
操縦桿を戻し、地図の人の反応と眼下の荷車をもう一度重ねる。
「位置、合いました」
「1を1回」
澪は透明カバーを開いた。
1のボタンを押す。
機体の下から、細長い術式弾が落ちた。
地面へ触れる直前、弾体の周囲に青白い光が広がる。
次の瞬間、光の縁から複数のアイシクルランスが伸びた。
氷槍は商隊側へ向かわない。
街道の外から荷車へ迫っていた魔物だけを貫き、岩場の手前へ白い破片を散らした。
赤い反応がまとめて消える。
「前方へ回ります」
「左へ振り給え」
澪は透明カバーを閉じず、ボタンから指を離したまま旋回した。
前方の群れは、街道を横切るように広がっている。
そのまま落とせば、氷槍の一部が先頭の荷獣へ向かう。澪は機体を街道の外へ寄せ、群れを斜め後ろから見る位置へ回った。
真壁の指が操作盤を動く。
「商隊側を閉じた」
「合わせました」
「1を1回」
2発目が落ちる。
青白い光が地面を走り、街道前方の魔物を外側から貫いた。
数体が岩場へ逃げたが、荷車へ向かう反応はなくなった。
澪は追うべきか一瞬迷った。
「深追いは不要だ。荷車が動く」
先頭の御者が手綱を引き、荷獣を前へ向けていた。
止まっていた車輪が回る。
続く荷車も動き始め、護衛たちは後方を警戒しながら隊列を整えた。
何人かが空を見上げている。
こちらの存在には気づいているらしい。しかし、目は機体を捉えたまま定まらず、指を差す方向も揃っていなかった。
見えないのではない。
見ても、形や人数が記憶へ結びつかない。
澪は商隊が南へ進み始めるまで地図を見届け、透明カバーを閉じた。
「街道調査で、術式弾を2発使いました」
「街道が使えるかを調べている」
「使える状態に直しながら、ですか」
「その方が早い」
真壁は当然のように答え、紙地図へ目を戻した。
調査と救援は、普通なら別の仕事である。
真壁の中では、通過の妨げになった時点で同じ工程に入るらしい。
澪が機首を南へ戻した直後、視界の端へ文字が浮かんだ。
【レベルアップ】
【移動加速 Lv6→Lv7】
【特殊スキル】
【転移 芽あり】
「あ」
「どうした」
「移動加速がLv7になりました。それと、転移に芽が出ています」
真壁は表示へ一度目を向けた。
「転移を取り給え」
「即決ですね」
「今の旅で出た芽だ。使い道はある」
商隊を助けた直後に、帰るための技能が現れた。
理由を考えれば考えるほど、スキルの判断基準が分からなくなる。
「商隊を助けたら、帰る技能が生えたんですけど」
「旅には帰路が要る」
「そういう理由で生えるんですね」
「生えたものは使えばよい」
真壁はスキルの成り立ちを考えるより、使えるかどうかしか見ていなかった。
澪は未使用SPへ意識を向けた。
残してある中から使うのは1だけ。
【SPを1消費しました】
【転移 Lv1】
「取りました」
「うむ」
「登録は帰ってからですね」
「左様。ここは通過地点だ」
現在地を転移先にする理由はない。
澪は表示を閉じ、再び街道へ意識を戻した。
その後も、岩場から街道へ下りようとする魔物の群れが続いた。
商隊に近いものは泥沼で足を止め、範囲の端を抜けた個体は風鎚で岩場へ押し戻す。人のいない乾いた沢では、街道側を除外した氷針を落とした。
倒し切ることは目指さない。
荷車が進めるなら離れる。
最初は真壁の番号を待っていた澪も、いつしか人と魔物の距離を見て、先に透明カバーへ手を伸ばすようになっていた。
「右の岩場。商隊に近いので2を使います」
「よろしい。街道は入れるでないぞ」
「外へ抜けた個体は3で押し戻します」
「右側へ流し給え」
真壁の返答は短い。
澪が選んだ位置に問題がなければ、そのまま実行へ移る。違えば、直す箇所だけを伝えた。
乾いた沢の群れを処理した後、短い表示が浮かんだ。
【転移 Lv1→Lv2】
「転移がLv2になりました」
「順調だな」
それだけだった。
真壁は次の地形へ視線を移し、澪も表示を閉じる。
いつの間にか、透明カバーを開く前に、どの番号を使うか考えるようになっていた。
最初は4つの数字が同じ重さに見えた。
今は、眼下の人と地形によって、それぞれ違う意味を持っている。
火山の裾野をさらに南へ進むと、街道から離れた場所に大きな岩盆地が現れた。
黒い岩壁に囲まれた底へ、多数の赤い反応が密集している。
澪は機体をそのまま近づけず、盆地の周囲を回った。
「人の反応はありません。街道からも離れています」
岩壁の外には、燃え広がるような草木もない。
出口は狭く、盆地の底から街道側へ向かっている。
「放置すれば、街道へ出るかもしれません」
「4だ」
澪の視線が透明カバーへ落ちる。
4だけは、真壁の指示がある時に使う。
「周囲に人の反応なし。燃え移る物もありません」
「中央へ合わせ給え」
真壁が盆地の形に沿って範囲を調整する。
澪は機体を中央へ滑らせた。
眼下の魔物が、エアカーの影に気づいたのか動き始める。盆地の出口へ向かう反応もあった。
「位置、合いました」
「落とし給え」
澪は4を1回押した。
術式弾が盆地の中央へ落ちる。
赤い光が岩肌を走り、外周から炎が立ち上がった。
炎は外へ広がらない。
岩壁に沿って円を作り、そのまま内側へ折れ込んでいく。
出口へ走った魔物も、前方から迫る炎に押し戻された。火の輪は少しずつ狭まり、赤い反応を中央へ集めながら消していく。
火の粉は岩壁を越えず、炎も盆地の外へ這い出さなかった。
最後の反応が消える。
澪は息を吐き、透明カバーを閉じた。
「一番強いものを使ったんですか」
「最も漏れぬものを使った」
真壁は盆地の外へ炎が出ていないことを見届けると、もう紙地図へ視線を戻していた。
強いから選んだのではない。
人も建物も草木もなく、岩壁の内側へ閉じ込められる。だから使った。
収納に入っている小型バズーカは、最後まで出番がなかった。
澪はそれでよいと思った。
【転移 Lv2→Lv3】
新しい表示が現れる。
「転移がLv3になりました。これなら真壁さんも連れて戻れます」
「私は自分で戻れる」
澪は前を向いたまま黙った。
最初に考えた使い道を、本人から即座に否定されてしまった。
エアカーが南へ進む間に、真壁が続ける。
「同行者を運べるのは大きい」
「……はい」
澪は操縦桿を握り直した。
機体が、それまでより滑らかに南へ向いた。
火山東街道の先に、国境関所が見えてきた。
石造りの門と詰所が街道を挟み、その前には荷車の列ができている。地図上でも、人と荷獣の反応がひとかたまりになっていた。
澪は関所へ向かわなかった。
街道の途中から、予定どおり東側の荒地へ機首を振る。
車輪の跡が消え、乾いた土と低い岩ばかりになる。
「柵の終端だ」
「見えています」
国境関所から東へ延びた柵が、岩地の手前で途切れている。
澪はその外側を回った。
「大岩を右へ」
前方に、斜めへ割れた大岩が見えた。
裂け目の影が朝の光を遮り、黒い刃のように地面へ伸びている。澪は岩を右手に置き、その先の低い尾根へ向かった。
紙地図では空白になっている岩地でも、人と敵性反応の位置は地図に浮かぶ。
柵の近くに、見張りらしい反応があった。
澪は高度を上げず、岩の陰へ隠れるように進路をずらした。
認識不明化境界魔道具は、出発時から変わらず働いている。
尾根の手前で、旅人らしい人の反応が北へ動いた。
澪は速度を落とし、岩陰を通り過ぎるのを待つ。反応が離れてから、尾根の低い部分へ機体を向けた。
黒い岩が機首の下へ入る。
越えても、空の色は変わらなかった。
土も岩も、王国側と同じように乾いている。
澪は紙地図に引かれた境界線と、通過した目印を見比べ、そのまま機首を南へ保った。
低い尾根が後方へ遠ざかる。
真壁は地図上の人の反応を追ったまま、何も言わなかった。澪も口を開かず、乾いた川筋へ進路を寄せる。
人の反応を避ける。
魔物の群れも迂回する。
王国側で使った術式弾には触れない。
国境関所が地図の後方へ遠ざかってから、真壁が進路を西寄りへ戻した。
最初に違いへ気づいたのは、道標だった。
街道脇に立つ石柱には、王国のものとは形の異なる文字が刻まれている。文字そのものは読めなくても、枝分かれした道の向きと、距離らしい数字を示していることは分かった。
荷車の形も違う。
車輪が大きく、荷台の側板は王国のものより高い。幌を掛けた車には、見慣れない商会印が描かれていた。
御者は短い外套を幅広の帯で締め、荷獣の馬具には染めた革紐が結ばれている。
「文字も服も違いますね。やっと外国へ来た感じがします」
「北向きの荷車は穀物が多い」
真壁は御者ではなく、荷台を見ていた。
「真壁さんは、先に積荷を見るんですね」
「そのために来た」
「そうでした」
澪は道標へ向けていた目を、荷車へ戻した。
北へ向かう荷車には、麻袋が側板の高さまで積まれている。南へ戻る荷車は空荷が多く、中には王国側で積んだらしい木箱を載せたものもあった。
同じ街道を、荷が両方向へ動いている。
火山の周囲に魔物が増えても、人は道を捨てていなかった。
やがて街道の先に、低い城壁が見えてきた。
その向こうには、赤褐色の屋根が重なっている。
城壁の外には倉庫が並び、家畜を囲う柵もあった。門前には大小の荷車が列を作り、見慣れない商会印を掲げた人々が順番を待っている。
「カルダノです」
「左様」
澪は町へ真っすぐ進まず、東側へ回った。
地図上で人と敵性反応のない木立を探し、街道から見えにくい平地へ機体を下ろす。
浮上装置の風が草を伏せた。
エアカーが地面へ着く。
真壁が先に降り、機体を収納した。
急に風の音が遠くなり、代わりに町門の方から車輪の軋む音と、荷獣を追う声が届いてくる。
澪は肩の鞄を掛け直した。
木立の間から、赤褐色の屋根が見える。
真壁は門前の荷車へ目を向け、すでに積荷と人の流れを追っていた。
「参ろう」
「はい」
2人が木立を抜けると、低い城壁の向こうに屋根が幾重にも重なっていた。
王国から来た荷車と、レヴァニアの荷車が門前で同じ列を作っている。
その先に、レヴァニアで最初の町カルダノがあった。