押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第241話 火山の東を越えて

 

 採石場の岩壁へ、朝日が斜めに差し込んでいた。

 

 夜の冷気が残る秘密基地の外では、切り出した石の表面が白く光り、足元には細かな石粉が薄く積もっている。風が通るたび、その一部が地面を這うように流れた。

 

 澪はエアカーの操縦席へ乗り込み、紙地図を留め具へ挟んだ。

 

 操作盤の右奥には、透明カバーに覆われた4つの数字が並んでいる。

 

 1、2、3、4。

 

 操作方法は、つい先ほど教わったばかりだ。それでも澪は、指を触れないようにしながら、数字をもう一度目で追った。

 

「1が氷針、2が泥沼、3が風鎚、4が劫炎……」

 

「忘れたかね」

 

 助手席へ座った真壁が紙地図を開く。

 

「忘れていません。間違えたくないだけです」

 

「ならば問題ない」

 

 真壁はもう前方を見ていた。

 

 澪としては、投下する側の慎重さをもう少し共有してほしかったが、真壁の中では、覚えているなら処理済みなのだろう。

 

 透明カバーから手を離し、機体周囲へ目を向ける。

 

「認識不明化境界魔道具、正常です」

 

「うむ。南へ向かい給え」

 

 澪が浮上装置を起動すると、機体の下で石粉が円形に逃げた。

 

 エアカーが地面を離れる。

 

 採石場と秘密基地が足元へ沈み、北側の岩山が朝の光を受けて連なった。南を見れば、領都ヴァルディスへ続く道と、その先に広がる耕地が薄い靄の中へ伸びている。

 

 澪は移動加速を使った。

 

 身体の内側に熱が巡り、操縦桿へ触れる指の反応が早くなる。

 

 速く飛ぶだけなら難しくない。

 

 紙地図と実際の地形を見比べ、地図スキルに浮かぶ人や魔物の反応を拾いながら、風に機体を持っていかれないよう進路を保つ。その全部を同時に続ける方が難しかった。

 

 エアカーは領都ヴァルディスの市街地を避け、東側へ大きく回った。

 

 眼下には、朝から動き始めた荷車が見える。領都へ向かう車列には樽や麻袋が積まれ、南へ向かう荷車には空の荷台も多い。畑の間を走る細い水路では、農民が板を動かし、水の行き先を変えていた。

 

 澪は北向きと南向きの荷車を見比べた。

 

「北へ向かう荷車の方が重そうですね」

 

 幌の下で膨らんだ麻袋が、荷台の側板より高く積み上がっている。

 

「南から品が入っている」

 

「街道はまだ使われているんですね」

 

「止めれば、領都側が困る」

 

 短い返事だった。

 

 だが、荷車の数を見れば、その意味は分かる。

 

 危険だからと道を閉じれば、荷を受け取る商人だけではなく、その先で穀物を買う家の食卓まで止まる。空から見れば小さな点にしか見えない荷車も、町へ着けば何十、何百という人の生活へ分かれていく。

 

 南下するにつれ、耕地が減った。

 

 水路が途切れ、民家の屋根もまばらになる。土には黒い石が混じり始め、背の高い草は見えなくなった。

 

 西側には、火山から連なる山地が大きく迫っていた。

 

 火口の周囲には薄い煙か雲がまとわりつき、裾野には古い溶岩の跡が黒い筋となって残っている。山肌から流れ落ちた黒い帯は、途中で何本にも分かれ、草地の手前で止まっていた。

 

 領都から南へ伸びてきた道が、その山地の東側を通る街道へ合流する。

 

 火山東街道だった。

 

 

 

 

 

 街道へ沿って進み始めると、地図に赤い反応が増えた。

 

 岩場の間。

 

 乾いた沢の底。

 

 街道から離れた低い丘の陰。

 

 動かずに固まっているものもいれば、荷車の進む方向へゆっくり寄っていくものもいる。

 

 地上を歩いていれば、岩陰の先に何がいるか分からない。だが上空からなら、街道の曲がり角より先まで見通せる。地図スキルに地形が現れていない範囲でも、人と魔物の反応は浮かんでいた。

 

 街道には複数の商隊が動いている。

 

 護衛の数は、領都周辺で見た商隊より多かった。

 

「小型の魔物が結構いますね〜」

 

 澪が地図の赤い点を追う。

 

「火竜がいた頃は、この辺りまで近づけなかったのであろう」

 

「いなくなった場所へ、下りてきたんでしょうか」

 

「それもあろう。間引き出来るものがいないのではな……」

 

 真壁の声が途中で止まった。

 

 澪も同じ反応を見つけていた。

 

 街道を進む小さな商隊。その前後へ、赤い点が集まっている。

 

「商隊が囲まれてます」

 

「見えている」

 

 荷車は数台しかない。護衛も少なく、街道の中央へ荷車を寄せて槍を構えている。

 

 前方の岩場から灰色の獣型魔物が飛び出し、後方でも別の群れが街道を塞いでいた。

 

「隠密行動中なのだが」

 

「真壁さん」

 

 澪は助手席を見た。

 

 長く説得するつもりはなかった。

 

 真壁も、断る理由を並べなかった。地図上の反応を指で広げ、人と魔物の位置を見比べる。

 

「右から回り給え」

 

「はい」

 

 澪はすぐに機体を傾けた。

 

 商隊の真上を避け、街道の東側へ回る。真壁が操作盤へ手を伸ばし、術式弾の範囲を調整する間、澪は荷車と魔物の位置が重ならない角度を探した。

 

 後方の荷車では、怯えた荷獣が首を振っている。

 

 護衛の1人が槍で魔物を押し返したが、別の個体が車輪の脇へ回り込んだ。御者が荷台から棒を振り下ろし、ようやく遠ざける。

 

「後方からだ。商隊側は外した」

 

 澪は投下位置を中央へ合わせる。

 

 機体が風に押され、照準が横へ流れた。

 

 操縦桿を戻し、地図の人の反応と眼下の荷車をもう一度重ねる。

 

「位置、合いました」

 

「1を1回」

 

 澪は透明カバーを開いた。

 

 1のボタンを押す。

 

 機体の下から、細長い術式弾が落ちた。

 

 地面へ触れる直前、弾体の周囲に青白い光が広がる。

 

 次の瞬間、光の縁から複数のアイシクルランスが伸びた。

 

 氷槍は商隊側へ向かわない。

 

 街道の外から荷車へ迫っていた魔物だけを貫き、岩場の手前へ白い破片を散らした。

 

 赤い反応がまとめて消える。

 

「前方へ回ります」

 

「左へ振り給え」

 

 澪は透明カバーを閉じず、ボタンから指を離したまま旋回した。

 

 前方の群れは、街道を横切るように広がっている。

 

 そのまま落とせば、氷槍の一部が先頭の荷獣へ向かう。澪は機体を街道の外へ寄せ、群れを斜め後ろから見る位置へ回った。

 

 真壁の指が操作盤を動く。

 

「商隊側を閉じた」

 

「合わせました」

 

「1を1回」

 

 2発目が落ちる。

 

 青白い光が地面を走り、街道前方の魔物を外側から貫いた。

 

 数体が岩場へ逃げたが、荷車へ向かう反応はなくなった。

 

 澪は追うべきか一瞬迷った。

 

「深追いは不要だ。荷車が動く」

 

 先頭の御者が手綱を引き、荷獣を前へ向けていた。

 

 止まっていた車輪が回る。

 

 続く荷車も動き始め、護衛たちは後方を警戒しながら隊列を整えた。

 

 何人かが空を見上げている。

 

 こちらの存在には気づいているらしい。しかし、目は機体を捉えたまま定まらず、指を差す方向も揃っていなかった。

 

 見えないのではない。

 

 見ても、形や人数が記憶へ結びつかない。

 

 澪は商隊が南へ進み始めるまで地図を見届け、透明カバーを閉じた。

 

「街道調査で、術式弾を2発使いました」

 

「街道が使えるかを調べている」

 

「使える状態に直しながら、ですか」

 

「その方が早い」

 

 真壁は当然のように答え、紙地図へ目を戻した。

 

 調査と救援は、普通なら別の仕事である。

 

 真壁の中では、通過の妨げになった時点で同じ工程に入るらしい。

 

 澪が機首を南へ戻した直後、視界の端へ文字が浮かんだ。

 

【レベルアップ】

 

【移動加速 Lv6→Lv7】

 

【特殊スキル】

 

【転移 芽あり】

 

「あ」

 

「どうした」

 

「移動加速がLv7になりました。それと、転移に芽が出ています」

 

 真壁は表示へ一度目を向けた。

 

「転移を取り給え」

 

「即決ですね」

 

「今の旅で出た芽だ。使い道はある」

 

 商隊を助けた直後に、帰るための技能が現れた。

 

 理由を考えれば考えるほど、スキルの判断基準が分からなくなる。

 

「商隊を助けたら、帰る技能が生えたんですけど」

 

「旅には帰路が要る」

 

「そういう理由で生えるんですね」

 

「生えたものは使えばよい」

 

 真壁はスキルの成り立ちを考えるより、使えるかどうかしか見ていなかった。

 

 澪は未使用SPへ意識を向けた。

 

 残してある中から使うのは1だけ。

 

【SPを1消費しました】

 

【転移 Lv1】

 

「取りました」

 

「うむ」

 

「登録は帰ってからですね」

 

「左様。ここは通過地点だ」

 

 現在地を転移先にする理由はない。

 

 澪は表示を閉じ、再び街道へ意識を戻した。

 

 

 

 

 

 その後も、岩場から街道へ下りようとする魔物の群れが続いた。

 

 商隊に近いものは泥沼で足を止め、範囲の端を抜けた個体は風鎚で岩場へ押し戻す。人のいない乾いた沢では、街道側を除外した氷針を落とした。

 

 倒し切ることは目指さない。

 

 荷車が進めるなら離れる。

 

 最初は真壁の番号を待っていた澪も、いつしか人と魔物の距離を見て、先に透明カバーへ手を伸ばすようになっていた。

 

「右の岩場。商隊に近いので2を使います」

 

「よろしい。街道は入れるでないぞ」

 

「外へ抜けた個体は3で押し戻します」

 

「右側へ流し給え」

 

 真壁の返答は短い。

 

 澪が選んだ位置に問題がなければ、そのまま実行へ移る。違えば、直す箇所だけを伝えた。

 

 乾いた沢の群れを処理した後、短い表示が浮かんだ。

 

【転移 Lv1→Lv2】

 

「転移がLv2になりました」

 

「順調だな」

 

 それだけだった。

 

 真壁は次の地形へ視線を移し、澪も表示を閉じる。

 

 いつの間にか、透明カバーを開く前に、どの番号を使うか考えるようになっていた。

 

 最初は4つの数字が同じ重さに見えた。

 

 今は、眼下の人と地形によって、それぞれ違う意味を持っている。

 

 火山の裾野をさらに南へ進むと、街道から離れた場所に大きな岩盆地が現れた。

 

 黒い岩壁に囲まれた底へ、多数の赤い反応が密集している。

 

 澪は機体をそのまま近づけず、盆地の周囲を回った。

 

「人の反応はありません。街道からも離れています」

 

 岩壁の外には、燃え広がるような草木もない。

 

 出口は狭く、盆地の底から街道側へ向かっている。

 

「放置すれば、街道へ出るかもしれません」

 

「4だ」

 

 澪の視線が透明カバーへ落ちる。

 

 4だけは、真壁の指示がある時に使う。

 

「周囲に人の反応なし。燃え移る物もありません」

 

「中央へ合わせ給え」

 

 真壁が盆地の形に沿って範囲を調整する。

 

 澪は機体を中央へ滑らせた。

 

 眼下の魔物が、エアカーの影に気づいたのか動き始める。盆地の出口へ向かう反応もあった。

 

「位置、合いました」

 

「落とし給え」

 

 澪は4を1回押した。

 

 術式弾が盆地の中央へ落ちる。

 

 赤い光が岩肌を走り、外周から炎が立ち上がった。

 

 炎は外へ広がらない。

 

 岩壁に沿って円を作り、そのまま内側へ折れ込んでいく。

 

 出口へ走った魔物も、前方から迫る炎に押し戻された。火の輪は少しずつ狭まり、赤い反応を中央へ集めながら消していく。

 

 火の粉は岩壁を越えず、炎も盆地の外へ這い出さなかった。

 

 最後の反応が消える。

 

 澪は息を吐き、透明カバーを閉じた。

 

「一番強いものを使ったんですか」

 

「最も漏れぬものを使った」

 

 真壁は盆地の外へ炎が出ていないことを見届けると、もう紙地図へ視線を戻していた。

 

 強いから選んだのではない。

 

 人も建物も草木もなく、岩壁の内側へ閉じ込められる。だから使った。

 

 収納に入っている小型バズーカは、最後まで出番がなかった。

 

 澪はそれでよいと思った。

 

【転移 Lv2→Lv3】

 

 新しい表示が現れる。

 

「転移がLv3になりました。これなら真壁さんも連れて戻れます」

 

「私は自分で戻れる」

 

 澪は前を向いたまま黙った。

 

 最初に考えた使い道を、本人から即座に否定されてしまった。

 

 エアカーが南へ進む間に、真壁が続ける。

 

「同行者を運べるのは大きい」

 

「……はい」

 

 澪は操縦桿を握り直した。

 

 機体が、それまでより滑らかに南へ向いた。

 

 

 

 

 

 火山東街道の先に、国境関所が見えてきた。

 

 石造りの門と詰所が街道を挟み、その前には荷車の列ができている。地図上でも、人と荷獣の反応がひとかたまりになっていた。

 

 澪は関所へ向かわなかった。

 

 街道の途中から、予定どおり東側の荒地へ機首を振る。

 

 車輪の跡が消え、乾いた土と低い岩ばかりになる。

 

「柵の終端だ」

 

「見えています」

 

 国境関所から東へ延びた柵が、岩地の手前で途切れている。

 

 澪はその外側を回った。

 

「大岩を右へ」

 

 前方に、斜めへ割れた大岩が見えた。

 

 裂け目の影が朝の光を遮り、黒い刃のように地面へ伸びている。澪は岩を右手に置き、その先の低い尾根へ向かった。

 

 紙地図では空白になっている岩地でも、人と敵性反応の位置は地図に浮かぶ。

 

 柵の近くに、見張りらしい反応があった。

 

 澪は高度を上げず、岩の陰へ隠れるように進路をずらした。

 

 認識不明化境界魔道具は、出発時から変わらず働いている。

 

 尾根の手前で、旅人らしい人の反応が北へ動いた。

 

 澪は速度を落とし、岩陰を通り過ぎるのを待つ。反応が離れてから、尾根の低い部分へ機体を向けた。

 

 黒い岩が機首の下へ入る。

 

 越えても、空の色は変わらなかった。

 

 土も岩も、王国側と同じように乾いている。

 

 澪は紙地図に引かれた境界線と、通過した目印を見比べ、そのまま機首を南へ保った。

 

 低い尾根が後方へ遠ざかる。

 

 真壁は地図上の人の反応を追ったまま、何も言わなかった。澪も口を開かず、乾いた川筋へ進路を寄せる。

 

 人の反応を避ける。

 

 魔物の群れも迂回する。

 

 王国側で使った術式弾には触れない。

 

 国境関所が地図の後方へ遠ざかってから、真壁が進路を西寄りへ戻した。

 

 

 

 

 

 最初に違いへ気づいたのは、道標だった。

 

 街道脇に立つ石柱には、王国のものとは形の異なる文字が刻まれている。文字そのものは読めなくても、枝分かれした道の向きと、距離らしい数字を示していることは分かった。

 

 荷車の形も違う。

 

 車輪が大きく、荷台の側板は王国のものより高い。幌を掛けた車には、見慣れない商会印が描かれていた。

 

 御者は短い外套を幅広の帯で締め、荷獣の馬具には染めた革紐が結ばれている。

 

「文字も服も違いますね。やっと外国へ来た感じがします」

 

「北向きの荷車は穀物が多い」

 

 真壁は御者ではなく、荷台を見ていた。

 

「真壁さんは、先に積荷を見るんですね」

 

「そのために来た」

 

「そうでした」

 

 澪は道標へ向けていた目を、荷車へ戻した。

 

 北へ向かう荷車には、麻袋が側板の高さまで積まれている。南へ戻る荷車は空荷が多く、中には王国側で積んだらしい木箱を載せたものもあった。

 

 同じ街道を、荷が両方向へ動いている。

 

 火山の周囲に魔物が増えても、人は道を捨てていなかった。

 

 やがて街道の先に、低い城壁が見えてきた。

 

 その向こうには、赤褐色の屋根が重なっている。

 

 城壁の外には倉庫が並び、家畜を囲う柵もあった。門前には大小の荷車が列を作り、見慣れない商会印を掲げた人々が順番を待っている。

 

「カルダノです」

 

「左様」

 

 澪は町へ真っすぐ進まず、東側へ回った。

 

 地図上で人と敵性反応のない木立を探し、街道から見えにくい平地へ機体を下ろす。

 

 浮上装置の風が草を伏せた。

 

 エアカーが地面へ着く。

 

 真壁が先に降り、機体を収納した。

 

 急に風の音が遠くなり、代わりに町門の方から車輪の軋む音と、荷獣を追う声が届いてくる。

 

 澪は肩の鞄を掛け直した。

 

 木立の間から、赤褐色の屋根が見える。

 

 真壁は門前の荷車へ目を向け、すでに積荷と人の流れを追っていた。

 

「参ろう」

 

「はい」

 

 2人が木立を抜けると、低い城壁の向こうに屋根が幾重にも重なっていた。

 

 王国から来た荷車と、レヴァニアの荷車が門前で同じ列を作っている。

 

 その先に、レヴァニアで最初の町カルダノがあった。

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