カルダノの門をくぐると、街道の乾いた土から石敷きへ足裏の感触が変わった。
真壁と澪の横を、荷車が軋みながら通り過ぎていく。
荷台には旅の荷が隙間なく積まれ、御者は門を出る前から何度も縄の張りを確かめていた。
違う国へ来たのだという実感はあった。
ただ、澪の目を引いたのは建物でも服装でもなかった。
鍛冶場の前で、商人らしい男が革鎧を身体へ当てている。
その隣では、護衛が盾の縁へ新しい金具を留めてもらっていた。
槍を受け取る者もいれば、荷獣の喉を覆う厚い革具を確かめている御者もいる。
「武具をあつらえている人が多いですね」
澪が足を緩めると、真壁は店先ではなく、道端へ止められた荷車へ目を向けた。
「武具だけではない」
荷台の下に、交換用らしい車軸が縛りつけられている。
側板には鉄輪と縄、木槌まで吊られていた。
「予備の車軸に、車輪の鉄輪。それから軸受けの金具ですか」
「壊れることを前提にしている」
町の中は落ち着いていた。
食料店には大麦や豆が積まれ、店先では客が籠の中身を見比べている。
路地からは煮込み料理の匂いが漂い、荷役人の掛け声に交じって食器の触れ合う音が聞こえた。
魔物に怯えて暮らしている町には見えない。
それでも、町の外へ向かう商人たちだけが、旅支度という言葉では足りない装備を揃えていた。
澪は革鎧を受け取った男へ声を掛けた。
「失礼します。この近くで魔物が出るのでしょうか」
男は一度目を瞬かせ、それから周囲を見回した。
「この辺りで?」
「はい」
「出ないよ」
あまりに軽く返され、澪は次の言葉を失った。
男は新しい革紐を引き、胸当ての具合を確かめた。
「レヴァニアの中じゃ、魔物は出ない。これは火山東街道を通るためのものだ」
「街道へ出ると違うんですか」
「違わなきゃ、こんな重いものを好き好んで着るものか」
男は肩を回した。革がまだ馴染んでおらず、鈍い音を立てる。
「高い品なら護衛を増やしても金になる。だが麦や豆じゃ、護衛の飯代まで値へ乗せられん。だから止まる」
「穀物の荷車が、ですか」
「詳しいことなら北部集積地で聞くといい。ゲルハルトを訪ねな」
真壁が男を見る。
「商人かね」
「商人だ。倉庫がどれだけ埋まっているか、動かせる荷車が何台あるか、護衛が何人空いているか。あそこでは、役人より先に知っている」
男は槍を受け取ると、代金を店主へ渡した。
「ただ、今は機嫌が悪いぞ。穀物が雨雲みたいに溜まっている」
「雨なら流れますが、穀物は流れませんね」
澪が言うと、男は初めて笑った。
「だから、あの男が困っている」
鍛冶場から赤く熱せられた鉄が運ばれ、水へ沈められた。白い蒸気が上がり、澪の頬へ熱気が届く。
槌で打たれていたのは剣ではなかった。
曲がった鉄輪だった。
真壁は修理台の横へ並べられた金具を一通り眺めると、北部集積地へ向かう道へ目を向けた。
「ゲルハルトに会おう」
「はい。その前に、少し食べませんか」
「移動しながらでも食べられる」
「真壁さんの場合、本当に移動しながらで終わりますから」
澪は通りの先に見えた食堂の看板を指した。
「現地の食料事情を調べるのも仕事です」
真壁は看板と澪を見比べた。
「左様か」
納得したように答えたが、澪には、押し切られた時の返事にしか聞こえなかった。
結局、澪は食事を終えるまで、真壁を食堂の椅子へ座らせることに成功した。
もっとも真壁は、その間にも窓の外を通る商隊の護衛人数と、荷車へ積まれた予備部品を数えていた。
真壁と澪はカルダノの町外れへ出ると、人目のない場所でエアカーを取り出した。
認識不明化境界魔道具を起動し、空を隠密移動して北部集積地へ向かう。
レヴァニア国内に魔物の危険はなく、移動そのものは問題なく進んだ。
やがて前方に、倉庫と荷車が集まる北部集積地が見えてきた。
集積地へ近づくにつれ、澪は倉庫の数より、その外へ積まれた麻袋の方が気になった。
屋根のある保管場所へ収まりきらず、防水布を掛けられた穀物袋が通路の端まで並んでいる。
荷役人は新しく届いた袋を肩へ担いでいるのに、積み出す側の動きは鈍かった。
「入ってくる荷は止まっていませんね」
「うむ」
真壁は人の少ない場所へエアカーを下ろした。
地上へ降りてから集積地へ入ると、麻袋から漏れた粉が靴底へ薄く付いた。乾いた穀物の匂いに、荷獣の汗と革油が混ざっている。
倉庫の奥では荷を下ろす掛け声が響いていたが、街道へ向かう車輪の音は少ない。
澪は倉庫の間を歩きながら、壁際へ寄せられた荷車へ目を留めた。
車輪が外されている。別の荷車は片側を木材で支えられ、折れた車軸が床へ置かれていた。
曲がった鉄輪の横では、職人が使える金具を選り分けている。
「荷物だけではなく、荷車も溜まっています」
「使える車を減らしている原因がある」
真壁は車軸の折れ口へ視線を落とした。
何かに叩き折られた形ではない。木がねじれ、外側から裂けている。
「走らせすぎたのでしょうか」
「その可能性が高い」
近くにいた荷役人へゲルハルトの名を出すと、そのうちの1人が倉庫の奥へ呼びに走った。
しばらくして、革鞄を抱えた男が戻ってきた。
上着の肩には穀物粉が付き、袖には黒い油染みが残っている。
澪たちへ挨拶する前にも、男の目は修理中の荷車へ向いた。
「待たせたな」
「ゲルハルトさんですか」
「そうだ」
「押入商会の篠原澪です。こちらは真壁です」
「ゲルハルトだ。歩きながらでよければ話す」
立ち止まっている時間も惜しいらしい。
ゲルハルトは倉庫の間を進み、荷札を確かめ、荷役人へ袋の置き場所を指示した。真壁と澪はその横を歩く。
「穀物は、ずっと入ってきているんですね」
「ああ。大麦も豆も入る。産地が不作になったわけじゃない」
ゲルハルトは足を止め、倉庫の扉を押し開けた。
中には麻袋が天井近くまで積み上げられていた。
下段の袋は重みで形を崩し、縫い目から細かな粉が床へ落ちている。
「足りないどころか、置く場所がなくなり始めている」
「買う人がいないのですか」
「買う町はある」
ゲルハルトは奥の袋を指した。
「火山東街道の向こうにも、食べる者はいる。だが運べん」
「カルダノで、街道へ向かう商人が武具を揃えていました」
澪が言うと、ゲルハルトは短く息を吐いた。
「高い荷なら、それで通せる」
倉庫を出た先に、護衛を多く連れた小さな荷車があった。積まれている木箱は少なく、荷台にも余裕がある。
「あれは単価の高い商品だ。荷が軽く、売値が高い。護衛を増やしても利益が残る」
ゲルハルトは反対側へ顎を向けた。
そこには側板の高さまで麻袋を積んだ大型荷車が止まっていた。荷獣はまだ繋がれていない。
「大麦や豆は重い。値は安い。護衛を増やした分を売値へ乗せれば、届けた先で食料として買えなくなる」
澪は荷台の高さを見上げた。
袋を減らせば速く走れる。だが、運べる量が減れば、やはり費用が合わなくなる。
「火竜がいた頃は、ここまで止まらなかったのですね」
真壁が尋ねた。
「ああ。近寄れなかったんだろう。火竜が消えてから、火山帯へ魔物が入り始めた」
「どのような魔物ですか」
「虫と爬虫類が多い。今、一番厄介なのはマンティスだ」
「マンティス」
澪の頭に、大きな鎌を持ったカマキリが浮かんだ。
ただ大きくしただけでも十分に嫌だった。
「街道を塞いで群れているわけじゃない」
ゲルハルトは腰の革鞄から折り畳んだ地図を出し、荷車の側板へ広げた。
「暖かい岩場や枯れ草へ紛れて、通る荷獣を狩る。荷車の先頭が通れたからといって、後ろも安全とは限らん」
指が、国境に沿う道をなぞる。
「護衛が見つけるより先に、荷獣が怯える。御者が走らせる。車輪が石を踏む。車軸が折れる。積荷を捨てて逃げられれば、まだ運がいい」
澪は先ほど見た、ねじれて裂けた車軸を思い出した。
「定期的に討伐する人はいないのですか」
ゲルハルトの指が地図上で止まった。
「王国軍が南へ出れば、こちらからは越境に見える。レヴァニア軍が北へ出れば、王国には軍を進めたように見える」
「関所の間にある街道だからですか」
「両国とも、自分の関所と町は守る。だが国境沿いへ兵を出して、継続して狩る者はいない」
街道を通る商隊は、自費で護衛を雇わなければならない。
高価な荷なら費用を売値へ載せられるが、安く大量に運ぶ大麦や豆にはそれができない。
出発を待つ間にも新しい穀物は届き、無理に出た荷車が壊れるたび、使える輸送力まで減っていく。
真壁は地図ではなく、修理場へ目を向けた。
「交換部品は」
「鉄輪と軸受けが足りない。木は加工できても、鉄が来ない。護衛の武具にも持っていかれている」
「車軸を直せば、何台出せる」
「直した数だけだ。全部出せるとは言わん」
「マンティスが減るわけではないからか」
「そういうことだ」
ゲルハルトは地図を畳んだ。
澪は倉庫へ積まれた袋と、車輪を外された荷車を交互に見た。
目の前の荷だけなら、押入商会の収納で運べる。
仮置き場を空けることも難しくない。
けれど、空いた場所へは次の大麦と豆が入る。それでは商路ではない。
特定の人間が往復し続けなければ動かない仕組みは、その人が止まった瞬間に終わる。
「直せるものは多いですね」
澪が口にすると、真壁が横を向いた。
「うむ」
「でも、直した後に通せるかは別です」
「そのとおりだ」
ゲルハルトは2人を見た。
「部品を売りに来たのではないのか」
「売ることはできる」
真壁は修理場へ向けていた目を戻した。
「だが、まず王都を見たい」
「王都を?」
「この滞留が、レヴァニア国内の相場へどのように出ているかを確かめる」
「倉庫を見ても、まだ足りんか」
「現物は見た。次は、売れなかった荷がどこへ流れたかを見る」
ゲルハルトは一度、積み上がった麻袋を振り返った。
「そこまで見てから決める商人は、最近少ない」
「荷が多い時ほど、先に出口を見るべきです」
澪が答えると、ゲルハルトは口元をわずかに緩めた。
真壁は地図へ目を落としたまま尋ねる。
「王都のルネスタを知っているかね」
「知っている。食料の動きを聞くなら適任だ。こちらから流れた荷も、何度か扱っている」
ゲルハルトは折り畳んだ地図を革鞄へ戻した。
「ただし、安く買えると喜ぶ話ではないぞ」
「分かっています」
澪は倉庫の入口へ溜まった穀物粉を踏まないよう、一歩横へ避けた。
安い食料は、誰かの食卓を助けることがある。
だが、ここで積み上がっている袋は、安くなったから増えたのではない。行くべき場所へ行けず、戻るしかなかった荷だった。
真壁と澪は北部集積地を出ると、エアカーで空を隠密移動し、レヴァニア王都へ向かった。
地上の街道や関所を避けたため、道中で足止めされることもない。
やがて前方に、王都の城壁と屋根の群れが広がった。
「意外と早かったですね、レヴァニア王都」
「空には轍も関所の列もないからな」
澪は王都の外縁を回り、人の少ない場所へ機体を下ろした。
街道へ降りる前にエアカーを収納し、2人は徒歩で王都へ入った。
城門をくぐった先は、カルダノより人が多かった。
商店の軒が連なり、荷車が石敷きを絶えず鳴らしている。
呼び込みの声、秤の分銅が触れ合う音、倉庫の扉を開く金具の音が重なっていた。
「先に拠点を登録したまえ」
真壁は商業区から少し外れた通りへ目を向けた。
初めて入ったレヴァニア王都。
商談、仕入れ、情報収集。ここへ戻る理由は、もう十分にあった。
転移先として登録すると、意識の内側に新しい行き先が収まった。
「入りました」
「結構」
真壁はすでにグスタフの紹介状を取り出していた。
「では行こう」
澪は反論しかけ、閉じた地図をもう一度確かめた。
言っていることは正しい。
正しいのだが、転移を覚えたばかりの人間としては、もう少し達成感を共有してもよいのではないかと思う。
真壁は扉の前で待っていた。
「澪君」
「今、行きます」
達成感は帰ってからにしよう。
帰った後に、次の仕事が始まっていなければ。
ルネスタの店は王都の商業区にあった。
真壁が受付の男へ紹介状を渡すと、男の姿勢が変わった。封蝋と差出人を確かめ、奥へ消える。
間を置かず、2人は商談に使う部屋へ通された。
ルネスタは紹介状を読み終えると、紙を丁寧に畳んだ。
「王都商業ギルド長、グスタフ・ハーゲン殿からの紹介状、確かに拝見しました」
ルネスタは2人へ椅子を勧めた。
「本日は、どのようなご用件でしょう」
「南方の穀物について、取引の可能性を調べています」
澪は北部集積地で見た、倉庫からあふれる穀物と、修理を待つ荷車について話した。
ルネスタは途中で口を挟まず、指先を卓上へ置いたまま聞いている。
「まず、食料の動きを聞きたい」
真壁が言った。
「大麦と豆は不足しているかね」
「逆です」
ルネスタの答えは早かった。
「入りすぎております」
澪は思わず背筋を伸ばした。
「王都でも、ですか」
「王都だから、です」
ルネスタは使用人へ声を掛け、帳簿を持ってこさせた。
開かれた頁には、同じ品名が何度も並んでいる。
以前の買い取り額の横へ新しい額が書かれ、さらにその下へ低い額が加えられていた。
「火山東街道へ出せない荷は、レヴァニア国内で売れる場所へ回されます。
小さな町で受け切れなければ、次は大きな町へ。最後に王都へ来る」
ルネスタは別の頁を開いた。
「こちらは買い取りを断った荷です。倉庫へ入らない。売値を下げても、食べる人数が急に増えるわけではありません」
「現物を見せていただけますか」
澪が尋ねると、ルネスタは立ち上がった。
「その方が早いでしょう」
店の奥へ進むと、倉庫の扉が開かれた。
大麦と豆の袋が棚へ積まれている。棚の前にも袋が並び、人が通る幅を狭めていた。荷札の一部には、送り先を書き直した跡がある。
「これは北部集積地から?」
「元は火山東街道の向こうへ出す荷でした。出発できず、送り先を王都へ変えています」
ルネスタは1枚の荷札を指で押さえた。
「同じ変更が増えました。こちらへ届くまでにも運賃は掛かっています。それでも、火山東街道へ出す護衛料より安い」
倉庫の出口近くでは、荷を持ち込んだ商人が番頭と話していた。
「これ以上は引き取れません」
「値は下げる」
「値の問題ではありません。置く場所がないのです」
商人の肩が落ちる。
荷獣は外で待っている。ここで売れなければ、また別の買い手を探して荷車を動かさなければならない。
澪は安値の帳面より、その背中の方が重く見えた。
「食料が安いのは、豊かだからではないんですね」
「食べる場所と、ある場所がずれているからです」
ルネスタは倉庫を出ながら答えた。
商談室へ戻る途中、真壁が壁際の棚で足を止めた。
金属部品を置く棚だった。
空いている場所が多く、残っている品には取り置きを示す札が付いている。
「鉄輪はないのかね」
「入れば、すぐ出ます」
「銅も少ない」
「荷車の修理、護衛の武具、金具の補修。皆が同時に欲しがっています」
ルネスタは苦い顔で棚を見た。
「食料は値を下げても残る。鉄と銅は値を上げても足りない。商人としては、帳簿を上下逆に置きたくなる相場です」
「逆に置いても数字は変わりませんね」
澪が言うと、ルネスタは一瞬黙り、それから笑った。
真壁が収納から小さな鉄の試料を出した。
澪がルネスタへ目を向けている間に、話はすでに次へ進んでいた。
「これは扱えるかね」
ルネスタの笑みが消え、商人の顔になった。
試料を手に取り、重さと表面を確かめる。次に銅の試料が卓へ置かれた。
「これと同じ品質で、揃えられますか」
「可能ですな」
「量は」
「必要な分を」
真壁の返答を聞いたルネスタが、わずかに身を引いた。
「その言い方をする方には、先に帳簿を用意した方がよさそうです」
「賢明だ」
「真壁さん。出す前に量を決めてください」
「受注残を見てから決める」
ルネスタは番頭へ指示し、未納になっている注文の控えを持ってこさせた。
鉄輪、車軸の金具、釘、盾の補強材、槍先。銅を使う補修品も含まれている。
真壁は頁を繰りながら、用途と納品先を尋ねた。
「こちらは荷車職人です」
「これは」
「護衛を抱える商会です。ただし、新規の買い占めではありません。以前からの注文です」
真壁の指が、注文の途中で止まった。
「この分までにしよう」
「全部ではないのですか」
「全て埋めれば、新しい注文が増える。まず、止まっている仕事を動かす」
ルネスタは試料へもう一度目を落とした。
「売っていただけるのであれば、助かります」
「正式な取引として帳簿へ残し、必要な手続きと費用は任せる」
「承知しました。出所と重量、品質、用途はこちらで記します」
「それでよい」
真壁は何もない床へ目を向けた。
「ここへ出してよいかね」
「お待ちください」
ルネスタが即座に止めた。
番頭が慌てて部屋の扉を開ける。
「倉庫の受け入れ場所を空けます。床が抜ける量ではありませんね」
「出す量は決めた」
「質問への答えになっておりません」
澪は額へ手を当てた。
「真壁さん。少なくとも、床が抜けないとは言ってください」
「抜けぬ」
ルネスタの肩から力が抜けた。
「先にそれを聞きたかったのです」
受け入れ場所が整うと、真壁は鉄と銅を分けて出した。
大きさと形が揃っている。試料と見比べても表面の状態に差がない。ルネスタ側の職人が1つずつ確かめ、重量を量り、番頭が帳面へ書き込んでいく。
澪は品物、重量、取引先、用途が記されたことを確かめた。
売ることそのものは簡単だった。
真壁なら、さらに多く出すこともできる。
けれど、多く出せることと、多く出してよいことは同じではない。
「これだけあれば、止まっている修理の一部を動かせます」
ルネスタは取引控えを閉じた。
「感謝します」
「鉄と銅が増えても、食料の値は戻りませんね」
澪が尋ねると、ルネスタの手が帳簿の上で止まった。
「荷車は直ります。護衛の装備も揃うでしょう」
「その後です」
「その後も、街道を通る費用は残ります」
ルネスタは集積地方面から届いた別の報告を出した。
護衛料の上昇、荷車の破損、穀物商隊の出発延期、高価な商品だけが予定どおり動いていることが記されている。
北部集積地でゲルハルトから聞いた話と、ほとんど同じだった。
「軍が街道を掃除する話は」
真壁が聞く。
「ありません。双方とも国境の内側は守る。国境沿いへ部隊を出す話となれば、商人の帳簿では扱えません」
ルネスタは報告を真壁側へ押した。
「鉄を増やせば、壊れた荷車は減らせます。しかし、これがどこまで役に立つかは、私にも分かりません」
真壁は報告へ目を通し、紙を閉じた。
「十分だ」
ルネスタの店を出ると、夕方の光が商業区の石壁へ斜めに当たっていた。
食料店の前では、豆の値下げを告げる声が響いている。その向かいの金物店には、鉄輪と釘の入荷待ちを示す札が出ていた。
安い食料と、高い金属。
澪には、通りの両側が同じ問題の表と裏に見えた。
「鉄を増やせば、荷車の修理は進みます」
「進むであろうな」
真壁は足を止めずに答えた。
「護衛の武具も作れます」
「作れる」
「マンティスを一度討伐することもできます」
「可能だ」
どれもできる。
それでも真壁の歩く速度は変わらなかった。
「だが、駄目であろうな」
澪は隣を歩く真壁を見た。
「街道の方が変わらないからですね」
「現状、あの街道では誰も魔物を間引いておらん。荷車を増やしても、襲われる数が増えるだけだ」
通りを荷車が横切った。空の荷台が跳ね、鉄輪が石敷きへ乾いた音を立てる。
「我々が一度狩れば、その間は通せよう」
真壁は荷車が過ぎるのを待ち、歩き出した。
「だが次の月も、次の収穫も、我々が街道へ立つのかね」
「それは、商会の仕事ではありません」
「うむ。王国軍を出せばレヴァニアが警戒する。レヴァニア軍を出せば王国が警戒する。押入商会が代わりに警備を続ければ、今度は商人が国境を守ることになる」
澪は北部集積地で広げられた地図を思い浮かべた。
街道そのものが消えたわけではない。
荷車が1台も通れないほど塞がれているわけでもなかった。高価な品は、護衛を増やして今も進んでいる。
「陸上輸送には限界があるのだ」
真壁の言葉に、澪は頷いた。
「道が塞がっているのではない。穀物を通せる条件が失われている」
大麦と豆は、安く大量に運ばなければならない。
その条件と、危険区間を通るための費用が両立しなくなっている。
荷車を直すことは無駄ではない。
武具を供給することも、商人や護衛を助ける。
けれど、それは止血であって、流れそのものを戻す方法ではなかった。
「第2の道ですね」
澪が言うと、真壁が足を止めた。
通りの向こうでは、王都へ流れ込んだ穀物袋が倉庫へ運ばれている。西日の中で粉が舞い、荷役人の服へ白く付いていた。
「第2の道を先に使うことになる」
澪は空をみてため息をつく。
「思っていたより早かったがな」
真壁はそう答えると、宿の方向へ歩き出した。
澪も後へ続く。
以前、飛行船について話した時には、陸路が止まった場合の備えだった。
重力を弱め、荷役と飛行へ使えるかを試した時にも、まだ実際の船は遠い話に見えていた。
だが、いま目の前では、必要な場所へ届かない食料が値を下げ、その食料を運ぶ荷車の鉄が値を上げている。
備えを使う条件は、もう揃っていた。
宿の部屋へ戻ると、澪は窓と扉を確かめ、ルネスタから受け取った取引控えと相場の写しを鞄へ入れた。
「リュシアさんへ報告ですね」
「うむ。陸路を増やす話では済まなくなった」
澪は忘れ物がないことを確かめ、真壁の隣へ立った。
次の瞬間、王都の荷車と人声が消え、足裏の感触が本国領都の登録拠点のものへ変わった。
2人は取引控えと相場の写しを抱え、そのままリュシアのもとへ向かった。
到着した時にも、帳場にはまだ明かりが残っていた。
リュシアは紙へ目を落としていたが、2人の姿を認めると顔を上げた。
「ずいぶん早かったね。荷は見つかったのかい」
「ありました」
澪は鞄を卓へ置いた。
「余るほどに」
リュシアの目が細くなる。
「なら、何が足りないんだい」
真壁は北部集積地と王都を結ぶ地図を卓上へ広げた。
火山東街道へ置いた指を動かさず、その上の空間へ視線を上げる。
「道だね」