押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第242話 余る食料、足りない道

 

 カルダノの門をくぐると、街道の乾いた土から石敷きへ足裏の感触が変わった。

 

 真壁と澪の横を、荷車が軋みながら通り過ぎていく。

 

 荷台には旅の荷が隙間なく積まれ、御者は門を出る前から何度も縄の張りを確かめていた。

 

 違う国へ来たのだという実感はあった。

 

 ただ、澪の目を引いたのは建物でも服装でもなかった。

 

 鍛冶場の前で、商人らしい男が革鎧を身体へ当てている。

 

 その隣では、護衛が盾の縁へ新しい金具を留めてもらっていた。

 

 槍を受け取る者もいれば、荷獣の喉を覆う厚い革具を確かめている御者もいる。

 

「武具をあつらえている人が多いですね」

 

 澪が足を緩めると、真壁は店先ではなく、道端へ止められた荷車へ目を向けた。

 

「武具だけではない」

 

 荷台の下に、交換用らしい車軸が縛りつけられている。

 

 側板には鉄輪と縄、木槌まで吊られていた。

 

「予備の車軸に、車輪の鉄輪。それから軸受けの金具ですか」

 

「壊れることを前提にしている」

 

 町の中は落ち着いていた。

 

 食料店には大麦や豆が積まれ、店先では客が籠の中身を見比べている。

 

 路地からは煮込み料理の匂いが漂い、荷役人の掛け声に交じって食器の触れ合う音が聞こえた。

 

 魔物に怯えて暮らしている町には見えない。

 

 それでも、町の外へ向かう商人たちだけが、旅支度という言葉では足りない装備を揃えていた。

 

 澪は革鎧を受け取った男へ声を掛けた。

 

「失礼します。この近くで魔物が出るのでしょうか」

 

 男は一度目を瞬かせ、それから周囲を見回した。

 

「この辺りで?」

 

「はい」

 

「出ないよ」

 

 あまりに軽く返され、澪は次の言葉を失った。

 

 男は新しい革紐を引き、胸当ての具合を確かめた。

 

「レヴァニアの中じゃ、魔物は出ない。これは火山東街道を通るためのものだ」

 

「街道へ出ると違うんですか」

 

「違わなきゃ、こんな重いものを好き好んで着るものか」

 

 男は肩を回した。革がまだ馴染んでおらず、鈍い音を立てる。

 

「高い品なら護衛を増やしても金になる。だが麦や豆じゃ、護衛の飯代まで値へ乗せられん。だから止まる」

 

「穀物の荷車が、ですか」

 

「詳しいことなら北部集積地で聞くといい。ゲルハルトを訪ねな」

 

 真壁が男を見る。

 

「商人かね」

 

「商人だ。倉庫がどれだけ埋まっているか、動かせる荷車が何台あるか、護衛が何人空いているか。あそこでは、役人より先に知っている」

 

 男は槍を受け取ると、代金を店主へ渡した。

 

「ただ、今は機嫌が悪いぞ。穀物が雨雲みたいに溜まっている」

 

「雨なら流れますが、穀物は流れませんね」

 

 澪が言うと、男は初めて笑った。

 

「だから、あの男が困っている」

 

 鍛冶場から赤く熱せられた鉄が運ばれ、水へ沈められた。白い蒸気が上がり、澪の頬へ熱気が届く。

 

 槌で打たれていたのは剣ではなかった。

 

 曲がった鉄輪だった。

 

 真壁は修理台の横へ並べられた金具を一通り眺めると、北部集積地へ向かう道へ目を向けた。

 

「ゲルハルトに会おう」

 

「はい。その前に、少し食べませんか」

 

「移動しながらでも食べられる」

 

「真壁さんの場合、本当に移動しながらで終わりますから」

 

 澪は通りの先に見えた食堂の看板を指した。

 

「現地の食料事情を調べるのも仕事です」

 

 真壁は看板と澪を見比べた。

 

「左様か」

 

 納得したように答えたが、澪には、押し切られた時の返事にしか聞こえなかった。

 

 結局、澪は食事を終えるまで、真壁を食堂の椅子へ座らせることに成功した。

 

 もっとも真壁は、その間にも窓の外を通る商隊の護衛人数と、荷車へ積まれた予備部品を数えていた。

 

 

 

 

 

 真壁と澪はカルダノの町外れへ出ると、人目のない場所でエアカーを取り出した。

 

 認識不明化境界魔道具を起動し、空を隠密移動して北部集積地へ向かう。

 

 レヴァニア国内に魔物の危険はなく、移動そのものは問題なく進んだ。

 

 やがて前方に、倉庫と荷車が集まる北部集積地が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 集積地へ近づくにつれ、澪は倉庫の数より、その外へ積まれた麻袋の方が気になった。

 

 屋根のある保管場所へ収まりきらず、防水布を掛けられた穀物袋が通路の端まで並んでいる。

 

 荷役人は新しく届いた袋を肩へ担いでいるのに、積み出す側の動きは鈍かった。

 

「入ってくる荷は止まっていませんね」

 

「うむ」

 

 真壁は人の少ない場所へエアカーを下ろした。

 

 地上へ降りてから集積地へ入ると、麻袋から漏れた粉が靴底へ薄く付いた。乾いた穀物の匂いに、荷獣の汗と革油が混ざっている。

 

 倉庫の奥では荷を下ろす掛け声が響いていたが、街道へ向かう車輪の音は少ない。

 

 澪は倉庫の間を歩きながら、壁際へ寄せられた荷車へ目を留めた。

 

 車輪が外されている。別の荷車は片側を木材で支えられ、折れた車軸が床へ置かれていた。

 

 曲がった鉄輪の横では、職人が使える金具を選り分けている。

 

「荷物だけではなく、荷車も溜まっています」

 

「使える車を減らしている原因がある」

 

 真壁は車軸の折れ口へ視線を落とした。

 

 何かに叩き折られた形ではない。木がねじれ、外側から裂けている。

 

「走らせすぎたのでしょうか」

 

「その可能性が高い」

 

 近くにいた荷役人へゲルハルトの名を出すと、そのうちの1人が倉庫の奥へ呼びに走った。

 

 しばらくして、革鞄を抱えた男が戻ってきた。

 

 上着の肩には穀物粉が付き、袖には黒い油染みが残っている。

 

 澪たちへ挨拶する前にも、男の目は修理中の荷車へ向いた。

 

「待たせたな」

 

「ゲルハルトさんですか」

 

「そうだ」

 

「押入商会の篠原澪です。こちらは真壁です」

 

「ゲルハルトだ。歩きながらでよければ話す」

 

 立ち止まっている時間も惜しいらしい。

 

 ゲルハルトは倉庫の間を進み、荷札を確かめ、荷役人へ袋の置き場所を指示した。真壁と澪はその横を歩く。

 

「穀物は、ずっと入ってきているんですね」

 

「ああ。大麦も豆も入る。産地が不作になったわけじゃない」

 

 ゲルハルトは足を止め、倉庫の扉を押し開けた。

 

 中には麻袋が天井近くまで積み上げられていた。

 

 下段の袋は重みで形を崩し、縫い目から細かな粉が床へ落ちている。

 

「足りないどころか、置く場所がなくなり始めている」

 

「買う人がいないのですか」

 

「買う町はある」

 

 ゲルハルトは奥の袋を指した。

 

「火山東街道の向こうにも、食べる者はいる。だが運べん」

 

「カルダノで、街道へ向かう商人が武具を揃えていました」

 

 澪が言うと、ゲルハルトは短く息を吐いた。

 

「高い荷なら、それで通せる」

 

 倉庫を出た先に、護衛を多く連れた小さな荷車があった。積まれている木箱は少なく、荷台にも余裕がある。

 

「あれは単価の高い商品だ。荷が軽く、売値が高い。護衛を増やしても利益が残る」

 

 ゲルハルトは反対側へ顎を向けた。

 

 そこには側板の高さまで麻袋を積んだ大型荷車が止まっていた。荷獣はまだ繋がれていない。

 

「大麦や豆は重い。値は安い。護衛を増やした分を売値へ乗せれば、届けた先で食料として買えなくなる」

 

 澪は荷台の高さを見上げた。

 

 袋を減らせば速く走れる。だが、運べる量が減れば、やはり費用が合わなくなる。

 

「火竜がいた頃は、ここまで止まらなかったのですね」

 

 真壁が尋ねた。

 

「ああ。近寄れなかったんだろう。火竜が消えてから、火山帯へ魔物が入り始めた」

 

「どのような魔物ですか」

 

「虫と爬虫類が多い。今、一番厄介なのはマンティスだ」

 

「マンティス」

 

 澪の頭に、大きな鎌を持ったカマキリが浮かんだ。

 

 ただ大きくしただけでも十分に嫌だった。

 

「街道を塞いで群れているわけじゃない」

 

 ゲルハルトは腰の革鞄から折り畳んだ地図を出し、荷車の側板へ広げた。

 

「暖かい岩場や枯れ草へ紛れて、通る荷獣を狩る。荷車の先頭が通れたからといって、後ろも安全とは限らん」

 

 指が、国境に沿う道をなぞる。

 

「護衛が見つけるより先に、荷獣が怯える。御者が走らせる。車輪が石を踏む。車軸が折れる。積荷を捨てて逃げられれば、まだ運がいい」

 

 澪は先ほど見た、ねじれて裂けた車軸を思い出した。

 

「定期的に討伐する人はいないのですか」

 

 ゲルハルトの指が地図上で止まった。

 

「王国軍が南へ出れば、こちらからは越境に見える。レヴァニア軍が北へ出れば、王国には軍を進めたように見える」

 

「関所の間にある街道だからですか」

 

「両国とも、自分の関所と町は守る。だが国境沿いへ兵を出して、継続して狩る者はいない」

 

 街道を通る商隊は、自費で護衛を雇わなければならない。

 

 高価な荷なら費用を売値へ載せられるが、安く大量に運ぶ大麦や豆にはそれができない。

 

 出発を待つ間にも新しい穀物は届き、無理に出た荷車が壊れるたび、使える輸送力まで減っていく。

 

 真壁は地図ではなく、修理場へ目を向けた。

 

「交換部品は」

 

「鉄輪と軸受けが足りない。木は加工できても、鉄が来ない。護衛の武具にも持っていかれている」

 

「車軸を直せば、何台出せる」

 

「直した数だけだ。全部出せるとは言わん」

 

「マンティスが減るわけではないからか」

 

「そういうことだ」

 

 ゲルハルトは地図を畳んだ。

 

 澪は倉庫へ積まれた袋と、車輪を外された荷車を交互に見た。

 

 目の前の荷だけなら、押入商会の収納で運べる。

 

 仮置き場を空けることも難しくない。

 

 けれど、空いた場所へは次の大麦と豆が入る。それでは商路ではない。

 

 特定の人間が往復し続けなければ動かない仕組みは、その人が止まった瞬間に終わる。

 

「直せるものは多いですね」

 

 澪が口にすると、真壁が横を向いた。

 

「うむ」

 

「でも、直した後に通せるかは別です」

 

「そのとおりだ」

 

 ゲルハルトは2人を見た。

 

「部品を売りに来たのではないのか」

 

「売ることはできる」

 

 真壁は修理場へ向けていた目を戻した。

 

「だが、まず王都を見たい」

 

「王都を?」

 

「この滞留が、レヴァニア国内の相場へどのように出ているかを確かめる」

 

「倉庫を見ても、まだ足りんか」

 

「現物は見た。次は、売れなかった荷がどこへ流れたかを見る」

 

 ゲルハルトは一度、積み上がった麻袋を振り返った。

 

「そこまで見てから決める商人は、最近少ない」

 

「荷が多い時ほど、先に出口を見るべきです」

 

 澪が答えると、ゲルハルトは口元をわずかに緩めた。

 

 真壁は地図へ目を落としたまま尋ねる。

 

「王都のルネスタを知っているかね」

 

「知っている。食料の動きを聞くなら適任だ。こちらから流れた荷も、何度か扱っている」

 

 ゲルハルトは折り畳んだ地図を革鞄へ戻した。

 

「ただし、安く買えると喜ぶ話ではないぞ」

 

「分かっています」

 

 澪は倉庫の入口へ溜まった穀物粉を踏まないよう、一歩横へ避けた。

 

 安い食料は、誰かの食卓を助けることがある。

 

 だが、ここで積み上がっている袋は、安くなったから増えたのではない。行くべき場所へ行けず、戻るしかなかった荷だった。

 

 

 

 

 

 真壁と澪は北部集積地を出ると、エアカーで空を隠密移動し、レヴァニア王都へ向かった。

 

 地上の街道や関所を避けたため、道中で足止めされることもない。

 

 やがて前方に、王都の城壁と屋根の群れが広がった。

 

「意外と早かったですね、レヴァニア王都」

 

「空には轍も関所の列もないからな」

 

 澪は王都の外縁を回り、人の少ない場所へ機体を下ろした。

 

 街道へ降りる前にエアカーを収納し、2人は徒歩で王都へ入った。

 

 

 

 

 

 城門をくぐった先は、カルダノより人が多かった。

 

 商店の軒が連なり、荷車が石敷きを絶えず鳴らしている。

 

 呼び込みの声、秤の分銅が触れ合う音、倉庫の扉を開く金具の音が重なっていた。

 

「先に拠点を登録したまえ」

 

 真壁は商業区から少し外れた通りへ目を向けた。

 

 初めて入ったレヴァニア王都。

 

 商談、仕入れ、情報収集。ここへ戻る理由は、もう十分にあった。

 

 転移先として登録すると、意識の内側に新しい行き先が収まった。

 

「入りました」

 

「結構」

 

 真壁はすでにグスタフの紹介状を取り出していた。

 

「では行こう」

 

 澪は反論しかけ、閉じた地図をもう一度確かめた。

 

 言っていることは正しい。

 

 正しいのだが、転移を覚えたばかりの人間としては、もう少し達成感を共有してもよいのではないかと思う。

 

 真壁は扉の前で待っていた。

 

「澪君」

 

「今、行きます」

 

 達成感は帰ってからにしよう。

 

 帰った後に、次の仕事が始まっていなければ。

 

 

 

 

 

 ルネスタの店は王都の商業区にあった。

 

 真壁が受付の男へ紹介状を渡すと、男の姿勢が変わった。封蝋と差出人を確かめ、奥へ消える。

 

 間を置かず、2人は商談に使う部屋へ通された。

 

 ルネスタは紹介状を読み終えると、紙を丁寧に畳んだ。

 

「王都商業ギルド長、グスタフ・ハーゲン殿からの紹介状、確かに拝見しました」

 

 ルネスタは2人へ椅子を勧めた。

 

「本日は、どのようなご用件でしょう」

 

「南方の穀物について、取引の可能性を調べています」

 

 澪は北部集積地で見た、倉庫からあふれる穀物と、修理を待つ荷車について話した。

 

 ルネスタは途中で口を挟まず、指先を卓上へ置いたまま聞いている。

 

「まず、食料の動きを聞きたい」

 

 真壁が言った。

 

「大麦と豆は不足しているかね」

 

「逆です」

 

 ルネスタの答えは早かった。

 

「入りすぎております」

 

 澪は思わず背筋を伸ばした。

 

「王都でも、ですか」

 

「王都だから、です」

 

 ルネスタは使用人へ声を掛け、帳簿を持ってこさせた。

 

 開かれた頁には、同じ品名が何度も並んでいる。

 

 以前の買い取り額の横へ新しい額が書かれ、さらにその下へ低い額が加えられていた。

 

「火山東街道へ出せない荷は、レヴァニア国内で売れる場所へ回されます。

 

 小さな町で受け切れなければ、次は大きな町へ。最後に王都へ来る」

 

 ルネスタは別の頁を開いた。

 

「こちらは買い取りを断った荷です。倉庫へ入らない。売値を下げても、食べる人数が急に増えるわけではありません」

 

「現物を見せていただけますか」

 

 澪が尋ねると、ルネスタは立ち上がった。

 

「その方が早いでしょう」

 

 店の奥へ進むと、倉庫の扉が開かれた。

 

 大麦と豆の袋が棚へ積まれている。棚の前にも袋が並び、人が通る幅を狭めていた。荷札の一部には、送り先を書き直した跡がある。

 

「これは北部集積地から?」

 

「元は火山東街道の向こうへ出す荷でした。出発できず、送り先を王都へ変えています」

 

 ルネスタは1枚の荷札を指で押さえた。

 

「同じ変更が増えました。こちらへ届くまでにも運賃は掛かっています。それでも、火山東街道へ出す護衛料より安い」

 

 倉庫の出口近くでは、荷を持ち込んだ商人が番頭と話していた。

 

「これ以上は引き取れません」

 

「値は下げる」

 

「値の問題ではありません。置く場所がないのです」

 

 商人の肩が落ちる。

 

 荷獣は外で待っている。ここで売れなければ、また別の買い手を探して荷車を動かさなければならない。

 

 澪は安値の帳面より、その背中の方が重く見えた。

 

「食料が安いのは、豊かだからではないんですね」

 

「食べる場所と、ある場所がずれているからです」

 

 ルネスタは倉庫を出ながら答えた。

 

 商談室へ戻る途中、真壁が壁際の棚で足を止めた。

 

 金属部品を置く棚だった。

 

 空いている場所が多く、残っている品には取り置きを示す札が付いている。

 

「鉄輪はないのかね」

 

「入れば、すぐ出ます」

 

「銅も少ない」

 

「荷車の修理、護衛の武具、金具の補修。皆が同時に欲しがっています」

 

 ルネスタは苦い顔で棚を見た。

 

「食料は値を下げても残る。鉄と銅は値を上げても足りない。商人としては、帳簿を上下逆に置きたくなる相場です」

 

「逆に置いても数字は変わりませんね」

 

 澪が言うと、ルネスタは一瞬黙り、それから笑った。

 

 真壁が収納から小さな鉄の試料を出した。

 

 澪がルネスタへ目を向けている間に、話はすでに次へ進んでいた。

 

「これは扱えるかね」

 

 ルネスタの笑みが消え、商人の顔になった。

 

 試料を手に取り、重さと表面を確かめる。次に銅の試料が卓へ置かれた。

 

「これと同じ品質で、揃えられますか」

 

「可能ですな」

 

「量は」

 

「必要な分を」

 

 真壁の返答を聞いたルネスタが、わずかに身を引いた。

 

「その言い方をする方には、先に帳簿を用意した方がよさそうです」

 

「賢明だ」

 

「真壁さん。出す前に量を決めてください」

 

「受注残を見てから決める」

 

 ルネスタは番頭へ指示し、未納になっている注文の控えを持ってこさせた。

 

 鉄輪、車軸の金具、釘、盾の補強材、槍先。銅を使う補修品も含まれている。

 

 真壁は頁を繰りながら、用途と納品先を尋ねた。

 

「こちらは荷車職人です」

 

「これは」

 

「護衛を抱える商会です。ただし、新規の買い占めではありません。以前からの注文です」

 

 真壁の指が、注文の途中で止まった。

 

「この分までにしよう」

 

「全部ではないのですか」

 

「全て埋めれば、新しい注文が増える。まず、止まっている仕事を動かす」

 

 ルネスタは試料へもう一度目を落とした。

 

「売っていただけるのであれば、助かります」

 

「正式な取引として帳簿へ残し、必要な手続きと費用は任せる」

 

「承知しました。出所と重量、品質、用途はこちらで記します」

 

「それでよい」

 

 真壁は何もない床へ目を向けた。

 

「ここへ出してよいかね」

 

「お待ちください」

 

 ルネスタが即座に止めた。

 

 番頭が慌てて部屋の扉を開ける。

 

「倉庫の受け入れ場所を空けます。床が抜ける量ではありませんね」

 

「出す量は決めた」

 

「質問への答えになっておりません」

 

 澪は額へ手を当てた。

 

「真壁さん。少なくとも、床が抜けないとは言ってください」

 

「抜けぬ」

 

 ルネスタの肩から力が抜けた。

 

「先にそれを聞きたかったのです」

 

 受け入れ場所が整うと、真壁は鉄と銅を分けて出した。

 

 大きさと形が揃っている。試料と見比べても表面の状態に差がない。ルネスタ側の職人が1つずつ確かめ、重量を量り、番頭が帳面へ書き込んでいく。

 

 澪は品物、重量、取引先、用途が記されたことを確かめた。

 

 売ることそのものは簡単だった。

 

 真壁なら、さらに多く出すこともできる。

 

 けれど、多く出せることと、多く出してよいことは同じではない。

 

「これだけあれば、止まっている修理の一部を動かせます」

 

 ルネスタは取引控えを閉じた。

 

「感謝します」

 

「鉄と銅が増えても、食料の値は戻りませんね」

 

 澪が尋ねると、ルネスタの手が帳簿の上で止まった。

 

「荷車は直ります。護衛の装備も揃うでしょう」

 

「その後です」

 

「その後も、街道を通る費用は残ります」

 

 ルネスタは集積地方面から届いた別の報告を出した。

 

 護衛料の上昇、荷車の破損、穀物商隊の出発延期、高価な商品だけが予定どおり動いていることが記されている。

 

 北部集積地でゲルハルトから聞いた話と、ほとんど同じだった。

 

「軍が街道を掃除する話は」

 

 真壁が聞く。

 

「ありません。双方とも国境の内側は守る。国境沿いへ部隊を出す話となれば、商人の帳簿では扱えません」

 

 ルネスタは報告を真壁側へ押した。

 

「鉄を増やせば、壊れた荷車は減らせます。しかし、これがどこまで役に立つかは、私にも分かりません」

 

 真壁は報告へ目を通し、紙を閉じた。

 

「十分だ」

 

 

 

 

 

 ルネスタの店を出ると、夕方の光が商業区の石壁へ斜めに当たっていた。

 

 食料店の前では、豆の値下げを告げる声が響いている。その向かいの金物店には、鉄輪と釘の入荷待ちを示す札が出ていた。

 

 安い食料と、高い金属。

 

 澪には、通りの両側が同じ問題の表と裏に見えた。

 

「鉄を増やせば、荷車の修理は進みます」

 

「進むであろうな」

 

 真壁は足を止めずに答えた。

 

「護衛の武具も作れます」

 

「作れる」

 

「マンティスを一度討伐することもできます」

 

「可能だ」

 

 どれもできる。

 

 それでも真壁の歩く速度は変わらなかった。

 

「だが、駄目であろうな」

 

 澪は隣を歩く真壁を見た。

 

「街道の方が変わらないからですね」

 

「現状、あの街道では誰も魔物を間引いておらん。荷車を増やしても、襲われる数が増えるだけだ」

 

 通りを荷車が横切った。空の荷台が跳ね、鉄輪が石敷きへ乾いた音を立てる。

 

「我々が一度狩れば、その間は通せよう」

 

 真壁は荷車が過ぎるのを待ち、歩き出した。

 

「だが次の月も、次の収穫も、我々が街道へ立つのかね」

 

「それは、商会の仕事ではありません」

 

「うむ。王国軍を出せばレヴァニアが警戒する。レヴァニア軍を出せば王国が警戒する。押入商会が代わりに警備を続ければ、今度は商人が国境を守ることになる」

 

 澪は北部集積地で広げられた地図を思い浮かべた。

 

 街道そのものが消えたわけではない。

 

 荷車が1台も通れないほど塞がれているわけでもなかった。高価な品は、護衛を増やして今も進んでいる。

 

「陸上輸送には限界があるのだ」

 

 真壁の言葉に、澪は頷いた。

 

「道が塞がっているのではない。穀物を通せる条件が失われている」

 

 大麦と豆は、安く大量に運ばなければならない。

 

 その条件と、危険区間を通るための費用が両立しなくなっている。

 

 荷車を直すことは無駄ではない。

 

 武具を供給することも、商人や護衛を助ける。

 

 けれど、それは止血であって、流れそのものを戻す方法ではなかった。

 

「第2の道ですね」

 

 澪が言うと、真壁が足を止めた。

 

 通りの向こうでは、王都へ流れ込んだ穀物袋が倉庫へ運ばれている。西日の中で粉が舞い、荷役人の服へ白く付いていた。

 

「第2の道を先に使うことになる」

 

 澪は空をみてため息をつく。

 

「思っていたより早かったがな」

 

 真壁はそう答えると、宿の方向へ歩き出した。

 

 澪も後へ続く。

 

 以前、飛行船について話した時には、陸路が止まった場合の備えだった。

 

 重力を弱め、荷役と飛行へ使えるかを試した時にも、まだ実際の船は遠い話に見えていた。

 

 だが、いま目の前では、必要な場所へ届かない食料が値を下げ、その食料を運ぶ荷車の鉄が値を上げている。

 

 備えを使う条件は、もう揃っていた。

 

 

 

 

 

 宿の部屋へ戻ると、澪は窓と扉を確かめ、ルネスタから受け取った取引控えと相場の写しを鞄へ入れた。

 

「リュシアさんへ報告ですね」

 

「うむ。陸路を増やす話では済まなくなった」

 

 澪は忘れ物がないことを確かめ、真壁の隣へ立った。

 

 次の瞬間、王都の荷車と人声が消え、足裏の感触が本国領都の登録拠点のものへ変わった。

 

 2人は取引控えと相場の写しを抱え、そのままリュシアのもとへ向かった。

 

 到着した時にも、帳場にはまだ明かりが残っていた。

 

 リュシアは紙へ目を落としていたが、2人の姿を認めると顔を上げた。

 

「ずいぶん早かったね。荷は見つかったのかい」

 

「ありました」

 

 澪は鞄を卓へ置いた。

 

「余るほどに」

 

 リュシアの目が細くなる。

 

「なら、何が足りないんだい」

 

 真壁は北部集積地と王都を結ぶ地図を卓上へ広げた。

 

 火山東街道へ置いた指を動かさず、その上の空間へ視線を上げる。

 

「道だね」

 

 

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