翌朝、リュシア商会の帳場には、昨日の紙がまだ広げられていた。
レヴァニア王都で写した大麦と豆の相場。その隣には鉄と銅の値がある。食料は下がり、金属は上がっている。窓の外では戸板を外す音がし、石畳を通る荷車の車輪が軋んでいた。
澪が入ると、リュシアはすでに外出用の鞄を卓へ置いていた。
「おはようございます」
「おはよう、澪」
リュシアは紙から目を上げ、続いて入ってきた真壁を見る。
「真壁さん。昨日の王都へ、3人で行けるね」
「問題ない」
澪は椅子を引きかけた手を止めた。
「もう行くんですか?」
「昨日見てきたんだろ?」
「はい」
「なら、今日は買う日だよ」
あっさりしていた。
澪は昨日の倉庫を思い出した。大麦と豆が壁のように積まれ、入り切らない荷には屋外で防水布まで掛けられていた。
売れない。運べない。
けれど、食べられないわけではない。
「どれくらい買うんですか」
「余って困ってる分は買うよ」
「大麦と豆を?」
「それだけじゃないね。行き先をなくしてる食べ物があるなら見る」
澪は一度瞬いた。
「……全部ですか」
「食べられるものならね」
真壁はもう地図を開いている。
「相当な量になりそうですけど」
「買った荷は私が運ぶ」
「ですよね」
聞いた自分が悪かった気がした。
リュシアが今度は鉄と銅の相場表を持ち上げた。
「それと、こっちも何とかするよ」
「鉄と銅か」
「高すぎる。荷車の修理に使う鉄まで上がってる。銅も同じだよ」
リュシアは紙を折り、鞄へ入れた。
「食料は買う。鉄と銅は出す」
「どれほど出す」
「値段が落ち着くまで」
「承知した」
澪は2人を見比べた。
やはり量の話をしていない。
けれど、この2人の場合、それで通じてしまう。
レヴァニア王都へ着くと、3人はその足でルネスタの店へ向かった。
朝の通りには焼いたパンの匂いが流れ、荷獣を引く男たちの声が響いている。鍛冶場の方角からは金属を叩く音が聞こえたが、昨日見た金属倉庫の空いた棚を知っている澪には、その音まで細く聞こえた。
ルネスタは、真壁と澪が翌日に戻ってきたことより、その隣にリュシアがいることに驚いた。
「リュシア商会のリュシアだよ。昨日は2人が世話になったね」
「ルネスタです。こちらこそ」
挨拶を済ませると、リュシアはすぐに本題へ入った。
「昨日見せてもらった食料だけど、買い手が決まってない分を全部見せておくれ」
ルネスタの手が止まる。
「全部、ですか」
「王国向けだったのに戻された荷、倉庫待ちになってる荷、商談が流れた荷。食べられる物ならね」
「相当な量になります」
「量が多いから来たんだよ」
リュシアはそれ以上説明しなかった。
ルネスタは真壁を見、それから澪を見た。
澪は小さく頷く。
やがて帳簿が1冊出された。
大麦、豆、雑穀。送り先を消されたもの、別倉庫へ回されたもの、買付の印だけが空白になっているものまである。
リュシアは数頁めくったところで指を止めた。
「これ、全部まだ売り物だね」
「はい。ただ、品質は揃っておりません。昨年物もございますし、袋が湿気を吸ったものも」
「腐ってるのかい」
「そこまでは」
「なら、値を分ければいい」
リュシアは帳簿を閉じなかった。
「ほかの商人の分もあるんだろ?」
「ございます」
「呼べるかい」
「今から?」
「今買いに来たんだからね」
ルネスタは一拍置き、店員を呼んだ。
そこから店の奥が騒がしくなった。
人が走って出ていく。
しばらくすると帳簿を抱えた男が来た。次に別の商会の番頭が来る。卓が一つ増え、さらにもう一つ増えた。
倉庫の鍵束が置かれ、荷札が並び、値を書いた控えが積み重なる。
「こちらは王国向けだった大麦です」
「こっちは?」
「川沿いから上がってきた豆で、倉庫待ちになっています」
「これは随分安いね」
「昨年物です」
「食用には?」
「問題ありません。ただ、新物と同じ値では売れません」
「それなら、その値で買うよ」
商人の1人が戸惑った顔をした。
「良いものだけを選ばれるのでは?」
「どうしてだい」
「普通は……」
「食べられるんだろ?」
「はい」
「なら買うよ。品質が違えば値段を分ける。それだけさ」
男は何か言いかけ、口を閉じた。
澪には、その理由が分かった。
上等な物だけを抜かれれば、売り手にはさらに扱いづらい荷だけが残る。
リュシアはそれをしない。
安い物を拾いに来たのではない。
詰まっている荷を動かしに来ているのだ。
話がまとまり始めると、今度は倉庫を回った。
最初の扉が開いた瞬間、乾いた穀物と麻袋の匂いが押し寄せた。
天井近くまで袋が積まれ、その隙間に細い通路が残っている。床には穀物粉が薄く積もり、奥は昼間でも暗い。
倉庫番が荷札を読み上げる。
「こちらから、あの柱までです」
真壁は札と取引控えを見比べた。
「買付済みだな」
「はい」
「では、いただこう」
麻袋の山が消えた。
奥の壁が現れる。
それまで袋に隠れていた床板まで、一度に姿を見せた。
「……は?」
倉庫番の口が開いたままになる。
真壁はすでに隣の札へ目を移していた。
「こちらは別口か」
「あ、はい。そこから右側です」
「承知した」
また消える。
その次も。
倉庫番が箒を握ったまま動かなくなった頃には、入り口から奥まで風が通るようになっていた。
「真壁さん」
「何かね、澪君」
「本当に全部入れてますよね」
「買ったのだろう」
「そうなんですけど」
真壁には、何を不思議がっているのか分からないらしい。
次の倉庫へ行く。
そこでも消える。
さらに次。
外へ積まれていた荷も消えた。
防水布だけが地面へ落ち、下から踏み固められた土が現れる。
午前中いっぱい歩いた頃には、昨日まで空きを探していた商人たちが、空いた床を指さして次の荷の相談を始めていた。
「ここが空けば、北から来る分を入れられる」
「豆はこっちへ回せるぞ」
「外に出していた分も戻せる」
リュシアはその声を聞きながら、空になった倉庫を見回した。
「これで次が入るね」
「倉庫は荷を動かすためにある」
「真壁さんが言うと、倉庫そのものが逃げ出しそうだよ」
真壁が空になった床を見る。
「倉庫は動かんよ」
「そういう話じゃないよ」
澪は口元を押さえた。
昼前には、食料の商談は一段落した。
ルネスタの店へ戻ると、リュシアは厚くなった買付控えを端へ寄せ、今度は鉄と銅の帳簿を開かせた。
「昨日より上がったかい」
「鉄の一部が。銅は値こそ変わりませんが、在庫がさらに減っています」
リュシアは数字を追い、顔をしかめた。
「高いね」
「品不足ですので」
「それは分かってるよ」
指先が鉄の値で止まる。
「この値段で荷車を直してるのかい」
「鉄輪はかなり上がっております」
「農具は?」
「同様です」
「鍛冶屋が儲かってるわけじゃないんだろ?」
「材料代が上がっておりますから」
「なら駄目だね」
ルネスタが顔を上げた。
「駄目、と申しますと」
「今の値段で売らないよ」
「しかし、現在の相場なら十分に買い手が――」
「いるだろうね」
リュシアはあっさり認めた。
「だから下げるんだよ」
「……下げる?」
「足りないから高い。なら、足りるまで入れればいいだろ」
ルネスタの目が真壁へ向く。
真壁はもう立ち上がっていた。
「荷受け場所を拝見したい」
「今からですか」
「今の話だ」
澪も立った。
慣れてきた自分が少し嫌だった。
金属倉庫へ入ると、食料倉庫とは正反対だった。
棚が空いている。
鉄材があったらしい場所には木札だけが残り、銅を置く棚も半分以上何もない。
壁には工房から来た注文札が掛けられていた。
荷車用の金具。
鉄輪。
工具材。
銅板。
真壁は空いた場所を見渡した。
「ここでよいか」
「まず品質を確認させてください」
「もちろんだ」
真壁が見本の鉄材を出した。
次に銅材。
担当者が調べ、ルネスタへ頷く。
「問題ありません」
「では」
鉄材が出た。
棚へ並ぶ。
また出た。
空いていた区画が埋まる。
倉庫番が隣を開ける。
そこも埋まり始めた。
「真壁さん」
リュシアが呼んだ。
「何かね、リュシア君」
「まだあるのかい」
「ある」
「……聞いた私が悪かったよ」
ルネスタは笑えない顔で鉄材の列を見た。
「これだけ市場へ出せば、相場が動きます」
「動かすんだよ」
リュシアが返した。
「ただし、高いまま小分けして儲けるのはやめておくれ。鍛冶場と荷車工房を先に当たってくれるかい」
「承知しました」
「材料が安くなった分まで商人が抱え込まないようにね」
ルネスタは頷き、店員を呼んだ。
「鍛冶組合へ。荷車工房にも知らせろ。鉄と銅が入った」
「価格は?」
「下げる」
店員の目が丸くなる。
ルネスタはもう一度リュシアを見た。
「今の相場を守る必要はない、ということですね」
「守る価値がある相場じゃないよ」
しばらくすると、倉庫の外が騒がしくなった。
煤のついた鍛冶職人が来る。
荷車工房の男が来る。
金属商もやってくる。
朝には荷を出せず困っていた食料倉庫が空になった。
昼には空だった金属倉庫へ鉄と銅が入り、人が集まり始めていた。
澪はその二つを頭の中で並べた。
余っているところから抜く。
足りないところへ入れる。
やっていることだけ見れば単純なのに、国境と道が挟まっただけで誰にも出来なくなっていた。
そこを真壁の収納と転移が飛び越えている。
便利、という言葉だけでは足りなかった。
午後、3人は真壁の転移で領都へ戻った。
侯爵家にはリュシアから食料納入の話が通してあり、荷受け用の倉庫にはすでに人が集まっていた。
広い床が空けられ、大型の秤が据えられている。荷役人のほかに、袋を開いて状態を見る担当者まで待っていた。
受領を任された家臣が頭を下げる。
「お待ちしておりました。大麦はこちら側へ、豆は奥へ分ける予定です」
リュシアも姿勢を正した。
「お手数をお掛けいたします。まずは、侯爵家で必要と伺っていた分を納めます」
「では、最初に重量を――」
真壁が床を見る。
「ここへ出してよいか」
「はい。お願いいたします」
真壁が最初の荷を出した。
家臣の声が止まった。
麻袋ではなかった。
空気を抜かれ、四角く固く締まった包みが床へ置かれている。中には大麦が詰まり、端には札が付いていた。
2つ目。
3つ目。
すべて同じ大きさで並ぶ。
荷役人たちが互いの顔を見る。
「……大麦、ですかな」
「そうだ」
家臣は一つを持ち上げ、札へ目を落とした。
品名:大麦
重量:10kg
等級:上
品質:乾燥良好/虫害なし/異物なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:R-01
隣の包みも取る。
品名:大麦
重量:10kg
等級:中
品質:乾燥良好/粒不揃いあり/虫害なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:R-07
「全部、10kgなのですか」
「揃えてあります」
澪が答えた。
家臣の視線が背後の大型秤へ向いた。
朝から据えたらしい秤が、急に所在なさげに見える。
「こちらで量り直す必要は」
「ありません。等級も分けてあります」
「虫害や傷みは?」
「鑑定済みです。食用へ回さない方がいいものは混ぜていません」
家臣は手の中の大麦を見直した。
その間にも真壁は次の列を出していく。
「豆はこちらへ出す」
「あ、はい。そちらへ」
今度は豆の包みが並んだ。
品名:乾燥豆
重量:10kg
等級:上
品質:乾燥良好/割れ少/虫害なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:B-03
荷役人の1人が、手持ち無沙汰になった秤を見た。
「これは……袋を開けなくてよいので?」
「札と現物を照合していただければ」
澪が答えると、男はもう一度札を読む。
「全部?」
「全部です」
受領担当の家臣が、並び始めた包みを見渡した。
「こちらでは、荷を受けた後に計量し、状態を見て、必要な量へ分け直す予定でした」
リュシアが頷く。
「その手間は省けます。期限の近いものから先に使っていただければ、保管中の損も減らせます」
家臣は札を指でなぞった。
「これは、買い付けた穀物をそのまま運んだものではありませんな」
「ええ。納品できる商品にしてあります」
家臣は大麦を持ったまま、大型秤をもう一度見た。
「人を呼びすぎましたな」
澪は返事に困った。
真壁は平然としている。
「余った人手は、奥への運搬へ回していただきたい」
「……そういたしましょう」
家臣の返事には、もう半分諦めが混じっていた。
納品は予定よりずっと早く進んだ。
同じ10kg単位なので、袋数がそのまま重量へつながる。等級も最初から分かれているため、受け取った側で山を崩して選り分ける必要もない。
必要分をすべて納め終えると、リュシアは受領書を受け取った。
「こちらから先の備蓄と配分は、お任せいたします」
「承りました。領内の必要先はこちらで見ます」
倉庫を出る時、澪は振り返った。
荷役人たちはもう札を読みながら、期限の近いものを手前へ運んでいる。
袋を開けている者は1人もいなかった。
王都商業ギルドでは、さらに大掛かりな準備がされていた。
真壁とリュシアが並んで受付へ入っただけで、以前に顔を覚えた職員が奥へ走った。
ほどなくグスタフ・ハーゲンの執務室へ通される。
リュシアが買付控えを卓へ置く。
グスタフは眼鏡越しに数字を追い、途中で頁を戻した。
「……リュシア」
「何だい」
「昨日、火山東街道は食料を運べる状態ではないという話だったな」
「そうだよ」
「では、この量は何じゃ」
「買ってきた食料だよ」
「それは読めば分かる」
グスタフが紙を持ち上げた。
「わしが聞いておるのは、なぜ翌日にこれだけ買って、もう王都まで持ってきておるのかという話じゃ」
「転移だ」
真壁が答えた。
「おぬしには聞いておらん」
「そうかね」
「そういう返しをするところが腹立たしいのう」
リュシアが額へ手を当てた。
「現物を見た方が早いよ」
「そうさせてもらおう」
グスタフは立ち上がった。
大倉庫へ行くと、秤が3台も用意されていた。
荷役人、検品係、帳場の職員までいる。
「大量と聞いたのでな。こちらも人を集めた」
真壁が人員を見る。
「手数を掛ける」
「まだ何もしておらん」
グスタフが床を指す。
「出してみい」
「承知した」
真壁が大麦を1つ出した。
グスタフの眉が動いた。
2つ目。
3つ目。
同じ大きさの真空包装が並んでいく。
「……何じゃ、それは」
「大麦だ」
「大麦なのは見れば分かるわ」
グスタフが1つ拾った。
札を読む。
品名:大麦
重量:10kg
等級:上
品質:乾燥良好/虫害なし/異物なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:R-01
隣を見る。
品名:大麦
重量:10kg
等級:中
品質:乾燥良好/粒不揃いあり/虫害なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:R-07
次は豆。
品名:乾燥豆
重量:10kg
等級:上
品質:乾燥良好/割れ少/虫害なし
包装日:○月○日
消費期限:○月○日
ロット:B-03
しばらく誰も口を挟まなかった。
グスタフが後ろの秤を見る。
検品係を見る。
もう一度、手元の商品を見る。
「おぬしら」
「はい」
澪が返事をする。
「こちらの仕事をどこへやった」
「残っている」
真壁が答えた。
「何がじゃ」
「売る仕事だ」
グスタフは目を閉じた。
「そういう意味ではない」
リュシアが笑いを堪えながら大麦を一つ持ち上げる。
「グスタフさん。再計量も、等級分けも、小分けも済んでる。そのまま卸へ流せるよ」
「見れば分かる」
グスタフは札を指で弾いた。
「だから言っておる。これはもう、麻袋に入った大麦とは別の商品じゃ」
倉庫へ出された包みを見渡す。
「重さが保証され、品質が分かり、期限まで付いておる。受け取った商人は袋を開けず、そのまま次へ売れる」
「私もそう見てるよ」
「元の穀物と同じ値を付ける品ではないのう」
グスタフは上等品と中等品を見比べた。
「商品としてなら、倍近く見てもおかしくない」
リュシアが頷く。
「そのくらいになるね」
「最初から分かっておったな」
「もちろんだよ」
グスタフが真壁を見る。
「で、おぬしはこれを何と言っておる」
「扱いやすくした。それだけだ」
グスタフは額へ手をやった。
「リュシア。こやつは昔からこうなのか」
「諦めた方が早いよ」
「聞こえている」
「聞かせてるんだよ」
澪はとうとう笑ってしまった。
けれど、グスタフの切り替えは早かった。
すぐに職員へ向き直る。
「期限の近いものは王都と近郊へ回せ。長く持つものは地方便じゃ。上等品ばかり先に持っていかせるな。中等品にも用途はある」
「加工向けもあります」
澪が控えを開く。
「どれじゃ」
「こちらです。食用には問題ありませんが、粒の揃い方などで分けてあります」
「なら粉屋と醸造を先に当たれ。遠くへ運ぶ必要はない」
職員が走った。
倉庫が急に動き始める。
大麦と豆は、真壁が出した端から行き先を与えられていった。
昨日、レヴァニア王都では置き場にも困っていた食料だ。
今日は王都で、どの商人へ渡すかを決める方が追いつかない。
澪は荷役人が10kgの包みを抱えていくのを見た。
麻袋の山だった時は、ただ多いとしか見えなかった。
今は一つずつ、人の手で持てる商品になっている。
一通りの納品が終わった後、グスタフの応接室へ戻った。
外ではまだ荷車の音がしている。
リュシアが買付控えと納品控えを合わせていると、真壁が別の袋を卓へ置いた。
「リュシア君、これを見たまえ」
「まだあるのかい」
「大麦だ」
「今日、大麦は十分見たよ」
「これは少し違う」
袋を開くと、香ばしい匂いが広がった。
リュシアが顔を寄せる。
「焼いたのかい」
「焙煎した」
澪は一粒を見て、すぐに分かった。
「麦茶ですね」
「そうだ」
「茶?」
リュシアが聞き返す。
「煮出して飲むんです。香ばしくて、冷やしても飲めます」
「大麦を飲むのかい」
「はい」
リュシアは疑うより先に卓の湯差しを見た。
「淹れてみておくれ」
グスタフが椅子へ腰を戻す。
「人のギルドで次の商品まで始めるのか」
「試飲だよ」
「その言葉は信用できんのう」
澪は湯を用意した。
焙煎した麦へ注ぐと、湯気と一緒に香りが強くなる。
リュシアは最初に器を取った。
一口。
もう一口。
「これ、甘味はいらないね」
「普通は入れません」
「食事の時にも出せそうだ。酒を飲まない客にも出せる」
もう売り方を考えている。
「このまま焙煎した麦を売るのかい」
「そうですね。淹れ方を付ければ扱いやすいと思います」
「量は考えた方がいいね。10kgじゃ店には大きい」
真壁が器を置いた。
「売る量は用途に合わせればよい」
「試すよ」
リュシアはすぐに決めた。
グスタフも一口飲み、器の中を見る。
「悪くないのう。夏場にも使えそうじゃ」
真壁が次の容器を出した。
「もう一つある」
リュシアが器を置く。
「まだあるのかい」
「ある」
密閉された容器が卓へ置かれた。
「何だい、これは」
「原酒だ」
「何の」
「大麦だ」
リュシアの指が止まった。
グスタフも真壁を見る。
「……今日買った大麦かい」
「左様」
「いつ酒にしたんだい」
「収納してからだ」
「そういうところを聞いてるんじゃないよ」
澪は器へ目を落とした。
笑うとまた話が進まなくなる。
「原酒まで作ったんですか」
「一部だけだ」
リュシアが容器を受け取り、香りを確かめる。
「これを押入商会で熟成するのかい」
「いや」
真壁は首を振った。
「原酒はリュシア商会へ売る」
リュシアの目が変わった。
さっきまでの試飲を見る顔ではない。
「うちに?」
「熟成はリュシア君の商会で行い給え」
「完成したら?」
「熟成したら王都へ流せばよい。グスタフ殿なら販路がある」
「勝手にわしを買い手にするでない」
グスタフが言った。
だが、原酒の容器へ手を伸ばしている。
「買わぬとは言っておらんが」
「なら問題ない」
「そこじゃ。おぬしのそういうところじゃ」
リュシアは原酒を卓へ戻した。
「原酒を買う。樽を用意する。保管場所もいる。熟成してる間は金が寝るね」
「そうなる」
「失敗することもある」
「そこから先は商売だ」
真壁は即答した。
リュシアはしばらく容器を見ていた。
「完成まで自分でやらないんだね」
「原酒まではこちらで作る。熟成と販売はリュシア君の仕事だ」
「利益も?」
「利益は商会に残し給え」
リュシアが真壁を見る。
「ずいぶん気前がいいね」
「次へ進むには原資が要る」
「次?」
「人も設備も、動かすには金が要る」
真壁は原酒の容器へ視線を落とした。
「原酒を買い、熟成させて売る。その利益を次へ回し給え」
リュシアの指が卓を一度叩いた。
「なるほどね」
鞄から新しい紙を出す。
「じゃあ、まず原酒の値段を決めようか」
「結構」
「そこは任せるとは言わないんだね」
「売る以上、値は決める」
「ようやく商人らしいことを言ったよ」
「私は商人だが」
グスタフが声を上げて笑った。
「昨日まで売れ残りだった大麦を買い集め、鉄と銅の値を下げ、穀物を商品へ変え、茶にして酒まで仕込んだ男が言うとな」
「必要なことをしただけだ」
「それを普通とは言わんのじゃ」
リュシアも笑いながら、原酒の売買控えへ目を戻した。
最後の一筆を入れ、その紙を自分の帳面へ挟む。
卓の上には、10kgに揃えられた大麦と、香ばしく焙煎された麦、それにまだ若い原酒が残っていた。
昨日まで、行き先を失って倉庫を塞いでいたものだ。
外で荷車の車輪が鳴る。
王都のどこかへ向かう食料が、またギルドの門を出ていった。
「じゃあ、これはうちで育てるよ」
リュシアが原酒を軽く叩いた。
「酒も、その先もね」
「結構」
真壁は短く頷いた。