夕食を食べに来ただけのはずだった。
澪は、自分の前に置いた定食へ箸を伸ばしながら、そう思っていた。
地下1階のフードコートは、夕食時の混雑が少し落ち着き始めていた。家族連れの話し声に、食器を返却口へ重ねる音、厨房から聞こえる油の弾ける音が混じっている。ラーメンの湯気と揚げ物の匂いが漂い、その向こうを買い物袋を提げた人たちが歩いていく。
ヴァルトの前には味噌ラーメンと餃子、それに酒。
真壁の前にも食事はあるが、先ほどから箸よりロックグラスを持っている時間の方が長い。
氷が軽く鳴った。
「飛行船の予定を早めるのですね」
ヴァルトが餃子を箸で割りながら言った。
「必要になった」
真壁は短く答えた。
「必要になったその日に設計まで始めそうな言い方ですな」
「まだ始めていない」
澪は味噌汁の椀を置いた。
「その返事、安心していいんでしょうか」
真壁は何も答えず、ロックグラスを一口傾けた。
答えない時の方が嫌な予感がする。
澪がそう考えているうちに、真壁の左側の空間へ薄い大型ディスプレイが現れた。
卓上へ置くには大きく、真壁は椅子を一つ横へずらして、その上へ簡易スタンドごと載せた。
「やっぱり始めるんですね」
「参考になるものを調べてある」
「夕食中にですか?」
「夕食は食べている」
間違ってはいない。
澪は反論する言葉を探したが、ヴァルトが先にディスプレイへ身を乗り出した。
画面中央に、細長い巨大な飛行船の画像が表示された。
横には英字で名称が出ている。
FLYING WHALES LCA60T。
「ゲンダイ側で開発されている大型貨物飛行船だ」
「貨物専用ですか」
「そうだ」
次の瞬間、機体の画像が拡大された。
澪は何となく画面を見て、それから真壁の手元へ視線を戻した。
右手にはロックグラスがある。
左手は卓の上。
マウスもキーボードも触っていない。
画面がまた切り替わった。
巨大な風力発電用のブレードが飛行船の下へ吊られている。
続いて、山間部から運び出される木材。さらに大型の建築資材。
澪はもう一度、真壁の両手を見た。
「……真壁さん」
「何かね、澪君」
「どうやって動かしてるんですか、それ」
真壁が画面を見る。
「収納だ」
「収納?」
「入力機器を中で操作している」
ヴァルトも箸を止めた。
「収納の中にある物を動かして、画面を操作しているのですか」
「そうだ」
画面上の飛行船が今度はゆっくり回転した。
澪は自分の箸を置いた。
「とうとう、そんなことまで出来るようになったんですか」
「収納内では以前から設備を動かしている」
「それは知ってますけど」
「なら入力機器も同じだ」
真壁にとっては、流路を開閉することと画面を操作することに、それほど大きな差はないらしい。
澪には大きな差がある。
「いつ試したんですか」
「先ほどだ」
「先ほど?」
「出来た」
「……出来たんですね」
「出来たな」
ヴァルトが酒を飲みながら、感心したように画面を見る。
「便利ですな」
「そこに行くんですか、ヴァルトさん」
「便利なものは便利でしょう」
澪は諦めて定食へ戻った。
この2人に同時に納得されると、こちらがおかしいような気がしてくる。
真壁のロックグラスの氷がまた鳴った。
「私が見ているのは、この形ではない」
画面が変わる。
先ほどの巨大なブレードが、飛行船の下へ吊られていた。
「60t級の貨物を扱う」
次に木材。
「長い物も運べる」
今度は、大型貨物を吊ったまま空中で停止している図が出た。
「それと、これだ」
ヴァルトの目が止まった。
「降りておりませんな」
「ホバリングしたまま荷を扱う」
澪も画面へ顔を向けた。
「着陸しないで、吊り下ろすんですか」
「そうだ」
そこで初めて、今日歩いたレヴァニアの街道が頭に浮かんだ。
荷車が通れるか。
橋が持つか。
道幅があるか。
魔物が出るか。
これまで荷を運ぶ話をするたび、必ず地面の状態がついて回った。
けれど、この船なら違う。
「道路がいらない……」
澪が呟くと、ヴァルトも頷いた。
「目的地へ降りる必要さえないのであれば、荷を置けるだけの空間があればよい」
「そこだ」
真壁が言った。
「レヴァニアから穀物を運ぶだけなら、普通に発着場を作ればよい。だが、これなら使い道が増える」
画面には山の斜面が出た。
そこから木材が吊り上げられる。
次は建築途中の大きな建物。その横へ長い部材が空から降ろされていく。
「山から材木を出せる」
画面が変わる。
「道路へ載らない長さの部材も運べる」
さらに変わった。
「建築現場へ直接置ける」
ヴァルトがグラスを置いた。
「街道の代わりというより、街道を必要としない運び方ですな」
「そういうことだ」
澪は味噌汁を飲みながら画面を眺めた。
火山東街道の代わりとして考え始めたものが、もうそこだけを見ていない。
真壁の場合、こうなることは分かっていた気もする。
「こちらでも同じ仕組みで浮かせるのですか」
ヴァルトが問う。
「基本は同じでよい」
画面上の船体内部が透け、巨大な気嚢が表示された。
「ヘリウムを使う」
ヴァルトが少し意外そうに眉を動かした。
「重力で浮かせるものと思っておりました」
「浮くところまで魔術へ任せる理由はない」
真壁は画面を拡大した。
「ヘリウムなら、魔力が切れても浮力そのものは消えん」
「なるほど」
ヴァルトの声が低くなる。
元魔術師の顔だった。
「重力制御だけで支えていれば、術式や魔石に異常が出た時に危険が大きい。しかしヘリウムが主なら、直ちに落ちるわけではない」
「そうだ」
澪もそこはすぐ理解出来た。
便利な魔術ほど、止まった時が怖い。
真壁は以前から何かを作る時、動いている時より止まった時の処理を先に作ることがある。
今回も同じらしい。
「では、重力は使わないのですか」
「使う」
画面が切り替わった。
飛行船の下へ巨大な貨物が吊られている。
その貨物が消える。
ヴァルトがすぐに言った。
「軽くなりますな」
「60tを降ろせば、その分だけな」
別の図が出る。
「ゲンダイ側では、荷を降ろした時の釣り合いをバラストで取る」
「こちらでは?」
「重力を使う」
船体内部に新しい表示が加わった。
澪には術式そのものまでは分からないが、真壁が機体の何か所かへ重力制御系を分けて置いていることは分かった。
「荷を降ろす前に、船体側の実効重量を増やすのですか」
「その使い方が出来る」
ヴァルトが画面を見つめる。
「浮かせるためではなく、重さの変化を吸収するために使う」
「そうだ」
「それなら、荷を吊っている最中の揺れにも使えそうです」
真壁のグラスが止まった。
「そこも入れよう」
画面上の重力制御位置が変わった。
「今、変えましたね」
澪が言う。
「案だからな」
ヴァルトも身を寄せた。
「横風への対応は、風の術式を補助へ回した方がよいでしょう。推進とは別に動かせるようにした方が安全です」
「分ける」
画面がまた書き換わる。
「結界も分けたいですな。船体全体を一枚で覆うより、貨物と乗員、それに機関部を別にした方が異常を切り離せます」
「採用する」
また変わる。
澪は箸を動かしながら、その速度を眺めていた。
2人とも酒を飲んでいる。
なのに設計図だけが妙にまともになっていく。
「飲みながら決めて大丈夫なんですか」
「案だ」
真壁が答える。
「私はまだ酔っておりません」
ヴァルトも答える。
「2人とも、そう言うと思いました」
澪は唐揚げを一つ口へ運んだ。
画面上では、当初の飛行船とはかなり違う図になっていた。
真壁が貨物室を拡大する。
長い部材が途中ではみ出した。
「全部中へ入れる必要はないな」
「吊りますか」
「その方がよい」
貨物が船体下へ移された。
ヴァルトがそれを見て、少し笑った。
「貨物船というより、空を飛ぶ起重機になってきましたな」
「その方が使える」
「即答なんですね」
澪が言うと、真壁は気にした様子もない。
通常の荷は内部へ入れる。
巨大な物や長い物は下へ吊る。
荷物に船を合わせるのではなく、荷物によって積み方そのものを変える。
澪が画面を見ているうちに、また別の疑問が浮かんだ。
「これ、どこで整備するんですか」
真壁の手――正確には画面の動きが止まった。
ヴァルトも機体の全体図を見る。
「これほど大きな物を、雨風の中で分解するのは厳しいでしょうな」
「ドックが要る」
真壁が言った。
画面が飛行船から地図へ変わる。
「……今度は何ですか」
「採石場だ」
澪には見覚えがあった。
秘密基地のある採石場周辺。
ただし画面上では、秘密基地そのものは目立つ表示をされていない。
真壁が採石場の岩盤側を拡大する。
「この辺りなら掘れる」
「掘る?」
「地下ドックだ」
岩盤の内部へ、細長い巨大な空間が描き込まれた。
澪は箸を置いた。
「飛行船が丸ごと入るんですよね」
「当然だ」
「どれくらい掘るつもりですか」
「必要な分だ」
「その答えが一番怖いんですけど」
ヴァルトが地図を見ながら口を挟んだ。
「秘密基地と同じ区画へ入れるのは避けた方がよいでしょう」
「分ける」
真壁が答える。
「ドック側で働く者が、基地へ入れる構造にはしない」
画面上で岩盤内の空間が二つに分けられた。
一方が既存の機密側。
もう一方が新しいドック。
間には直接つながらない区画が置かれる。
真壁はさらにドック内部へ線を足し始めた。
飛行船を置く場所だけでは終わらない。
横へ整備作業用の空間が増え、部品を置く場所が出来る。ヘリウムを扱う設備の候補が置かれ、吊り荷を試す空間まで伸びていく。
ヴァルトがグラスを持ったまま画面を追った。
「真壁殿」
「何だ」
「1隻だけ入れるのですか」
「増えた時に掘り直す方が面倒だ」
「何隻入れるつもりなんです?」
澪も聞いた。
「まだ決めていない」
澪は少しだけ安心した。
「だから余裕は取る」
安心するのが早かった。
「真壁さん」
「何かね」
「さっきから、飛行船よりドックの方が大きな話になってません?」
「飛行船を運用するなら要る」
理屈は分かる。
分かるのが悔しい。
ヴァルトは画面の採石場をしばらく眺めていたが、やがて別のところへ視線を移した。
「ところで」
「何だ」
「ここで働く者は、どこから通うのです?」
真壁の操作が止まった。
澪も地図を見る。
採石場。
地下ドック。
整備場。
倉庫。
工房。
ここまでは機械の話だった。
けれど、そこで働くのは人だ。
しかも第244話では、腕のある人材を家族ごと集める話をしたばかりだった。
「家が要りますね」
澪が言った。
「住居は用意している」
「今集める人たちなら、ある程度は足りると思います。でも、ここが本格的な拠点になるなら、それだけで済みますか?」
真壁は答えず、採石場周辺をさらに広く表示した。
澪はそこへ指を向けた。
「工房が増えますよね。会社の事務所も要ります。倉庫も増えるでしょうし」
画面上に建物の候補が増えていく。
ヴァルトが言った。
「職人だけではありません。荷役、商人、整備、運行を扱う者も住むことになりますな」
「家族もです」
澪が続ける。
「子どもが増えれば、学校も近くに欲しいです」
学校の表示が足された。
ヴァルトが少し考える。
「怪我人を毎回領都まで運ぶのも難しいでしょう。大きな工房が出来れば、事故も考えねばなりません」
医療施設の候補が置かれた。
澪は画面を眺めた。
工場と住宅。
倉庫。
学校。
その間を人が毎日歩く。
働く場所と寝る場所だけが並ぶ景色を想像すると、何かが足りなかった。
「公園も欲しいですね」
真壁が澪を見る。
「公園?」
「家族で住んでもらうんですよね。子どもが遊ぶ場所くらいあった方がいいです。工場と家しかない町にはしたくないです」
ヴァルトが頷く。
「酒場も必要でしょう」
澪が横を見る。
「そこはすぐ出るんですね」
「生活には必要です」
「ヴァルトさんにとって、ですよね?」
「他にも必要とする者は多いと思いますが」
真壁は2人の会話を聞きながら、画面へ商業区らしい空間を足した。
澪は目を細める。
「採用するんですね」
「店は要るだろう」
「まあ、要りますけど」
真壁が道路を引き始めた。
住宅地から工業区。
工業区からドック側。
既存道路へつなぐ線も増えていく。
そこで澪はようやく、画面全体を見直した。
飛行船は右上の小さな参考図になっていた。
中央に巨大な地下ドック。
その周りには工場、倉庫、会社、住宅。
少し離れて学校と医療施設。
公園。
商店。
道路。
「……町になってません?」
ヴァルトも画面全体を見た。
「必要な物を置いただけなのですが」
「必要な物を置いた結果、町になってます」
真壁はロックグラスを持ち上げた。
氷はかなり小さくなっていた。
「町として考えた方が早いな」
「そこを今決めるんですか」
澪が言った時、真壁はすでに画面の外縁へ別の表示を足そうとしていた。
「待ってください」
澪は思わず身を乗り出した。
「何かね」
「今、何を追加しようとしました?」
「警備と消防だ」
「それは私たちが決めるところじゃありません」
真壁の操作が止まった。
澪は画面を指した。
「住宅と工場を造って、会社として人を雇うところまでは商会で出来ると思います。でも、本当に町にするなら、治安も消防も道路も領政です」
真壁は表示を消さず、澪を見る。
「学校は?」
「建物や設備をこちらで用意する話は出来ても、公的な教育としてどうするかは侯爵家に相談です」
「病院も同じですな」
ヴァルトが続けた。
「診療所を商会で持つことは出来るでしょうが、人口が増えて町として医療を整えるなら、領主側と切り離すべきではないでしょう」
真壁は少し考えた。
画面上の「警備」という文字が変わった。
侯爵家へ相談。
消防も同じ表示になる。
道路の一部にも。
学校と医療施設にも、商会側で決められない部分へ同じ印が付いた。
「消さないんですね」
澪が言う。
「必要なのは変わらん」
「それはそうですけど」
「担当が違うだけだ」
澪は少し息を抜いた。
真壁らしい。
自分たちの仕事ではないから不要にするのではなく、やるべき相手へ渡す。
その方がよほど話が前へ進む。
「土地の使い方自体も、先にアルベルトさんへ相談ですよ」
「分かっている」
「地下を掘ってから報告、とかは駄目ですよ」
「まだ掘っていない」
「その『まだ』が気になります」
ヴァルトが笑った。
そこで館内へ柔らかな音楽が流れた。
続いて、間もなく営業を終える店舗があるという案内が聞こえる。
3人とも一度、周囲を見た。
いつの間にか、空席が増えていた。
厨房のシャッターを半分下ろし始めている店もある。
「……随分話しましたな」
ヴァルトが残っていた酒を見た。
「夕飯兼晩酌だったはずなんですけど」
澪は空になった皿を重ねた。
「晩酌はしました」
「それは分かってます」
真壁はディスプレイを見ている。
「次はドック内部を――」
「今日は帰りましょう」
澪が先に言った。
真壁が館内放送へ耳を向ける。
「左様」
意外なほど素直だった。
ディスプレイが収納へ消える。
テーブルの上から設計会議の痕跡がなくなり、残ったのは食器と、真壁のロックグラスに浮かぶ小さな氷だけだった。
翌朝。
侯爵邸の玄関前には、夜とは違う冷たい空気が残っていた。
真壁は使用人に案内され、取次を待つ間、手にした書類筒を持ち直した。
中には昨夜まとめた資料が入っている。
先頭は貨物飛行船。
その後ろには、採石場周辺を描いた図面が続いていた。
やがて家令が姿を見せる。
「真壁様。おはようございます」
「おはよう」
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「アルベルト殿に面会をお願いしたい」
家令が一礼した。
「承知いたしました。差し支えなければ、ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
真壁は手元の書類筒へ一度目を落とした。
「採石場周辺の土地利用について、相談がある」
「かしこまりました。お取り次ぎいたします」
家令が奥の廊下へ向かう。
朝の静かな屋敷に、靴音が遠ざかっていった。
真壁の手の中では、昨夜1隻の貨物飛行船から始まった図面が、書類筒いっぱいに収まっていた。