帰る日の朝、澪は閉じたバッグをもう一度開けた。
財布。充電器。着替え。大学へ戻ればすぐ使うものは、だいたい入っている。
もっとも、本当に増えた荷物の大半はバッグの中にはなかった。
昨夜、母と祖母と作ったおせち。友人の家で買った米と、もらった野菜。祖父の小屋から引き取った大工道具や滑車、ウインチ、臼と杵まで、まとめて収納の中に収まっている。
帰省したはずなのに、帰る頃には妙に荷物が増えていた。
「澪、これも持ってく?」
母が台所から紙袋を提げてくる。
「何?」
「お菓子」
「まだ増えるの?」
「バッグに入るでしょう」
「入るけど」
収納を使えば、もちろん入る。
その答えをそのまま言えないので、澪は紙袋を受け取った。
「ありがとう」
「駅まで送ろうか?」
「大丈夫。その前にちょっと寄りたいところがあるから」
「どこ?」
「昨日の神社」
母の手が止まった。
「忘れ物?」
「忘れ物ではないんだけど……」
「じゃあ何?」
昨日、拝殿の前で表示された文字が浮かぶ。
また来い。
興味がある。
「ちょっと用事」
「神社に?」
「うん」
母はしばらく澪を見ていたが、それ以上は聞かなかった。
澪も説明する方法を持っていない。
地元の神様に呼ばれています。
帰省最終日の娘が朝から言うには、かなり難しい内容だった。
玄関で父母に挨拶し、靴を履く。
「じゃあ、またね」
「ちゃんと食べなさいよ」
「食べてるよ」
「忙しい時ほど怪しいんだから」
「はい」
父からも「無理するなよ」と言われ、澪は苦笑しながら家を出た。
冷たい空気が頬に触れる。
駅へ向かうには少し遠回りになる。
それでも、ここで無視して帰ったら、六畳間へ戻ってからずっと気になる。
「聞くだけ聞いて帰ろう」
そう決めて、昨日の神社へ足を向けた。
元日の夕方ほどではないが、境内にはまだ正月らしい人出が残っていた。
参道脇の飾りもそのままで、焚き火の跡から薄く煙の匂いがする。朝の陽が差しているところは明るいのに、木陰へ入ると足元から冷えた。
澪は昨日と同じように賽銭を入れ、鈴を鳴らして手を合わせた。
今日は、見られている感覚に驚かない。
参拝客が離れたのを待ってから、拝殿へ意識を向ける。
「鑑定」
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対象:当地鎮守
来たか。
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「来ましたけど」
昨日より返事が早い。
「呼んだの、そちらですよね」
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そうだ。
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「それで、何の用だったんですか?」
少し間が空いた。
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異界について聞きたい。
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「異世界?」
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そうだ。
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澪は拝殿を見上げた。
それだけなら、昨日の時点でもかなり興味を持たれていた。
「何が知りたいんですか?」
問いかけると、返ってきた内容は思っていたより素朴だった。
空はあるのか。
海はあるのか。
人は同じ姿なのか。
魔術とは何なのか。
魔物はいるのか。
神はいるのか。
澪は人の邪魔にならない端へ寄りながら、答えられるところだけ答えていった。
「空もあります。人も普通にいます。町も国もありますよ」
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魔術は。
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「あります」
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魔物は。
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「います」
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剣は。
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「ありますけど……」
澪は少し嫌な予感がした。
「もしかして、そういうのに興味あるんですか?」
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ある。
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「やっぱり」
六畳間の本棚、その最上段にいる古い燭台が頭に浮かんだ。
最初は現代のことを知りたがっていた。
テレビを見せた。
アニメも見た。
小説も読ませた。
その結果、知識は確実に増えた。
増えたのだが、異世界についての方向だけは少々おかしくなった。
「先に言っておきますけど」
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何だ。
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「うちにも神様がいるのは、昨日分かってましたよね」
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知っている。
古い神性。
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「その神様、テレビとかアニメとか小説で、ゲンダイのことをかなり勉強してるんです」
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よいことだ。
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「そこまではいいんです」
問題はその先だった。
「異世界のことまで、かなりラノベ寄りに理解しちゃってるんです」
返事が止まった。
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ラノベとは。
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「ああ、そこからか」
澪は額に指を当てた。
「剣と魔法があって、冒険者がいて、魔物を倒して、勇者がいて、魔王がいて……みたいな物語が多いんです」
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勇者。
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「そこ拾わないでください」
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魔王。
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「そっちも」
昨日まで得体の知れない神様だったのに、急に話の方向がおかしくなってきた。
「確かに、剣も魔法もあります。冒険者もいます。魔物もいます。でも、それだけじゃないですからね」
澪は指を折りそうになって、やめた。
説明を並べたら、それこそ異世界観光案内になる。
「魔法があっても、道が悪くなったら小麦は運べません」
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……。
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「冬は普通に寒いです。病気にもなります。食べ物が余って困るところもあれば、足りなくなるところもあります」
返事はない。
「商売もあるし、税もあります。領主もいます。職人さんは毎日仕事してます。魔物が出たら、普通に危ないです」
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なるほど。
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「毎日冒険してるわけじゃないですよ」
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分かった。
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本当に分かっただろうか。
燭台の神様も似たような返事をして、その後で「聖剣」だの「魔王」だのを覚えていた気がする。
澪は拝殿を見た。
「それでも行きたいですか?」
今度は返答まで少し時間があった。
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見たい。
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「そうですか」
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お前がそこまで言うなら、
なおさら見たい。
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澪は目を細めた。
「普通は逆じゃないですか?」
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実物を見る。
それがよい。
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そこまで言われれば、少なくとも期待外れだから怒られる心配はなさそうだった。
別の心配はある。
「でも、ここを離れて大丈夫なんですか?」
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離れない。
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「じゃあ、どうやって行くんです?」
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依り代を使う。
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「依り代?」
その時だった。
拝殿の脇、植え込みの向こうから、小さな白いものが歩いてきた。
猫だった。
まだ子猫だ。
冬毛がふわりと膨らみ、身体が実際より丸く見える。耳は小さく、尻尾も細い。
澪のところまで来ると、靴の先を一度嗅いで、そのまま座った。
「……この子?」
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そうだ。
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「いや、そうだって」
澪はしゃがんだ。
子猫は逃げない。
指先を近づけると、鼻を寄せて匂いを嗅いだ。
「神様がこの子に入るんですか?」
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本体はここに残る。
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「じゃあ、この子の中には?」
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私の神格を写す。
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その表示が出た直後、空気が変わった。
風が止まったわけではない。
音が消えたわけでもない。
けれど、一瞬だけ境内の奥行きが深くなったような気がした。
白猫が拝殿を振り返る。
次に澪を見る。
澪は思わず鑑定を使った。
猫であることに変わりはない。
生きている。
呼吸もしている。
ただ、その上へ別の何かが重なっていた。
「……本当に入った」
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写した。
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「私がこの子を預かるんですか?」
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そうだ。
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「猫を?」
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私を。
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澪は白猫を見た。
「でも猫ですよね?」
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依り代だ。
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「見た目も身体も猫ですよね?」
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猫だ。
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「ですよね」
そこは認めるらしい。
澪が手を伸ばすと、白猫は嫌がらずに抱き上げられた。
軽い。
毛の奥はちゃんと温かい。
小さな身体が腕の中で呼吸している。
そこで新しい表示が出た。
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呼ぶ名を与えよ。
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「名前?」
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そうだ。
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「私が付けるんですか?」
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お前に委ねる。
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急に責任が重くなった気がして、澪は白猫を抱いたまま拝殿を見る。
「神様の名前を、私が決めるんじゃないですよね?」
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違う。
依り代を呼ぶ名だ。
私の名ではない。
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「それなら……」
腕の中の子猫を見る。
真っ白な毛だった。
けれど、冬の日差しが当たるところだけ、毛先が銀色に光って見える。
「シロ……」
そこまで言って止めた。
いくら何でも、そのまますぎる。
「シロガネ」
猫の耳が動いた。
「シロガネ、でどう?」
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よい。
その名を使う。
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「じゃあ、よろしくね。シロガネ」
「にゃあ」
澪の手が止まった。
「……今のは神様ですか? 猫ですか?」
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猫だ。
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「そうなんだ」
神様が鳴いたわけではないらしい。
それはそれで、少し安心した。
そして次の瞬間、別の問題に気づいた。
澪は腕の中のシロガネを見る。
「……生きてますよね」
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当然。
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「収納、出来ないじゃないですか」
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そうだ。
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「どうやって連れて帰るんですか?」
返事はなかった。
神様は異世界へ行く方法を用意した。
そこから先の移動は、どうやら澪の担当らしい。
神社を出て、澪は数十歩で立ち止まった。
腕の中にはシロガネ。
駅へ行く。
電車へ乗る。
そのまま抱いて帰るわけにはいかない。
「キャリーが要りますよね」
シロガネが澪を見上げる。
「神様でも、この身体ならご飯も食べるんですよね?」
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猫は食べる。
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「お水も?」
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飲む。
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「トイレも?」
少し間があった。
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猫だからな。
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「そこは全部猫なんですね……」
澪は予定を変更した。
帰り道の途中で猫用のキャリーと、当面困らない程度の用品を揃える。
用品は収納へ。
シロガネだけはキャリーの中。
神様を連れて帰るというより、急に子猫を預かることになった人の荷物になっていた。
駅へ向かう前に実家へ寄ると、玄関で母に見つかった。
「……澪」
「はい」
「その猫、どうしたの?」
キャリーの中でシロガネが座っている。
「預かることになりました」
「いつ?」
「さっき」
「朝はいなかったよね」
「いなかった」
母がキャリーを覗く。
「かわいい」
「うん」
「どこで?」
澪は一拍置いた。
「神社」
「神社で猫預かってきたの?」
「そういうことになりました」
「誰に頼まれたの?」
「……神社の方」
嘘ではない。
かなり広い意味では。
父まで玄関へ出てきた。
「猫?」
「預かるんだって」
「澪が?」
「しばらく」
父もキャリーを覗く。
シロガネは落ち着いている。
「名前は?」
「シロガネ」
「白いから?」
「だいたいそんな感じ」
そこで説明を止めた。
まさか、
中身は地元の神様です。
とは言えない。
「ちゃんと世話するのよ」
「分かってる」
むしろ、そこが一番気になっている。
神格がどうとか、依り代がどうとかより、生き物を預かった以上は食事も水も用意しなければならない。
澪は父母へもう一度挨拶をして、今度こそ帰路についた。
行きは一人だった。
帰りは神様付きの白猫が1匹。
予定というものは、あまり信用しない方がいいのかもしれない。
六畳間へ戻ると、真壁がいた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい、澪君」
真壁の視線が、澪の荷物からキャリーへ移った。
「澪君」
「はい」
「猫がおりますな」
「います」
真壁がキャリーへ顔を寄せる。
シロガネも中から真壁を見ている。
「どうされた」
澪は靴を脱ぎながら少し考えた。
どう説明しても変な話になる。
なら短い方がいい。
「神様です」
真壁が止まった。
キャリーを見る。
澪を見る。
もう一度キャリーを見る。
「この猫が、ですかな」
「正確には、中です」
「なるほど」
「分かったんですか?」
「まだ分かっておりません」
「ですよね」
真壁はすぐに鑑定した。
その目つきが変わる。
「……確かに、普通の猫ではありませんな」
「地元の神社の神様です。本体は神社に残っていて、この子には神格を写したそうです」
「写した」
「本人はそう言ってました」
「それで、こちらへ?」
「異世界を見たいそうです」
真壁の眉がわずかに上がった。
「ほう」
「一応、ラノベみたいなところばかりじゃないですよって説明はしました」
「なぜラノベを?」
「燭台の神様が、テレビとかアニメとか小説で勉強した結果、異世界の理解がそっち寄りになってるので」
真壁が本棚の最上段を見る。
そこには、いつもの古い燭台がある。
「なるほど」
「それで、この子の名前はシロガネです」
「シロガネという神様ですかな」
「違います。シロガネは猫の名前です。神様は中です」
「なるほど」
「今度は分かりました?」
「関係は分かりました」
澪はキャリーの扉を開けた。
シロガネが鼻先を出す。
少し匂いを嗅いでから、前足を畳へ置いた。
もう片方。
身体全部。
白い尻尾がゆっくり上がる。
六畳間の匂いを確かめるように歩き、やがて押し入れの前で止まった。
次に本棚を見る。
古い燭台。
シロガネの耳が立った。
「あ」
澪も燭台を見た。
「そうでした。こちらにも説明が」
鑑定を使う。
すぐに表示が開いた。
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【他神性確認】白猫について【依り代】
001:燭台
他神性、確認。
002:燭台
生体依り代。
003:燭台
神格転写あり。
004:燭台
興味深い。
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澪は表示を読み終えてから燭台を見た。
「……怒らないんですか?」
----------------------------------
【他神性確認】白猫について【依り代】
005:燭台
怒る理由なし。
006:燭台
異界見学、理解。
007:燭台
観察希望。
----------------------------------
「そっちなんですね」
警戒より興味が先だった。
以前からそうだった。
テレビを見せても、小説を渡しても、知らないものがあれば観察したがる。
神様が増えても変わらないらしい。
シロガネが畳へ座った。
次の瞬間、表示が増えた。
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【他神性確認】白猫について【依り代】
008:燭台
訂正。
009:燭台
「写し」の定義、不正確。
010:鎮守
写しでよい。
011:燭台
よくない。
012:鎮守
意味は通じる。
013:燭台
定義が違う。
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澪は表示を見直した。
「……そこなんですか?」
シロガネが前足を舐め始める。
その身体の中では、神様同士が用語について揉め始めていた。
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【他神性確認】白猫について【依り代】
014:燭台
依り代への定着あり。
015:燭台
本体との接続あり。
016:燭台
異界通過時の変化、観察希望。
017:鎮守
好きにしろ。
018:燭台
記録推奨。
019:鎮守
細かい。
020:燭台
必要。
----------------------------------
「神様相手でも観察するんですね……」
澪が呟く。
真壁は黙って表示を追っている。
シロガネは今度は尻尾を身体へ巻き付けて座った。
当地鎮守から新しい書き込み。
----------------------------------
【他神性確認】白猫について【依り代】
021:鎮守
お前も異界に興味があるのではないか。
022:燭台
否定しない。
023:鎮守
なら問題ない。
024:燭台
それと定義の誤りは別。
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「まだそこなんだ」
澪は思わず口にした。
さらに燭台の書き込みが続く。
----------------------------------
【異界知識】観察対象について【事前情報】
001:燭台
冒険者。
002:燭台
勇者。
003:燭台
魔王。
004:燭台
聖剣。
005:燭台
迷宮。
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「待ってください」
澪はすぐ割り込んだ。
----------------------------------
【異界知識】観察対象について【事前情報】
006:澪
勇者と魔王と聖剣は、私は見てません。
007:燭台
未確認なだけ。
008:澪
話を広げないでください。
009:鎮守
先ほど聞いた話と違う。
010:澪
だから神社で説明したんです。
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真壁の口元が少しだけ動いた。
笑ったのかもしれない。
澪は本棚を見る。
「やっぱりラノベ化してるじゃないですか」
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【異界知識】観察対象について【事前情報】
011:燭台
可能性は残る。
012:澪
残さなくていいです。
013:燭台
未知を切り捨てるのは非推奨。
----------------------------------
「そういう話じゃないんです」
当地鎮守まで表示へ入る。
----------------------------------
【異界知識】観察対象について【事前情報】
014:鎮守
興味深い。
015:澪
増やさないでください。
----------------------------------
澪は額に手を当てた。
六畳間に戻ってきたばかりなのに、神様が2柱そろって異世界観光の相談を始めている。
しかも一方はまだ行ってもいないのに勇者と魔王を期待している。
シロガネはその間に身体を丸め、畳の上でくつろぎ始めた。
「真壁さん」
「はい」
「これ、いつまで続くと思います?」
真壁は答えず、燭台とシロガネを順に見た。
表示ではまた神格の定義の話へ戻っている。
しばらくして、真壁が立った。
「真壁さん?」
「少々お待ちを」
澪は、何か測定器でも出すのかと思った。
真壁が収納から取り出したのは、瓶だった。
日本酒。
「……お酒?」
「正月ですからな」
続いて小さな器を2つ出す。
1つを古い燭台の前へ。
もう1つはシロガネから少し離し、猫が直接口をつけない位置へ置いた。
「真壁さん、それは?」
「御神酒です」
「それは分かります」
「神様が2柱おられるのでしょう」
「そうですけど」
真壁は酒を注いだ。
「まず一献というのも悪くありますまい」
澪は燭台を見る。
シロガネを見る。
もう一度真壁を見る。
「それで収まります?」
「収める必要もありますまい」
「え?」
「話が出来ればよろしい」
真壁はそれだけ言って座った。
鑑定欄が止まる。
妙に長い間があった。
やがて文字が増えた。
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【他神性確認】白猫について【依り代】
031:鎮守
よい酒だ。
032:燭台
供え、受領。
033:鎮守
細かい話は後でよい。
034:燭台
異議あり。
035:燭台
ただし酒が先でもよい。
----------------------------------
「結局飲むんですね」
澪が言った。
真壁は何も言わず、自分の分の茶を出している。
論争が終わったわけではない。
表示を見る限り、燭台の神様にはまだ異議がある。
ただ、さっきまでより書き込みの速度は落ちた。
その代わり、新しいものが出る。
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【他神性確認】白猫について【依り代】
036:燭台
なお、依り代の生活環境、未整備。
037:燭台
猫用品、追加推奨。
038:鎮守
細かい。
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「そこは大事です」
澪は即答した。
神格の定義より、少なくとも今はこちらの方が現実的だった。
「ご飯と水はあります。トイレはこれからちゃんと置きます」
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039:燭台
了承。
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「何で燭台の神様に飼育チェックされてるんでしょう」
返事はない。
シロガネは畳の上で丸くなっていた。
古い燭台の前には御神酒。
少し離れたところにも、当地鎮守へ供えたもう1つの器。
その間では、まだ神格の「写し」を何と呼ぶかについて書き込みが続いている。
澪はキャリーの横に置いた猫用品を見てから、畳の白い塊へ目を戻した。
シロガネの耳がぴくりと動く。
真壁が御神酒を少し足した。
その直後、鑑定欄にまた新しい書き込みが増えた。