押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第26話 三十キロの種芋

 

 六畳間の机の上で、小金貨が一枚、妙に重そうに光っていた。

 

 実際の重さなら、親指と人差し指でつまめる程度だ。だが、澪にはそれが、芋三十キロと、畑と、堆肥と、失敗した時の胃の痛みを全部抱えた塊に見えた。

 

 畳の上には帳面が開いてある。

 

 品種バラバラで三十キロ。

 

 上の畑。

 

 堆肥。

 

 種芋候補。

 

 作り方込み。

 

 そこまで書いて、澪はしばらく筆を止めた。

 

「これ、芋のお金じゃないんですよね……」

 

 誰も答えない。

 

 小金貨は答えない。

 

 答えないくせに、存在感だけは強い。

 

 澪はスマホを手に取り、サツマイモの品種を検索した。画面には、見慣れたようで見慣れない名前が並ぶ。

 

 紅はるか。

 

 安納芋。

 

 シルクスイート。

 

 鳴門金時。

 

 紅あずま。

 

 どれも芋だ。芋なのに、値段も甘さも食感も違う。焼き芋に向くもの、料理に向くもの、甘さで殴ってくるもの、比較的安く手に入りそうなもの。読めば読むほど、ただ三十キロ買えばいい話ではなくなっていく。

 

「一番甘い芋だけ買えばいい話じゃない……」

 

 澪は帳面へ書き足した。

 

 紅はるかは、焼き芋の甘さ確認。

 

 安納芋は、蜜の多い高級比較。

 

 シルクスイートは、しっとりして菓子向き。

 

 鳴門金時は、料理向きでほくほく。

 

 紅あずまは、比較的安価で導入候補。

 

 五行を書いただけで、澪は両手で頭を抱えた。

 

「芋に個性がありすぎる」

 

 現代日本の売り場で、ただ「おいしそう」と見ていたものが、農家の畑へ持っていくとなると、急に実験材料になる。甘ければいいわけではない。高ければいいわけでもない。異世界の土に合うかどうかは、誰にも分からない。

 

 小金貨は、やはり黙って光っていた。

 

 

 

 

 

 澪はさらに調べた。

 

 そして、数分後、机に額をつけそうになった。

 

「え、芋を植えるんじゃなくて、つるを植える……?」

 

 サツマイモは、芋を全部そのまま畑へ入れて終わりではない。種芋から芽やつるを出させ、そのつるを切って植えるやり方がある。もちろん家庭菜園の説明、農家向けの説明、苗の買い方、保存方法、温度、湿度、時期、それぞれ書いてあることが少しずつ違う。

 

 澪は画面を睨んだ。

 

「農家さんに、三十キロ持っていきますって言ったけど……それ、食べる芋でもあり、苗取り用でもあり、品種見本でもあり、予備でもある……」

 

 帳面の別の場所に項目を増やす。

 

 試食用。

 

 苗取り用。

 

 種芋候補。

 

 品種比較用。

 

 予備。

 

 失敗分。

 

 澪は筆を置いた。

 

「買い物じゃない。これ、農業実験だ……」

 

 大学の課題より、ずっと重い。

 

 しかも提出先は教授ではなく、異世界の農家である。

 

 

 

 

 

 澪はその日のうちに、リュシアへ相談しに行った。

 

 リュシアの屋台裏では、昼の分の仕込みが終わり、夕方に向けて器が伏せられていた。トトの姿はまだない。澪はそれを少しだけ安心して確認し、帳面を開いた。

 

「五種類くらいに分けて三十キロ用意します。でも、これ、全部が食べる芋じゃなくて、苗取り用とか試験用になりそうです」

 

 リュシアは器を拭く手を止めなかった。

 

「それでいい。小金貨一枚は芋を食うための金じゃない。畑で増やすための金だろ」

 

「売上にしていいんですか」

 

 リュシアはそこで顔を上げた。

 

「まだ駄目。これは預かり金だよ。芋を用意して、農家へ渡して、作り方を伝えるまで澪の儲けじゃない」

 

 澪は少ししょんぼりした。

 

「ですよね」

 

「その顔をするな。預かった銭を使い込まない商人は、信用される」

 

「信用……」

 

「それに、焼き芋で騒ぐのは後だよ。今は畑で育つかを見る。そこを外したら、甘い匂いだけで終わる」

 

 リュシアの言い方は、甘さに浮かれかけた澪をきちんと地面へ戻した。

 

 澪は帳面を見下ろす。

 

「はい。芋さえ栽培できれば、後からいろいろできます」

 

「その“いろいろ”って顔、少し怖いね」

 

 澪は思わず目を逸らした。

 

 保存。干す。粉にする。もっと先の使い道。

 

 考えは浮かんだ。

 

 けれど今は書かない。

 

 まだ、畑で育つかどうかも分からないのだ。

 

 

 

 

 

 そこへ、トトが来た。

 

 完全に、甘いものを探す顔だった。

 

「甘い芋は?」

 

「まだ買ってません」

 

「昨日、約束した」

 

「次に買う時は多めに買うって言いました」

 

「今日が次だ」

 

 澪は言葉に詰まった。

 

 リュシアが面白そうに言う。

 

「間違ってはいないね」

 

「リュシアさん、そこは助けてください」

 

「甘い芋の件は、澪の借りだよ」

 

 トトは腕を組み、真剣に頷いた。

 

「俺は待った」

 

「一日ですよね」

 

「長い」

 

 澪は負けた。

 

「分かりました。サツマイモ三十キロとは別に、焼き芋を買ってきます」

 

 トトの顔がぱっと明るくなる。

 

「大きいやつ」

 

「人数分より多く買います」

 

「俺の分は?」

 

「あります」

 

「大きいやつ?」

 

「相談です」

 

「相談が多いな」

 

 リュシアが笑い、澪は帳面に小さく書いた。

 

 トト用焼き芋、必須。

 

 

 

 

 

 現代側に戻ると、澪は通販画面とにらめっこした。

 

 紅はるか。紅あずま。シルクスイート。鳴門金時。安納芋。

 

 値段。送料。到着日。箱の重さ。レビュー。産地。サイズ不揃い。訳あり。貯蔵品。焼き芋向き。

 

 画面を切り替えるたびに、数字が増える。箱が増える。予定が増える。

 

 三十キロを一度に買うと、六畳間が芋で占領される。収納はある。収納はあるが、届いた段ボールを受け取り、開封し、品種を確認し、傷んだものがないか見て、帳面と照らし合わせてから収納する必要がある。

 

「配送業者さん、あたしを芋屋だと思うのでは……」

 

 澪は紅はるかと紅あずまを多めに入れた。紅はるかは甘さ確認。紅あずまは比較的安く、導入候補として見たい。シルクスイートは中くらい。鳴門金時と安納芋は少なめ。高い品種は試験材料として、味と特性を見る程度に抑える。

 

 合計三十キロ。

 

 送料込みの金額を見て、澪は小金貨一枚の重さを思い出した。

 

「安い買い物じゃない。でも、芋代だけでもない」

 

 そう言い聞かせ、注文を確定した。

 

 

 

 

 

 数日後、六畳間は芋に負けかけた。

 

 玄関先で受け取った段ボールは大きく、重かった。配送業者は、二箱目、三箱目を運びながら、澪の顔をちらりと見た。

 

「お芋、お好きなんですね」

 

「はい。ちょっと、研究で」

 

「研究」

 

「食文化の」

 

 自分でも何を言っているのか分からなかった。

 

 部屋に箱を入れると、畳の上が一気に狭くなった。澪は箱を開け、品種名を確認する。中から土の匂いと、乾いた皮の匂いが立った。

 

 紅はるか。

 

 紅あずま。

 

 シルクスイート。

 

 鳴門金時。

 

 安納芋。

 

 一つずつ帳面と照らし合わせる。品種名を書いた札を用意し、重さも確認する。傷んでいるものがないか、柔らかすぎるものがないか、表面を指で確かめる。

 

「芋の検品って、大学生の部屋でやる作業じゃない……」

 

 だが、やるしかない。

 

 澪は品種ごとに収納へ登録していく。

 

「紅はるか、焼き芋用見本兼苗取り候補」

 

「紅あずま、導入候補」

 

「シルクスイート、菓子向き比較」

 

「鳴門金時、料理向き」

 

「安納芋、高級甘味比較」

 

 収納へ入れるたびに、部屋は少しずつ片付いていく。だが、澪の頭の中は逆に芋で埋まっていった。

 

 最後の箱を収納に入れた時、澪は畳に座り込んだ。

 

「押入商会じゃなくて、押入芋屋……」

 

 自分で言って、少し悲しくなった。

 

 

 

 

 

 そのあと、澪はドン・キホーテへ向かった。

 

 焼き芋売り場の前で、今日は迷わなかった。

 

 トト用。

 

 リュシア用。

 

 農家試食用。

 

 農家の家族用。

 

 予備。

 

 澪の味見用。

 

「焼き芋は人数分より多く買う。これは前回学びました」

 

 機械の中から焼き芋を取り出してもらうたび、甘い匂いが強くなる。澪は何度も「これは必要経費」と唱えた。一本くらい食べてもいいのでは、という誘惑があったが、そこは我慢した。

 

 温かいまま収納する。

 

 温度変化無し。

 

 今日はこの能力が、トトの怒りを鎮めるために働く。

 

 

 

 

 

 異世界側へ戻ると、トトはもう待っていた。

 

 屋台裏の木箱に腰掛け、明らかに澪が来る方向だけを見ている。リュシアは鍋を見ながらも、トトの様子を面白そうに見ていた。

 

 澪が顔を出すと、トトはすぐに立ち上がった。

 

「甘い芋」

 

「あります」

 

 澪は収納から焼き芋を取り出した。まだ温かい。紙袋から湯気と甘い匂いが出ると、トトの目が一気に輝いた。

 

「本当にあった!」

 

 リュシアが腕を組む。

 

「なかったら暴れる気だったね」

 

「少しだけ」

 

「それを暴れるって言う」

 

 澪は焼き芋を割った。中から蜜を含んだ実が現れる。トトは両手で受け取り、一口食べた。

 

 黙った。

 

 目が丸くなる。

 

 甘い。熱い。腹にたまる。

 

 トトはしばらく噛んでから、深く頷いた。

 

「これは、許す」

 

「何をですか」

 

「昨日のこと」

 

 澪は小さく頭を下げた。

 

「許されてよかったです」

 

 リュシアは笑いながら、焼き芋を少しだけ受け取った。

 

「甘い芋を食べさせないのは、重い罪らしいからね」

 

 トトは真剣な顔で頷いた。

 

「重い」

 

 

 

 

 

 トトが機嫌を直したところで、澪はサツマイモの見本をリュシアに見せた。

 

 全部を出すと屋台裏が芋で埋まるので、品種ごとに数本だけ布の上へ並べる。見た目はどれも似ている。少し形が違い、皮の感じも違うが、ぱっと見ただけでは同じ芋にしか見えない。

 

 リュシアは一本ずつ手に取った。

 

「同じ芋に見えるけど、違うんだね」

 

「甘さ、食感、料理向き、値段が違います」

 

「農家には、名前だけじゃなくて、使い道を書いた札を付けな」

 

「札……」

 

 澪は持ってきた木札を出し、書き始めた。

 

 甘い。

 

 料理向き。

 

 試験用。

 

 高級甘味。

 

 安価候補。

 

 苗取り候補。

 

 リュシアが横から覗く。

 

「文字だけだと農家が困る。畑のどこに植えたか分かる札もいる」

 

「畑用の札も……」

 

「抜けたら終わりだよ。どの芋がどこで育ったか分からなくなる」

 

 澪は手を止めた。

 

 また札が増える。

 

 大豆もやしでも札。水でも札。今度は芋でも札。

 

「異世界、札が増えがちです」

 

「澪が増やしてるんだよ」

 

 否定できなかった。

 

 

 

 

 

 農家へ持っていく前に、澪はリュシアへサツマイモの扱いを説明した。

 

「冷やしすぎない。傷をつけない。腐ったものは分ける。試食用と苗取り用を分ける。全部を食べない。全部を土に入れない。つるを取れるか試す」

 

 リュシアは途中で眉を上げた。

 

「つまり、食べられるのに食べてはいけない芋がある」

 

「はい」

 

 トトが焼き芋を抱えたまま顔をしかめた。

 

「ひどい芋だな」

 

「違います。増やすためです」

 

「食べるために増やすのに、食べちゃ駄目なのか」

 

 リュシアが言う。

 

「種にする麦を全部食べたら、次の麦がないだろ」

 

 トトは少し考えた。

 

「じゃあ、種じゃない焼き芋は?」

 

「それは食べていいです」

 

 澪がそう答えると、トトは安心した顔で焼き芋へかじりついた。

 

「いい芋だ」

 

「判断基準がはっきりしてますね」

 

「食える芋はいい芋」

 

 リュシアは笑ったが、澪は少し真面目な顔になった。

 

 この芋は、食べ物である前に種だ。

 

 トトには焼き芋を渡せるが、農家へ渡す三十キロは簡単に食べられない。

 

 

 

 

 

 農家へ向かう道で、澪は自転車を漕ぎながら、収納の中にある三十キロの芋を意識していた。

 

 見た目の荷物は少ない。前かごにも荷台にも大きなものは載っていない。だが、収納の中には確かに芋がある。品種別に分け、札を添え、傷をつけないように登録した三十キロ。

 

 リュシアが隣の自転車から声をかける。

 

「今日は背中だけじゃなくて、収納も重そうだね」

 

「三十キロの芋が入ってます」

 

「芋問屋だね」

 

「押入商会です」

 

「今は押入芋屋だよ」

 

「やめてください。定着しそうです」

 

 道は相変わらず悪い。石がタイヤを跳ねさせ、乾いた泥が車輪に当たる。リュシアは前よりも自転車に慣れていたが、それでも時々足をついた。

 

「この道で芋を普通に運ぶなら、馬車か荷車だね」

 

「収納がなかったら、三十キロ持って自転車は無理です」

 

「澪の収納は、芋屋にも向いてる」

 

「だから定着させないでください」

 

 

 

 

 

 農家は庭先で待っていた。

 

 澪が収納から品種ごとのサツマイモを出していくと、農家の男と奥さん、それから子どもたちが集まってきた。澪は全部を一山にせず、布や籠の上へ分けて置く。

 

 紅はるか。

 

 紅あずま。

 

 シルクスイート。

 

 鳴門金時。

 

 安納芋。

 

 農家は芋を見比べ、首をひねった。

 

「同じ芋に見える」

 

「見た目は似ています。でも、甘さや食感が違います。まずは上の畑の一角で、区切って試してください。全部を同じ場所へ植えると、どれが合ったか分からなくなります」

 

「畝ごとに分ける」

 

「はい。札を立てます」

 

 リュシアが、横で農家の子どもを見た。

 

「札を抜いたら、澪が泣くよ」

 

 子どもは伸ばしかけていた手を、そっと引っ込めた。

 

 澪は苦笑しながら、札を見せた。品種名の横に、甘い、料理向き、試験用、苗取り候補なども書いてある。

 

「文字だけで分からなければ、絵も付けます。甘いものには丸、料理向きには鍋の印、苗取り用には芽の印とか」

 

 農家は頷いた。

 

「分けて植えて、どれがよく育つか見る。味はその後だな」

 

「はい。まずは育つかです」

 

 その言葉を、自分で口にして、澪は少し安心した。

 

 焼き芋の匂いに引っ張られてはいけない。

 

 まずは畑だ。

 

 

 

 

 

 農家は澪たちを上の畑へ案内した。

 

 水路から遠い場所だった。坂を少し上った先にあり、土は軽く、手で触るとほぐれやすい。雨が降っても水が長く残らないという話は、実際に土を触るとよく分かった。麦には弱いと言われたが、サツマイモなら試す価値がありそうだった。

 

 澪はしゃがみ込み、土を指で崩した。

 

「ここなら試す意味はあります。ただ、最初から広くやりすぎない方がいいです」

 

「一角だけだな」

 

「はい。品種ごとに小さく分けて、様子を見ます」

 

 農家は畑の端を歩きながら、区切る場所を考えていた。澪はそこへ木札を立てる位置を想像する。風で倒れないようにしなければいけない。子どもが抜かないようにしなければいけない。家畜が踏まないようにしなければいけない。

 

 また確認することが増えた。

 

 堆肥置き場も見せてもらった。

 

 麦わら、家畜の糞、大豆の茎葉や莢殻。農家はすでに集め始めていた。澪は、すぐ畑へ入れるのではなく、積んで、湿り気を見て、寝かせる必要があると説明する。

 

 農家は腕を組んだ。

 

「芋を植える前に、肥やしを育てるわけか」

 

「はい。芋の前に堆肥です」

 

 リュシアが小さく笑った。

 

「澪は、豆の次は肥やしを育て始めたね」

 

「そういう話にしないでください」

 

 だが、間違ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 納屋の陰で、澪は苗取りの話をした。

 

「この芋を全部そのまま畑へ入れるより、芽やつるを出させて、そのつるを植えるやり方もあります」

 

 農家は本気で驚いた。

 

「芋ではなく、つるを植えるのか」

 

「そうです。そこは試しながらになります。私も全部、現地で成功した経験があるわけではありません」

 

「豆も芋も、澪さんの国の作物は起こしてから畑へ出すんだな」

 

 リュシアが言う。

 

「澪は作物を寝かせたり起こしたり忙しいね」

 

「言い方が変です」

 

 澪はそう言いながらも、帳面の余白に小さく書いた。

 

 保存。

 

 干す。

 

 加工。

 

 その先のことは、まだ書かない。

 

 畑で育つか分からない芋に、未来の話を盛りすぎるのはよくない。今は、芽が出るか。つるが取れるか。上の畑で育つか。

 

 そこだけを見る。

 

 

 

 

 

 庭先へ戻ると、農家の家族が焼き芋の袋を見ていた。

 

 前回の味を覚えている顔だった。

 

 澪は苦笑し、今回も少量だけ焼き芋を出した。ただし、トトの分は別にしてある。そこは絶対に守る。前回の反省がある。

 

 農家の奥さんが一口食べ、また目を丸くした。

 

「やっぱり甘いねえ」

 

 農家の子どもも、口に入れたまま黙った。甘いものを食べた子どもは、異世界でも現代でも同じ顔をする。

 

 農家は焼き芋を味わいながらも、今度は庭先の芋ではなく、上の畑の方を見ていた。

 

「これを来年、ここで焼けるかどうかだな」

 

 澪は頷いた。

 

「はい」

 

 リュシアが焼き芋の皮を折りながら言った。

 

「それができたら、焼き芋は金持ちの菓子じゃなくなる」

 

 澪は、その言葉に少し嬉しくなった。

 

 今は高い。今は見本だ。今は種だ。

 

 けれど、畑で増えれば変わる。

 

 甘い匂いは、いつか市場のものになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 市場へ戻ると、トトはまた待っていた。

 

 今回の目は疑っていた。

 

「本当に俺の?」

 

 澪は収納から、別にしておいた焼き芋を出した。

 

「本当にトトの分です」

 

 トトはまだ少し疑いながら受け取り、一口食べた。

 

 怒りが消えた。

 

 目が丸くなり、頬がゆるむ。

 

「……許す」

 

 リュシアが笑った。

 

「また許されたね」

 

「前回、そんなに罪深かったんですね」

 

 トトは焼き芋を大事そうに持った。

 

「甘い芋を食べさせないのは重い罪だ」

 

「覚えておきます」

 

 澪がそう言うと、トトは真剣に頷いた。

 

「あと、三十キロあるんだろ」

 

 澪は動きを止めた。

 

「それは食べる芋ではありません」

 

「ひどい芋だ」

 

 リュシアが即座に言う。

 

「その話はもうしただろ。畑で増やす芋だよ」

 

 トトは焼き芋を見て、遠い目をした。

 

「増えたら食べる」

 

「それは合ってます」

 

 澪は、ようやく少し笑えた。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻ると、澪は帳面を開いた。

 

 机の上には、小金貨一枚の記録。芋代の領収メモ。品種別の重量。農家へ渡した分。焼き芋代。トト用焼き芋。札の数。堆肥確認。苗取り試験。

 

 全部、書かなければならない。

 

 澪は筆を取り、今日の分をまとめていく。

 

 サツマイモ三十キロ納品。

 

 品種別札。

 

 上の畑一角。

 

 堆肥準備。

 

 苗取り試験。

 

 焼き芋試食。

 

 トト焼き芋リベンジ成功。

 

 小金貨一枚、預かり金から使用分を記録。

 

 書き終えると、澪は深くため息をついた。

 

 焼き芋を買っただけでは終わらなかった。

 

 三十キロの芋は、畑の予定、堆肥置き場、品種札、苗取り試験、トトの機嫌まで連れてきた。

 

 澪は帳面の最後に書いた。

 

 甘い芋は、売る前に畑で増やす。

 

 その下に、少し小さく書く。

 

 トト用焼き芋は、別に確保。

 

 さらに余白へ、小さく三つだけ書いた。

 

 保存。

 

 干す。

 

 加工。

 

 その先のことは、まだ書かない。

 

 まずは、芋が育つかどうかだ。

 

 澪は帳面を閉じ、畳の上に座ったまま、押し入れの戸を見た。

 

 もやしの次は、芋。

 

 押し入れの向こうでは、また畑が澪を待っている。

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