乗員候補者と、その家族全員の鑑定を終えた翌日。
澪は朝から自宅の居間に広げた衣類を、ひとつずつ確認していた。
作業着、防寒着、厚手の靴下。それに工事用のヘルメット。
異世界では今日も真壁とヴァルトが地下ドックに残り、飛行船の最終調整を続けている。明日からは、集めた候補者たちを実際に船へ乗せ、訓練を始める予定だった。
昨日、司祭によるジョブ変更まで終えたからといって、それで乗員が完成するわけではない。
商人や行商人へ変更した者には、リュシア商会で読み書きや計算、荷の扱いを覚えてもらう。明らかに職人向きの適性が見つかった者は、工房の親方に預けて腕を見る。学校や診療所、警備に役立つ技能を持つ者については、侯爵家側へ報告済みだ。
貴重なスキルも、何人かから見つかった。
ただし、それを理由に本人の希望を無視して仕事を決めることはしない。真壁は名前と能力を手帳へ書き留めたあと、本人と家族の意向を確認するよう、リュシアへ念を押していた。
澪は畳んだ作業着を鞄へ入れ、最後にヘルメットを持ち上げた。
「また必要なんだ……」
地下ドックの主掘削は終わっている。
飛行船も、すでに一度は飛んでいた。
それなのに、別れ際の真壁は、明日の訓練にもヘルメットを持ってくるよう言った。
何をするつもりなのか尋ねても、返ってきたのは「訓練前に直すべきところが見つかった」という答えだけだった。ヴァルトまで地下ドックへ残ったことを考えると、単なる座席の調整ではないだろう。
澪がヘルメットを鞄の横へ置いたところで、スマートフォンが鳴った。
画面には登録されていない番号が表示されている。
一度は指を止めたものの、年末までにいくつか仕事上の連絡先が増えていた。澪は通話ボタンを押した。
「はい、篠原です」
『お世話になっております。東都特殊金属試作の三枝です』
「あっ、お世話になっております」
名乗られて、ようやく相手を思い出した。
以前、真壁たちが回収した鉱物や結晶を持ち込み、分析と用途調査を依頼した会社の担当者である。
新年の挨拶を交わしたあと、三枝は少し声を改めた。
『以前お預かりした試料について、確認したいことがございまして』
「分析が終わったんですか?」
『すべてではありません。成分が複雑な試料は、現在も調査を続けています。ただ、フローライトについて、いくつか興味深い結果が出ました』
「フローライト……蛍石ですね」
『はい。篠原様の方で、前回と同程度のものを追加でご用意いただくことは可能でしょうか』
澪は、すぐに答えなかった。
「同程度というのは、純度ですか。それとも色や大きさでしょうか」
『色は完全に同じでなくても構いません。純度が高く、ある程度まとまった結晶であることが重要です。可能であれば、前回の試料に近い微量成分を含むものが望ましいのですが』
「量は、どのくらい必要ですか?」
電話の向こうで、わずかな間が空いた。
『それを含めて、ご相談したいと思っています。こちらとしては、篠原様がどの程度までご用意できるのかを、先に伺いたいのです』
澪は眉を寄せた。
追加の成分分析だけなら、数百gもあれば足りる。加工試験をするにしても、先方から必要量を指定するのが普通だろう。
それをせず、こちらが供給できる量を聞いている。
何か使い道を見つけたのだ。
「分かりました。保管している者に確認して、こちらから改めてご連絡します」
『ありがとうございます。できましたら一度、実物を拝見したうえで、数量と条件をご相談できればと思います』
「結晶の大きさに、指定はありますか?」
『小さな粒ではなく、切断や研磨のできる塊が助かります。拳大以上のものがあれば、ぜひ』
「確認します」
澪は日時を改めて連絡すると約束し、通話を終えた。
切れた画面を見つめたまま、もう一度、今の話を頭の中で整理する。
東都特殊金属試作は、鉱物を鑑定して値段を付けるだけの会社ではない。切断し、混ぜ、焼き、削り、実際に何へ使えるのかを試す会社だ。
その会社が、量を知りたがっている。
澪は鞄を閉じるのをやめ、そのまま自室へ向かった。
押し入れを抜けた先では、澪の予想どおり、まだ作業が続いていた。
地下ドックの床には工具箱や資材が並び、飛行船の貨物区画からは金属を叩く音が響いている。
船体を大きく作り直しているわけではなかった。
貨物固定金具の位置が変えられ、床には滑り止めが追加されている。壁沿いの配管や弁には、赤や黄色の目立つ札が取り付けられていた。
真壁は貨物区画の中央に立ち、天井から下がる固定索の位置を見上げていた。その少し離れた場所では、ヴァルトが壁へ組み込まれた魔術式を確認している。
「真壁さん」
声をかけると、真壁が振り返った。
「澪殿か。訓練は明日からだぞ」
「分かっています。別件です」
「ふむ」
澪は飛行船へ近づきながら、周囲を見回した。
「これ、何を直しているんですか?」
「訓練を始める前に、初心者が間違える余地を減らしている」
真壁は、色分けされた札を指した。
「我々には分かる弁でも、初めて乗る者には見分けがつかん。触れてよい物と、通常は触れてはならん物を分けた。貨物の固定位置も、荷役を知らぬ者が見て分かるようにしておく」
「全部を自動にするわけではないんですね」
「故障した時、人の手で動かせぬ船では困る。仕組みを理解させたうえで、通常の操作を簡単にするのがよかろう」
ヴァルトが魔術式から顔を上げる。
「操船席と貨物区画の連絡手段も増やしている。伝声管であれば、魔道具が止まっても声は届くのでね」
真壁とヴァルトが飛行船そのものを面白がっているだけではなく、乗員候補者へ渡す準備をしているのだと分かり、澪は少しだけ安心した。
「それで、別件とは何かね?」
「あ、東都特殊金属試作から電話がありました」
澪は、先ほど聞いた内容を2人へ伝えた。
以前渡したフローライトから興味深い結果が出たこと。高純度で、ある程度の大きさがある結晶を追加で求めていること。そして必要量を明言せず、こちらの供給可能量を先に知りたがっていること。
真壁は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「色ではなく、微量成分と結晶の大きさを指定したのだな?」
「はい。切断や研磨ができる拳大以上の塊が欲しいそうです」
「単なる成分分析ではないな」
「私も、そう思います」
真壁は腕を組み、貨物区画の床へ視線を落とした。
「東都特殊金属試作は、鉱物の仲買ではなかったな」
「試作を請け負う会社です。前回も、分析だけでなく加工できるかまで調べてもらっています」
「ならば、フローライトに使い道を見つけたのであろう。用途がなければ、供給量など尋ねん」
ヴァルトが首を傾げた。
「そのフローライトとは、以前持ち帰った蛍石のことかね?」
「はい。ゲンダイでは、レンズや半導体製造用の部品にも使うそうです」
「光を扱う石か」
「純度の高いものなら、ですけど」
真壁は顔を上げ、澪を見る。
「保管してある物をそのまま売るだけでは、少々惜しいな」
「値段が分からないからですか?」
「それもある。しかし先方が何を評価したのか、まだ我々には分からん。性質を比べられる物を渡した方が、話は早かろう」
真壁がヴァルトへ目を向けた。
「魔石化した場合、元の結晶の性質は残せるか?」
「結晶構造を完全に崩さず、魔素を定着させるという意味なら可能だと思う。ただし、どこまで変質させるかによって結果は変わるだろうね」
「ならば、段階を分ける」
澪は嫌な予感を覚えた。
「いきなり魔石を渡すつもりですか?」
「いきなりでは比較にならん。元の結晶も渡す」
真壁は指を3本立てた。
「未処理の結晶。半分まで魔石化した結晶。そして完全に魔石化した結晶。この3種だ」
「半分って、結晶の右半分だけ魔石にするんですか?」
「それでは、切り出した場所によって別物になる」
答えたのはヴァルトだった。
「結晶全体へ魔素を均等に浸透させ、変質を途中で止める。できるかどうか、小さな物で試す必要はあるがね」
「量はどうします?」
「先方は供給可能量を知りたがっているのであろう?」
「そうですけど、研究用なら数kgでも足りるんじゃないですか」
「成分を測るだけならばな。だが、切断し、結晶の向きを調べ、研磨し、試作品を作るのであれば、選別で相当量を失う」
真壁は少し考えてから続けた。
「各50kg。合計150kgでどうだ?」
「試料という量ではありませんよね」
「向こうが買い取ると決めたわけではない。試作材料として預け、結果が出てから条件を決めればよい」
「そんなに早く用意できると伝えたら、怪しまれませんか?」
「前回すでに、我々が相当量を扱えることは見せている。何千tあるなどと言わねばよい」
それはそうかもしれない。
拳大以上の高純度結晶を150kg、数日のうちに用意できる時点で、十分に普通ではない気もしたが。
「作る前に、元のフローライトを確認しましょう。光学特性の原因が微量成分なら、きれいにしすぎると意味がありません」
澪が言うと、真壁は満足そうに頷いた。
「そのとおりだ。純度だけを上げ、必要な成分まで取り除いてはならん。前回渡した物と同じ原料群から選ぶとしよう」
真壁が収納から取り出したのは、透明な物から紫がかった物まで、色の異なるフローライトの塊だった。
長机の上へ並べられた結晶を、澪が順番に鑑定していく。
主成分はいずれもフッ化カルシウム。しかし微量成分の表示には差があり、イットリウム、セリウム、ユウロピウム、エルビウム、イッテルビウムなど、いくつもの名前が混じっていた。
「同じ蛍石でも、ずいぶん違いますね」
「生成された場所によって、取り込んだ成分が異なるのであろう」
真壁も鑑定しながら、似た組成を持つ結晶を選り分けていく。
前回渡した試料と完全に同じ物は残っていない。それでも、回収地点と色、微量成分の組み合わせから、近い原料群を絞ることはできた。
「これを基準にする」
真壁が淡い紫色を含む結晶を示した。
透明度は高いが、角度を変えると内部に薄い色が見える。
澪と真壁の収納で、不均一な亀裂や土砂だけを取り除く。微量に含まれる希土類は残し、主成分と含有比率が揃うように原料を分けた。
それを、拳大から小型の煉瓦ほどの結晶塊へ固形化する。
光学部品として完成した形にはしない。どの角度で切り、どの面を研磨するかは、東都特殊金属試作の技術者に任せるためだ。
まず、魔石化していない結晶を50kg。
次にヴァルトが、小さな結晶片を手に取った。
「最初から50kgへ施すのは危険だ。これで変質の度合いを確かめよう」
結晶片を中心に、細い魔術式が組まれる。
魔素が流れ込むと、透明だった結晶の奥に淡い光がにじんだ。表面から色を付けたのではない。光は内部の細かな筋へ沿って広がり、やがて結晶全体へ行き渡った。
「ここで止める」
ヴァルトが術式を閉じる。
澪が鑑定した。
【半魔石化フローライト結晶】
【魔石化率 49.8%】
【魔素分布 均一】
【結晶構造 維持】
「ほぼ50%です」
「切断した場所による差は?」
澪は地図のように表示された内部情報を確認する。
「大きな偏りはありません。外側だけが魔石になっているわけでもないです」
「では、同じ条件を拡大しよう」
ヴァルトが50kg分の結晶へ術式を広げた。
一度にすべてを処理せず、いくつかの塊へ分け、魔素の浸透と結晶構造を確認しながら進める。真壁と澪も鑑定を重ね、変質が偏った物はその場で除外した。
完全魔石化の試料では、さらに慎重になった。
変質が進むほど、結晶は光を反射しているのか、それとも内側から光っているのか分からない見え方へ変わっていく。
最後の術式が閉じたあと、澪が鑑定する。
【フローライト魔石】
【魔石化率 100%】
【魔素分布 均一】
【結晶構造 維持】
【光属性変換適性 高】
「光属性変換適性……」
澪は表示を読み上げた。
「元の結晶には出ていなかった項目です」
「蛍石が持つ性質と、魔石の性質が結びついたのであろうな」
真壁は100%魔石化した結晶を持ち上げ、照明代わりの魔道具へかざした。
光が内部へ入る。
反対側の面に、小さな明るい点が浮かんだ。
真壁はすぐに結晶を下ろした。
「強い光を当てぬ方がよい」
「何か起きたんですか?」
「まだ分からん。分からん物へ、最初から大きな力を加える必要はない」
3種類は、それぞれ別の頑丈な容器へ収めた。
外側に付ける表示は、試料A、試料B、試料Cだけにする。
真壁が内部管理用の紙へ対応を書き込んだ。
試料Aは未処理の高純度フローライト結晶。
試料Bは魔石化率50%。
試料Cは魔石化率100%。
「向こうに、魔石化と説明するんですか?」
「いや。Aは未処理に近い基準試料、BとCは処理条件の異なる比較試料と伝えればよい」
「製法を聞かれたら?」
「共同で研究する条件が決まるまでは非公開だ。嘘をつく必要はない。こちらでも性質を把握していないため、製法は明かせないと答えたまえ」
真壁は試料Cの容器へ手を置いた。
「それと、これだけは低出力から試験するよう、必ず伝えるのだ。まず小片を切り出し、遮蔽した試験設備で測定させる」
「分かりました」
「何が起きるか、我々にも分からんからな」
それを渡してよいのかと、澪は思った。
しかし、分からないからこそ、測定設備と技術者のいる会社へ持ち込むのだろう。
少なくとも、真壁が地下ドックで試しに光を当てるよりは安全なはずだった。
澪が東都特殊金属試作へ連絡すると、三枝は3種類を各50kg用意できるという話を聞き、しばらく黙った。
『合計で、150kgですか?』
「はい。同じ原料を基にして、処理条件を変えたものです」
『少々お待ちいただけますか。上司と技術担当へ確認いたします』
保留音へ切り替わる。
数分後、戻ってきた三枝は、3種類すべてを見たいと答えた。
引き渡しは数日後に決まった。
その間に予定どおり飛行船の訓練が始まり、澪は地下ドックとゲンダイを行き来した。候補者たちは最初から船を飛ばしたわけではない。貨物の固定、弁の確認、持ち場への移動、緊急時の退避を何度も繰り返した。
真壁が追加した色分けと表示は役に立った。
それでも、赤い札の付いた弁へ手を伸ばす者や、貨物索の内側へ入ろうとする者はいた。訓練前の修正は、決して余計な仕事ではなかったらしい。
そして引き渡し当日。
澪は借りた車へ3つのケースを積み、東都特殊金属試作を訪れた。
もちろん、自宅から150kgの結晶を人の手で運んだわけではない。人目のない場所で収納から出し、車の荷室へ積んである。
会社の搬入口には、三枝だけでなく、白衣姿の技術者が2人待っていた。
ケースは台車へ載せられ、そのまま受入検査の区画へ運ばれる。
「篠原様、先に前回の試料についてご説明してもよろしいでしょうか」
「お願いします。何に使えるのか、私も聞きたかったので」
案内された試験室の机には、小さく切り出された結晶片が並んでいた。
透明、淡い紫、青緑。それぞれの結晶片は平らに研磨され、番号が付けられている。
奥の机には光源と測定器、それに黒い遮光板が置かれていた。
年配の技術者が、淡い紫色の試験片を手に取る。
「前回いただいたフローライトは、主成分だけを見れば通常の蛍石と大きく変わりません。ただ、微量成分の組み合わせがかなり珍しいものでした」
「希土類ですか?」
「ご存じでしたか」
「こちらでも、簡単な成分確認だけはしています」
鑑定で見たとは言えない。
技術者は頷き、試験片を台へ固定した。
「同じフローライトでも、含まれる希土類や結晶内の欠陥によって、光への反応が変わります。紫外線を当てて青く発光するものもあれば、赤外線を吸収して別の波長を出すものもあります」
技術者が装置を操作した。
光源から出た細い光が、結晶片へ入る。
そのまま真っすぐ通り抜けるのではなく、内部で色を変えながら進み、反対側の一面から細い光となって現れた。
黒い遮光板に、鋭い光点が浮かぶ。
「光が強くなったんですか?」
「総エネルギーが無条件に増えたわけではありません」
技術者は、測定器の表示を示した。
「この結晶は、紫外線や赤外線を吸収し、別の波長へ変換しています。さらに結晶方位と研磨角度を合わせると、変換された光が散らず、一定方向へ集まりやすい。目的の波長だけを見れば、入れた時より強い光が出たように見えます」
「使いにくい光を、使える光に変えて集めるんですね」
「その理解で結構です」
机には、試験結果をまとめた資料が広げられた。
太陽光に含まれる紫外線や赤外線を利用可能な波長へ変える集光素子。レーザー加工機の波長変換部品。微弱な赤外線の検出器。光通信や特殊センサーへの応用。
すぐ製品になるわけではない。しかし、人工的に同じ組成を作ろうとすると、複数の微量元素を均一に含む大きな結晶を育てるのが難しいという。
「そこで、追加の結晶が必要になったんですね」
三枝が頷いた。
「はい。前回の試料だけでは、切り出せる大きさと数に限界がありました。実際に部品を試作するには、方位や含有量の異なる部分を選別しなければなりません」
「色ではなく、大きさを聞かれた理由も分かりました」
「色も判断材料にはなります。ただ、見た目だけでは微量成分まで判別できませんから」
澪は、黒い板に浮かぶ光点を見た。
光を受け、別の色へ変え、一方向へ束ねる結晶。
漫画や映画の中ならば、巨大な光線を放つ宝石として登場しそうな性質だった。それが今、測定器と配線に囲まれた試験室で、現実の現象として示されている。
そして今日持ってきた試料Cは、その結晶を完全に魔石化したものだ。
「今回の試料を見ていただいてもいいですか?」
「もちろんです」
搬入したケースが開けられた。
最初に試料A。
前回と近い微量成分を残した、高純度のフローライト結晶である。
技術者は手袋を着け、ひとつを照明へかざした。
「大きいですね。内部の亀裂も少ない」
「前回と近い原料から選んであります」
次に、試料Bの容器が開けられた。
一見するとAと大きく変わらない。しかし光へかざすと、内部に淡い色の筋が見えた。結晶を傾けるたび、その筋がゆっくり移動しているようにも見える。
「こちらが、処理条件を変えたものですか?」
「はい。元の原料は同じです」
技術者が携帯型の光源を取り出しかけた。
澪は、真壁に言われたことを思い出す。
「すみません。BとCについては、いきなり強い光を当てないでください」
技術者の手が止まった。
「何か危険性があるのでしょうか」
「処理後の光学特性を、こちらでも十分に測定できていません。まず小片を切り出し、低い出力から試験してください。できれば遮蔽した設備でお願いします」
「処理方法を伺うことは?」
「今の段階では、お話しできません」
三枝と技術者が顔を見合わせた。
澪は言葉を続ける。
「意地悪で隠しているわけではありません。こちらも、処理によってどの程度性質が変わったのか把握できていないんです。共同で試験する条件が決まるまでは、製法も非公開にさせてください」
年配の技術者は少し考え、携帯型光源を机へ戻した。
「分かりました。未知の材料を扱う手順で進めます。まず外観と成分を確認し、小片を切り出す。照射試験は最低出力から始め、受光部にも減衰器を入れます」
「お願いします」
最後に、試料Cの容器が開けられた。
室内に変化が起きたわけではない。
音もなく、熱も感じない。
それでも、全員の視線が容器の中へ集まった。
試料Cは透明度が高かった。濁りも、大きな亀裂も見当たらない。ところが照明を反射しているだけのはずなのに、結晶の輪郭が妙にはっきりと見える。
天井の照明を受けた上面ではなく、側面の一部が淡く明るかった。
技術者が顔を近づける。
「これも、元は同じフローライトなのですか?」
「はい。同じ原料から作っています。違うのは処理の段階だけです」
「添加物は?」
「少なくとも、別の元素を加えて性質を変えたものではありません」
嘘ではない。
加えたのは魔素であり、ゲンダイの周期表に並ぶ元素ではなかった。
技術者は結晶へ手を伸ばさず、先に容器ごとの重量と外観を記録した。
「これは、急いで調べない方がよさそうですね」
その言葉に、澪は少し安心した。
「そうしてください」
3種類、合計150kgは、研究・試作用フローライトとして受領された。
価格は、その場では決めない。
試料Aは以前の分析結果を基準に仮の単価を出せるが、BとCは価値も用途も不明である。まず試験を行い、その結果を見て買い取りか、共同試作の契約にするかを相談することになった。
帰り際、三枝が玄関まで澪を見送った。
「最初の結果が出ましたら、すぐご連絡します」
「安全を優先してください。特にCは、本当に低い出力からお願いします」
「技術担当にも徹底します」
外へ出ると、冬の冷たい空気が頬に触れた。
澪は駐車場へ向かいながら、真壁への報告を頭の中でまとめる。
東都特殊金属試作が見つけたのは、光の波長を変え、一方向へ束ねる性質だった。
通常の結晶なら、外から入った光を変換して集めるだけで済む。
しかし、完全に魔石化した結晶には、魔素が蓄えられている。
その魔素まで光へ変わるのだとすれば、試料Cは外から入れた光以上のものを返すかもしれない。
澪は立ち止まり、東都特殊金属試作の建物を振り返った。
「真壁さん、分かっていて作ったのかな……」
聞けば、おそらくこう答える。
分からぬから、比べるのだ――と。
試験室では、受領した結晶の撮影と記録が始まっていた。
技術者たちは手順どおり、試料Aから小片を選び、切断位置を決めている。
試料BとCの容器には蓋が戻され、耐火性の保管庫へ運ぶため、台車の上へ載せられていた。
誰も触れていない。
光源も向けられていない。
ただ、試料Cの蓋が閉じられる直前、天井照明の光が結晶面を滑った。
光を受けた面とは反対側に、ごく小さな赤い点が浮かぶ。
それは一度だけ強く瞬き、誰にも気づかれないまま消えた。
「純度99.9%が100kg」の現実の価値工業用の世界では、純度99.9%(3Nグレード)のフッ化カルシウムは「研究開発用の化学試薬」や「光学レンズ(カメラや半導体露光装置)の原材料」として扱われます。1kgあたりの試薬相場:およそ 1,000円 〜 2,000円100kgの合計金額:約 100,000円 〜 200,000円地中から掘り出したばかりの原石で純度99.9%というのは奇跡的ですが、それでも「すでに精製された化学物質」として買った場合の価格は上記の通りです。テントの資金源にするには全く足りません。 orz