年明けの地下ドックには、いつもの工具音に人の声が混じっていた。
厚手の上着を着た男たちや家族連れが、岩盤をくり抜いた通路を奥へ進んでいく。子どもの手を引く者もいれば、仕事道具の入った鞄を肩へ掛けた者もいる。
澪は通路の端へ寄り、肩のシロガネを撫でながら、その列を眺めていた。
『多いの』
『今日は大所帯ですね』
『祭りでも始めるのか』
『飛行船の訓練です』
『似たようなものであろう』
『違いますよ』
先頭の方で人の流れが詰まった。
「なんだい。止まってないで進んでおくれ。後ろがつかえてるよ」
リュシアの声が響く。
言われた男が慌てて歩き出す。
ただし、顔は上を向いたままだった。
通路を抜けた先、地下ドックいっぱいに飛行船が横たわっている。
全長約200m。
澪はもう何度も見ている。それでも、その下へ何十人もの人が集まると大きさが際立った。人影が船体の下を動くたび、飛行船だけが縮尺を間違えて置かれているように見える。
「……これが飛ぶのか」
「でっかい!」
子どもの声が高い天井へ跳ね返った。
「上まで見えない!」
「見えるだろ。首が痛くなるだけだ」
父親らしい男が答えながら、自分も同じように首を反らしている。
澪は口元を押さえた。
『皆、同じ顔をしておるぞ』
『聞こえたら困りますから』
シロガネは気にせず尾を揺らした。
「澪、そっちへ回せるかい?」
リュシアが人の間から声を掛けてきた。
「大丈夫です。こちら、まだ通れます」
「じゃあ頼むよ。全員ここで止まられちゃ、いつまで経っても乗れないからね」
澪は通路脇へ人を誘導する。
子どもたちは何度も振り返った。大人も、前を向いて歩き出してからもう一度見上げている。
その向こうで、真壁は乗船口付近を見ていた。人が固まって通りにくくなったところを見つけると、作業員へ声を掛けて柵を動かしている。
澪がそちらへ目をやっているうちにも、真壁はもう次の位置を指していた。
人の流れが落ち着くと、真壁が皆の前へ出た。
「今日は実際に乗ってもらう」
ざわめきが収まる。
「その前にカーゴの接続を一度やる。終わったら火山東街道へ出る。街道沿いを4か所、順に回る」
それだけだった。
真壁は脇に並んだ箱へ手を掛けた。
「その前に、これだ」
蓋が開く。
中には同じ形の魔道具が並んでいた。
フローライト魔石式ビームマシンガン。
1丁だけなら、まだ試作品に見える。
同じ物が何丁も並んでいると、澪にはずいぶん物騒な光景に見えた。
『皆に渡すのか』
『大人は全員です』
『物騒な商人どもだの』
『……否定はしません』
ヴァルトが1丁を手に取った。
「扱いは難しくありません。構えたまま人へ向けないこと。撃つのは指示が出てからです」
両手で持ち、構える位置を見せる。
「まず何人か撃ってみましょう」
最初の男が前へ出た。
肩へ力が入りすぎているのを見て、ヴァルトが銃口をわずかに下げる。
「もう少し楽に。短くで結構です」
男が引き金を引いた。
ババババッ!!
光が連続して走り、試射用の的へ突き刺さった。
「うおっ」
後ろで声が上がる。
撃った本人も、自分の手元を見下ろしている。
「これ、俺が撃ったのか」
「ほかに誰が撃ったんだよ」
周囲から笑いが漏れた。
交代しながら何人かが撃つ。
ババババッ!!
慣れない者は銃口が動き、次の者は慎重すぎて的へ向けたままなかなか撃たない。
ダリオの番になると、少し違った。
的へ向けたまま止めず、銃口を左右へゆっくり振っている。
ババババッ!!
短く撃って、すぐに下ろした。
「弓より素直だな。動くなら、少し先を取ればいい」
「実際の相手は止まっていてくれませんからね」
ヴァルトが返す。
「ああ」
ダリオはそれだけ言って、次の者へ場所を譲った。
大人たちへ順にビームマシンガンが渡されていく。
「澪」
リュシアの声で我に返る。
「乗る方が先だよ」
「あ、はい」
「ハインツ君は中央寄りへ」
「分かりました」
ハインツがカーゴへ入ると、まず左右の通路を見渡した。
「ベルタ君はその近くに」
「はい」
ベルタも続く。
オスカーは接続部に近い位置へ。
「ここを見ておけばいいですか」
「頼む」
真壁はそれだけ答えた。
ダリオを含めた大人たちは、ビームマシンガンを持ってそれぞれの位置へ散っていく。
地図スキルを持つ者も左右と前後へ分かれた。
クララは竜の卵を布で包み、救護用品のそばへ移る。
トトが袋を床へ置いたところで、リュシアの声が飛んだ。
「トト、それを通路に出しておくんじゃないよ」
「分かってる」
「じゃあ今、誰が踏みかけたんだい」
トトが自分の足元を見る。
「あ」
「ほら、寄せておくれ」
「はい」
トトは袋を壁際へ押し込んだ。
澪は横を通りながら、思わず笑う。
「笑うなよ」
「笑ってませんよ」
「笑ってるだろ」
「急いだ方がいいですよ」
トトが何か言い返す前に、澪は自分の位置へ逃げた。
まず船体がゆっくり浮いた。
地下ドックの床との間に隙間が生まれ、そのまま滑るように出口へ向かう。
「おお……」
地上から声が上がった。
澪も下から見上げる。
乗っている時より、外から見た方が大きさを実感する。
飛行船が地上の運輸施設へ移動すると、所定位置にカーゴが待っていた。
「接続を始める」
真壁の声に、候補者たちが持ち場へつく。
飛行船がゆっくり降りてくる。
「もう少し右!」
右側から声が飛んだ。
「違う、左だ!」
反対側から別の声。
ハインツが両方を見る。
「待ってくれ。誰から見て右だ?」
一瞬、声が止まった。
澪は口元へ手を当てた。
動きが遅いから笑っていられる。
「一度止めてください」
接合部を見ていたオスカーが声を上げた。
船体の動きが止まる。
「このまま寄せるより、合わせ直した方が早いです」
「どちらへ動かします?」
ヴァルトが聞く。
「こっち側を少し下げてください。横はそのままで」
「分かりました」
飛行船がゆっくり位置を変える。
オスカーは接合部から目を離さない。
「そこで止めてください」
ハインツが反対側へ声を掛けた。
「そっちは距離だけ頼む。左右はこっちで言う」
「分かった」
「そのまま」
オスカーが手を上げる。
「あと少し……そこで」
低い音が響いた。
接続が完了する。
ヴァルトが状態を見てから顔を上げた。
「大丈夫です」
「では乗ってもらおう」
待っていた家族たちが動き出した。
「押さないで、順に乗っておくれ」
リュシアが先頭を流していく。
全員が乗り込み、隔壁が閉じた。
足元から低い振動が伝わってくる。
澪は座席へ腰を下ろし、肩のシロガネへ手を添えた。
窓の外で地面が離れる。
「浮いた……」
誰かが呟く。
すぐに子どもが窓へ寄った。
「走らないで!」
母親に服をつかまれる。
反対側では大人が先に窓へ顔を寄せていた。
『子どもと変わらぬな』
『言わないであげてください』
飛行船が高度を上げる。
侯爵領の屋根が下へ広がった。
「うち、どこだ?」
「あっちじゃないか」
「見えないよ」
「持ち場から離れすぎるんじゃないよ」
リュシアの声が飛んだ。
男が名残惜しそうに窓から離れる。
ハインツも通路へ出た者へ手を振って戻す。
澪は地図へ目を落とした。
重力と風魔法の設定を移動加速に委ねると、飛行船はほどなく150km/h前後へ落ち着いた。
窓の外で林や街道が後ろへ流れていく。
最初は外を見て騒いでいた子どもたちも、いつの間にか声を落としていた。
地上の景色から緑が減り、黒っぽい岩が増えていく。
地図上では魔物の反応が一気に増えた。
「来ましたね」
澪が地図を見ながら言う。
街道の周囲をビッグアントの群れが動いている。
その間を、人間ほどのビッグマンティスが歩いていた。
真壁が地図へ目を落とし、指を動かす。
「4つに分けよう」
「手前からですか?」
「うむ」
飛行船が進路を変えた。
大人たちがビームマシンガンを手元へ寄せる。
ハインツが左右へ目を配り、ベルタも近くへ寄った。
ダリオは窓の外を見ている。
第1地点へ入った。
集敵魔道具が投下された。
パラシュートが開く。
ヒュウンヒュウン。
風を受けながら、魔道具がゆっくり地上へ下りていく。
街道脇にいたビッグアントが向きを変えた。
その後ろから数匹。
離れていた群れまで同じ方向へ寄り始める。
「来るな」
ダリオが低く言った。
ビッグマンティスも動いた。
集まり始めたビッグアントを追うように、長い前脚を持つ影が中心へ寄ってくる。
「もうやるのか?」
誰かが聞く。
「まだだ」
真壁の返事だけが返った。
澪は地図を見る。
反応が中央へ集まっていく。
外側にいた群れも入った。
真壁が手を上げる。
ゴゴゴゴゴ……。
低い音が地面から響いた。
ゴゥッ……。
炎が立つ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ。
火が広がり、集まった魔物を呑み込んだ。
船内の声が消える。
黒煙が膨らむ。
その中から影が飛び出した。
「キィーッ!」
ビッグマンティスが羽を広げて上昇する。
「右!」
「下だ!」
「後ろにもいる!」
「3!」
「こっちは2!」
一斉に声が上がった。
澪が顔を上げる。
右と言った者がどちらを向いているのか分からない。
地図持ちからも、窓際からも声が飛ぶ。
「それ、今のと同じじゃない?」
ベルタが声を上げた。
「違う!」
「いや、同じだ!」
ハインツが左右へ顔を向ける。
「待ってくれ。順に頼む!」
「右だ!」
「どっちから見てだ!」
大人たちはビームマシンガンを構えている。
だが、撃たない。
窓の外でビッグマンティスが高度を上げる。
「キィーッ!」
ダリオが目で追う。
「右下の3、来るぞ」
その時、別の声が通った。
「右舷下方、マンティス3!」
ハインツが振り向く。
「右舷弾幕!」
右舷側の大人たちが構えた。
ババババッ!!
連続した光が走る。
ビッグマンティスが撃ち抜かれ、羽を乱して落ちていった。
だが、その中の1匹だけが弾幕を抜けた。
「キィーッ!」
船体すれすれまで上がり、そのままカーゴへ取りつく。
「ギッ」
外側で、硬いものを引っかいた音がした。
窓のすぐ向こうにビッグマンティスの頭が現れる。
子どもたちの声が止まった。
前脚が窓際へ持ち上がる。
「こないで!」
クララが竜の卵を抱いたまま、子どもたちの前へ出た。
「下がって!」
近くの大人が子どもを後ろへ押し戻す。
「近寄るんじゃないよ!」
カーゴ側にいた大人がビームマシンガンを構えた。
ババババッ!!
至近距離から光が叩き込まれる。
「キィーッ!」
ビッグマンティスの身体が剥がれ、そのまま下へ落ちていった。
クララは窓の外を見たまま、腕の中の卵を抱き直す。
「大丈夫?」
後ろから子どもたちの返事が重なった。
その間にも別方向から声が飛ぶ。
「左舷後方、マンティス2!」
ハインツが振り向いた。
「左舷後方、弾幕!」
ババババッ!!
反対側から光が走った。
黒煙を回り込んできた個体が崩れ、地上へ落ちる。
澪は地図を追う。
残った反応の一つが火山側へ離れていく。
ダリオもそれを目で追ったが、銃口は上げなかった。
「来ないなら放っとけ」
飛行船はそのまま第1地点を離れた。
「俺は右って言ったぞ」
「お前、後ろ向いてただろ」
「俺から見れば右だ」
「だから、それじゃ分からないんだよ」
緊張が切れると、船内にまた声が増えた。
「さっき3って言ったの、右側のやつか?」
「たぶん」
「たぶんじゃ分からないでしょう」
ベルタが割って入る。
「今の3と2、同じのが混ざってたわよ」
ハインツが顔をしかめた。
「そこからか」
「そこからね」
「ぼくが最初に見つけたよ」
子どもが得意そうに言う。
トトが振り向いた。
「先かどうかはどうでもいいだろ」
「なんで?」
「みんなで同じ虫を言ったから、訳が分からなくなったんだろ」
「じゃあ見つけても言わないの?」
「そうじゃなくて……」
トトが言葉に詰まった。
澪は口を開きかけた。
けれど、真壁が先にハインツを見る。
「ハインツ君」
「はい」
「次までに整えられるか」
ハインツは右舷、左舷、地図持ち、ベルタの順に目を向けた。
「やってみます」
「では任せよう」
真壁は操船へ戻った。
澪も口を閉じる。
『言わぬのか』
『今は、ハインツさんが考えるところでしょうから』
ハインツはすぐに声を上げた。
「待ってくれ。まず向きを合わせよう」
周囲が黙る。
「前は船首。右舷、左舷、後ろは船尾。高さは上、同じ高さ、下。それでいこう」
「距離は?」
「今はいらない。言うことを増やしすぎるな」
ベルタが横へ来た。
「同じ相手なら、私が止める。それでいい?」
「頼む」
「地図持ちは?」
「位置を先に見てくれ。窓から見てる方は、煙で見えなくなったやつを頼む」
トトも家族側へ戻る。
「聞いたか?」
「聞いた」
「誰かがもう言った虫は?」
「次を見る」
「そういうこと」
「でも俺が先なら?」
「先はもういい」
近くから笑いが漏れた。
オスカーが接合部の方から声を掛ける。
「さっきも似たようなことやったな」
ハインツが振り返った。
「何が?」
「カーゴを合わせた時だ。右だ左だって」
「ああ……」
ハインツは船首方向へ目を向けた。
「次から接続もこの呼び方でやろう」
「それがいい」
オスカーはそれだけ言って自分の位置へ戻った。
窓の外には、次の魔物群が見え始めている。
地図持ちがそれぞれの方向へ散った。
ベルタはハインツの近くへ。
大人たちもビームマシンガンを手に持ち場へ戻る。
「第2地点、近い」
船首側から声が来た。
ハインツが前を向いた。
「そのまま見ていてくれ」
飛行船は速度を落としながら、第2地点へ入っていった。