押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第264話 人は石垣

 

 第2地点が近づくにつれ、窓の外を流れる景色に、また黒い影が増え始めた。

 

 火山帯の風に削られた岩肌。その間を縫う街道は、上空から見ると灰色の細い帯にしか見えない。ところどころ路肩が崩れ、乾いた地面の上をビッグアントの群れが動いている。

 

 後方には、先ほど劫炎を落とした場所の黒煙がまだ残っていた。

 

 澪は地図から目を上げた。

 

 カーゴの中では、大人たちがすでに動き始めている。

 

 右舷を受け持つ者は右舷へ。左舷側は左舷へ。船尾を受け持つ者は後方へ。

 

 さっきまでは、ビッグマンティスを見つけるたびに全員が窓へ寄っていた。その人たちが、今は自分の立つ場所へ戻っていく。

 

「右舷、左舷、船尾。さっき決めた通りでいく」

 

 ハインツの声が船内を通った。

 

「分かった」

 

「こっちもいい」

 

 返事は短い。

 

 ベルタがハインツの横へ寄った。

 

「同じのが重なったら、私が止めるわ」

 

「頼む」

 

 家族側では、トトが子どもたちを前にしていた。

 

「誰かがもう言ったやつを、もう一度言うなよ」

 

「先に見つけても?」

 

「先はもういい」

 

「でも俺の方が早かったら――」

 

「競争じゃないって」

 

 横で聞いていた父親が吹き出した。

 

「お前、そこだけは譲らないな」

 

「だって先に見つけたんだぞ」

 

「だから何だよ」

 

 トトが呆れた顔をする。

 

 澪も口元を緩めた。

 

 第1地点から、まだそれほど離れてはいない。

 

 人も変わっていない。

 

 ビームマシンガンも同じ。

 

 それなのに、船内の声だけはずいぶん減っていた。

 

 真壁は何も言わない。

 

 前を見たまま、飛行船を第2地点へ入れていく。

 

「投下する」

 

 集敵魔道具が飛行船から離れた。

 

 ぱっとパラシュートが開く。

 

 ヒュウン、ヒュウン――。

 

 火山帯を吹き抜ける風に押され、魔道具が左右へ揺れながらゆっくり下降していった。

 

 澪は地図と窓の外を交互に見る。

 

 最初に向きを変えたのは、街道脇にいたビッグアントだった。

 

 1匹。

 

 その後ろから2匹、3匹。

 

 岩陰にいた群れも続く。

 

 ザザザザザ――。

 

 乾いた地面を無数の脚が掻く。

 

 離れたところにいた個体まで同じ一点へ向かい始めると、黒い筋が地面を這っているように見えた。

 

「来たな」

 

 ダリオが低く言った。

 

 ビッグマンティスも動く。

 

 人間ほどの身体を揺らし、長い前脚を畳んだまま、集まり始めたビッグアントへ近づいていく。

 

 地図の反応が重なる。

 

 真壁はまだ待った。

 

 外側からもう1群。

 

 さらにマンティスが寄る。

 

 ゴゴゴゴゴ……。

 

 地面の奥から響くような低い音が始まった。

 

 船内の声が消える。

 

 ゴゥッ!!

 

 炎が立った。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!

 

 赤黒い火が地上を走り、集まった魔物を一気に呑み込んだ。

 

 窓越しでも、劫炎の明かりでカーゴの中が赤く染まる。

 

「うわ……」

 

 子どもの声が漏れた。

 

 黒煙が大きく膨らむ。

 

「キィィーッ!!」

 

 煙を突き破って、2つの影が飛び出した。

 

「右舷下方、マンティス2!」

 

「右舷弾幕!」

 

 ハインツの声が返る。

 

 右舷側の大人たちが一斉に構えた。

 

 バババババッ!!

 

 白い光が横殴りに走る。

 

 先頭のマンティスが空中で跳ねた。

 

 もう1体が身を捻る。

 

 ババッ!! ババババッ!!

 

「キィッ!」

 

 羽が裂け、2体とも黒煙の中へ落ちていった。

 

 間を置かず、船尾から声が飛ぶ。

 

「船尾上方、1!」

 

「船尾、撃て!」

 

 バババッ!!

 

 短い光が走った。

 

 マンティスが横へ逃げる。

 

「まだいる!」

 

「見えてる!」

 

 バババババッ!!

 

 今度は胴を捉えた。

 

 身体がくるりと裏返り、羽を散らしながら地上へ落ちていく。

 

 澪は地図を追った。

 

 第1地点では、敵が見えているのに、撃つまでが長かった。

 

 今は違う。

 

 場所が声になり、その声がすぐ弾幕へ変わっている。

 

 ダリオも火山側へ離れていく1体を目で追ったが、銃口を向けなかった。

 

「こっちは終わりだ」

 

 それだけ言う。

 

 澪が残った反応を追っている間に、船体がゆっくり向きを変え始めた。

 

「次へ行く」

 

 真壁はもう第3地点へ船首を向けていた。

 

 

 

 

 

 第2地点の黒煙が後ろへ流れていく頃、カーゴの奥で男が壁へ手をついた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 クララがすぐに寄る。

 

 男は片手で額を押さえていた。

 

「いや……ちょっと目が回ってな」

 

 笑おうとしたようだが、顔から血の気が引いている。

 

 別の席では、炎を見ていた子どもが母親の服を強く握っていた。

 

 その向かいに立つ大人も、ビームマシンガンを握る手に力が入りすぎている。

 

 クララは壁際の男を見てから、すぐリュシアを呼んだ。

 

「リュシアさん、この人は代わってください」

 

「分かったよ」

 

 リュシアは近くにいた男へ顎を向けた。

 

「あんた、次はあっちへ入っておくれ」

 

「ああ」

 

「こっちは私が見るよ」

 

 言いながら、もう人を動かしている。

 

 クララは男を座席へ座らせた。

 

「ここは代わってもらいます」

 

「少し座れば、次は――」

 

「代わりはいます」

 

 クララが言い切る。

 

 男は口を閉じた。

 

「外は見なくていいです。こっちを見てください」

 

 クララが自分の顔を指す。

 

「ゆっくり息をしてください」

 

 男の肩が大きく上下した。

 

 呼吸が落ち着き始めたところで、別の声が飛んでくる。

 

「クララ、こっちも」

 

「はい」

 

 竜の卵を片腕へ抱き直し、今度は子どもの方へ向かった。

 

 澪は一度だけその姿を目で追い、すぐ地図へ戻る。

 

 第3地点が近い。

 

 飛行船は速度を落とさなかった。

 

 

 

 

 

「多いですね」

 

 澪は窓の外を見て呟いた。

 

 第3地点は、これまでと明らかに密度が違った。

 

 街道の脇だけではない。

 

 黒い岩の陰。

 

 斜面の下。

 

 溶岩が固まってできた窪地。

 

 あちこちでビッグアントが動いている。

 

 地図に浮かぶ反応も濃い。

 

「うむ」

 

 真壁は短く返した。

 

 集敵魔道具が投下される。

 

 パシュッ。

 

 パラシュートが開く。

 

 ヒュウン、ヒュウン……。

 

 風に押されながら下りていく。

 

 ザザザザザザ――。

 

 地上が動いた。

 

 1つの群れが集まりきる前に、別の群れが流れ込んでくる。

 

 ビッグマンティスも次々と寄ってきた。

 

「うわぁ……」

 

 今度は子どもだけではなかった。

 

 大人からも声が漏れた。

 

 窓から見下ろす地面そのものが蠢いているようだった。

 

 真壁は待つ。

 

 まだ寄る。

 

 さらに外から入る。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ……。

 

 低い唸りが響く。

 

 ゴゥッ!!

 

 炎が弾けた。

 

 ドドドドドドドドッ!!

 

 火が地上を舐めるように広がった。

 

「キィーッ!」

 

「キィィィーッ!!」

 

 黒煙のあちこちから鳴き声が上がる。

 

 バサッ!

 

 バサバサバサッ!!

 

 煙を破って、マンティスが一斉に高度を取った。

 

「右舷下方、4!」

 

「船首下方、3!」

 

「左舷同高、2!」

 

「船尾、1!」

 

 声が続く。

 

「右舷――」

 

「船首側、さらに2!」

 

「左舷下方!」

 

「船尾上!」

 

 ハインツが1つ返そうとした時には、もう次の声が飛び込んでくる。

 

 ベルタが左右へ顔を振った。

 

「それは別!」

 

「右舷4、重複なし!」

 

 同じマンティスを重ねて言っているわけではない。

 

 本当に数が多い。

 

 澪の地図にも、空へ上がる反応がいくつも見える。

 

 ただ、その全部が飛行船へ向かっているわけではなかった。

 

 火山側へ逃げるもの。

 

 高度を落として地上へ戻るもの。

 

 そして、こちらへ向かってくるもの。

 

「ハインツ君」

 

 真壁の声が飛ぶ。

 

「分かってます!」

 

 ハインツが外を見る。

 

 一瞬だけだった。

 

「船へ寄るやつだけだ!」

 

 声が船内を通る。

 

「離れるやつは捨てろ! 近づくやつだけ!」

 

 ベルタが即座に拾う。

 

「右舷4、接近2!」

 

「右舷弾幕!」

 

 ババババッ!! ババッ!!

 

 右舷から光が走った。

 

 1体が錐揉みになって落ちる。

 

 もう1体が急降下しようとする。

 

 バババババッ!!

 

 光が追いついた。

 

「船首下方、接近2!」

 

「船首、撃て!」

 

 ババババババッ!!

 

 白光が煙の中へ突っ込む。

 

「キィッ!」

 

 短い鳴き声が途切れた。

 

「左舷同高、接近1!」

 

「左舷弾幕!」

 

 ババッ!!

 

 外れた。

 

 マンティスが長い前脚を広げ、窓の方へ向きを変える。

 

「来るぞ!」

 

「そのまま!」

 

 バババババッ!!

 

 胸を撃ち抜かれたマンティスが、窓の手前でぐらりと傾いた。

 

 バサッ――。

 

 羽が風に煽られ、後方へ流れていく。

 

 ダリオは火山側へ飛んでいく1体を追っていた。

 

 だが銃口は上げない。

 

「そいつは来ない」

 

 視線を切り替える。

 

「船尾2、接近は1!」

 

「船尾、撃て!」

 

 バババッ!!

 

 今度は一撃だった。

 

 澪は地図を追う。

 

 反応そのものはまだ多い。

 

 だが、こちらへ来るものだけなら、見るべき数はぐっと減った。

 

 地図上で1体が飛行船から離れていく。

 

 誰も叫ばない。

 

 その横で2体がこちらへ向きを変えた。

 

「右舷下方、接近2!」

 

「右舷弾幕!」

 

 ババババッ!!

 

 光が走る。

 

 飛行船は速度を落とさず、第3地点を抜けていった。

 

 

 

 

 

 第4地点へ向かう途中、オスカーが壁際で足を止めた。

 

 ほかの者が持ち場を移る中、1人だけ接続部の近くへ手を当てている。

 

 指先を置き、耳を寄せる。

 

「ヴァルトさん」

 

 呼ばれたヴァルトが振り返った。

 

「どうしました?」

 

「ここ、さっきから鳴きます」

 

「鳴く?」

 

「ずっとじゃありません。右へ人が寄った時です」

 

 ヴァルトもそばへ寄る。

 

「第3地点の射撃時ですか」

 

「はい。人が戻ると消えます」

 

 オスカーは壁へ手を置いたまま答えた。

 

 ヴァルトも触れる。

 

 外れたところはない。

 

 大きくずれた様子もない。

 

 次に重力制御側へ意識を向けた。

 

「なるほど」

 

 ヴァルトの指が設定へ伸びる。

 

「人が片側へ集まった時だけ、追いつくのが遅れているようですね」

 

 重力側へ手を入れた。

 

「次に右へ寄った時、聞いていてください」

 

「分かりました」

 

 飛行船は止まらない。

 

 窓の向こうでは、第4地点の岩場が近づいている。

 

「右舷側、入ってくれ」

 

 ハインツの声。

 

 数人が移動する。

 

 ビームマシンガンを持った大人が右舷側へ寄った。

 

 オスカーは接続部へ耳を近づけたまま待つ。

 

 風魔法の低い唸り。

 

 床を伝う振動。

 

 人の靴音。

 

 やがて顔を上げた。

 

「鳴りません」

 

「これでよいでしょう」

 

 ヴァルトが手を離す。

 

「はい」

 

 オスカーもすぐに自分の位置へ戻った。

 

 澪はその背中を目で追った。

 

 ヴァルトが先に見つけたのではない。

 

 真壁でもない。

 

 オスカーが気づいて、ヴァルトが手を入れた。

 

 それだけ考えたところで、第4地点へ入った。

 

 

 

 

 

 今度は、真壁が何も言う必要がなかった。

 

 ハインツは中央へ。

 

 ベルタがその横。

 

 地図持ちは各方向へ散る。

 

 大人たちはビームマシンガンを手に、自分の位置へ移った。

 

 クララは窓ではなく人を見る。

 

 トトも家族側から外へ目を向ける。

 

 澪は地図を開いた。

 

 集敵魔道具が落ちる。

 

 ヒュウン……ヒュウン……。

 

 火山風に揺れながら下降する。

 

 ザワッ。

 

 地上の群れが向きを変えた。

 

 ザザザザザザザ――。

 

 何十という黒い影が一点へ流れ込む。

 

 マンティスも寄る。

 

 誰も急かさない。

 

 待つ。

 

 十分に寄った。

 

 ゴゴゴゴゴ……。

 

 ゴゴゴゴゴゴ……。

 

 ゴゥッ!!

 

 炎が立った。

 

 黒煙が一気に膨らむ。

 

「キィィィーッ!!」

 

 煙を突き破ってマンティスが飛び上がった。

 

「右舷下方、接近3!」

 

「右舷弾幕!」

 

 バババババッ!!

 

 右舷側の大人たちの肩が揃って動く。

 

 白い光が黒煙を切り裂いた。

 

 1体が落ちる。

 

 続いて2体目。

 

 残った1体が急に高度を上げる。

 

「右舷上!」

 

 ババッ!!

 

「キィッ!」

 

 影が崩れた。

 

 澪はもう右舷を見ていなかった。

 

 地図では、別の反応が船尾へ回っている。

 

「船尾側、煙の向こう!」

 

 トトの声。

 

 誰も撃たない。

 

 地図持ちが拾う。

 

「左舷後方、接近2!」

 

「左舷後方、弾幕!」

 

 バババババッ!!

 

 煙の向こうで1体が落ちた。

 

 残った1体が煙を抜ける。

 

「キィーッ!!」

 

 マンティスが船体へ向かってくる。

 

 バサッ! バサバサッ!

 

「左舷後方、まだ1!」

 

「撃て!」

 

 ババッ!!

 

 光が前脚の横を抜けた。

 

 外れた。

 

 マンティスがそのままカーゴへ迫る。

 

「キィーッ!」

 

 ガリッ!!

 

 長い前脚が船体へ引っ掛かった。

 

 窓のすぐ外。

 

 人間ほどの大きさの頭が、ぐるりとこちらへ向く。

 

 船内の子どもたちと目が合った。

 

「こないで!」

 

 クララが竜の卵を抱えたまま子どもたちの前へ出る。

 

 マンティスが前脚を持ち上げた。

 

「近寄るんじゃないよ!」

 

 カーゴ側にいた女がビームマシンガンを構えた。

 

 周囲の大人たちも銃口を向ける。

 

 ババババッ!!

 

 窓の外が白く弾けた。

 

「ギィッ!!」

 

 マンティスの身体が船体から剥がれる。

 

 長い前脚が宙を掻き、そのまま黒煙の下へ落ちていった。

 

「次!」

 

 ハインツの声が飛ぶ。

 

 誰も落ちたマンティスを追わない。

 

「船首下方、接近1!」

 

「船首、撃て!」

 

 バババッ!!

 

 光が走る。

 

「右舷同高、接近1!」

 

「右舷、撃て!」

 

 ババッ!! バババッ!!

 

 最後の影が崩れた。

 

 澪は地図を広く見る。

 

 街道沿いに固まっていた大きな反応は、ほとんど消えていた。

 

「この辺りの大きな群れは、もうありません」

 

 顔を上げる。

 

 リュシアが窓越しに街道を見下ろしていた。

 

 焼けた岩場。

 

 黒煙。

 

 まだ点々と残る魔物の影。

 

「こんだけ間引いたら、陸でもいけるかね?」

 

 真壁も地図を見る。

 

「人と同じ大きさのマンティスが、時折襲ってくる程度だな」

 

「それでも駄目かい」

 

「ああ。このマシンガンは貸し出せないし、盗んでも常時運用はできないようにしてある」

 

 リュシアが肩に掛けたビームマシンガンへ目をやった。

 

「これなしで商隊を通すには、まだ多いってことか」

 

「もう少し間引かないと、街道を戻すのは無理だろうな」

 

 リュシアは眼下の道を眺めた。

 

 人はいない。

 

 荷車も通らない。

 

 道だけが火山帯の中を南へ延びている。

 

「なら、もう一度だね」

 

「ああ」

 

「街道が戻れば荷が動く。ここが開けば、南との流れも変わるよ」

 

 真壁が横目でリュシアを見る。

 

「もう商売の話か」

 

「道を見て商売を考えない商人がいるかい」

 

 澪は地図を見たまま、少し笑った。

 

「今日は戻ろう」

 

 真壁が飛行船を返す。

 

 重力と風魔法の設定を移動加速に委ねると、飛行船はほどなく150km/h前後へ落ち着いた。

 

 黒い火山帯が、今度は後方へ流れ始めた。

 

 

 

 

 

 戦闘が終わってしばらくすると、カーゴの空気が一気に緩んだ。

 

 さっきまでビームマシンガンを握っていた大人が、座席へ腰を落として腕を揉んでいる。

 

 壁へ背を預け、目を閉じる者。

 

 戦っている間は気づかなかった手の震えを、今になって眺めている者もいた。

 

 子どもの1人は、母親の肩へ頭を預けたまま眠っている。

 

「もう寝たのか」

 

「朝からずっと興奮してたもの」

 

 母親が上着を掛け直した。

 

 別の子も大きなあくびをする。

 

 クララはまだ人の間を歩いていた。

 

「そのまま座っていてください」

 

 飛行酔いした男が苦笑する。

 

「もう着くなら大丈夫だ」

 

「なら、着くまで座っていられますね」

 

「……はい」

 

 男は素直に背もたれへ戻った。

 

 リュシアが通路に出ている者へ手を振る。

 

「そろそろ戻るよ。座れる人は座っておくれ」

 

 ハインツも反対側から声を掛けた。

 

「通路を空けてくれ。荷物は足元へ」

 

「こっちへ寄せるぞ」

 

「右へ集めすぎるな。もう少し中央だ」

 

 人が動く。

 

 眠った子どもを抱き上げる。

 

 酔った者の隣を空ける。

 

 床に置かれた袋を引き寄せる。

 

 片側へ人が寄れば、近くの者が声を掛けて中央へ戻す。

 

 朝には、窓へ集まって何度も呼び戻されていた人たちだった。

 

 澪は窓の外を見る。

 

 侯爵領が近づいてくる。

 

 遠くに小さく見えていた屋根が、少しずつ形を持ち始める。

 

 やがて地下ドックの入口が見えた。

 

 

 

 

 

 飛行船が地下へ入ると、外の明るさが一気に落ちた。

 

 白い作業灯が船体を流れていく。

 

 飛行中ずっと聞こえていた風の音が消え、代わりに地下ドックの工具音や人の声が近づいた。

 

 飛行船が治具へ収まる。

 

 動きが止まった。

 

 隔壁が開く。

 

 冷えた地下の空気が流れ込んだ。

 

「寒っ」

 

 子どもが肩をすくめる。

 

「寝てたからだよ」

 

 親に言われながら、まだ半分眠った顔で降りていく。

 

 大人たちも順に石床へ降りた。

 

 肩を回す者。

 

 大きく伸びをする者。

 

 飛行船を振り返る者。

 

「……あれ?」

 

 先に降りた男が足を止めた。

 

「どうした?」

 

「レベルが上がってる」

 

「え?」

 

 隣の男も自分の状態へ意識を向ける。

 

「俺もだ」

 

「こっちも!」

 

 声が広がった。

 

 子どもたちまで騒ぎ始める。

 

「トト! ぼくも上がってる!」

 

「俺だって上がってるよ」

 

「ほんとだ!」

 

 真壁が振り返った。

 

「全員こちらへ来たまえ。子供もだ」

 

「俺たちも?」

 

「当然だ。今日動いたのは、大人だけではないだろう」

 

 子どもたちの顔が一斉に明るくなる。

 

「俺が先!」

 

「押すな」

 

「俺、マンティス見つけた!」

 

「それは今関係ないだろ」

 

 トトが止めているが、自分もしっかり前の方にいる。

 

 澪は思わず笑った。

 

「並んでくれ。順に見る」

 

 真壁が先頭の男を鑑定する。

 

 視線が一度止まった。

 

「君は鑑定が取れる。まずそれを取りたまえ」

 

「鑑定ですか」

 

「ああ」

 

「分かりました」

 

 男がSPを振る。

 

「取れました」

 

「次」

 

 真壁はもう次の者を鑑定していた。

 

「君は収納だ。取れ」

 

「収納!」

 

「容量は育ててからだ。まず取る」

 

「はい!」

 

 後ろで子どもが背伸びをした。

 

「まだ?」

 

「今2人目だぞ」

 

 トトが呆れる。

 

「でも俺、収納欲しい」

 

「出るか分からないだろ」

 

「出るかもしれない」

 

「だから待てって」

 

 順番が進む。

 

 大人。

 

 大人。

 

 そして子ども。

 

 真壁が鑑定する。

 

「君も収納が取れるな」

 

「ほんと!?」

 

「本当だから言っている」

 

「収納だって!」

 

 子どもが後ろへ叫ぶ。

 

「聞こえてるよ!」

 

 笑いが起きた。

 

 次の子。

 

「君は鑑定だな」

 

「鑑定!」

 

「取っておきたまえ」

 

「はい!」

 

 返事だけは誰より元気だった。

 

 さらに次。

 

 今度は鑑定でも収納でもない。

 

 真壁が鑑定結果を見た。

 

「こちらを上げた方がよいな」

 

「これ?」

 

「ああ。今の持ち場でも使える」

 

「じゃあ、これにする」

 

 その場でSPを振る。

 

 次。

 

 また次。

 

 鑑定。

 

 収納。

 

 すでに持っている者なら、その先。

 

 別のものが取れるなら、その者がこれからやることに合わせて決めていく。

 

 大人も子どもも同じだった。

 

 列の後ろを見たリュシアが眉を上げる。

 

「これ、しばらく終わらないんじゃないかい?」

 

「終わるまでやる」

 

「そう言うと思ったよ」

 

 澪も列を見る。

 

 大人の間に子どもが混じり、その後ろにはまた大人が続いている。

 

「真壁さん、大人気ですね」

 

「これは人気とは違うだろう」

 

 真壁は顔も上げず、次の1人へ鑑定を掛けた。

 

 

 

 

 

「クララ」

 

 老司祭に呼ばれ、クララが振り向いた。

 

 竜の卵はまだ腕の中にある。

 

 トトも横にいた。

 

「こちらへおいで」

 

「はい」

 

 クララが近づく。

 

 老司祭は彼女の状態を見て、目を細めた。

 

「高位聖職者へランクアップできるぞ」

 

 クララが瞬きをした。

 

「高位聖職者に、ですか」

 

「うむ」

 

 クララはすぐには答えなかった。

 

 飛行船へ目を向ける。

 

 飛行酔いで立っていられなくなった男。

 

 炎を見て震えていた子ども。

 

 マンティスがカーゴへ取りついた時、窓の内側で固まった人たち。

 

 自分にできたことは、まだ少ない。

 

 もっと助けられるようになるなら。

 

「お願いします」

 

「よかろう」

 

 老司祭が儀式へ入った。

 

 クララは竜の卵を抱いたまま目を閉じる。

 

 やがて祈りの言葉が止まった。

 

 クララが顔を上げる。

 

 その時だった。

 

 腕の中が、ふっと温かくなった。

 

「……え?」

 

「どうした」

 

 トトが近寄る。

 

「今、動いた」

 

「卵が?」

 

「うん」

 

 クララが両手で抱き直した。

 

「中から、こう……押されたみたいに」

 

 耳を寄せる。

 

 トトも横から顔を近づけた。

 

「ほんとか?」

 

「動いたよ」

 

 2人で待つ。

 

 もう一度。

 

 何も起きない。

 

 竜の卵は再び静かになっていた。

 

 クララはしばらく耳を当てたまま離さなかった。

 

 

 

 

 

 地下ドックから人影が少しずつ減っていった。

 

 眠った子どもを抱いた親が帰る。

 

 疲れ切った者も家族と一緒に通路の向こうへ消えていく。

 

 澪も、ようやく肩の力を抜いた。

 

 今日はこれで終わり。

 

 そう思って周囲を見回した。

 

 ところが、まだ帰ろうとしない人たちがいた。

 

 ハインツとベルタは飛行船の窓を指しながら話している。

 

「船尾にもう1人欲しいな」

 

「右舷前は減らせると思う」

 

「そっちから回せるか?」

 

「回せるわ。今日より声は重ならないと思う」

 

 少し離れたところでは、オスカーがヴァルトと接続部を覗き込んでいた。

 

「ここです。右へ人が寄った時だけ鳴りました」

 

「次は人の位置を変えた時も見てみましょう」

 

「分かりました」

 

 反対側では、ダリオたちがビームマシンガンを手にしたまま立つ位置を変えている。

 

「右舷から船尾へ振るなら、こっちの方が早い」

 

「そこだと前が狭いぞ」

 

「じゃあ半歩後ろだな」

 

 ダリオが実際に半歩下がる。

 

 銃口を右舷から船尾へ振った。

 

「こっちだな」

 

「ああ。その方が振りやすい」

 

 監視に入っていた者たちも窓際へ残っていた。

 

「煙が来ると、ここから見えなくなる」

 

「反対側で拾えばいい」

 

「船尾にも1人回したいな」

 

 誰も集めていない。

 

 真壁も号令を掛けていない。

 

 それぞれが、自分のいたところへ戻り、自分が困ったところを話していた。

 

 澪は朝の地下ドックを思い出す。

 

 巨大な飛行船を見上げて足を止めていた人たち。

 

 子どもだけではない。

 

 大人まで首を反らし、その大きさに声を上げていた。

 

 同じ場所に、同じ飛行船がある。

 

 けれど今は、誰もその大きさを見ていなかった。

 

 ハインツは人の立つ位置を見る。

 

 オスカーは接続部を見る。

 

 ダリオは銃を振れる幅を見る。

 

 ベルタは、どこから声が重なるのかを話している。

 

 シロガネは澪の肩に座り、仕事を終えた者たちの顔を見渡した。

 

『人は石垣、人は城と、恵林寺殿機山玄公が申しておったが――これは、空を飛ぶ城だな』

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