押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第268話 必要なものを足しただけ

 

 澪が押し入れを抜けて六畳間へ戻ると、机の上のパソコンが点いていた。

 

 つい先ほどまでいた大型製造ドックでは、レオンハルトたちおよそ1,000人を運ぶためのカーゴが、床と骨格を組み始めたところだった。真壁はそこへ手を付けたあと、いつの間にか先にゲンダイへ戻っていたらしい。

 

 冬の薄い日差しがカーテンの隙間から畳へ落ちている。その六畳間の小さな机で、真壁は巨大な二階建て旅客機を画面いっぱいに表示していた。

 

「真壁さん、何を見てるんですか?」

 

「エアバスA380だ。エミレーツなどが採用している」

 

「飛行機ですよね」

 

「うむ」

 

 真壁がマウスを動かすと、外観写真が消えた。代わりに客室の座席配置が出て、その次には上下階を結ぶ階段、通路、乗降口と画面が切り替わっていく。

 

 机の端には、大型製造ドックで使っていたラフ図が置かれている。横は3席、4席、3席で、その間に2本の通路。各階50列を2層にして1,000席という、さっき決めたばかりの案だ。

 

「でも、もう作り始めてましたよね」

 

「床と骨格はな」

 

 真壁は座席配置を拡大した。

 

「座席が入ることと、人を運べることは別だろう」

 

 澪は机の紙を見直した。座席だけなら見事に1,000人分ある。けれど、その間を歩く人も、上へ行く人も、便所へ向かう人も、紙の上にはまだいなかった。

 

「A380みたいなのを作るわけじゃないですよね?」

 

 真壁は返事の代わりに画面を切り替えた。機体の断面が消え、今度は客室だけの図になる。

 

「そこではない」

 

「え?」

 

「こっちだ」

 

 真壁が見ているのは、座席の前後や通路の幅、階段と扉の位置だった。

 

「1,000人を座らせるだけなら、もう済んでいる」

 

「ああ……中なんですね」

 

「うむ」

 

 真壁はラフ図へ戻り、2層の客室を指でなぞった。

 

「やっぱり2階建てなんですね」

 

「上下500人ずつなら乗降も分けやすい。階段も増やさずに済む。まずは素直な形でよかろう」

 

 澪にも、それなら分かりやすかった。

 

 真壁は2階建ての案を崩さず、客室を詰めていった。前後に階段を置き、乗降口を取る。兵士の装備を客席へ持ち込ませないための空間も必要になる。

 

 そのたびに、50列の座席の前後が少しずつ削られていった。

 

 真壁は画面の座席配置と紙を何度か見比べたあと、今度は座席の間隔を書き直した。

 

「広げるんですか?」

 

「このままでは狭い」

 

「入ってはいますよね?」

 

「入る」

 

 真壁の鉛筆が止まった。

 

「だが、これはいかんな」

 

 澪も横から覗き込む。

 

 1階500席。2階も500席。数字だけならきれいに入っている。ただ、階段や乗降口、便所、装備置き場まで取ろうとすると、客席側へしわ寄せが来る。

 

 乗せるだけなら出来る。

 

 けれど、座っている間まで窮屈にする必要があるのかと言われると、澪にも違和感があった。

 

「もう少し座席の間を取ります?」

 

「そうしたい」

 

 真壁は何列かを書き直し、紙の端まで目を走らせた。

 

「すると長くなるな」

 

「今でも65mでしたよね」

 

「うむ」

 

 真壁は65mと書かれた数字を指で叩いた。

 

「これ以上前後に伸ばすのは感心せんな」

 

「でも、狭くするのも嫌なんですよね?」

 

「1,000人運ぶからといって、人まで貨物のように詰めるのは品がない」

 

 真壁は紙を少し離した。

 

 しばらく2層の図を眺めていたが、やがて2階の上へ一本、横線を引いた。

 

 もう一本、その上へ重ねる。

 

 澪は増えた線を見た。

 

「……真壁さん?」

 

「1層250人なら、25列で済む」

 

 真壁はもう計算を始めている。

 

「座席の前後にも余裕が取れる。階段や便所、装備置き場を無理に押し込む必要もない」

 

「4階建てにするんですか?」

 

「うむ」

 

 紙の上では、さっきまで2層だった客室が4層へ分かれていく。

 

「A380は2階建てですよね」

 

「知っている」

 

「なのに4階?」

 

「こちらでは、こちらに合う形にすればよいではないか」

 

 真壁は2階建ての案に残っていた線を消し、4層の座席配置を描き直した。

 

 50列あった座席が25列になる。

 

 前後へ余裕を取っても、車体はむしろ短く出来る。

 

「座席だけなら20mほどだな。階段、乗降部、便所、装備置き場を取っても30m台には収まる」

 

 澪は紙を覗き込んだ。

 

 さっきまで65mあったものが半分近くまで縮んでいる。その代わり、床は4枚になった。

 

「……ずいぶん上に伸びましたね」

 

「何か不都合があるかね?」

 

「いえ」

 

「では、こちらでよかろう」

 

 真壁は4層になった図を少し離し、眺めた。

 

「うむ。こちらの方が品よく収まる」

 

 澪も横から見る。

 

 人の座る余裕は増えた。

 

 全長は短くなった。

 

 その代わりに、どう見ても4階建てになった。

 

「なんだか、ずいぶん箱っぽくなりましたね」

 

「カーゴなのだ。むしろ好都合ではないか」

 

「……そうでした」

 

 二階建て旅客機を見ていたはずなのに、机の上では4階建ての箱が出来つつある。

 

 真壁は気にする様子もなく、今度は4層になった客室の中で人を動かし始めた。1階の乗降口から入り、階段を上がり、それぞれの座席へ向かう。鉛筆の先が前方へ寄ったところで、後方にも縦長の空間が描き足された。

 

「階段は前後に置こう」

 

「両方とも4階まで?」

 

「うむ。各層250人だ。1本へ集める理由がない」

 

 階段から人の動きを追った鉛筆は、そのまま側面へ向かった。

 

「乗降口も分けよう」

 

「また増えましたね」

 

「1,000人を一か所へ並ばせる方が、よほど無粋だろう」

 

 そこも納得するしかなかった。

 

 さらに上層へ扉を描き始めたので、澪は紙へ顔を近づける。

 

「4階にも扉を付けるんですか?」

 

「同じ高さへ足場を寄せられるなら直接使える。使わぬ時は閉じておけばよい」

 

「まだ使う場所も決まってませんよ?」

 

「だから今付けるのだよ、澪君。外板を閉じてから穴を開け直す必要もあるまい」

 

 後から巨大な外板へ穴を開けるより、確かに今のうちに用意した方がいい。

 

 澪が扉の位置を眺めていると、真壁の鉛筆が初めて長く止まった。

 

 モニターには旅客機の便所が映っている。

 

 2階建てを4階へ変える時にはほとんど迷わなかった人が、生活設備の配置になると急に慎重になった。

 

「……そこは悩むんですね」

 

「1,000人だぞ。便所のために4層を上下させるのは感心せんな」

 

 真壁は各層の通路を指で追い、何度か位置を変えてから印を入れた。

 

 次に画面へ出てきたのは、座席上の荷物棚だった。

 

「これは使えそうですね」

 

「兵を乗せるのだ。背嚢だけとは限るまい」

 

 真壁はラフ図の通路へ指を置いた。

 

「長物まで客席へ持ち込ませれば邪魔になる。装備は分けよう」

 

 澪は座席の上へ槍まで並ぶ光景を思い浮かべ、何も言わずに頷いた。

 

 客室とは離れた位置へ装備を置く空間が取られ、その間にもブラウザのタブが増えていく。階段、扉、換気、照明、内装と、最初に開いていたA380以外の資料がいつの間にか横へ並んでいた。

 

「真壁さん」

 

「何かな?」

 

「楽しんでません?」

 

 マウスが止まり、真壁が澪を見る。

 

「必要なものを決めているだけだが」

 

「そうですか」

 

「うむ」

 

 返事をした直後には、もう別の客室写真を開いている。

 

 澪はそれ以上追及せず、画面へ目を戻した。豪華な座席やラウンジに見入っているわけではない。真壁が拡大しているのは壁と窓の境目や、天井の照明、座った人間の手が触れそうなところばかりだった。

 

「豪華にするんですか?」

 

「まさか。兵を迎えに行くのだぞ」

 

「ですよね」

 

「だが、骨組みの中へ椅子だけ並べるのも品がない。人を乗せる以上、相応の仕上げは要る」

 

 客室側から構造材や配線が見えないよう内壁を入れ、天井も覆う。照明も、作業灯を並べれば済むとは考えていないらしい。

 

「普通に明るければ十分じゃないですか?」

 

「しばらく乗せるのだ。落ち着かん光を頭の上から浴びせる必要もあるまい」

 

 真壁の視線が今度は窓へ移る。4層分を描き終えたところで、紙を少し離して眺め、すぐ消しゴムを手に取った。

 

「何かありました?」

 

「3階がずれている」

 

「どこです?」

 

「右から8枚目だ」

 

 澪も目を凝らした。言われてみれば、そこだけほんの少し高い。

 

「使う分には大丈夫ですよね?」

 

「使える」

 

「なら――」

 

「だが、品がない」

 

 真壁は窓を消した。

 

 1階から4階まで縦を揃えて描き直し、定規を当てて眺める。

 

「これでよい」

 

 しかも描き直した窓は他の階と同じ寸法に収まり、窓枠まで共通に出来る。

 

 澪は口を開きかけ、温度のことを思い出したところで一度止まった。

 

「何かな?」

 

「……いえ。でも、温度は見た方がいいですよね」

 

「うむ。それは要る」

 

 換気だけだったところへ温度調整まで加わる。

 

 澪は自分の膝へ手を置いた。口に出すたび、図面には何かが増えている。ただ、人を乗せる以上、気づいたことまで黙るわけにもいかない。

 

 やがて紙の上では、4層の座席と前後の階段、乗降口や装備置き場がつながり、窓と内壁まで入った客室が形になっていた。

 

 澪には、もう十分に人を運べそうに見える。

 

 ところが真壁は図面を眺めたまま、今度は車体の下側へ視線を落とした。

 

「……タイヤを付けよう」

 

「何にですか?」

 

「カーゴに」

 

「飛ばすんですよね?」

 

「地上では飛ばん」

 

「それはそうですけど」

 

 真壁は4階建ての下へ車輪を描き始める。

 

「ここまで短くしたのだ。地上での取り回しにも使わん手はあるまい。着地するたびにギャロップごと乗降位置へ合わせるのは面倒だ」

 

「まあ、タイヤがあれば動かしやすいですね」

 

 言った直後、真壁の鉛筆が止まった。

 

「なら、自走出来た方がよいな」

 

「今の『動かしやすい』は、そこまでの意味じゃなかったんですけど」

 

「では誰に押させるのかね?」

 

 30mを超える4階建てを、大勢で押して動かす光景が浮かんだ。

 

「……無理ですね」

 

「では決まりだ」

 

 真壁はもう新しい検索を始めている。

 

「今度は何を見てるんです?」

 

「長い車体の操舵だ」

 

 画面には、さっきまでの旅客機とは違う種類の大型車両が並んでいる。

 

「もう飛行機じゃないですね」

 

「最初から飛行機を造っているわけではないのだよ、澪君」

 

「カーゴでしたね」

 

「ようやく話が合ってきたではないか」

 

 真壁は前方の車輪だけでなく、後ろ側も向きを変えられるよう図へ矢印を加えていった。

 

「この長さなら、後ろも合わせた方がよい。無駄に大回りする必要はないからな」

 

 澪は図の後ろを見て、後退する時のことを尋ねかける。けれど口へ出す前に、一度考えることにした。

 

 その真壁が、今度は車体の前端をじっと見ている。

 

「……前が見えんな」

 

 澪は天井へ視線を上げた。こちらが何も言わなくても、結局そこへ到達したらしい。

 

「コックピットも付けよう」

 

「運転席では?」

 

「コックピットだ」

 

「そこは譲らないんですね」

 

 真壁は鉛筆を止め、澪を見た。

 

「運転席では少々味気ないではないか」

 

「……そこだけは必要性じゃないんですね」

 

「名称にも品は要るよ」

 

 今日初めて、真壁が実用以外の理由だけで何かを決めた気がした。

 

 地上走行専用の区画が車体前方へ加わる。飛行中の操縦も推進も従来どおりギャロップ側で、このカーゴだけでは空へ上がれない。ただ、地面へ降ろした後だけは、自分で低速移動できる。

 

 澪は最初の図と、今の図を見比べた。

 

 65mほどあった2階建ては、30m台の4階建てへ変わっている。短くなった代わりに窓も扉も増え、とうとう車輪とコックピットまで付いた。

 

「これ、だんだん建物みたいになってません?」

 

「カーゴだ」

 

「4階ありますけど」

 

「1層250人で、きれいに収まったではないか」

 

 真壁は4層の図面を眺め、むしろ最初より気に入っているように見えた。

 

 

 

 

 

 大型製造ドックへ戻ると、六畳間の紙に収まっていた4本の床が、本来の大きさになって澪の前へ立ち上がった。

 

 金属を打つ乾いた音が岩壁へ響き、白い作業灯の下で骨格が組み替えられていく。先に作った部材を捨てるのではなく、使えるものは新しい長さへ合わせて回されていた。

 

 2階まで床が載ったところでは、まだ背の高いカーゴに見えた。ところが3階の骨格が組まれ、さらに4階の床まで固定されると、澪はいつの間にか建物を見る時と同じ角度まで首を反らしていた。

 

「……本当に4階建てですね」

 

「そう決めただろう」

 

「六畳間だと、紙の線だったので」

 

「実物になれば、こちらの方が収まりの良さも分かるというものだ」

 

 真壁にとっては、4階建てになったことより、短くまとまったことの方が大事らしい。

 

 同じ形の座席支持材が各層へ収まり、25列ずつの客席が形になっていく。前後には階段のための空間が通され、まだ壁のない内部でも、人がどこを歩くのか分かるようになってきた。

 

 窓枠が取り付けられると、4階建てらしさはさらに強くなった。1階から4階まで同じ位置へ窓が重なり、長さが縮んだ分、縦方向の並びが妙に目立つ。

 

 真壁は少し離れた位置からそれを眺め、急に歩みを止めた。

 

「3階、右から8枚目」

 

「はい?」

 

「高い。直し給え」

 

 澪は見上げてから、六畳間で同じ箇所を直したことを思い出した。

 

「これでも分かるんですね」

 

「分かるから言っているのだよ」

 

 収納から同じ窓枠を出し、取り付け位置を直す。4層の窓が縦横とも揃ったところで、真壁はもう一度全体を見上げた。

 

「うむ。これでよい」

 

「やっぱり、そっちの方がいいですか?」

 

「見れば分かるではないか」

 

 整っている。確かに整っているのだが、そのせいでますます4階建ての建物らしくなったことは、口にしなかった。

 

 内壁が取り付けられるにつれ、むき出しだった骨格や配線が客室から消えていった。前後には1階から4階まで通じる階段が入り、人が一方へ固まらないよう乗降口も分けられていく。骨だけだった巨大な箱が、作業が進むほど人の乗る空間へ姿を変えていった。

 

 真壁は内壁の合わせ目へ指を当て、わずかな段差で止める。

 

「澪君、ここをもう少し合わせ給え」

 

「はい」

 

 位置を直すと、指先がもう一度継ぎ目をなぞった。

 

「それでよい」

 

 直した場所は、数歩離れるとどこだったのか分からなくなった。真壁は一度だけそれを眺めると、もう隣の壁へ歩いていく。

 

 照明が入る頃には、骨格を見上げていた時の寒々しさも薄れていた。座席だけを照らして通路が暗くなることもなく、頭上だけが妙に眩しくなることもない。装備を置く空間は客席から離され、階段や便所へ向かう動きも塞がない。

 

 真壁は出来上がった1階を端まで歩き、前方の階段を使って上へ向かった。そのまま各層を見て回り、4階から通路と窓の並びを眺める。

 

「悪くない」

 

 それだけ言うと、もう階段を下り始めた。

 

 車体の下では、六畳間で追加された走行機構も形になっていた。大型の車輪は地上へ降ろす時だけ展開し、飛行時には格納する。自走する時は重力制御で車体を軽くするが、完全には浮かせず、タイヤが床を捉えられる重さを残す。

 

「本当にタイヤ付けたんですね」

 

「付けると言っただろう」

 

「六畳間で決めたばかりなのに」

 

「外を閉じてから付ける方が野暮というものだ。今ならきれいに収まる」

 

 前方へ回ると、地上走行用のコックピットもすでに形になっていた。4階建ての正面にそれが付いていると、カーゴという言葉からますます遠ざかったように見える。

 

「やっぱりコックピットなんですね」

 

「その話は済んだと思っていたがね」

 

「はい。もう言いません」

 

「それでよい」

 

 澪が引き下がったところで、真壁は完成へ近づいた車体を見上げた。

 

「名称も決めておこう」

 

「名前ですか?」

 

「エアバスでよいだろう」

 

 澪は4層の窓を一番上まで追い、それから真壁を見た。

 

「A380から、ずいぶん違うものになりましたけど」

 

「客室の作りを参考にしたのであって、機体を模倣したわけではない」

 

「でも名前はエアバス?」

 

「人を乗せて空を行くのだ。端的でよい名ではないか」

 

 真壁はそれで決まりと言わんばかりに歩き出した。

 

 澪は4段になった窓を見上げる。画面で見たA380の面影は、もう客室の中にしか残っていない。翼も長い胴体もなく、その代わりに4階分の座席が頭上へ積み上がっていた。

 

 

 

 

 

 完成したカーゴ - エアバスは、最初の65m案よりずっと短くなっていた。それなのに、4層へ並んだ窓を下から上まで追うと、以前より大きく見える。

 

 華美な飾りはない。それでも外板の合わせ目まで整えられ、内部に入れば壁も天井もきちんと仕上がっている。正面には地上走行用のコックピットまであり、大型製造ドックの中へ4階建ての旅客施設をそのまま置いたようだった。

 

 澪は少し離れたところから全体を眺めた。

 

「……家?」

 

「カーゴだよ」

 

「4階建てですよ」

 

「うむ。1,000人が無理なく収まった。実に具合がよい」

 

「コックピットもありますけど」

 

「地上で動かすのだ。それくらいあってよかろう」

 

 どこを指しても、真壁には付けた理由がある。

 

「本当にカーゴなんですね」

 

「用途がカーゴなのだよ。外見で役目まで変わるものではあるまい」

 

 真壁は澪の返事を待たずにコックピットへ入った。

 

 しばらくして格納されていた車輪が降り、巨大な車体が床へ荷重を預ける。重力を軽くしてはいるが浮いてはいない。低い駆動音がドックに響くと、窓を4段並べた車体がゆっくり前へ動き始めた。

 

「ああ……」

 

 澪の口から声が漏れた。

 

 飛行船が浮くところはもう何度も見ている。それでも、建物にしか見えないものがタイヤで走り始める光景には、頭がすぐ追いつかなかった。

 

 エアバスはドックの床をゆっくり進み、少し先で止まった。今度は後ろへ下がり、前後の車輪が向きを変えながら旋回していく。車体を30m台まで縮めたことも効いているのか、見た目から想像したほど大きく外へ膨らまない。

 

「4階建てが曲がってる……」

 

 自分で口にした言葉がおかしくて、澪はエアバスと床を交互に見た。

 

 やがて元の位置へ戻ると、真壁はコックピットから降り、まず車輪の側へ回った。床へ残ったタイヤの跡を見てから格納させ、車輪が車体の下へ消えるまで目を離さない。

 

「どうです?」

 

「悪くない」

 

 短く答えた真壁は、今度は数歩下がって全体を見上げた。4段の窓はまっすぐ揃い、外板にも目立つ乱れはない。

 

 ほんの一瞬だけ、口元が緩んだように見えた。

 

「うむ。なかなかのものではないか」

 

 澪がもう一度顔を見る頃には、いつもの表情へ戻っていた。

 

 

 

 

 

 リュシアたちが大型製造ドックへ入ってくると、先頭を歩いていたリュシアが入口で足を止めた。

 

 まず正面を見て、それから顔を上げる。視線は1階の窓から2階、3階と上がり、4階まで届いたところで止まった。

 

「……これかい?」

 

「うむ。エアバスだ」

 

「人を運ぶカーゴなんだろう?」

 

「そうだ」

 

「4階もあるのかい?」

 

「1層250人だ。4層で1,000人、きれいに収まる」

 

 リュシアは真壁とエアバスを見比べた。

 

「そうかい」

 

 それだけ言うと、もう側面へ回っている。

 

 乗降口から中を覗き、座席より先に2本の通路へ目を向けた。

 

「ここから乗せるのかい?」

 

「地上では1階を主に使う。前後へ分け給え。階段も両側へ通してある」

 

「なら、一つの入口に1,000人並べなくて済むね」

 

「うむ」

 

 リュシアは客室へ入った。

 

 3席、4席、3席の並びが25列続いている。その向こうに階段が見え、上の階からも同じように人を流せる。

 

「装備は?」

 

「こちらへ分ける。長物まで客席へ持ち込ませると邪魔になるからな」

 

 リュシアは装備置き場を覗き、通路まで振り返った。

 

「部隊ごとに分けて置けるかい?」

 

「そのつもりだ」

 

「ならいいね。降ろす時にも混ざらない」

 

 もう形の話はしていなかった。リュシアの目は座席より、人が通る場所と荷を置く場所を追っている。

 

 前方まで歩いたところで、ようやくコックピットへ目が止まった。

 

「これは何だい?」

 

「地上走行用だ」

 

「これ、走るのかい?」

 

「低速だけだがね。ギャロップを接続せずとも位置を変えられる」

 

 リュシアはコックピットから広いドックの床へ目を移した。

 

「人を乗せるところまで、こいつを動かせる?」

 

「うむ」

 

「それなら都合がいいね。1,000人を歩かせるより、こっちを動かした方が早いじゃないか」

 

 澪は思わずリュシアを見る。

 

「そこ、気にならないんですか?」

 

「何がだい?」

 

「4階建てで、しかも走るところです」

 

 リュシアはエアバスをもう一度見上げた。

 

「1,000人乗るんだろう?」

 

「はい」

 

「動かせるんだろう?」

 

「動きましたけど」

 

「なら、そっちの方がいいね」

 

 リュシアはもうコックピットの入口を覗き込んでいる。

 

「これも私たちが覚えるのかい?」

 

「そのために付けた。リュシア君、まず扱ってみ給え」

 

「じゃあ、私が先にやるよ」

 

 リュシアは振り返り、乗員候補たちへ声を掛けた。

 

「前と後ろに人を置いておくれ。中から見えないところは、外で見てもらうよ」

 

 声を掛けられた者たちがすぐに動き始める。車体の前後へ回る者もいれば、車輪の側へしゃがむ者、客室へ入って階段を上がる者もいる。

 

 真壁はその様子を一度眺めただけで、口を挟まなかった。自分からコックピットへ戻ることもなく、もうギャロップとの接続部へ向かっている。

 

「真壁さん」

 

「何かな?」

 

「もうエアバスは見ないんですか?」

 

「完成したものを眺め続けても仕方あるまい。次は接続だ」

 

「……そうですか」

 

 窓が1枚ずれているだけで直した人が、完成した途端にもう次を見ている。

 

 澪は大型ドックの中央へ視線を戻した。4段に並んだ窓の前にはコックピットがあり、さっきまで床を踏んでいた車輪はもう腹の下へ収まっている。

 

 六畳間では、どれも一つずつ増えただけだった。

 

「……やっぱり、カーゴには見えないんですけど」

 

 接続部を見ていた真壁が、肩越しに澪を振り返った。

 

「エアバスでよいだろう、澪君」

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