押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第269話 お迎えにきましたよ

 

 

 ベラクルス侯爵領の空に、飛行船の影が現れた。

 

 宿営地で荷を運んでいた兵士が最初に気づき、手を止めて空を見上げる。近くにいた者もつられて顔を上げた。

 

 飛行船そのものより、目を引いたのはその下だった。

 

 窓が4段並んだ長方形の輸送ユニットが、ギャロップの下についている。

 

「……あれに乗るのか?」

 

 誰かが呟いた。

 

 答える者はいなかった。

 

 飛行船は宿営地から少し離れた平地へ降りてくる。地面へ近づくほど、4段の窓がはっきり見えた。

 

 着地すると、輸送ユニットの下から車輪が降りる。

 

 そのまま、ゆっくり動き始めた。

 

「……走るのか、あれ」

 

 今度は何人かが同時にそちらを見た。

 

 4階建ての輸送ユニットは低速で向きを変え、兵団の近くまで寄って止まった。

 

 側面の扉が開く。

 

 中からリュシアが降りてきた。

 

 待っていたレオンハルトを見つけると、そのまま歩いていく。

 

「レオンハルトさん、お迎えにきましたよ」

 

「迎え?」

 

「ええ。アルベルト様からです」

 

 リュシアは預かってきた封書を差し出した。

 

 レオンハルトは受け取り、封を確かめてから中を読む。

 

 その間にも兵士たちの視線は、リュシアの後ろへ向いていた。

 

 窓が4段。

 

 その一番下には車輪。

 

 正面には何やら人の乗れそうな区画まで付いている。

 

 手紙を読み終えたレオンハルトも、そちらを見上げた。

 

「これは真壁殿が作ったものか」

 

「そうだよ」

 

「そうか」

 

 レオンハルトは手紙を畳んだ。

 

「総員撤収。引き上げるぞ」

 

 宿営地の空気が変わった。

 

 各隊の指揮官が声を上げ、兵士たちが一斉に荷をまとめ始める。

 

 リュシアはその中へ入り込まず、エアバスへ戻った。

 

「前から入る人はこっちだよ。後ろへ回る人は、そのまま向こうへ行っておくれ」

 

 乗員たちも散っていく。

 

 レオンハルトの指示で分かれた隊が前後の乗降口へ向かい、流れに合わせて扉から中へ入っていった。

 

「装備はこっちだよ。部隊ごとに分けておくれ」

 

 長い荷を抱えた兵士が、そのまま客席へ向かおうとする。

 

「それはこっちだよ。席へ持っていったら邪魔じゃないか」

 

「ああ、すまん」

 

「そこへ置いておくれ」

 

 兵士は向きを変えた。

 

 前方の階段へ兵が上がっていく。その少し後には、別の隊が後方の階段へ消えていった。

 

 人が途切れず入っているのに、入口では思ったほど列が止まらない。

 

 リュシアは一度前方へ目をやり、すぐ後ろへ向き直った。

 

「次の隊、入っておくれ」

 

 やがて1階の座席が埋まり、2階、3階、4階へ兵士が分かれていった。

 

 最後の方で入ってきたレオンハルトが、1階の客室を見渡す。

 

「上も同じか」

 

「そうだよ。4階まである」

 

 レオンハルトは階段を見上げた。

 

「最初から4階だったのか」

 

「真壁さんが途中で増やしたんだよ」

 

「なるほど」

 

 それだけ言って、空いている席へ向かった。

 

 乗員たちが前後の扉を確認していく。

 

 重力制御が入ると、通路で荷を持っていた兵士の腕が思った以上に上がった。

 

「おっ、体が軽い」

 

 隣の兵士も立ち上がる。

 

「本当だ」

 

 足を踏み直し、面白そうに身体を動かす。

 

 別のところでも声が上がった。

 

 リュシアが通路へ出る。

 

「皆さん、席についておくれ。飛ぶよ」

 

 立っていた兵士たちが止まった。

 

「飛ぶのか」

 

「そのために乗ったんだろう?」

 

「そうだった」

 

 笑いながら席へ戻っていく。

 

 リュシアは通路を見渡し、前方にいた乗員へ頷いた。

 

 しばらくすると、窓の外で地面が遠ざかり始めた。

 

 宿営地が小さくなる。

 

 人影が見分けにくくなり、荷車も点に近づいていく。

 

 窓際の兵士たちは、身体を寄せるようにして下を見ていた。

 

 街道が見えた。

 

 山裾へ沿って大きく曲がり、その先で森の中へ消えている。

 

 飛行船は曲がらない。

 

 街道の方が、窓の下を斜めに流れて後ろへ遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 高度が上がるにつれて、見える土地が広くなった。

 

 森の向こうに町があり、その先に畑が続いている。

 

 左舷側の窓を見ていた兵士が声を上げた。

 

「おい、あれは王都じゃないか?」

 

 近くの者が一斉にそちらを見る。

 

 左舷の下方、霞の向こうに大きな市街地が見えていた。

 

 城壁に囲まれた街並みが広がり、その中に周囲より大きな建物がまとまっている。

 

「本当だ」

 

「王都だ」

 

「こんなところから見えるのか」

 

 レオンハルトも席を立ち、左舷の窓へ目を向けた。

 

 地上を歩いていた時とは、まるで形が違って見える。

 

 道も家も城壁も、ひとつの大きな町の中へ収まっていた。

 

 しばらくして、右舷側から別の声が上がる。

 

「向こうの山、煙が出てるぞ」

 

 遠くの山並みの一角から、薄いものが空へ伸びていた。

 

「火山か」

 

 そちらは王都よりずっと遠い。

 

 それでも、山の形と、その上へ伸びる煙は分かった。

 

 左右で景色を見ていた兵士たちの声がしばらく続いた。

 

 やがて窓の外へ白いものが流れ始める。

 

「何だ?」

 

「雲だよ」

 

 リュシアが近くの席から答えた。

 

 白い筋はすぐに濃くなり、窓の外を覆っていく。

 

 王都も火山も見えなくなった。

 

 外は真っ白になり、光だけがぼんやりと差し込んでくる。

 

 少しして、その白さが急に薄くなった。

 

 窓から強い光が入る。

 

 そして視界が開けた。

 

 下には、一面の雲。

 

 白い雲が陽を受けながら、遠くまで続いている。

 

 その上には青い空しかない。

 

 さっきまで窓際で話していた兵士たちが静かになった。

 

「……雲は、上から見るとこうなるのか」

 

 誰かが呟いた。

 

 窓の向こうで、白い雲の起伏がゆっくり後ろへ流れていく。

 

 レオンハルトも立ったまま、その景色を見ていた。

 

 しばらくすると、ひとり、またひとりと席へ戻っていった。

 

 背もたれへ身体を預ける者が増え、隣と話していた兵士も、いつの間にか目を閉じている。

 

 装備を別に預けているので、足元には余裕があった。

 

 リュシアは客室を一度回り、前方の階段を上がった。

 

 2階でも何人かが眠っていた。

 

 3階を通り、4階へ上がる。

 

 窓際ではまだ雲を見ている兵士がいる。そのすぐ横では、腕を組んだ男が完全に眠っていた。

 

 反対側からレオンハルトが歩いてくる。

 

「どうだい?」

 

「問題ない」

 

 レオンハルトは客室を振り返った。

 

「皆、休めている」

 

「それなら良かったよ」

 

 リュシアも眠っている兵士を見た。

 

「まだ先はあるからね」

 

 レオンハルトは頷き、また階段へ向かった。

 

 雲の上では、地上の景色が変わらない。

 

 それでも飛行船は止まることなく、ヴァルディス侯爵領へ向かって進み続けた。

 

 

 

 

 

 4時間後。

 

 窓の外へ、また雲が近づいてきた。

 

 エアバスは白い中へ入る。

 

 しばらくして雲の下へ抜けると、森と畑が戻ってきた。

 

 眠っていた兵士も、窓の外の色が変わったことに気づいて目を開ける。

 

 遠くに町が見え始めた。

 

「領都だ」

 

 誰かが言った。

 

 その声で、さらに何人かが窓へ顔を向けた。

 

「帰ってきたな」

 

 今度は静かな声だった。

 

 地面が近づくにつれ、道も家も大きくなっていく。

 

 早く立ち上がった兵士へ、リュシアが声を掛けた。

 

「まだ座っていておくれ。降りてからでいいよ」

 

 兵士は苦笑しながら席へ戻った。

 

 飛行船は領都近くの平地へ降下した。

 

 着地すると、エアバスの車輪が地面へ降りる。

 

 低速で動き出し、用意された場所へ寄っていった。

 

 窓の外に、人影が見えた。

 

 アルベルト。

 

 その隣にセレスティナ。

 

 そしてエレナ。

 

 エレナだけは、エアバスが止まる前から窓を上まで追っていた。

 

 1階。

 

 2階。

 

 3階。

 

 顔がさらに上がり、4階へ届く。

 

 エアバスが止まった。

 

 扉が開き、リュシアが先に降りる。

 

「アルベルト様、お待たせしました」

 

「無事に着いたか」

 

「はい」

 

 その後ろからレオンハルトが降りてきた。

 

 アルベルトの前へ進み、姿勢を正す。

 

「ただいま戻りました」

 

「ご苦労だった」

 

 アルベルトはレオンハルトの後ろへ目を向けた。

 

 すでに最初の兵士たちが降り始めている。

 

「まず皆を休ませろ。話はその後でいい」

 

「はっ」

 

 レオンハルトはすぐに振り返り、各隊へ指示を出した。

 

 セレスティナも、降りてくる兵士たちへ目を向ける。

 

「お帰りなさい。皆さん、ご無事で何よりです」

 

「ご心配をおかけしました」

 

 その横で、エレナがエアバスへ近づこうとした。

 

「エレナ」

 

 アルベルトが名前を呼ぶ。

 

「見るだけだ」

 

「まだ何も言っていないが」

 

 エレナは足を止めた。

 

 セレスティナが口元に笑みを浮かべる。

 

「まずは皆さんが降りてからにしましょう」

 

「分かっている」

 

 エレナはその場に残ったものの、視線はエアバスから離れない。

 

 前後の扉から兵士たちが次々と降りてくる。

 

 やがて4階にいた最後の隊も階段を下り始めた。

 

 エレナはその人数を見てから、改めてエアバスを見上げた。

 

「これに全員乗ってきたのか?」

 

「そうですよ、エレナ様」

 

 リュシアが答えた。

 

「およそ1,000人だよ」

 

「私も乗れるのか?」

 

「乗るだけでしたら大丈夫ですよ」

 

「いつ乗れる?」

 

 アルベルトが妹を見る。

 

「操縦の話ではないな」

 

「乗るだけだ」

 

「この前も最初はそういう話だったと思うが」

 

「今度は本当に乗るだけだ」

 

 リュシアはエレナを見て少し笑った。

 

「訓練の日ならね。その時は乗客で来ておくれ」

 

「分かった」

 

「エレナ」

 

「乗るだけだと言っているだろう」

 

 エレナはそう答えた。

 

 視線は、エアバス正面のコックピットから動いていなかった。

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