押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第28話 夕焼け色の石枠

宅配の箱は、思っていたより軽かった。

 

 澪は六畳間の畳の上に正座し、カッターの刃を少しだけ出して、段ボールのテープを切った。中から出てきたのは、緩衝材に包まれた小袋だった。袋の中で、しずく型のガラスストーンが、かすかに触れ合って音を立てる。

 

 安かった。

 

 通販画面で見た時も、値段はずいぶん控えめだった。宝石ではない。天然石でもない。ハンドメイド用の着色ガラスパーツで、レビュー欄には「色がかわいい」「小さい」「少し形にばらつきあり」と書かれていた。

 

 それでも、澪は袋から一粒取り出して、窓際へ持っていった。

 

 午後の光に透かすと、しずくの中で色が沈んだ。上の方は薄い黄色で、腹のあたりに桃色が入り、先端へ近づくほど紫が深くなる。夕焼けを小さく切って、ガラスの中に閉じ込めたみたいだった。

 

「……これをただ金具につなげるだけだと、なんかもったいない」

 

 丸カンを通せば、ネックレスにはなる。既製の座金に接着しても、それらしいものにはなる。けれど、そうしたらこの色を横から支えるものが全部、借り物のままになる気がした。

 

 澪はスマホを手に取り、少しだけ迷ってから修さんへメッセージを送った。

 

『修さん、次の教室で、いつもの課題とは別に作りたいものを相談してもいいですか』

 

 返信は、思ったより早かった。

 

『いいよ。作りたいものが出てきたなら、そっちをやろう。持っておいで』

 

 澪はガラスストーンをもう一度光に透かした。小さいのに、手の中でずいぶん存在感があった。

 

「作りたいもの、ですか」

 

 その言葉が、自分で思ったより嬉しかった。

 

 

 

 

 

 彫金教室の作業机には、いつもの金属の匂いがあった。

 

 銀を削った粉の匂い、磨き布に残った研磨剤の匂い、少し焦げたような火の気配。すり板が机の縁に固定され、糸鋸、ヤスリ、ピンセット、ノギス、耐火台、酸洗いの容器が、それぞれ使われる順番を待つように置かれている。

 

 澪は持ってきた小袋をそっと開け、グラデーションガラスストーンを作業机の上に並べた。

 

 修さんはピンセットで一粒を持ち上げ、作業灯の下にかざした。

 

「綺麗だね。ただ、これは宝石じゃなくてガラスだ」

 

「はい」

 

「ガラスは熱に弱い。バーナーのそばに置かない。酸洗いにも入れない。研磨剤も噛ませない」

 

「全部、金属部分を作ってからですか」

 

「そう。金属部分を全部作ってから、最後に留める」

 

 修さんはガラスを小さな皿へ戻した。手つきが丁寧だった。安いパーツだからといって、雑に扱わない。

 

 澪はそれを見て、少し肩の力が抜けた。

 

「これでネックレスを作りたいんです」

 

「つなげるだけなら、今ここでできるよ」

 

「それは、ちょっと嫌です」

 

 修さんは少し笑った。

 

「うん。そう言うと思った」

 

「分かりましたか」

 

「澪ちゃん、石を持ってきた時の顔が、金具をつけたい顔じゃなかったから」

 

 澪は思わずガラスストーンを見下ろした。

 

「そんな顔、あります?」

 

「あるよ。作りたい人の顔」

 

 修さんは銀板を出した。薄い裏板用の銀板、覆輪線に使う細い銀板、バチカンに使う銀板、銀ろう、フラックス。ひとつずつ机の上に並んでいくと、ただのガラスが、少し遠いところにある完成品へ向かって道を持ち始める。

 

「ガラスを主役にしたペンダントトップにしよう。銀の覆輪で囲んで、裏板をつけて、上にバチカンをつける。チェーンを通せばネックレスになる」

 

「覆輪……」

 

「石の周りを銀の帯で囲んで、最後に縁を少し倒して留める。接着じゃなくて、金属で抱える感じだね」

 

 澪はガラスのしずくを見た。

 

 抱える。

 

 その言葉が、少し気に入った。

 

 

 

 

 

「まず測ろう」

 

 修さんはノギスを出した。

 

 澪はガラスを指で持ち上げ、ノギスの先をそっと当てた。縦、横、厚み。しずくの腹の丸いところ。先端の薄いところ。裏面を机に置いた時の浮き。測ろうとすると、ただ綺麗に見えていたガラスが、急に細かい形を持ち始める。

 

 澪は目を細めた。

 

 鑑定、と心の中で呟く。

 

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グラデーションガラスストーン

 

素材:着色ガラス

用途:装飾用パーツ

形状:しずく型カボション

 

全長:約10.2mm

最大幅:約7.1mm

厚み:約3.4mm

 

注意:

左右対称ではない。

先端側がわずかに薄い。

右側面に小さな膨らみあり。

裏面は完全な平面ではなく、中央がわずかに浮く。

強く押さえると先端側から欠ける可能性あり。

 

石枠作成時:

覆輪は最大幅だけで作らず、右側面の膨らみを逃がして合わせること。

裏板との接地を確認すること。

先端部は覆輪を強く倒さない。

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 澪は表示を見たまま、息を止めそうになった。

 

 ただ眺めていた時より、ずっと細かい。ノギスで測り、横から見て、裏面を確認したから表示が増えたのだと分かる。鑑定が勝手に完成図をくれたわけではない。見ようとしたところに、見えるものが増えている。

 

「これ、左右対称じゃないです」

 

 澪が言うと、修さんは作業灯の下でガラスを傾けた。

 

「うん。よく見てるね。右が少し膨らんでる」

 

「先端も、薄いです。強く押さえたら欠けそうで」

 

「その見方は大事だよ。職人の目って、最初から特別な目があるわけじゃない。測って、比べて、失敗しないように見ようとするから、見えるところが増える」

 

 澪はノギスを握る指を見た。

 

 鑑定を使っていることは、修さんには言えない。少し後ろめたさはある。

 

 でも、ただ見ているだけでは表示はここまで増えなかった。測った。角度を変えた。裏側を見た。修さんの言葉を聞いて、どこを気にすればいいか考えた。

 

 鑑定は、澪の代わりに作ってくれるわけではない。

 

 それだけは、はっきりしていた。

 

 

 

 

 

 修さんが細い銀の帯を出した。

 

「これが覆輪線。ガラスの周りを囲む銀の帯だね」

 

 澪は、細く薄い銀を指先で受け取った。思ったより柔らかい。けれど、何も考えずに曲げると、すぐに変な癖がつきそうだった。

 

「先端から尖らせると、逃げ場がなくなる。腹の丸いところから作って、最後に先端を合わせる」

 

「しずくの尖った方からじゃないんですね」

 

「尖った方は最後。先にそこを決めると、丸いところが合わなくなる」

 

 澪は銀の帯をガラスの腹の部分に沿わせ、少しずつ曲げ始めた。丸いところはまだいい。問題は右側の膨らみだった。そこを逃がすつもりで、少し外へ広げる。

 

 しかし、最初の切断で、澪は少し短く切った。

 

 合わせ目を寄せようとすると、先端側が不自然に引っ張られる。右側の膨らみに合わせると、今度は合わせ目が開く。

 

「少しだけなら、伸びませんか」

 

「そこ、力で合わせない」

 

 修さんの声は穏やかだったが、すぐ止める声だった。

 

「伸びるよ。でも、綺麗には伸びない。先端が歪むか、右側の膨らみに負ける」

 

 澪は銀の帯を見下ろした。

 

「失敗ですね」

 

「石枠の一回目は、だいたい寸法を見るための練習になる。今ので、このガラスの外周がどれくらいか、手が少し分かった」

 

 修さんは短くなった銀を指でつまみ、机の端へ避けた。

 

「切った銀も無駄にはしない。別の小さい石に使える」

 

 澪は、その一言で少し救われた。

 

 材料を駄目にしたのではなく、手が寸法を覚えた。そう思うと、失敗した銀の帯も、ただのごみではなくなる。

 

「次、もう少し長めに切ります」

 

「うん。一度でぴったり切ろうとしない。長めに切って、合わせ目をヤスリで詰める」

 

 

 

 

 

 澪は新しい覆輪線をガラスの周囲に沿わせた。

 

 右側の膨らみ。先端の薄さ。裏面の浮き。ノギスでもう一度測り、ガラスを横から見る。さっきより、指の動きが遅くなった。慎重になったとも言えるし、怖くなったとも言える。

 

 鑑定が反応した。

 

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グラデーションガラスストーン用・覆輪線調整中

 

現在の覆輪線:長め

合わせ目余裕:約1.2mm

右側面の膨らみに対する逃げ:不足気味

先端側:締めすぎ注意

 

切断推奨:

現在位置より約0.8mm外側。

 

仕上げ時:

切断後にヤスリで0.3mm前後調整。

 

注意:

一度でぴったり切らない。

長めに切り、合わせ目をヤスリで詰める方が安全。

----------------------------------

 

「一度でぴったり切らない……」

 

 澪が小さく呟くと、修さんが頷いた。

 

「いいね。長めに切って、ヤスリで詰める。石枠はその方が安全だ」

 

 修さんには、澪が自分で考えているように見えているのだろう。澪は少し胸の奥がちくりとしたが、目の前の銀から視線は外せなかった。

 

 少し長めに切る。

 

 合わせ目が余る。そこをヤスリで少しずつ詰める。削りすぎると戻らない。銀の粉がすり板の上に落ち、澪の指先に少し黒ずみが移った。

 

----------------------------------

合わせ目余裕:約0.6mm

右側面の逃げ:改善

先端側:安全域

ヤスリ調整:継続

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 まだ余裕がある。焦ってはいけない。

 

 澪はヤスリを持ち直し、刃を一方向に動かした。ぎりぎりではなく、少しずつ。手が急ぎたがるところを、息で抑える。

 

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合わせ目余裕:約0.2mm

右側面の逃げ:良好

先端側:良好

ろう付け前確認:可

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 ガラスに覆輪線を合わせると、今度は無理なく収まった。

 

 修さんがピンセットで位置を確認し、作業灯の下で少し傾けた。

 

「うん。いい。右側、少し逃がしてある」

 

「そこ、膨らんでたので」

 

「先端も締めてない」

 

「欠けそうだったので」

 

「その見方ができるなら、石枠は上手くなるよ」

 

 澪は小さく頷いた。

 

 一度短く切った。ノギスで測った。銀を曲げた。ヤスリで詰めた。鑑定は、その途中に細かく表示をくれた。

 

 けれど、切ったのは自分の手だった。

 

 

 

 

 

「ここから火を使う。ガラスは絶対に近づけない」

 

 修さんはガラスストーンを作業台の端へ移した。さらに耐火台との間に距離を取る。澪も思わずガラスの位置を確認した。

 

 覆輪線だけを耐火台に置く。合わせ目にフラックスを塗り、小さく切った銀ろうを置く。銀ろうは本当に小さくて、澪はこれで足りるのかと思った。

 

「合わせ目だけ焼くんじゃない。銀全体を温める」

 

「合わせ目を狙わないんですか」

 

「狙いすぎると、そこだけ先に荒れる。銀全体に熱を回して、銀ろうが流れたい状態を作る」

 

 修さんがバーナーを点けた。火の音が静かに立ち上がる。

 

 澪は耐火台を見つめた。

 

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覆輪線・ろう付け中

 

状態:予熱段階

フラックス:乾燥開始

銀ろう:未溶融

 

注意:

合わせ目だけを強く加熱しない。

 

観察点:

フラックスの泡、銀ろうの角、銀地の色変化。

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 フラックスが白く乾き、泡立ち始めた。

 

 銀ろうはまだ動かない。銀の帯も、見た目には大きく変わらない。けれど、修さんの火はじっとしていなかった。合わせ目ではなく、周りを撫でるように動く。

 

「ろうが流れる時、光るから見てて」

 

 澪は頷いた。

 

 銀ろうの角が、ほんの少し丸くなった。

 

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覆輪線・ろう付け中

 

状態:加熱進行

銀ろう:角が溶け始め

フラックス:透明化

 

注意:

火を近づけすぎない。

 

観察点:

銀ろうが玉になる直前。

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「銀ろうの角が、丸くなってきました」

 

「うん。よく見てる」

 

 銀ろうが、ふっと濡れたように光った。小さな粒だったものが、合わせ目へ吸い込まれるように動く。

 

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覆輪線・ろう付け中

 

状態:銀ろう流動

合わせ目:充填中

 

注意:

追い火をしすぎない。

 

観察点:

合わせ目に細い光の線が出たら火を離す。

----------------------------------

 

 細い光が走った。

 

 修さんが火を離す。

 

 ただ曲げただけの銀の帯が、ひとつの石枠になった。

 

 澪は、思っていたより深く息を吐いた。何かがくっついた、というより、銀が自分でそうなったように見えた。

 

「ろう付けは、火で無理やりくっつける作業じゃない。銀ろうが流れる場所を作って、そこへ行かせる作業だよ」

 

 修さんの言葉が、鑑定の表示と重なった。

 

 火を見る。

 

 流れるところを見る。

 

 止めるところを見る。

 

 澪は、バーナーの音が消えた後も、しばらく石枠を見ていた。

 

 

 

 

 

 酸洗いを終えた石枠は白っぽくなっていた。

 

 光ってはいない。むしろ、さっきより地味だ。澪が不思議そうに見ていると、修さんは薄い銀板を出した。

 

「これが裏板になる」

 

「先にしずく形に切らないんですか」

 

「先に切った方が早そうに見える。でも、早そうな順番は、だいたい後で面倒になる」

 

 澪は少し笑いそうになった。修さんの言う「早そう」は、たいてい罠だった。

 

「石枠を付けてから周りを切る。そうすれば、枠と裏板がずれない」

 

 銀板の上に石枠を置く。しずく形の小さな枠が、平たい銀板の上で少し頼りなく見えた。

 

 澪は位置を合わせる。右側、腹の丸いところ。先端の向き。裏板の余白。

 

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石枠・裏板位置合わせ中

 

石枠接地:おおむね良好

右側面:わずかに浮きあり

裏板余白:十分

 

注意:

ろう付け時、石枠が動かないよう固定位置を確認すること。

----------------------------------

 

「右側、少し浮いてます」

 

 澪はピンセットで石枠をほんの少し動かした。

 

 修さんが覗き込む。

 

「そこに気づいたのはいい。浮いたまま火を入れると、ろうが流れにくい」

 

「見た目では、ちょっと分かりにくいですね」

 

「だから触る。だから傾ける。だから光を変える」

 

 澪は、鑑定表示より先に修さんの言葉を覚えようとした。

 

 裏板と石枠をろう付けする時、澪はさっきより少しだけ火の変化を見られた。フラックスが乾く。銀ろうの角が丸くなる。光る。流れる。火を離す。

 

 全部が分かったわけではない。

 

 でも、何も分からない火ではなくなっていた。

 

 

 

 

 

 石枠の周囲には、余分な裏板が広がっていた。

 

 修さんは糸鋸を準備した。細い刃が張られ、澪はそれだけで緊張する。

 

「石枠ぎりぎりを狙わない。少し余裕を残して切る」

 

「ぎりぎりじゃないんですね」

 

「ぎりぎりを狙うと、だいたい石枠を傷つける。余ったところはヤスリで整えればいい」

 

 澪は糸鋸を持ち、すり板に銀板を当てた。刃を動かすと、しゃりしゃりと小さな音がする。曲線に沿って切るのは、思ったより難しい。手首だけで曲がろうとすると刃が嫌がる。

 

「息、止めてる」

 

「止めてません」

 

「止めてる人の返事だった」

 

 澪は少しだけ息を吐いた。

 

「今、バレましたね」

 

「彫金はだいたいバレるよ」

 

 刃を折らないように、急がずに切る。しずく形から少し離れたところを回り、裏板を外す。切り終えた時、澪の肩は思ったよりこわばっていた。

 

 次はヤスリだった。

 

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裏板外形・調整中

 

切断余白:やや多め

石枠側:安全

ヤスリ調整:継続

 

注意:

石枠にヤスリを当てすぎないこと。

裏側の角を残すと肌に当たる。

----------------------------------

 

 澪は裏側を指でなぞった。少しだけ引っかかる。

 

「表じゃなくて、裏も見るんですね」

 

「ネックレスは首元に来る。裏側が痛いと使えない」

 

 修さんは、自分の指先で裏板の端を軽く撫でた。

 

「見えるところだけ綺麗でも、使いにくいものは残らない」

 

 澪はその言葉を聞いて、裏側の角を丁寧に落とした。目立たないところなのに、そこを整えると、急にものとして落ち着いていく感じがした。

 

「そう。見えないところの方が大事な時もある」

 

 修さんが言った。

 

 澪は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 

 

 

 

「これ、チェーンを通すところがないですね」

 

 澪が言うと、修さんは小さな銀板を出した。

 

「それを作る。バチカンだね」

 

「バチカンって、脇役っぽいのに面倒ですね」

 

「脇役が雑だと、主役が落ちる」

 

「怖いこと言いますね」

 

「本当のことだからね」

 

 修さんは細いチェーンを出し、銀板の幅と合わせた。

 

「バチカンは小さすぎるとチェーンが通らない。大きすぎるとそこだけ目立つ。ペンダントは、石と枠とチェーンの三つで見える」

 

 澪はバチカン用の銀板を曲げた。小さい。小さいのに、傾くとすぐ分かる。

 

----------------------------------

バチカン調整中

 

チェーン通過幅:可

左右の傾き:わずかに左

石枠との接合位置:上部中央より0.4mm左

 

注意:

このままろう付けすると、着用時にペンダントトップがわずかに傾く。

----------------------------------

 

「あ、左に寄ってます」

 

 澪はピンセットで位置を直した。

 

 修さんが頷く。

 

「今の確認は大事。下げた時に傾くと、ずっと気になるから」

 

「小さいのに、責任が重いです」

 

「バチカンはそういう部品だね」

 

 澪は少し笑った。脇役が雑だと主役が落ちる。確かに怖い言葉だったが、少し好きな言葉でもあった。

 

 バチカンのろう付けは、さっきより緊張した。小さい部品ほど動きやすい。けれど、澪はフラックスの泡と銀ろうの光を、前よりも落ち着いて見られた。

 

 

 

 

 

 酸洗いから戻ってきた銀は、また白っぽかった。

 

 形はできている。しずくの石枠、裏板、バチカン。小さなペンダントトップには見える。でも、まだ完成品には見えない。

 

 修さんは紙やすりと磨き道具を出した。

 

「磨きは、誤魔化しじゃない。ここまで作った形を、見えるところまで連れてくる作業だよ」

 

 澪は黙って聞いた。

 

 ヤスリ跡を消す。紙やすりの番手を上げる。角を落としすぎない。磨き布で拭く。研磨剤を少しつける。銀は触れば触るほど黒くなり、澪の指先も黒くなった。

 

----------------------------------

石枠・磨き中

 

表面:ヤスリ跡あり

裏側:角の引っかかり軽微

バチカン内側:磨き残しあり

石枠上縁:磨きすぎ注意

 

注意:

覆輪上縁を薄くしすぎると、石留め時に倒しにくくなる。

----------------------------------

 

「ただ光らせればいいわけじゃないんですね」

 

「そう。削りすぎたら戻らないところもある」

 

 澪はバチカンの内側を細く巻いた紙やすりで整え、裏側の角を指で確認した。覆輪の上縁には、強く当てすぎない。磨くほどに銀は少しずつ光り、白っぽかった金属が、作業灯を細く返すようになった。

 

「手、真っ黒です」

 

「銀を磨くと、だいたいそうなる」

 

「職人感はあります」

 

「あるけど、その手で顔を触らない」

 

 澪は慌てて手を止めた。

 

「危なかったです」

 

「だいたいみんな、一回はやる」

 

「やったんですか」

 

「聞かない方がいいこともある」

 

 修さんが静かに言うので、澪はそれ以上聞かなかった。

 

 

 

 

 

 ガラスを入れる前に、修さんは作業机をきれいにした。

 

 銀粉、研磨剤、紙やすりの切れ端。小さなものが残っているだけで、ガラスに傷がつくかもしれない。澪もピンセットで細かいくずを取り除いた。

 

 枠の中を見る。

 

 粉はない。引っかかりもない。

 

 澪は、夕焼け色のガラスをそっと石枠へ入れた。

 

----------------------------------

グラデーションガラスストーン・石留め前

 

石枠内収まり:良好

右側面逃げ:良好

先端部余裕:あり

裏面接地:中央にわずかな浮き

 

注意:

先端部を強く押さない。

腹側から軽く固定し、左右を少しずつ倒すこと。

一箇所だけ強く押すと欠ける可能性あり。

----------------------------------

 

「一箇所を強く押すな。上、下、右、左。少しずつ縁を倒す」

 

 修さんはヘラを渡した。

 

「押すんじゃなくて、逃げ道を減らしていく」

 

「逃げ道を減らす……」

 

 澪はヘラを持った。手に力が入りそうになる。

 

「指先だけで」

 

 修さんの声で、澪は肩の力を抜いた。

 

 腹側を少し倒す。次に反対側。右側の膨らみには強く当てない。先端は最後に軽く。

 

----------------------------------

石留め中

 

腹側:固定開始

右側面:押しすぎ注意

先端部:未固定

ガラスの動き:小

----------------------------------

 

 澪は右側の力を弱めた。

 

「右、強かったです」

 

「気づいたなら大丈夫。そこは逃がして作ったところだからね」

 

 少しずつ。左右を少しずつ。先端は触るだけ。

 

----------------------------------

石留め中

 

腹側:良好

左右:良好

先端部:軽く整える程度

ガラスの動き:なし

----------------------------------

 

 最後に先端を軽く整える。

 

 ガラスは銀の枠に収まった。

 

 黄色から桃色、紫へ変わる色が、銀の縁で引き締まる。裸のパーツだった時より、ずっと小さな景色に見えた。

 

 修さんがピンセットで軽く確認した。

 

「うん。留まってる」

 

 澪は声が出なかった。

 

 買ったパーツが、自分の作品になっていた。

 

 

 

 

 

 バチカンにチェーンを通すと、ようやくネックレスになった。

 

 修さんが作業灯の下で揺らし、傾きを見る。澪は息を詰めて見守った。大きくは傾かない。しずくの先端が、素直に下を向いている。

 

「いいね。ちゃんとネックレスになった」

 

 その言葉で、澪はようやく息を吐いた。

 

 胸元に当ててみる。作業灯に透かす。ガラスの色が、黄色から桃色、紫へ変わる。銀の石枠は派手ではない。けれど、ガラスを邪魔していない。

 

「これ、あたしが作ったんだ」

 

 口に出してから、少し恥ずかしくなった。

 

 修さんは笑わなかった。

 

「そう。澪ちゃんが作った」

 

 鑑定がなければ、ここまで細かくは見えなかった。

 

 でも、鑑定だけではできなかった。

 

 ノギスで測った。銀を曲げた。短く切ってしまった。もう一度切った。火を見た。磨いた。ガラスを留めた。

 

 その全部があって、鑑定は反応した。

 

 澪はネックレスを小さな箱へ入れた。蓋を閉める前に、もう一度だけ夕焼け色を見た。

 

 

 

 

 

 リュシアに見せたのは、その日の夕方だった。

 

 市場の喧騒が少し落ち着き、屋台裏に影が伸びていた。澪は小さな箱を両手で持ち、少し緊張しながら蓋を開けた。

 

 リュシアはまず商人の顔で覗き込んだ。

 

「綺麗だね。で、これはいくらで売るんだい」

 

「まだ売りません」

 

「珍しいね。澪が値段をつけないなんて」

 

「一号機なので」

 

「一号機」

 

「試作機です」

 

 リュシアは小さく笑ったが、馬鹿にはしなかった。指先でチェーンを持ち上げ、夕焼け色のしずくを光にかざす。

 

「ただつないだだけじゃないのは分かるよ。銀が、この色を邪魔してない」

 

 澪は、その言葉で胸が温かくなった。

 

「分かりますか」

 

「分かるよ。売るものを見てきたからね。安い金具をつけただけなら、色の周りがもっと騒がしい」

 

 リュシアはしずくを箱へ戻した。

 

「二号機から値段をつけな。これは貴族向けにも、町娘向けにも、作り方を変えられる」

 

「はい。でも、これは少し、手元に置いておきたいです」

 

 リュシアはうなずいた。

 

「それでいい。最初に作ったものをすぐ売れる職人は、たぶんあまり信用できない」

 

「商人としては売った方がいいのでは」

 

「商人としてはね。でも、作る人間としては別だよ」

 

 澪は箱の蓋をそっと閉めた。

 

 商売の話ではない。

 

 それが、少し嬉しかった。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻ると、澪は完成した夕焼け色のネックレスを机に置いた。

 

 作業ノートを開く。

 

 一度でぴったり切らない。

 

 ガラスは最後。

 

 火は合わせ目だけに当てない。

 

 磨きは、形を見えるところまで連れてくる作業。

 

 修さんの言葉を書いていくと、今日の作業が少しずつ紙の上に戻ってきた。いや、紙ではなくノートだ。澪は書き直しそうになって、少し笑った。

 

 指先を見る。

 

 手は洗ったはずなのに、爪の際に黒い研磨剤が少し残っていた。銀の匂いも、まだ手に残っている気がする。

 

 ふと思って、澪は自分を鑑定した。

 

----------------------------------

篠原澪

 

 体力:40

 筋力:29

 集中:44

 睡眠:やや不足

 栄養:改善中

 鑑定:4

 収納:5

 商才:成長中

 危機回避:学習中

 手仕事:成長中

 彫金:1

 在庫管理:上昇中

----------------------------------

 

 澪はしばらく黙った。

 

「……生えた。しかも、手仕事も上がってる」

 

 彫金はまだ一つ。

 

 修さんから見れば、入口の入口だろう。石枠ひとつ作っただけで、職人になったわけではない。

 

 でも、ゼロではなくなった。

 

 ノギスで測り、銀を曲げ、短く切って、やり直して、火を見て、磨いて、ガラスを留めた。その全部は、ちゃんと澪の中に残っていた。

 

 買ったものを並べるだけでは増えなかった項目だ。

 

 手を動かしたから、増えた。

 

 澪はノートの端に書き足した。

 

 情熱にも、工程表がいる。

 

 その下に、もう一行。

 

 彫金:1

 

 書いた文字を見て、澪は少し笑った。

 

 夕焼け色のガラスは、机の上で静かに光っていた。

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