理央は、まだ閉じていなかったノートへ目を落とした。
夕方の光は先ほどより弱くなり、教会の小さな窓から差し込む色も薄くなっている。厚い石壁の向こうでは冬の風が鳴っていたが、室内には蝋と古い木の匂いが残り、机の脚元ではシロガネが前足を揃えて座っていた。
先ほど司祭様から聞いたジョブ候補も気になる。
けれど、理央の指が止まったのは、その上に澪が書いた別の項目だった。
未使用SP9。
その下にあるのは、「共鳴:芽あり」。
「澪さん」
「はい?」
「これ、1だけ使ってみてもいいですか?」
澪もノートへ目を落とした。
「共鳴ですか?」
「はい。9あるんですよね」
「ありますね」
「1だけなら8残るし、何なのか分からないままなのも気になるので」
未知の能力を前にしている割には、理央の声には迷いより好奇心の方が強く出ていた。
全部使いたいと言われれば止めるつもりだったが、1だけ試してみたいという気持ちは澪にも分かる。
それに、これは理央のSPだ。
先ほど本人が何をしたいのかを先に聞くべきだと考えたばかりなのに、ここで澪が全部決めてしまっては意味がない。
「司祭様、共鳴というスキルについて何かご存じですか?」
司祭様はゆっくり首を振った。
「名称以上のことは、私にも分かりませんな」
「ですよね……」
澪はもう一度ノートを見る。
1SPを使っても8残る。
「全部じゃないなら……私は止めません」
「じゃあ、やってみます」
「早いですね」
「澪さんが止めないって言ったので」
「止めないとは言いましたけど」
そこまで話した時には、理央はもう「共鳴」の文字へ意識を向けていた。
触れる物があるわけではない。指で何かを押すわけでもなく、そこへ1SPを使うと決める。
数秒待ったあと、理央は自分の手を見た。
右手を裏返し、左手も見る。
「……どうです?」
「私に聞かれても」
「だって、何も分かんないです」
「では、見ますね」
澪が理央へ鑑定を向けた。
表示が開く。
未使用SPは8へ減っていた。
共鳴も、もう芽ではない。
そこまでは予想していた。
澪はその下へ視線を移した。
動きが止まった。
「……え?」
理央が顔を上げる。
「何か出ました?」
澪は答えなかった。
表示を下へ追う。
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飯島理央
分類:人間/異界渡航者
現在ジョブ:作家見習い
レベル:5
前職:箱入り娘 Lv5
状態:異世界再訪/情報過多/軽度疲労
疲労度:38%
身体異常:なし
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基礎能力値
体力:38
筋力:27
器用:76
知力:84
判断:72
精神:69
集中:91
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未使用SP
8
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取得スキル
共鳴
----------------------------------
技能
作文:6
彫金:4
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成長傾向
商才:芽あり(+)
鑑定:芽あり(+)
収納:芽あり(+)
錬金:芽あり(+)
薬学:芽あり(+)
並行思考:芽あり(+)
防衛用収納展開:芽あり(+)
雷:芽あり(+)
射撃:芽あり(+)
火:芽あり(+)
収納内時間停止:芽あり(+)
統率個体識別:芽あり(+)
地図:芽あり(+)
移動加速:芽あり(+)
重力:芽あり(+)
転移:芽あり(+)
醸造:芽あり(+)
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加護
成長促進
見守り
----------------------------------
「澪さん?」
「ちょっと待ってください」
商才、鑑定、収納、錬金、地図、移動加速、重力、転移、醸造。
名前を追うほど、偶然とは考えにくくなる。
どれも澪が持っているものだった。
しかもレベルはない。
全部が「芽あり」になっている。
「いっぱい出ました」
「いっぱい?」
「はい」
「何がですか?」
「……私が持ってるスキルです」
理央がノートと澪を交互に見る。
「澪さんの?」
「そう見えます」
「私には何も見えないんですけど」
「ですよね」
「そこで納得しないでください」
理央はまだ鑑定を持っていない。
澪に見えているものを、そのまま共有できるわけではなかった。
「ノート、一度返してもらっていいですか?」
「はい」
理央からノートを受け取る。
澪はそれを収納へ戻し、開いた鑑定表示を見ながら、先ほどのページへ書き足していった。
共鳴は取得済み。
未使用SPは8。
さらに、その下へ増えた「芽あり」を順番に写していく。
書いても書いても、まだ続く。
「……多いですね」
思わず声が出た。
「見えてない人の前で言わないでください。怖いです」
「すみません」
最後まで書き終えると、澪はノートを取り出して理央へ返した。
「これです」
理央が受け取り、ページへ目を落とす。
最初は共鳴のところを見た。
その下へ指を動かす。
数行進んだところで止まった。
さらに下へ動かす。
「……何ですか、これ」
「私もさっき同じことを思いました」
「多くないですか?」
「多いですね」
「これ、全部?」
「私が今持っているスキルと同じものです。技能や加護は増えていませんし、レベルも移っていません」
理央はノートを顔へ近づけた。
「全部、芽あり……」
「はい。取るならLv1からだと思います」
「澪さんと同じものを覚えられるようにはなったけど、澪さんと同じ強さになったわけじゃない?」
「そういうことだと思います」
理央はそこで、ほっとしたように息を吐いた。
「その方がいいです」
「そうですか?」
「だって、いきなり澪さんと同じ収納になったら、絶対使いこなせないです」
澪は自分の収納の中を思い浮かべかけて、やめた。
「……そうですね」
「今、何か思い浮かべましたよね」
「何も」
「絶対ありますよね」
理央は疑うように見たが、すぐノートへ戻った。
指が止まったのは、「鑑定:芽あり」のところだった。
「これに1使います」
「鑑定ですか?」
「はい」
返事は迷いがない。
「自分のことなのに、今も澪さんに見てもらって、ノートへ書いてもらわないと分からないじゃないですか」
「それはそうですね」
「自分でも見たいです」
「1SPです」
「使います」
理央はノートに書かれた「鑑定:芽あり」へ意識を向けた。
〖SPを1消費しました〗
〖鑑定 Lv1〗
理央が瞬きをした。
「今のは見えました」
「鑑定を取ったからですかね」
「たぶん……」
澪がもう一度理央を鑑定する。
「未使用SPは7です。鑑定Lv1になっています」
「7」
理央はノートの「収納」へ指を移した。
「これも欲しいです」
「収納ですか?」
「荷物、持たなくていいんですよね?」
「そういう使い方も出来ます」
「じゃあ欲しいです」
「理由が早い」
「便利じゃないですか」
理央は収納へ1SPを使った。
〖SPを1消費しました〗
〖収納 Lv1〗
「これで残り6です」
「6かぁ……」
理央はノートに並んだ芽をもう一度眺めた。
地図で止まり、移動加速へ進み、転移でまた止まる。
「転移も1で取れるんですよね」
「表示だけなら、そうですね」
「気になる……」
指先が少し動く。
しかし、そのまま止まった。
「……やめときます」
「いいんですか?」
「何に使うのかも、どこまで出来るのかも分からないのに、片っ端から取ったらすぐなくなりそうなので」
「そうですね」
「澪さんなら次、どれ取ります?」
澪は理央を見る。
「後はご自分で」
「急に投げましたね」
「理央ちゃんのSPですから」
「さっきまで一緒に見てたじゃないですか」
「見ます。でも、決めるのは理央ちゃんです」
理央は少し口を尖らせたが、もう一度SPを使おうとはしなかった。
正体の分からなかった1つの芽は、選びきれないほどの候補へ変わった。
けれど、残った6をどう使うかまで、共鳴が決めてくれるわけではなかった。
江古田の六畳間へ戻ると、暖房の空気が上着の隙間へ入り込んだ。
異世界の石造りの教会で冷えた身体には、それだけで温かい。
理央はマフラーを外しながら肩を回した。
「やっと普通の部屋に戻ってきた感じします」
「普通ですかね」
「少なくとも飛行船はないです」
「六畳間にあったら困ります」
机の上には本と彫金関係の小物があり、その横には古い燭台が置かれている。
押し入れも、閉じてしまえば普通の襖だった。
シロガネは先に戻ってきて、机の脇で丸くなっている。
理央がコートを脱ぎかけたところで、澪は机の上の古い燭台へ目を向けた。
「そうだ。理央ちゃん、鑑定を取ったなら、これも見てみます?」
「これ?」
理央が古い燭台を見る。
「ただの燭台じゃないんですか?」
「私も最初はそう思ってました」
「また何かあるんですね」
「あります」
理央は嫌な予感でもしたように澪を見た。
「何なんですか?」
「その燭台に、神様が宿ってるんです」
「神様?」
「古い燭台の神様です。直接声が聞こえるわけじゃなくて、鑑定を通すと掲示板でやり取り出来ます」
理央は燭台を見て、それから澪を見る。
「……まだあるんですか?」
澪は少しだけ視線を逸らした。
「まぁ、おいおいと」
「あるんですね」
「あります」
理央は何とも言えない顔で、もう一度燭台へ目を向けた。
「じゃあ……鑑定」
その瞬間、動きが止まった。
「……え?」
「見えました?」
「なんか……出てます」
その言葉を口にした直後、理央の表情がさらに変わった。
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【調査】共鳴について【結果】
001:燭台
発現確認。再調査。
002:燭台
太古の記録に該当例あり。
003:鎮守
そこまで遡ったか。
004:燭台
旧放牧民に共有系スキルの記録。
005:燭台
家族間の発現例、多数。
006:理央
なんか……出てます。
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理央は最後の1行を凝視した。
「今の、私ですか?」
表示へすぐに新しい行が増えた。
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【調査】共鳴について【結果】
007:理央
今の、私ですか?
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「理央ちゃんの発言が、そのまま書き込まれてます」
澪が横から説明する。
理央は表示と澪を交互に見た。
「これが、その掲示板?」
「はい。神々の掲示板です」
理央はもう一度表示へ目を戻した。
「鎮守って……誰ですか?」
理央が澪を見る。
「シロガネに宿ってる神様です」
澪が机の脇を示した。
理央の視線がシロガネへ落ちる。
「こっちにもいるんですか」
「います」
理央は燭台とシロガネを見比べた。
「神様、多くないですか?」
澪は答えず、ほんの少しだけ目を逸らした。
理央はそれを見て、それ以上は聞かなかった。
「それで、この共鳴ってなんなんですか?」
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【調査】共鳴について【結果】
008:理央
それで、この共鳴ってなんなんですか?
009:燭台
古い共有系スキル。
010:燭台
同種の記録を確認。
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理央は先ほどの「家族間」という文字へ目を戻した。
「家族のスキルなんですか?」
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【調査】共鳴について【結果】
011:理央
家族のスキルなんですか?
012:燭台
否定。
013:燭台
血縁は条件ではない。
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「じゃあ、何が条件なんですか?」
----------------------------------
【調査】共鳴について【結果】
014:理央
じゃあ、何が条件なんですか?
015:燭台
相互の強い絆。
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理央の目が止まった。
暖房の風が机の端に置かれた紙をわずかに揺らす。
古い燭台には火もついていない。
なのに、その上には神様の書き込みが並んでいた。
「家族じゃなくてもいいんですか?」
----------------------------------
【調査】共鳴について【結果】
016:理央
家族じゃなくてもいいんですか?
017:燭台
肯定。
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「じゃあ、昔の人たちはどうして家族が多かったんです?」
----------------------------------
【調査】共鳴について【結果】
018:理央
じゃあ、昔の人たちはどうして家族が多かったんです?
019:燭台
共に暮らす。
020:燭台
共に移動する。
021:燭台
互いに助け、守る。
022:燭台
放牧生活では成立しやすい。
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理央は少し考えた。
「家族だからじゃなくて、一緒に暮らして助け合ってたから?」
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【調査】共鳴について【結果】
023:理央
家族だからじゃなくて、一緒に暮らして助け合ってたから?
024:燭台
概ね正しい。
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理央はゆっくり澪を見る。
澪も同じことを考えていたので、目が合った。
「じゃあ、私に澪さんのスキルが出たってことは……」
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【調査】共鳴について【結果】
025:理央
じゃあ、私に澪さんのスキルが出たってことは……
026:鎮守
成立したなら答えは出ておる。
027:燭台
篠原澪との共鳴成立を確認。
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理央は表示を見たまま黙った。
澪も何を言えばいいのか分からない。
数秒して、理央が先に視線をそらした。
「こういうの、本人の前で書くんですね」
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【調査】共鳴について【結果】
028:理央
こういうの、本人の前で書くんですね。
029:燭台
事実。
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「神様、容赦ない」
理央は小さく笑った。
澪は何となく机の上の本を揃えた。
その横でシロガネは、2人を気にする様子もなく前足を舐めている。
共鳴の話が終わったと思ったところで、表示が切り替わった。
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【許可】押し入れ使用【飯島理央】
001:燭台
飯島理央。
002:燭台
押し入れ使用、解禁。
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「……え?」
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【許可】押し入れ使用【飯島理央】
003:理央
……え?
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理央が押し入れを見る。
「私が開けていいんですか?」
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【許可】押し入れ使用【飯島理央】
004:理央
私が開けていいんですか?
005:燭台
可。
006:理央
1人でも?
007:燭台
可。
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理央はしばらく押し入れを見つめた。
これまでは勝手に開けないようにと言われていた扉である。
「急ですね」
「私もそう思います」
澪も押し入れへ目を向けたところで、理央が今日取ったもう1つのスキルを思い出した。
「あ、そうだ」
「何ですか?」
「家に帰ったら、異世界用の靴を1足、収納に入れておいた方がいいですよ」
「靴?」
「はい」
理央の視線が押し入れから自分の足へ落ちた。
数秒して、顔が変わる。
「……あれですか」
「はい。あれです」
「客用スリッパ」
「忘れてませんね」
「忘れられませんよ」
あのまま異世界を歩き回ったのだから当然だった。
「押し入れを1人で開けてもいいって言われた最初の注意が靴なんですか?」
「大事ですよ」
「もっと魔物とか、知らない道とか」
「それも大事です。でも靴も大事です」
「説得力が嫌です」
「経験がありますから」
「経験したの私です」
「だからです」
理央は言い返そうとして、結局笑った。
「分かりました。帰ったら入れときます」
神様から押し入れを使ってよいと言われた直後に決まった最初の準備は、武器でも魔道具でもなく、替えの靴だった。
翌日の昼、理央は自宅近くの公園を歩いていた。
冬の日差しは明るいのに風は冷たく、葉を落とした木の枝が触れ合うたび、頭上で乾いた音がする。芝の端には日陰だけ霜が残り、空いたベンチは座面まで冷え切って見えた。
今日は澪はいない。
付き添ってもらう約束もしていない。
昨日取った鑑定を、自分で使ってみたかった。
最初に目へ入ったベンチへ意識を向ける。
休憩に使う物で、大きく壊れてはいない。
分かったのは、その程度だった。
「……これだけ?」
昨日、澪が自分へ使った鑑定とは情報量がまるで違う。
同じ鑑定でも、使えるようになったばかりではこんなものなのだろう。
次は近くの木へ意識を向ける。
冬で葉を落としていることや、枯れているわけではないことが何となく分かった。
手に持ったボールペンやバッグ、公園の柵にも使ってみる。
対象を変えると、見える内容も変わった。
同じ物を繰り返し見るより、別の物へ使った方が違いが分かりやすい。
園路の向こうから、小型犬を連れた人が歩いてくる。
犬の爪が舗装路を細かく鳴らし、リードの金具が首輪へ触れるたび、小さな音を立てていた。
理央は道の端へ寄り、犬へ意識を向ける。
----------------------------------
好奇心あり
飼い主に安心している
空腹ではない
散歩中で機嫌がよい
----------------------------------
犬が理央を見上げた。
目が合う。
「……見すぎるのも変だよね」
理央は視線を外した。
飼い主は何も気づかず、そのまま通り過ぎていく。
しばらく歩くと、今度は毛の長い犬が近づいてきた。
さっきより周囲への警戒が強い。
別の犬は足取りが軽く、元気そうに見える。
何頭かへ鑑定を使ううち、意識を向けてから情報が浮かぶまでの間が短くなってきた。
公園を半周した頃、飼い主の横を歩く小型犬が近づいてくる。
理央のそばまで来ると、犬が鼻を動かしてこちらを見た。
鑑定を向ける。
----------------------------------
好奇心あり
飼い主に安心している
空腹ではない
散歩中で機嫌がよい
----------------------------------
さっきまでと同じ、数字のない柔らかい情報だった。
ところが次の瞬間、その見え方が変わった。
----------------------------------
体力:54
警戒:27
好奇心:73
空腹:21
機嫌:79
----------------------------------
理央の足が止まった。
「……数字になった」
犬はそんなことを知らず、飼い主と一緒に通り過ぎていく。
理央がもう一度、今見えた数字へ意識を向けたところで、新しい表示が浮かんだ。
〖鑑定 Lv1→Lv2〗
「上がった……」
昨日1SPを使った時には、鑑定という能力を手に入れただけだった。
今は、同じように犬を見ても、さっきまでより分かることが増えている。
理央は遠ざかっていく犬を見送った。
次の犬を探しかけて、やめる。
「公園の犬、全部見るのはさすがに怪しいか」
マフラーへ鼻先を埋め、今度は普通に園路を歩き始めた。
風の冷たさは変わらなかったが、来た時より足取りは軽かった。
家へ戻った理央は、自分の部屋でコートを脱いだ。
机には読みかけの本と原稿関係の物があり、その隣には筆記具と彫金道具が置いてある。
公園では鑑定だけにした。
収納を使えば、物そのものが消える。
人目のある場所で試すものではない。
理央は机の横へ目を向けた。
昨夜、澪に言われてから収納へ入れておいたスニーカーがある。
正確には、目には見えない。
けれど、中に入っていることだけは分かった。
「まず、靴」
取り出そうと意識を向ける。
床の上へ靄が広がり、その中からスニーカーが現れた。
「出た」
もう一度収納する。
靄が靴を包み、姿が消える。
次はノートを入れてみた。
取り出す。
筆記具を1本入れ、また出す。
彫金道具は、なくすと困るので小さな物を1つだけ選んだ。
入れて、出す。
もう一度入れる。
最初のうちは、それだけでも面白かった。
片づけるために立ち上がらなくても、手元から物が消える。必要ならまた戻せる。
ところが、ノートをもう一度取り出そうとしたところで、理央は手を止めた。
「……ん?」
痛いわけではない。
頭の奥が重い。
長い時間、細かな文字を読み続けた時に近いが、目を閉じても残っている。
「やりすぎたかな」
もう一度試す代わりに、椅子へ座った。
水を飲み、しばらく何もしない。
数分すると、重さが少しずつ引いてきた。
理央は机へ肘をつきながら考える。
入れた物は多くない。
靴とノート、筆記具、それに小さな彫金道具だけだ。
量で困るほどではないはずだった。
試しに、物を出さずに収納の中へ意識だけを向けてみる。
靴はある。
ノートもある。
筆記具も、彫金道具も入っている。
ただ、何かを取ろうとするたびに、その中から目的の物を一度探していた。
「……置き場所、決めてないから?」
理央は現実の机を見る。
筆記具はいつも同じところに置いている。
彫金道具も、使い終われば種類ごとに戻す。
本や原稿も、全部を一つの箱へ放り込んだりはしない。
収納だけは、入ること自体が面白くて、適当に置いていた。
「じゃあ、分けたらいいのかな」
もう一度、収納へ意識を向ける。
まず靴の置き場所を決めた。
次に筆記具。
その近くへノートを置く。
彫金道具は別にした方がよさそうだった。
置き場所を考えているうち、小さな棚のような形が浮かぶ。
その形へ意識を寄せると、収納の中に棚が出来た。
理央は目を開いた。
「……出来るんだ」
もう一度見ても、棚は残っている。
それなら、と少しずつ手を加えた。
筆記具を置くところ、ノートや紙を置くところ、彫金道具を置くところを分ける。
靴は他の物と一緒にせず、端へ場所を作った。
全部が一つの広い空間にあるより、小さく区切った方が理央には分かりやすい。
大きな倉庫を作る必要はなかった。
今持っている物の置き場所が、すぐ分かればいい。
一度収納から意識を外す。
また水を飲み、頭の重さが薄くなるまで休んだ。
「じゃあ……靴」
異世界用のスニーカーを思い浮かべる。
今度は探さなかった。
置いた場所がすぐ分かる。
床へ靄が広がり、その中から靴が現れた。
〖収納 Lv1→Lv2〗
「こっちも上がった」
理央は靴と表示を見比べた。
ただ出し入れを繰り返していた時には何も起きなかった。
中を自分が使いやすいように変えたあとで、Lv2になった。
少なくとも、理央にはこのやり方が合っていたらしい。
床に出したスニーカーへ、もう一度収納を向ける。
靄の中へ靴が消える。
今度は迷わず、自分で決めた場所へ収まった。
どこにあるのかも、すぐ分かる。
理央は椅子の背へ身体を預けた。
「……これなら、スリッパで行かなくて済む」