押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第284話 中で何が起きてるんですか?

 

 冬の日差しが、六畳間の窓から低く差し込んでいた。

 

 暖房は効いているが、窓際だけはまだ空気が冷たい。ミニテーブルには、この数日の訓練で使ったノートや筆記具、彫金道具が残っている。

 

 細い銀線の端が光を拾い、その向こうではシロガネが前足を折りたたんで丸くなっていた。

 

 古い燭台も、いつもの場所にある。

 

 理央はノートを開いたまま、澪の手元を見ていた。

 

「今日は何するんですか?」

 

「それを考えていたところです」

 

「今から?」

 

「候補はあります」

 

 澪は答えながら、机の上のノートへ目を落とした。

 

 鑑定Lv5。

 

 収納Lv5。

 

 ここ数日、重さを増やし、水を扱い、検索や取り出し方まで練習してきた。

 

 昨日と同じように重量を増やす方法もあるが、それだけを繰り返すより、次の段階へ進む時に自分が何をしていたかを使った方がいい。

 

 収納がLv5だった頃。

 

 澪の記憶に、薬草の匂いが戻ってきた。

 

 治癒草と清め水。温めた水から上がる蒸気。

 

 収納の中へ作った通り道を薬草へ通し、最後に冷やして雫へ戻す。

 

 あの時は、収納だけを使っていたわけではなかった。

 

 薬草を鑑定し、収納の中で工程を組み、最後は錬金で薬として形にしていた。

 

 終わって自分を鑑定した時、複数の数字がまとめて上がっていた。

 

 澪は理央のノートを指先で軽く押さえた。

 

「錬金、取ってみませんか?」

 

「え、もうですか?」

 

 理央の返事が一拍も置かずに返ってきた。

 

 そのままノートへ目を落とす。

 

 共鳴で生えた芽は多い。

 

 商才、錬金、薬学、並行思考、そのほかにもまだいくつも残っている。

 

 使えるSPには限りがある以上、名前だけを見て片端から取る気にはならない。

 

「昨日、まだ増やさなくていいって言ってませんでした?」

 

「何でも取るのは、です」

 

「錬金は違う?」

 

「今回は使い道が決まっています」

 

 澪は机の上にあった小さな石を収納へ入れた。

 

 靄が石を包み、その姿が消える。

 

「今までは、収納なら収納、鑑定なら鑑定で練習してましたよね」

 

「はい」

 

「私が収納Lv5から次へ上がった時は、そうじゃなかったんです。薬草を鑑定しながら、収納の中で抽出して、錬金で薬にしました」

 

 理央が顔を上げた。

 

「3つ使ってたんですか?」

 

「はい。結果的に、まとめて伸びました」

 

「……それを私にもやらせようとしてます?」

 

「そのつもりです」

 

 理央は澪を見たまま、しばらく黙った。

 

「……効率で決めてません?」

 

「効率、大事ですから」

 

 澪は普通に答えた。

 

 理央の視線が、ほんの少しだけ細くなる。

 

「そこ、否定しないんですね」

 

「同じ時間を使うなら、3つ一緒に使える方がいいです」

 

「そうなんですけど」

 

 理央はノートのページをめくった。

 

 未使用SPは6。

 

 昨日も、この数字を見ながら他の芽へ手を出さないと決めたばかりだ。

 

「収納をLv6にするのにSP使うのは?」

 

「しません」

 

 澪の返答は早かった。

 

「そこは訓練で上げます」

 

「錬金には使うのに?」

 

「錬金は今ないので、使わないと始まりませんから」

 

「ああ……」

 

 理央は納得しかけて、もう一度ノートを見る。

 

「1SPですよね?」

 

「はい」

 

「残り5」

 

「はい」

 

「これ以上、今日いきなり何か取るとかは?」

 

「予定してません」

 

「予定なんですね」

 

「必要になれば考えます」

 

「その言い方、ちょっと怖いです」

 

 理央はそう言ったものの、拒む様子はなかった。

 

 彫金を始めた時もそうだったが、使う目的が見えている方が理央には分かりやすい。

 

 ただ増やすためのスキルではない。

 

 今育てている収納と鑑定につなげるために取る。

 

 それなら、1SPを使う意味はある。

 

 理央はノートから顔を上げた。

 

「取ります」

 

「はい」

 

 意識を、自分の中に並ぶ芽の一つへ向ける。

 

 錬金。

 

 1SPを使う。

 

 ほんの短い間を置いて、表示が変わった。

 

 〖錬金 Lv1〗

 

「出ました」

 

 理央はすぐに残りも確かめる。

 

「SP、5です」

 

「合ってます」

 

 澪はそこで立ち上がった。

 

 理央が表示から顔を上げる。

 

「もう始めるんですか?」

 

「ここではやりません」

 

「ですよね。薬草ないですし」

 

「それもありますけど、専門家がいた方がいいので」

 

 澪はテーブルの端へ寄せていた荷物を手に取った。

 

 自分が収納Lv5だった時に使った題材なら、何をして次へ進んだか分かっている。

 

 しかも、ポーションならセルマがいる。

 

 収納の訓練だけなら六畳間でもできるが、薬を扱うなら話は別だ。

 

 抽出に成功したかどうかと、薬として成立しているかどうかは同じではない。

 

「セルマさんのところへ行きます」

 

「また異世界ですか?」

 

「はい」

 

 理央は閉じかけたノートを止めた。

 

「錬金取って、すぐ本職のところ行くんですね」

 

「その方が早いので」

 

「やっぱり効率じゃないですか」

 

 澪は否定せず、理央がノートを閉じるのを待った。

 

 

 

 押し入れを抜けた先の空気は、六畳間よりも乾いていた。

 

 新セルマ工房の錬金作業区画には、治癒草の青い匂いと、温めた清め水の湿気が薄く残っている。

 

 壁際では白っぽいLEDの光が水耕棚を照らし、棚の奥で根が揺れていた。

 

 セルマは澪から話を聞き終えると、理央の方へ目を向けた。

 

「それなら、ちょうどいいわ」

 

「ちょうどいい?」

 

「私も試してるの。できていないけど」

 

 理央の目が少し大きくなった。

 

「セルマさんでもですか?」

 

「でも、とは何よ」

 

「あ、いや、錬金術師なのにって意味で……」

 

「その意味なら合ってるわ」

 

 セルマは気を悪くした様子もなく、作業台の端に並べてあった瓶を寄せた。

 

 透明なもの、うっすら濁ったもの、底に沈殿が残るものが混じっている。

 

 どれも売り物の棚には置かれていない。

 

「澪が収納の中で抽出してみせたでしょう。その後はリュシアまで収納を加工に使い始めた。私が何もしないと思う?」

 

「思いません」

 

 理央は即答した。

 

 セルマは満足そうに一度だけ頷き、治癒草と清め水を手元へ寄せる。

 

「何度もやったわ。でも、途中までは動いても一連の工程にならない。普通に作ればできるのに、収納の中へ入れるとつながらないのよ」

 

 専門家がいるなら教わればいい。

 

 さっきまで理央の中には、そんな気持ちが少しあった。

 

 それが、目の前の失敗瓶を見ただけで消えた。

 

「SPで上げたら駄目なんですか?」

 

 理央が聞くと、セルマの手が止まった。

 

「上げられる可能性はあるわね」

 

「じゃあ」

 

「それでできるようになっても、私は納得できないのよ」

 

「……ああ」

 

 セルマの声には迷いがなかった。

 

 理央は自分の残りSPを思い出す。

 

「私は普通にもったいないので使いません」

 

 セルマがゆっくり理央を見る。

 

「理由が違いすぎない?」

 

「でも、使わないところは同じですよね」

 

「同じだけど」

 

 澪は横で聞きながら、口を挟まずにいた。

 

 錬金術師として自力で越えたいセルマと、残り5SPを大事にしたい理央。

 

 結論だけは綺麗に並んでいる。

 

 セルマは諦めたように息を吐き、作業台の上へ小さな瓶を2本置いた。

 

「じゃあ、比較できるわね。私がやってきた方法を見せる」

 

 治癒草を取り分け、清め水を分ける。

 

 理央も同じ量だけ受け取り、自分の収納へ入れた。靄が材料を包み、順に姿を消していく。

 

 セルマは手際よく準備を進める。

 

 薬草を扱う指に迷いはない。

 

 どこを使うか、どれだけ水を合わせるか、火をどう入れるか。目の前の器具を使うなら、身体が先に答えを知っているような動きだった。

 

 それでも、その技術を収納の中へ移した瞬間だけ、セルマの眉が寄る。

 

 理央はその横顔を見て、さっきより背筋を伸ばした。

 

 教えてもらえば済む訓練ではない。

 

 セルマも、まだ答えを持っていなかった。

 

 

 

 最初に試したのはセルマだった。

 

 治癒草を収納へ入れ、清め水を続ける。靄が消えたあと、セルマは目を閉じるようにして内部へ意識を向けた。

 

 普段のポーション作りなら迷うところはない。

 

 そして、澪が以前見せた蒸気浸透抽出の手順も覚えている。

 

 清め水を温めて蒸気にする。その蒸気を治癒草へ通し、薬効を移して、最後に冷やして雫へ戻す。

 

 蒸気の温度も、通す時間も、移したくない成分も、以前に澪の鑑定で示された条件を基準にしている。

 

 手順そのものは分かっている。

 

 それなのに収納の中へ入れると、途中から何をどうつなげればいいのかが曖昧になる。

 

 数分後、取り出された液体を瓶へ受ける。

 

 セルマは光へかざし、次に蓋を開けて匂いを嗅いだ。

 

「違う。これでは安定しないわ」

 

 液体は完全な失敗ではなかった。

 

 薬効はある。

 

 だが濁りがあり、青臭さも強い。薬効と一緒に、余計なものまで蒸気へ移っている。

 

 セルマは売り物用の棚ではなく、失敗品を置く側へ瓶を移した。

 

「次、理央」

 

「はい」

 

 理央はさっきのセルマの動きを思い出しながら、収納内部へ意識を向けた。

 

 清め水を蒸気にする。

 

 蒸気を治癒草へ通す。

 

 回収瓶へ送る。

 

 冷やす。

 

 順番は覚えている。鑑定を使えば、途中の状態もある程度は見える。

 

 ところが3つ目あたりから、頭の中で置いたもの同士の関係が急に曖昧になった。

 

 治癒草はある。

 

 蒸気もある。

 

 回収瓶もある。

 

 なのに、蒸気を通すことで何を次へ渡しているのかが分からなくなる。

 

「……止めます」

 

 理央は途中で工程を切り、内容物を外へ出した。

 

 靄の中から現れた瓶には、セルマのものよりさらに濁った液体が入っている。

 

「私の方、途中から何やってるか分からなくなりました」

 

「私も同じよ。だから困ってるの」

 

 セルマの返しは少し乾いていた。

 

 理央は瓶とセルマを見比べる。

 

「同じなんですか?」

 

「程度が違うだけ。途中までは分かる。1つずつならできる。でも、次へつなごうとすると曖昧になる」

 

 今度は条件を減らした。

 

 処理を単純にし、使う材料も絞る。

 

 セルマが2回目を試す。

 

 途中まではさっきより滑らかだったが、最後まで一続きにはならなかった。ある段階で処理が止まり、セルマ自身が次の操作を足さなければ進まない。

 

「やっぱり、工程になってない」

 

 続いて理央。

 

 今度は途中で迷わなかった。

 

 だが取り出した液体を鑑定すると、薬効と一緒に不要な部分までかなり移っている。

 

「薬効はあります。でも、これ……余計なのも多いです」

 

 セルマが瓶を受け取り、光へ透かした。

 

「そうね。薬効だけなら失敗ではない。でも、このまま薬にする気はないわ」

 

 味見には回さない。

 

 通常使用にも回さない。

 

 セルマは失敗瓶をもう1本、端へ寄せた。

 

 澪は作業台の反対側から2人を見ていた。

 

 自分が同じことをした時は、ここまで何度も止まった記憶がない。

 

 だからといって、何が違うのかはまだ言葉にならなかった。

 

 理央が初心者だから、ではない。

 

 セルマは何度も試している。

 

 セルマの練習量が足りない、でもない。

 

 2人は違う経験を持っているのに、同じところで詰まっていた。

 

 薬草と湯気の匂いが、朝より濃くなっている。

 

 セルマは新しい治癒草を取り出したものの、すぐには収納へ入れなかった。

 

「回数じゃないわね、これ」

 

 その一言で、理央も次の材料へ伸ばしかけた手を止めた。

 

 

 

「澪さんの時、どうやったんですか?」

 

 理央に聞かれ、澪は作業台の空いたところへ治癒草を置いた。

 

「やってみますね」

 

 セルマが失敗品を端へ寄せ、中央を空ける。

 

 澪は治癒草と清め水、それから回収用の小瓶を用意した。

 

 昔とまったく同じ量ではない。見せるための小さな再現で十分だった。

 

「2人とも、鑑定しながら見てもらえますか」

 

「分かったわ」

 

「はい」

 

 澪は材料へ意識を向ける。

 

 治癒草を収納。

 

 清め水を収納。

 

 回収瓶も入れる。

 

 靄が順に広がり、作業台の上から物が消えた。

 

 収納内部で清め水を蒸気にし、治癒草へ通す。

 

 葉脈周辺の透明汁にある薬効だけを蒸気へ移し、苦味やエグミ、渋み、青臭さ、粘りや濁りはできるだけ残す。

 

 薬効を含んだ蒸気を回収瓶へ送り、冷やして雫へ戻す。

 

 いまでは何度も使った操作だった。

 

 身体を動かしているわけではないのに、澪の中ではそれぞれの位置と役割が最初から決まっている。

 

 しばらくして、小瓶を取り出した。

 

 靄がほどけ、透明な液体の入った瓶が作業台へ現れる。

 

 セルマがすぐ手に取った。

 

 光へかざし、角度を変える。

 

 蓋を開け、匂いを確かめる。

 

 最後に鑑定を使った。

 

「……できてるわね」

 

 理央も自分の失敗品と見比べた。

 

「透明さが全然違う」

 

「薬効も落ちてない」

 

 セルマは瓶を置き、今度は澪を見る。

 

「もう一度、途中を説明して」

 

「途中ですか?」

 

「何をしたか」

 

「治癒草を入れて、清め水を入れて……」

 

「そこは私たちもやってる」

 

「あ」

 

 澪は口を閉じた。

 

 セルマが失敗した操作と、自分が成功した操作。

 

 外から見れば、確かに大きな違いはない。

 

「収納の中で、何を考えてるの?」

 

「ええと……」

 

 澪は自分が普段どうしているかを辿った。

 

 治癒草がある。

 

 蒸気にする清め水がある。

 

 冷却して受ける回収瓶がある。

 

 葉脈周辺から必要な薬効だけを蒸気へ移し、不要なものは残す。

 

 説明しようとすると、それ以上の言葉が出てこない。

 

「私も、こうやってるとしか……」

 

 理央の眉が上がった。

 

「それ一番真似できない説明です」

 

「ですよね」

 

 澪は困って、小瓶へ目を戻した。

 

 自分ができることと、人へ教えられることは違う。

 

 セルマが知りたいのは完成品ではなく、途中の何が違ったのかだ。

 

 理央も鑑定で前後の差は見られる。

 

 しかし結果が違うことは分かっても、分かれ道が見えない。

 

 セルマは澪の小瓶と自分の失敗瓶を並べた。

 

「……やってることは同じに見えるわ」

 

「私もそう見えます」

 

 理央も同意する。

 

 澪はもう一度、頭の中で自分の操作を再生してみた。

 

 治癒草を、ただの薬草として置いているわけではない。

 

 清め水も、ただの水ではない。

 

 回収瓶も同じだ。

 

 けれど、その違いを自分では当たり前すぎて掴めない。

 

「何が違うんでしょう」

 

 教える側だったはずの澪まで、同じ作業台の前で首を傾げることになった。

 

 

 

 昼が近づいた頃、工房の扉が開いた。

 

 真壁は中へ入るなり、作業台の瓶を見た。

 

 同じような小瓶が何本も並び、その半分には濁りがある。

 

 セルマはその1本を光へ透かし、理央は椅子に座って水を飲んでいる。

 

 澪だけが、説明の途中で止まったような顔をしていた。

 

「進んでいないようだな」

 

「分かります?」

 

「瓶の数で分かる」

 

 真壁は上着を脱ぐより先に作業台へ近づいた。

 

「何が起きた?」

 

 澪がここまでの経過を短く話す。

 

 セルマは普通の錬金なら問題ないこと。

 

 収納内部では一連の工程としてつながらないこと。

 

 理央も同じ形で失敗したこと。

 

 澪が実演すると成功するが、本人にも違いを説明できないこと。

 

 真壁は聞き終えても、すぐには答えなかった。

 

「セルマ君。もう一度やってみてくれ」

 

「見るの?」

 

「見ないと分からん」

 

 セルマは新しい材料を取り、収納へ入れた。

 

 真壁は途中で口を挟まず、最後まで見ている。

 

 次に理央にも同じようにやらせた。

 

 2人の結果を比べてから、真壁はセルマへ聞いた。

 

「収納の中で、何をイメージしている?」

 

「何をって……清め水を蒸気にして、治癒草へ通して、葉脈周辺の透明汁から薬効を蒸気へ移して、冷やして回収するのよ」

 

 真壁は少し考えてから、作業台の治癒草を指した。

 

「では、普通のポーションを作る時、薬草を刻んだり潰したりするのは何のためだ?」

 

「中の成分を水へ出しやすくするためでしょう」

 

「その時、葉の中では何が起きている?」

 

「……葉の中?」

 

 セルマの返事が止まった。

 

 真壁の視線が、並んだ瓶から治癒草へ移った。

 

「なるほど。そこかもしれないな」

 

 そう言うと、真壁は収納から薄いディスプレイだけを取り出した。

 

「今度は何ですか?」

 

 理央は見慣れた形に反応したが、セルマは警戒するように一歩だけ近づく。

 

 真壁がディスプレイを作業台へ置いた。

 

 画面が点く。

 

 何も触っていないのに、矢印が動き始めた。

 

 セルマの目が画面を追う。

 

 次に真壁の両手を見る。

 

 両手は作業台の縁にも触れていない。

 

 また画面を見る。

 

「……誰が動かしているの?」

 

「私だ」

 

「触ってないでしょう」

 

「マウスは収納の中だよ」

 

 セルマの視線が止まった。

 

「マウス?」

 

「この矢印を動かす道具です」

 

 理央が補足すると、セルマは画面の矢印を指した。

 

「それが収納の中にあるのに、なぜ動くの?」

 

「私が収納の中で操作している」

 

「待って」

 

 セルマは片手を上げた。

 

「まず、その矢印が勝手に動く方を説明して」

 

「そっちですか?」

 

 理央が思わず聞き返した。

 

「そっちよ。今から薬草の話をする顔をしてるけど、その前に変なものが動いてるでしょう」

 

 真壁は特に困った様子もなく、カーソルを円形に動かした。

 

「普通の機械だ。収納が代わりに動かしているわけではない。中に置いたマウスを私が普通に操作しているだけだ」

 

「普通の基準がおかしいわ」

 

「使えるなら問題ない」

 

「問題の種類が違うのよ」

 

 セルマはまだ納得しきれない顔だったが、矢印が画面上の絵を選び始めると、やがてそちらへ目を向けた。

 

 植物の模式図が表示される。

 

 真壁は全体図を出し、次に一部を拡大した。

 

「本題へ戻ろう」

 

 カーソルが、小さく区切られた構造の一つを指した。

 

 真壁はようやく、セルマたちが失敗している理由へ手をかけた。

 

 

 

 ディスプレイを囲むように立ち位置が変わった。

 

 真壁の隣に澪。理央は画面の正面へ寄り、セルマはその横に立つ。

 

 最初のうち、セルマはカーソルが動くたびに真壁の手をちらりと見ていた。

 

「植物は細胞の集まりだ」

 

 真壁が画面を拡大する。

 

「植物細胞には、細胞膜の外に細胞壁がある」

 

「細胞壁?」

 

 セルマが聞き返した。

 

 真壁はカーソルで細胞の外側をなぞる。

 

「骨組みのようなものだな。主な材料の一つがセルロースだ」

 

「あ、それは覚えてます」

 

 理央が画面へ身を寄せた。

 

「細胞壁……セルロースも、たぶん」

 

 そこで少し考える。

 

「2年になってから学校行ってないので、その先はちょっと」

 

 真壁は特に評価するでもなく、次の図へ切り替えた。

 

「なら、ここから見ればいい」

 

「はい」

 

 セルマは理央を一度見たあと、また画面へ戻る。

 

「こんな小さなものが、葉の中に並んでいるの?」

 

「そうだ。肉眼では見えない大きさだがな」

 

 真壁が葉全体の図と、細胞の拡大図を行き来させる。

 

「薬草を刻んだり潰したりすれば、こうした細胞や組織が傷む。すると、それまで植物の中にあった成分が水の側へ出やすくなる」

 

 セルマは画面から実物の治癒草へ目を移した。

 

「余計なものまで出るのは分かっていたけど、中ではこうなっていたのね」

 

「そういうことだ。苦味や青臭さまで拾う理由の一つになる」

 

 真壁は葉全体の図へ戻した。

 

「ただし、澪君の蒸気浸透抽出は、全部を壊して取り出す方法ではない」

 

 セルマは黙った。

 

 清め水を蒸気にする。

 

 治癒草へ通す。

 

 冷やして回収する。

 

 その手順なら覚えている。

 

 だが、目の前の図では、いつも手で扱っている葉の中に、さらに小さな構造が詰まっている。

 

 その横で、澪の指が止まっていた。

 

「私、高校で生物やってたので……」

 

 セルマが振り向く。

 

 澪は画面を見ながら、自分が以前やったことを思い返した。

 

「植物の中がこういう細かい構造になっていて、抽出する時には中にある成分が外の媒体へ移る、っていう感じは最初からありました」

 

「意識して考えていたの?」

 

「そこまでは。でも、植物ってそういうものだと思ってたので」

 

 澪は少し考えてから続けた。

 

「それに、あの時は鑑定で薬効部位が葉脈周辺の透明汁だって出てました。蒸気の温度も、通す時間も、移したくないものも」

 

 セルマは画面と澪を見比べた。

 

「同じ条件を見ていたのに、あなたはもっと細かいところまで形にしていたのね」

 

 同じ薬草を扱っていた。

 

 同じように蒸気を通し、抽出していた。

 

 それでも、頭の中で持っていた像の細かさが違う。

 

 理央は画面の細胞図を見ながら、小さく息を吐いた。

 

「学校でやったやつが、こっちで使えるんだ……」

 

 教科書の中では、試験に出るかもしれない言葉だった。

 

 今は目の前の錬金術師が、長く越えられなかった壁の説明になっている。

 

 真壁は次の図を出した。

 

「手順を覚えるのは悪くない。だが収納の中で工程にするなら、何をした結果、何が変わるのかまで像にした方がいい」

 

 セルマはもう、カーソルを動かす真壁の手を見ていなかった。

 

 視線は植物細胞の図に留まっていた。

 

 

 

 真壁は細胞の拡大図を閉じ、葉全体の模式図へ戻した。

 

 作業台には実物の治癒草がある。

 

 LEDの白い光を透かすと、薄い緑の葉の中で葉脈が筋のように浮かび、その周辺に透明な汁が通っているのが見えた。

 

 真壁は画面と実物を見比べた。

 

「だが、もう一つある。ゲンダイとの違いは何だろうな」

 

「薬草でしょう?」

 

 セルマが答える。

 

「いや。なぜ、その薬草が身体を補修できる成分を持つのか、という話だ」

 

 澪は真壁の横顔を見た。

 

 こういう時の真壁は、いま目の前にある問題だけでは終わらない。

 

 収納内工程の説明だったはずが、治癒草そのものへ視線が移っている。

 

「ゲンダイにも植物由来の薬はある。そこは不思議ではない。だが、これは違う」

 

 真壁は治癒草の葉を指した。

 

「ポーションにすれば、身体の損傷を短時間で補修する。普通の植物成分だけで説明するには作用が大きすぎる」

 

 セルマは考え込んだ。

 

「薬草は、そういうものよ」

 

「こちらではな」

 

 真壁はそこで少し間を置いた。

 

「遊離魔素ではないか」

 

 理央が首を傾げる。

 

「魔素?」

 

「植物は空気から二酸化炭素を取り込む。そこへ遊離魔素が関わっている可能性がある」

 

 真壁はディスプレイへ気孔の簡単な図を出した。

 

「この世界の大気で、一部の二酸化炭素に遊離魔素が結びついていて、それがイオン化した特殊な状態で存在しているなら、植物が二酸化炭素を取り込む時に、魔素も一緒に入る」

 

 理央は画面から実物の葉へ目を移した。

 

「植物が、二酸化炭素と一緒に魔素も吸ってるってことですか?」

 

「その可能性が高い」

 

「それを治癒草が薬効に変えてる?」

 

「そこまで行けば筋が通る」

 

 セルマは治癒草を手に取り、葉脈へ光を当てた。

 

「でも、それなら普通の草にも魔素は入るんじゃない?」

 

「入るだろう。差があるとすれば、取り込み方か、保持の仕方か、内部での使い方だ」

 

 真壁は澪へ目を向けた。

 

「見られるか?」

 

「やってみます」

 

 澪はまず周囲の空気へ意識を向けた。

 

 ただ魔素が漂っている、という見方ではなく、二酸化炭素との関係に絞る。

 

 鑑定。

 

 見慣れた大気の情報の中から、今まで拾っていなかった関係が浮かび上がる。

 

 一部の二酸化炭素に遊離魔素が結びつき、イオン化した状態で存在している。

 

「あります」

 

 澪の声が低くなった。

 

「二酸化炭素と結びついてる遊離魔素。イオン化してます」

 

 真壁の視線が治癒草へ移る。

 

「次だ」

 

 澪は植物全体を見る。

 

 気孔から取り込まれるもの。

 

 内部へ入った魔素の動き。

 

 そして葉脈周辺。

 

 表示を追っていた澪の目が止まった。

 

「取り込んでます。二酸化炭素と一緒に」

 

 セルマが近づく。

 

「その先は?」

 

「植物の中で使われて……治癒草は特に魔素を薬効へ変える働きが強いです」

 

 さらに絞る。

 

 葉脈の周辺にある透明な汁。

 

「ここへ集まってます」

 

 澪は実物の葉を指した。

 

「薬効が強い部分、やっぱり葉脈周辺の透明汁です」

 

 セルマはしばらく何も言わなかった。

 

 その部位に薬効が多いことは知っていた。

 

 良い葉の見分け方も知っている。

 

 どこを採れば強い薬になるかも経験で分かっていた。

 

 けれど、なぜそこへ集まるのかは考えたことがない。

 

「薬効って、最初から葉に入ってるものじゃないのね」

 

「少なくとも治癒草は、取り込んだ魔素を使って作ってるように見えます」

 

 澪が答える。

 

 真壁はディスプレイの気孔図から葉脈図へ戻した。

 

「なら、澪君の抽出条件にも理由があるな。蒸気を葉全体へ強く通せば、薬効以外まで拾う。狙うのは、この葉脈周辺だ」

 

 セルマの目が葉へ落ちた。

 

「葉肉に触れすぎれば余計なものまで拾う。そこは、あの時と同じね」

 

 同じ葉なのに、さっきまでとは別のものを見る顔になっていた。

 

 

 

 作業台へ戻っても、セルマはすぐには手を動かさなかった。

 

 治癒草を1枚持ち、LEDの光へ透かしている。

 

 さっきまでなら、次に考えるのは手順だった。

 

 清め水を蒸気にする。

 

 治癒草へ通す。

 

 冷やして回収する。

 

 どれも澪の抽出を見て覚えている。

 

 ただ、それをそのまま収納へ入れても、一連の工程にはならなかった。

 

「私は、手順を入れようとしてたのね」

 

 セルマが呟いた。

 

 澪を見る。

 

「清め水を蒸気にする。治癒草へ通す。冷やして回収する。そこまでは覚えていた」

 

 葉へ目を戻す。

 

「でも、あなたの中には、その手順の下で葉がどうなっているかまで像があった」

 

「たぶん……そうだったんだと思います」

 

「たぶんなのね」

 

「自覚してなかったので」

 

 セルマは乾いた息を漏らした。

 

「長いこと詰まってた側としては、ちょっと腹立つわ」

 

「すみません」

 

「謝るところではないわよ」

 

 セルマは治癒草を作業台へ戻した。

 

 今度は器具を先に見ない。

 

 葉脈を見る。

 

 薬効が集まるところ。

 

 そこへ清め水の蒸気をどう通すのか。

 

 何を蒸気側へ移すのか。

 

 苦味やエグミ、渋み、青臭さ、粘りや濁りにつながるものは、できるだけ蒸気へ乗せない。

 

 セルマの手が、清め水の瓶へ伸びた。

 

「やるわ」

 

 材料を収納へ入れる。

 

 靄が治癒草と清め水を包み、消していく。

 

 セルマは目を閉じなかった。

 

 作業台の横には植物細胞の図が残っている。

 

 そこへ一度だけ視線を送り、収納内部へ意識を戻す。

 

 清め水を蒸気にする。

 

 葉肉を余計に傷めない。

 

 葉脈周辺へ蒸気を穏やかに通す。

 

 葉の中には細胞や組織がある。その構造を崩して中身を全部出すのではない。

 

 鑑定で示された薬効だけを蒸気へ移す。

 

 苦味やエグミ、渋み、青臭さ、粘り、濁りは、できるだけ蒸気へ乗せない。

 

 薬効を含んだ蒸気を回収瓶へ送り、冷やして雫へ戻す。

 

 今まで何度も途切れたところで、セルマの眉が動いた。

 

 だが手は止まらない。

 

 1つの操作が終わるたびに次を足すのではなく、前の変化がそのまま次へつながっていく。

 

 しばらくして、セルマが息を吐いた。

 

「出すわ」

 

 作業台に靄が広がる。

 

 回収瓶が現れた。

 

 中の液体は、これまでの失敗品より明らかに澄んでいる。

 

 セルマはすぐ瓶を持ち上げ、光へ透かした。

 

 傾ける。

 

 底を見る。

 

 蓋を開け、匂いを確かめる。

 

 次に鑑定を使った。

 

 顔つきが変わる。

 

「つながった」

 

 理央が身を乗り出した。

 

「できたんですか?」

 

「少なくとも、今までとは違う」

 

 セルマは瓶を置き、失敗品と並べる。

 

 透明度の差は目でも分かった。

 

「手順だけじゃなかったのね」

 

 セルマは自分に言い聞かせるように続けた。

 

「葉脈の近くへ蒸気を通すことも、余計なものを乗せないことも知っていた。でも、その時に葉の中がどうなっているのかまでは思い浮かべてなかった」

 

 真壁は何も褒めず、完成した瓶と治癒草を見比べている。

 

 澪は、昔の自分がなぜあの工程を作れたのか、ようやく輪郭を持って理解していた。

 

 高校で知った植物細胞の像が下地にあり、鑑定で薬効の場所や抽出条件まで具体的に見えていた。

 

 セルマは長年の錬金経験を捨てたわけではない。

 

 むしろ、その経験の下で何が起きているのかを理解した瞬間、今まで積み上げたものが一気につながった。

 

「理央」

 

 セルマが振り向く。

 

「次はあなたよ」

 

 さっきまで失敗していた錬金術師の顔ではなかった。

 

 もう、教える側へ戻っていた。

 

 

 

 午後に入る頃には、理央の肩に疲れが出ていた。

 

 それでも、さっきまでの疲れ方とは違う。

 

 同じ失敗を繰り返していた時には、何を直せばいいのか分からなかった。今は見るべきところがある。

 

 作業台の横には真壁が出した植物細胞の図が残っていた。

 

 目の前には治癒草。

 

 澪が成功させた工程。

 

 セルマが理解を変えて突破した工程。

 

 理央は3つを順に見た。

 

「動かす前に、何を変えるのか考えなさい」

 

 セルマが言う。

 

「はい。今度は……葉っぱ全部じゃなくて、薬効があるところ」

 

「そこから」

 

 理央は治癒草へ鑑定を使った。

 

 葉脈周辺。

 

 透明な汁。

 

 薬効が強く集まっている部分。

 

 そこを意識したまま、材料を収納へ入れる。

 

 靄が広がり、治癒草と清め水、回収瓶が消えた。

 

 収納内部で工程を組む。

 

 さっきまでなら、セルマの手順を思い出していた。

 

 今度は違う。

 

 蒸気をどこへ通すか。

 

 何を蒸気へ乗せるか。

 

 何を治癒草側へ残すか。

 

 ところが途中で、理央の眉が寄った。

 

 蒸気を葉全体へ通し、そこから何でも拾おうとしている。

 

「待ってください」

 

 自分で止めた。

 

「今の、葉っぱ全部から持っていこうとしてました」

 

「薬効がある場所を見なさい。全部取る必要はないわ」

 

 セルマの返事は短い。

 

 理央は一度すべてを戻し、息を整えた。

 

 失敗したから最初から考え直す、ではない。

 

 何を間違えたかは分かっている。

 

「もう1回やります」

 

「やって」

 

 理央は治癒草を見る。

 

 鑑定。

 

 葉脈周辺の透明汁と、そこに集まる薬効を見る。

 

 画面で見た植物細胞の図も思い出す。

 

 葉は均一な一枚ではない。

 

 だからといって、細胞や組織を全部壊して中身を出す必要もない。

 

 清め水を蒸気にし、葉肉を傷めすぎないよう葉脈周辺へ穏やかに通す。

 

 鑑定で捉えた薬効だけを蒸気へ移す。

 

 苦味やエグミ、渋み、青臭さ、粘りや濁りは治癒草側へ残す。

 

 薬効を含んだ蒸気を回収瓶へ送り、冷やして雫へ戻す。

 

 その途中でも鑑定を使い、状態がどう変わったかを追う。

 

 最後に錬金。

 

 抽出された薬効を、ポーションとして成立する形へ整える。

 

 理央の額にうっすら汗が浮いた。

 

 作業そのものは収納内部で進んでいるのに、集中だけで身体が熱くなる。

 

「……出します」

 

 靄が作業台に広がった。

 

 小瓶が現れる。

 

 セルマがすぐ手に取り、光へかざした。

 

 液体は澄んでいた。

 

 何度か角度を変え、匂いを確かめる。

 

「さっきよりずっといい。余計な濁りも少ない」

 

 理央は息を吐いた。

 

「できました?」

 

「工程としては、できてる」

 

 セルマが瓶を置く。

 

「薬としてどこまで使うかは別。そこは試験が要るわ。でも、収納内で一連につながったのは間違いない」

 

「よかった……」

 

 理央は椅子へ腰を下ろしかけ、途中で止まった。

 

 自分の中に、さっきまでなかった感覚がある。

 

「ん?」

 

 自分へ鑑定を向ける。

 

 表示へ目を走らせた理央の目が丸くなった。

 

----------------------------------

飯島理央

 

 鑑定:6

 収納:6

 錬金:2

 未使用SP:5

----------------------------------

 

「え……3つ上がってます」

 

 澪が理央の方へ身を寄せた。

 

「よかった。やっぱり一緒に使った方が効率いいですね」

 

 セルマが澪を見る。

 

 理央も見る。

 

「そこなんですね」

 

「狙ってましたから」

 

 澪は悪びれない。

 

 理央の未使用SPは5のまま。

 

 SPを追加で使わず、3つとも実際の作業で伸びている。

 

「狙い通りではないか、澪君」

 

 真壁が言った。

 

「はい」

 

「嬉しそうですね」

 

「嬉しいですよ。再現できましたから」

 

「ポーションより先に訓練結果見てません?」

 

「薬の方はセルマさんが見てます」

 

「分担が早いです」

 

 セルマは2人の会話を聞き流しながら、理央の小瓶をもう一度光へ透かしていた。

 

「理央」

 

「はい」

 

「今日はここまで。頭が回ってるうちにやめなさい」

 

「まだ疲労耐久はありますけど」

 

「疲れにくいのと、疲れないのは別よ」

 

「あ、それ澪さんにも言ってください」

 

「聞いてます」

 

 澪が先に答えた。

 

 理央は椅子へ座り、ようやく肩の力を抜いた。

 

 収納Lv6。

 

 さっきまで収納は、物を入れて、探して、取り出すところだった。

 

 今はその中で、処理の前後をつなぎ、1つの工程として動かせる。

 

 単にレベルが1つ増えただけではない。

 

 鑑定で見て、収納でつなぎ、錬金で形にする。

 

 別々に育てていたものが、同じ作業の中で噛み合った。

 

 その横では、真壁がまだ治癒草の葉を見ていた。

 

 ディスプレイには植物細胞の図が残り、作業台には遊離魔素を取り込んで育った治癒草がある。

 

 理央の訓練は終わった。

 

 けれど真壁の目には、別の実験の入口がもう見えているようだった。

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