押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第290話 空から来る商人・後編

 

 真壁はセリムの視線を受けたまま、返事を急がなかった。

 

 窓から入る夕方の光は、もうかなり弱い。

 

 治療院には酒精と薬の匂いが残り、その奥ではアイリンが眠っている。

 

 ハリルは寝台のそばに戻り、アイリンの呼吸を見ながら脈を取っていた。

 

 その数歩手前で、祖父は軍務責任者の顔に戻っている。

 

「まず大きさを聞こう」

 

「全長は約200mだ」

 

 セリムの目が止まった。

 

「200m……」

 

「大型貨物を運ぶための船だからな」

 

「どの程度の速さで飛ぶ」

 

「通常の経済運航で約150km/hだ」

 

 セリムは返事をせず、次の問いを重ねた。

 

「貨物だけか」

 

「いや」

 

「人も運べるのか」

 

「運べる」

 

 治療院の奥で布を絞る音がした。

 

 セリムはそちらを一度も見なかった。

 

「兵士もか」

 

「乗せれば運べる。当然だ」

 

「街道を使わずに?」

 

「空を飛ぶ船だからな」

 

 乾いた返答だった。

 

 だが、その答えこそセリムが聞きたかったものらしい。

 

 彼の視線が、真壁の顔から外れなくなった。

 

「王都近くまで、その速度で来られるのか」

 

「航路と運用条件次第だ」

 

「途中の関所は」

 

「空にはない」

 

 そこで真壁は、質問の向きが商売から外れたことに気づいた。

 

 何を運ぶかではない。

 

 どこまで来られるのか。

 

 誰が止めるのか。

 

 セリムが知りたいのは、そこだった。

 

 真壁は奥の寝台へ視線をやった。

 

 この話を続ける場所ではない。

 

「場所を変えよう」

 

 セリムも同じ結論だったらしい。

 

「そうしよう」

 

 ハリルが顔を上げる。

 

「アイリンは私が見ておく」

 

「頼む」

 

 セリムの返事だけが、ほんの一瞬祖父の声に戻った。

 

 治療院を出ると、外気はさらに冷えていた。

 

 ルネスタから来た使いが先に立ち、真壁とセリムは政府側の施設へ向かう。

 

 歩きながらも、真壁の頭に残っていたのは200mという数字ではない。

 

 セリムが恐れているのは、船の大きさそのものではなかった。

 

 止められるかどうかだ。

 

 

 

 会議室の長机には、王都から北部集積地、カルダノ、国境方面までを描いた地図が広げられていた。

 

 窓の外は暗くなり、机の上だけがランプの火で明るい。

 

 セリムのほかに、通商担当官と最低限の補佐役が席についた。

 

 真壁は椅子へ座る前に地図へ目を落とす。

 

 道路には線がある。

 

 国境にも線がある。

 

 関所を置ける場所も、街道の曲がり方も描かれている。

 

 だが、その上には何もない。

 

「外国の大型飛行船を、王都近くまで自由に飛ばすことは認められない」

 

 セリムは最初に結論を置いた。

 

「理由を聞こう」

 

「どこを飛ぶ」

 

「航路を決めればよい」

 

「その航路を外れたら?」

 

 真壁は答えず、続きを待つ。

 

「止まれと命じて、従わなかったらどうする」

 

 通商担当官が地図から顔を上げた。

 

「どこまで王都へ近づける」

 

「誰がそれを見張る」

 

「夜ならどうする」

 

 質問が続くほど、真壁の視線は地図の上から空白へ移った。

 

 地上の道を管理してきた国が、道のない空を初めて相手にしている。

 

 真壁はようやく口を開いた。

 

「制空権に不安がおありですかな?」

 

 セリムの眉が動く。

 

「……制空権?」

 

「自国の上空を飛ぶものを把握し、必要なら止められるか。その力だ」

 

 会議室の空気が一段硬くなった。

 

「許可しなければ飛ばせない」

 

「入国を認めない。それは御国の判断だ」

 

 真壁はそこで一拍置いた。

 

「だが、許可しないと言えば、飛んでいる船が消えるわけではない」

 

 セリムの指が地図の端で止まる。

 

「私どもが無断で飛ぶと言っているのではない」

 

 真壁は声を強めなかった。

 

「今後、同じ技術を持つ者が現れた時の話だ」

 

 ランプの火が小さく揺れた。

 

「飛ぶな、と言う」

 

 真壁は何も描かれていない地図の上へ視線を置く。

 

「それで本当に止められるのか?」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 セリムが見ていたのは、もう押入商会の船だけではなかった。

 

 

 

 外は完全に夜になっていた。

 

 役所内を歩く足音も減り、会議室には紙をめくる音とランプの燃える音だけが残っている。

 

「そこまで危険なら、最初から国内へ入れなければよい」

 

 セリムが言った。

 

 真壁はすぐには返さなかった。

 

 地図から目を上げ、向かいに座る男を見る。

 

「ある国の話をしよう」

 

「何の話だ」

 

「外国との往来を、長い間強く制限していた国だ」

 

 通商担当官の視線も真壁へ向く。

 

「その間にも、外の世界は変わった」

 

「技術も進んだ」

 

「やがて支配する者たちは、外の技術を欲しがるようになった」

 

 真壁はそこで言葉を切った。

 

「だが、それを持ってくる外国人には近づいてほしくない」

 

 セリムの口元がわずかに固くなる。

 

「欲しい、だが来るなでは子供と変わらん」

 

「随分な言い方だな」

 

「事実は遠慮しても変わらん」

 

 真壁は机上の地図には触れなかった。

 

 今話している国は、この紙のどこにもない。

 

「外との技術差は広がった」

 

「外国からの圧力も強くなった」

 

「国内では、従来の支配層への不満が積もった」

 

「やがて地方の有力者たちが立ち上がった」

 

 セリムが腕を組む。

 

「結局、その政権は滅びた」

 

「外国に滅ぼされたのか」

 

「いや。国内の者たちにだ」

 

 通商担当官が息を置いた。

 

 真壁はその反応を待たずに続ける。

 

「技術を拒んだから滅びた、と言いたいのではない」

 

「世界が変わっているのに、自分たちだけ変わらずに済むと思った。その結果だ」

 

 セリムはしばらく黙っていた。

 

 飛行船を入れなければ、飛行船という技術まで消えるわけではない。

 

 むしろ国外だけで進めば、差は残る。

 

 セリムが組んでいた腕を解いた。

 

 何かを決めたように、地図から真壁へ視線を戻す。

 

 真壁の表情は変わらなかった。

 

 次に来る問いは読めていた。

 

 

 

「ならば、我が国にもその船を売れないか」

 

 セリムは地図ではなく真壁を見ていた。

 

 通商担当官も口を挟まない。

 

「それは断る」

 

 真壁の返答には間がなかった。

 

 セリムの眉が上がる。

 

「外の技術を知れと言ったのは真壁殿だろう」

 

「知ることと、外国軍へ渡すことは別だ」

 

「商船として買う」

 

「大型貨物を運べる船は、人も運べる」

 

 真壁はさきほど自分が答えた内容を、そのまま返した。

 

「兵士も運べる」

 

「外国軍へ軍事転用可能な大型輸送船を供給する」

 

「それを一商会だけで決める気はない」

 

 セリムはすぐに引かなかった。

 

「船体だけでも駄目か」

 

「船だけ渡して終わる品ではない」

 

 真壁は指を折って数えなかった。

 

 必要なものだけを順に口にする。

 

「操縦士がいる」

 

「整備がいる」

 

「魔石も交換部材も係留設備もいる」

 

「運航手順まで含めて、初めて船として動く」

 

 セリムの目が細くなる。

 

「なら技術を教えろ」

 

「それも断る」

 

 また即答だった。

 

「では、レヴァニア軍が持つ最新の軍事技術を、外国商会である私に一式渡していただけますかな?」

 

「渡すわけがない」

 

「同じことだ」

 

 会議室が静かになる。

 

 真壁は椅子へ深く座り直した。

 

「ただし、何も見せんと言っているわけではない」

 

 セリムが視線を戻す。

 

「初回入港は、地上から監察してもらえばよい」

 

「進入、着陸、係留、荷役、検査まで見てもらう」

 

「その後、監察担当者を少人数乗せる」

 

「王都中心部を避けた指定空域で、短い確認飛行をする」

 

 通商担当官が初めて身を乗り出した。

 

「実際の民間運航を、こちらが自分の目で見られるということですか」

 

「そうだ」

 

 真壁は頷いた。

 

「核心技術を渡すことと、通常運航を見せることは別だからな」

 

 セリムはすぐには答えない。

 

 だが、最初の「売れ」から話の位置は確実に動いていた。

 

 

 

「それでも、定期的に外国の飛行船を入れることには慎重にならざるを得ない」

 

 セリムは監察案を退けなかった。

 

 ただ、そこで許可へ進むほど軽くもなかった。

 

「それでもよい」

 

 真壁が言った。

 

 通商担当官が顔を上げる。

 

「よいのですか」

 

「飛行船を拒否する。それは御国の自由だ」

 

 真壁は地図へ手を伸ばした。

 

 指先が王都から北へ動く。

 

 カルダノを越え、その先の火山東街道で止まった。

 

「ならば従来通り、ここを使おう」

 

 セリムの視線も指先を追う。

 

「軍が継続して安全を確保していただけるのであればな」

 

 その一言で、セリムの表情が変わった。

 

「軍は必要な対応をしている」

 

「承知している」

 

 真壁は否定しない。

 

「だから費用がかかる」

 

 街道を使えば商隊が来る。

 

 護衛が要る。

 

 魔物が増えれば討伐が要る。

 

 時間がたてば、また増える可能性もある。

 

「それを続けることになる」

 

 真壁の指は火山東街道から動かない。

 

「費用も、兵の損耗も御国持ちだ」

 

 通商担当官が小さく息を吐いた。

 

「以前、一度大量の食料を買い取ってもらいました」

 

「鉄と銅も入れていただいた」

 

「ですが、国境側の物流そのものが戻ったわけではありません」

 

 真壁は何も言わず、続きを促した。

 

「麦も大麦も豆も、また余り始めています」

 

「鉄と銅は逆に足りなくなってきた」

 

 セリムが地図へ目を落とす。

 

 レヴァニア国内の街道は動いている。

 

 詰まっているのは、その先へ抜ける国境側だった。

 

「空を使わない。それも選択だ」

 

 真壁は手を引く。

 

「ならば地上を維持しなければならん」

 

「空も使わん。地上の安全も維持せん」

 

 真壁は通商担当官を見る。

 

「それでは商人に商売をするなと言っているのと同じではないか」

 

 通商担当官は返事をしなかった。

 

 代わりに、セリムへ視線を向けた。

 

 飛行船を入れる危険だけでは、もう比較できなくなっていた。

 

 

 

 議論が長引き、補佐役がランプの芯を直した。

 

 地図は王都郊外が中央へ来るよう置き直されている。

 

「少なくとも、外国飛行船を王都中心部へ自由に飛ばす形は認められない」

 

 セリムが言った。

 

「私も自由に飛ばす気はない」

 

 真壁の返事に、セリムが一度だけ瞬きをした。

 

「なら、どうする」

 

「入口を一つ作ろう」

 

 真壁は王都中心部から少し離れた地図上へ指を置く。

 

「外国飛行船は、そこへだけ入る」

 

「王都へ直接行かせない」

 

「人も荷もそこで確認する」

 

 通商担当官が地図へ身を寄せた。

 

「そこで積荷検査と関税処理ができます」

 

「荷車へ積み替えれば、国内の街道にも流せる」

 

 セリムも同じ場所を見る。

 

「軍もそこだけを重点的に監視できる」

 

「そういうことだ」

 

 真壁は指を離した。

 

「空の関所にすればよい」

 

 抽象的だった空の話が、一気に土地と役人の話へ戻った。

 

「進入航路はそちらで指定してくれ。着陸地点も1か所でよい」

 

「最初は貴商会の1隻だけだ」

 

「構わん。乗員と積荷も事前に出そう」

 

 通商担当官が続ける。

 

「着陸後はこちらで積荷を検査し、通常の関税をいただきます」

 

「当然だ」

 

「警備も置く。初回は地上から監察する」

 

「荷役と検査のあとなら、監察担当者を乗せてもよい。王都中心部を避けた指定空域を短く飛ぼう」

 

 条件が一つ増えるたび、セリムの顔から「止められない船」という色が薄くなる。

 

 代わりに、「管理する外国船」へ変わっていく。

 

「土地は我が国のものとする」

 

「当然だ」

 

「押入商会には使用権だけを認める」

 

「それでよい」

 

「将来の拡張は今回の結果を見てから再協議だ」

 

「異論はない」

 

 通商担当官が紙へ目を落とす。

 

「まずは1隻分の試験施設ですね」

 

「係留、荷役、検査、警備ができればよい」

 

 真壁は答えた。

 

 セリムが最後に確認する。

 

「候補地をこちらで出す」

 

「現地を見て、問題がなければ1隻分の試験ドック建設を許可する」

 

「それで進めよう」

 

 真壁の返事は早かった。

 

 ようやく飛行船を入れるかどうかの議論が、どこへ入れるかの議論へ変わった。

 

 

 

 王都郊外の候補地へ着いた時には、夜気が地面まで冷やしていた。

 

 住宅の灯りは遠く、主要街道へつなげられる空き地が暗がりの中に広がっている。

 

 進入側には高い建物が少なく、風が枯草を低く倒していた。

 

 土地担当者がランプを掲げる。

 

「使用できるのは、この範囲です」

 

 真壁はまず境界を歩いた。

 

 掘ってよい範囲を聞く。

 

 街道へ荷車を出す位置を聞く。

 

 警備側が視界を確保したい方向も聞く。

 

 セリムは黙ってその様子を見ていた。

 

 真壁は早く作る。

 

 だが、許可されていないところまで早くする気はない。

 

「今日は現地を見て、明日から測量を――」

 

 土地担当者が話し始める。

 

「職人の手配と資材の搬入も必要ですので」

 

 真壁は足元の土を少量取った。

 

 鑑定する。

 

 少し位置を変え、今度は狭い範囲だけ収納で土を抜く。

 

 露出した地層へ目を留める。

 

 空洞はない。

 

 極端に軟らかい層でもない。

 

 地下水も、この位置では問題になりにくい。

 

 真壁は露出した地層をもう一度鑑定した。

 

「ここなら問題ない」

 

 土地担当者が位置を確かめる。

 

「そこなら許可された範囲内です」

 

 セリムが真壁へ向き直った。

 

「1隻分の試験ドック建設を許可する」

 

「では、明日から職人を――」

 

「始めるのは今だ」

 

 土地担当者の声が止まった。

 

 セリムも真壁を見る。

 

「……今?」

 

「許可はいただいた。待つ理由はないではないか」

 

 真壁はもう次の位置へ移っていた。

 

 必要な範囲だけ土を収納する。

 

 出した土は邪魔にならない場所へ分ける。

 

 次に、収納から係留用の基礎部材を出した。

 

 続いてアンカー部材、規格鉄材、規格木材が順に現れる。

 

 靄が消えるたび、何もなかった土地へ材料が増えていく。

 

「資材搬入は……」

 

 土地担当者が言いかける。

 

「終わっている」

 

 真壁は短く答えた。

 

 係留設備を組む。

 

 荷を降ろせる平坦な場所を取る。

 

 積荷を検査する場所と、荷車が寄れる動線を分ける。

 

 役人と警備が待てる小さな場所を置き、最低限の雨除けも組む。

 

 進入側には余計な物を置かない。

 

 最初は質問していた担当者たちが、途中から何も言わなくなった。

 

 

 用意していた部材を、決めた工程で出し、組み、置き、次へ進んでいるだけだ。

 

 その「だけ」が異様に速い。

 

 夜がさらに深くなった頃、真壁は最後の位置を見回した。

 

「これで1隻は入る」

 

 周囲から返事がない。

 

 セリムは完成した試験ドックと、許可範囲の境界を見比べた。

 

 真壁は確かに速かった。

 

 そして、1隻分より先へは1歩も出ていなかった。

 

 

 

 真壁はそのまま帰るつもりだった。

 

 王都へ戻る頃には、試験ドックの話は真壁より先に商人たちへ届いていた。

 

 王都へ戻ったところで、ルネスタに捕まった。

 

「帰る前に寄ってください」

 

「もう夜だぞ」

 

「だからです」

 

 連れて行かれた先には、すでに何人もの商人が集まっていた。

 

 木の卓には麦パンと豆料理、肉、それに酒が並んでいる。

 

 政府の会議室とは違い、声が大きい。

 

 皿も鳴る。

 

 火の暖かさまで、さっきまでの冬の空き地と別世界だった。

 

「とりあえず飲め!」

 

 誰かが真壁の前へ酒器を置く。

 

「まだ何も運んでいないぞ」

 

「運べる場所ができた!」

 

「道筋ができたなら十分だ!」

 

 空路の正式運航が始まったわけではない。

 

 それでも、飛行船を受け入れる条件と場所に目処が立った。

 

 荷が止まっていた商人たちには、それだけで祝い事らしい。

 

 ルネスタは酒を煽らず、卓の端で話を聞いている。

 

 宴会をしたいのではない。

 

 商機が生まれたので、関係する者を集めただけだ。

 

「麦ならある。ありすぎる!」

 

 穀物商がパンを指した。

 

「大麦もだ」

 

「豆も買ってくれ」

 

「食料ばかりでは困る」

 

 反対側から声が飛ぶ。

 

「こっちは鉄だ」

 

「銅も欲しい」

 

 真壁は酒器へ手を伸ばさず、先にそちらを見る。

 

「鉄はまた足りなくなったのか」

 

「あの時は助かった」

 

「だが次が来ない」

 

 別の商人が割り込む。

 

「荷車を回せても、国境を越えるところで高くつくんだ」

 

「高品質ポーションも回せるのか?」

 

「魔石はどうだ。こっちも足りん」

 

 別の卓から声が重なった。

 

「量は戻って確認する。今ここで大口は約束できん」

 

 真壁が答えると、今度は何をどれだけ欲しいのかを商人たちが勝手に競い始めた。

 

「真壁殿、飲まないのか」

 

「話を聞いている」

 

「飲みながら聞け!」

 

 押しつけられた酒器を、真壁はようやく手に取った。

 

 麦を売りたい声、鉄を欲しがる声、ポーションと魔石を求める声が、卓の上でぶつかっている。

 

 空に作ろうとしている道を使いたがる者は、少なくともここには大勢いた。

 

 

 

 酒席が続く中、真壁の目が卓上の酒器で止まった。

 

 透明なだけではない。

 

 薄い色の重なりや、縁の形、表面の研磨に職人の手が見える。

 

「それは上物ですよ」

 

 視線に気づいた商人が言った。

 

「ガラスか」

 

「ええ。王都でも良い工房の品です」

 

 真壁は酒器を持ち上げ、ランプへ透かした。

 

 レヴァニアには透明ガラスを作る技術がある。

 

 しかも、ただ容器を作るだけではなく、工芸品として仕上げる職人がいる。

 

 ならば完成品を持ち込んで競う必要はない。

 

 真壁は収納へ意識を向けた。

 

 掌の上へ靄が広がる。

 

 消えたあとには、透明な粒が少量残った。

 

「こういう材料ならどうだ」

 

 さきほどまで赤い顔で笑っていたガラス関係の商人が止まった。

 

「……見せてくれ」

 

 一粒を取る。

 

 ランプへ透かす。

 

 角度を変える。

 

 もう一粒取る。

 

 酒器は卓へ置かれたままになった。

 

「濁りが少ない」

 

 別の粒と見比べる。

 

「気泡も……ほとんど見えない」

 

「粒も揃っている」

 

 酔った顔から、商人の顔へ戻っていく。

 

「……これを、揃えて作れるのか?」

 

「量は確認する。品質は揃えられる」

 

「完成品ではないのか」

 

「材料だ」

 

 その答えで、逆に食いつきが強くなった。

 

「材料として工房へ入れられるなら話が違う」

 

「炉での扱いを見たい」

 

「試せる量は?」

 

「最初は試験量だ」

 

 真壁はそこで線を引く。

 

「こちらで完成品まで作る必要はないではないか」

 

 ガラス商人が顔を上げる。

 

「御国の職人が作る。その上物を、こちらが買ってもよい」

 

 今度は周囲の商人まで黙った。

 

 外国から完成品を売りつけられる話ではない。

 

 自分たちの職人が使える材料が来る。

 

 真壁は透明な粒を一つ転がした。

 

 押入商会が全部作る必要はない。

 

 腕のある者がいるなら、材料を渡した方が早い。

 

 

 

 透明な粒で空気が変わると、今度は金属関係の商人が真壁へ身を寄せた。

 

「鉄と銅以外はどうなんだ」

 

「何が要る」

 

「何が出せる」

 

 真壁は酒席の勢いに合わせて在庫を約束する気はなかった。

 

 売れると言われれば、まず用途を聞く。

 

「錫は使うか」

 

「使う」

 

 用途を聞き、真壁は次へ進む。

 

「鉛は?」

 

 これも需要はあった。

 

 ただし、真壁は使い道を先に聞いた。

 

 毒性を知っている以上、食器や飲み物に関わる用途へ安易に勧める気はない。

 

「ニッケルはどうだ」

 

 金属商の反応が変わった。

 

「出せるのか」

 

「少量なら出せる」

 

「どれくらい継続できる?」

 

「継続量は戻って確認しよう」

 

 魔石について聞かれても答えは同じだった。

 

 欲しがる者がいることと、大量に売ってよいことは別だ。

 

 料理の皿がほとんど空になる頃には、卓の上に次の商談候補だけが増えていた。

 

 真壁はようやく席を立つ。

 

「今度こそ帰る」

 

「次は荷を持って来てくれ」

 

「条件を確認してからだ」

 

 外へ出ると、酒席の熱気が一気に遠ざかった。

 

 冬の夜風が外套を揺らす。

 

 王都の明かりを背にし、真壁は以前使った安全な地点まで歩いた。

 

 地図で周囲を見る。

 

 人の密集はない。

 

 転移を見られる位置にも誰もいない。

 

 真壁はその場から姿を消した。

 

 帰還後、リュシアと顔を合わせる。

 

 リュシアは真壁を見るなり聞いた。

 

「で、仕入れに行けそうなのかい?」

 

「問題ない」

 

 真壁は外套を脱ぐ。

 

 リュシアが続きを待つ。

 

「ドックも作ってきた」

 

 リュシアの手が止まった。

 

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