押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第291話 迷子になっても安心です

 

 暖房の低い作動音が、六畳間の隅で続いていた。

 

 窓の近くにはまだ冬の冷気が残っている。ミニテーブルの上には理央のノートと筆記具、その横には使い終わった彫金道具がまとめて置かれていた。

 

 理央は座布団の上で膝を抱え、澪が自分を鑑定するのを待っている。

 

「……あれ?」

 

「何か変ですか?」

 

 澪は表示を一度閉じかけて、もう一度開いた。

 

「並行思考、Lv3になってます」

 

「え?」

 

 理央がすぐに身を乗り出した。

 

「この前、Lv2でしたよね?」

 

「はい。私もそう覚えてます」

 

 共鳴Lv1、収納Lv8、鑑定Lv7、錬金Lv3、地図Lv1。作文はLv6、彫金はLv5。その数字は変わっていない。

 

 変わっていたのは、並行思考だけだった。

 

 澪が顔を上げると、理央は少し考えてから視線を泳がせた。

 

「……アニメ見ながら原稿書いてました」

 

「はい」

 

「資料を開きながら、次の文章考えたりも」

 

「はい」

 

「あと、地図を意識したまま収納から物を探したり」

 

「それですね」

 

「訓練したつもりはないんですけど」

 

「使ってはいますから」

 

 理央は納得したような、していないような顔でスマホを見た。

 

「アニメ見てただけでも育つんだ……」

 

「並行して考えていたなら、そうなんでしょうね」

 

 澪は表示を見ながら、少しだけ考えた。

 

 教えた時より、自分で便利だと思って使っている時の方が早い。

 

 理央は作家だ。文章を考えながら資料を探す。別のことを頭の隅へ置いたまま、目の前の文章を進める。並行思考は、わざわざ訓練時間を作らなくても日常へ入り込んでいた。

 

「本人が使いたいものは、放っておいても使いますね」

 

「放っておかれてたんですか、私」

 

「そういう意味ではないです」

 

 澪は慌てて否定し、表示の別の場所へ目を移した。

 

「未使用SPは3です」

 

「まだ残ってます」

 

「今回は、1人になった時に困らない方を先にしましょう」

 

「1人になった時?」

 

 理央の眉が動く。

 

 澪は言葉を選んだが、結局ごまかさなかった。

 

「前みたいに、異世界で1人になった時です」

 

「そこ、まだ言います?」

 

「大事なので」

 

「……はい」

 

 理央の返事が少しだけ小さくなる。

 

 押し入れを越えた先で、帰り道が分からなくなった時間は、本人にとって冗談だけでは済まない。

 

 澪はノートを理央の方へ向けた。

 

「まず転移です」

 

「それは分かります」

 

 返事が早かった。

 

「帰るためですよね」

 

「はい。使える場所には条件がありますけど、登録した場所へ戻れるようになります」

 

 理央は迷わず頷いた。

 

 〖SPを1消費しました〗

 〖転移 Lv1〗

 

 残り2。

 

「次が重力です」

 

「急に物騒じゃないですか?」

 

「落ちた時に身体を軽くできます。普段は少し重くして、身体を鍛えることもできます」

 

「そっちなんだ」

 

「押さえつける使い方だけではないです」

 

 理央はノートの文字をしばらく見てから、自分で決めた。

 

「じゃあ、取ります」

 

 〖SPを1消費しました〗

 〖重力 Lv1〗

 

「最後が雷です」

 

「最後だけ説明がなくても分かる気がする」

 

「自衛です」

 

「ですよね」

 

 理央は一度、自分の手を見た。

 

 17歳の手だった。銀線を曲げ、キーボードを打ち、原稿を書く手だ。

 

 それでも、向こうで何か起きた時に澪が必ず隣にいるとは限らない。

 

「……取ります」

 

 今度の声には迷いがなかった。

 

 〖SPを1消費しました〗

 〖雷 Lv1〗

 

「これで0です」

 

「きれいになくなりましたね」

 

「また上がれば増えますよ」

 

「その言い方、また何かやらされる感じがするんですけど」

 

 澪は答えず、ノートを閉じた。

 

「では、実際に使ってみましょう」

 

「やっぱり」

 

 理央はそう言いながらも、もうマフラーへ手を伸ばしていた。

 

 

 

 押し入れを抜けた途端、理央は肩をすくめた。

 

「寒っ」

 

 六畳間の暖房から出た直後だけに、異世界側の空気は余計に冷たく感じる。吐いた息が白くなり、靴の下では乾いた地面が硬い音を返した。

 

 理央は振り返る。

 

 何度も通っている入口だった。

 

「最初は転移ですね」

 

 澪が言うと、理央はすぐ入口を指した。

 

「六畳間を登録すればいいんですよね?」

 

「そこはできません」

 

「え」

 

「転移だけでゲンダイとこちらを越えることはできないんです」

 

 理央の指が止まった。

 

「じゃあ、帰れない?」

 

「ここへ戻ればいいんです」

 

 澪が異世界側の入口を示した。

 

「異世界の中からここへ転移して、押し入れを通って江古田へ帰る。それならできます」

 

「ああ」

 

 理央の顔から力が抜ける。

 

「そういうことか」

 

 転移Lv1で登録できる場所は1か所だけ。

 

 澪が説明を終える前から、理央は入口と周囲を見比べていた。

 

 道の位置。建物の向き。人が通る場所。自分の地図に残っている線。

 

「ここでいいんですよね?」

 

「はい。ただ、誰かが立っている場所へいきなり出るのは危ないので、周りも見ておいてください」

 

「地図も使うんだ」

 

「使えるものは使いましょう」

 

 理央は目を閉じず、入口を見たまま意識を集中した。

 

 触れるものはない。それでも、ここを戻る場所にすると決めた瞬間、感覚の中に一点だけ印が残った。

 

 〖転移拠点を登録しました〗

 

「……入りました」

 

「では、一度離れます」

 

「いきなりですか?」

 

「使わないと分かりませんから」

 

「澪さん、そういうところ真壁さんに似てきてません?」

 

「似てません」

 

 返事だけは早かった。

 

 澪が入口の近くに残り、理央は道を歩いて離れた。

 

 何度も振り返りたくなったが、途中から地図へ意識を向ける。自分が歩いた線は残っている。戻る方向も分かる。

 

 以前は、それすらなかった。

 

 石造りの町で、子どもの声を追って歩き、どちらから来たのか分からなくなった時の感覚が一瞬だけ戻る。

 

 理央は足を止めた。

 

 今は違う。

 

 頭の中には地図があり、その上とは別に、転移で登録した場所がはっきり分かる。

 

「戻る」

 

 そう決めた。

 

 視界が切り替わる。

 

「うわっ」

 

 理央の靴が、さっきまで見ていた入口の前で地面を踏んだ。

 

 すぐ横に澪がいる。

 

「成功です」

 

「ほんとに戻った」

 

 理央は思わず入口へ手を伸ばした。

 

 板の感触も、向こうに六畳間があることも、何も変わっていない。

 

 なのに、さっきまでとは意味が違って見えた。

 

「もう1回やっていいですか?」

 

「もちろんです」

 

 今度は少し落ち着いて離れた。

 

 地図で周囲を見て、登録地点に人が重なっていないことを意識する。そこから転移。

 

 2回目は声も出なかった。

 

 戻った理央は、入口と澪を交互に見てから口元を緩めた。

 

「これで迷子になっても安心です」

 

「迷わないのが一番ですけどね」

 

「それはそうです」

 

 理央は笑った。

 

 以前は、誰かに見つけてもらわなければ帰れなかった。

 

 今は、自分で戻る場所がある。

 

 

 

 入口から離れた平坦な場所で、理央は両足を肩幅に開いた。

 

 冬の風がコートの裾を揺らしている。

 

「次は重力です」

 

「何すればいいですか?」

 

「まず1.1Gにしてみましょう」

 

「1.1?」

 

 理央は数字を聞いて、少しだけ気が抜けた顔をした。

 

「誤差みたいですね」

 

「やってみれば分かります」

 

 澪に言われ、理央は自分へかかる重さを意識した。

 

 強くする。

 

 ほんの少しだけ。

 

「……あ」

 

 立っているだけなのに、靴底が地面へ押しつけられる感じが増した。

 

 理央が片足を上げる。

 

「重い」

 

「全部が1割増しですから」

 

「1割って、こんなに分かるんですか?」

 

「手だけじゃなくて身体全部です」

 

 理央は数歩歩いた。

 

 最初の2、3歩は普通に見えたが、すぐに歩幅が少し狭くなる。膝を曲げると、立ち上がる時の脚の感覚も違った。

 

「筋トレの重り持ってないのに、ずっと重り持ってるみたい」

 

「無理に強くしなくても、それを続ければ訓練になります」

 

「ずっと?」

 

「疲れない範囲でです」

 

「先にそれ言ってください」

 

 澪は笑いそうになって、口元を押さえた。

 

 理央はもう一度歩く。

 

 数字だけなら小さい。それでも、日常の動き全部へ同じ負荷が乗るなら話が変わる。

 

「これなら、普段でも使えそう」

 

「そうですね」

 

「原稿書いてる時は?」

 

「座っていたら効果は小さいんじゃないですか」

 

「ですよね」

 

 少し残念そうだった。

 

「では、一度戻して。次は軽くしてみましょう」

 

 身体へかけていた重さを元へ戻す。

 

 それだけで理央の肩が少し上がった。

 

「軽い……普通なのに」

 

「今度は、その普通より軽くします」

 

 理央が慎重に重力を弱める。

 

「このくらい?」

 

「そのまま軽く跳んでみてください」

 

 理央が膝を曲げた。

 

 いつものつもりで地面を蹴る。

 

「わっ」

 

 身体が思ったより高く浮いた。

 

 大きく跳んだわけではない。それでも、本人が予想した位置より明らかに上だ。

 

 着地の直前、理央は慌てて脚を固くしたが、重さが軽いぶん衝撃も小さい。

 

「怖っ」

 

「いきなり強く軽くしない方がいいですね」

 

「それ、跳ぶ前に言うやつじゃないですか?」

 

「今ので分かりました」

 

「実験だった」

 

 理央は澪を見たが、本気で怒ってはいない。

 

 近くの低い段差でも試した。

 

 上がる時は軽くなる。降りる時も、身体へ来る衝撃を減らせる。

 

「落ちた時にも使えますね」

 

「完全に止まれるわけではないです。でも、軽くできるだけでも違います」

 

 理央は足元を見た。

 

 転移は帰るため。

 

 重力は、転んだり落ちたりした時にも使える。

 

 最初に名前を見た時より、ずっと身近な技能になっていた。

 

「じゃあ、池へ行く間は1.1G?」

 

「疲れたらすぐ戻してください」

 

「はい」

 

 理央は自分へ少しだけ重さを戻した。

 

 歩き出した足音が、さっきよりわずかに重くなった。

 

 

 

 灌漑用の管理池には、細かな波が立っていた。

 

 冬の日差しは低く、水面だけが白く光っている。岸には枯れた草が倒れ、湿った土の匂いが冷たい風に混じっていた。

 

 周囲には農地と水路が続いている。

 

「雷の練習で池って聞いた時から、嫌な予感してたんですけど」

 

 理央が水面を見たまま言った。

 

「リュシアさんから、ここでもビッグバスが増えているって聞きました」

 

「やっぱり魚なんだ」

 

「小魚が減り始めているそうです。駆除して構わないと」

 

「訓練ついでに?」

 

「無駄にならない方がいいですから」

 

「澪さん、そういうとこですよね」

 

 何が、と聞く前に理央は池へ向き直った。

 

 水面を見ても魚は見えない。

 

 風でできた波紋ばかりで、どこへ雷を使えばいいのか分からなかった。

 

「どこにいるか分かんないんですけど」

 

「地図を使ってみてください」

 

「魚も出るんですか?」

 

「名前までは分からないと思います。動いている反応を探してみましょう」

 

 理央は岸から少し離れた場所に立ち、地図へ意識を向けた。

 

 自分が来た道。池の縁。水路。

 

 そこまでは分かる。

 

 さらに、水の中へ意識を広げる。

 

「……ん?」

 

 地図の中で、小さな反応が動いた。

 

 止まる。

 

 また動く。

 

 別の位置にもある。

 

「います」

 

「ビッグバスですか?」

 

「そこまでは分かんないです」

 

「では、地図は位置までですね」

 

 理央は水面と地図を交互に意識した。

 

 反応の一つが岸寄りへ動いてくる。

 

 少し遅れて、水面に小さな波紋が浮いた。

 

「あれ?」

 

「見えました?」

 

「たぶん」

 

 理央が目を細める。

 

 一瞬だけ、黒っぽい魚影が水面近くを横切った。

 

 すぐに鑑定を向ける。

 

「ビッグバスです」

 

「地図で探して、鑑定で種類を確かめる。これなら狙う相手を間違えにくいですね」

 

「地図、道だけじゃないんだ」

 

 理央の声が少し変わった。

 

 江古田では家族のいる方向や、自分が通った道を気にして使っていた。

 

 今は、見えない水の中にいるものを探している。

 

「次、どうします?」

 

 理央が右手を上げた。

 

 指先には何も見えない。

 

 それでも、意識はもう雷へ向いていた。

 

「まず弱く試しましょう」

 

「はい」

 

 理央は地図の反応を追いながら、水面近くへ戻ってきた魚を待った。

 

 

 

 最初の雷は、弱かった。

 

 水面が小さく震え、魚の反応が一度だけ乱れた。それでも、ビッグバスはそのまま向きを変えて逃げていく。

 

「あ、逃げた」

 

「効いてはいます」

 

「でも全然浮いてこないです」

 

「今の感覚を覚えて、少しだけ変えてみてください」

 

 理央は自分の手を見た。

 

 雷を出した感触だけが、まだ指先に残っているような気がする。

 

 地図へ意識を戻す。

 

 次の反応。

 

 今度は岸から近い。

 

「来ます」

 

 水面に魚影が見えた瞬間、理央はもう一度雷を使った。

 

 小さな光が走る。

 

 水面が揺れ、大きな魚体が横向きに浮いた。

 

「うわ」

 

 驚いたのは理央自身だった。

 

「浮いた」

 

「近づけられますか?」

 

 理央は岸際へ寄った魚へ手を伸ばしかけ、止まった。

 

 思っていたより大きい。

 

「これ、重いですよね?」

 

「重力を使ってみてください」

 

「あ」

 

 さっき自分の身体を軽くした時と同じだ。

 

 理央は魚へかかる重さを弱める。

 

 両手で持ち上げた瞬間、目が丸くなった。

 

「軽っ」

 

「落とさないでくださいね」

 

「はい」

 

 岸へ上げると、魚体が一度跳ねた。

 

 まだ生きている。

 

 理央の顔が固くなる。

 

「鑑定してみてください」

 

 言われる前から、もう意識は切り替わっていた。

 

「……生きてます」

 

「食用にするなら、ここで〆ます」

 

「私が?」

 

「理央さんが駆除した魚ですから」

 

 理央は魚と澪を見比べた。

 

「そういうとこだけ急に厳しくないですか」

 

「最後までやった方がいいと思います」

 

「……分かりました」

 

 澪にやり方を教わり、理央は最初の1匹を手早く処理した。

 

 終わると、息を吐く。

 

「これでいいですか?」

 

「はい」

 

 理央が収納を使う。

 

 薄い靄が魚を包み、その姿が消えた。

 

「1匹で何個使ったんだろ」

 

 理央は指を折り始めた。

 

「地図、鑑定、雷、重力、収納……」

 

「並行思考も使ってますね」

 

「増えた」

 

 次の反応を探しながら、理央は苦笑した。

 

 2匹目は、最初より早かった。

 

 地図で動きを追い、目で魚影を探す。鑑定でビッグバスと分かれば、雷へ切り替える。

 

 浮いたら重力を軽くして岸へ上げる。

 

 状態を確かめ、自分で処理し、収納する。

 

 最初は一つ終わるたびに澪を見ていた。

 

 何度か繰り返すうちに、その回数が減った。

 

「次、右の方にいます」

 

「見えてます?」

 

「まだ。地図だけです」

 

 答えながら、理央は別の反応も頭の隅に置いている。

 

 目の前の1匹へ雷を使っている間も、次に動いている魚の位置が消えない。

 

 魚を岸へ寄せた時には、もう次の反応がどちらへ進んだか分かっていた。

 

「……これ、並行思考ないと忙しいですね」

 

「便利でしょう?」

 

「便利っていうか、使う技能増やしたの澪さんですよね?」

 

「理央さんが重力を使ったんですよ」

 

「そうでした」

 

 言い返せなくなり、理央は魚を収納した。

 

 その直後、視界に表示が重なった。

 

 〖作家見習い Lv5→Lv6〗

 

 続いて、もう1つ表示が重なった。

 

 〖共鳴 Lv1→Lv2〗

 

「共鳴も?」

 

「上がってますね」

 

「え?」

 

「どうしました?」

 

「作家見習い、上がったんですけど」

 

「おめでとうございます」

 

「魚で?」

 

 理央は本気で納得していない顔をした。

 

「経験は経験なんじゃないでしょうか」

 

「作家の経験ではないですよね?」

 

 澪にも答えはなかった。

 

 それでも訓練は続いた。

 

 雷は少しずつ扱いやすくなり、重力へ切り替える間も短くなる。

 

 地図では、最初なら見失っていた反応を追い続けられるようになった。

 

 鑑定で魚を見れば、確認にかかる時間も短い。

 

 靄が魚を収納するたび、理央の袖には水滴が増え、靴の周りには泥がついた。

 

 冬の池なのに、本人の額には少し汗が浮いている。

 

「次、います」

 

 もう澪に言われる前だった。

 

 地図で探す。

 

 魚影を見つける。

 

 鑑定する。

 

 雷を使う。

 

 浮いた魚の重さを軽くする。

 

 回収し、自分で処理して収納する。

 

 一つずつだった作業が、途中から一本につながっていた。

 

 何度かレベル上昇の表示が重なったが、理央はそのたびに手を止めなくなった。

 

「後で見ます」

 

 そう言って、次の魚影を追う。

 

 最後の1匹を収納した時には、池の手前側にあった大きな反応はほとんど消えていた。

 

 理央はようやく両手を下ろした。

 

「……疲れた」

 

 その一言だけは、最初から最後までまったく成長していなかった。

 

 

 

 作業を止めた途端、冬の風が冷たくなった。

 

「寒い」

 

 理央は濡れた袖を見てから、今さら気づいたように肩をすくめた。

 

 岸には踏み荒らした泥が残り、水面は少しずつ元の静けさへ戻っている。

 

「さっきまで平気だったのに」

 

「動いてましたからね」

 

「脚も重いです」

 

「1.1Gも使ってましたし」

 

「あ」

 

 理央は慌てて重力を通常へ戻した。

 

「忘れてた……」

 

「それだけ自然に使ってたということでしょう」

 

「いい話みたいにしないでください」

 

 言いながらも、理央はその場へしゃがみ込みかけ、結局岸の乾いた場所に腰を下ろした。

 

「最後に見てみますか?」

 

「見ます」

 

 返事だけは元気だった。

 

 理央は自分へ鑑定を使った。

 

 以前なら澪の顔を見て、結果を教えてもらうのを待っていた。

 

 今は、自分で開いた表示を自分で追っていく。

 

──────────────────────────────────

飯島理央

分類:人間/異界渡航者

現在ジョブ:作家見習い

レベル:10

前職:箱入り娘 Lv5

状態:訓練終了/疲労

疲労度:64%

身体異常:なし

──────────────────────────────────

基礎能力値

体力:45

筋力:32

器用:84

知力:92

判断:80

精神:75

集中:99

──────────────────────────────────

未使用SP

13

──────────────────────────────────

取得スキル

共鳴:2

鑑定:9

収納:9

錬金:4

並行思考:6

地図:5

転移:4

重力:5

雷:6

──────────────────────────────────

技能

作文:10

彫金:6

──────────────────────────────────

成長傾向

商才:芽あり(+)

薬学:芽あり(+)

防衛用収納展開:芽あり(+)

射撃:芽あり(+)

火:芽あり(+)

収納内時間停止:芽あり(+)

統率個体識別:芽あり(+)

移動加速:芽あり(+)

醸造:芽あり(+)

──────────────────────────────────

加護

成長促進

見守り

──────────────────────────────────

 

 理央はしばらく黙っていた。

 

「……10?」

 

「Lv10ですね」

 

「朝、5でしたよね?」

 

「5でした」

 

「魚、10匹くらいですよね?」

 

「そのくらいですね」

 

 理央は表示をもう一度上から見直した。

 

「これ、次は作家にジョブチェンジできたりします?」

 

「候補に出るかは、司祭様に見てもらわないと分からないですね」

 

「作家、あるといいなあ」

 

 今度は未使用SPで目が止まる。

 

「13?」

 

 理央が顔を上げた。

 

「朝、0にしましたよね?」

 

「Lv6から9までで2ずつ。Lv10で5増えています」

 

 理央が指で数える。

 

「2、4、6、8……そこに5で13」

 

「はい」

 

「急に増えすぎじゃないですか?」

 

「使うのは今日はやめておきましょう」

 

「それは私もそう思います」

 

 理央は素直に頷いた。

 

 次に視線が止まったのは、作文だった。

 

「作文10」

 

 声が少し高くなる。

 

「そこが一番嬉しいんですか?」

 

「だって10ですよ?」

 

「魚を処理してましたけどね」

 

「それ言わないでください。自分でも今思いました」

 

 理央は表示を下へ動かす。

 

「並行思考6……」

 

 こちらも反応が大きい。

 

「3だったのに」

 

「今日はずっと複数の技能を切り替えてましたから」

 

「これ、小説書く時にかなり使えそう」

 

「雷より先にそっちなんですね」

 

「雷で原稿は書けないですから」

 

「それはそうです」

 

 澪も否定できなかった。

 

 理央はさらに見ていく。

 

「転移4……あんまり使ってないですよね?」

 

「使った回数だけで上がるわけではないですから」

 

「帰りたいって思ったから?」

 

 理央が先に言った。

 

 澪は少しだけ目を見開いた。

 

「その影響はあるかもしれません」

 

 理央はそこで笑わなかった。

 

 以前、本当に帰れなかった時間を知っている。

 

 転移は面白いから取った技能ではない。

 

 その横では、重力がLv5、雷がLv6、地図がLv5まで伸びている。何度も使ったものほど大きく上がり、もともと高かった鑑定と収納は、それぞれLv9で止まっていた。

 

 錬金はLv4、彫金はLv6。

 

 理央は全部を見終えてから、ようやく息を吐いた。

 

「強くなった気はするんですけど」

 

「はい」

 

「疲労度64%なんですよね」

 

「能力が上がっても、疲れた分まで消えませんよ」

 

「そこはゲームみたいに回復しないんだ」

 

 立とうとして、理央は一度膝へ手をついた。

 

「ほんとに疲れてる」

 

「今日はここまでです」

 

「賛成です」

 

 理央は立ち上がると、最後に地図へ意識を向けた。

 

 池まで来た道が残っている。

 

 その先とは別に、転移で登録した場所が一つだけ、はっきり分かる。

 

 六畳間そのものではない。

 

 けれど、そこまで戻れば押し入れを通って江古田へ帰れる。

 

「帰る場所、ちゃんとありますね」

 

「はい」

 

 冷たい風が水面を渡った。

 

 理央はマフラーを巻き直し、もう一度だけ登録地点を意識した。

 

 今度は、誰かに見つけてもらうための場所ではなかった。

 

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