転移を終えると、前日の夕方に見た街道と農地が、冬の朝日の中に現れた。
日の位置が変わっただけで、昨日登録した場所に間違いない。街道の向こうには葡萄畑が続き、低い石垣の上には白い霜が残っている。
つい先ほどまで、3人は江古田で澪の朝食をとっていた。理央は帽子とマフラーを収納から出し、澪と一緒に防寒を確かめた。玄関から外へ出るのではなく、六畳間から外国の街道脇へ戻る。昨日と同じ運用でも、改めて考えると奇妙な通学や通勤のようだった。
吐いた息が白くなる。ゲンダイの部屋に残してきた暖かさは、一呼吸の間に冬の空気へ奪われた。
真壁はすぐに周囲を見渡し、地図も確かめた。近くに人影はない。東側の街道を荷馬車が一台進んでいるが、こちらとは十分に離れていた。
「今日は準備してきましたね」
澪が理央の首元を見た。
理央は昨日より厚くマフラーを巻き、耳まで覆う帽子をかぶっている。外套の襟元もしっかり閉じ、手袋の口は袖の中へ入れていた。
「昨日で学びました」
「私も人のこと言えませんけど」
澪も首元に布を重ね、昨日より風が入りにくい服装になっている。
真壁は2人を見て、小さく頗いた。
「それは結構」
薄い靄が広がり、3頭の自動馬が現れた。
理央は迷わず、昨日一日乗った個体へ歩み寄った。足を置き、持ち手へ軽く手を添えて、一息で鞍へ上がる。
昨日は足の位置を確かめ、上体を何度も揺らしていた。今日は自動馬が姿勢を補正する前に、理央の腰が鞍の中心へ収まった。
「準備できました」
理央にとって、もう初めての乗り物ではない。
自動馬も、理央が昨日選んだ速度と停止の感覚をそのまま使える。理央が軽く進行を指示すると、地面を確かめるように一歩だけ前へ出て、また止まった。
「うん。昨日と同じです」
理央は自動馬の背を軽く叩いた。呼吸も体温もない機械だが、1日乗ったことで、個体の違いがあるような親しみを感じ始めていた。
澪と真壁もそれぞれ乗り、3頭は朝の街道へ出た。
目指すのは西。アルヴェラ方面である。
3頭が街道へ並ぶと、理央の変化はすぐに分かった。
発進する直前に上体をわずかに前へ預け、速度が乗ると腰を戻す。自動馬が緩やかに減速すれば、理央の体も同じリズムで起きた。
昨日の朝は、発進のたびに肩が後ろへ残っていた。止まれば持ち手を握り、前へ投げ出されそうな体を支えていた。
今は手へ力が入っていない。
対向から荷馬車が現れると、理央は早めに速度を落とした。輪轍の深い場所を避け、荷馬車が通れる幅を残して街道の端へ寄る。
御者が軽く手を上げた。
理央も片手を上げて返す。その間も鞍の上で姿勢を崩さなかった。
荷馬車の馬が自動馬を気にして首を向けた。理央は焦って大きく避けず、一定の距離を保ったまま待つ。御者の声で馬が前へ進み、すれ違いが終わってから街道の中へ戻った。
ハンドルを切るような大きな操作はしていない。行きたい位置を見、体の向きと短い指示で自動馬を動かしていた。
「昨日と全然違いますね」
澪が言うと、理央はうれしそうに笑った。
「Lv3になりましたから」
「技能だけではない。1日乗った経験もある」
真壁は理央の左後ろを進みながら言った。
「でも、レベルが上がってから、馬の動きがすごく分かりやすいです」
「両方でしょうね」
澪は前方の街道と、その先に広がる葡萄畑を見た。
昨日と同じように枝は葉を落とし、低い石垣が畑を区切っている。農家の煙突から煙が上がり、牧草地の向こうで家畜が群れていた。
ただし、ここは昨日の場所よりさらに西である。
街道を進む商隊を見つけると、3人の視線は荷物だけでなく、その前後に付く護衛へも向いた。
槍、弓、剣。人数と立ち位置。
昨日見た壊れた荷馬車と、荷を失った商人の顔を、3人とも覚えていた。
警戒はする。だが、盗賊を探しに来たわけではない。
理央は自分で速度を調整しながら、左右の畑と街道を行く人、その両方を見ていた。
人家の前を通る時には速度を落とし、子供が自動馬を指させば、笑って手を振り返す。そのすぐ後には、林の切れ目や荷馬車の後方へ目を向けた。
昨日の終わりに知った危険と、この国を見る楽しさは、どちらか一方だけにはならなかった。
街道は緩い上りになり、低い丘の端を回り込むように西へ曲がっていた。
右手には冬枯れの林。左手には葡萄畑が広がり、その奥に石造りの家が数軒見える。
3頭の足音と、枝を揺らす風の音が続いていた。
理央がふと顔を上げた。
どこかで馬が鳴いた。
街道では珍しくない音だと思ったが、その声は高く、途中で引き裂かれたように終わった。
自動馬が数歩進む。
カンッ。
今度は硬い音がした。
3人は誰も話さず、次の音を待った。
農作業なら、道具が石へ当たることもある。荷馬車なら、金具が軸とぶつかる音もする。しかし、先ほどの音には、輪の回転に合わせた規則性がなかった。
続けて、ガキンッと金属がぶつかる。怒鳴り声と、何を言っているのか分からない叫び声が風に混じった。
「……何か聞こえません?」
理央が声を落とした。
「聞こえます」
澪も前方を見る。
真壁は自動馬を止めた。澪と理央の2頭も、ほぼ同時に停止する。
地図の先、街道が曲がった向こうに、複数の人間が集まっていた。離れた場所に人が多いというだけで、地図が敵と味方を教えてくれるわけではない。
再び馬が嘶く。
「行ってみよう。ただし、このまま入らない」
真壁は自動馬の速度を歩く程度まで落とした。
林のそばは地面がわずかに低く、街道の曲がり角まで近づかなければ、その先を見通せない。真壁は街道の中央を避け、丘側に身を寄せるように進んだ。
澪と理央も、言われる前に同じ側へ寄る。自動馬の足音は小さくなったが、曲がり角の向こうから来る音は逆にはっきりと聞こえるようになった。
3人は互いの距離を詰め、街道の端を進む。
硬い音が続いている。
昨日、食堂で聞いた話が戻ってきた。商隊を襲う盗賊。荷を失った商人。裂けた幌。
しかし今日は、すべてが終わった後ではなかった。
丘の曲がり角を越えると、街道の先が見えた。
馬車は5台あった。
2台は街道を塞ぐように斜めに止まり、別の1台は片輪が道の端へ落ちかけている。繋がれた馬が首を振り、白い息を激しく吐いていた。
馬車の周囲で、武装した者たちが戦っている。
街道の右手には、空の荷箱が散らばっていた。載せていた荷が落ちたのか、護衛が防壁代わりに下ろしたのかは分からない。布の包みが一つ踏みつけられ、中身が土の上へこぼれていた。
幌の一部に矢が刺さった馬車もある。弓を持つ襲撃者は少し離れた場所に立ち、護衛が馬車の陰から出れないよう矢を向けていた。
旅人を装う粗末な外套や、色の揃っていない革鎧を身につけた者たちが、外側から馬車へ押し寄せていた。
それを防いでいる者たちの装備は揃っている。それでも人数に差があった。馬車と負傷者を背にし、何度も押し込まれている。
槍の穂先が外套を裂いた。剣を受けた護衛が、よろめきながらも踏みとどまる。
地面に倒れた者がいた。手で脇腹を押さえ、起き上がろうとしている。そのすぐ前で、別の護衛が剣を受け止めていた。
理央は息を詰めた。
昨日見た商人は、襲われた後だった。今、目の前では本物の剣が人に向けられ、止めなければ次の一撃が振り下ろされる。
「人が襲われてます」
澪の声は低かった。
真壁は答えず、全体を見た。
馬車側は、負傷者を内側へ退かせ、馬車の間へ入れようとしている。外側の武装集団はその護衛を排し、馬車へ近づこうとしていた。
どちらが攻めているのか、考え込む必要はなかった。
その時、馬車側の護衛が一人、剣で打たれて膝をついた。
外側の男が、その肩越しに馬車へ踏み込む。
見ていれば、死人が増える。
真壁は襲撃者の数、弓を持つ者、馬車までの距離を見た。澪は馬車側面の林と、そこへ回り込もうとする人影を確かめる。理央はその2人を見ながら、手袋の中で手を握った。
どちらも、敵の正確な数を数え終わるまで待つつもりはなかった。
馬車はすべて同じように守られているわけではなかった。
中央の1台だけ、護衛の層が厚い。周囲が押されている中でも、3人が馬車の扉から離れず、他の護衛も空いた場所を埋めようとしていた。
襲撃者も、その1台へ集まっている。
護衛の一人が前へ出た瞬間、馬車の扉がわずかに開いた。
その隙間から、旅装の外套を羽織った若い女性の姿が一瞬だけ見えた。すぐに別の護衛が馬車の前へ入り、その姿を隠す。
周囲の者が、その女性を守るために動いていることは分かった。
理央は緊張した顔のまま、小さく言った。
「……これはお約束の展開ですね」
澪が理央を見る。
「作家として言ってみたかったんでしょ?」
理央は一瞬だけ視線を逸らした。
「……ちょっと」
外国へ旅に出る。街道で襲撃に遭う。特別に守られている若い女性がいる。
小説なら、姫や貴族令嬢が出てきそうな構図だった。理央も本気で王女だと思ったわけではない。
ただ、書く側の頭が勝手に次の展開を並べた。服装は旅装で身分を隠し、護衛の態度だけで特別な人物だと読者に気づかせる。大事な場面なら、むしろありがちな導入である。
その考えが口から出たのは、理央自身も緊張を少しだけ逃がしたかったからかもしれない。
その馬車のすぐ前で、護衛が襲撃者の剣を受けた。斧を持った別の男が、馬車の側面へ回ろうとする。
「話は後だ」
真壁の声で、2人の視線が戦場へ戻った。
作家のお約束を笑っていられる時間は、そこまでだった。
膝をついた護衛の前へ、襲撃者の剣が上がった。
「助けますよね」
澪の確認に、真壁は短く答えた。
「ああ」
3頭の自動馬が街道脇へ寄り、ほぼ同時に低くなった。
理央は馬が止まる前から足を外し始め、動きが収まるとすぐに降りた。昨日の朝なら、足元を見ながら恐る恐る地面を探していたはずだった。
真壁が手を向ける。
薄い靄が3頭を包み、その姿を消した。
降りた場所は襲撃現場から少し離れている。それでも、剣がぶつかるたびに高い音がし、地面から足の裏へ震動が伝わってくる。馬の嘶きは近く、人の怒鳴り声と重なっていた。
「理央君は馬車側に入る。防衛用収納展開を優先し、前へ出ないこと」
「はい」
理央は即座に返事をした。声はわずかに硬い。
「澪君は理央君と馬車を守る。抜けてくる者を止めてくれ」
「分かりました」
真壁は左右の林と、馬車の周囲、護衛と襲撃者の位置をもう一度見た。
「行くぞ」
3人は街道を駆けた。
真壁が先行し、澪が少し後ろを走る。理央は2人の背中を見ながら、馬車側の空いた場所へ向かった。
射撃も火も持っている。だが、今日それを使うようには言われていない。
昨日から、理央の役目は決まっていた。
前日、真壁から言われた時は、万一のための確認に聞こえていた。理央も分かっていると答え、それで終わっていた。
今は、その言葉が一つずつ必要になっている。
自分を守る。馬車の中にいる人を守る。追わない。前へ出ない。
怖さが消えたわけではない。
それでも、何をすればよいのかは分かっていた。
真壁たちが現れたことに、馬車側も襲撃者側もすぐには反応できなかった。
街道の東から、見慣れない服装の3人が走ってくる。どちらの仲間にも見えない。
その迷いの間に、理央は特に厚く守られていた馬車まで辿り着いた。馬車の扉と自分の間に立つのではなく、護衛の内側で周囲を見る。
弓弦の音が重なった。
街道脇にいた弓兵たちが、護衛の厚い馬車へ矢を放った。
一本、二本ではない。黒い矢尻が、冬の空を斜めに横切ってくる。
理央は両手を広げた。
薄い靄が馬車の前へ広がる。
最初の矢がその範囲へ入った瞬間、空中から消えた。
次の矢も消える。
その後ろの矢も、馬車の幌や護衛の背中へ届く前に、薄い靄へ触れて収納された。
地面へ落ちたわけではない。折れて弾かれたわけでもない。
弓兵たちから見れば、放った矢が馬車の直前で次々と消えている。
「何だ、あれは!」
一人が声を上げた。
弓兵が射る場所を変え、馬車の側面を狙う。
理央は前へ出ない。自分の位置はそのままに、展開範囲だけを矢の進路へ合わせた。
横から飛んできた矢が、護衛の肩へ届く直前で消える。矢尻がそこにあった痕跡さえ残らない。
理央の呼吸は速かった。本物の矢が自分の視界へ向かってくるたびに、肩が反応する。
それでも、矢は一本も馬車へ届かない。
理央は射撃を使わず、火も放たない。弓兵を倒すために前へも出なかった。
飛んでくる攻撃を収納し、馬車と人間へ届かせない。
昨日、真壁と決めた役割を、理央は守っていた。
理央が矢を収納しても、前方からはさらに多くの襲撃者が押し寄せていた。
護衛は馬車の間へ負傷者を退かせた分、前の人数が足りない。槍を受け止めた護衛の横から、二人が同時に回り込もうとしていた。
真壁の手元で薄い靄が動いた。
取り出したのは、太い銃身と複数の発光部を持つ携行型の魔道具だった。
フローライト魔石式ビームマシンガン。
発光部の内側で、フローライト魔石が白く輝いた。引き金に指をかける前から、真壁の視線は銃身の先ではなく、人と人の間にある空間を追っていた。
護衛の肩越しに撃てば早い場所もある。しかし真壁はその射線を選ばず、自分が移動して安全な角度を作った。
真壁は馬車側の護衛と、襲撃者の位置を一瞬で確かめた。移動加速で街道脇へ位置を変え、護衛の背中を射線から外す。
引き金を引いた。
バババババッ!
白い光が連続して街道を走った。
前へ出ようとした男の足元が弾け、土が吹き上がる。男が反射的に足を止めると、その横を抜けようとした別の男の前へ、次の白光が突き刺さった。
石片が跳ね、外套の裾を打つ。
真壁は人体を順に撃っているのではない。
一人が左へ動けば左へ。別の一人が馬車の陰へ回ろうとすれば、その進路へ。槍を構えた者には、穂先のすぐ横を白い光が通り過ぎ、思わず武器を引かせた。
ババババッ!
右側へ広がろうとした3人の前に、白光が横一線に走る。地面が連続して弾け、3人は前へ出られず踏みとどまった。
一方向に逃げれば別の方向が白光で閉じられる。走ろうとすれば、次に足を置くはずの場所が先に弾ける。
それは、目で追える一発の魔術ではない。
近づけば、その前の地面が白く吹き飛ぶ。
襲撃者たちの動きが、一斉に止まった。
一人が怒鳴り声を上げ、光の間を駆け抜けようとした。真壁はその体へ銃口を振らない。右足が着く場所、次に左足を置こうとした場所を順に白光で打った。
男は二歩目を出せず、たたらを踏んだ。その肩の横を光が通り、後ろの者まで足を止める。
白光に直撃されて倒れたわけではない。それでも、あと半歩進めば今度は自分が撃たれると、誰にも分かる射撃だった。
馬車側の護衛も、突然街道を埋めた白い光に目を見開いていた。だが、自分たちの周囲へは一発も来ていない。
真壁は照準を止めない。
次に動こうとする者の前へ、また白い光が走った。
「今だ」
真壁は馬車側の護衛へ、それだけ言った。
護衛たちはすぐに意味を理解した。白光が作った数秒の空白で、倒れた仲間を馬車の後ろへ引きずり、崩れた並びを作り直し始めた。
真壁の白光は、馬車の正面へ集まっていた襲撃者たちの動きを止めた。
理央が弓矢を消し続けていることに気づいた者がいた。
街道から少し離れた林縁で、長い杖を持った男が前へ出る。外套の奥で口が動き、杖の先に赤い光が集まった。
その光が握り拳より大きくなり、火球に変わる。
男が杖を振った。
火球が、弓矢とは別の角度から馬車へ飛んでくる。
理央は右側から続く矢に展開範囲を合わせていた。同時に左から来る火球まで広く取ろうとすれば、馬車のすぐそばに死角ができる。
澪が火球と馬車の間へ一歩踏み出した。
飛んでくる火球へ手のひらを向ける。
薄い靄が開いた。
炎がその中へ飲み込まれ、熱も爆発も残さず消えた。
魔法使いの男が杖を向けたまま、目を見開いた。
「それ、返します」
澪が手を返す。
収納した火球が再び現れ、魔法使いの足元へ飛んだ。
男は自分の攻撃を見て、慌てて横へ跳んだ。火球が先ほどまで男の立っていた地面へ衝突する。
炎と土が吹き上がった。
男はたたらを踏み、次の魔法を作れない。
その一連の動きに澪の視線が向いている間に、馬車の側面から別の男が抜けてきた。
両手に斧を持っている。
理央の展開した収納は、飛んでくる矢や魔法なら収納できる。自分の足で走り、武器を握った人間そのものを消すことはできない。
男が理央と馬車へ向かってくる。
理央は防衛用収納展開を残したまま、両手の指を10本とも大きく開いた。
「パルパティーン!」
周囲の誰にも意味の分からない名前を叫ぶ。
10本の指先から、青白い雷が一斉に走った。
バリバリバリッ!
雷撃を正面から浴びた男の体が強ばり、斧が地面へ落ちた。走っていた勢いも消え、男は土の上へ倒れ込んだ。
理央は大きく息を吐いた。両手は開いたままで、自分が何を叫んだのか、振り返る余裕はない。
真壁は白光を連射しながら、視界の端でその動きを見ていた。
――さすが、ヴァルト君の姪だ。
そう思ったが、口には出さなかった。
理央はすぐに弓兵の方へ向き直り、再び飛んできた矢を収納した。
斧の男を追うことも、魔法使いへ雷を続けて放つこともなかった。
自分の役目は、まだ終わっていなかった。
戦場の形が変わった。
正面では、真壁の白い光が襲撃者の進路を塞いでいる。馬車の側面では、澪が敵の火球を収納して投げ返し、魔法使いの攻撃を中断させた。斧を持って抜けてきた男は、理央の10本の指から放たれた雷を浴びて倒れている。弓矢は今も薄い靄の中へ消え、中央の馬車へは1本も届かない。
襲撃者は、一度に動ける場所を失った。
馬車側の護衛はその間を逃さなかった。
「負傷者を下げろ! 前を詰める!」
年嵩の護衛が声を上げた。
その声は白光の連射音の中でも通った。右側の護衛は、言われる前に左の仲間と間隔を合わせる。馬車の後ろに残った者は負傷者を引き取り、前の者が背後を気にしなくてよいよう空いた場所を埋めた。
長い話し合いも、詳細な指示もない。それまでに身につけた動きで、護衛たちは再び一つの列になった。
馬車の間で人の動きが揃う。傷を負った者に代わって新たな護衛が前へ出、左右の間隔を詰めた。
一人が盾で剣を受け、隣の者が槍の柄で相手の手を打つ。落ちた武器を蹴り離し、2人がかりで地面へ押さえ込んだ。
別の護衛たちも前へ出る。
これまで戦えなかったのではない。人数で押され、複数の方向から馬車へ近づかれ、守る場所を広げられていただけである。
正面の動きが止まり、側面の魔法と弓矢を澪と理央が封じたことで、護衛たちは本来の力を取り戻した。
襲撃者の一人が林へ向かって走り出した。
真壁はその背中を撃たない。
逃走者と護衛の間、仲間が後に続こうとする場所へ、白光を打ち込んだ。
バババッ!
地面が吹き飛び、後ろを追おうとした二人が退がる。その隣へ護衛が踏み込み、武器を払い落とした。
一部は林へ逃げ込んだ。真壁も澪も追わない。
林へ向かう背中を見て、護衛の一人が追いかけようとした。しかし年嵩の護衛がその名を呼び、馬車のそばへ戻した。
逃げた敵より、馬車と負傷者、捕らえた者を守る。その判断も、真壁たちと同じだった。
馬車のすぐそばにいた者たちは、護衛に取り囲まれた。剣を落とした者が腕をねじ上げられ、地面へ押さえられる。
残っていた一人が周囲を見て、武器を放した。
真壁は引き金から指を外した。
白い光の連射が止まる。
それが合図になったように、街道を埋めていた剣戟の音も減っていった。
最後の剣が地面へ落ちた。
ひどく大きく聞こえていた怒鳴り声も、金属音も消えていく。残ったのは、興奮した馬の息と、負傷者の呻き声、護衛たちの短い指示だった。
理央はまだ両手を広げたまま、防衛用収納展開を維持していた。
倒れた男が動くたびに、肩が反応する。弓兵たちは武器を捨て始めていたが、最後の矢が飛んでくるかもしれない。林へ逃げた者が戻ってくる可能性もあった。
「……終わりました?」
真壁が地図と周囲を確かめた。
「もうよい」
理央が手を下ろす。
馬車の前へ広がっていた薄い靄が、空気の中へ消えた。
斧を持って迫ってきた男は、地面で護衛に武器を奪われ、両腕を押さえられていた。理央はそれを見てから、ようやく肩から力を抜いた。
手のひらを開くと、手袋の中まで汗をかいている。冬の街道で馬へ乗っていた時よりも、今の方がずっと暑く感じた。
理央は大きく息を吐いた。斧の男が自分へ向かってきた時から、ほとんど息を止めていたことにそこで気づいた。
澪が戻ってくる。
「澪さん、魔法そのまま返しましたよね」
理央の声に、まだ緊張が残っていた。
澪は自分の手を一度見た。
「収納した物を、来た方へ出しただけです」
澪はそこで理央を見た。
「それより、さっき何て叫んだんですか?」
「……パルパティーンです」
「それは聞こえました。なんで人の名前を叫んだんです?」
理央は開いたままだった両手を見た。
「10本の指から雷が出ると思ったら、つい……」
「叫ぶ必要はなかったですよね?」
「はい。なかったです」
命を奪うためではなく、馬車へ近づかせないための雷撃だった。それでも、人間に雷を向けた感触は、すぐには消えなかった。
真壁はビームマシンガンを薄い靄の中へ戻した。
「話は後だ。傷を見よう」
その言葉で、理央の視線も負傷者へ向いた。
戦いが止まっても、倒れた者の傷は消えない。
真壁が収納から清潔な布、包帯、その他の救護用品を出した。澪と理央も、動ける護衛と一緒に負傷者のそばへひざをつく。
出血の多い者から布を当て、包帯を渡す。馬車側の護衛だけではない。捕らえた襲撃者にも、命に関わる傷を負った者がいれば、後回しにはしなかった。
真壁は負傷者の状態を順に見て、必要な品だけをその場へ出した。重傷者のそばに包帯を積み上げたり、誰にでも同じ薬を使ったりはしない。
澪は傷口へ布を当てた護衛の手に、そのまま押さえ続けるよう伝えた。理央は包帯の端を支え、教えられた通りに布を渡していく。
誰も先ほどの戦いを自慢する余裕などなかった。
生きた人間を収納することはできない。必要な品をすぐ手元へ出し、現場の者たちと手を動かす。
中央の馬車から出てきた人物に3人が気づいたのは、最初の応急処置が始まった後だった。
特に厚く守られていた馬車の扉が開いた。
中から降りてきたのは、戦いの隙間に一瞬だけ姿が見えた若い女性だった。
女性は自分の服についた土を払うこともなく、まず負傷した護衛たちを見た。
その姿を見た護衛の一人が、傷ついた体で立ち上がろうとする。女性はすぐにそばへ寄り、座っているよう促した。
周囲の者たちの態度が違う。
女性が負傷した護衛の名を呼ぶと、その男は痛みに顔をしかめながらも返事をした。女性は次の人物へも視線を向け、動ける者がそばにいることを確かめてから、真壁たちの方を見た。
命を助けられたことに戸惑いはある。しかし、立っていることもできないほどうろたえてはいなかった。抱えているまだほぐれていない緊張を、姿勢で抑え込んでいるようだった。
護衛は傷を負っていても女性の安全を先に確かめ、指示を待っていた。女性もまた、ただ守られていただけの同行者のようには見えない。
理央が澪の袖を小さく引いた。
「ほら、やっぱり重要人物ですよ」
声を抑えているが、少しだけ得意そうだった。
「重要人物なのはそうみたいですけど、お姫様とは限らないですよ」
「でも、お約束なら――」
「まだ言うんですか」
戦いの緊張が緩み、いつもの調子がわずかに戻ってきた。
澪は念のため、若い女性へ鑑定を使った。
────────────────
アレシア・ヴァレシオ
分類:人間
身分:セレヴィア王国 第一王女
────────────────
澪の動きが止まった。
鑑定そのものに違和感はない。ぶれた表示が一瞬見えたわけでも、他の人物の結果が重なったわけでもなかった。
それだからこそ、澪の思考は一拍遅れた。
名前を見る。
身分を見る。
もう一度、最初から見直す。
表示は変わらない。
「どうしました?」
理央が澪の顔をのぞき込んだ。
「あ……」
「はい?」
澪は若い女性を見る。次に理央を見た。
「あ、ホントのお姫様みたいですよ」
「え?」
理央が若い女性を見る。
澪を見る。
もう一度、若い女性へ顔を向けた。
「……本当に?」
「第一王女って出てます」
理央はしばらく口を開けたまま、何も言わなかった。
それまで少し得意そうだった表情が消え、代わりに「そんなことがあるのか」という顔になる。書いた小説の中なら、自分で用意した展開である。現実の街道で本当に起きると、すぐには反応できなかった。
「……本当にあるんですか、こういう展開」
「自分で言ったんじゃないですか」