翌朝、真壁たちは再びベルド旧鉱山の坑道前に立っていた。
昨夜は侯爵邸へ戻った後、用意された客室からゲンダイへ帰り、今朝になって同じ部屋へ転移してきた。アルヴェラの東門を出てからは3頭の自動馬を走らせ、鉱山道へ入る手前の木立へつないである。外見は本物の馬と変わらないが、近くで世話をされないよう、3人の馬は自分たちで扱うと残留の兵へ伝えていた。
山の朝はアルヴェラより冷えていた。日の光は東の尾根を越えたばかりで、斜面の半分はまだ青黒い影の中にある。枯れ草の先には白い霜が残り、岩のくぼみに溜まった水は薄く凍っていた。
昨日まで兵や盗賊の足で荒れていた地面には、泥に混じって荷車の轍が刻まれている。捕らわれていた人々も、押収された荷も、盗賊も、すでにアルヴェラへ運ばれた。坑道前に残るのは、カルネス侯爵家から派遣された数人の兵だけだった。
人の声が減った鉱山では、水音がよく響いた。
坑道の奥から流れ出した水が、岩の間を細く抜けている。透明な水である。昨日、その水に鉛が含まれていると知らなければ、手を洗うことにも、喉を潤すことにもためらわなかっただろう。
理央は外套の襟へ顎を埋め、白い息を吐いた。
「昨日より静かですね」
「人がいなくなりましたからね」
澪は、板を外された坑道の入口を見た。暗がりには誰も閉じ込められていない。それを確かめられるだけで、昨日とは同じ景色に見えなかった。
今日は人を助けるためではなく、水を追うために来ている。
真壁は周囲を一度見渡してから、収納へ手を伸ばした。薄い靄の中から、小さなガラス瓶が現れる。
親指ほどの瓶には、鈍い銀灰色の結晶が入っていた。
「理央君」
「はい」
「これを探してみよう」
差し出された瓶を、理央は両手で受け取った。
「これ、何ですか?」
「鑑定すれば分かる」
理央は瓶の中へ目を凝らし、鑑定する。
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鉛結晶
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「鉛ですね」
「ああ。それを試料にして、地図から同じものを探す」
素材を鑑定し、その結果を地図に重ねて探す。真壁や澪がこれまで使ってきた方法だった。理央もやり方は聞いている。けれど、本当の汚染を調べるために使うのは初めてだった。
理央は小瓶を片手に持ち、意識の中へ地図を開いた。
鉱山まで来る間に通った道。昨日歩いた坑道の周辺。ベルド沢へ続く古い鉱山道。自分の足で通った場所だけが描かれ、その外側にはまだ白い部分が残っている。
手の中の鉛を基準に、同じ反応を探す。
すぐに見つかった。
「ありました」
理央の声が少し明るくなる。
「どこです?」
澪が地図を覗くように理央を見る。
「すごく近いです。というか……」
反応は自分のいる場所にある。もっと近い。足元ではない。地図の感覚を狭めていくと、反応は自分の手元まで寄ってきた。
理央は地図から顔を上げ、小瓶を見た。
「……ここにあります」
鉛結晶の入った瓶を、そっと持ち上げる。
澪が口元を押さえた。
真壁は瓶と理央を順に見た。
「そうなるな」
「ですよね……」
考えてみれば当たり前である。探すための鉛を自分で持っているのだから、最も近い鉛として出てくる。
小瓶を渡された時の緊張が、少しだけしぼんだ。
「それは分かっている。ほかを見てみよう」
「はい」
真壁は瓶を取り上げも、収納へ戻しもしなかった。
理央はもう一度地図を見る。手元の強い反応があることを承知した上で、その外側へ意識を広げた。
今度こそ、鉱山に残っている鉛を探す。
反応はすぐに増えた。
坑道の入口に一つ。水の流れる溝にいくつも。崩れた石積みの周囲にも、廃石が積まれた斜面にもある。
理央は最初、今度こそ成功したと思った。
ところが範囲を少し広げるたび、新しい反応が地図へ重なる。足元の土にも、黒ずんだ石にも、昨日盗賊が焚き火をしていた近くにも出た。
「いっぱいあります」
口にしてから、理央は地図の中で重なる反応を見回した。
見つけた数だけなら、先ほどよりずっと多い。だが、多すぎてどこから見ればよいのか分からない。
「これ、どれを見ればいいんですか」
真壁はすぐには地図を指ささなかった。
「強いところを見てみよう」
「強いところ……」
理央は、鉛があるかどうかだけを見ていた意識を切り替えた。
同じ反応でも濃さが違う。
手元の小瓶が最もはっきりしているのは変わらない。それを基準にすると、水際の泥は弱い。斜面に捨てられた黒灰色の石は強い。灰の混じった地面は、広い範囲にぼんやりと出ている。
澪も足元の土を少量取り、鑑定した。
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鉛を含む汚染土
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少し離れた場所では、数値も含有の程度も違う。
「同じように見える土でも、差がありますね」
「はい。こっちは弱くて、あっちは強いです」
「次は、並びを見よう」
真壁の言葉に、理央は地図を少し遠くから見るつもりで範囲を広げた。
鉛は至るところへ無秩序に散っているように見えた。けれど、強い場所だけに意識を向けると、塊がいくつかに分かれている。
坑道の前。
廃石の斜面。
その間を抜ける低い土地。
さらに、前日にアルヴェラから来た道まで地図を広げる。登録されているのは3人が実際に通った場所だけだが、その中にも弱い反応が細長く続いていた。
理央は顔を上げた。
目の前には、岩を縫って流れる細い水がある。
地図へ戻る。
反応は水のそばに多い。窪んだ土地にも重なる。途中で沢の見える位置から外れているのに、地図の反応だけは同じ向きへ続くところもあった。
地上に見える水だけではないのかもしれない。
理央はしゃがみ、濡れた地面と地図を見比べた。水は高い方から低い方へ流れる。小さな溝は先で別の流れと合わさり、ベルド沢へ向かっていた。
「……これ、水の流れるところに沿ってません?」
真壁が理央の見る地図へ目を向けた。
「そう見えるな」
「地表の水だけじゃなくて、こっちにも続いてます」
理央は沢から少し外れた反応を示した。
「水が下を通っているのでしょうか」
澪も同じ場所を見る。
「その可能性はありますね」
見つけたのは鉛そのものではない。散らばって見えた鉛が、何に沿って動いているかだった。
理央の胸に、先ほどの失敗とは違う熱が生まれた。
真壁は反応が強くなる方角を確かめた。
「なら、たどってみよう」
「はい」
今度の返事には迷いがなかった。
鉱山道を外れると、地図の先は白かった。
昨日は盗賊の根城と、捕らわれた人々のいる坑道へ向かった。古い道から外れた斜面までは歩いていない。
理央は鉛の反応が強くなる方向へ足を進めた。
数歩歩くたび、地図に新しい地形が加わる。足元の傾き、岩の位置、細い水の流れ。それまで白かった場所に輪郭が生まれると、そこへ新しい鉛の反応が重なった。
「こっちの方が強いです」
枯れた藪の向こうを指す。
真壁が先に足場を見た。
「足元を見た方がよい」
斜面は朝露で濡れている。落ち葉の下には崩れやすい礫があり、踏むと靴底が滑った。
澪は張り出した枝を押さえ、理央を先へ通す。枝から落ちた冷たい雫が手袋を濡らした。
道と呼べるものは残っていなかった。それでも、苔に覆われた石が不自然に一列へ並び、斜面を横切っている。かつては人や荷車が通ったのだろう。石積みの一部は木の根に持ち上げられ、別の場所では土へ沈んでいた。
鉛反応は、その古い道から外れた低地へ続く。
水の音が少しずつ近くなった。
浅い流れを見つけるたび、澪が小瓶へ水を採る。真壁が鑑定し、理央は地図の反応と重ねた。
「さっきより上がっています」
「水もですね」
澪が鑑定表示を確かめる。
少し先へ進む。
細い流れが二つに分かれた場所では、合流する前の水をそれぞれ採った。片方は弱い。もう片方は、明らかに強い。
「右です」
理央はすぐに進もうとして、足を止めた。
右側の斜面は急で、濡れた岩が露出している。
「回った方がよさそうですね」
「そうしよう」
真壁は近道を選ばなかった。
3人は少し下り、斜面を緩く横切る古道の跡を探した。遠回りした分だけ、新しい場所が地図へ加わっていく。
朝の光はすでに木々の間へ入っていた。霜は溶け、踏みしめる土の色が濃くなっている。遠くでは鳥の声がしたが、水音の近くに人の暮らす気配はない。
「また強くなりました」
理央は歩いては地図を見た。
地図の上だけなら、反応を追うのは簡単に思えた。実際には岩を回り、沢を渡り、登れる場所を探さなければならない。白い部分は、自分たちが歩かなければいつまでも白いままだった。
やがて、斜面の木々が途切れた。
自然に開けた場所ではない。
崩れた石壁が土の中から突き出し、その周囲だけ地面の色が違っている。黒灰色の塊が半ば埋まり、雨に削られた灰色の土が斜面へ広がっていた。
「ここです」
理央が立ち止まる。
「ここが一番強いです」
近づくにつれ、人の手が入った跡が増えた。
石を円形に組んだ炉。熱を受けてひび割れた岩。黒い滓が幾層にも重なった捨て場。崩れた壁の一部には、灰が雨に流されず残っている。
長く放置されていたため、草木がすべてを覆い始めていた。それでも、鉱石を掘っただけでは生まれない場所だと分かる。
古い精錬場だった。
その奥の山肌には、半ば崩れた穴が開いている。
盗賊が使っていた坑道より小さい。入口の石組みは崩れ、上から落ちた土砂が半分ほどを塞いでいる。その隙間から、水が絶えず流れ出していた。
澪が水際へしゃがむ。透明な小瓶に水を受け、鑑定した。
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旧排水坑流出水
鉛:高濃度
長期飲用:不適
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「水にも出ています」
真壁は炉跡の脇に落ちていた黒灰色の塊を拾った。
鉛を含む精錬滓。銀精錬の残留物。灰にも、廃石にも鉛がある。
旧排水坑から出た水は、その間を縫って低い方へ流れていた。雨が降れば、地表の灰や土からも同じ流れへ入るだろう。
「盗賊がいた坑道とは、つながっているんですか?」
澪が尋ねる。
「同じ銀山で使われた施設だろう。坑道前の炉跡より規模が大きく、水の通り道にも近い」
「昨日はここまで来てませんもんね」
理央は地図と足元を見比べた。
前日は人の印を追い、捕らわれている場所へ急いだ。鉛反応を基準に歩いた今日は、古い道の外へ埋もれていた精錬跡へ着いた。
「見つけた……」
小さく漏れた声には、疲れより達成感があった。
最初に拾ったのは手元の小瓶だった。次は多すぎる反応に困った。それでも強弱を分け、並びを見て、水の通る場所へ沿って歩いた。その先に、本当に原因らしい場所があった。
真壁は理央の言葉を否定しなかった。
「主な流入箇所の一つと見てよいだろう」
「一つ、ですか?」
「まだ地表しか見ていない」
理央は、喜びかけた顔のまま足元を見た。
もう一度、鉛結晶を基準に検索する。
灰と鉱滓の反応は強い。だが、その下にも続いている。
「下にもあります」
意識を地面の中へ向ける。
地表から数m。そこにも鉛を含む土や礫がある。さらに下へ追うと、反応は一度薄くなり、水を通しやすい層でまた横へ広がった。
「7……8mくらい」
理央は数歩移動し、別の場所を見る。
「こっちは10m近いです」
「そんな下まで?」
澪も自分の地図と鑑定を重ねた。
地面の下は、平らな板を重ねたようにはなっていない。灰や汚染土の下に砂と礫があり、その間を水が通っている。さらに下には比較的水を通しにくい岩盤があるが、その深さも傾きも場所ごとに違った。
鉛は地表から真下へ均等に染み込んだのではない。水の通りやすいところへ入り、地層に沿って動いている。
「これ、上だけ取っても残りますよね」
「ああ」
真壁は旧排水坑から流れる水を見た。
「それに、ここを塞ぐだけでも足りん」
理央は地図の地下反応を追った。
精錬跡の下で広がり、斜面の傾きに沿って下流へ向かっている。
見つけたと思った。
だが、反応の端はまだ地図の外へ続いていた。
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理央は検索範囲を広げた。昨日、アルヴェラから廃銀山まで通った道が地図に残っている。旧精錬跡から外へ。ベルド沢へ。さらに町の方へ。
弱くなりながらも、鉛の反応は途切れない。
理央の顔から、先ほどまでの明るさが消えた。
「……待ってください」
「どうしたの?」
「ここだけじゃないです」
澪が理央の示す先を見る。
「アルヴェラの方まで続いてます」
旧精錬跡は、アルヴェラ東門からおよそ10km離れている。
そのすべてが同じ濃さで汚染されているわけではなかった。
旧排水坑と精錬場の周囲には、鉛反応が強く集中している。灰や鉱滓を捨てた斜面へ面のように広がり、そこから先は水を通しやすい地層に沿って細長く延びていた。
アルヴェラへ近づくほど弱くなる。それでも東門側の井戸で見つけた鉛へ、同じ帯がつながっている。
澪は昨日までの場所を思い出した。
東門区の井戸。ベルド沢。廃銀山。そして今いる旧精錬跡。
離れて見えていた場所が、水の流れで一本につながった。
「町まで、ずっとですか?」
「反応は続いています。でも、全部がここと同じ強さじゃないです」
理央は地図の濃淡を確かめた。
精錬跡の周囲は強い。その外側へ行くほど、面状の反応が細い帯へ変わっていく。強く汚染されている範囲だけでも、地形に沿えば長さは1.5kmを超える。途切れながら追えば、3km近くまで広がっていた。
「10km全部を掘るわけではない」
真壁が言った。
「反応の強い地層を追う。深さも場所ごとに違う」
澪は少しだけ安堵しかけた。だが、地図上の範囲は、それでも人が簡単に掘り返せる広さではない。
「鉱滓だけ取るのでは駄目ですか?」
「その下の土に残る」
「じゃあ、表の土も」
「地下にも入っている」
旧排水坑を塞いでも、すでに地下へ入ったものは消えない。汚染された水だけを一度取り除いても、同じ土と礫の間を次の水が通れば、また鉛を拾う。
真壁は地図に広がる強い反応を見た。
「表面だけでは足りないな」
「じゃあ……」
「汚染されたものを取り除くしかない」
対象は鉛を含む灰だけではない。
精錬滓。廃石。汚染土。水の溜まった泥。地下へ染み込んだ汚染水。
すべてを同じ深さまで四角く削る必要はない。地図と鑑定で鉛反応の強い層を追い、水の流れを壊さないように取り除く。
「この辺り、全部ですか?」
「必要なところはな」
澪は、木と草に覆われた斜面を見渡した。
最初は井戸水の問題だった。次に沢を上り、古い銀山を見つけた。そして今は、山麓の土地そのものを掘り返す話になっている。
真壁がその規模にためらっている様子はない。考えているのは、どこから手を入れれば余計な地層を崩さずに済むかだった。
理央は地図を閉じなかった。
「水は、全部ここから汚れてるんでしょうか」
「調べてみよう」
真壁は山側へ目を向けた。
3人は旧精錬跡からさらに斜面を上った。
今度は鉛ではなく、水の流れを追う。
山から下りてくる細流は一つではない。岩の隙間から染み出す水もあれば、雨の後だけ流れるらしい浅い溝もある。冬でも水が絶えない流れは、枯れ草の間だけ色が濃く、苔が青く残っていた。
理央は水を見つけるたび地図へ重ねた。
澪が上流側で採水する。
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山側湧水
鉛:ごく微量
飲用上の問題なし
────────────────
「ここは大丈夫です」
少し下へ移る。
同じ流れから、もう一度採る。
「まだ出てません」
水は岩の間を下り、古い石積みの下へ入る。そこから先は、灰の混じった土と廃石の脇を通っていた。
理央は地図を見ながら、境目を少しずつ狭めた。
「ここまでは出てません」
数歩下る。
流れの底に黒い砂が混じり始める。
澪が採った水には、鉛反応が出た。
「ここからです」
理央は上流と下流を見比べた。
山から来る水は、最初から汚れていたわけではない。旧精錬跡の汚染土と廃石の間へ入ったところから鉛を拾っている。
澪にも意味が分かった。
「汚れてから浄化するんじゃなくて、その前に避けさせるんですか?」
「ああ」
真壁は地形の傾きを見る。
「汚染域へ入る前に水を取り、別の道へ通す」
「水路を作るんですか?」
「地下へ通した方がよいだろう。地上では土砂が入り、冬は凍る。通行の邪魔にもなる」
ただし、汚染された地面の下へ穴だけを通せばよいわけではなかった。周囲に鉛が残っていれば、ひびや継ぎ目からまた水へ入る。
先に、強く汚染された灰、鉱滓、土、泥、水を取り除く。
掘り開けた区域の地盤を整え、その中へ石造りの導水路を設ける。山側の清浄な水を取り込み、自然な勾配で下流へ抜く。その後で、鉛を分離した土砂を周囲へ戻す。
常に動かすポンプは要らない。石工が中へ入れる点検口があれば、後から補修もできる。
澪は地図上で、山側の取水点から下流まで指を動かした。
「深さはどのくらいになります?」
「地形次第だが、3~6mほどだろう。一定にはならん」
理央は、旧精錬跡の灰色の地面を見た。そこへ地下の水路を重ねようとして、何かを思い出したらしい。
「地面掘って、あれを作るんですか?」
「あれ?」
澪が聞き返す。
「◯リオストロの城みたいな」
「ああ」
澪の頭にも、地下へ隠された古い水路と石造りの空間が浮かんだ。
真壁は映画の話へは加わらず、地図の傾斜を見ている。
「古代ローマの石造の導水路だな」
「急に現実へ戻しましたね」
「現実に造るのだから当然だ」
理央はもう一度、斜面の広さを見た。
「映画みたいって言いましたけど、これ、本当に地面を開けるんですよね」
「汚染物を取り除くには必要だ」
「どのくらい大きな穴になるんでしょう」
「先に範囲を詰める。余計な場所まで掘る理由はない」
真壁の答えは短かった。
けれど澪には、真壁がすでに施工の順番を考え始めているのが分かった。
汚染の強い層を外す。水を止める。地盤を整える。導水路を組む。処理した土を戻す。
収納を使えば、土砂を持ち上げることも、鉛を分離することもできる。だからといって、勝手に山を掘り返してよいことにはならない。
ここはカルネス侯爵の領地だった。
「まず、許可ですね」
澪が言う。
「ああ」
真壁は地図を閉じた。
「侯爵へ説明しよう」
アルヴェラへ戻った頃には、日は西へ傾き始めていた。
朝の霧は跡形もなく消え、古い城壁と石造りの塔が冬の淡い光を受けている。東門を入ると、街路には荷車と買い物帰りの人々が行き交っていた。
昨日救出された人々の話は、すでに町へ広がっているらしい。カルネス侯爵家の印を付けた兵とすれ違うと、戸口から頭を下げる者がいた。
真壁たちは侯爵邸へ戻り、セヴェリオとの面会を求めた。
応接室へ通されるまでの間に、理央は外套へ付いた枯れ草を払った。袖口には灰色の土が付いている。澪も靴の泥を落としたが、山の湿った土の匂いまでは消えなかった。
やがて、セヴェリオがバルディオを伴って現れた。
「本日の調査で、何か分かりましたか」
「はい。ご説明いたします」
真壁は机の上へ詳細地図を開いた。
最初に示したのは、昨日盗賊を制圧した廃銀山だった。そこからアルヴェラ側ではなく、山肌へ少し外れた場所へ指を移す。
「鉛反応をたどったところ、こちらに大規模な精錬跡がありました。東門からおよそ10kmです」
「盗賊が使っていた坑道とは別ですか」
「同じ銀山に属する施設と思われます。ただ、今回見つけた場所は旧排水坑と水の通り道に近い」
真壁は採取した灰と黒灰色の精錬滓を机上へ置いた。
「鉛を使って銀を得た痕跡があります。鉛を含む灰、精錬滓、廃石が今も残り、その下の土と泥にも入っています」
セヴェリオは試料へ触れず、視線だけを落とした。
「旧排水坑からは現在も水が出ています。その水が残留物へ触れ、ベルド沢の方へ流れている」
「排水坑を閉じれば止まりますか」
「それだけでは止まりません」
真壁は地図の断面を示すように指を動かした。
「鉛は地表だけでなく、地下7~10m前後の水を通しやすい層にも達しています。深さは場所によって変わります」
セヴェリオの表情がわずかに硬くなる。
「地下水の流れに沿い、アルヴェラ方向へ反応が続いていました。東門側の井戸で確認した鉛は、この経路から来ている可能性が高いでしょう」
「10kmにわたって、すべて掘り返すことになりますか」
「いいえ。全域が同じ濃度ではありません」
真壁は旧精錬跡の周辺を指した。
「最も強いのは、精錬跡、旧排水坑、鉱滓を捨てた場所です。その周辺へ面状に広がり、下流では帯状に弱くなっています」
理央は横から地図を見た。山の中で追った反応が、今は線と濃淡になって机の上へ置かれている。
「強く除去する必要がある範囲は、地形に沿って1.5~3kmほどになると思われます。ただし、一定の幅と深さで一律に掘るわけではありません。鉛反応の強い地層を追います」
バルディオが地図へ身を寄せた。
「鉱滓を運び出すだけでは足りないのですな」
「はい。下の土と地下水にも残ります。汚染された灰、鉱滓、廃石、土、泥、水を取り除く必要があります」
部屋が静かになった。
暖炉の薪が崩れ、赤い火の粉を上げる。
セヴェリオは地図から顔を上げた。
「水を取り除いても、また山から流れてくるのではありませんか」
「その水についても確認しました」
真壁は、旧精錬跡より山側へ指を移した。
「山から来る水には、ほとんど鉛がありません。精錬跡へ入ったところから鉛を拾っています」
「では、汚染された土地へ入れなければよい?」
「はい。上流で取り、新しい導水路へ通します」
先に強汚染域を掘削する。
鉛を含むものを除去し、地盤を整える。
その掘削した区域へ、自然勾配を使う石造りの地下導水路を造る。清浄な水を汚染土へ触れさせず、安全な下流まで通した後、処理した土砂で周囲を埋め戻す。
「常設のポンプは不要です。点検口を設ければ、現地の石工でも維持できます」
セヴェリオはもう一度地図を見た。
「どの程度、手を入れることになりますか」
真壁は最も濃く反応した範囲を指で囲んだ。
「この範囲を掘り返します」
「ここを……」
「汚染されたものは取り除きます。その後、地下に導水路を造ります」
真壁は姿勢を正し、セヴェリオを見た。
「カルネス侯爵。この一帯を更地にしてもよろしいでしょうか」
セヴェリオは真壁を見た。
次に、地図の上で囲まれた山麓を見る。
「……更地、ですか?」