押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第31話 捨て砂は白金でした

 

 銀行アプリの画面を見たまま、澪はしばらく動かなかった。

 

 残高は約286,000円。数字だけなら、まだ生活が終わったわけではない。けれど、その下に並ぶカード利用額を見た瞬間、喉の奥がひゅっと細くなった。引き落とし予定は約258,000円。グラデーションストーン、銀板、覆輪線、銀ろう、チェーン、ネックレス箱、紋章シール、跳ね上げルーペ、ウォーターバッグ、大豆、サツマイモ、ペットボトルの洗浄用品。どれも必要で、どれも理由のある支出だった。

 

 理由はある。

 

 でも、銀行残高は理由では増えない。

 

「……あれ?」

 

 澪は、アプリを閉じて、もう一度開いた。

 

 数字は変わらなかった。

 

「異世界では儲かってるのに、銀行口座が痩せてる」

 

 六畳間の片隅に置いた小袋を見る。そこには正金貨がある。異世界側の所持金は、正金貨9枚、小金貨8枚、銀貨9枚。金属としても、通貨としても、ずしりと重い。

 

 だが、コンビニでおにぎりを買う時に、正金貨は出せない。

 

「正金貨はある。あるけど、ATMには入らない」

 

 澪はスマホを持ち替え、ChatGPT先生を開いた。

 

「異世界側では金貨売上があるのに、現代側の銀行残高が減っています。これは赤字ですか?」

 

 返ってきた答えは、優しいようで厳しかった。

 

 会計上の利益と、今すぐ使える現金は別。仕入れを先に円で払っているなら、銀行残高は減る。金貨を円へ換えていないなら、現代側の支払いには使えない。在庫、売上、仕入れ、換金、税金予定額を分けて記録する必要がある。

 

 澪は、画面を見たまま、ローテーブルに額を近づけた。

 

「黒字倒産って、こういう気分ですか……」

 

 正金貨はある。

 

 注文もある。

 

 品物もある。

 

 けれど、円がない。

 

 澪は押し入れの扉を見た。あちら側には金貨がある。こちら側の銀行アプリには、引き落とし予定がある。

 

 間にあるのは、古い押し入れの暗がりだけだった。

 

 

 

 

 

「金貨はあるだろ」

 

 リュシアは、屋台裏の帳面を閉じながら言った。

 

「あります」

 

「侯爵家の注文もある」

 

「あります」

 

「なら、何がないんだい」

 

「円です」

 

「また澪の国の面倒な金だね」

 

 リュシアは呆れたように言ったが、澪の顔色を見て、すぐ茶化すのをやめた。屋台裏には、朝の仕込みの匂いと、火から下ろした鍋の熱が残っている。市場の表では声が飛び交っているのに、この一角だけ少し静かだった。

 

 澪は、現代側の仕入れが円でしかできないこと、カードの引き落としが近いこと、正金貨を持っていても銀行残高には反映されないことを話した。

 

 リュシアは最後まで聞いて、顎に指を当てた。

 

「だから、金貨だけ見てると詰まるんだよ」

 

「詰まる」

 

「こっちで儲けて、澪の国で払う。なら、こっちの価値を澪の国の金に戻す道がいる」

 

 澪は息を飲んだ。

 

「白い重い粒の件だけどね」

 

「見つかりましたか」

 

「粒じゃなかった」

 

「粒じゃない?」

 

「砂だよ。金を洗った後に残る、白くて重い砂」

 

 澪は、少しの間、言葉の意味を掴めなかった。

 

「砂……」

 

「金洗い場では、黄色い砂金だけを取る。白くて重い砂は桶の底や水路に残る。黒くて重い砂も混じる。金じゃない。銀でもない。炉に入れても言うことを聞かない。細工師は嫌がる。薬師が少し買うことはあるけど、山ほどはいらない」

 

 リュシアは、屋台裏の床を指で軽く叩いた。

 

「こっちでは捨て砂だね」

 

「捨て砂」

 

「でも澪の顔を見ると、たぶん捨てるものじゃないんだろ」

 

 澪は、返事をする前に、喉が乾くのを感じた。

 

「見ないと分かりません」

 

「そう言うと思った。だから、見せる」

 

「もう、集めてあるんですか」

 

「商人が“調べます”で止まると思うかい。売れそうな匂いがしたら、足は先に動いてるよ」

 

 リュシアは、少しだけ得意げに笑った。

 

 

 

 

 

 リュシアは、ただ鉱石商の棚を覗いただけではなかった。

 

 金洗い場の親方に話をつけ、川砂を洗う人夫たちに白い重い砂と黒い重い砂を別桶へ入れさせ、選鉱場の捨て場も見に行かせていた。鉱石商には半端な白い重砂を分けるように頼み、細工師が嫌がって戻した粒も集めるよう声をかけていた。黒くて重い砂については、鍛冶屋の方へも聞きを入れていたらしい。

 

 しかも、ただではない。

 

「ただで拾わせると、次から雑になる」

 

 山側へ向かう道すがら、リュシアはそう言った。

 

「手間賃を払えば、白い砂と黒い重い砂を別桶へ入れておいてくれる。袋代もいる。運ぶ者もいる。捨て砂でも、集めれば商品だ」

 

「捨てるものでも、ですか」

 

「捨てるものを欲しがる人間が出た時点で、それはもうただのゴミじゃないよ。値段をつけ間違えたら、次は混ぜ物が増える」

 

 澪は、リュシアの横顔を見た。

 

 商売の話をしている時のリュシアは、屋台で焼き物を売る時よりも少しだけ目が鋭くなる。金貨の枚数だけではなく、次も同じものが集まるか、相手が雑に扱わないか、誰が恨まないかまで見ている。

 

 薬師が使っている分は奪わない。

 

 錬金術師が道具にしている分にも手を出さない。

 

 あくまで金洗いの後に捨てられていた砂、桶の底に残っていた砂、捨て場に積まれていた白い重砂だけを集める。

 

 そこまで聞いて、澪は少しだけ安心した。

 

「買い占めではないんですね」

 

「使ってる人間を困らせる商売は長く続かない。澪がそういう顔をするから、先にそこは避けたよ」

 

「顔に出てましたか」

 

「出てた」

 

 リュシアは当たり前のように言った。

 

 澪は、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 

 

 

 

 金洗い場は、思っていたよりも水音が大きかった。

 

 山側から引いた水が、木で作られた細い水路を流れ、泥と砂の匂いを運んでいる。人夫たちは膝を曲げ、皿や桶の中の砂を揺すっていた。水に濡れた手が、黄色い粒を見つけるたびに、慎重に小さな器へ移す。

 

 その横に、白っぽくて重い砂と、黒く沈む砂を入れた桶があった。

 

 澪には最初、それがただの濡れた砂に見えた。白い粒、灰色の粒、黒い粒、小石、泥。美しさはない。宝石のような輝きもない。ただ、桶の底に沈んでいる。

 

 金洗い場の親方は、腕を組んで澪たちを見た。

 

「金じゃない。銀でもない。重いから邪魔なんだ」

 

「薬師が使うと聞きました」

 

「たまにな。匙の先だの、混ぜ棒の先だの、変な薬に負けない皿だのにするらしい。だが、こんなにはいらん。黒い方は鍛冶屋が嫌がる時もある。砂のままだと扱いにくいとよ。前は桶を洗う時に捨てていた」

 

 親方は、桶の縁を足で軽く蹴った。

 

「それを、リュシアが分けておけと言う。手間賃が出るなら、別に構わん」

 

 人夫のひとりが、白い砂の入った小桶を持ってきた。水が切れていないせいで、持ち手の腕が少し震えている。澪は近づき、指先で少しだけつまんだ。

 

 ずっしり重い。

 

 小さな粒なのに、指先に残る重さが妙にはっきりしていた。

 

 澪は息を吸い、鑑定をかけた。

 

----------------------------------

白い重砂

 

 主成分:白金砂

 混入:砂金/砂鉄/黒砂/鉄分/小石

 状態:未精製・物理混合

 現地扱い:金洗い後の廃棄物

 収納分離:可能

 現代換金性:白金のみ高

 異世界換金性:砂金・砂鉄が高

 

 分離候補:

 白金粒

 砂金

 砂鉄

 黒砂・鉄分

 小石・土砂

 希少重鉱物残渣

 

 注意:

 粒として混ざっているものは分離可能。

 溶け込んだ成分の分離とは異なる。

 砂金は異世界側で処理する方が金流出を防げる。

 砂鉄は異世界側の鍛冶・製鉄需要向き。

----------------------------------

 

 澪は固まった。

 

 水音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

「当たりかい」

 

 リュシアが横から聞いた。

 

 澪は、口の中が乾いたまま、なんとか頷いた。

 

「……当たりです。しかも、白金だけじゃありません」

 

 親方は、何が当たったのか分からない顔をした。

 

「それ、そんなにいいものなのか」

 

 澪が答えるより先に、リュシアが言った。

 

「澪の国と、こっちの鍛冶屋ではね。だから、これからは捨てないで別桶へ」

 

「手間賃が出るなら、別にいい」

 

 親方の返事はあっさりしていた。

 

 澪は、桶の底に沈んだ白い砂を見つめた。

 

 廃棄物に、値段がついた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「初回分は、麻袋8つだよ」

 

 リュシアが倉庫の戸を開けると、湿った麻袋が積まれていた。ひとつひとつが人の胴ほどの太さで、底が床に沈むように膨らんでいる。水気を含んだ砂の匂いが、むわっと広がった。

 

「8袋……」

 

「ひと袋、だいたい20kg。濡れてるから重い」

 

「これ、全部、捨ててたんですか」

 

「捨ててた。金じゃないからね」

 

 リュシアは、袋の口を少し開けた。白っぽい粒と黒い粒が混じった重砂が見える。きれいではない。むしろ、運ぶだけで床を汚しそうだった。

 

「沈殿桶に古く溜まっていた分と、川砂洗いの連中が分けておいた分。捨て場から掘り返した分も少しある」

 

 澪は、麻袋を見つめた。

 

 山ほど、という言葉を使いたくなる量だった。けれど、山ではない。人が集め、人が袋に入れ、人が運んできたものだった。

 

「買います」

 

 澪は、ほとんど反射で言った。

 

 リュシアが目を細める。

 

「金はあるのかい」

 

「あります。首飾りの分が」

 

「なら、ちゃんと払ってもらうよ。捨て砂でも、集めれば商品だ」

 

「はい」

 

「安く買い叩くと、次は混ぜ物が増える。ちゃんと払えば、ちゃんと分ける」

 

 澪は頷いた。

 

 ただで捨てていたものだから、ただ同然でいい。そう考えた瞬間、この商売は壊れる。リュシアはそれを分かっている。だから人を雇い、袋を用意し、運ぶ者に払う。捨て砂だったものを、次も集まる商品に変える。

 

 屋台裏へ戻ると、澪は正金貨3枚を小皿に置いた。

 

 リュシアはそれを一枚ずつ別の皿へ分けた。人夫代、袋代、運び賃、親方への取り分、次回の前払い、リュシアの手数料。金貨が置かれるたびに、捨て砂を集めるための手が増えていくように見えた。

 

「こうして分けておけば、次も動く」

 

「金貨が、次の商売の足になるんですね」

 

「そう。金貨は置いて眺めるものじゃないよ」

 

 澪は、自分の正金貨が減っていくのを見た。

 

 怖くはあった。

 

 でも、止まっている金貨より、動き始めた金貨の方が商売らしかった。

 

 

 

 

 

 白い重砂の麻袋には、ひとつずつ札をつけた。

 

 白い重砂。未精製。金洗い場廃棄物。白金砂含有。砂金混入。砂鉄混入。収納分離前。飲食物と混同禁止。

 

 最後の一文は、澪が自分のために書いた。

 

 こんなものを食べ物と間違える人はいないと思うが、異世界と現代を行き来していると、念を押しすぎるくらいでちょうどいい。

 

 収納に入れる時、湿った重砂は妙に手に残った。直接担ぐわけではないのに、ずしりとした重さが感覚として伝わってくる。

 

「重い……」

 

「重いから捨て場でも嫌われてたんだよ」

 

「嫌われていた理由が、今とても分かります」

 

 リュシアは笑った。

 

「澪の国で好かれるなら、ちょうどいいね」

 

「好かれすぎると怖いです」

 

「商売は、少し怖いくらいがいいよ」

 

 その言葉を背中に受けながら、澪は押し入れを通って六畳間へ戻った。

 

 

 

 

 

 六畳間で、澪はまず金属トレーを出した。

 

 新聞紙を敷き、手袋をつけ、マスクもつける。麻袋8つ分をいきなり出す勇気はない。収納から少量だけ取り出すと、トレーの上に湿り気の抜けた白い重砂がざらりと落ちた。

 

 白い粒、黒い粒、灰色の砂、小さな石。

 

 見た目には、ただの汚れた砂だった。

 

 けれど、鑑定は違うと言っている。

 

「白金だけ。金だけ。砂鉄だけ。黒砂と小石は別」

 

 澪は、小皿を4つ並べた。

 

 収納の中で、ざらりと何かがほどける感覚があった。泥水の上澄みを分けた時とは違う。水ではなく、粒が分かれていく。形と重さと材質で、細かなものが自分の中の棚へ移動していくような感覚だった。

 

 最初に出てきたのは、鈍い白い粒だった。

 

 小皿へ落ちる音が、思ったより重い。

 

 数秒で、小皿が足りなくなった。

 

「……小皿じゃない」

 

 澪は慌てて台所へ行き、ボウルを持ってきた。次に出した砂金は、白金ほどの量ではない。それでも紙の上に広げると、黄色い粒がはっきり光った。

 

 さらに、黒く重い砂鉄が別の袋へ落ちた。砂鉄は光らない。派手でもない。けれど量がある。ざらざらと落ちる音が、地味に強かった。

 

 最後に、砂鉄ではない黒砂、鉄分、小石、灰色や赤茶色の粒が混じった残渣が別の袋へ戻る。

 

 澪はトレー、ボウル、紙、砂鉄袋、残渣袋を見比べた。

 

「捨て砂、分解できました」

 

 自分で言った言葉が、あまりにも変だった。

 

 それでも、目の前のボウルには白金粒がある。

 

 紙の上には砂金がある。

 

 袋の中には砂鉄がある。

 

 残渣袋には、まだ何かを抱えていそうな重い砂がある。

 

「しかも、まだ残渣が終わってません」

 

 澪はしばらく座ったまま動けなかった。

 

 

 

 

 

 麻袋8つ分を分け終えるまで、澪は何度も休んだ。

 

 収納が便利だからといって、頭が疲れないわけではない。鑑定で材質を見て、収納の中で白金と金と砂鉄と残渣を分け、出す容器を間違えないようにする。途中で一度、砂金用の紙を白金粒の横へ置いてしまい、慌てて距離を取った。

 

 部屋の空気が、砂と金属の匂いで重くなったように感じた。

 

 最後の袋を分け終えた時、澪は床に座り込み、帳面を引き寄せた。

 

 湿った白い重砂は約160kg。乾かして粗くふるった後の重砂は約120kg。そこから、白金粒が約4.8kg。砂金が約620g。砂鉄が約40kg前後。希少重鉱物を含む残渣が約70kg強。

 

 数字を書き終えた澪は、ペンを握ったまま固まった。

 

「数字が、砂より重い……」

 

 ボウルの中の白金粒は、派手に光ってはいない。砂金のような分かりやすい黄色でもない。鈍い白さで、静かにそこにある。

 

 けれど、その重さは、銀行アプリの残高を変える可能性があった。

 

 澪は深呼吸し、ボウルに蓋をした。

 

 次は、何をどちらの世界で扱うかを間違えない番だった。

 

 

 

 

 

「金は、こっちで使ってください」

 

 屋台裏で、澪がそう言うと、リュシアは少しだけ目を細めた。

 

「澪の国へ持っていかなくていいのかい」

 

「持っていけば円にはなります。でも、こっちの金を減らしすぎるのは嫌です。砂金はリュシアさんの方で金として処理してください」

 

「なら、こっちで金貨筋へ流す。鉱石商に任せてもいいし、細工師へ回してもいい」

 

 リュシアはそこで、澪が持ってきた黒い砂の袋へ視線を移した。

 

「こっちは?」

 

「砂鉄です」

 

「鉄か」

 

「はい。あたしの国では、個人で売って大儲けするのは難しいです。でも、こっちなら鍛冶屋さんや製鉄筋が欲しがるはずです。砂のままだと扱いにくいかもしれませんけど、量があります」

 

 リュシアは袋を持ち上げようとして、すぐに眉を上げた。

 

「重いね」

 

「重いです」

 

「澪、金より地味なものを売る顔になってきたね」

 

「褒めてますか」

 

「商人としては褒めてるよ」

 

 リュシアは笑い、砂金と砂鉄の袋を別々に置いた。

 

「金はこっちで処理する。砂鉄は鍛冶屋と炉持ちに聞く。たぶん、鉄材になるなら欲しがる連中はいる」

 

「お願いします」

 

「白金だけ、澪の国へ持っていきな」

 

 澪は頷いた。

 

 白金は現代へ。

 

 金と鉄は異世界へ。

 

 その方が、両方の世界にとって自然な気がした。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻った澪は、白金、砂金、砂鉄を抜いた残渣袋を見た。

 

 黒砂、小石、灰色の粒、赤茶色の粒。もう価値部分を抜いたと思いたかった。思いたかったが、ここまで来ると、見ないふりをする方が怖い。

 

「念のためです。念のため」

 

 澪は自分に言い訳をして、鑑定をかけた。

 

----------------------------------

重砂残渣

 

 主成分:黒砂/小石/泥

 含有:チタン鉄鉱、ジルコン、ザクロ石、微量のルチル

 注意含有:モナザイト系粒子の疑い

 現地扱い:金洗い後の不要砂

 収納分離:可能

 

 注意:

 注意鉱物は素手で扱わず、別容器へ隔離。

 現代側売却・利用には専門確認が必要。

----------------------------------

 

 澪は固まった。

 

「……まだある」

 

 残渣袋をそっと床に置く。

 

「押入商会、ゴミの分別が終わりません」

 

 白金を抜いた。砂金も抜いた。砂鉄も抜いた。

 

 それでもまだ、名前のある鉱物が残っている。

 

 澪は、注意含有と表示された粒を別容器へ隔離した。素手で触らない。密閉する。札を貼る。現代側へ持ち込むのは、ほんの一部のサンプルだけにする。大部分はリュシアに預け、倉庫で保管してもらう。

 

 今日、これ以上深入りすると、銀行残高どころではなく頭の中の残高が尽きる。

 

 澪はそう判断した。

 

 

 

 

 

 修さんは、澪が出した白金粒を見て、すぐには何も言わなかった。

 

 彫金教室の作業机の上に、白い粒の入った容器が置かれている。砂金は持ってきていない。異世界で使うと決めたからだ。澪は、異世界の話をしないように、口の中で用意してきた言葉をもう一度並べた。

 

「知人経由で、素材不明の白い金属粒を預かりました。買取に出す前に、素材確認と売却の注意点を聞きたくて」

 

 修さんは澪を見た。

 

「澪ちゃん」

 

「はい」

 

「これは、相談の量じゃないね」

 

「……そうですよね」

 

「買取に出す量だね」

 

 澪は小さく頷いた。

 

 修さんは白金粒をひとつ、ピンセットでつまんだ。見た目だけで値段を言うことはしない。秤、ルーペ、簡単な確認。いつもの穏やかな先生の顔なのに、目は貴金属を扱う人のものになっていた。

 

「売るなら、記録。身分証。売却明細。税金分の取り置き。ここを絶対に曖昧にしない」

 

「はい」

 

「あと、変な持ち込み方をすると、品物より人が怪しまれる」

 

「人が」

 

「うん。品物が本物でも、人が怪しいと面倒になる。どこでどういう形で預かったのか、どう分けたのか、何を売るのか。全部説明できるようにしておく」

 

 澪は、背中に汗がにじむのを感じた。

 

「説明できる形」

 

「そう。混ざった砂のままでも駄目。分けてあるのはいい。重さを測って、記録して、買取明細を残す。税金はあとで専門家に相談する。売ったお金を全部使わない」

 

 修さんは、そこで少しだけ表情を緩めた。

 

「怖い?」

 

「怖いです」

 

「それでいいよ。怖がっている人の方が、こういう時は安全に動く」

 

 澪は何度も頷いた。

 

 怖い。

 

 でも、進める。

 

 ここで止めたら、銀行残高は痩せたままだ。

 

 

 

 

 

 貴金属買取店のカウンターは、澪が思っていたより明るかった。

 

 透明なトレーが置かれ、店員は手袋をしている。計量器、査定表、身分証を確認する端末。全部が現代の手続きだった。異世界の金洗い場の泥や水音とは、まったく違う場所に見える。

 

 けれど、トレーに置かれた白金粒は、あの捨て砂から出たものだった。

 

「本日は、こちらをお売りいただく形でよろしいですか」

 

「はい」

 

 声が少し上ずった。

 

 澪は身分証を出し、修さんに言われた通り、重さの記録と、預かった素材を分けた記録を用意しておいた。異世界とは言わない。押し入れとも言わない。素材の由来を余計に飾らず、確認できることだけを出す。

 

 店員は淡々と進めた。

 

 白金粒。

 

 重量確認。

 

 品位確認。

 

 査定。

 

 明細。

 

 手続きがひとつ進むたびに、澪の背筋が少しずつ硬くなっていく。

 

 正金貨はATMに入らない。

 

 砂金は異世界に残す。

 

 でも、白金は、査定され、明細になり、振込になる。

 

 その事実が、目の前で形になっていった。

 

 

 

 

 

 査定額が出た時、澪は椅子の背もたれに手を伸ばした。

 

「……4,400万円?」

 

「はい。今回の白金分の査定額になります」

 

「ゼロが多いです」

 

 店員は慣れているのか、穏やかな顔のままだった。澪だけが慣れていない。白金粒約4.8kg。金額は、さっきまで銀行残高を見て青ざめていた人間に向ける数字ではなかった。

 

 澪は、買取明細を両手で受け取った。

 

 紙なのに重い。

 

 修さんの声が頭の中で響く。

 

 売却記録。

 

 税金分。

 

 仕入れ記録。

 

 リュシアへの支払い記録。

 

 全部を曖昧にしない。

 

「こちら、振込予定になります」

 

「はい」

 

 澪は、何度も頷いた。

 

 大金が入る。

 

 でも、全部が自由に使えるお金ではない。

 

 そう思わないと、たぶん人間が壊れる。

 

 

 

 

 

 六畳間に戻って、銀行アプリを開いた時、澪はしばらく瞬きを忘れた。

 

 数字が増えていた。

 

 見間違いではない。閉じて、開いて、もう一度見ても、数字はそこにある。

 

「銀行残高は戻った」

 

 声に出すと、少しだけ現実味が増した。

 

「でも、全部あたしのお金じゃない」

 

 澪は帳面を開き、買取明細を横に置いた。電卓を出し、税金用、仕入れ用、生活費、白い重砂購入費、リュシアへの支払い記録、砂金の異世界側処理、砂鉄の売却予定、残渣の保管、次回回収分の予定を分けていく。数字が大きいせいで、1行書くたびに手が止まる。

 

 税金分は使わない。

 

 絶対に使わない。

 

 仕入れ資金と生活費を混ぜない。

 

 リュシアへ正金貨3枚を払った記録も残す。

 

 白い重砂は、ただ拾ったものではない。人夫が分け、袋に詰め、運び、リュシアが金貨を分け、澪が買ったものだ。そこを曖昧にしたら、商売ではなくなる。

 

 澪は、帳面の端に小さく息を吐いた跡をつけてしまい、慌ててページを押さえた。

 

 

 

 

 

 机の上には、白い重砂の残渣袋が置かれていた。

 

 黒砂と小石と灰色の粒の混じった、まだ何かを抱えていそうな砂だった。

 

 異世界では廃棄物。

 

 現代では白金。

 

 異世界では砂金と砂鉄も資源。

 

 澪は帳面の端に、ゆっくり書いた。

 

 白金は現代へ。

 

 金と鉄は異世界へ。

 

 その下に、もう一行。

 

 捨て砂は、まだ終わらない。

 

 捨てられていたものを集め、人を雇い、金貨で買い、収納で分ける。

 

 白金は現代へ。

 

 金と鉄は異世界へ。

 

 残った砂にも、まだ名前のある鉱物が混じっている。

 

「……押入商会、ゴミの分別で商売を始めました」

 

 もちろん、帳面は答えなかった。

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