押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第327話 5人増やすだけだったはずです

 トルが机の端へ、パッキング済みの棒状結晶を置いた。

 

「これで、今入れてある分は終わりです」

 

「今日は増やさなくていい。その量を覚えておいてくれ」

 

 真壁に言われ、トルは荷を運ぶために空けてあった場所へ戻っていく。ミラとピナも、研修に使った椅子を片づけていた。

 

 少し前まで5人で囲んでいた机には、完成品だけが残っている。

 

 これが、それぞれの収納の中で出来た。

 

 澪はパックを一つ持ち上げ、端まで揃った細い結晶を眺めた。真壁の収納を借りなくても、同じ品質の物が出てくる。そこに自分の作った分まで交じっているのが、まだ少し不思議だった。

 

「3月分は、3人にお願いする形で大丈夫そうですか」

 

「今の結果なら対応できる。成長すれば、必要な時間も短くなるだろう」

 

「よかった」

 

 声に出すと、ようやく終わった感じがした。

 

 800万個と聞いた時は、数字に桁が一つ多いのではないかと思ったものだ。桁は減らなかったが、真壁がずっと棒を作っていなければならない状況は変えられた。

 

 澪がパックを戻すと、真壁は机の向こうへ目を向けた。

 

「それで、澪君。社員を増やしたい」

 

 澪の手が、まだパックの上にあった。

 

「今、増やしたところですよね。出来る人を」

 

「社員の人数は増えていない」

 

 それはそうだった。

 

 研修を受けたからといって、トルが2人に分かれるわけではない。

 

 そのトルが、戸口で荷車を引いてきた人に声をかけている。ミラは食品の荷を受け取り、ピナは家具に掛ける布を抱えて奥へ向かった。誰も、結晶だけを作るためにここへ勤めているわけではなかった。

 

「今の3人なら、量産をしながら元の仕事も続けられる。だが、仕入れを増やした時も、店を増やした時も、あの3人から人を出すのかね」

 

 澪は戸口を見た。

 

 トルが相手の話を聞きながら、荷の置き場所を指している。頼めばやってくれそうだ。だから何かあるたびに頼む。本人が出来るようになるほど、頼めることも増えていく。

 

「……今度は、3人が出かけられなくなりますね」

 

「私の代わりに、あの3人をここへ縛るつもりはない」

 

 交易に同行する人も、店舗を任せられる人も欲しい。押入家具で手仕事を覚える人が増えれば、職人たちも助かるはずだった。

 

 そこまで考えると、新人に最初から棒状結晶の作り方を教える必要さえない。

 

「人を育てる時間が取れるうちに、ですね」

 

「ああ。収納と鑑定を伸ばせる者も、今から増やしておきたい」

 

「増員は賛成です。教える方まで3人に押しつけないようにしましょう」

 

「最初はこちらで見る」

 

 真壁の返事は早かった。

 

 澪は、片づけかけていた椅子をもう一度引き出した。今日の研修は終わったが、社長の仕事はまだ終わっていなかった。

 

「領都で募集すれば、来てくれるでしょうか」

 

 椅子へ腰を下ろし、澪は聞いた。

 

「来るだろう。何が出来る者を探すかによるがね」

 

「収納と鑑定が使える人だと、もう別の所で働いてそうですね」

 

「育っているなら、手放したくはないだろうな」

 

 今のトルたちを思えば、よく分かる。

 

 仕事に慣れていて、品物の扱いを知っていて、しかも収納まで使える。そんな人が他所へ移りたいと言い出したら、まず自分たちの働かせ方を振り返るところから始めそうだった。

 

「最初から両方使えなくても、教えられますよね」

 

「今日と同じところからは始められない。だが、荷の扱いから覚えるので構わん」

 

 真壁は、ピナが奥へ運んでいった布の方へ視線を向けた。

 

「技能は後からでもいい。預かった物を雑に扱う癖まで、後から直せるとは限らない」

 

「そこは面接だけだと、分かりにくそうです」

 

 一度話すだけで、何を見ればよいのだろう。緊張して黙っている子が不向きとは限らないし、受け答えが上手だから荷を丁寧に扱うとも限らなかった。

 

 知らない人を一度見て、長く一緒に働けるか決める。

 

 考えるほど難しくなってきた。

 

「まずは数人から、ですかね。こちらも、教えながら様子を見たいですし」

 

「それなら、心当たりがあるだろう」

 

 真壁に言われ、澪は顔を上げた。

 

「私にですか」

 

「君の生徒たちだ」

 

 机の結晶を見ていた目が、何もない所で止まった。

 

 孤児院。

 

 授業の度に質問をする子も、分からないと最後まで残る子も知っている。小さい子の世話をしている姿も、面倒な片づけを誰かへ押しつけて叱られた姿も見てきた。

 

 働き始める年齢が近い子もいる。

 

「……行商人になりたいって、言ってました」

 

「なら、聞いてみてはどうかね」

 

 消える人、空を飛ぶ人、大きな家を出す人。

 

 あの日の職業説明には、少々訂正が必要だった。真壁を基準に行商人を目指されると困るが、物を運んで売る仕事だと説明した後も、聞きに来る子はいた。

 

 自分は、また仕事の話をしようと思っていた。

 

 勤め先として名乗り出るところまでは、考えていなかった。

 

「先に司祭様へ相談しましょう。今、どの子がどうする予定なのかも聞きたいです」

 

 真壁が立ち上がった。

 

 澪も続こうとして、自分の椅子を見下ろす。座っていた時間は、そう長くなかった。

 

「募集を出す前に、訪問ですね」

 

「顔を知っている相手だ。話は早い」

 

 それは確かだった。

 

 ただ、何人かは仕事より先に真壁を見たがるかもしれない。澪はその心配をまだ口に出さず、上着を取りに行った。

 

 

 

 孤児院の庭では、年長の男の子が洗濯物を取り込んでいた。

 

 澪に気づいて顔を上げた拍子に、腕へ掛けた布が一枚落ちかける。脇にいた小さい子が両手で受け止め、助けたというより布ごと抱きついた。

 

「先生!」

 

「こんにちは。あ、引きずらないで。せっかく乾いたから」

 

 澪が近づく前に、年長の子が布を引き上げた。洗い直しは免れたらしい。

 

 奥からも声が上がり、戸口を出てきた男の子が履き物を直して駆けてくる。

 

「今日、勉強?」

 

「今日は司祭様にご相談です」

 

「じゃあ、終わったら?」

 

 予約が入った。

 

「お話が終わって、時間があったらね」

 

 その返事を聞く前から、片方の手を取られていた。背の低い子は澪の指を握り、大きい子は少し離れて歩きながら話しかけてくる。入口まで行く間に、洗濯物を落とした話と、落としてはいないという訂正が両側から届いた。

 

 澪は足を緩め、両方の話を聞いた。

 

 いつもなら、次の予定を考えながら通るくらいの距離だ。今日は玄関がなかなか近づかない。

 

「先生、聞いてる?」

 

「聞いてます。地面につかなかったんですよね」

 

「ほら!」

 

 片方が勝った顔をしたので、澪はもう片方も見た。

 

「でも、乾いた物で遊ばないでください」

 

 今度は反対側が勝った顔になる。

 

 両方に勝たれてしまった。

 

 玄関の近くまで来ると、洗濯物を置いてきた年長の男の子が追いついた。小さい子たちの頭越しに、少し遠慮して澪を見る。

 

「仕事の話ですか」

 

「どうして?」

 

「真壁さんもいるから」

 

 澪は振り返った。

 

 真壁は少し後ろを、普段と変わらない歩幅で来ていた。こちらが子どもたちに合わせて止まるので、距離だけが縮まっている。

 

「司祭様とお話ししてからですけど、そうです」

 

 男の子は口を開きかけて、閉じた。

 

 そのまま去らず、入口の柱のそばで待つ。以前なら他の子の勢いに押され、一緒に質問を投げていたかもしれない。澪は初めて、その子の目線が自分へ少し近づいていることに気づいた。

 

 授業に来る時には、小さい子へ先に目が行く。

 

 その後ろで待つ子たちも、ずっと同じ大きさでいるわけではなかった。

 

「待っていてくれますか」

 

 男の子が頷いた。

 

 澪の手を握っていた子が、その袖を引く。

 

「仕事の勉強?」

 

「それも、司祭様と相談してから」

 

 奥では食器を重ねる音がしていた。煮込んでいるものの匂いに、取り込まれた布の乾いた匂いが混じる。

 

 澪が入口へ向き直ったところで、後ろからひときわ高い声が上がった。

 

「真壁さん!」

 

 先に駆け寄ったのは、戸口から顔を出した女の子だった。

 

 続いてもう一人。澪のそばにいた女の子まで、真壁の前へ回り込む。真壁はぶつからないように足を止めた。

 

「今日は何を持ってきたの?」

 

「仕事の相談に来た。何かを配りに来たわけではないよ」

 

「別に、何か欲しいんじゃないもん」

 

 質問した本人がすぐに言い直した。

 

 その隣で、別の子が真壁の上着の袖を見ている。触りたそうに手を上げ、途中で引っ込めた。

 

「真壁さん、今日はここでご飯食べる?」

 

「そこまでは決めていない」

 

「食べればいいのに」

 

 滞在を延ばす相談が始まっていた。

 

 澪の手には、まだ男の子の小さな手が残っている。こちらは授業の予約で、向こうは食事の誘い。庭の狭い範囲で、ずいぶん扱いが違った。

 

 真壁が澪を見た。

 

「何か、今日ここで催しでもあるのかね」

 

「いえ。たぶん、いつもどおりです」

 

 少なくとも、真壁が来るまでは。

 

 女の子の一人が、ようやく真壁の前へ進み出た。以前、将来何になりたいかと聞いた時に、職業ではない答えを返してきた子だった。

 

「私、大きくなったら言いたいことがあるの」

 

「今ではなく?」

 

「今は言わない」

 

「では、その時に聞こう」

 

 真壁はごく普通に答えた。

 

 女の子が振り返って、隣の子に何か囁く。囁かれた方が口元を両手で覆い、なぜか澪を見た。

 

 こちらへ確認を求められても困る。

 

 澪は何も言わず、やって来たシスターへ挨拶した。

 

「司祭様はいらっしゃいますか。少し、お仕事のことで」

 

「ええ。どうぞ、中へ」

 

 シスターは集まっている子どもたちを見て、入口の前を空けさせた。

 

 女の子たちは、澪に続いて歩く真壁へついてくる。途中でシスターに呼び止められ、今度は戸口に並んだ。

 

「また来てね」

 

「まだ帰らないよ」

 

 真壁が答えた。

 

 澪は先を向いたまま、口元を押さえた。

 

 その背中へ、男の子の声が飛んでくる。

 

「先生、終わったらね!」

 

 こちらの予約も、取り消されてはいなかった。

 

 

 

 司祭様は、澪たちの話を途中で遮らずに聞いていた。

 

 量産を社員へ分けられるようになったこと。今の仕事は回せるが、今後のために人を育てたいこと。収納が使える者だけを探しているわけではないと伝えると、膝の上で重ねていた手がほどけた。

 

「では、まだ何も出来ぬ子でもよいのですかな」

 

「最初から仕事が出来るとは考えていません。まず、本人にその気があるか聞かせていただければ」

 

 真壁が答えた。

 

「いずれはここを出る年長の子たちを、と思っています。決まった行き先があれば、そちらも伺いたいです」

 

 澪が続けると、司祭様は扉の方へ目を向けた。向こう側で足音が止まり、ひそひそと声がする。

 

「気になって仕方がないようですな」

 

 シスターが扉を開けた。

 

 誰も倒れ込んではこなかったが、すぐそこにいた子が二歩ほど下がるのは見えた。

 

「まだお話し中です。呼ばれたら来なさい」

 

「待ってただけ」

 

「廊下の真ん中でなくても待てます」

 

 澪は膝の上の手を握り直した。笑ってしまうと、叱っているシスターに申し訳ない。

 

「本人が望むなら、ありがたいお話です。興味のある子を呼びましょう」

 

 司祭様の言葉で、廊下の足音が急に遠ざかった。

 

 聞こえていたらしい。

 

 場所を広間へ移すと、年長の子たちが椅子を寄せ始めた。小さい子は奥でシスターに呼ばれていたが、仕事の方が気になるのか、こちらへ何度も顔を向けている。

 

 洗濯物を取り込んでいた男の子も、今度は前の方に座った。

 

 澪は机を挟まず、空いていた椅子へ腰を下ろす。皆を見渡せる向きへ少し座り直してから、話を始めた。

 

「押入商会で、一緒に働いてくれる人を探しています」

 

 男の子の膝から手が浮いた。

 

「あ、まだ。先に説明をさせてください」

 

 手が膝へ戻った。隣の子が笑ったが、本人は澪から目を離さない。

 

「荷物を運んだり、お店で品物を売ったり。家具を作る仕事もあります。最初は教えてもらいながら、出来る仕事を少しずつ増やしていきます」

 

「物をしまえないと駄目ですか」

 

 女の子の一人が聞いた。

 

「今は使えなくても大丈夫です。みんな同じ仕事をするわけではないので」

 

 その子の肩が、少し下がった。

 

 隣にいた男の子が手を上げる。

 

「家具って、椅子も?」

 

「作っていますよ。見たことはありますか」

 

「店の前から」

 

「じゃあ、今度は作っている所も見ましょう」

 

 男の子は返事をせず、隣の椅子の背を見た。指を伸ばしかけて、自分の膝へ戻す。

 

 澪はその手を見てから、話を続けた。

 

「お手伝いをお願いするのとは違って、お給料を払って働いてもらいます。働く時間や休む日も決めます。分からないことや、気になることがあれば、今聞いてください」

 

 質問はすぐには出なかった。

 

 顔を見合わせている子もいる。真壁は口を挟まず、澪の横で待っていた。

 

「お話を聞いてみたい人はいますか。まだ、今すぐ決めなくていいです」

 

 膝に戻っていた手が、今度こそまっすぐ上がった。

 

「マティス、聞きたいことがありますか」

 

「働きたいです」

 

 洗濯物を取り込んでいた男の子が答えた。

 

 澪は、上がったままの手を見た。質問を受けるつもりだったが、応募だったらしい。

 

「前も、行商人って言ってましたね」

 

「はい。物を持って、他の町へ行くんですよね」

 

「そうです。ただ、最初から一人で行くわけではないですよ」

 

「それは一緒に来てほしいです。道、分からないので」

 

 返事がきっぱりしていた。

 

 そこまで無謀なつもりはなかったようだ。澪が少し笑うと、マティスも照れた顔になって手を下ろした。

 

「私も」

 

 先ほど収納について聞いた女の子が、胸の高さまで手を上げる。

 

「イーダも、話を聞いてみますか」

 

「荷物を扱う仕事なら。壊さないようには、出来ると思います」

 

「この子、お皿を下げる時に私のまで持っていくの」

 

 隣のローナが言った。

 

「積みすぎるから」

 

「落としてないよ」

 

「落とす前に、分けてるんだよ」

 

 イーダの声は小さかったが、返答ははっきりしていた。

 

 ローナは否定しかけて、口を閉じる。

 

 やがて自分も手を上げた。

 

「私はお店の仕事。お客さんと話す方なら、やってみたいです」

 

「お皿を運ぶ方ではなく?」

 

 澪が聞くと、ローナは一度イーダを見た。

 

「そっちは、教えてもらいます」

 

 隣に先生がいた。

 

 椅子の話をした男の子は、上がった手を順に見ていた。ローナがその袖を引く。

 

「ハンノは?」

 

「俺は、まだ作れないから」

 

「作れる人だけって言ってないよ」

 

 ハンノは澪を見た。

 

「本当に、見るだけでもいいんですか」

 

「まず工房を見て、話を聞きましょう。そこで働きたいかも、その方が分かると思います」

 

「……行きたいです」

 

 声にしてから、遅れて手が上がった。

 

 澪は笑わずに頷いた。横から押されて出た手ではあるが、最後の返事は自分で選んだものに聞こえた。

 

 少し離れた椅子で、ヨストが膝を見ている。

 

 何か言いたそうだったので待っていると、顔を上げずに尋ねた。

 

「数を数えるのは、仕事になりますか」

 

「なります。届いた荷物の数も、渡す品物の数も、合っていないと困るので」

 

「計算だけ速くても?」

 

 澪が答える前に、真壁が口を開いた。

 

「速いなら、確かめる時間も取れる。役に立つよ」

 

 ヨストがようやく顔を上げた。

 

 立ち上がるほどの勢いはなかったが、手は先ほどのイーダより高く上がっている。

 

 澪は一人ずつ、顔を見直した。

 

 マティス。イーダとローナ。ハンノ。それにヨスト。

 

「……真壁さん」

 

「5人だな」

 

「もう5人います」

 

「見ているよ」

 

 真壁は落ち着いていた。

 

 今日は司祭様に話を聞いてもらい、興味のある子がいれば改めて、くらいのつもりだった。まだ広間の椅子も温まっていない気がするのに、目の前には5人の希望者がいる。

 

 司祭様が、他の子たちにも目を向けた。

 

「今は決められぬ子も、それでよいのですよ」

 

 迷っていた子が小さく頷いた。

 

 澪は自分の椅子を少し前へ寄せた。

 

「じゃあ、もう少し詳しく話しましょう」

 

 水を飲むため、皆で壁際の机へ椅子を寄せた。

 

 シスターが水を運んでくると、イーダは自分の前の器より先に、机の端へ寄っていた器を奥へ動かした。

 

 ローナの袖が、そのすぐ外側を通る。

 

「あ、ごめん」

 

「うん」

 

 イーダは何事もなかったように自分の器を取った。

 

 澪は、荷物を丁寧に扱えるという返事を思い出した。面接のために立派なことを言ったのではない。この机でも、いつも通りに手を出している。

 

 真壁はマティスに、行ってみたい町があるのか聞いていた。

 

「まずは、ここ以外の町を見たいです」

 

「売る品より、行く先か」

 

「……それじゃ駄目ですか」

 

「見たい町があるのは構わん。ただ、帰ってくる時の荷も考えたくなるだろうな」

 

 マティスは自分の器を置いた。

 

「帰りにも売る物を積むんですか」

 

「その町で買える物がある。君が運べば、こちらで買えるようになる」

 

「何があるか、見ていいんですね」

 

 最初より声が明るくなった。

 

 澪は横から、いずれ同行する機会を作りたいと伝えた。その前に、ここで品物の扱いと値段を覚えることになる。マティスはそこでは急がず、「はい」と聞いていた。

 

 対してローナは、何を売る店なのかとすぐに聞いてきた。

 

「お店によって違います。知らない品物なら、先に使い方を覚えてもらいますね」

 

「聞かれたら答えないといけないから?」

 

「そうです。私も分からないことは、詳しい人に聞きます」

 

「先生でも?」

 

「たくさん聞きますよ」

 

 澪が真壁を見ると、ローナもそちらを向いた。

 

 真壁はローナより、机の向こうのハンノを見ている。ハンノが、空いた椅子の背に付いている継ぎ目を指で確かめていたからだった。

 

「そこが気になるかね」

 

 ハンノは手を引っ込めた。

 

「ごめんなさい」

 

「壊してはいないだろう。何を見ていた」

 

「つないだ所です。釘の頭が見えないのに、ぐらぐらしないから」

 

「押入家具でも見せてもらうといい。つなぎ方は、それだけではない」

 

 ハンノの目が、もう一度継ぎ目へ戻った。

 

 澪は、工房を案内する時は完成した家具だけ見せて帰ってはいけないと思った。作りかけの物や、合わせる前の部材を見た方が、この子には面白いのかもしれない。

 

「ヨストは、計算の他にやってみたいことはありますか」

 

「品物の数が違ったら、言ってもいいんですか」

 

 質問が返ってきた。

 

「もちろんです」

 

「相手が、大人でも?」

 

 澪はすぐに続きを言わず、ヨストの顔を見た。何かあったのかもしれないが、皆の前で聞く話ではなさそうだった。

 

「一人で言いにくければ、近くの人を呼んでください。私でもいいです」

 

「俺が間違ってたら」

 

「一緒に数え直しましょう」

 

 ヨストは器を両手で持ち直し、水を飲んだ。

 

 その隣で、イーダが真壁へ顔を向ける。

 

「しまうのも、教えてもらえますか」

 

「収納かね。使えるようになるか、一緒に試していこう。ただ、最初から大量に運ばせはしない」

 

「少しでいいです。お皿も、一度に運ばなければ落とさないから」

 

 ローナが黙って水を飲んだ。

 

 澪は見なかったことにした。

 

 給金や、教わりながら働く間のことも説明し、気になることが残っていないか順に聞く。5人とも、何でも出来るとは言わなかった。むしろ出来ないことの方を気にしている。

 

 司祭様とシスターからも、普段の様子を聞いた。

 

 日々の手伝いなら任せられることと、まだ誰かが横にいた方がよいこと。その話を聞き、真壁と澪は、最初に何を見てもらうかを考えていった。

 

 澪はハンノと、まず工房から見る約束をした。マティスは荷を出すところも見たいと言う。

 

 5人分の見学でも、ひと回りして終わりにはなりそうになかった。

 

「では、押入商会で働いてみたい、でいいですか」

 

 澪が改めて聞くと、返事は揃わなかった。

 

 マティスが先に「はい」と言い、ローナが続く。イーダは澪を見て頷いた。ハンノは少し考えてから声を出し、ヨストは最後に短く答えた。

 

「こちらからも、よろしくお願いします」

 

 司祭様が頭を下げたので、澪も慌てて姿勢を正す。

 

「こちらこそ。始める日は、受け入れる準備を確認してからご相談します」

 

 まだ配属までは決めない。まずは仕事場を見て、実際に手を動かしてもらう。

 

 椅子を戻す時、ハンノがいつもより少し長く背を持っていた。ローナがイーダに話しかけ、ヨストは空いた器を一つずつ重ねていく。マティスは戸口で待っていた小さい子に、何の話だったか聞かれていた。

 

「働くんだって」

 

 その言葉が広間へ伝わると、澪のところにも子どもが戻ってきた。

 

「先生、相談終わった?」

 

 手が伸びてくる。

 

 澪は椅子を片づけるのをやめ、もう一度座り直した。

 

 

 

 事業所へ戻る頃には、荷車の影が長くなっていた。

 

 澪が戸を開けると、ミラがこちらを見た。受け取りを終えた荷の脇で、空いた箱を重ねている。

 

「お帰りなさい。お話、どうでしたか」

 

「5人、来てもらう方向になりました」

 

「5人ですか」

 

 ミラが真壁を見た。

 

「すぐ増えるんですね」

 

「まだ勤務開始日は決めていない。まず仕事場を見てもらう」

 

 澪はミラの手から空箱を一つ受け取り、積みやすい向きに直した。

 

 見学の日なら、近いうちに相談できる。孤児院から来てもらい、ここで荷扱いを見て、工房へ案内する。時間によっては食事も一緒にすればよい。

 

 勤務が始まれば、当面は同じ道を通ってくることになるだろう。

 

 その先は。

 

 澪は箱を持ったまま止まった。

 

「真壁さん。住む場所です」

 

 真壁が振り返る。

 

「孤児院を出た後です。5人とも、ここで働いて、その後どこへ帰るのか」

 

 仕事場の受け入れは考えていた。どの仕事から見せるかも、先ほどまで話していた。

 

 でも、こちらで住居を用意する話はまだしていない。

 

「そうだな。いつまでも孤児院から通わせるわけにはいかない」

 

「住み込みにするとして……」

 

 澪は室内を見回した。

 

 研修に使った机の周りは、今なら空いている。けれど朝になれば人が座り、荷が来ればまた場所を使う。奥へ行っても、寝具や着替えを置いたままに出来る場所はなかった。

 

 夜に空く床と、住める部屋は違う。

 

 ミラが澪の腕の箱を、そっと受け取った。

 

「そこは、明日の朝の荷を置きます」

 

「ですよね」

 

 自分が見ていた床を指され、澪は頷いた。

 

 5人分の寝床を無理に作れば、翌朝には5人とも荷物と一緒に片づけられそうだった。そんな暮らしを始めさせたいわけではない。

 

「社員寮を作りましょう。仕事が終わったら、ちゃんと休める場所を」

 

「私もそれがいいと思う」

 

 真壁はすぐ外へ目を向けた。

 

「敷地を見よう」

 

「今からですか」

 

「まだ明るい」

 

 建物を作る相談が、日のあるうちに済ませる用事へ入った。

 

 澪は上着を脱ぐのをやめ、真壁について外へ出た。戸口を行き来する人を避け、建物の脇へ回る。

 

 寮なら、仕事の最中に人や荷が寝室の前を通らずに済む。共同の食事場所もあれば、働き始めたばかりの5人が、夜ごと別々に食事を探す必要もない。

 

 それを一つずつ思い浮かべながら歩いて、澪は足を止めた。

 

「社員を5人増やす話でしたよね」

 

「ああ」

 

「建物が一つ増えました」

 

 真壁は否定せず、まだ何も建っていない所を見ていた。

 

 真壁は空いている土地の端まで歩き、そこから事業所を振り返った。

 

 澪も横へ並ぶ。ここなら仕事場へ通いやすいし、少し奥へ寄せれば、荷を下ろす場所とも離せる。窓の前を荷車が通る寝室は避けたかった。

 

「5人分より、少し余裕がある方がいいですね。次に誰か来るたび、満室ですって言うのも困りますし」

 

「そうだな」

 

 真壁は地面ではなく、隣の建物の屋根を見ていた。

 

「何階くらいを考えていますか」

 

「10階だ」

 

 澪は真壁の顔を見た。

 

 聞き間違いをした時のために、しばらく待ってみる。

 

 訂正は来なかった。

 

「10階建て、ですか」

 

「ああ」

 

「5人ですよ」

 

「入る人数まで5人にする必要はないだろう」

 

 必要はない。

 

 ただ、部屋ではなく階の数が人数を追い越すとは思わなかった。

 

 澪は隣の屋根を見た。あの高さでさえ、地上から見上げればそれなりにある。その上へまだ何階も足していく。

 

 首の角度が変わった。

 

「……ここに?」

 

「ここを候補にしている。横へ広げると、後で仕事場を広げたくなった時に困る」

 

 真壁は事業所の出入口から、敷地の奥までを指した。

 

「荷が動く場所は地上へ残したい。寝室を並べるために使い切ることはない」

 

 澪も、先ほど空箱を積んでいた場所を思い出した。

 

 社員を増やすたびに、仕事場と住居の両方を広げる。寮を横へ延ばし続ければ、そのうち拡張したい所へ寮が立ちふさがるかもしれない。

 

「次も孤児院から来てもらうとは限りませんしね」

 

「領都の外から働きに来る者もいるだろう。最初から全ての部屋を使わなくていい」

 

 話だけ聞けば納得できた。

 

 もう一度空を見上げると、納得した分より高かった。

 

「侯爵領で初めての10階建てが、社員寮になるんですね」

 

「毎日使う建物だ。用途としては悪くない」

 

 真壁はすでに階の使い方を考えていた。

 

 1階に食堂と厨房を置き、出入りする人が使う共用部分をまとめる。

 

 2階は浴室や洗濯の場所、仕事の後に集まる共用室を中心にする。

 

 その上を居室にすれば、夜に食堂へ人が集まっても、寝室のすぐ隣で騒がしくならずに済む。

 

「勉強する場所は、食堂と分けてほしいです。途中で全部片づけなくてもいいように」

 

 澪が言うと、真壁は2階を示すように指を上げた。

 

「そこへ入れよう」

 

「男女の居室と、お風呂も分けてください」

 

「当然だ。使う部屋は下から埋めればいい。上は次の採用に備えて空けておく」

 

 最初の5人が、空の廊下を何階も歩く必要はないらしい。そこは少し安心した。

 

「昇り降りは、共同商館みたいな設備が要りますね」

 

「用意する。人だけでなく、寝具や家具も上げるからな」

 

 澪はハンノの顔を思い出しかけて、やめた。まだ働き始めてもいない子に、10階まで家具を運ぶ仕事を想像させたくなかった。

 

 真壁は出入口と階段を置く場所を、地面の上で位置を変えながら確かめていく。昇降設備が止まっても上下を行き来でき、何かあった時には建物の外まで抜けられるようにする。

 

 上まで水を届けることも、使った水を下へ流すことも、壁を作った後では手間が増える。配管を通す場所まで含めて、最初に収めるつもりだった。

 

 澪は、自分の頭の中にあった小さな寮をいったん脇へ置いた。

 

「建てるのは分かりました。ただ、暮らす方まで一度に大きくしないでくださいね。5人しかいないのに、10階分のお掃除を毎日するとか」

 

「使う所から開ける。厨房も、今いる人数に合わせて動かせばよい」

 

「それなら……10階建てで、お願いします」

 

 自分で言ってしまった。

 

 真壁が、もう少し事業所から離れた位置へ歩いた。

 

「では、入口はこちらにしよう。仕事の荷と、帰ってきた社員が交差しない」

 

 澪も移動し、そこからもう一度上を見た。

 

 まだ何もない空なのに、先ほどより高く感じた。

 

 事業所へ戻る途中で、澪は厨房に立つ人のことを考えていた。

 

 鍋と火を置けば、ご飯が出来るわけではない。食材を用意して、作って、食べ終わったものを片づける人が要る。5人が仕事を終えて帰ってから、毎日全部を交代でこなすのでは、休むための寮が忙しくなる。

 

「食事をお願いする人も、探さないといけませんね」

 

「必要だな。まずは少人数分からだ」

 

「5人より、採用人数が増えそうです」

 

 真壁は否定しなかった。

 

 そこで増えないと言われるよりはいいが、澪はもう、今日の出発時点を思い出すのをやめたくなった。

 

 入口で足を止めたのは、前から長い荷が来たからだった。

 

 家具に使う部材を運ぶ人が、内側から声をかけてくる。澪たちは壁へ寄り、先に通してもらった。真壁は荷の先端が戸口を抜けるまで見ていた。

 

「新人を教える場所も、ここでは狭いな」

 

「今日の机なら座れますけど」

 

「座って教わるだけなら、だ」

 

 澪は室内へ入って、机の向こうを見た。

 

 荷を受け取る場所から机へ向かう途中を、別の人が空箱を持って通る。新人がそこへ立ち止まり、教える人が隣に付けば、それだけで通り道が細くなる。

 

 収納へ入れる練習にも、取り出した物を置く場所は必要だった。

 

「生産に使う原料と、出来上がった物も、受け渡す場所を分けたいです。慣れない子が同じ所へ置かないように」

 

「事業所を広げよう。荷を動かす所と、教える所を別に取る」

 

 机を一つ増やすつもりで見た空間が、壁の向こうまで広がった。

 

 澪は戸口を振り返る。

 

「寮とは別ですよね」

 

「もちろんだ」

 

 寮の共用室が、いつの間にか検品待ちの品で埋まることは避けられそうだった。

 

 真壁は普段ここで働く人たちにも、どこで人や荷を待たせることが多いか聞いていった。机の配置を変えるだけで済む所もあれば、受け取りに来る人を外へ待たせている所もある。

 

 澪が見学の子を立たせようと思った場所は、完成品を渡すために空けている場所だった。

 

 空いているから使える、ではない。

 

 今日はそれを何度も教わっていた。

 

 そのまま押入家具の工房へ足を運ぶと、入口から木の匂いが流れてきた。

 

 床には薄い削り屑が巻いている。作業台の脇には削る前の材料があり、奥では布を掛けた家具が引き取りを待っていた。職人が手を止め、澪たちへ顔を向ける。

 

「新しく入る子に、ここも見てもらいたいんです。家具作りに興味がある子がいて」

 

「それはいい。教えるなら、この台を空けるか」

 

 職人が隣の台を見た。

 

 そこには部材が並んでいた。

 

「……いや、こいつをどかす先が要るな」

 

 澪は何も言わず、真壁を見た。

 

 真壁は少し奥へ入った所で、完成品を置いている範囲を確かめている。

 

「材料と完成品の置き場所を広げれば、作業台の周りも空けられる。教える台は、普段の仕事を止めなくてよい所へ置きたい」

 

「そこが取れるなら助かる。見て覚えろとは言えるが、手を出す場所もないんじゃな」

 

 職人が台の上から、短い端材を拾った。

 

 ハンノがここへ来れば、触りたがるだろう。隣でやり方を見て、自分でも削ってみる。失敗してもう一度やり直す間、誰かの作業がずっと待ちになるのでは、本人も遠慮する。

 

「工房も、広げましょう」

 

 澪が言うと、真壁はこちらを見た。

 

「今度は君からだな」

 

「必要なんですよね」

 

「ああ」

 

 見に来なければ、工房にも人が入るだけだと思っていたかもしれない。

 

 来てしまったので、分かってしまった。

 

 職人たちに置き場所を聞きながら、真壁は建物の外へ回った。寮に使う敷地と、事業所側へ残す場所、工房を広げる方向が、ようやく澪にも一つにつながって見える。

 

 横へ何も考えず寮を並べていたら、このどれかを塞いでいた。

 

 真壁はそれぞれの入口を確かめ、荷車が出入りする所を空けたまま配置を決めていった。

 

「寮の家具も、こちらにお願いすることになりますね」

 

 澪が職人へ言うと、すぐに返事が来た。

 

「何部屋だい」

 

「まだ決めていません。まず5人分からで」

 

「それなら、作りながら教えるのにもいい」

 

 ここだけは、5人で通じた。

 

 澪は今のうちに頷いておいた。

 

 

 

 建築が始まると、澪が最初に見たのは高い壁ではなく、深く開いた地面だった。

 

 真壁の収納へ土が収まり、必要な範囲だけが掘り下げられていく。靄が薄れると、地盤を確かめた跡と、基礎を収める形が現れた。

 

 地上からは見えない部分の方が、まず大きかった。

 

「下も、これだけ使うんですね」

 

「上に載せる分を支えるからな」

 

 真壁は足元の状態を鑑定し、次に施工する所へ目を移した。

 

 土木工事Lv7で地盤と基礎を整え、建築Lv7で、その上へ据える構造を組んでいく。

 

 収納から出す柱も梁も、置けそうな所へ順に置いているのではなかった。階段や配管を通す場所を残し、建物全体で力を受けられる位置へ収めていく。

 

 澪も建材を出すのを手伝った。

 

 手元にあった部材が、指定された場所へ渡る。次に顔を上げると、もうそこが建物の一部になっている。真壁の次の指示を聞いているうちに、窓になる空間の向こうから事業所が見えるようになった。

 

「ここが食堂ですか」

 

「そうだ。厨房は向こうになる」

 

 澪はまだ何も置かれていない床を見渡した。

 

 朝、ここへ下りてきてご飯を食べる。仕事へ出かけ、帰ってきたら自分の荷物を置ける部屋がある。

 

 孤児院で順に上がった手が浮かんだ。

 

 ここへ来るまでに用意するものは、寝台だけでも、仕事だけでもなかった。

 

 真壁に呼ばれ、澪は次の部材へ意識を戻した。

 

 工事は寮だけを見て進めるわけにもいかなかった。事業所の受け入れを続け、工房の仕事を止めず、使える場所から順に拡張していく。前に出した部材が次の搬入を塞ぎそうになれば、先に置き場所を変える。

 

 

 

 数日後、澪は事業所の前で足を止めた。

 

 建物は隣の屋根より上へ伸びていた。普段ならそのまま歩く人まで、一度上を見てから戸を開けている。

 

 上の階にはまだ壁が入り切っておらず、柱と梁の間を空が透けていた。内装も、昇降設備も、これから仕上げる所がある。それでも、もう小さな寮とは呼びようがない。

 

「……5人増やすだけだったはずです」

 

 横にいた真壁が、同じ建物を見上げた。

 

「工房を広げると言ったのは君だよ」

 

「言いました。今も、広げた方がいいと思ってます」

 

 澪は上着の襟を直し、もう一度建物を見た。

 

 マティスたちには、先に寮の大きさを伝えておいた方がよさそうだった。

 

 職場見学へ来て、行く建物を間違えたと思われても困る。

 

「完成したら、最初に5人を案内しましょう」

 

「そのつもりだ」

 

 真壁は建材の方へ戻っていった。

 

 澪も後を追いかけ、次に必要な部材を聞いた。

 

 

 

 高台の侯爵邸からは、領都の屋根がよく見えた。

 

 エレナは窓辺で足を止めた。

 

 屋根の向こうに、別の屋根がある。その間から細い煙が上がり、通りを行く荷車が建物の陰へ消える。いつもなら、その先に城壁が見えるはずだった。

 

 今日は途中に、知らない建物がある。

 

 いや、屋根がない。

 

 壁の上から柱が伸び、その間へ横向きの部材が渡っていた。完成していないのに、周りの建物はもう下にある。

 

 エレナは窓へ近づき、通りを目でたどった。

 

 あの辺りには、押入商会の事業所がある。

 

「兄上、押入商会の辺りに高い建物が建ってますよ」

 

 呼びかけると、アルベルトも窓辺へ来た。

 

 エレナが指した方を見て、その視線が少し上がる。

 

「あの高さまで来たか」

 

「知っていたんですか?」

 

「下の方が出来たのは見えていた」

 

 エレナはもう一度建物を見た。

 

 高台のこちらからでも、上の方ははっきり見える。あの窓からなら、町はどんなふうに見えるのだろう。

 

 隣で何か言いかけた兄へ、顔を向けた。

 

「行ってみたいです」

 

「まだ工事中だぞ」

 

「下からでも見たいです」

 

 アルベルトの目が、エレナの手元へ下りた。

 

 すでに窓辺を離れるため、裾を持ち上げていた。

 

「……先に上着を着てきなさい」

 

 エレナはすぐに手を離した。

 

「はい!」

 

 返事を終える前に、足は扉へ向かっていた。

 

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