押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第333話 袋に入れるだけです

 

「事業にするなら、今ある加工場で何が出来るのかを先に見たいわ」

 

 セリネアは、処分場所へ向かう魚籠から作業台へ視線を戻した。

 

 父へ話を通し、新しい加工場を用意する。それだけなら伯爵家の力で進められるのかもしれない。

 

 けれど、目の前に並んだ薄焼きも魚醤も、まだ試作品だった。おいしい物が出来たことと、明日から町の仕事として回せることは違う。

 

「干物と塩蔵だけでも、今は手いっぱいです」

 

 ロセリオが先に釘を刺した。

 

「今日のように船が重なれば、売り場へ出す者も足りません。新しい物を作るなら、場所も人手も別に要ります」

 

「分かっているわ。だから、いきなり増やすとは言っていないでしょう」

 

 セリネアは気を悪くした様子もなく、魚介スープの袋を持ち上げた。接合部を指でなぞり、今度は薄焼きの皿を見る。

 

「今ある物と、足りない物を分けたいの」

 

 真壁が、作業場の奥に並ぶ樽と炉へ目を向けた。

 

「なら、新しい物を増やす前に、今作っている物を見せてもらおう」

 

「さっき、干物と塩蔵は聞きましたけど。他にもあるんですか?」

 

 理央は焼き上げた薄焼きを布で覆いながら尋ねた。

 

「ある」

 

 ロセリオの返事は短い。

 

「また試食ですか?」

 

「見るところ、そこなんですね」

 

 澪が言うと、理央は皿を持ったまま作業場を見た。

 

「だって、魚の加工場ですよ」

 

「味見だけで終わるとは限りませんよ」

 

「それは、今ので分かりました」

 

 自分の薄焼きが事業の話へ入った嬉しさは、まだ顔に残っている。

 

 ただし、加工場と人手と採算まで話が広がったせいで、皿を抱える腕には少し力が入っていた。

 

「案内しよう」

 

 ロセリオは人だかりの中から加工場の者を呼び、奥の扉へ向かった。

 

 澪は後を追いながら、作業台を振り返る。

 

 押入商会が魚を全部買い、全部加工する形にはしたくない。まず見るべきなのは、自分たちが作れる物ではなく、この町が既に作っている物だった。

 

 

 

 加工場へ入ると、魚市場とは違う匂いがした。

 

 生魚と海水だけではない。薪の煙、焦げた脂、塩、酢、香草。それぞれが近くにあるのに、混じりきらず別々の場所から流れてくる。

 

 濡れた石床の上を、魚を載せた木皿が行き交っていた。

 

「小さい魚なら干す。脂の多い物は煙へ回す。塩が利く魚なら樽だ」

 

 燻製場の親方が、梁から下がる魚を指した。

 

 腹を開いた小魚は風の通る棚へ。脂の多い切り身は、奥の低い炉へ。大きさの揃わない魚は、状態を見て塩蔵用の樽へ分けられている。

 

「同じ種類でも、全部同じにはしないんですね」

 

「脂も身の厚さも違う。晴れが続くか、雨が来るかでも変わる」

 

 親方は、干しかけの魚の腹へ指を当てた。見ただけでは澪には分からない水分の残りを、皮の張りと指先の感触で確かめている。

 

 塩蔵を担当する女性は、魚を並べるたびに塩の量を変えていた。

 

「塩を多くすれば、長く持つんじゃないんですか?」

 

 理央が樽を覗く。

 

「持ちはするよ。食べた時に塩の味しかしなくてもいいならね」

 

「よくないです」

 

「だから魚と季節で変えるのさ」

 

 即答した理央へ、女性は塩のついた手を見せて笑った。

 

 さらに奥には、酢と香草へ小魚を漬けた浅い壺があった。別の棚では、塩を利かせた切り身が植物油の中へ沈んでいる。

 

「酢に漬けた物もあるんですね」

 

「暑い時期は、こっちの方が売れることもある。さっぱりしているからな」

 

 酢漬けを作る職人が蓋をずらすと、魚の匂いより先に酸味が鼻へ届いた。

 

「油の方は?」

 

「身が固くなりすぎない。ただ、油が安くない。何でも沈めるわけにはいかん」

 

 保存出来るかだけでは決めていない。

 

 味、季節、材料の値段。職人たちは長年の経験で、それぞれを使い分けていた。

 

「これは、パンに付けるんですか?」

 

 理央が見つけたのは、魚の身を崩して香草と練った物だった。器の中には、淡い茶色の柔らかなペーストが詰まっている。

 

「身が割れた魚や、切り分けた端を使う。傷んだ魚は混ぜないぞ」

 

「売り物にならない形でも、食べられるところは残りますもんね」

 

「形を気にせず食えるようにした物だ」

 

 その隣の鍋では、魚の頭と骨、貝の欠けた物が煮込まれていた。澪が中を覗くと、白く濁った煮汁の表面へ細かな脂が浮いている。

 

「これも売るんですか?」

 

「食堂へ持っていく。水で伸ばして汁物にするし、煮込みにも使う」

 

 真壁は鍋ではなく、壁際の棚を見ていた。

 

 乾燥棚の空き。積まれた薪。蓋の閉まった樽の数。酢と油の壺が置かれた場所まで、順に確かめている。

 

「保存する方法は、既に揃っているようだな」

 

「海の町だ。魚を今日中に食い切る方法だけで暮らせるものか」

 

 親方の返事には、少しだけ棘があった。

 

 澪は否定せず、もう一度、干物の棚を見た。

 

 ここへ足りないのは、魚を保存食へ変える知恵ではない。

 

 

 

「これだけ作れるなら、今日の魚も加工場へ回せないんですか?」

 

 理央が尋ねると、燻製場の親方は梁の魚を一本ずつ数えるように見上げた。

 

「どこへ置く?」

 

「え?」

 

「干す棚は埋まっている。炉は火を落とせん。塩の樽も、次に空くのは売りに出した後だ」

 

 親方は薪の山へ顎を向けた。

 

「魚が増えれば、薪も塩も要る。酢も油もただではない」

 

「棚を増やせば済む話でもない」

 

 ロセリオが続けた。

 

「大漁の翌日だけ使う棚へ、誰が金を出す。雨が続けば干せんし、燻した魚が全部すぐ売れるとも限らん」

 

 ちょうど二人の作業員が、塩蔵を終えた樽を運び出そうとしていた。

 

 肩へ渡した棒が大きくしなり、持ち上げるだけで二人の足が止まる。樽の中身は魚だが、重量のかなりの部分は塩と漬け汁だった。

 

「これは、どこへ?」

 

「市場の仲買へ渡す。樽ごと買う相手でなければ、ここで小さな桶へ移す」

 

「移した後は?」

 

「汁が漏れないよう布を巻く。それでも長い道を運べば、緩むことはある」

 

 ロセリオは、床へ落ちた塩水を避けて脇へ寄った。

 

「売り場を増やすにも、運ぶ者と入れ物が要る」

 

 澪は、先ほど見た処分魚の山を思い出した。

 

 魚を無駄にしたい者はいない。加工出来るだけ加工した後でも、船からは次の魚が下りてくる。

 

「作っても売れなければ、今度は加工品を捨てることになる」

 

 親方が言った。

 

 干物にすれば問題が終わるわけではなかった。樽へ入れても、樽のまま町の外へ勝手に売れていくわけではない。

 

 セリネアは、塩蔵用の大樽へ手を置いた。

 

「作れる量だけ増やしても、売る先が同じなら意味がないのね」

 

「保存期間と輸送範囲を伸ばせれば、売り先は増やせる」

 

 真壁の視線が、樽から乾燥棚へ移る。

 

「だが、加工場を大きくする前に、今ある品がどこまで運べるかを見るべきだろう」

 

「魚を加工するところまでは出来ている。弱いのは、その先ですか」

 

 澪の言葉に、ロセリオはすぐ賛成しなかった。

 

「運べても、荷が重ければ値が上がる。酢や油を壺ごと運ぶなら、魚より容器を運んでいるようなものだ」

 

「塩蔵の樽も、小分けで売るには大きすぎますね」

 

 澪は樽の幅を見た。

 

 魚を加工し、包み、保管し、運び、売る。

 

 今止まっている場所は、加工の手前ではなかった。

 

「なら、先に出口を変えてみよう」

 

 真壁が、乾燥棚から出来上がった干物を一枚取った。

 

 

 

 真壁は干物を作業台へ置いた。

 

「作り方は変えなくてよい」

 

 燻製場の親方が、真壁と干物を見比べる。

 

「では、何をする?」

 

「最後に包む」

 

 靄が作業台の上へ広がった。

 

 現れたのは、透明な袋の束と小型の密封器具、秤、何も印字されていないラベルだった。真壁は袋の幅を確かめ、干物より一回り大きな物を一枚抜き取る。

 

「これへ入れるだけですか?」

 

 理央が聞いた。

 

「まずはな」

 

「その言い方、続きがありますよね」

 

「ある」

 

 真壁は干物を袋へ入れ、開口部を器具へ挟んだ。

 

 低い作動音と共に、袋の中の空気が抜けていく。柔らかかった袋が魚の形へ沿い、尾と鰭の周りまで密着した。

 

 最後に開口部が熱で閉じられる。

 

「魚が薄くなったみたいです」

 

「中身の厚さは変わっていませんよ」

 

「見た目の話です」

 

 理央は袋の端を持ち、光へ透かした。中の干物は見えるが、直接触れない。持ち上げても魚の匂いが手へ移らず、脂も漏れてこなかった。

 

 親方は、密着した袋の表面を指先で押した。

 

「空気を抜いて、口を閉じたのか」

 

「そうだ。ただし、包めば何でも長く持つわけではない」

 

 真壁は接合部を親方へ向けた。

 

「中身の水分、塩分、脂、保存する温度で結果は変わる。袋が傷んでも駄目だ。品ごとに確かめる必要がある」

 

「『袋に入れるだけです』で終わらないんですね」

 

「終わったら危ないですよ」

 

 澪は、真壁が用意した秤へ干物を載せた。

 

「重さを量って、中身が何か分かるようにして、保存条件も決めます。売るなら、同じ袋に別の魚を入れて分からなくなるのも困りますから」

 

「包む前より、することが増えてないですか?」

 

「魚の作り方は増えていない」

 

 真壁が答えた。

 

 親方はもう一度、自分が作った干物の袋を持ち上げる。

 

「これで本当に違うのか?」

 

「比べれば分かる」

 

 真壁は同じ棚に並んでいた干物を、三枚選んだ。

 

 

 

「三枚とも、今朝から同じ棚にあった物だ」

 

 親方が確認した。

 

 魚の種類も大きさも、干した時間も同じ。真壁は三枚を作業台へ横に並べた。

 

 一枚目には何もしない。二枚目は、加工場で普段使っている紙に包み、細い紐を掛ける。三枚目だけ、先ほどの袋へ入れて空気を抜き、密封する。

 

「条件を同じにして、包み方だけ変えるんですね」

 

 澪は一枚目の干物へ鑑定を使った。

 

 作りたてとして問題はない。残っている水分、脂の状態、塩分、香り。三枚を順に確かめても、開始時点で目立つ差はなかった。

 

「こちらも同じです」

 

「同じ物を選んだんだから当然だろう」

 

 親方が言う。

 

「はい。今は同じでないと困るんです」

 

 澪は三枚分の結果を真壁へ伝えた。

 

 真壁は同じ干物をさらに用意し、三つの状態へ分けていく。一度だけ取り出して終わりでは、どの時点から違いが出たのか分からない。

 

「一週間分、一か月分、三か月分を作る」

 

「三枚じゃ足りなかったですね」

 

「最初の三枚は説明用だ」

 

「そういうの、先に言ってください」

 

 理央は紙へ包む方を手伝おうとして、真壁に止められた。

 

「普段の包み方は、ここの者に任せた方がよい」

 

「同じに包んだつもりでも、違うかもしれないからですか?」

 

「それもある」

 

 塩蔵を担当する女性が紙を折り、いつもの位置へ紐を掛けた。袋へ入れる干物は、澪が一枚ずつ重さを量る。

 

 燻製魚も同じように分けた。

 

 薄焼きは理央が作った物から、厚さと焼き具合の近い物を選ぶ。こちらは何も覆わない状態ではなく、普段の籠、紙包み、密封袋で比べることになった。

 

「私のだけ、急に責任が重くないですか?」

 

「厚さがばらばらなら、包装の差か焼き方の差か分からなくなります」

 

「三枚目以降は揃ってます」

 

「では、それを使おう」

 

 真壁は試料ごとに小さなラベルを付けた。

 

 品名、加工日、包装方式、内容量、試験番号。

 

 見た目だけで決めず、時間を進めた後でも同じ物を比べられる形が整った。

 

 

 

 真壁は試料を、収納内の保存試験区画へ収めた。

 

 作業台から袋と紙包みが消える。靄が薄れると、残ったのは比較用の作りたてだけだった。

 

「今度も、時間を進めるんですよね」

 

 理央は念を押した。

 

「そうだ。温度を揃えた区画で、一週間、一か月、三か月に分ける」

 

「全部まとめて三か月にしないんですか?」

 

「三か月後に悪くなっていたとして、いつから売れない状態になったのか分からんだろう」

 

「あ、途中が要るんですね」

 

 一週間相当を経過させた試料から、真壁が取り出した。

 

 何もしていない干物は、作りたてより表面が乾いていた。紙包みは乾き方が少し緩やかだが、紙そのものへ脂がにじんでいる。

 

 真空包装は、袋が魚の形へ密着したままだった。

 

 澪は三つを鑑定し、外見では分からない脂の状態と劣化の兆候まで確かめる。

 

「一週間では、どれも食べられます。ただ、何もしていない物は香りが落ちています。紙包みは少し乾燥が進んでいますね」

 

「袋の方は?」

 

 親方が聞いた。

 

「今のところ、作りたてに一番近いです」

 

 親方は、三つの干物を同じ順に並べ直した。何もしていない物、紙包み、密封袋。最初は袋だけを見ていたが、今は表面の色と尾の乾き方まで比べている。

 

「一週間なら、紙でも売れる」

 

「そうですね」

 

 澪が答えると、親方は真空包装した方へすぐ飛びつかなかった。

 

「町の中で売り切る物に、この袋は要らんかもしれん」

 

「その判断も必要だ」

 

 真壁は一週間分のラベルへ印を付け、次の試料を取り出した。

 

 一か月相当では、違いが大きくなった。

 

 何もしていない干物には、脂が酸化した兆候が出ている。紙包みは食べられる状態を保っていたものの、近くへ置いた燻製の匂いが移っていた。

 

「同じ区画へ置いたからか」

 

 親方が紙を開き、鼻を近づける。

 

「売り物を荷車へ一緒に積めば、同じことは起きますね」

 

 澪は真空包装の接合部を確かめた。漏れはなく、脂の状態も紙包みより良い。

 

 燻製魚では、差が香りへ出た。

 

 紙包みの方は煙の香りが弱まり、代わりに干物の匂いが混じっている。真空包装した方は、封を切った時に燻製の香りがはっきり立った。

 

「これなら、町の外でも同じ匂いで売れる」

 

 燻製場の親方の声が、先ほどより近くなった。

 

 三か月相当を経過させた薄焼きを並べると、差は口へ入れる前に分かった。

 

 籠へ入れただけの物は湿気を吸い、指で持ち上げても割れない。紙包みはまだ形を保っているが、端を折った音が鈍かった。

 

 密封袋を開けた物は、理央が軽く力を加えただけで、乾いた音を立てて割れた。

 

「同じ薄焼きですよね?」

 

「同じ物です。包み方しか違いません」

 

 澪が答える。

 

 理央は三枚を順に食べた。最初の一枚ではすぐ顔をしかめ、二枚目は噛んでから首を傾げる。最後の一枚だけは、もう一片割って口へ入れた。

 

「三か月経ったのに、これなら売れそうです」

 

「この薄焼きでは、だ」

 

 真壁が言葉を足した。

 

「袋へ入れれば全て同じ結果になるわけではない。魚の種類も、水分も、塩分も違う。保存する温度も決めなければならん」

 

「でも、試す価値はある」

 

 セリネアは、真空包装した干物を手に取った。

 

 親方は止めなかった。

 

 

 

 セリネアが持っているのは、先ほどまで棚にあった干物と同じ物だった。

 

 決まった量が一つの袋へ収まり、外から魚の状態が見える。脂も匂いも外へ漏れず、紐を解かなくても中身を確かめられた。

 

 澪は紙包みと密封袋を一つずつ持ち、作業台の端から端まで運んだ。

 

 紙包みは底を支えなければ魚が中で動く。燻製の隣へ置けば、外側の紙へすぐ香りが移った。

 

 密封袋は片手でも持てた。魚が袋の中でずれず、積み重ねても下の品を直接汚さない。

 

「これなら、荷車へ積む時も魚同士が擦れにくいわね」

 

「籠の中で尾が折れることも減るだろう」

 

 ロセリオは袋を裏返し、接合部を見た。

 

 澪は空いているラベルへ、真壁から聞いた内容を書き込んでいく。

 

 魚の種類。加工方法。内容量。製造日。試験で確認した保存期間。最後に、この干物を作った加工場の名。

 

「品質も入れる?」

 

 セリネアが聞いた。

 

「同じ基準で分けられるようになってからの方がいいと思います。上等と書く人、普通と書く人が別々では、買う側が比べられませんから」

 

「では、最初は魚と作り方を間違えない表示までね」

 

「押入商会の名前ではないのね」

 

 セリネアが気づいた。

 

「作ったのは、こちらの加工場ですから」

 

「袋を持ってきたのは、そちらでしょう?」

 

「袋を売る時には、どこから仕入れたか分かるようにします。でも、中身まで私たちが作ったことには出来ません」

 

 澪がラベルを貼ると、理央が横から覗き込んだ。

 

「同じ干物なのに、急に高そうです」

 

「うちの魚だぞ」

 

 親方が言った。

 

「中身じゃなくて、見た目がです」

 

「それは褒めているのか?」

 

「褒めてます。昨日まで籠に重なっていたのが、急にお土産っぽくなりました」

 

「土産に干物を買うのか」

 

「海のないところなら、買う人いると思います」

 

 理央は袋を親方へ返した。

 

 親方は受け取る時、さっきまでのように尾をつままなかった。ラベルを避け、袋の両端を両手で持つ。

 

「急に丁寧になりましたね」

 

「破れば試験にならん」

 

「さっきは片手で持ってました」

 

「それは包む前だ」

 

 セリネアが袋を見たまま言う。

 

「見た目も、値段の一部よ」

 

 親方は返事をせず、加工場名の書かれたラベルをもう一度読み直した。

 

 

 

「押入商会で魚を加工して、それを町へ卸すわけではないのね」

 

 セリネアの問いに、澪は頷いた。

 

「その形だと、私たちが来ない日は止まってしまいます。それに、干物も燻製も、こちらの職人さんが作った方が確かです」

 

 澪に出来るのは、鑑定で現在の状態を確かめることだ。

 

 何日干すか、どの魚を煙へ回すか、季節ごとの塩加減まで、今日見ただけで職人と同じにはなれない。

 

「卸すなら、こちらだ」

 

 真壁が透明な袋を一枚、密封器具の上へ置いた。

 

「袋と器具を売る。交換部品とラベルも必要になるだろう」

 

「最初から全部、同じ袋でいいの?」

 

「商品ごとに大きさと材質を選ぶ。保存期間の比較と、密封方法、保管条件を決めるところまでは一緒に行うべきだな」

 

 セリネアは、干物、燻製、薄焼きの袋を並べ直した。

 

「決まった後は、加工場が自分で包む」

 

「その方が、この町の仕事になります」

 

 澪が言うと、燻製場の親方が真壁を見た。

 

「この器具は、難しいのか?」

 

「扱うだけなら難しくない。だが、接合部へ脂や欠片が付けば密封に失敗する。袋へ詰めすぎてもいかん」

 

「なら、作る者に覚えさせる」

 

 親方は、密封器具の前へ立った。

 

 真壁が横へ一度ずれ、場所を譲る。

 

 親方は干物を袋へ入れたが、尾が開口部まで届いていた。そのまま器具へ挟もうとして、真壁の手が止める。

 

「それでは閉じる場所へ脂が付く」

 

「袋が小さいのか?」

 

「その魚にはな」

 

 少し大きな袋へ替えると、今度は口をまっすぐ挟めた。空気が抜け、親方の干物が袋へ密着していく。

 

 接合部を確認した真壁は、端だけを軽く引いた。

 

「これならよい」

 

「一度で覚えられそうですか?」

 

 理央が尋ねる。

 

「魚を見て袋を選ぶところからなら、何度か要る」

 

 親方は完成した一袋を脇へ置き、次の干物へ手を伸ばした。袋を使う作業まで、もう自分の持ち場へ入れている。

 

「袋が切れれば止まるぞ」

 

 ロセリオが言った。

 

「なら在庫を持つ。そこも商売でしょう」

 

 セリネアは即答した。

 

「初回分も買うわ。試験だからと無料にされても、次に幾ら掛かるのか分からなくなるもの」

 

「価格は、袋の種類と数を決めてから出します」

 

 澪は先に答えた。

 

 無料で配れば始めやすい。けれど、次から金が掛かった時に続かなければ、試験で良い結果が出ても仕事にはならない。

 

「器具は販売と貸し出しの両方を見よう。故障時の交換も含めてな」

 

 真壁が言うと、セリネアは袋を一枚取り、指の間で厚みを確かめた。

 

「魚ではなく、これを継続して買う商売になるのね」

 

 その横では、親方が初めて触る密封器具へ、慎重に干物の袋を挟んでいた。

 

 

 

「なら、この汁物も同じ袋へ入れればいいのか?」

 

 塩蔵を担当する女性が、作業台に残っていた魚介スープを示した。

 

 理央も真空包装した干物とスープの袋を見比べる。

 

「見た目は、似てますよね」

 

「それは別だ」

 

 真壁が、すぐに止めた。

 

「別なんですか?」

 

「水分の多い物は、干物と同じには扱えん。空気を抜いただけで安全になるわけではないからな」

 

 真壁は魚介スープの袋を手に取った。

 

 干物に使った物より、熱に強く、気密性も高い。袋へ一食分ずつ詰める時も、接合部へ中身を付けず、決めた位置で密封する必要があった。

 

 真壁は二枚の袋を、灯りへ透かした。

 

 干物用は薄く、折ればすぐ形が変わる。スープ用は層が重なっているため向こうが見えにくく、同じ大きさでも手に残る硬さが違った。

 

「こっちは、中身が見えにくいですね」

 

「見た目より、熱と密封を優先している。透明にすることが目的ではない」

 

「これは袋へ入れた後に、浄化と加熱もしています。保存試験もしました」

 

 澪が説明すると、理央は袋の端を見た。

 

「そうでした。さっき見てたのに、袋の方だけ同じだと思いました」

 

「似ているから間違えやすい。分けて扱った方がよいな」

 

 真壁は干物用の袋とスープ用の袋を離して置いた。

 

「煮魚や汁物を長く保存するなら、中身ごとに加熱の条件を決める。密封出来たかも確かめる。作った後の保存試験も必要だ」

 

「真空にしたから大丈夫、ではないんですね」

 

「むしろ、外から異常が分かりにくい場合もある。鑑定があっても、商品として売るなら工程を省く理由にはならん」

 

「鑑定を使える人が、全部の袋を一生見続けるわけにもいきませんからね」

 

 澪はスープ用の袋を戻した。

 

 押入商会が最初の条件を確かめることは出来る。

 

 けれど、現地で作り続けるなら、作る人が変わっても同じ手順で安全を守れるようにしなければならない。

 

 職人たちは、二種類の袋を見比べた。

 

 薄く見える一枚の包装でも、中身が変われば必要な扱いまで変わる。

 

「干物の袋より、ずいぶん手が掛かるのね」

 

 セリネアの関心は、袋の性能ではなく、その手間が幾らになるかへ向いていた。

 

 

 

「袋そのものも高い」

 

 真壁が答えた。

 

「熱へ耐え、長く気密を保てる材質が要る。充填、密封、加熱、検査にも人手と設備が掛かる。途中で失敗すれば、中身ごと売れなくなる」

 

 セリネアは魚介スープの袋を秤へ載せた。

 

「安い魚一匹を長く持たせるために、魚より高い袋を使うこともある?」

 

「あり得る」

 

「なら、全部へ使うのは駄目ね」

 

 決めるのが早かった。

 

 理央が作業台を見る。

 

「長く持つ方が、いい商品じゃないんですか?」

 

「売れるまでに必要な日数を持てばいいのよ」

 

 セリネアは真空包装した干物を、スープの横へ置いた。

 

「この干物を町で売るのに一年は要らない。三か月持たせる袋で足りるなら、余った費用は誰も払ってくれないわ」

 

「確かに、保存するために高くなりすぎたら買いにくいです」

 

「それに、長く持つ商品を作っても、置いたままでは金にならないでしょう?」

 

 セリネアの指が、袋、秤、ラベルの順に動く。

 

 真壁は作業台の上を空け、干物用の袋とスープ用の袋を十枚ずつ重ねた。その横へ、塩、薪、空の小瓶も置く。

 

「干物なら、作った後に袋を選び、空気を抜き、閉じる。増える工程は少ない」

 

 次に、スープ用の袋の前へ鍋と柄杓を寄せた。

 

「こちらは一食分を量って詰める。口を汚さず閉じ、中身に合わせて加熱する。処理後の確認と保存試験も要る」

 

 同じ十袋でも、作業台に必要な物の数が違っていた。

 

「人が一人増えるだけでは済まないわね」

 

「作る量によっては、専用の場所も要るだろう」

 

 セリネアは十枚の袋を見た後、鍋の方だけを元の場所へ戻した。

 

 真空包装を中心にするのは、干物、燻製、塩蔵魚の小分け、薄焼き。水分が少なく、比較試験で条件を確かめられた物から始める。

 

 酢漬けや油漬け、魚のペーストは、今使っている容器との費用差を見る。無理に袋へ変えず、漏れや重さを減らせる物だけ試す。

 

 魚介スープや煮魚は、長距離へ運ぶ価値が包装費を上回る物に絞る。

 

「干物一袋に、スープと同じ手間を掛けたら?」

 

 セリネアが真壁へ尋ねた。

 

「包装の方が高くつくだろう」

 

「なら使い分けるべきね」

 

「長く持たせる必要がある商品だけ、ですね」

 

 澪が言うと、セリネアはスープの袋だけを作業台の端へ分けた。

 

「これは少量。まず、誰が高くても買うのかを見ましょう」

 

 セリネアはスープ用の袋を二枚だけ取り分け、残りを真壁へ返した。

 

 

 

 加工場の机へ、トルヴィア周辺の簡単な地図が広げられた。

 

 セリネアは港の位置へ指を置き、真空包装した干物をその横へ並べる。

 

「最初から遠くへ売る必要はないわ。まず、この町とアルヴェラで値段を見たい」

 

「アルヴェラへは、今も魚を出している」

 

 ロセリオが言った。

 

「鮮魚とは別に扱う。今ある優先分を減らしたと思われたら面倒でしょう」

 

 セリネアは地図の沿岸へ指を滑らせた。

 

「干物と燻製は、トルヴィアの市場、アルヴェラ、北岸街道。沿岸船へも少し載せられるわね」

 

「船なら、匂いが他の荷へ移りにくいのも利点になる」

 

 真壁の言葉に、ロセリオが袋の接合部を見た。

 

「破れなければな」

 

「積み方も試す必要がありますね」

 

 澪は袋を重ね、魚の尾や骨が隣の袋を傷つけないか確かめた。薄焼きなら軽くて運びやすいが、割れれば商品にならない。

 

 ロセリオは空の魚籠を一つ運ばせ、袋を立てて入れた。隙間が多ければ中で動き、詰めすぎれば尾の硬い部分へ力が掛かる。

 

「袋だけ丈夫でも駄目だな」

 

「籠の中を分けましょう。干物と薄焼きも、同じ積み方には出来ません」

 

 澪が答えると、理央は薄焼きの袋を干物から離した。

 

「薄焼きは、港で食べる分と船員向け。旅人が持っていくなら、割れない包み方も要ります」

 

 理央は自分の薄焼きを地図の海側へ置いた。

 

「あと、お土産です」

 

「それは外せないんですね」

 

「見た目がもう、お土産なので」

 

 魚醤は町の食堂と加工場へ。味を気に入る家庭があれば、小さな容器でも売れる。ただし、収納内で急いで作った試作品だけを並べるのではなく、通常の時間で同じ味になるか確かめる必要があった。

 

 レトルトの魚介スープは、長距離航海や内陸の宿屋へ向く可能性がある。けれど、今すぐそこまで運ぶとは決めない。

 

「保存期間は、売り先に合わせて決めればよい」

 

 真壁が言った。

 

「売り先も、売れた物に合わせて増やす」

 

 セリネアはトルヴィアとアルヴェラの間へ指を戻した。

 

「最初は、ここまでで十分よ」

 

 ロセリオは地図から視線を上げ、机へ身を寄せた。

 

「それなら、試せる」

 

 

 

「協力する加工場は、こちらで選ぶ」

 

 ロセリオは燻製場の親方と塩蔵を担当する女性を見た。

 

「干物、燻製、塩蔵の小分け。まず三軒だ。薄焼きは、今日の分を売って反応を見る」

 

「今日の分も売るんですか?」

 

 理央の声が弾んだ。

 

「売らずに何を試す」

 

「いえ、そうなんですけど。失敗作は入れないでくださいね」

 

「あれはもう食われた」

 

 ロセリオが人だかりの方を見る。醤油を入れすぎた薄焼きまで、皿には欠片しか残っていなかった。

 

「じゃあ、大丈夫です」

 

 真壁は初回に必要な真空袋の数と大きさを、加工品ごとに分けた。密封器具は試験中だけ貸し出し、継続する加工場には販売する。袋も無料にはせず、試験用の価格を付ける。

 

「本格的な卸値は、破損と使った枚数を見てから決めよう」

 

「袋を失敗した分も数えるわ」

 

 セリネアはロセリオへ、試験販売で必要な項目を伝えた。

 

 売れた袋数と日数、普段の品との価格差、袋代、運ぶ途中の破損。返品された時には、その理由と保存状態も残す。

 

「加工場ごとに分けて。作った者の名前が消えないように」

 

 魚醤は、通常の時間で仕込む容器を別に用意する。

 

 魚介スープは高い包装を使う少量試験として扱い、同じ売り台へ大量に並べない。

 

 澪は、真空包装を終えた干物へ最後のラベルを貼った。

 

 魚の種類、加工方法、内容量、製造日、試験で確認した保存期間。そして、加工場の名。

 

 市場の売り台へ並べられた袋は、まだ十にも満たない。

 

 中身は昨日までと同じ職人が、同じ塩と風を使って作った干物だった。

 

「やっぱり、別の商品に見えます」

 

 理央が売り台の前で言った。

 

 燻製場の親方は、その一袋を手に取った。加工場名のところを読み、元の位置へ戻す。少し斜めになったのが気になったらしく、もう一度持ち上げて隣の袋と端を揃えた。

 

「触り方まで別の商品ですね」

 

「袋を曲げるな」

 

「曲げてません」

 

 澪たちの後ろで、セリネアは試験販売の数字を書かせ始めていた。包装費を上乗せした値札が置かれると、通りかかった市場の客が足を止める。

 

 その客より先に、隣の加工場から来た男が袋を覗き込んだ。

 

「なあ、うちの燻製も包めるか?」

 

 親方は返事をせず、自分の加工場名が貼られた干物を一袋、男の前へ向けた。

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