押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第335話 作れても売りません

 

 三月十二日。

 

 押入商会のハイエースが東都特殊金属試作の受入口へ着くと、待機していた担当者が荷台の扉を開けた。

 

 中に積まれているのは、封をした輸送箱だった。箱ごとにロット番号、内容量、総重量を記したラベルが貼られ、納品書の記載と対応している。

 

 輸送中に中身が動かないよう、箱の内側では小分けされた容器が固定されている。外から見えるのは、重ねられた箱と白いラベルだけだ。

 

 直径一・二五ミリ、長さ四ミリ。

 

 SFP向け特殊フローライト加工品、二百万個。三月分八百万個のうち、最初の納品分である。

 

「では、こちらから運びます」

 

 担当者が台車を寄せ、輸送箱を一つずつ移していく。

 

 荷姿だけを見れば、大口取引には見えなかった。総重量は約三十一・二キロ。包装や輸送箱を含めても、二人いれば無理なく扱える量だ。

 

 以前に運んだ一トンのチタンや五百キロのタングステンとは、ずいぶん違う。

 

 けれど、納品額は四億円だった。

 

 一個なら指先へ載る。二百万個をまとめても、金属の原料を運んだ時ほど車体は沈まない。

 

 澪は自分でも持てそうな箱が台車へ載せられるのを見ながら、金額の桁だけが別の場所にあるような気分になった。

 

「篠原さん、まず外装とラベルを確認します。その後、受入区画でロットごとの照合に入ります」

 

 鷺沼はいつもと変わらない声で言った。

 

 受入口にも、浮ついた空気はない。担当者はラベルを読み、照合した番号へ印を付け、決められた位置へ箱を並べていく。

 

 別の担当者が輸送時の封を確かめ、異常なしと記録した。真壁も荷台に残った箱がないことを見てから、納品書の搬入欄へ印を付ける。

 

 四億円という数字を声に出している者はいなかった。

 

 澪も納品書を開き、そこに記された数量と箱の番号を追った。

 

 持ち上げられる重さと、軽々しくは扱えない金額が、同じ台車に載っていた。

 

 受入区画では、輸送箱がロットごとに分けられた。

 

 担当者が封の状態とラベルを確認し、納品書に添付された記録と照らし合わせていく。確認されるのは、ロット番号、合格数量、総重量、包装状態、製造記録だった。

 

 真壁は工程ごとにまとめた記録を差し出した。

 

 そこには、原料を揃えた時点から、成形、切断、寸法確認までの処理数が残されている。欠けや内部亀裂を理由に外した数も、合格品へ混ざらないよう別に記録してあった。

 

「製造数ではありません。合格判定を通した後の確定数です」

 

 加工中に欠けた物や、寸法の外れた物、内部に亀裂のある物は除外してある。二百万個というのは、作った総数ではなく、東都へ渡せる状態に揃えた数だった。

 

「不合格品は納品分から分離してあります。今日の箱に入っているのは、記録上も合格品だけです」

 

「分かりました。除外数も含めて記録を預かります」

 

「こちらでもロットと重量を照合します」

 

 鷺沼が受入担当者へ目を向ける。箱は順に計量され、ラベルの記載と納品記録に大きな差がないことが確かめられた。

 

 もちろん、それだけで受入が終わるわけではない。

 

 各ロットから抜き取られた試料が、隣の確認台へ運ばれる。技術担当者は寸法を測り、欠けの有無を確かめ、光を通して内部の亀裂を見た。端面の処理と、予備研磨の状態も記録していく。

 

 澪は、整然と並んだ輸送箱を見回した。

 

「二百万個を数える人はいないんですね」

 

「いても頼まん」

 

 真壁は即答した。

 

 鷺沼がわずかに口元を緩めたが、確認の手は止まらない。

 

 生産時に残した確定数の記録を基礎にし、重量で矛盾がないかを調べる。さらにロット表示と抜取試料を照合する。それが、二百万個を一つずつ数える代わりの確認だった。

 

 重量は数量そのものを決めるためではなく、箱の取り違えや記録との大きな食い違いを見つけるために使われている。小さな差まで個数へ換算して、一個単位の正しさを装う確認ではない。

 

 抜取試料は一つの容器からだけ取らず、ロットの複数箇所から集められた。技術担当者が測定結果を記録するたび、受入表の未確認欄が順に埋まっていく。

 

 しばらくして、最後の試料を見ていた技術担当者が顔を上げた。

 

「抜取分、寸法と外観に問題ありません。内部亀裂もありません」

 

 続いて包装と数量記録の確認も終わり、受入担当者が鷺沼へ書類を渡す。

 

「第一回納品分、受入可能です」

 

 その言葉で、台車の上にあった二百万個が、正式に東都の受入工程を通った。

 

 鷺沼は受入書の確認欄へ目を通し、判を押した。

 

 乾いた音が、書類の束の上で一度だけ鳴る。

 

 透明な小さな円柱は、最初から同じ形をしていた。

 

 東都へ持ち込んだばかりの頃は分析試料で、次は試作品になった。そして今日からは、正式な量産品としてロット番号を与えられ、受入記録に残る。

 

 見た目は変わらない。

 

 変わったのは、失敗したら作り直せばよい試料ではなくなったことだった。

 

 受け入れられた物は東都の工程へ入り、その先の顧客へ向けた製品に組み込まれる。どのロットを、いつ、どれだけ渡したか。後から問題が見つかれば、今日の記録まで遡ることになる。

 

 押入商会が受け持つのは、原料の選別とロットの均一化、円柱への成形、切断、寸法確認、欠けと内部亀裂の除外、端面処理、予備研磨まで。

 

 この後の最終光学研磨やコーティング、実装、顧客ごとの品質保証、配分、輸出、ロット追跡、不具合対応は東都が受け持つ。

 

 押入商会が保証するのは、今日引き渡した加工品の品質までだ。その先で作られる完成品の性能まで、押入商会の責任に含まれるわけではない。

 

 どこまでを作り、どこからを渡したのか。その境目も、受入書へ残された。

 

 真壁は控えの工程欄を確かめた。押入商会の担当範囲と、東都が受入後に行う工程が混ざっていないことを見ると、澪へ小さく頷く。

 

「受領しました。正式な記録は、こちらから押入商会さんへ送ります」

 

 鷺沼から控えを受け取り、澪は判の押された欄を見た。

 

 試作品の時にも、受領を示す書類はあった。だが今回は、数量も責任も正式な契約の中へ入っている。押された印の向こうで、納品した箱が東都の管理物へ変わっていた。

 

 二百万個、四億円。

 

 何度見ても大きすぎる数字より、紙の上に残った赤い印の方が、今日の取引を現実に見せていた。

 

 

 

 受入を終えた後、澪と真壁は鷺沼に案内されて会議室へ移った。

 

 机の上には、今日の受入結果と今後の納品予定が置かれている。その横に、見慣れない資料が一冊だけ分けてあった。

 

 受入の話を続けるなら、次は十九日の納品確認になるはずだった。鷺沼はその予定表ではなく、分けて置いた資料へ手を伸ばした。

 

「もう一点、評価先から問い合わせが来ています」

 

 鷺沼が資料を開く。

 

「今の加工品より太い棒材を作れないかという話です。それ以外にも、板材や、さらに大きな光学材料について、供給可能な範囲を知りたいと」

 

「今回の評価から出た話ですか」

 

「はい。小型品の結果を見て、別用途へ展開できないか検討したいそうです。今すぐ正式発注という話ではありません。まず、押入商会さんがどの大きさまで対応できるか確認したいという問い合わせです」

 

 示された希望寸法は、一・二五ミリの小さな円柱とは比べものにならなかった。

 

 同じフローライトでも、部品というより素材そのものに近い。

 

 細い棒材なら今の工程を広げたようにも見える。板材から先は、完成品の設計に合わせる部品ではなく、使う側が用途を選べる材料になっていく。

 

「大型ですか?」

 

 澪は隣の真壁を見た。

 

 形を作るだけなら、真壁は方法を考えるだろう。これまでにも、必要な寸法や状態を聞き、加工工程へ落とし込んできた。

 

 だが、真壁は資料へ手を伸ばす前に答えた。

 

「大型規格は、今のところお受けしない方がいいと思います」

 

 鷺沼がページを押さえたまま、真壁を見る。

 

「加工が難しいということでしょうか」

 

「いいえ。加工方法を検討する前に、供給してよい物かを決める必要があります」

 

 真壁は、できる寸法も必要な日数も答えなかった。

 

 技術的な検討へ入れば、次は試料の数量と価格の話になる。そこへ進む前に、入口で止めたのだ。

 

「作れないんですか?」

 

 澪が尋ねると、真壁は視線だけをこちらへ向けた。

 

「作れるかどうかの話ではない」

 

 依頼を受けられるかではなく、受けてよいか。

 

 真壁が止めたのは、加工の難易度ではなかった。

 

 真壁は、鷺沼が開いた資料を手元へ引き寄せた。

 

「今の規格は小さく、使い道も追いやすい。東都さんが最終加工と配分を受け持ち、どの顧客へどれだけ渡すかも管理できます」

 

 直径一・二五ミリ、長さ四ミリ。

 

 用途に合わせて決めた大きさだからこそ、その先の流れも限定できる。

 

「大型になると、用途が通信だけでは収まらなくなる可能性があります」

 

「他の光学機器にも使える、という意味ですか」

 

「高出力のレーザー、特殊な光学装置、高度な計測機器、高エネルギーを扱う設備。軍事だけではなく、エネルギー分野まで広がるでしょう」

 

 フローライトの塊そのものが、武器になるわけではない。

 

 しかし、高品質で大きな材料を同じ状態で供給し続けられれば、それを使う装置の性能上限を押し上げる可能性がある。

 

 一つの企業が新製品を売る、というだけでは終わらない。

 

 同じ材料を誰が継続して使えるかで、研究の進み方や、作れる装置の差まで変わる。大型で均質な材料ほど用途を限定しにくく、押入商会が売り先を一社決めただけでは、その後まで管理できない。

 

「そこまで行くと、一企業同士の取引だけでは済まなくなると思います」

 

 真壁は資料にある希望寸法を指で押さえた。

 

「どこへ売るか、誰が使うか、どの国へ渡せるか。売上とは別の判断が増えます。押入商会が今、その問題へ入る必要はありません」

 

「東都だけで管理条件を決めるのも難しくなる、ということですね」

 

「そう思います。用途によっては、輸出や研究機関との調整だけでは済まないでしょう。安定供給できる量まで知られれば、企業間の競争より大きな話になります」

 

 鷺沼はすぐに反論せず、資料へ視線を戻した。

 

 評価先から届いた時には、新しい商機に見えたのだろう。けれど希望される寸法が大きくなるほど、管理しなければならない範囲まで広がっていく。

 

 誰にも売らないなら、今はそこで線を引ける。

 

 特定の相手だけに渡せば、その相手へ有利な条件を与えることになる。かといって誰にでも売れば、流通した後の用途を追えなくなる。

 

 澪には、どちらが正しいかを今ここで決められなかった。

 

「面倒になりますね」

 

 澪が言うと、真壁は頷いた。

 

「大変面倒だ」

 

「大型規格については、現時点では供給しません。将来、用途と管理体制を確認できる条件が整えば、改めて検討します」

 

「分かりました。評価先には、現段階では対応しないと回答します」

 

 鷺沼は問い合わせ資料を閉じた。

 

 閉じられた資料の上に、大型規格の希望寸法だけが残っていた。

 

「蛍石そのものなら調達できます。供給では中国の比重がかなり大きい材料です」

 

 鷺沼は大型規格の資料を脇へ置き、比較評価の報告書を開いた。

 

 蛍石は、市場に存在しない未知の物質ではない。国内でも使われており、海外から買うこともできる。

 

 日本だけで採掘から供給までを賄う材料ではなく、海外の供給に頼る部分が大きい。取扱業者も用途もすでに存在し、調達の道筋そのものが秘密というわけではなかった。

 

 問題は、買える蛍石ならどれでも、押入商会から納めた物と同じ結果が出るわけではないことだった。

 

「既存の調達先では、同程度の性能は出ていますか」

 

 真壁が尋ねる。

 

「そこが出ていません。少なくとも、こちらで比較した範囲では」

 

 鷺沼は報告書の比較欄を開いた。

 

 調べられたのは、純度や微量成分だけではない。結晶の状態、均一性、加工時の欠けやすさ、実際に試作へ組み込んだ際の評価まで並んでいる。

 

 数値の高い項目を一つだけ抜き出して、優れていると決めた比較ではない。加工する側が扱いやすく、出来上がった試作品でも期待した結果が続くか。その組み合わせで差が出ていた。

 

 一つだけなら近い結果が出る物もある。

 

 だが、それらが同時に揃わなかった。

 

「そうですか」

 

 真壁の返事は短かった。

 

 世界に同じ物が一つもない、と証明されたわけではない。東都が比較できた範囲で、同程度の性能を安定して得られる調達先が見つかっていないだけだ。

 

 それでも、商売の相手が判断するには十分な差だった。

 

 代替品がすぐに見つかるなら、供給元を深く調べる理由は弱い。見つからないまま量産が続けば、理由を知りたい相手は増えていく。

 

 鷺沼が報告書を一枚めくる。

 

 話題は、材料の性能から、その材料がどこから来たのかへ移った。

 

「この量を継続して納められることも、評価先には伝わっています」

 

 鷺沼の指が、報告書に添えられた供給予定をなぞった。

 

 三月だけで八百万個。それも、一度だけ偶然できた試料ではなく、同じ規格と品質で四回に分けて納める契約である。

 

 一回目の二百万個は、先ほど正式に受け入れられた。残る三回も同じ条件で納められれば、試料だけを作れる会社ではなく、供給を続けられる会社だと見られる。

 

「同じ性能の物が他から手に入らないと分かれば、次に気にされるのは供給元でしょう」

 

 真壁が言った。

 

「供給元、ですか」

 

「原料はどこで採れたのか。どの業者から仕入れ、どう精製したのか。結晶を作る設備があるのか。誰が条件を知っているのか。供給をどこまで増やせるのか」

 

 澪は、並べられた問いを頭の中で追った。

 

 押入商会の事情を知らない者なら、未知の鉱山を押さえたか、秘密の精製法を持っているか、独自の結晶育成設備を隠していると考えるだろう。

 

 購入履歴を探し、納品車を見て、押入商会と東都の間にいる業者を調べる。存在しない仕入先を辿ろうとしても、調べる側には、それが存在しないとは分からない。

 

 押入から異世界へ行って入手している、という結論に辿り着く方が難しい。

 

「供給元だけでなく、製造条件まで探ろうとする相手は出てくるでしょう」

 

 真壁は鷺沼を不安にさせるような言い方はしなかった。

 

 ただ、知りたい相手が何を調べるかを順番に並べただけだった。

 

 原料の出所を辿れなければ、加工記録を見る。

 

 加工記録に届かなければ、それを知っている人間を探す。

 

 正面から共同研究や取引を申し込む相手ばかりとは限らない。必要な数字だけを聞き出そうとする者も、関係者へ近づく者も出るかもしれない。

 

 取引規模が増えれば、納品に関わる部署も人も増える。押入商会の名前を知る者が増えるほど、どこか一か所へ聞けば済む話ではなくなる。

 

「以前、専任部門を作るという話がありましたよね」

 

 真壁の問いに、鷺沼は姿勢を正した。

 

「はい。採用も進めています」

 

 専任部門を作るという話は、取引の拡大が決まった時から出ていた。

 

 これまでの東都なら、担当者同士が互いの顔を知り、必要な情報を同じ範囲で共有するやり方でも回せたのだろう。

 

 隣の席で何をしているかが分かり、書類を渡す相手も決まっている。小さな組織では、その近さ自体が確認の役目を果たすこともある。

 

 しかし、人を増やして部署を分ければ、同じやり方のままでは情報が広がりすぎる。

 

 新しい担当者が増えれば、教えるための資料が作られ、保存場所も増える。部署をまたぐたびに複製されれば、どこまで届いたかを一人の記憶では追えなくなる。

 

「一点、気をつけていただきたいことがあります」

 

 真壁は鷺沼へ向き直った。

 

「これから人を増やすのであれば、採用と情報管理は少し慎重にした方がいいと思います」

 

「そこまで狙われる可能性がありますか」

 

「同じ性能の物が他から手に入らないと分かれば、供給元や製造条件を探ろうとする相手は出てくるでしょう」

 

 競合企業かもしれない。

 

 海外の企業や研究機関、取引の間に入る商社、情報そのものを売買する者かもしれない。

 

 誰が動くかは、今の段階では分からない。何も起きない可能性もある。

 

 それでも、調べられるだけの価値が生まれたことは、考えておいた方がよかった。人を増やしている今なら、権限を渡す前に仕組みを整えられる。

 

「産業スパイ、ですか」

 

 鷺沼が声を落とした。

 

「産業スパイも、可能性としては考えておいた方がいいと思います」

 

 会議室の空気が、そこでわずかに変わった。

 

 今日納めたのは、手で運べる量の小さな部品だった。

 

 東都では、その小さな部品のために専任部門が作られ、人員まで増えようとしている。それだけでも、外から見れば取引の価値を推測する材料になる。

 

 けれど東都の中へ入ったのは、部品だけではない。他社が同じ性能を出せていない材料の記録と、その供給元へ繋がる情報も、同じ工程へ入っていた。

 

「採用する人間を、最初から疑えということでしょうか」

 

 鷺沼の問いに、真壁は首を横に振った。

 

「いいえ。人を信用することと、必要のない情報まで渡すことは別だと思います」

 

 真壁は机の上にある書類を、内容ごとに指した。

 

「原料の出所を知らなくてもできる仕事はあります。顧客名を知らなくてもできる検査もあります」

 

 製造条件を見る者が、顧客ごとの納入数量まで知る必要はない。

 

 反対に、顧客との納期を調整する者が、加工条件の全てを持つ必要もない。

 

 輸出の手続をする者が、押入商会の原料入手先へ触れる必要もない。

 

 保管区画へ入れることと、試作品の評価資料を読めることも、同じ権限にする理由はなかった。

 

「情報を分ける、と」

 

「そうです。新しく入った方へ、初日から全部を見せる必要はありません」

 

 対象になるのは正社員だけではない。

 

 外部の委託先、見学者、短期の作業者。退職した後も残っている利用権限や、社外へ持ち出せる資料。確認する場所は、採用面接だけでは済まなかった。

 

 悪意のある一人だけを見つければ済む話でもない。必要以上の情報へ誰でも触れられる状態なら、置き忘れや送信先の間違いでも同じ物が外へ出る。

 

 鷺沼は手元の紙へ短く書き留めた。

 

「権限の分離と、外部を含めた出入りの確認ですね」

 

「記録も残した方がいいと思います。誰が何を扱ったか分からなければ、問題が起きた時に確認できません」

 

「その辺りは、一度専門の方を交えて見直した方がいいと思います」

 

 真壁が示したのは、管理の考え方までだった。

 

 具体的に誰へ何を見せ、どの設備と書類をどう守るか。それを決めるのは、東都の業務と人員を知る者の役目だった。

 

 すべてを閉じれば仕事が止まる。

 

 すべてを開けば、守る意味がなくなる。

 

 鷺沼は、採用という見出しの横へ、配属、権限、持出し、退職時確認と順に書き加えた。

 

 必要な人が、必要な情報だけを扱えるようにする。その線を引く作業が要るのだ。

 

「秘密保持契約や顧客情報の管理は、これまでも行っています」

 

 鷺沼は、言い訳をするのではなく、現在の状態を確かめるように言った。

 

「加工条件も、社外へ出せる物と出せない物を分けています。ただ、今の体制をそのまま人数だけ増やせばよいかというと……」

 

「今まで問題がなかったことと、これからも同じでよいことは別です」

 

「ええ。扱う金額も、関係する顧客も変わります」

 

 言葉を切り、受入結果の書類へ目を落とす。

 

 同程度の物を別の調達先から買える材料と、今のところ代わりの見つかっていない材料では、情報の価値が違う。

 

 年間で数百億円規模に届き得る供給契約があり、海外への出荷にも繋がる。製品の性能だけでなく、供給元そのものが競争上の情報になっていた。

 

 東都が何もしてこなかったわけではない。

 

 守る物が増え、狙う理由が大きくなった。その変化に合わせて、これまでの管理を一段上げる必要が出てきたのだ。

 

「今までの管理で十分か、一度見直します。採用の手順と、配属後に与える権限も含めて」

 

「お願いします」

 

 真壁は、それ以上の指示を重ねなかった。

 

 何を守るべきかは伝えた。東都の組織をどう作るかまで押入商会が決めれば、責任の境界が崩れる。

 

「押入商会さん側にも、同じような対策は?」

 

 鷺沼の視線が、真壁から澪へ移った。

 

 澪は一瞬だけ答えに詰まった。

 

 押入商会では、人を採用する前に鑑定を使っている。けれど、その方法を外へ説明することはできない。

 

 信用できる相手かを確かめるだけなら、東都の質問へ答えられたかもしれない。けれど鑑定で見える範囲や、何を基準に判断しているかまで話せば、今度は押入商会側の情報管理に穴を開ける。

 

「こちらはこちらで、必要な確認はしております」

 

 真壁が代わりに答えた。

 

「当方も、出してよい情報は分けています。東都さんへお伝えしているのも、今回の取引に必要な範囲です」

 

 鷺沼は澪を追及せず、頷いた。

 

「分かりました。こちらも、必要な範囲を整理します」

 

 取引相手を信用しているからこそ、渡さない情報を決める。

 

 鷺沼も、それを拒絶とは受け取らなかった。

 

 澪は、鷺沼の前に置かれた資料が、話の内容ごとに別の束へ分けられていくのを見ていた。

 

 打ち合わせを終える頃には、受入書の控えと次回納品の確認書が揃っていた。

 

「次回は三月十九日、同じく二百万個です」

 

 鷺沼が日付と数量を読み上げる。

 

「規格と品質条件も今回と同じ物をお願いします。不具合が見つかった場合は、これまでどおり私を窓口にして、ロット番号を添えて連絡します」

 

「東都さんで最終加工へ入った後の記録も、ロットごとに残りますか」

 

 真壁が確認する。

 

「残します。配分先まで追えるようにします。評価先から何か戻った場合も、該当ロットを確認します」

 

「分かりました。こちらも同じ判定条件で準備します」

 

 澪は確認書へ署名し、真壁へ渡した。

 

 真壁は規格、数量、納品日を確かめる。大型規格についての記載がないことも見た後、書類を澪へ戻した。

 

 次回分も、押入商会の責任範囲は今日と変わらない。東都へ渡せる合格品を二百万個揃え、記録と一緒に納める。

 

「大型品の問い合わせには、現時点では対応しないと回答します」

 

「供給しない、と伝えてください。条件が変わった時はこちらで再検討します」

 

「承知しました」

 

 鷺沼は今日の打ち合わせ事項を閉じた。

 

 押入商会が持ち帰るのは、次の二百万個を同じ条件で揃える仕事。

 

 東都に残るのは、受け入れたロットを次の工程へ回し、記録を繋ぎ、採用と情報管理を見直す仕事だった。

 

 

 

 澪と真壁は鷺沼に見送られ、受入口の横を通って外へ出た。

 

 納品した輸送箱は、もうそこにはない。受入を終えた二百万個は、ロットごとに東都の管理区画へ運ばれていた。

 

 四億円分を運び終えた帰りなのに、ハイエースの荷台が空になったことより、会議室に置いてきた大型規格の方が澪の頭へ残っている。

 

 澪は手元の控えを開く。

 

 次回納品日、三月十九日。

 

 数量、二百万個。

 

 直径一・二五ミリ、長さ四ミリ。

 

「次も、この大きさですね」

 

「そうだ」

 

 真壁はそれだけ答え、ハイエースの助手席へ乗った。

 

 澪は確認書を閉じた。次回分の規格欄にあるのは、今日と同じ二つの数字だけだった。

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