翌朝、侯爵領事業所の作業台には、昨日使った透明容器がまだ並んでいた。
洗って伏せてあるものが多い中、湿った土を入れた1つだけが蓋をされたまま残っている。
澪は椅子へ座るより先に、自分の収納を開いた。
農場の天頂部では《光》が消えることなく照り続け、刈らずに残した花と、緑の葉を明るく浮かび上がらせている。
その下の土へ視線を移したところで、澪の指が止まった。
「昨日より増えてます」
帳面を開きかけていた理央が、嫌な予感でもしたように顔を上げた。
「一晩でですか?」
「収納の中では、一晩じゃないですけど」
「それ、安心していい補足ですか?」
魚とは違う、と言い返しかけたものの、澪にも自信がなかった。
土の中を動く蚯蚓は、昨日の記録に残した密度ではない。
植物の切れ端が目に見えて減り、表層には細かな糞が広がっている。
しかも、ちらりと見える個体がどれも太い。
増えてよい生き物だから成功、と帳面へ書くには、いささか元気がよすぎた。
澪は比較用に数匹と周囲の土だけを選び、作業台の透明容器へ出した。
湿った土が柔らかく崩れ、その中から艶のある蚯蚓が身をくねらせる。
理央は容器を覗き込み、すぐに顔を澪へ向けた。
「これ、昨日のと同じ種類ですよね?」
「同じです」
「太くないですか?」
「そこが気になって出しました」
真壁は容器を手元へ寄せ、土の匂いを確かめてから蚯蚓へ目を落とした。
「うーむ、いささか元気すぎるな」
「いささかで済ませていいんですか?」
「弱っているよりはよい」
真壁は容器を返し、澪の帳面を指先で軽く叩いた。
「土の方はどうなのかね」
澪は農場の表層を《鑑定》し、昨日の数値と見比べた。
水分も空気の通りも許容範囲にあり、pHも大きく動いていない。
植物残渣は減り、有機物が混じった表層には、小さな塊ができ始めている。
火山灰を混ぜただけの頃にあった、指の間から逃げそうな頼りなさが薄れていた。
「土もよくなっています」
「蚯蚓のおかげですか?」
理央の問いに、澪はすぐ答えず、表示を上から読み直した。
「蚯蚓だけ、とは言えません」
火山性基材に根が入り、緑肥と微生物が加わり、水分と空気を調整した上で時間を進めた。
そこへ蚯蚓が加わって、いくつもの働きが同時に進んでいる。
太くなった理由には遊離魔素も考えられるが、今のところは候補の1つでしかない。
「原因は保留です」
「増えたのに?」
「増えたからこそです」
理央は少し考え、容器の中で元気に動く蚯蚓を見直した。
「魚の時より慎重になってます」
「学びました」
「昨日ですよね、それ」
澪は聞こえなかったことにして、土壌記録へ新しい数値を書き込んだ。
昨日まで植物を育てる場所だった農場で、今は土そのものが育ち始めている。
嬉しいはずなのに、収納の中で太い蚯蚓が増えていく光景を見ていると、手放しでは喜べなかった。
土の変化を確かめたあと、澪は農場へ視線を戻した。
レンゲソウとクローバーの花はまだ広く残り、白いソバの花がその間を埋めている。
天頂部の《光》を受けた花畑は、昨日と変わらずきれいだった。
だからこそ、その下へ《収納内工程》の指定範囲を重ねたところで、澪の手が止まった。
「……刈ります」
「間がありましたね」
「昨日、あんなにきれいだったので」
理央も作業台に置かれた花の試料を見た。
収納の中までは見えなくても、澪が何を惜しんでいるのかは分かったらしい。
「残すところはないんですか?」
「比較用の区画は残します」
「では、全部なくなるわけではないな」
真壁は急かさず、帳面へ日付だけを書いた。
「惜しいのだろう」
「はい」
「待っているよ」
澪が収納を見たまま黙っていると、本当に誰も急かさなかった。
数秒たってから理央が真壁へ目を向ける。
「本当に待つんですね」
「待つと言ったのでね」
これ以上待たせる方が恥ずかしくなり、澪は《収納内工程》を実行した。
指定した大区画から、花と茎が一斉に刈り取られる。
刈った植物体は細かく刻み、根を抜かずに表層へ浅く戻した。
11.7haをまとめて土へ混ぜれば、腐敗や酸欠が起きても止めにくい。
澪は農場をいくつかに分け、1区画を処理するたびに水分と空気の通りを見直した。
花の色が消え、代わりに刻まれた緑が土の上へ薄く広がっていく。
惜しさは消えなかったが、なくなったようには見えなくなった。
昨日咲いたものが、次に植える作物の足元へ移っただけだった。
「根は残しているんですか?」
「はい。土の中でそのまま分解させます」
「蚯蚓のご飯も増えるんですね」
理央が透明容器へ目を向けると、土の中の蚯蚓がちょうど表面へ頭を出した。
「これ以上、元気になるんですか?」
「それは私も困ります」
「餌を増やしたのは澪さんですよ」
「土を作るためです」
「蚯蚓は区別してくれませんよ」
真壁は2人のやり取りを聞きながら、処理済みの土を少量出すよう澪へ頼んだ。
外へ出した土には、細断された茎と葉がむらなく混ざっている。
握れば軽くまとまり、指を開くとゆっくり崩れた。
「悪くない」
真壁の短い評価を聞き、澪は残る区画も同じ順番で進めた。
最後の花を刈り終えた時、農場から鮮やかな色はほとんど消えていた。
代わりに、次の作物を受け入れる土が一面に残った。
緑肥を戻した土の状態が落ち着くまで、澪は収納内の時間を短く進めた。
水分と空気の通りに異常がないことを確かめ、次に植えるものを考える。
農場が作れることは分かった。
けれど、花を咲かせて土を育てただけでは、食料を作れる場所になったとは言えない。
「次は何を植えるんです?」
理央が帳面の空いた欄を覗き込んだ。
「サツマイモはどうでしょう」
「急においしそうになりましたね」
「食料になるものを作るための農場ですから」
そう答えると、ようやく目的へ戻ってきた気がした。
魚の餌を作るはずが蚯蚓を眺め、花畑を惜しみ、土の匂いを嗅いでいた。
どれも必要な作業だったはずなのに、今日まで食べ物を1つも収穫していない。
真壁は以前の農政記録を開き、サツマイモの項目で指を止めた。
「地下部が太る作物だ」
「土がどこまで変わったかも見られます」
「侯爵領で扱った実績もあるな」
澪は頷き、保存してあった既存の種芋から用意した蔓苗を探した。
未知の作物を試すより、過去の生育と比べられるものの方がよい。
収穫できれば食料になり、一部は次の栽培にも回せる。
「たくさん採れたら、どうします?」
「まず育つかを確かめたまえ」
真壁に先を塞がれ、澪は口を閉じた。
頭の中ではもう、孤児院や農村へ渡す量を考え始めていた。
育ってもいない芋の行き先を決めるのは、さすがに早い。
「……はい」
「今、売り先まで考えてました?」
「売るとは限りません」
「配る方でしたか」
理央の返しが早く、澪は蔓苗の一覧へ視線を逃がした。
《収納内工程》へ植付深さと間隔を指定し、蔓苗を農場へ並べていく。
人が収納へ入って畝を歩くことはない。
澪が外から対象と位置を定めるたび、蔓苗が土へ差し込まれ、広い農地へ規則正しく並んだ。
すべてを植え終えたあと、水分、温度、空気、pHをもう一度見る。
数字に異常はなかった。
それでも時間を進める直前になると、澪の指は慎重になった。
花は育ち、土も変わった。
今度は、食べられるものが土の下で太るかを確かめる番だった。
「始めます」
「短く、だな」
「はい。最初は発根だけ見ます」
真壁の言葉に答え、澪は農場の時間を進めた。
最初に進めたのは、根が土へついたかを見られるだけの短い時間だった。
澪は蔓苗を端から確かめ、根が伸び始めたところでいったん止めた。
枯れや傷みを分け、水分を整えてから、今度は数日分を進める。
細かった蔓が伸び、葉の数が増えた。
もう一度進めると、土の見えている面積が明らかに減った。
「また伸びてます」
「さっきも聞きました」
理央は帳面の同じ欄へ、3度目の生育良好を書き足した。
「中では日数が経ってますから」
「分かってるんですけど、外では全然経ってないんですよ」
事業所の窓から差す朝の光は、まだそれほど角度を変えていない。
一方、収納の中には夕方も夜もなく、天頂部の《光》が同じ明るさで農場を照らし続けている。
澪は葉の色と向きを見比べ、青色側と赤色側の波長をわずかに調整した。
水分が減った区画へ水を回し、空気の組成を開く。
「澪君、二酸化炭素はどうかね」
「下がっています」
「補充したまえ」
「はい」
葉が増えれば、その分だけ環境の変化も早い。
二酸化炭素を足して濃度を戻し、酸素と温度にも偏りがないことを確かめる。
理央は窓の外と、収納を操作している澪の手を交互に見た。
「そういえば、そこって夜がないんですよね」
「《光》を消していませんからね」
「サツマイモ、ずっと働いてません?」
「ブラック農場みたいに言わないでください」
「休憩時間は?」
「植物に聞いてください」
言い返しながら、澪は葉と根の状態を見直した。
夜を作っていないことが正しいのかは、まだ分からない。
順調に見える時ほど、魚の幼体を育てた時のことを思い出す。
育っているからと先へ進めすぎれば、異常に気づいた時には戻せなくなる。
澪は勢いよく広がる蔓を見て、時間を止めた。
「止めるんですか?」
「一度、地下を見ます」
葉や蔓だけが育って、肝心の芋ができていない可能性もある。
地上部の勢いに浮かれず、細根と地下部を《鑑定》した。
土の中では、根の一部がゆっくり太り始めている。
澪の肩から力が抜けた。
「芋もでき始めています」
「では、次へ進められるな」
真壁は成長の早さより、温度と空気の値を先に帳面へ写した。
澪も同じ順序で記録を残し、また短い単位で時間を進める。
やがて蔓と葉が11.7haの農地を覆い、土はほとんど見えなくなった。
育つかどうかを心配していたはずなのに、いつの間にか、どこまで育つのかを心配していた。
地下部の太り方が揃い、傷みも広がっていない。
収穫できる状態だと判断した澪は、比較用の株だけを作業台へ出した。
土のついた芋が数本、蔓の根元から連なっている。
日本で見慣れたものより大ぶりだったが、大きさだけで良し悪しは決められない。
理央は太い芋を両手で持ち上げ、収納の中へ戻す前に重さを確かめた。
「これを全部掘るんですか?」
「掘りませんよ」
澪が答えると、理央は手にした芋と澪を交互に見た。
「芋掘りは?」
「しません」
「11.7haあるんですよね?」
「あるからしないんです」
真壁が帳面から顔を上げた。
「掘りたいなら止めはせんよ」
理央は数秒だけ考え、芋を作業台へ戻した。
「遠慮します」
「賢明だな」
澪は収納内農場を対象に、《収納内工程》と《分類》を組み合わせた。
土は農場へ残し、蔓と葉は緑肥へ回す場所へ送り、細根は土壌側へ戻す。
収穫できるサツマイモだけを収穫物の置き場へ移し、傷みや病変のあるものと未成熟なものは混ざらないよう別にした。
指定を終えても、鎌も鍬も動かない。
澪が実行すると、地中の芋が土から分かれ、次々と収穫物の区画へ移っていく。
掘り上げる人も、運ぶ荷車もいない。
さっきまで根につながっていた芋が、大きさも形もばらばらのまま、収納の中で積み上がった。
土を大量に持ち出していないことを見直してから、澪は総重量を開いた。
表示された数字を見ても、すぐには口から出なかった。
作業があまりに早く終わったせいで、桁を読み間違えたような気がした。
「どうしました?」
「もう一度、量ります」
同じ条件で集計し直しても、数字は変わらない。
「260.9tです」
理央の手が、帳面の上で止まった。
「何がです?」
「サツマイモです」
「今の数秒で?」
「収穫作業が数秒だっただけです」
「そこを分けると普通になるんですか?」
普通にはならない。
澪は答えず、表示を読み上げた。
理央が数値を帳面へ写し、収穫結果の表を作る。
────────────────────────
サツマイモ収穫結果
作付面積 約11.7ha
収穫量 260.9t
────────────────────────
数字にしてしまうと、収納の中に積まれた量が急に現実味を帯びた。
理央の手元にあるのは数本だけなのに、その向こうには同じ芋が260.9tある。
「収量としては悪くない」
真壁は帳面の表を見て、いつもどおりの声で言った。
「悪くないで済む量ですか?」
「11.7ha分だからな」
「そう聞くと普通に思えそうで、全然普通じゃないです」
澪にも、どちらの数字へ驚けばよいのか分からなかった。
ただ、花を刈って土へ戻した場所から、本当に食べられるものが採れた。
その事実だけは、表示を閉じても手の中へ重く残った。
260.9tを収穫しても、作業はそこで終わらなかった。
真壁がゲンダイ側で調べた資料によると、サツマイモは収穫後の扱いで甘さが変わる。
傷を落ち着かせる工程を経てから、温度を保って寝かせるらしい。
澪は収穫直後の比較用を残し、キュアリングを行う場所と、その後に熟成させる場所を収納内へ作った。
「収穫したのに、まだ終わらないんですね」
理央は作業台に並んだ札を読み、半分呆れたように息をついた。
「甘くなるなら試したいです」
「260.9tありますよ?」
「全部で試すとは言ってません」
「今までの澪さんを見てると、そこは聞いておかないと」
信用があるのかないのか分からない。
澪は反論を諦め、同じ収穫場所から選んだ芋を条件別に分けた。
収穫直後のものを残し、キュアリングの途中と終了後を比べる。
さらに寝かせる温度と時間を変え、途中の状態も見比べた。
真壁は札の並びを見て、似た大きさの芋を使うよう位置を入れ替えた。
「同じ芋で条件を分けた方が、差は見やすい」
「はい」
澪は《収納内温度操作》でそれぞれの環境を整え、《収納内時間操作》を短く進めた。
途中で止めては表面と内部の状態を《鑑定》し、収穫直後のものと比べる。
何度目かの比較で、澪の視界に見慣れない表示が加わった。
そこには、《熟成》芽ありと書かれている。
読み間違いではないかと目をこすっても、その文字は消えなかった。
「……あ」
理央がすぐに反応する。
「今度は何です?」
「《熟成》が芽ありになりました」
「芋を寝かせてたら、ですか?」
「たぶん」
「取るのかね」
真壁に訊かれ、澪は表示へ目を戻した。
必要なSPは1で、未使用SPは42ある。
農場だけでなく、保存や食品加工にも使えるなら、迷う理由はなかった。
「取ります」
1SPを割り振ると、《熟成》の表示がLv1へ変わり、未使用SPは41になった。
「本当に取った」
「これは使います」
「真壁さん、ちょっと嬉しそうじゃないですか?」
理央の声に、澪も顔を上げた。
真壁は窓の外へ目を向けていたが、口元にあったはずの笑みはもう消えている。
「何のことかね」
「今、笑ってました」
「気のせいだろう」
否定が早い。
もしかすると、真壁はこうなる可能性まで考えて、収穫後の処理を調べたのかもしれない。
澪は問いただしかけたが、証拠もないのに認める人ではなかった。
《熟成》を取ったからといって、芋が一瞬で完成品になるわけではない。
澪は温度と時間の条件を戻し、《鑑定》と《収納内工程》を組み合わせて比較を続けた。
寝かせた芋を1本だけ外へ出すと、表面は収穫直後より乾き、持った感触も落ち着いている。
甘さがどう変わったのかは、焼いてみなければ分からなかった。
試食用には、収納内農場で採れた熟成後の芋と、ゲンダイで用意した比較用の芋を選んだ。
混ざらないよう別々の印をつけ、同じ程度の大きさに揃える。
澪は石焼き用の場所へ洗浄済みの石を敷き、その中へ2種類の芋を離して置いた。
「160℃で120分にします」
「2時間ですか?」
「はい」
理央は壁の時計を見た。
午前中に終わると思っていた顔が、少しだけ曇る。
「待つんです?」
「待ちませんよ」
澪には、その疑問の方が不思議だった。
《収納内温度操作》で石の周囲を160℃に保ち、《収納内工程》へ焼成条件を入れる。
最後に石焼きの場所だけを選び、《収納内時間操作》で120分進めた。
石の間に置かれた芋は、澪の収納の中で2時間を過ごす。
外では、理央が壁の時計から目を戻すほどの時間しか経っていない。
「はい、120分です」
「……もうですか?」
「芋の方は、ちゃんと120分です」
「じっくり石焼きって何でしょう」
「芋にとってはじっくりです」
真壁は2人の間へ、空いた皿を置いた。
「時間を操作できるのだから、こちらが待つ必要はあるまい」
「真壁さんまで普通に受け入れないでください」
澪は焼き上がった芋を取り出した。
熱が通常空間へ移った途端、甘い香りが狭い事業所へ広がる。
収納内農場で採れた方は皮が張り、表面の裂け目へ飴色の蜜がにじんでいた。
「澪さん、蜜が出てます」
「……出てますね」
育てている間は葉と根の数値ばかり見ていた。
収穫したあとも、重量、温度、経過時間と、数字を追い続けた。
けれど、芋から立つ匂いは、ここにあるものが試験結果ではなく食べ物だと、数字より先に伝えてきた。
澪は2種類をそれぞれ割り、湯気の立つ断面を皿へ並べた。
農場産の中は濃い黄色で、柔らかな身から蜜が光っている。
理央が息を吹きかけ、端を少しだけ口へ入れた。
そのまま目を見開く。
「甘っ」
「そんなにですか?」
「澪さんも食べてください」
渡された欠片を受け取り、澪も口に入れた。
熱さのあとから、ねっとりした甘さが広がる。
比較用も十分甘いのに、農場産を食べたあとでは印象が薄くなった。
「……これ、サツマイモですよね?」
「澪さんがそれを聞くんですか?」
「育てたのは私ですけど」
真壁も両方を食べ比べ、農場産の方をもう一度見た。
「なるほど。これは甘いな」
「真壁さんが普通に甘いって言った」
「甘いものを甘いと言っただけだがね」
澪は焼成後の状態を《鑑定》し、日本側の比較品と同じ項目で見比べた。
表示でも農場産の方が甘さは上だったため、澪は結果を2枚の記録用紙へ書き分けた。
「遊離魔素の影響でしょうか」
「可能性はある」
真壁はそう言ったあと、2枚の記録用紙を並べた。
「だが、条件が多すぎるな」
候補には、常時の《光》、波長、水分、温度、二酸化炭素、緑肥、蚯蚓、収納内で進めた時間、それに《熟成》まで並んでいる。
どれか1つを理由にするには、違いが重なりすぎている。
「原因は保留にします」
「それでよい」
理央はもう一口食べ、蜜のついた指先を眺めた。
「原因が分からなくても、甘いのは分かります」
「それは間違いないな」
土と蚯蚓から始まった農場が、ようやく澪の舌の上で食料になった。
同時に、2時間かかるはずの加工まで、収納の外ではほとんど待たずに終わっている。
農場を作ったつもりが、栽培から熟成、調理まで1つにつながり始めていた。
焼き芋を食べ終えたあと、澪は260.9tの使い道を考えた。
全部を焼き芋にする量ではない。
売れば食料にはなるが、次の収穫を増やすなら種芋として回した方がよい。
澪は以前の農政記録を開き、侯爵領へ用意した数量を探した。
「前に侯爵領へ用意した種芋は、20tでしたよね」
「そうだな」
「今回は260.9tあります」
理央が指で計算しかけ、途中で帳面へ筆算した。
「……13回分くらい?」
「約13倍です」
「収納の中に、前の13回分があるんですか」
澪も同じことを考え、急に収納の中が重くなった気がした。
量として表示されているだけで、自分が背負っているわけではない。
それでも20tを用意した時の手間を思い出すと、260.9tという数字の見え方が変わった。
「各地へ種芋として回せますね」
「王国内へ供給を始める量としては悪くない」
真壁は農政記録を閉じず、空いている頁へ今回の収穫量を書き足した。
「ただし、配分は農政側へ渡したまえ」
「はい」
「我々が村ごとの量まで決める仕事ではない」
王家や侯爵家が地域を選び、各地の苗床で蔓苗を増やす。
260.9tあるからといって、王国中の畑をすぐ埋められるわけではない。
植える密度も、苗を育てる場所も、運ぶ順番も農政側で決めることになる。
澪は収穫物を、食味と研究に使うもの、食品加工を試すもの、種芋の候補へ仮に分けた。
具体的な量は、侯爵家へ報告してから決めればよい。
そこまで書き終えた理央が、ふと帳面の日付へ目を留めた。
「これ、いつ始めたんでしたっけ」
「サツマイモですか?」
「農場です」
澪も日付を見た。
火山性基材を2mの厚さで広げたのは、一昨日である。
「一昨日です」
「一昨日」
理央が同じ言葉を繰り返し、真壁へ顔を向けた。
「農場を作り始めてから2日だな」
真壁が訂正しなかったため、理央の顔がますます困ったものになった。
「2日で260.9t?」
「収納の中では時間を進めていますから」
「それで納得していい数字じゃないと思います」
「私も少しおかしいとは思ってます」
「少しなんですか?」
澪は答えに詰まり、収納内の収穫物へ視線を移した。
一昨日は、土を広げれば農場を作れるかもしれないと考えただけだった。
それが今は、260.9tのサツマイモと《熟成》Lv1、それに王国各地へ回せる種芋の候補になっている。
自分で時間を進めたとはいえ、さすがに速すぎた。
「収穫できたのだから、次は配分だな」
真壁は何事もなかったように次の頁を開いた。
「誰か2日に引っかかってください」
「私も引っかかってます」
「時間を進めたのは澪君ではないかね」
「そうなんですけど」
理央は納得しないまま、日付の横へ大きく書き足した。
2日で260.9t。
数字だけは、何度見ても変わらなかった。