澪は《世界地図》を森の奥まで広げた。
先ほどの狼群に続く反応はない。
森の中に魔物は残っているが、まとまってこちらへ向かう動きもなかった。
侯爵軍はまだ外周を塞いでいる。
人の反応も、決められた位置から大きく外れてはいない。
少なくとも、今すぐ新しい群れが来ることはなさそうだった。
澪が地図から顔を上げると、焦げた毛の臭いがまだ風に残っていた。
倒れたファングウルフは真壁とヴァルトが分けている。
その向こうでは、気密防護服を着たままの真壁が、次に使う予定だった区画を地図で見ていた。
「今日はここまでにしよう」
澪は少し意外に思った。
「もう一回やらなくていいんですか?」
真壁なら、成功した方法をすぐ隣の区画でも試すと言うと思っていた。
けれど、真壁は地図を畳んだ。
「必要な結果は得た。条件を増やすのは、整理してからでいい」
一度目の《魔物寄せ》は、予想より広い範囲へ届いた。
結界と一酸化炭素による処理は成功したが、通常収納へ入った個体の状態も確認しなければならない。
そのうえ、誘引に反応しなかった狼群が、自分たちから後方へやってきた。
同じ日にもう一度行えば、何が一度目の影響で、何が二度目の結果なのか分からなくなる。
「私も賛成です。マカミの件もありますから」
ヴァルトに言われ、澪は《生体収納》へ意識を向けた。
約3mの雌狼は、収納内で横たわったままだった。
《雷》による麻痺は、まだ解けていない。
「あれをそのままにして、次を始める方が危ないでしょう」
「……そうですね」
マカミを名付けたことで、問題が終わったわけではない。
むしろ、生きたダイアウルフを自分の収納へ入れたところから、分からないことが増えていた。
足元ではシロガネが何も言わず、前脚を揃えて座っている。
追加の《魔物寄せ》は使わない。
レオンハルトが外周の兵へ、現地試験の終了と封鎖継続を伝えるよう命じた。
終わったのは間引きであって、後片づけではなかった。
澪はもう一度、《世界地図》の端へ意識を伸ばした。
森の奥に散らばる反応は、どれも先ほどまでと変わらない。
あの狼群のように、複数が一つの意思で動いている様子もなかった。
それを確かめてから、ようやく肩の力を抜く。
試験そのものが成功しても、後方へ現れた狼群への対応まで含めれば、予定どおりだったとは言えない。
もう一度試せば、もっと上手くできるかもしれない。
けれど、上手くできるという期待だけで森をもう一度動かすのは違う気がした。
真壁が切り上げた理由を、澪も少し遅れて理解した。
真壁の通常収納には、前方の試験区画で回収した魔物が種類ごとに分けられていた。
ホブゴブリン。
ファングウルフ。
アイアンボア。
ギガントベア。
どの個体を侯爵家へ渡し、どれを素材や検証に回すか決めなければならない。
ヴァルトが一体ずつ《鑑定》していた手を止めた。
「真壁殿、こちらはまだ生命反応があります」
「ああ。仮死状態で入った個体だろう」
真壁は驚くことなく答えた。
「生きてるんですか?」
「弱って仮死まで落ちれば、通常収納にも入る場合がある。以前にも確認している」
通常の生体は、通常収納へ入らない。
ただし、生命活動が仮死状態まで低下した個体は、死亡個体と同じように収納できることがある。
今回は一酸化炭素で倒れた魔物の中に、そこまで弱った個体が混じっていたらしい。
「じゃあ、これはどうします?」
「死亡個体と混ぜるな。生体として別にしておこう」
「分かりました」
ヴァルトは弱い生命反応が残る個体を、死亡確認済みの個体とは別の区画へ移した。
回復させるかどうかは、状態を見ながら後で決めればよい。
「それ、間違って解体しないようにしてくださいね」
「そのために分けるのだよ」
「いや、私がするみたいに言わないでください」
真壁が澪を見る。
澪も見返した。
最後に成分分離を使うのは自分かもしれないと気づき、先に目を逸らした。
死亡が確認できたギガントベアなど、高価値の大型魔物は侯爵家へ渡すことになった。
「このギガントベアまで受け取ってよいのか?」
レオンハルトは、収納内にある巨体を思い浮かべたのか、わずかに眉を上げた。
「はい。ここ侯爵領ですし、今回も協力してもらってますから」
「ああ。問題ない」
侯爵軍は外周を封鎖し、住民を森へ入れず、退路も用意した。
剣を交えなかったからといって、何もしていないわけではない。
狼系の死亡個体は素材用へ分けた。
マカミへ同族を積極的に食べさせる理由はない。
死亡確認済みで、狼系ではなく、高価値素材として優先する必要もない。
その条件に合うボア系の一部を、マカミの食事を試すために澪が受け取った。
全部ではない。
体長3mだからといって、最初から一頭分を食べさせるつもりもなかった。
澪は収納内へ移したボア系魔物へ《成分分離》を使った。
皮。
牙。
骨。
食用に向かない部分。
肉。
混ざっていたものが、用途ごとに分かれていく。
肉はマカミが食べやすそうな大きさにした。
食べやすいといっても、人が口にする大きさではない。
マカミの口と体格を考えれば、澪の両手に載るほどの塊でも小さい方だった。
「何を作っている?」
「マカミのご飯です」
「肉のままでも食うだろう」
「毎回、魔物を一匹そのまま出すのも嫌じゃないですか」
食事のたびに死体を一頭出す生活を想像した。
六畳間では絶対にやりたくない。
異世界の森でも、できれば避けたかった。
「……ドッグフードですね」
「狼だぞ」
「分かってます」
「しかもダイアウルフですよ」
「分かってますって」
ヴァルトまで加わり、澪は収納内の肉へ意識を戻した。
呼びやすいからドッグフードと言っただけで、犬用の完全栄養食を作ったわけではない。
肉を食べやすい形へ分けただけだった。
幼竜の食事では、食べることと必要な栄養を満たすことが別だと分かった。
マカミも同じである。
肉を食べたからといって、それだけで長く健康に暮らせるとは限らない。
魔物として魔力を必要とするのかも分からない。
今日確かめるのは、まず食べるかどうかだった。
食べなかった場合に備え、分けた肉の残りは収納へ置いておく。
生肉を嫌うとは思えないが、マカミはただの狼ではない。
普通の狼だった頃の記憶が残っていても、ダイアウルフになった身体が同じものを求めるとは限らなかった。
澪は肉の塊を見ながら、ペットを飼う準備とはずいぶん違うと思った。
首輪も寝床もない。
あるのは魔物肉と、神様側のものらしい管理画面だけである。
そもそも、ペットと呼んでよい相手なのかも分からなかった。
仕分けを終えた澪は、《生体収納》内のマカミを改めて鑑定した。
---------------------------------------------
マカミ
種族:ダイアウルフ
分類:大型狼型魔物
性別:雌
体長:約3m
状態:麻痺・行動不能
脚力:非常に高い
瞬発力:非常に高い
嗅覚:非常に高い
耐久力:高い
主な攻撃:牙・爪・体当たり
特徴:ファングウルフの上位種
複数のファングウルフを率いる
通常のファングウルフを大きく上回る身体能力を持つ
---------------------------------------------
「まだ麻痺してます」
「自然に戻るまで待つ手もあるが」
真壁の言葉に、澪は収納内の巨体を見た。
今は脚も動かせない。
けれど、麻痺が解ければ、その脚力は「非常に高い」に戻る。
「状態異常回復ポーション、使ってみます」
「出してから使うのかね」
「いえ。収納の中で使えるか試します」
澪は一拍置いてから続けた。
「出してから元気になられる方が怖いので」
「その方がいいだろう」
レオンハルトも反対しなかった。
むしろ、マカミが出てくるかもしれないと聞き、剣から少し離れていた手を戻している。
澪は状態異常回復ポーションを収納内へ入れた。
瓶を選ぶ指先に、わずかに力が入る。
助けたいという気持ちはある。
自分の《雷》で麻痺させたまま、いつ解けるかも分からず横たわらせておくのは落ち着かなかった。
一方で、治した直後に牙を向けられるかもしれないという怖さも消えていない。
名を付けた。
統率個体として登録された。
それだけで、マカミの気持ちまで決まるわけではなかった。
通常の物品を収納内で動かす時と同じように、瓶をマカミの口元へ運ぶ。
必要な分を使うと、鑑定表示の状態が変わった。
---------------------------------------------
マカミ
種族:ダイアウルフ
分類:大型狼型魔物
性別:雌
体長:約3m
状態:正常
脚力:非常に高い
瞬発力:非常に高い
嗅覚:非常に高い
耐久力:高い
主な攻撃:牙・爪・体当たり
特徴:ファングウルフの上位種
複数のファングウルフを率いる
通常のファングウルフを大きく上回る身体能力を持つ
---------------------------------------------
「あ、治りました」
マカミが収納内で頭を上げる。
太い前脚が身体を支え、ゆっくり立ち上がった。
澪がその動きを見た、次の瞬間だった。
すぐ近くへ靄が広がった。
澪は何もしていない。
マカミを出そうとも考えていなかった。
それでも靄は大きく膨らみ、内側から灰色の巨体が飛び出した。
太い前脚が土へ着く。
続いて後脚と長い尾が現れた。
収納の中で見ていた時よりも、約3mの身体ははるかに大きかった。
「なっ――」
レオンハルトの手が剣の柄へ走る。
ヴァルトは半歩下がり、片手を上げた。
魔術を使う直前の姿勢だった。
真壁も澪の側へ一歩動き、マカミの肩と脚から目を離さない。
周囲の兵が武器を構える音が重なった。
シロガネだけは驚かなかった。
澪の足元に座ったまま、金色の目でマカミを見上げている。
マカミは誰にも飛びかからなかった。
姿勢を低くすることも、牙を剥くこともない。
澪には殺気が感じられなかった。
それでも、少し前まで敵としてこちらへ走ってきた魔物である。
「待って!」
澪は周囲へ叫んだ。
同時に、目の前のマカミへ向けた言葉にもなった。
レオンハルトは剣を抜く寸前で止めた。
ヴァルトも手を下ろさないまま魔術の発動を待つ。
マカミも、その場で止まった。
声を理解したのか。
それとも、最初から動くつもりがなかったのか。
まだ分からなかった。
ただ一つ分かるのは、澪が取り出したのではないということだった。
管理画面にあった《自律出入:可能》を、マカミ自身が初めて使ったのだ。
マカミは真壁を見た。
次に、片手を上げたままのヴァルト。
剣へ手を掛けているレオンハルト。
周囲の兵まで一度ずつ確かめる。
耳が左右の音を拾い、鼻先が風を嗅いだ。
それから、澪を見た。
大きな前脚が一歩進む。
レオンハルトが半歩だけ位置を変えた。
澪との間へ入るのではなく、横から飛びかかった場合に動ける位置だった。
マカミはさらに近づいた。
立っているだけで、頭の位置が澪の胸より高い。
灰色の毛の下には、先ほど、一般兵の剣では止めにくいと判断された筋肉がある。
澪は自分の足が逃げたがっていることに気づいた。
怖くないわけではない。
自分が《雷》で倒し、収納へ入れ、記憶を覗いた相手である。
マカミから見れば、澪を嫌う理由ならいくつもあった。
それでも澪は動かなかった。
「マカミ……?」
呼びかけると、大きな耳が澪の方へ向いた。
足が止まる。
マカミは澪の目の前で、ゆっくり頭を下げた。
地面へ伏したわけではない。
怯えて身体を縮めたようにも見えなかった。
自分から近づき、自分の意思で、澪へ頭を預けるような動きだった。
澪はすぐには手を伸ばせなかった。
頭だけでも大きい。
噛まれれば、腕どころでは済まない。
けれど、マカミは動かずに待っている。
澪は恐る恐る、額の毛へ触れた。
思ったより硬く、根元には温かさがあった。
生きている。
自分でここへ出てきて、自分から頭を下げている。
名前を呼んだから従ったのではない。
少なくとも澪には、そう思えた。
マカミは周囲を確かめたうえで、最後に澪を選んで近づいてきた。
その選択が何を意味するのかは分からない。
それでも、力で倒した相手から差し出された頭を、怖いからというだけで拒みたくはなかった。
その瞬間、澪の視界へ新しい表示が開いた。
━━━━━━━━━━━━
【個体接続情報が更新されました】
━━━━━━━━━━━━
派手な光は出なかった。
魔法陣も、神様の声もない。
ただ、マカミの頭へ触れた澪にだけ、関係が変わったことが示された。
「……従えたのか?」
レオンハルトは剣から手を離さないまま尋ねた。
「え?」
澪にも分からない。
命令して頭を下げさせたわけではなかった。
澪は《生体収納》の管理画面を開いた。
━━━━━━━━━━━━
【個体接続情報】
名称:マカミ
種族:ダイアウルフ
性別:雌
接続先:篠原 澪
統率登録:登録済
関係:眷属
状態:正常
自律出入:可能
━━━━━━━━━━━━
何度読み返しても、《関係:眷属》と出ている。
名前を付けた時にはなかった項目だった。
「……テイムじゃないです」
「では、何だ?」
「眷属って出てます」
レオンハルトが目を細めた。
「眷属?」
「眷属……ですか」
ヴァルトも、その言葉の意味を測りかねている。
真壁はマカミではなく、表示を見ている澪へ顔を向けた。
「その表示は、今まであったかね」
「いえ。さっきまではなかったです」
「では、今更新されたということだな」
「たぶん」
名前を付けたからなのか。
統率個体として登録したからなのか。
生体収納との接続ができていたからなのか。
それとも、マカミが自分から出てきて、澪を受け入れたからなのか。
条件は分からない。
少なくとも、名前を付けた瞬間から自動的に眷属だったわけではない。
マカミが頭を下げ、澪が触れたあとで、初めて表示が更新された。
「眷属」が何を意味するのかも、今は画面に書かれていなかった。
主従なのか。
家族に近いものなのか。
それとも、《生体収納》を介して結ばれた個体を、神様側の仕組みがそう呼んでいるだけなのか。
澪はマカミの頭に置いたままの手を見た。
画面の文字よりも、手のひらへ伝わる温かさの方が確かだった。
ただし、それを信頼と呼んでよいかは、これから確かめなければならない。
澪が額から手を離そうとした時、何かが返ってきた。
声ではない。
言葉にもなっていない。
敵意はない。
落ち着いている。
澪に触れられていることを拒んでいない。
いくつかの感覚が、色の薄い塊のように伝わってきた。
「マカミ、そこで待ってて」
澪が声に出して言うと、マカミは頭を上げたものの、その場から動かなかった。
人の言葉を理解したのかもしれない。
声の調子で察しただけかもしれない。
これだけでは分からなかった。
澪は口を閉じた。
少し離れて立つマカミを見て、こっちへ、と強く意識する。
マカミの耳が動いた。
顔を上げ、澪のそばへ一歩近づく。
「……え?」
「どうしたね」
「今、声に出してません」
もう一度、待って、と意識する。
マカミは足を止めた。
長い説明を送った感覚はない。
澪の中にある単純な意図だけが、細いつながりを通って届いたようだった。
「言葉が聞こえるのですか?」
「いえ」
澪は足元のシロガネを見る。
シロガネなら『何をしておる』と、言葉そのものを返してくる。
マカミから来るものには、文章も声もなかった。
「シロガネみたいじゃないです」
澪は感覚を言葉へ直そうとして、少し迷った。
「言葉じゃなくて……なんとなくです」
次に伝わってきたものは、先ほどより分かりやすかった。
身体の中に空いた場所を埋めたいような、強い欲求である。
澪はマカミの腹の辺りを見た。
「……お腹空いてる?」
マカミが澪を見る。
空腹の感覚が、先ほどより強くなった。
「これは分かります」
「何がだね」
「お腹空いてます」
「なるほど」
真壁は驚くより先に、確かめられた情報として受け取った。
「これくらいしか、まだ分かりませんけど」
森の奥で何を見たのか。
どこから来たのか。
何が危険なのか。
そうした詳しい情報は流れてこない。
先ほど見た記憶は、《生体収納》の管理機能から参照したものだった。
今あるつながりとは別だった。
伝わるのは、来て、待ってという単純な意思と、安心や空腹といった大まかな感覚だけである。
澪は試しに、森の奥を思い浮かべてみた。
マカミから返ってくるものはない。
次に、伏せて、と少し複雑な姿勢を思い浮かべたが、マカミは澪を見返しただけだった。
何でも命じられるわけではない。
考えたことが全部漏れているわけでもない。
そのことに、澪は少しだけ安心した。
頭の中を常に覗かれていたら、いくら相手が狼でも落ち着かない。
今あるのは、意識して向けた短い意思が届く程度の細い道だった。
澪は先ほど作った肉餌を、少量だけ地面へ出した。
靄が消えると、分けたばかりの肉が置かれている。
マカミはすぐには食べなかった。
鼻先を近づけ、匂いを確かめる。
それから澪を見た。
「食べていいよ」
声と一緒に、食べてよい、という単純な意思も向けた。
マカミが肉へ口を付ける。
一口が大きかった。
澪が試食分としては多いと思っていた肉が、数回噛まれただけでなくなった。
幼竜の食事を見た時とは違う驚きだった。
あちらは小さな身体で予想以上に食べた。
こちらは身体を見れば食べると分かるのに、実際の一口を見るまで量を実感できなかった。
マカミから、満たされた感覚が少し返ってくる。
そのすぐ下に、まだ欲しいという空腹が残っていた。
「……足りないみたいです」
「体格を見れば当然だろう」
「結構作ったんですけど」
「3mありますからね」
ヴァルトに言われ、澪は追加の肉を出した。
今度は先ほどより多い。
マカミは慌てて飛びつくことなく、また匂いを確かめてから食べ始めた。
誰かに与えられた食べ物を警戒しているのかもしれない。
森で生きてきた習慣が、眷属と表示されたくらいで消えるはずもなかった。
それでいい、と澪は思う。
何も考えず、差し出されたものへ飛びつくようになってほしいわけではない。
牙が肉へ入るたび、普通の犬へ食事を与えているのではないと分かる。
それでも、食事をしている姿は、群れを率いて襲ってきた時よりずっと静かだった。
「食べるのは分かりましたけど、これだけでいいかは調べた方がいいですよね」
「ああ。食うことと、足りることは別だ」
肉だけで必要な栄養が揃うのか。
一日にどれくらい必要なのか。
魔力を別に補う必要があるのか。
まだ何も分からない。
澪がドッグフードと呼んだものは、ただ食べやすくした魔物肉である。
今日分かったのは、マカミがそれを食べられることと、体格どおりによく食べることだけだった。
食事を終えたマカミは、澪の近くまで戻ってきた。
身体を押しつけることも、尾を振って甘えることもしない。
少し間を空け、森側へ身体を向けて座る。
耳は遠くの音を拾うたびに動いた。
鼻先も風の匂いを追っている。
澪のそばにいながら、森への警戒は解いていなかった。
その姿を見て、レオンハルトがようやく剣の柄から手を離した。
「本当に従っているように見えるな」
澪はマカミを見た。
待ってという意思は伝わった。
来てという意思にも応じた。
けれど、命令されるまで動かない人形には見えない。
マカミは自分で収納から出た。
自分で澪の前へ来た。
今も自分の耳と鼻で周囲を見張っている。
「従ってる……というより」
澪は伝わってくる薄い安心感を確かめた。
「一緒にいるって感じがします」
「眷属、か」
真壁は管理画面に現れた言葉を、そのまま口にした。
「マカミについて、調べることは多いな」
「多いですね……」
マカミとの眷属関係。
意思がどこまで伝わるのか。
食事は何を、どれだけ必要とするのか。
間引き作戦は成功したが、マカミについて分からないことはまだ多かった。
それまで黙っていたシロガネが、マカミを見上げた。
『悪くはあるまい』
澪の足元には白猫。
その少し先には、体長約3mの雌狼。
マカミは森側へ耳を向けたまま、澪のそばへ座っている。
安心している。
けれど、周囲は見張っている。
そんな輪郭だけが、言葉にならず澪へ伝わってきた。
少し前まで敵だった狼が、今日から何になったのか、澪にはまだ正確に説明できない。
ただ、管理画面には《眷属》と表示されていた。
マカミが澪のそばで過ごす、最初の日が始まった。