押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第358話 八畳はくれ

 

 マカミが眷属になってから、数日が過ぎた。

 

 森や侯爵領の敷地など、人目を気にしなくてよい場所では、マカミは澪のそばへ出てくるようになった。

 

 けれど、ゲンダイの街中や大学へ連れていくわけにはいかない。

 

 体長約3mのダイアウルフをキャンパスへ連れていけば、授業どころではなくなる。

 

 その間、マカミは《生体収納》の中で過ごしていた。

 

 自分で出入りできるものの、出てはいけないという澪の意思は伝わるらしい。

 

 それを嫌がる様子もなく、空いている場所で身体を伏せている。

 

 今日も澪が講義の支度をしていると、足元から声がした。

 

『おい』

 

「はい?」

 

『マカミに寝床を作ってやれ』

 

「寝床?」

 

 机へ置こうとしていたノートを持ったまま、澪はシロガネを見下ろした。

 

 白猫はいつものように前脚を揃え、澪を見上げている。

 

『いつまでも何もないところへ寝かせておく気か』

 

 澪は《生体収納》へ意識を向けた。

 

 マカミは飼育区画から少し離れた場所で、前脚の間へ鼻先を置いていた。

 

 眠ってはいない。

 

 耳だけは時々動き、周囲の気配を拾っている。

 

 不満や不安が伝わってくるわけではなかった。

 

 ただ、そこは本当に何もない場所だった。

 

 魚には生け簀がある。

 

 鶏には飼育区画があり、植物には畑がある。

 

 マカミだけが、空いていた場所を勝手に寝床へしている。

 

「……言われてみれば、そうですね」

 

 今まで気づかなかったことが、少し申し訳なくなった。

 

 マカミは森で生きてきた魔物だから、屋根がなければ休めないわけではない。

 

 それでも、自分の眷属になった相手へ、空いている場所を使ってください、で済ませるのは違う気がする。

 

「じゃあ、犬小屋でも作りますか」

 

『犬ではないがな』

 

「シロガネが寝床を作れって言ったんじゃないですか」

 

『寝床と犬小屋は別だ』

 

「別なんですか?」

 

『別だ』

 

 言い出した本人が、最初から面倒だった。

 

 

 

 澪は新事業所へ着くと、真壁へ相談した。

 

「マカミの寝床を作りたいんですけど」

 

「寝床?」

 

「シロガネに言われました」

 

「なるほど」

 

 真壁は妙に納得した顔で頷いた。

 

 理由を聞かないところを見ると、シロガネなら言い出すと思ったらしい。

 

「大きめの犬小屋でいいかなって」

 

「澪君」

 

「はい?」

 

「あれは3mあるのだろう」

 

「あります」

 

「普通の犬小屋では入らんだろう」

 

「……あ」

 

 分かっていたはずなのに、犬小屋という言葉に引っ張られていた。

 

 マカミが中で立てる高さがいる。

 

 身体の向きを変えられる幅もいる。

 

 脚を伸ばして伏せるなら、奥行きにはさらに余裕が必要だった。

 

 紙へ寸法を書き出していくと、小屋という言葉から遠ざかっていく。

 

「これ、馬房みたいになりません?」

 

「相手の大きさを考えれば、そうなるだろうな」

 

「犬小屋の話だったのに」

 

「ダイアウルフの寝床だよ」

 

 豪華な建物にする必要はない。

 

 必要なのは雨風ではなく、身体を落ち着けられる囲いだった。

 

 真壁は寸法を見ながら、骨組みの形と必要な部材を決めた。

 

 外側で木材を切り、差し込みやすいよう接合部も加工する。

 

 組み立てる順番が分かるよう、部材ごとに印も付けた。

 

「ここまで用意すれば、中で配置できるだろう」

 

「やってみます」

 

 澪は加工を終えた部材を収納した。

 

 真壁ができるのはここまでである。

 

 《生体収納》の中を把握し、内部で物を動かせるのは澪だけだった。

 

 

 

 澪は《生体収納》へ意識を沈め、空いている場所へ部材を並べた。

 

 最初に土台を置く。

 

 次に柱を立て、印を合わせて横木を差し込む。

 

 外から準備した固定具を順番に収め、屋根と三方の壁を組み上げた。

 

 正面はマカミが出入りできるよう広く開けてある。

 

 少し離して全体を確かめる。

 

 確かに寝床である。

 

 ただし、大きい。

 

 澪が思い浮かべていた犬小屋のかわいらしさは、どこにもなかった。

 

 これだけ置いて終わると、周囲の何もなさが余計に目立った。

 

「……寝床だけっていうのも、味気ないかな」

 

 澪は寝床の周りへ、用意しておいた芝を広げた。

 

 走り回るための運動場ではない。

 

 マカミが外へ出て、身体を伸ばして休める程度の広さである。

 

 その端には、大きな水桶を置いた。

 

 水が減れば澪が補充すればよい。

 

 さらに外周へ、背の低い植物を間隔を空けて配置した。

 

 その中に、ラベンダーも少しだけ混ぜる。

 

 人間なら、香りで落ち着くこともあるらしい。

 

 ダイアウルフに同じ効果があるかは分からないので、寝床からは離してある。

 

 嫌がるようなら、すぐ撤去するつもりだった。

 

 すべてを置き終え、澪はマカミへ、こっちへ来て、と意識を向けた。

 

 マカミが立ち上がる。

 

 芝の手前で一度止まり、鼻先を低くした。

 

 匂いを確かめながら芝へ前脚を載せる。

 

 水桶の周りを歩き、縁へ鼻を近づけた。

 

 外周の植物へも顔を向ける。

 

 ラベンダーの近くでは、鼻を一度動かしただけで離れた。

 

 嫌がっている感覚は伝わってこない。

 

 最後に、マカミは大きな寝床へ入った。

 

 中で身体の向きを変え、前脚を伸ばして伏せる。

 

 耳は外へ向けたままだったが、全身から張りつめたものが少し抜けた。

 

 澪へ、薄い安心が返ってくる。

 

「……気に入ったみたい」

 

 思わず声に出すと、マカミの耳が澪の方へ動いた。

 

 外へ意識を戻した澪は、真壁へ出来上がりを説明した。

 

「芝を敷いて、水桶を置いて、寝床もできました」

 

「ほう」

 

「周りに植物もちょっと置きました」

 

 真壁が一拍置く。

 

「澪君」

 

「はい?」

 

「最初は犬小屋ではなかったかね」

 

「犬小屋のつもりだったんですけど」

 

「話を聞く限りでは、だいぶ大掛かりになったようだな」

 

「3mありますから」

 

 体長のせいにしておけば、たいていのことは説明できそうだった。

 

 

 

『おい』

 

 足元から、また声がした。

 

「……はい?」

 

 先ほどと同じ呼び方だった。

 

 それだけで、澪は少し嫌な予感がした。

 

 シロガネが金色の目で澪を見上げている。

 

『私にもよこせ』

 

「何をです?」

 

『部屋だ』

 

「部屋?」

 

『マカミには作ったであろう』

 

「マカミは寝る場所がなかったからですよ」

 

『私にもない』

 

「シロガネ、今まで好きなところで寝てたじゃないですか」

 

 ベッドの上。

 

 机の上。

 

 窓辺。

 

 澪の膝。

 

 どこでも好きに使っていた。

 

『それとこれとは別だ』

 

「別なんですか?」

 

『別だ』

 

 また同じ理屈だった。

 

 マカミへ寝床を作れと言った時点で、自分の分まで考えていたのではないか。

 

 澪は疑ったが、確かめても素直に答える相手ではない。

 

「……どんな部屋がいいんですか」

 

 聞いてから、聞かない方がよかったかもしれないと思った。

 

 

 

 シロガネは迷わなかった。

 

『畳だ』

 

「畳?」

 

『和室がよい』

 

「何畳です?」

 

『8畳はくれ』

 

「8畳!?」

 

 新事業所に澪の声が響いた。

 

 真壁が机から顔を上げる。

 

「……私の部屋、六畳間なんですけど」

 

『それがどうした』

 

「シロガネの方が2畳広いんですよ?」

 

『狭いのが嫌なら、お前も広い部屋へ移ればよかろう』

 

「簡単に言わないでください」

 

 家賃を払うのはシロガネではない。

 

 そもそも、猫のために8畳を用意する話から、澪が引っ越す話になるのがおかしい。

 

『それと、こたつもだ』

 

「まだ増えるんですか!?」

 

『こたつはいる』

 

「シロガネ、寒くないですよね?」

 

『それとこれとは別だ』

 

「便利ですね、その言葉」

 

 シロガネは答えなかった。

 

 

 

 マカミの芝生区画から少し離れた場所へ、8畳和室を作ることになった。

 

 真壁は話を聞くと、止めるでも笑うでもなく、必要な部材を数え始めた。

 

「本当に作るのかね」

 

「断っても、毎日言われそうなので」

 

『当然だ』

 

「ほら」

 

 床を支える枠と、畳8枚。

 

 壁と屋根になる部材。

 

 こたつと座布団。

 

 外側で形と接合部を整え、澪が順番に収納していく。

 

 《生体収納》内では、澪がマカミの区画から少し離れた位置へ土台を置いた。

 

 畳を1枚ずつ並べる。

 

 8枚目を収めた時点で、すでに六畳間より広い。

 

 澪は数え直した。

 

 何度数えても8枚だった。

 

 壁と屋根を組み、こたつを中央へ置く。

 

 座布団は、シロガネが好きな位置へ動かせるよう、こたつの横へ置いた。

 

 これで完成だと思った時、シロガネが口を開いた。

 

『外を見られる場所も欲しい』

 

「まだあるんですか?」

 

『マカミの様子が見えぬ』

 

 澪は少し黙った。

 

 最初にマカミの寝床を気にしたのも、シロガネだった。

 

「……縁側でいいですか」

 

『それでよい』

 

 和室の一面へ、小さな縁側を追加した。

 

 そこからなら、少し離れた芝生とマカミの寝床が見える。

 

 完成した区画を、澪は改めて見渡した。

 

 8畳。

 

 こたつ。

 

 座布団。

 

 縁側。

 

 自分よりいい部屋に住む白猫が、誕生しようとしていた。

 

 

 

 シロガネの周囲へ靄が広がり、白い姿が消えた。

 

 《生体収納》へ移ったシロガネは、畳の上をゆっくり歩いた。

 

 前脚で畳の感触を確かめ、座布団へ一度載る。

 

 そこへ丸くなるのかと思えば、すぐに降りた。

 

 次に向かったのは、こたつだった。

 

 掛け布団の隙間へ頭を入れ、そのまま白い身体が吸い込まれていく。

 

 最後に尾の先が消えた。

 

「本当にこたつ必要だったんですか?」

 

『必要だ』

 

「絶対いらないと思うんですけど」

 

『良い部屋だ』

 

 満足しているらしい。

 

 暖を取っているというより、こたつへ入ること自体が目的に見えた。

 

 少し離れた芝生では、マカミが大きな寝床の前へ身体を伏せている。

 

 顎は前脚の上に載せているが、耳は周囲の音に合わせて動いていた。

 

 飼い犬のように気を抜いてはいない。

 

 それでも、澪へ伝わってくる感覚は穏やかだった。

 

 縁側から、シロガネの顔だけが出る。

 

 金色の目がマカミを一度確かめ、またこたつの中へ引っ込んだ。

 

 白い霊体の猫は8畳和室のこたつ。

 

 体長約3mの巨大な雌狼は、芝生と大きな寝床。

 

 妙な組み合わせだが、どちらも落ち着いていた。

 

 畑や生け簀とは違い、そこで何かを作る予定はない。

 

 ただ休んで、好きに過ごすための場所だった。

 

 一通り満足したのか、シロガネは再び靄に包まれ、澪の足元へ戻ってきた。

 

 外へ意識を戻した澪は、真壁へ結果を報告した。

 

「結局、8畳になりました」

 

「8畳だったかね」

 

「はい」

 

 澪は言うか迷った。

 

 けれど、どうしても黙っていられなかった。

 

「私の部屋、六畳なんですけど」

 

「君の部屋より広いわけだな」

 

「言わないでください。ちょっと気にしてるんですから」

 

 真壁が足元のシロガネを見る。

 

「ずいぶん贅沢な猫だな」

 

『誰が猫だ』

 

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