押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第36話 ホームセンター、異世界薬草に効く

 

 セルマの工房の作業台には、前の日よりも瓶が増えていた。

 

 澄みポーションの試作瓶が、布の上に3本。光に透かすと、ほとんど水にしか見えないのに、底の方でかすかに淡い色が揺れる。その横には、蒸気浸透抽出に使った治癒草が、皿の上に置かれていた。

 

 澪は、ポーションではなく、その草を見ていた。

 

 葉の形は残っている。だが、葉脈の周りにあった透明な筋は、昨日よりも薄い。力を抜いた葉のように、少しだけ張りがない。煮崩れていないのに、何かを抜かれた後だと分かる。

 

「そっちを見るのね」

 

 セルマが、薬瓶の蓋を布で拭きながら言った。

 

「気になります。薬効だけ取った後って、どうなってるのかなって」

 

 澪は皿の上の治癒草に鑑定をかけた。

 

----------------------------------

治癒草

 状態:抽出後

 主薬効:大幅減少

 葉脈透明汁:減少

 エグミ:残留

 苦味:残留

 渋み:残留

 再抽出:非推奨

 用途:堆肥、薬草研究用

----------------------------------

 

「本当に、嫌なところは残ってるんですね」

 

「残したのよ。あなたが」

 

「言い方」

 

 澪は思わず顔を上げた。

 

 セルマは真面目な顔で、皿の上の草を見ている。冗談ではなく、錬金術師として言っているらしい。澪が昨日やったのは、薬効を持つ雫だけを拾って、エグミや苦味を草の側へ置いてくる作業だった。

 

 そう考えると、皿の上の治癒草が、少しだけ気の毒に見えてくる。

 

「葉だけ見ても、よく分からないんですよね。どんな土で育つのかとか、どの時期に薬効が強いのかとか、水をどれくらい好むのかとか」

 

 澪は、自分で言いながら嫌な予感がした。

 

 大豆。もやし。サツマイモ。ペットボトルの水。銀細工。白金砂。ポーション。

 

 何かを商品にしようとすると、たいてい元の場所まで掘り返すことになる。

 

 セルマは、皿の治癒草ではなく、新しく持ってきた若い治癒草を一本つまんだ。

 

「薬草は、生えている時の方が多くを教えるわ」

 

 リュシアが、作業台の端で指を鳴らした。

 

「じゃあ畑だね」

 

 澪は、嫌な顔をするのを止められなかった。

 

「また畑ですか」

 

「薬を売るなら、草から見るんだよ」

 

「最近、草と豆と芋ばかり見ている気がします」

 

「商売の根っこは、だいたい地面にあるんだよ」

 

 リュシアは平然と言った。

 

 うまいことを言われた気がしたが、澪の気分はあまり軽くならなかった。

 

 

 

 

 

 

 薬草畑は、町外れの水路沿いにあった。

 

 ただし、水路の真横ではない。石組みの細い流れから少し離れ、木陰が半分かかるような場所に、低い畝が何列も作られている。強い日が直接当たる区画には別の草があり、治癒草はその奥、影と湿り気のちょうど境目のような場所にまとまっていた。

 

 土は黒っぽく、指で押せば湿り気が返ってきそうだが、泥ではない。靴底にべったりつくほどではなく、しかし乾いてひび割れてもいない。澪は、土だけで人が手を入れているのが分かる気がした。

 

 畑の端で、ひとりの男がしゃがんでいた。

 

 日に焼けた腕。腰に吊った小袋。使い込まれた小刀。薬草を入れる浅い籠。そして、革紐に下げられた丸いもの。

 

 男はその丸いものを外し、治癒草の葉に近づけて覗いていた。

 

 澪は、思わず足を止めた。

 

「……それ」

 

 男が顔を上げる。

 

 丸い木枠。小さなレンズ。見覚えがある。

 

「リュシアから買ったムシメガネだよ。葉の裏にいる小さい虫が見える。病気の斑点も早く分かる。いい道具だ」

 

 澪は、レンズを見たまま固まった。

 

「本当に虫を見る道具になってる……」

 

「名前通りじゃないか」

 

「そうですけど、そうじゃないです」

 

 リュシアが横で少しだけ胸を張った。

 

「ほらね。薬草屋さんが喜んでたって言っただろ」

 

「聞きましたけど、実際に使ってるところを見ると、なんか違います」

 

「良い意味で?」

 

「良い意味で、です」

 

 管理人は澪の妙な感動など気にせず、また治癒草の葉を持ち上げた。指先は荒れているが、葉を扱う動きは驚くほど丁寧だった。葉の裏にムシメガネを当て、小さな虫食いの跡を探し、茶色くなりかけた斑点を見分ける。

 

 澪も覗かせてもらった。

 

 裸眼では、ただの薄い緑の葉だった。

 

 けれどムシメガネ越しに見ると、葉は平らではなかった。細かな毛があり、葉脈の近くに透明な筋が走っている。光を受けると、その筋だけが水を含んだ糸のように見えた。葉の端には、小さな歯形のような虫食いがある。

 

「この筋が太い葉は、セルマが欲しがる。逆に、葉の端が硬くなってるやつは苦い。日が強すぎた葉だ」

 

 管理人は、当たり前のように言った。

 

 セルマが頷く。

 

「この人は、畑の葉を見て分けるのが上手いの」

 

 澪は、もう一度ムシメガネを覗いた。

 

 100円ショップで買えそうな道具が、この世界の薬草畑で、葉の良し悪しを見分ける道具になっている。

 

 現代道具を持ち込むと、価格差や便利さばかり気になっていた。けれど、こうして誰かの腰に下げられ、仕事の途中で当たり前のように使われているのを見ると、少し違う気持ちになる。

 

 自分が持ってきたものが、この人の毎日の手つきを変えている。

 

 それは、少し怖くて、少し嬉しかった。

 

 澪は畝の前にしゃがみ、治癒草を鑑定した。

 

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治癒草

 分類:多年性薬草

 好む環境:半日陰、湿り気のある土

 弱点:強すぎる日差し、根腐れ、乾燥

 薬効最大期:開花前の成熟葉

 薬効部位:葉脈周辺の透明汁

 観察補助:ムシメガネ有効

 栽培難度:中

 注意:土と水で薬効に差が出る

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「鑑定にも出ました。ムシメガネ有効」

 

 リュシアが満足そうに笑った。

 

「ほら、売ってよかった」

 

「はい。今回は本当にそう思います」

 

 管理人は、なぜ澪がそこで感動しているのか、半分も分かっていない顔で首を傾げた。けれど、ムシメガネを腰に戻す手つきは、もう完全に自分の道具を扱うものだった。

 

 澪はメモ帳を出し、畑の状態を書き込んだ。

 

 半日陰。湿り気のある土。水路から少し離す。葉は開花前。根元は蒸れ注意。葉脈透明汁が太いものが良い。

 

 そこまで書いて、ふと顔を上げる。

 

「葉だけじゃなくて、株で見たいです。土と、水の具合も。現代側で、鉢植えにして観察できませんか」

 

 セルマはすぐには頷かなかった。

 

 管理人も、畑の中心にある治癒草をちらりと見た。

 

 その沈黙で、澪にも分かった。

 

 良い株は、持っていけない。

 

「持っていくなら、あっちの若い株にしな。真ん中の株は今が採り時だ。抜かれると困る」

 

 管理人が、畑の端を指した。

 

 そこには、少し小ぶりな治癒草が数株あった。葉脈の透明な筋も細く、背も低い。商品用というより、これから育てる株に見える。

 

 セルマが澪を見る。

 

「畑の中心の株は駄目。端の若い株を一つだけよ」

 

「はい」

 

 澪は素直に頷いた。

 

 管理人が古い素焼き鉢を持ってきてくれた。縁が少し欠けているが、底には穴があり、土を入れるには十分だった。澪はスコップを借りて、株の根元へ差し込もうとした。

 

「根を切らないで。周りの土ごと持ち上げるの」

 

 セルマの声が飛んだ。

 

 澪は手を止めた。

 

 簡単そうに見えた作業が、急に難しくなる。株だけを掘るのではなく、周りの土を崩さないように持ち上げる。現代の園芸動画で見たような気もするが、自分の手でやると土は思ったより崩れる。

 

 澪は両手を添え、そっと土をすくった。

 

 土の湿り気が指に残る。根の周りを守るように、黒い土を塊のまま持ち上げる。少し崩れかけたところを、管理人が横から小さな板で支えてくれた。

 

 リュシアが笑う。

 

「商売の荷より慎重だね」

 

「根っこを切ったら枯れます」

 

「分かってるじゃないか」

 

「分かってるのと、できるのは別です」

 

 鉢へ土ごと入れる。隙間に畑の土を足し、押し固めすぎないように指でならす。最後に、管理人が水を少しだけ足した。

 

 澪が鑑定する。

 

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治癒草鉢植え

 分類:研究用薬草

 状態:移植直後

 根傷み:軽微

 土:薬草畑の湿り土

 水分:やや多い

 推奨:半日陰、風通し、過湿注意

 用途:観察、栽培試験

 販売:不可

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「水分、やや多いって出ました」

 

 セルマがすぐに鉢の底を見る。

 

「水を足しすぎたわね。今日はもうやらない方がいい」

 

 管理人は渋い顔をした。

 

「鉢は畑と違うからな。水が逃げるにも限りがある」

 

 リュシアが言った。

 

「薬草にも、水筒の時みたいに飲ませすぎたのかい」

 

「言い方」

 

 澪は鉢を抱えながら、少しだけ肩を落とした。

 

 まだ持ち帰ってすらいないのに、もう難しい。

 

 それでも、やめる気にはならなかった。

 

 澪は鉢を収納へ入れる前に、深呼吸した。

 

「治癒草鉢植え。研究用。販売不可。隔離管理。薬草畑の土つき。水分やや多い。半日陰で管理」

 

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収納登録

 名称:治癒草鉢植え

 分類:研究用薬草

 状態:生株

 土:薬草畑由来

 用途:観察、栽培試験

 販売:不可

 管理:隔離

 収納内状態保持:可能

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「収納内なら、ひとまず状態は保てます」

 

 澪が言うと、セルマは小さく頷いた。

 

「出した後が問題ね」

 

「はい。現代側で置き場所を作ります」

 

 リュシアがすぐに聞く。

 

「六畳間に?」

 

 澪は固まった。

 

「……六畳間に」

 

「また狭くなるね」

 

「言わないでください」

 

 言われなくても分かっている。

 

 澪の六畳間は、もうただの部屋ではない。押入商会の事務所で、在庫置き場で、作業場で、時々異世界のものが出てくる危険な場所である。

 

 そこに、とうとう薬草鉢植えが加わる。

 

 

 

 

 

 

 押し入れを抜けて六畳間へ戻ると、澪はまず畳を見た。

 

 ここに鉢を置いてはいけない。

 

 それだけは分かった。

 

 慌てて古い新聞紙を広げ、台所で使っていたプラスチックトレーを持ってくる。少し小さい。だが今は仕方ない。澪は収納から治癒草の鉢を取り出し、トレーの上に置いた。

 

 治癒草は、異世界の畑で見た時よりも少し葉を伏せていた。

 

 澪はすぐにコップを持った。

 

 水をあげたくなる。

 

 萎れているように見える植物を見ると、水をあげなければと思ってしまう。だが、さっきの鑑定で水分はやや多いと出ていた。

 

 澪はコップを片手に、鑑定をかける。

 

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治癒草鉢植え

 状態:移動直後

 葉:やや萎れ

 根:軽い移植疲れ

 土水分:やや多い

 推奨:直射日光を避ける、風通し、追加水やり不要

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「追加水やり不要……危なかった」

 

 コップを置いた。

 

 六畳間を見渡す。

 

 ローテーブルには、帳簿、容器メモ、アクセサリー材料の袋、レシートを貼ったノートがある。棚には、ラベルを貼った小箱。押し入れの前には、今日から治癒草の鉢植え。

 

 澪は両手で顔を覆った。

 

「押入商会、とうとう薬草栽培まで始めた……」

 

 治癒草は、何も答えない。

 

 ただ、葉を少しだけ伏せている。

 

 その沈黙が、余計に責任を感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 翌日、澪はホームセンターの園芸コーナーで立ち尽くしていた。

 

 植物を元気にする薬を買えばいい。

 

 そう思って来た。

 

 だが、棚を見た瞬間、その考えが雑だったことを思い知った。

 

 肥料。液体肥料。活力剤。発根促進系。観葉植物用。野菜用。花用。弱った苗用。土壌改良材。鉢底石。培養土。霧吹き。受け皿。温湿度計。

 

 どれも植物を元気にしそうな顔をしている。

 

 そして、どれも少しずつ違うことを言っている。

 

「植物を元気にする薬、種類多すぎ……」

 

 澪は小声で呟いた。

 

 店員に聞けばいいのかもしれない。

 

 だが、「異世界の治癒草に使いたいんです」とは言えない。弱った観葉植物と言うには葉の形が違う。薬草と言えばそれもまた面倒な顔をされそうだ。

 

 澪はスマホで検索しながら、棚の前を行ったり来たりした。

 

 弱った苗用の活力剤。薄めて使う液体肥料。鉢。受け皿。霧吹き。土壌酸度計。温湿度計。小さな園芸スコップ。園芸手袋。ラベル。メモ帳。白い背景紙。小型ライト。

 

 かごの中身が、明らかに園芸を始める人のものになっていく。

 

 レジ前で、澪は法人カードを見た。

 

「これ、押入商会の備品……備品だよね?」

 

 治癒草はポーション材料の研究用である。ポーションは押入商会の取扱商品候補である。ならば、鉢や温湿度計や活力剤は備品と言ってよいのではないか。

 

 よいのではないか。

 

 たぶん。

 

 明石さんの真顔が、頭の中に浮かんだ。

 

「園芸用品を法人カードで買う会社……押入商会、説明が難しい」

 

 それでも澪はカードを出した。

 

 ここで自腹にすると、後で帳簿がもっと面倒になる気がしたからだ。

 

 

 

 

 

 

 六畳間に戻った澪は、ローテーブルの上にレシートと園芸用品を並べた。

 

 活力剤のボトルは、思ったより小さい。ラベルには、弱った植物に、薄めて使う、と書いてある。澪は説明書を読んだ。

 

「原液じゃ駄目なんだ。当たり前か」

 

 危ない。

 

 さっきまで、ほんの少しなら原液でもいけるのでは、と一瞬だけ思っていた。

 

 澪は治癒草を鑑定した。

 

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治癒草鉢植え

 状態:移植疲れ

 葉:やや萎れ

 根:軽い傷み

 土水分:やや多い

 推奨:追加水やり不要

 推奨:薄めた活力剤を少量、翌日以降

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「翌日以降……今じゃないんだ」

 

 手が止まった。

 

 植物は、弱っているように見えるとすぐ世話をしたくなる。だが、鑑定は今ではないと言っている。

 

 澪は鉢を窓際から少し離し、直射日光の当たらない場所へ移した。温湿度計を近くに置く。霧吹きは買ったばかりの袋から出して、鉢の横に置くだけにした。

 

 水はやらない。

 

 活力剤もやらない。

 

 何もしない。

 

「植物の世話、何もしないのも世話なんだ……」

 

 澪は、園芸メモにそのまま書いた。

 

 自分への注意書きである。

 

 

 

 

 

 

 翌日、澪は計量カップに水を入れ、活力剤を薄めた。

 

 薄い。

 

 本当に薄い。

 

 これで効くのかと不安になるくらい薄い。

 

 しかし、濃くしすぎたらまずい。澪はスポイトで少量を取り、鉢の端にそっと落とした。葉にかけるのではなく、土へ染み込ませる。終わった後も、ついもう一滴足したくなる手を止めた。

 

「少量。少量って出た。少量」

 

 誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせる。

 

 数時間後、澪は落ち着かず、鉢の前に座った。

 

 見た目には、劇的な変化はない。葉が少しだけ起きたようにも見えるが、気のせいかもしれない。

 

 鑑定する。

 

----------------------------------

治癒草鉢植え

 状態:回復中

 葉:張りが戻りつつある

 根:活着開始

 葉脈透明汁:増加傾向

 主薬効:微増

 注意:与えすぎ不可

----------------------------------

 

 澪は表示を見たまま固まった。

 

「主薬効、微増……?」

 

 効いている。

 

 ホームセンターで買った活力剤が、異世界薬草に効いている。

 

 その事実が、じわじわ怖い。

 

 澪は翌朝、もう一度鑑定した。

 

----------------------------------

治癒草

 状態:良好

 葉脈透明汁:増加

 主薬効:上昇

 薬効濃度:通常株比 128%

 葉色:濃い

 根:安定

 注意:肥料過多に注意

----------------------------------

 

「ホームセンター、異世界薬草に効いた……」

 

 声が震えた。

 

 すごい。

 

 そして、まずい。

 

 この方向は、かなりまずい。

 

 澪は、つい活力剤のボトルを見た。もう少し与えたら、もっと上がるのではないか。128%が150%になったりしないだろうか。そう考えた瞬間、鑑定表示が変わった。

 

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治癒草鉢植え

 警告:施肥過多の恐れ

 葉:徒長予兆

 薬効:不安定化予兆

 エグミ:増加予兆

 推奨:水のみ、2日

----------------------------------

 

「危ない。強くすればいいわけじゃない」

 

 澪は活力剤を机の反対側へ押しやった。

 

 そして記録帳を開く。

 

 活力剤の量。希釈。時間。葉の状態。鑑定結果。水やりの有無。温湿度計の数字。

 

 書くことが多い。

 

「これ、完全に園芸日誌だ」

 

 押入商会の帳簿の横に、園芸日誌が生まれた。

 

 会社の方向性が、また分からなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 その夜、澪はテレビをつけたまま、ホームセンターでもらってきた園芸用品の冊子をめくっていた。

 

 画面では、室内で野菜を育てる施設が紹介されていた。棚に並んだレタスが、紫がかった光を浴びている。土はない。スポンジのようなものに根を張り、水と養液で育っている。LEDライト。温度管理。水の循環。虫が少ない。成長が早い。

 

 澪は最初、ぼんやり見ていた。

 

「へえ、部屋の中で野菜って育つんだ」

 

 言ってから、視線が治癒草の鉢に移った。

 

 根元に、小さな脇芽が出ている。

 

 昨日までは、なかった気がする。

 

 澪は嫌な予感がしながら、鑑定した。

 

----------------------------------

治癒草鉢植え

 状態:良好

 脇芽:発生

 株分け:可能性あり

 水耕適性:未確認

 推奨:小株で試験

----------------------------------

 

「水耕適性、未確認……」

 

 未確認。

 

 つまり、駄目とは言っていない。

 

 試せる余地がある。

 

 澪は、メモ帳に書いてしまった。

 

 小型水耕栽培キット。LED植物育成ライト。スポンジ培地。液体肥料。水温計。タイマー。

 

 書き終えて、頭を抱えた。

 

「押入商会、薬草園芸部どころか、植物工場部に行こうとしてる……」

 

 テレビの中では、レタスが光を浴びて整然と並んでいた。

 

 六畳間には、治癒草が1鉢だけ、控えめに置かれている。

 

 だが、澪にはもう見えていた。

 

 棚。

 

 ライト。

 

 小さなポット。

 

 増える薬草。

 

 置き場所のない部屋。

 

 嬉しい未来と、片付かない現実が同時に押し寄せてきた。

 

 

 

 

 

 

 翌日、澪は高薬効化した治癒草の鉢を収納し、セルマ工房へ戻った。

 

 セルマは作業台の前で薬瓶を並べていたが、澪が鉢を出した瞬間に手を止めた。

 

「葉の張りが違うわ」

 

 早い。

 

 澪は鉢を作業台の上に置いた。

 

「現代側で、植物を元気にする資材を少しだけ使いました。すごく薄めて、少量だけです。薬効は上がったんですが、与えすぎると薬効が乱れて、エグミが増えそうでした」

 

 セルマは葉を指で触らず、顔を近づけて見た。葉脈周辺の透明な筋が、昨日より太く見える。ムシメガネを借りて覗くと、透明な汁が葉の中で光を受けていた。

 

「薬効を上げる資材……けれど、濃すぎると薬にならない草になるのね」

 

 リュシアはすぐ横から覗き込んだ。

 

「澪の国は、草まで強くするのかい」

 

「強くするというか、元気にするというか」

 

「同じだよ。薬草が元気になって、薬が強くなるなら、商売では大ごとだ」

 

「大ごとにしないでください」

 

「もうなってる」

 

 澪は反論できなかった。

 

 高薬効化した治癒草へ鑑定をかける。

 

----------------------------------

高薬効治癒草

 主薬効:切り傷修復

 薬効部位:葉脈周辺の透明汁

 抽出推奨法:蒸気浸透抽出

 推奨蒸気温度:45〜49℃

 推奨通過時間:11分

 注意:通常株より薬効移行が早い

 残留推奨:エグミ、苦味、渋み

----------------------------------

 

「時間が短くなった……」

 

 前回の通常株は14分だった。

 

 今回は11分。

 

 セルマは当然のように頷く。

 

「薬効が強い分、取りすぎると薬が荒れるのよ」

 

「薬が荒れるって、怖い言い方ですね」

 

「効きすぎる、味が乱れる、魔力が揺れる。どれも薬としては困るわ」

 

 澪は鉢を見た。

 

 元気になったのに、扱いは難しくなっている。

 

 植物も商売も、良くなったら楽になるわけではないらしい。

 

 セルマは清め水を用意した。澪も温度計を出す。前回より少し低めに、45〜49℃。蒸気量も弱め。高薬効治癒草の葉は張っているが、その分、変なものも一緒に出やすいかもしれない。

 

 澪は工程登録する。

 

----------------------------------

工程登録

 高薬効治癒草蒸気浸透抽出

 蒸気源:清め水

 通過層:高薬効治癒草

 回収先:冷却瓶

 目標:高薬効成分のみを蒸気へ移す

 除外:エグミ、苦味、渋み、青臭さ

 必要蒸気温度:45〜49℃

 必要通過時間:11分

 開始します

----------------------------------

 

「始まりました」

 

 澪は収納内の工程を意識する。

 

 前回より、薬効の移り方が早い。葉脈の透明な汁へ触れた蒸気が、すぐに何かを抱えて上へ抜けていく感覚がある。焦ると、葉を荒らす。弱すぎると、拾いきれない。

 

 鑑定表示を見る。

 

----------------------------------

蒸気浸透抽出中

 経過時間:06分

 薬効移行:62%

 エグミ移行:0%

 苦味移行:0%

 推奨:蒸気量維持

----------------------------------

 

「6分で62%です」

 

「早いわね」

 

 セルマの声も慎重になる。

 

 リュシアは黙っていた。商売の話をするには、まだ早いと分かっている顔だった。

 

 11分。

 

----------------------------------

蒸気浸透抽出中

 経過時間:11分

 薬効移行:97%

 エグミ移行:0%

 苦味移行:0%

 青臭さ移行:微量

 冷却雫:回収可能

 推奨:回収

----------------------------------

 

「回収します」

 

 澪は冷却瓶を取り出した。

 

 瓶の底に溜まった雫は、前回よりもわずかに濃く光っていた。色が濃いわけではない。透明なのに、奥で薄く力を持っているように見える。

 

 鑑定する。

 

----------------------------------

高薬効治癒草薬効露

 分類:抽出露

 主薬効:切り傷修復

 製法:蒸気浸透抽出

 薬効濃度:高

 透明度:高

 エグミ:なし

 苦味:なし

 濁り:なし

 魔力:やや強い

 推奨:月塩による慎重な安定化

----------------------------------

 

 セルマは月塩を取る手を、いつもより遅くした。

 

「多すぎると鈍る。少なすぎると揺れる。これは、前より細かく見るわ」

 

「表示、見ます」

 

 澪は鑑定を重ねながら、月塩の量を見た。銀匙の先に、ほんのわずか。セルマはそれを落とし、雫の揺れが収まるのを待つ。蜜晶も、前より少ない。

 

 瓶の中で、淡い光が一度沈み、澄んだ。

 

----------------------------------

一番雫ポーション

 分類:上等錬金薬

 主成分:高薬効治癒草薬効露

 製法:蒸気浸透抽出

 薬効:小さな切り傷、擦り傷、軽い打撲の回復補助

 薬効濃度:通常澄みポーション比 132%

 エグミ:なし

 苦味:ほぼなし

 透明度:高

 品質:特選

 評価:高薬効治癒草の最初の雫

----------------------------------

 

 澪は表示を読んだ。

 

「一番雫……」

 

 リュシアが即座に拾った。

 

「いいね。それでいこう」

 

「いや、鑑定が勝手に出しただけで」

 

「名前は早い者勝ちだよ」

 

「日本酒みたいになってきました」

 

「何の酒だい」

 

「忘れてください」

 

 セルマは小瓶を持ち上げ、光に透かした。

 

「これは、通常の澄みポーションと同じ扱いにはできないわね」

 

 リュシアも頷いた。

 

「同じ棚には置かないよ。材料がまだ少ない。育て方も安定してない。澪の国の資材を間違えたら、薬効が乱れる。軽く売れば買い占められる」

 

 澪は小瓶を見た。

 

「また高いものが増えるんですね」

 

「まずは試験品ね。高く売るより、同じ品質で作れるかを見る方が先よ」

 

 セルマが言うと、澪は少し安心した。

 

 リュシアが続ける。

 

「同じ品質で作れるようになったら、高く売るけどね」

 

「ですよね」

 

 安心は短かった。

 

 

 

 

 

 

 その夜、六畳間に戻った澪は、ローテーブルの上にものを並べた。

 

 ホームセンターのレシート。活力剤。温湿度計。園芸メモ。一番雫ポーションの記録。薄める倍率を書いた紙。治癒草の鉢。

 

 テレビでは、またLED水耕栽培の棚が映っていた。紫がかった光を浴びたレタスが、白い棚に整然と並んでいる。土はない。水と養液で育っている。タイマーで光を当て、温度を管理し、何段にも重ねられるらしい。

 

 澪は治癒草の鉢を見た。

 

 根元には、小さな脇芽がある。

 

 さっき鑑定に出た「水耕適性:未確認」という文字が、頭から離れない。

 

 澪は一番雫ポーションのメモと、LED水耕栽培のメモを見比べた。

 

「……これ、薬草が増えたら、ポーションも増えるんだよね」

 

 嬉しいはずだった。

 

 薬草が増えれば、澄みポーションも、一番雫も作りやすくなる。セルマ工房の試作も進む。リュシアは間違いなく商売にする。押入商会の売り物も増える。

 

 けれど、澪は六畳間を見渡した。

 

 置き場所がない。

 

 帳簿の横に鉢。押し入れ前に在庫箱。ローテーブルには園芸用品。今後、ここにLEDライトと水耕栽培キットが来るかもしれない。

 

 澪は頭を抱えた。

 

 押入商会の薬草園芸部は、澪の許可を待たずに、植物工場部へ進みかけていた。

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