セルマの工房の作業台には、前の日よりも瓶が増えていた。
澄みポーションの試作瓶が、布の上に3本。光に透かすと、ほとんど水にしか見えないのに、底の方でかすかに淡い色が揺れる。その横には、蒸気浸透抽出に使った治癒草が、皿の上に置かれていた。
澪は、ポーションではなく、その草を見ていた。
葉の形は残っている。だが、葉脈の周りにあった透明な筋は、昨日よりも薄い。力を抜いた葉のように、少しだけ張りがない。煮崩れていないのに、何かを抜かれた後だと分かる。
「そっちを見るのね」
セルマが、薬瓶の蓋を布で拭きながら言った。
「気になります。薬効だけ取った後って、どうなってるのかなって」
澪は皿の上の治癒草に鑑定をかけた。
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治癒草
状態:抽出後
主薬効:大幅減少
葉脈透明汁:減少
エグミ:残留
苦味:残留
渋み:残留
再抽出:非推奨
用途:堆肥、薬草研究用
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「本当に、嫌なところは残ってるんですね」
「残したのよ。あなたが」
「言い方」
澪は思わず顔を上げた。
セルマは真面目な顔で、皿の上の草を見ている。冗談ではなく、錬金術師として言っているらしい。澪が昨日やったのは、薬効を持つ雫だけを拾って、エグミや苦味を草の側へ置いてくる作業だった。
そう考えると、皿の上の治癒草が、少しだけ気の毒に見えてくる。
「葉だけ見ても、よく分からないんですよね。どんな土で育つのかとか、どの時期に薬効が強いのかとか、水をどれくらい好むのかとか」
澪は、自分で言いながら嫌な予感がした。
大豆。もやし。サツマイモ。ペットボトルの水。銀細工。白金砂。ポーション。
何かを商品にしようとすると、たいてい元の場所まで掘り返すことになる。
セルマは、皿の治癒草ではなく、新しく持ってきた若い治癒草を一本つまんだ。
「薬草は、生えている時の方が多くを教えるわ」
リュシアが、作業台の端で指を鳴らした。
「じゃあ畑だね」
澪は、嫌な顔をするのを止められなかった。
「また畑ですか」
「薬を売るなら、草から見るんだよ」
「最近、草と豆と芋ばかり見ている気がします」
「商売の根っこは、だいたい地面にあるんだよ」
リュシアは平然と言った。
うまいことを言われた気がしたが、澪の気分はあまり軽くならなかった。
薬草畑は、町外れの水路沿いにあった。
ただし、水路の真横ではない。石組みの細い流れから少し離れ、木陰が半分かかるような場所に、低い畝が何列も作られている。強い日が直接当たる区画には別の草があり、治癒草はその奥、影と湿り気のちょうど境目のような場所にまとまっていた。
土は黒っぽく、指で押せば湿り気が返ってきそうだが、泥ではない。靴底にべったりつくほどではなく、しかし乾いてひび割れてもいない。澪は、土だけで人が手を入れているのが分かる気がした。
畑の端で、ひとりの男がしゃがんでいた。
日に焼けた腕。腰に吊った小袋。使い込まれた小刀。薬草を入れる浅い籠。そして、革紐に下げられた丸いもの。
男はその丸いものを外し、治癒草の葉に近づけて覗いていた。
澪は、思わず足を止めた。
「……それ」
男が顔を上げる。
丸い木枠。小さなレンズ。見覚えがある。
「リュシアから買ったムシメガネだよ。葉の裏にいる小さい虫が見える。病気の斑点も早く分かる。いい道具だ」
澪は、レンズを見たまま固まった。
「本当に虫を見る道具になってる……」
「名前通りじゃないか」
「そうですけど、そうじゃないです」
リュシアが横で少しだけ胸を張った。
「ほらね。薬草屋さんが喜んでたって言っただろ」
「聞きましたけど、実際に使ってるところを見ると、なんか違います」
「良い意味で?」
「良い意味で、です」
管理人は澪の妙な感動など気にせず、また治癒草の葉を持ち上げた。指先は荒れているが、葉を扱う動きは驚くほど丁寧だった。葉の裏にムシメガネを当て、小さな虫食いの跡を探し、茶色くなりかけた斑点を見分ける。
澪も覗かせてもらった。
裸眼では、ただの薄い緑の葉だった。
けれどムシメガネ越しに見ると、葉は平らではなかった。細かな毛があり、葉脈の近くに透明な筋が走っている。光を受けると、その筋だけが水を含んだ糸のように見えた。葉の端には、小さな歯形のような虫食いがある。
「この筋が太い葉は、セルマが欲しがる。逆に、葉の端が硬くなってるやつは苦い。日が強すぎた葉だ」
管理人は、当たり前のように言った。
セルマが頷く。
「この人は、畑の葉を見て分けるのが上手いの」
澪は、もう一度ムシメガネを覗いた。
100円ショップで買えそうな道具が、この世界の薬草畑で、葉の良し悪しを見分ける道具になっている。
現代道具を持ち込むと、価格差や便利さばかり気になっていた。けれど、こうして誰かの腰に下げられ、仕事の途中で当たり前のように使われているのを見ると、少し違う気持ちになる。
自分が持ってきたものが、この人の毎日の手つきを変えている。
それは、少し怖くて、少し嬉しかった。
澪は畝の前にしゃがみ、治癒草を鑑定した。
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治癒草
分類:多年性薬草
好む環境:半日陰、湿り気のある土
弱点:強すぎる日差し、根腐れ、乾燥
薬効最大期:開花前の成熟葉
薬効部位:葉脈周辺の透明汁
観察補助:ムシメガネ有効
栽培難度:中
注意:土と水で薬効に差が出る
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「鑑定にも出ました。ムシメガネ有効」
リュシアが満足そうに笑った。
「ほら、売ってよかった」
「はい。今回は本当にそう思います」
管理人は、なぜ澪がそこで感動しているのか、半分も分かっていない顔で首を傾げた。けれど、ムシメガネを腰に戻す手つきは、もう完全に自分の道具を扱うものだった。
澪はメモ帳を出し、畑の状態を書き込んだ。
半日陰。湿り気のある土。水路から少し離す。葉は開花前。根元は蒸れ注意。葉脈透明汁が太いものが良い。
そこまで書いて、ふと顔を上げる。
「葉だけじゃなくて、株で見たいです。土と、水の具合も。現代側で、鉢植えにして観察できませんか」
セルマはすぐには頷かなかった。
管理人も、畑の中心にある治癒草をちらりと見た。
その沈黙で、澪にも分かった。
良い株は、持っていけない。
「持っていくなら、あっちの若い株にしな。真ん中の株は今が採り時だ。抜かれると困る」
管理人が、畑の端を指した。
そこには、少し小ぶりな治癒草が数株あった。葉脈の透明な筋も細く、背も低い。商品用というより、これから育てる株に見える。
セルマが澪を見る。
「畑の中心の株は駄目。端の若い株を一つだけよ」
「はい」
澪は素直に頷いた。
管理人が古い素焼き鉢を持ってきてくれた。縁が少し欠けているが、底には穴があり、土を入れるには十分だった。澪はスコップを借りて、株の根元へ差し込もうとした。
「根を切らないで。周りの土ごと持ち上げるの」
セルマの声が飛んだ。
澪は手を止めた。
簡単そうに見えた作業が、急に難しくなる。株だけを掘るのではなく、周りの土を崩さないように持ち上げる。現代の園芸動画で見たような気もするが、自分の手でやると土は思ったより崩れる。
澪は両手を添え、そっと土をすくった。
土の湿り気が指に残る。根の周りを守るように、黒い土を塊のまま持ち上げる。少し崩れかけたところを、管理人が横から小さな板で支えてくれた。
リュシアが笑う。
「商売の荷より慎重だね」
「根っこを切ったら枯れます」
「分かってるじゃないか」
「分かってるのと、できるのは別です」
鉢へ土ごと入れる。隙間に畑の土を足し、押し固めすぎないように指でならす。最後に、管理人が水を少しだけ足した。
澪が鑑定する。
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治癒草鉢植え
分類:研究用薬草
状態:移植直後
根傷み:軽微
土:薬草畑の湿り土
水分:やや多い
推奨:半日陰、風通し、過湿注意
用途:観察、栽培試験
販売:不可
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「水分、やや多いって出ました」
セルマがすぐに鉢の底を見る。
「水を足しすぎたわね。今日はもうやらない方がいい」
管理人は渋い顔をした。
「鉢は畑と違うからな。水が逃げるにも限りがある」
リュシアが言った。
「薬草にも、水筒の時みたいに飲ませすぎたのかい」
「言い方」
澪は鉢を抱えながら、少しだけ肩を落とした。
まだ持ち帰ってすらいないのに、もう難しい。
それでも、やめる気にはならなかった。
澪は鉢を収納へ入れる前に、深呼吸した。
「治癒草鉢植え。研究用。販売不可。隔離管理。薬草畑の土つき。水分やや多い。半日陰で管理」
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収納登録
名称:治癒草鉢植え
分類:研究用薬草
状態:生株
土:薬草畑由来
用途:観察、栽培試験
販売:不可
管理:隔離
収納内状態保持:可能
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「収納内なら、ひとまず状態は保てます」
澪が言うと、セルマは小さく頷いた。
「出した後が問題ね」
「はい。現代側で置き場所を作ります」
リュシアがすぐに聞く。
「六畳間に?」
澪は固まった。
「……六畳間に」
「また狭くなるね」
「言わないでください」
言われなくても分かっている。
澪の六畳間は、もうただの部屋ではない。押入商会の事務所で、在庫置き場で、作業場で、時々異世界のものが出てくる危険な場所である。
そこに、とうとう薬草鉢植えが加わる。
押し入れを抜けて六畳間へ戻ると、澪はまず畳を見た。
ここに鉢を置いてはいけない。
それだけは分かった。
慌てて古い新聞紙を広げ、台所で使っていたプラスチックトレーを持ってくる。少し小さい。だが今は仕方ない。澪は収納から治癒草の鉢を取り出し、トレーの上に置いた。
治癒草は、異世界の畑で見た時よりも少し葉を伏せていた。
澪はすぐにコップを持った。
水をあげたくなる。
萎れているように見える植物を見ると、水をあげなければと思ってしまう。だが、さっきの鑑定で水分はやや多いと出ていた。
澪はコップを片手に、鑑定をかける。
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治癒草鉢植え
状態:移動直後
葉:やや萎れ
根:軽い移植疲れ
土水分:やや多い
推奨:直射日光を避ける、風通し、追加水やり不要
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「追加水やり不要……危なかった」
コップを置いた。
六畳間を見渡す。
ローテーブルには、帳簿、容器メモ、アクセサリー材料の袋、レシートを貼ったノートがある。棚には、ラベルを貼った小箱。押し入れの前には、今日から治癒草の鉢植え。
澪は両手で顔を覆った。
「押入商会、とうとう薬草栽培まで始めた……」
治癒草は、何も答えない。
ただ、葉を少しだけ伏せている。
その沈黙が、余計に責任を感じさせた。
翌日、澪はホームセンターの園芸コーナーで立ち尽くしていた。
植物を元気にする薬を買えばいい。
そう思って来た。
だが、棚を見た瞬間、その考えが雑だったことを思い知った。
肥料。液体肥料。活力剤。発根促進系。観葉植物用。野菜用。花用。弱った苗用。土壌改良材。鉢底石。培養土。霧吹き。受け皿。温湿度計。
どれも植物を元気にしそうな顔をしている。
そして、どれも少しずつ違うことを言っている。
「植物を元気にする薬、種類多すぎ……」
澪は小声で呟いた。
店員に聞けばいいのかもしれない。
だが、「異世界の治癒草に使いたいんです」とは言えない。弱った観葉植物と言うには葉の形が違う。薬草と言えばそれもまた面倒な顔をされそうだ。
澪はスマホで検索しながら、棚の前を行ったり来たりした。
弱った苗用の活力剤。薄めて使う液体肥料。鉢。受け皿。霧吹き。土壌酸度計。温湿度計。小さな園芸スコップ。園芸手袋。ラベル。メモ帳。白い背景紙。小型ライト。
かごの中身が、明らかに園芸を始める人のものになっていく。
レジ前で、澪は法人カードを見た。
「これ、押入商会の備品……備品だよね?」
治癒草はポーション材料の研究用である。ポーションは押入商会の取扱商品候補である。ならば、鉢や温湿度計や活力剤は備品と言ってよいのではないか。
よいのではないか。
たぶん。
明石さんの真顔が、頭の中に浮かんだ。
「園芸用品を法人カードで買う会社……押入商会、説明が難しい」
それでも澪はカードを出した。
ここで自腹にすると、後で帳簿がもっと面倒になる気がしたからだ。
六畳間に戻った澪は、ローテーブルの上にレシートと園芸用品を並べた。
活力剤のボトルは、思ったより小さい。ラベルには、弱った植物に、薄めて使う、と書いてある。澪は説明書を読んだ。
「原液じゃ駄目なんだ。当たり前か」
危ない。
さっきまで、ほんの少しなら原液でもいけるのでは、と一瞬だけ思っていた。
澪は治癒草を鑑定した。
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治癒草鉢植え
状態:移植疲れ
葉:やや萎れ
根:軽い傷み
土水分:やや多い
推奨:追加水やり不要
推奨:薄めた活力剤を少量、翌日以降
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「翌日以降……今じゃないんだ」
手が止まった。
植物は、弱っているように見えるとすぐ世話をしたくなる。だが、鑑定は今ではないと言っている。
澪は鉢を窓際から少し離し、直射日光の当たらない場所へ移した。温湿度計を近くに置く。霧吹きは買ったばかりの袋から出して、鉢の横に置くだけにした。
水はやらない。
活力剤もやらない。
何もしない。
「植物の世話、何もしないのも世話なんだ……」
澪は、園芸メモにそのまま書いた。
自分への注意書きである。
翌日、澪は計量カップに水を入れ、活力剤を薄めた。
薄い。
本当に薄い。
これで効くのかと不安になるくらい薄い。
しかし、濃くしすぎたらまずい。澪はスポイトで少量を取り、鉢の端にそっと落とした。葉にかけるのではなく、土へ染み込ませる。終わった後も、ついもう一滴足したくなる手を止めた。
「少量。少量って出た。少量」
誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせる。
数時間後、澪は落ち着かず、鉢の前に座った。
見た目には、劇的な変化はない。葉が少しだけ起きたようにも見えるが、気のせいかもしれない。
鑑定する。
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治癒草鉢植え
状態:回復中
葉:張りが戻りつつある
根:活着開始
葉脈透明汁:増加傾向
主薬効:微増
注意:与えすぎ不可
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澪は表示を見たまま固まった。
「主薬効、微増……?」
効いている。
ホームセンターで買った活力剤が、異世界薬草に効いている。
その事実が、じわじわ怖い。
澪は翌朝、もう一度鑑定した。
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治癒草
状態:良好
葉脈透明汁:増加
主薬効:上昇
薬効濃度:通常株比 128%
葉色:濃い
根:安定
注意:肥料過多に注意
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「ホームセンター、異世界薬草に効いた……」
声が震えた。
すごい。
そして、まずい。
この方向は、かなりまずい。
澪は、つい活力剤のボトルを見た。もう少し与えたら、もっと上がるのではないか。128%が150%になったりしないだろうか。そう考えた瞬間、鑑定表示が変わった。
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治癒草鉢植え
警告:施肥過多の恐れ
葉:徒長予兆
薬効:不安定化予兆
エグミ:増加予兆
推奨:水のみ、2日
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「危ない。強くすればいいわけじゃない」
澪は活力剤を机の反対側へ押しやった。
そして記録帳を開く。
活力剤の量。希釈。時間。葉の状態。鑑定結果。水やりの有無。温湿度計の数字。
書くことが多い。
「これ、完全に園芸日誌だ」
押入商会の帳簿の横に、園芸日誌が生まれた。
会社の方向性が、また分からなくなってきた。
その夜、澪はテレビをつけたまま、ホームセンターでもらってきた園芸用品の冊子をめくっていた。
画面では、室内で野菜を育てる施設が紹介されていた。棚に並んだレタスが、紫がかった光を浴びている。土はない。スポンジのようなものに根を張り、水と養液で育っている。LEDライト。温度管理。水の循環。虫が少ない。成長が早い。
澪は最初、ぼんやり見ていた。
「へえ、部屋の中で野菜って育つんだ」
言ってから、視線が治癒草の鉢に移った。
根元に、小さな脇芽が出ている。
昨日までは、なかった気がする。
澪は嫌な予感がしながら、鑑定した。
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治癒草鉢植え
状態:良好
脇芽:発生
株分け:可能性あり
水耕適性:未確認
推奨:小株で試験
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「水耕適性、未確認……」
未確認。
つまり、駄目とは言っていない。
試せる余地がある。
澪は、メモ帳に書いてしまった。
小型水耕栽培キット。LED植物育成ライト。スポンジ培地。液体肥料。水温計。タイマー。
書き終えて、頭を抱えた。
「押入商会、薬草園芸部どころか、植物工場部に行こうとしてる……」
テレビの中では、レタスが光を浴びて整然と並んでいた。
六畳間には、治癒草が1鉢だけ、控えめに置かれている。
だが、澪にはもう見えていた。
棚。
ライト。
小さなポット。
増える薬草。
置き場所のない部屋。
嬉しい未来と、片付かない現実が同時に押し寄せてきた。
翌日、澪は高薬効化した治癒草の鉢を収納し、セルマ工房へ戻った。
セルマは作業台の前で薬瓶を並べていたが、澪が鉢を出した瞬間に手を止めた。
「葉の張りが違うわ」
早い。
澪は鉢を作業台の上に置いた。
「現代側で、植物を元気にする資材を少しだけ使いました。すごく薄めて、少量だけです。薬効は上がったんですが、与えすぎると薬効が乱れて、エグミが増えそうでした」
セルマは葉を指で触らず、顔を近づけて見た。葉脈周辺の透明な筋が、昨日より太く見える。ムシメガネを借りて覗くと、透明な汁が葉の中で光を受けていた。
「薬効を上げる資材……けれど、濃すぎると薬にならない草になるのね」
リュシアはすぐ横から覗き込んだ。
「澪の国は、草まで強くするのかい」
「強くするというか、元気にするというか」
「同じだよ。薬草が元気になって、薬が強くなるなら、商売では大ごとだ」
「大ごとにしないでください」
「もうなってる」
澪は反論できなかった。
高薬効化した治癒草へ鑑定をかける。
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高薬効治癒草
主薬効:切り傷修復
薬効部位:葉脈周辺の透明汁
抽出推奨法:蒸気浸透抽出
推奨蒸気温度:45〜49℃
推奨通過時間:11分
注意:通常株より薬効移行が早い
残留推奨:エグミ、苦味、渋み
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「時間が短くなった……」
前回の通常株は14分だった。
今回は11分。
セルマは当然のように頷く。
「薬効が強い分、取りすぎると薬が荒れるのよ」
「薬が荒れるって、怖い言い方ですね」
「効きすぎる、味が乱れる、魔力が揺れる。どれも薬としては困るわ」
澪は鉢を見た。
元気になったのに、扱いは難しくなっている。
植物も商売も、良くなったら楽になるわけではないらしい。
セルマは清め水を用意した。澪も温度計を出す。前回より少し低めに、45〜49℃。蒸気量も弱め。高薬効治癒草の葉は張っているが、その分、変なものも一緒に出やすいかもしれない。
澪は工程登録する。
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工程登録
高薬効治癒草蒸気浸透抽出
蒸気源:清め水
通過層:高薬効治癒草
回収先:冷却瓶
目標:高薬効成分のみを蒸気へ移す
除外:エグミ、苦味、渋み、青臭さ
必要蒸気温度:45〜49℃
必要通過時間:11分
開始します
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「始まりました」
澪は収納内の工程を意識する。
前回より、薬効の移り方が早い。葉脈の透明な汁へ触れた蒸気が、すぐに何かを抱えて上へ抜けていく感覚がある。焦ると、葉を荒らす。弱すぎると、拾いきれない。
鑑定表示を見る。
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蒸気浸透抽出中
経過時間:06分
薬効移行:62%
エグミ移行:0%
苦味移行:0%
推奨:蒸気量維持
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「6分で62%です」
「早いわね」
セルマの声も慎重になる。
リュシアは黙っていた。商売の話をするには、まだ早いと分かっている顔だった。
11分。
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蒸気浸透抽出中
経過時間:11分
薬効移行:97%
エグミ移行:0%
苦味移行:0%
青臭さ移行:微量
冷却雫:回収可能
推奨:回収
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「回収します」
澪は冷却瓶を取り出した。
瓶の底に溜まった雫は、前回よりもわずかに濃く光っていた。色が濃いわけではない。透明なのに、奥で薄く力を持っているように見える。
鑑定する。
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高薬効治癒草薬効露
分類:抽出露
主薬効:切り傷修復
製法:蒸気浸透抽出
薬効濃度:高
透明度:高
エグミ:なし
苦味:なし
濁り:なし
魔力:やや強い
推奨:月塩による慎重な安定化
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セルマは月塩を取る手を、いつもより遅くした。
「多すぎると鈍る。少なすぎると揺れる。これは、前より細かく見るわ」
「表示、見ます」
澪は鑑定を重ねながら、月塩の量を見た。銀匙の先に、ほんのわずか。セルマはそれを落とし、雫の揺れが収まるのを待つ。蜜晶も、前より少ない。
瓶の中で、淡い光が一度沈み、澄んだ。
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一番雫ポーション
分類:上等錬金薬
主成分:高薬効治癒草薬効露
製法:蒸気浸透抽出
薬効:小さな切り傷、擦り傷、軽い打撲の回復補助
薬効濃度:通常澄みポーション比 132%
エグミ:なし
苦味:ほぼなし
透明度:高
品質:特選
評価:高薬効治癒草の最初の雫
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澪は表示を読んだ。
「一番雫……」
リュシアが即座に拾った。
「いいね。それでいこう」
「いや、鑑定が勝手に出しただけで」
「名前は早い者勝ちだよ」
「日本酒みたいになってきました」
「何の酒だい」
「忘れてください」
セルマは小瓶を持ち上げ、光に透かした。
「これは、通常の澄みポーションと同じ扱いにはできないわね」
リュシアも頷いた。
「同じ棚には置かないよ。材料がまだ少ない。育て方も安定してない。澪の国の資材を間違えたら、薬効が乱れる。軽く売れば買い占められる」
澪は小瓶を見た。
「また高いものが増えるんですね」
「まずは試験品ね。高く売るより、同じ品質で作れるかを見る方が先よ」
セルマが言うと、澪は少し安心した。
リュシアが続ける。
「同じ品質で作れるようになったら、高く売るけどね」
「ですよね」
安心は短かった。
その夜、六畳間に戻った澪は、ローテーブルの上にものを並べた。
ホームセンターのレシート。活力剤。温湿度計。園芸メモ。一番雫ポーションの記録。薄める倍率を書いた紙。治癒草の鉢。
テレビでは、またLED水耕栽培の棚が映っていた。紫がかった光を浴びたレタスが、白い棚に整然と並んでいる。土はない。水と養液で育っている。タイマーで光を当て、温度を管理し、何段にも重ねられるらしい。
澪は治癒草の鉢を見た。
根元には、小さな脇芽がある。
さっき鑑定に出た「水耕適性:未確認」という文字が、頭から離れない。
澪は一番雫ポーションのメモと、LED水耕栽培のメモを見比べた。
「……これ、薬草が増えたら、ポーションも増えるんだよね」
嬉しいはずだった。
薬草が増えれば、澄みポーションも、一番雫も作りやすくなる。セルマ工房の試作も進む。リュシアは間違いなく商売にする。押入商会の売り物も増える。
けれど、澪は六畳間を見渡した。
置き場所がない。
帳簿の横に鉢。押し入れ前に在庫箱。ローテーブルには園芸用品。今後、ここにLEDライトと水耕栽培キットが来るかもしれない。
澪は頭を抱えた。
押入商会の薬草園芸部は、澪の許可を待たずに、植物工場部へ進みかけていた。