押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第363話 真壁久忠が見えません

 

 劉浩は、画面の右上に出ている時刻を見てから、もう一度人物欄へ戻った。

 

 そこにある名前は、朝から何度見ても変わらない。

 

 真壁久忠。

 

 押入商会、相談役。

 

 会社側の人物として必要な記録はあり、少なくとも「誰なのか分からない人間」ではなかった。

 

 押入商会との関係も確認できる。

 

 相談役という肩書きも、書類の上だけに置かれたものには見えない。

 

 問題は、その下だった。

 

 劉は宮坂の報告を一つ開き、別の画面に並べた。

 

 特殊材料の納品へ篠原澪と一緒に来る。

 

 評価室へも入る。

 

 鷺沼佳樹から説明を受け、必要なところでは口を挟む。

 

 供給条件の話にも残っている。

 

 どれも一件だけなら、相談役という肩書きで済ませられた。

 

 それが何件も重なると、逆に輪郭がぼやける。

 

 劉は椅子を少し後ろへ引いた。

 

 机の端に置いていた紙のコップへ手を伸ばしたが、中身はとっくに冷めていた。

 

「真壁久忠が見えません」

 

 向かいで資料を読んでいた趙麗華が、視線だけを上げた。

 

「記録はあるでしょう」

 

「記録がないのではありません」

 

 劉は画面を回さず、そのまま指先で一つずつ報告を送った。

 

「押入商会で、何をしている人物なのかが見えないんです」

 

 趙は紙を閉じた。

 

「相談役でしょう」

 

「肩書きだけなら」

 

「肩書きと実際の仕事が完全に一致しない人間なんて、いくらでもいるわ」

 

「そうなんです」

 

 劉はそこで頷いた。

 

 否定されているのに、むしろ話が進んだ気がした。

 

「だから、肩書きが違うこと自体は気にしていません」

 

「では何を気にしているの」

 

「どこへ置いても、少しはみ出すんです」

 

 趙の眉がわずかに動いた。

 

 劉は最初の報告を開いた。

 

 東都特殊金属試作へ宮坂が入って間もない頃の記録だった。

 

 真壁は篠原澪とともに現れ、納品と材料評価の話へ自然に加わっている。

 

 別の日には、鷺沼と人のいない場所へ移って話している。

 

 何を話したのかは分からない。

 

 宮坂にも聞こえていない。

 

 そこへ劉が勝手な中身を入れれば、調査ではなく物語になる。

 

 その行は、会話内容不明のまま残した。

 

「技術者として見ると、少し違います」

 

「何が?」

 

「自分の専門を説明する側ではないんです」

 

 研究者なら研究の話をする。

 

 設計者なら設計の話をする。

 

 材料技術者なら、試料の成分や工程へ自分から深く入る。

 

 宮坂の報告に出てくる真壁は、そのどれとも少し違った。

 

 説明を受ける。

 

 必要なら質問する。

 

 そのあとで、話の進む方向に口を出す。

 

 自分の知識を見せることより、何を決めるかへ近い。

 

「では経営側では?」

 

「それだけでも説明できません」

 

 劉は別の記録へ移った。

 

 押入商会の代表者は篠原澪。

 

 東都側も一貫して篠原を代表者として扱っている。

 

 真壁が名刺を押しのけて自分を責任者として名乗った記録もない。

 

「経営者として見ると、前に出なさすぎます」

 

「相談役なら普通でしょう」

 

「そうなんですが……」

 

 言いながら、劉自身も説明の弱さを感じた。

 

 趙が椅子の背へ体を預ける。

 

「営業?」

 

「違うと思います」

 

「管理?」

 

「それだけでもないです」

 

「技術顧問?」

 

「それなら、もう少し技術側へ寄るはずです」

 

 趙はしばらく黙った。

 

 劉も黙った。

 

 自分で言っていて、職業当てのようになってきた。

 

「人間を職種一つへ押し込む必要はないでしょう」

 

「もちろんです」

 

 劉はすぐに答えた。

 

 そこを間違えると、ただの型にはめた分析になる。

 

「多才な人間はいます」

 

「なら終わりね」

 

「終われないんです」

 

 趙が目を細めた。

 

 劉は宮坂の報告に残っている短い所見を表示した。

 

 そこには、真壁久忠は読みづらい人物だと記されていた。

 

「宮坂が、この人だけ最初から気にしています」

 

「それは宮坂の印象でしょう」

 

「はい」

 

「なら、事実とは分けなさい」

 

「分けています」

 

 劉は画面の端に付けた印を示した。

 

 事実と本人の所感、それに分析側の仮説は、それぞれ別の印で分けてある。

 

「だから、本人にもう一度聞きたいです」

 

 趙は数秒考え、机の上の紙を揃えた。

 

「いいでしょう」

 

「ただし、答えを誘導しないこと」

 

「分かっています」

 

「あなたが真壁を変な人物だと思い始めていることも、持ち込まないで」

 

「変な人物とは言ってません」

 

「まだ、ね」

 

 劉は反論しかけてやめた。

 

 冷めた紙コップを持ち上げ、結局飲まずに元へ戻す。

 

 画面には、相談役という四文字が残っている。

 

 朝から何度見ても、その四文字だけでは足りなかった。

 

 

 

 宮坂は、質問を聞いてすぐには答えなかった。

 

 向かいには周明宇が座り、その横で劉浩が端末を開いている。

 

 責任を追及する場ではないことは最初に伝えられていた。

 

 だからこそ、宮坂は余計に言葉を選んだ。

 

「真壁久忠について、もう一度確認したい」

 

 周の声はいつもと変わらなかった。

 

「何をですか」

 

「何者に見えた」

 

 宮坂は一度だけ瞬きをした。

 

 職種を聞かれるとは思っていなかった。

 

「技術者か?」

 

「そうは見えませんでした」

 

「経営者?」

 

「それだけでもないと思います」

 

「営業?」

 

 宮坂は首を横へ振った。

 

 東都で見た真壁の姿を順に思い出す。

 

 大きな声で場を動かす人物ではない。

 

 材料の説明が始まれば黙って聞いている。

 

 質問も多くない。

 

 けれど、話が結論へ近づくと、いつの間にか判断の近くにいる。

 

 こちらが何を知りたいのか。

 

 どこまで話してよいのか。

 

 何を今は出さないのか。

 

 その線を引くのが妙に速かった。

 

「では何だ」

 

 周が聞く。

 

 宮坂は少し間を置いた。

 

「……判断する側の人間に見えました」

 

 劉の指が止まった。

 

「何を判断する?」

 

「何を使うか」

 

 宮坂は自分が見た場面から外れないように続けた。

 

「何を出すか」

 

「どこで止めるかです」

 

 周が背もたれへ寄りかかった。

 

「技術を持っているようには見えなかった?」

 

「持っていないとは言っていません」

 

「では?」

 

「自分から見せる人ではなかった、という意味です」

 

 宮坂は、東都の評価室で真壁が壁際に立っていた姿を思い出した。

 

 誰より前へ出ていたわけではない。

 

 それでも、篠原澪も鷺沼も、真壁の言葉を聞き流してはいなかった。

 

 何か決める時だけ真壁を見る、とまでは言えない。

 

 しかし、真壁が口を開けば、その場の人間は一度聞いていた。

 

「説明を受ければ理解が早いです」

 

「どの程度?」

 

「少なくとも、話を止めて聞き直す場面はほとんどありませんでした」

 

 劉が何かを打ち込む。

 

「専門知識があるからでは?」

 

「その可能性はあります」

 

 宮坂はそこで止めた。

 

 分からないものを、分かったように埋めるつもりはなかった。

 

「材料そのものを作っているようには?」

 

「分かりません」

 

「供給元を知っているようには?」

 

「それも分かりません」

 

 周はそれ以上重ねなかった。

 

 見ていないことへ答えさせても意味がない。

 

 次の質問へ移る。

 

「初対面から警戒していたな」

 

「はい」

 

「理由は?」

 

 今度は、答えるまで少し長くかかった。

 

 真壁と最初に視線が合った瞬間。

 

 ほんの一瞬だった。

 

 何かを見られたような感覚だけが残った。

 

 あの時は、自分が任務中だったから過敏になったのだと思った。

 

 今でも、それを証拠に変えることはできない。

 

「理由にできるものではありません」

 

「何かあったのだろう」

 

「目が合っただけです」

 

「それで?」

 

「見られた気がしました」

 

 言った瞬間、自分でも曖昧すぎると思った。

 

 周も表情を変えない。

 

 劉が口を開いた。

 

「その時、真壁の態度は?」

 

「変わりませんでした」

 

「その後は?」

 

「普通です」

 

「あなたへの接し方も?」

 

「変わっていません」

 

 劉は入力を止めた。

 

「では、結果から逆算して、最初から見抜いていたことにはできません」

 

 宮坂は小さく頷いた。

 

「私もそう思います」

 

 あのフローライトを思い出せば、何もかも最初から仕組まれていたように考えたくなる。

 

 だが、そう考えれば楽になるだけだ。

 

 自分がどの時点で見られていたのか、そもそも見られていたのかさえ確定していない。

 

 周が指先で机を一度だけ叩いた。

 

「篠原澪は?」

 

 宮坂の脳裏に、真壁の隣に立っていた若い代表の姿が浮かんだ。

 

「普通の大学生に見えました」

 

「前にもそう言ったな」

 

「今も印象は変わっていません」

 

「真壁との関係は?」

 

 その質問で、宮坂は少し困った。

 

 上司と部下なら、どちらが指示を出すかがもっと分かりやすい。

 

 親子には見えない。

 

 師弟と決める材料もない。

 

 真壁は年長で、篠原より経験があるように見える。

 

 それでも、篠原の前へ立って代表者のように振る舞うことはなかった。

 

「相談役と代表です」

 

 周がわずかに眉を上げた。

 

「肩書きではなく」

 

「それ以上は、分かりません」

 

 宮坂は正直に答えた。

 

 分からない。

 

 だが、真壁が篠原を軽く扱っていなかったことだけは覚えている。

 

 若いから代わりに決めてやる、という態度ではなかった。

 

 必要なら意見を言う。

 

 篠原もそれを聞く。

 

 それでも、最後に押入商会の代表として前へ出るのは篠原だった。

 

「真壁は篠原を操っているように見えたか」

 

 周の質問に、宮坂は今度はすぐ首を振った。

 

「いいえ」

 

「迷わないな」

 

「そう見えたことはありません」

 

 劉の指が再び動き始めた。

 

 宮坂は机の上へ視線を落とした。

 

 東都へ戻ることはもうできない。

 

 それでも、あそこで見た人間まで都合よく別の形にするつもりはなかった。

 

 

 

 押入商会の事業所では、澪がノートの真ん中に大きく「普通」と書いていた。

 

 書いたあとで、自分でも妙だと思った。

 

 会社の打ち合わせで、普通という二文字を丸で囲む日が来るとは思っていなかった。

 

 横には、前回から残っているメモが並んでいる。

 

 横には、倉庫、通常仕入れ、商品、物流と前回から残った項目が並んでいる。

 

 言葉だけなら立派だが、中身はまだ一つも決まっていない。

 

「倉庫を借りるのが一番早いですかね」

 

 向かいで資料を見ていた真壁が顔を上げた。

 

「借りてどうする」

 

「物を置きます」

 

「何をだね」

 

「……普通の物?」

 

 真壁が黙った。

 

 怒ってはいない。

 

 ただ、その沈黙だけで答えが足りていないことはよく分かった。

 

「言ってから雑だと思いました」

 

「自覚があるなら結構」

 

 澪はノートへ視線を戻した。

 

「でも、外から見て自然な会社にするなら、倉庫って要るんじゃないですか?」

 

「必要になればな」

 

「必要になる前に借りるのは?」

 

「空の倉庫を見せて安心する者がいるなら、会ってみたいものだ」

 

「いませんね」

 

 澪は倉庫の横に小さく「後」と書いた。

 

 異世界から持ってきた材料は、収納があれば大規模な保管場所を必要としない。

 

 運ぶ時も同じだった。

 

 自分たちにとって便利すぎる仕組みが、ゲンダイ側の会社として見ると穴になる。

 

 そこまでは分かった。

 

 けれど、穴を埋めるためだけに建物を借りても、中で物が動かなければ意味がない。

 

「じゃあ、普通に仕入れるところからですか」

 

「そうなるだろうな」

 

「スパイ対策で商売を増やすんですか」

 

「順序が逆だ」

 

 真壁は机の上の紙を一枚取った。

 

「商売として成立するものを増やす」

 

「はい」

 

「仕入れて、保管して、売る」

 

「はい」

 

「それが結果として、会社の姿を自然にする」

 

 澪はペンを止めた。

 

「……普通の会社って、やること多いですね」

 

「普通の会社だからな」

 

「押入商会も会社ですよ」

 

「その点は否定していない」

 

 澪は少しだけ口を尖らせた。

 

 設立してから税金も払っている。

 

 給与も出している。

 

 契約書も作る。

 

 社会保険まできちんとしている。

 

 それなのに、物流の話になると急に異世界と収納が顔を出す。

 

 会社として真面目にやればやるほど、変なところだけが目立つのは納得がいかない。

 

「扱うなら、今の取引と相性がいい物ですよね」

 

「そうだな」

 

「特殊材料じゃない」

 

「それだけに寄せる必要はない」

 

「普通の物流で動かせる」

 

「それも必要だろう」

 

 澪は条件だけを書き足した。

 

 商品名はまだ書かない。

 

 思いつきで増やして、あとで誰が売るのか分からなくなるのは避けたい。

 

 異世界側では、何度も似た増え方を経験してきた。

 

 便利だから始めた仕事が増え、気づけば人手が足りなくなる。

 

 人を増やせば場所が要り、場所を作れば今度は管理する仕事まで増える。

 

 ゲンダイ側でまで同じ増え方をしたら、大学の時間割がまた仕事で埋まる未来が見えた。

 

 澪はスマートフォンに入れてある今学期の時間割を開きかけ、やめた。

 

 見れば空いている曜日へ仕事を置きたくなる。

 

 それはもう学習している。

 

「真壁さん」

 

「何だね」

 

「これ、普通の商売を増やしたら、私の仕事も普通に増えません?」

 

「増えるだろうな」

 

「ですよね」

 

 返事が早い。

 

 澪はノートの端に、今度は小さく「人も必要」と書いた。

 

「そこまで含めて考えるのだよ」

 

「先に言ってください」

 

「今、気づいたではないか」

 

 真壁は何でもないことのように次の資料へ手を伸ばした。

 

 澪はその横顔を見てから、ノートへ戻る。

 

「真壁さんは仕事増えても平気そうですよね」

 

「増やす前に人を増やせと言ったのは澪君だろう」

 

「そうですけど」

 

「なら、代表が忘れてはいかんな」

 

 代表という言葉で、ペン先が少し止まった。

 

 宮坂の件がなければ、こんなふうに会社を外から見直すこともなかったかもしれない。

 

 自分では当たり前になっていたやり方が、知らない人から見れば当たり前ではない。

 

 普通の会社に見せたいのではない。

 

 ゲンダイで本当に続けられる会社にして、その結果として不自然な穴を減らす。

 

 そちらの方が、澪にもずっと分かりやすかった。

 

「候補は、ちゃんと商売になる物から探します」

 

「それでよい」

 

 澪は「普通」の丸を一度消し、横へ書き直した。

 

 今度は、その下に条件が五つ並んでいた。

 

 最後の一つだけ、少し大きな字になっている。

 

 人を増やす。

 

 

 

 劉浩は、宮坂への聞き取りを終えたあと、最初に作った分類表を閉じた。

 

 分類表には、技術者、経営者、営業、管理という欄が並んでいる。

 

 どの欄にも真壁の名前を置ける。

 

 しかし、どこへ置いても余る。

 

 いっそ分類しない方が早いのではないかと思ったところで、趙が戻ってきた。

 

「どうだった?」

 

「余計に分からなくなりました」

 

「良い報告ね」

 

「褒めてます?」

 

「情報が増えたのに、無理に結論を作らなかった点は」

 

 劉は苦笑し、宮坂の発言を開いた。

 

「本人は、判断する側だと言っています」

 

「判断?」

 

「何を使うか、何を出すか、どこで止めるか」

 

 趙はその三つを黙って読んだ。

 

「役員なら、それくらいするでしょう」

 

「します」

 

「では?」

 

「範囲が広いんです」

 

 劉は宮坂が見た案件を一つずつ並べるのをやめた。

 

 並べれば並べるほど、報告書の読み上げにしかならない。

 

 代わりに、押入商会の簡単な関係図を開いた。

 

 代表者の欄に篠原澪。

 

 相談役の欄に真壁久忠。

 

 そこだけ見れば何もおかしくない。

 

「真壁久忠が、実質的な技術判断を担っている可能性があります」

 

「可能性はある」

 

 趙は簡単に認めた。

 

 劉は次の言葉を待った。

 

「でも、それで何が分かるの?」

 

「押入商会の特殊材料について、篠原より真壁の方が深く関わっている可能性が――」

 

「宮坂はそう言った?」

 

 劉は口を閉じた。

 

 言っていない。

 

 宮坂が言ったのは、真壁が判断する側に見えたことだけだ。

 

 篠原より上だとも、技術の核心を握っているとも言っていない。

 

「そこは推測です」

 

「なら推測のまま置いて」

 

「はい」

 

 劉は表示の色を変えた。

 

 事実と仮説が混ざらないようにする。

 

 趙が関係図の篠原澪へ視線を移した。

 

「それより、真壁が中心なら変でしょう」

 

「何がです?」

 

「なぜ篠原澪が代表なの」

 

 劉の手が止まった。

 

 自分もそこには引っかかっていた。

 

 篠原は大学生。

 

 真壁は年長で、宮坂の目には判断力の高い人物に映っている。

 

 それだけで真壁が代表になるべきだとは言えない。

 

 会社の代表者は技術力だけで決まるものでもない。

 

 それでも、真壁を中心人物だと置いた瞬間、篠原が代表である理由を別に考えなければならなくなる。

 

「真壁が篠原を前面に立たせている可能性は――」

 

「根拠は?」

 

 趙の返事が早かった。

 

 劉は途中で止めた。

 

「ありません」

 

「なら消して」

 

「はい」

 

 仮説の欄から一行消す。

 

 操作自体は一秒で終わった。

 

 陰謀らしい説明ほど、証拠がなければ消えるのも早い。

 

「では、逆に篠原が真壁を使っている?」

 

 劉は自分で口にして、自分で首を横へ振った。

 

「それも根拠がありません」

 

「学習が早くて助かるわ」

 

 趙は少しだけ口元を緩めた。

 

 劉は宮坂の記憶に残っていた二人の呼び方を見た。

 

 真壁は篠原を澪君と呼ぶ。

 

 篠原は真壁を真壁さんと呼ぶ。

 

 年齢差はある。

 

 距離も近い。

 

 だが、それだけで親族にも師弟にもできない。

 

「宮坂は、真壁が篠原の決定を奪うような場面を見ていません」

 

「逆は?」

 

「篠原が真壁へ一方的に命令していた、という報告もありません」

 

「では普通に代表と相談役なのでは?」

 

「そう考えるのが一番自然です」

 

 劉は答えてから、画面を見た。

 

「ただ、それだと真壁の役割がまた見えなくなります」

 

 趙が小さく息を吐いた。

 

「戻ったわね」

 

「はい」

 

 朝から同じ場所を回っているような気がする。

 

 けれど、同じではない。

 

 真壁が分からない理由は、記録不足だけではなかった。

 

 篠原澪との関係を切り離して見ているから、役割の一部が消えている可能性がある。

 

 劉は二人の名前を画面の中央へ寄せた。

 

 それまで別々だった人物欄が、一本の線でつながる。

 

「この二人の関係が分かれば、真壁の役割も見えるかもしれません」

 

 劉が言うと、趙はすぐには答えなかった。

 

 二つの名前を見比べる。

 

「順番が逆だったのかもしれないわね」

 

「真壁からではなく?」

 

「一人ずつ見ること自体が」

 

 劉は画面を閉じず、その言葉だけを新しいメモへ残した。

 

 真壁を分類するために始めた作業が、篠原澪との関係を調べる作業へ変わり始めていた。

 

 

 

 王建国は、劉の説明を最後まで聞いても、机の上の資料へ手を伸ばさなかった。

 

 趙が持ち込んだ紙は薄い。

 

 真壁久忠について集めた記録が少ないからではない。

 

 確定して言えることだけを残した結果だった。

 

「真壁は何者だ」

 

 王が聞いた。

 

「まだ分かりません」

 

 劉は正直に答えた。

 

「記録は?」

 

「あります」

 

「では何が分からない」

 

「押入商会での役割です」

 

 王が初めて資料へ目を落とした。

 

「相談役と書いてある」

 

「肩書きはそうです」

 

「技術者ではない?」

 

「技術の話は理解していますが、それだけではありません」

 

「経営者?」

 

「代表者ではありません」

 

「では相談役なのだろう」

 

 劉は返事をしかけて止まった。

 

 言われていることは正しい。

 

 肩書きをそのまま受け取れば、それで終わる。

 

 それでも宮坂が見た真壁は、何か一つの相談だけをする人物には見えなかった。

 

 趙が横から口を挟んだ。

 

「問題は、真壁単体で見ても役割の中心が出てこないことです」

 

 王は今度は篠原澪の欄を見た。

 

「代表はこの学生か」

 

「はい」

 

「真壁より若い」

 

「かなり」

 

「真壁が代表を動かしている証拠は?」

 

「ありません」

 

 趙が即答した。

 

「宮坂の見た範囲では、むしろ篠原を代表者として扱っています」

 

「逆は?」

 

「真壁を単なる部下として扱っているようにも見えません」

 

 王は指で机を一度だけ叩いた。

 

「肩書きどおりなら、何もおかしくない」

 

「はい」

 

「肩書きだけでは説明しきれない」

 

「そう見えます」

 

 しばらく、紙を動かす音もしなかった。

 

 王は真壁の欄ではなく、その隣に置かれた篠原澪の名前を見ていた。

 

「なら、真壁だけ見ても分からない」

 

 劉が顔を上げる。

 

「関係を見ろ」

 

 趙が聞いた。

 

「誰との?」

 

 王は二つの名前へ視線を落とした。

 

「篠原澪だ」

 

 劉は、開いたままだった端末へ新しい項目を作った。

 

 これまでは別々の人物欄に置かれていた真壁久忠と篠原澪を、同じ見出しの下へ移す。

 

 画面上では、名前を二つ並べただけだった。

 

 それでも、見え方はさっきまでと少し違った。

 

 真壁を単独で分類しようとすると、どの役割にも収まりきらない。

 

 だが篠原との関係まで含めるなら、相談役という肩書きにも別の意味が出てくるかもしれない。

 

 もちろん、それもまだ仮説だった。

 

「真壁を調べるはずだったんですが」

 

 思わず漏れた言葉に、趙が横目を向けた。

 

「調べた結果、篠原澪へ戻った」

 

「はい」

 

 王は資料を閉じた。

 

「次は、この二人の関係を見ろ」

 

 劉は返事をし、画面へ戻った。

 

 相談役と代表という肩書きだけなら、それで説明は終わる。

 

 けれど宮坂の報告に残った二人は、肩書きだけで切り離して眺めるより、並べた方がむしろ分からないことが増えた。

 

 なぜ真壁は、篠原より前へ出ないのか。

 

 なぜ篠原は、真壁ほど年長の人物を相談役としてそばに置いているのか。

 

 どちらがどちらを選んだのかさえ、今の資料からは分からない。

 

 劉は新しい欄の一番上へ、まだ空白のままカーソルを置いた。

 

 答えを書ける言葉は、まだ一つもなかった。

 

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