押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第37話 押入商会、植物工場部へ

 

 届いた段ボール箱は、澪が通販画面で見た時よりも大きかった。

 

 画面でも寸法は見た。レビュー写真も見た。小型と書いてあった。けれど、六畳間の玄関脇に置かれた途端、その箱は急に現実の大きさになった。

 

 澪は箱の横にしゃがみ込み、送り状を見た。

 

 小型水耕栽培キット。

 

 小型。

 

 そこに確かに小型と書いてある。

 

「小型って書いてあるし、これなら六畳間でもいける……はず」

 

 自分に言い聞かせながら、澪はカッターでテープを切った。

 

 中から出てきたのは、白い栽培槽、細長い植物育成LEDライト、スポンジ培地、液体肥料の小瓶、説明書、タイマーつきのコードだった。ひとつひとつは軽い。だが、ローテーブルの上に広げた瞬間、部屋は一気に園芸用品売り場の裏側みたいになった。

 

 帳簿を端へ寄せる。アクセサリー材料の袋を棚へ押し込む。温湿度計を倒さないように動かす。治癒草の鉢植えは窓際から少し離した場所に置いてある。

 

 澪は説明書を開き、写真を見ながら栽培槽を組み立てた。

 

 思ったより部品が多い。

 

 そして思ったよりコードが長い。

 

「小型って、机の上に可愛く乗るって意味じゃないんだ……」

 

 ぼやきながら、澪は治癒草の鉢へ目を向けた。

 

 前回、ホームセンターの活力剤で元気になった株の根元には、小さな脇芽が出ている。鑑定でも、株分けの可能性あり、と出ていた。今日はその小さな芽を、ほんの少しだけ試す。

 

 澪は園芸用の小さなハサミを消毒し、脇芽を慎重に分けた。スポンジ培地に小さな切れ込みを入れ、そこへ治癒草の小株を挟む。水耕栽培用の液体肥料は、説明書よりもさらに薄くした。異世界薬草に現代肥料をいきなり標準濃度で入れる勇気はない。

 

 栽培槽に小株を置き、LEDライトを上に取り付ける。

 

 スイッチを入れた。

 

 白紫がかった光が、六畳間の壁に広がった。

 

「うわ」

 

 想像より明るい。

 

 澪は目を細めながら、治癒草の小株へ鑑定をかけた。

 

----------------------------------

治癒草水耕試験苗

 状態:移植直後

 根:短い

 水耕適性:試験中

 光量:やや強い

 養液濃度:薄めで適正

 推奨:照射時間を短く開始

----------------------------------

 

「ちゃんと試験中って出た。いける」

 

 澪はほっとした。

 

 いける。

 

 いけるのだが、光が強い。

 

 部屋の壁が、ほんのり実験室みたいな色になっている。治癒草は小さいのに、存在感だけは妙に大きい。植物を育てているというより、部屋が植物に合わせて変えられている気がした。

 

 澪はタイマーを短めに設定し、栽培キットの周りを段ボールで軽く囲った。

 

 これなら大丈夫。

 

 その時は、そう思った。

 

 

 

 

 

 夜になって、澪は布団の中で目を閉じた。

 

 閉じた。

 

 閉じたはずなのに、まぶたの裏が明るい。

 

 白紫の光が、段ボールの隙間から漏れている。壁に当たり、天井に跳ね、押し入れの襖の縁まで薄く照らしていた。

 

 澪は寝返りを打つ。

 

 光が見えない方向を向く。

 

 それでも明るい。

 

 カーテンで隠そうとしたが、カーテンの下から光が漏れる。段ボールを追加で立てると、今度は中が熱くなりそうで怖い。タイマーをもっと短くすればいいのだが、治癒草の鑑定結果には「照射時間を短く開始」としか出ていない。短くしすぎて枯れたら、それはそれで困る。

 

「寝られない……」

 

 澪は布団の中で小さく呟いた。

 

 薬草は元気。

 

 あたしは寝不足。

 

 その言葉が、頭の中で妙にきれいに並んだ。

 

 よくない。

 

 全然よくない。

 

 翌朝、澪はぼんやりした頭で自分を鑑定した。

 

----------------------------------

篠原澪

 睡眠:不足

 集中:低下

 原因:LED光漏れ

 推奨:栽培場所の分離

----------------------------------

 

「鑑定にまで、光漏れって言われた……」

 

 澪は布団の上で固まった。

 

 自分の体調欄に、栽培設備の問題が出ている。

 

 これはもう、部屋と栽培場所が同じなのが悪い。

 

 起き上がると、足元のコードに引っかかりかけた。危ない、と片足で踏ん張る。ローテーブルには液体肥料、メモ帳、温湿度計、空のスポンジ培地の袋。棚の前には帳簿とアクセサリー材料。押し入れの前には在庫箱。そして壁際に光る水耕栽培キット。

 

 水を替えようとして、カップを倒しかける。

 

 澪は両手で顔を覆った。

 

「これ、部屋を借りるしかない?」

 

 言ってしまってから、スマホを手に取った。

 

 近所のレンタルスペース。トランクルーム。作業部屋。ワンルーム。小さな事務所。

 

 検索結果は、どれも澪に現実を突きつけてきた。

 

 月額料金。初期費用。保証料。管理費。電気代。契約期間。

 

「高い」

 

 声が出た。

 

 白金売却後の資金はある。押入商会の口座にも余裕はある。けれど、毎月固定費が出ていくとなると、話が違う。しかも、借りた部屋で何をしているのかと聞かれたら、薬草をLEDで育てています、と答えるのだろうか。

 

「薬草用の部屋を借りる大学生、だいぶ怪しい」

 

 澪はスマホを置いた。

 

 現代側で場所を借りるのは高い。

 

 でも、異世界側なら場所がある。

 

 セルマ工房には薬草棚がある。奥の部屋もある。小さな物置もある。薬草を育てていても、錬金術師の試験と言えば自然だ。少なくとも、六畳間で白紫の光を漏らしながら寝不足になるよりはずっと自然だった。

 

 問題は、電気だった。

 

「異世界には場所がある。でも電気がない」

 

 澪はスマホを見た。

 

 そして、ChatGPT先生に聞いた。

 

「電気のない異世界で、LED水耕栽培を小さく始めるには何が必要ですか。過剰な発電所ではなく、最初の1棚だけでお願いします」

 

 画面には、淡々と答えが並んだ。

 

 ポータブル電源。

 

 シート型太陽電池。

 

 植物育成LED。

 

 タイマー。

 

 水耕栽培キット。

 

 ポンプは最初は不要。水は手で交換。まずは小株で試験。

 

 澪は画面を見つめた。

 

「発電所じゃなくて、光る棚で済む……」

 

 少しだけ救われた気がした。

 

 少しだけである。

 

 ポータブル電源とシート型太陽電池の価格を見た瞬間、その救いは設備投資という顔をして戻ってきた。

 

 

 

 

 

 結局、澪は買った。

 

 ペロブスカイト式シート型太陽電池。ポータブル電源。屋外用強力接着剤。屋外用両面テープ。防水テープ。ケーブル固定具。延長コード。カーテン。突っ張り棒。小型水耕棚。植物育成LEDライト。

 

 注文履歴を見ただけで、ちょっとした工事業者になった気がした。

 

「部屋を借りるより安い。毎月家賃より安い。買い切り。買い切りだからセーフ」

 

 澪はそう言いながら、届いた箱を収納に入れた。

 

 言い訳は、声に出した方が少し強くなる。

 

 ただし、レシートの合計金額は強かった。

 

「植物を育てる話だったのに、電気工事っぽくなってきた」

 

 澪はポータブル電源の箱を見て、ため息をついた。

 

 

 

 

 

 セルマ工房へ持ち込んだ時、最初に反応したのはリュシアだった。

 

「六畳間では、夜に光って寝られません」

 

 澪が説明すると、リュシアはすぐ笑った。

 

「薬草に寝床を取られたのかい」

 

「はい」

 

「認めるのが早いね」

 

「負けました」

 

 セルマは笑わなかった。

 

 作業台に置かれたシート型太陽電池を、慎重に指で触っている。硬い板ではない。薄く、しなやかで、布のように曲がる。だが布ではない。表面はわずかに艶があり、光を受けると鈍く反射した。

 

「布みたいなのに、光を受けると箱に力を送るの?」

 

「はい。たぶん、太陽を食べる板です」

 

「錬金術より変な説明ね」

 

「自分でもそう思います」

 

 ポータブル電源を出すと、リュシアがすぐに箱を指差した。

 

「その箱、いくらだい」

 

 澪は目を逸らした。

 

「部屋を借りるより安いです」

 

「答えになってないね」

 

「でも、判断基準としては大事です」

 

「澪の国の商売は、だんだん家賃と戦い始めたね」

 

 澪は否定できなかった。

 

 セルマは太陽電池シートを丸めないように広げ、工房の入口から屋根を見上げた。

 

「屋根に貼るのね」

 

「はい。日が当たる場所に、ハリハリします」

 

「ハリハリ」

 

 セルマがその言葉を繰り返した。

 

 錬金術師の口から出ると、急に怪しい呪文みたいに聞こえる。

 

 

 

 

 

 屋根仕事は、澪の頭の中では簡単だった。

 

 屋根にハリハリ。

 

 線をスルスル。

 

 棚をトントン。

 

 終わり。

 

 実際には、まず日当たりの良い面を探すところから始まった。煙突の近くは煤がつくので避ける。影になる場所も避ける。雨水が流れる筋を見て、シートの端が浮きにくい位置を選ぶ。

 

 薬草畑の管理人が呼ばれて、なぜか屋根の上でしゃがんでいた。彼は畑だけでなく、小屋の修理にも慣れているらしい。細い木片を持って、貼る位置の端を押さえる準備をしている。

 

「ここなら日が当たる。煙突からも離れてる」

 

「ありがとうございます」

 

 澪は屋外用両面テープの剥離紙をめくった。

 

 剥離紙が指に貼りついた。

 

「あ」

 

 防水テープを切ろうとしたら、今度はテープの端が手袋にくっついた。

 

「ああ」

 

 リュシアが下から見上げる。

 

「高いんだから曲げるなよ」

 

「今それ言わないでください。手元が震えます」

 

 セルマは梯子の下で、太陽電池シートではなく澪を見ていた。

 

「薬草より澪の方が疲れているわ」

 

「まだ貼り始めたばかりです」

 

 管理人は慣れた手つきで、端を木片で押さえた。

 

「接着剤を塗ったら、ここを押さえる。風は端から入る」

 

「分かりました」

 

 澪は強力接着剤を塗り、シートを屋根の上へ広げた。薄いのに、緊張する。普通の布なら多少曲がってもいいが、これは力を作るシートである。値段を思い出すと、手が変な汗をかいた。

 

 端を押さえ、防水テープを貼り、ケーブルを壁際へ固定する。

 

 最後に、澪は自分の手を見た。

 

 手袋に接着剤がついている。

 

 防水テープの切れ端もついている。

 

「貼れました」

 

 リュシアが言った。

 

「澪の手も貼れてるね」

 

「言い方」

 

 だが、屋根には確かに、薄い発電シートが貼られていた。

 

 異世界の錬金術師の屋根が、少しだけ現代になった。

 

 

 

 

 

 次は、線だった。

 

 太陽電池シートから伸びるケーブルを壁際に這わせる。窓の端から室内へ入れる。水場から離れた場所に木箱を置き、その上にポータブル電源を載せた。

 

 澪は説明書を見ながら、接続端子を差し込んだ。

 

 ポータブル電源の小さな画面が点いた。

 

 澪には数字が読める。

 

 だがセルマには、光る小窓の中で見慣れない印が動いているように見えているはずだった。

 

「充電、始まりました」

 

 澪が言うと、セルマはすぐに覗き込んだ。

 

「この印が変わっているのは、何?」

 

「屋根のシートから、この箱に力が入っている表示です」

 

「太陽の光を、この箱にしまっているの?」

 

「だいたい、そんな感じです」

 

 セルマはしばらく黙って小窓を見ていた。

 

「……錬金術の瓶より変な箱ね」

 

 リュシアは腕を組んで、ポータブル電源と屋根へ伸びる線を見比べる。

 

「場所代はかからない。燃料もいらない。晴れた日にためる。悪くないね」

 

「もう採算の顔になってます」

 

「澪が先に家賃と比べたんだよ」

 

「それはそうですけど」

 

 言い返せなかった。

 

 

 

 

 

 工房の奥に棚を組む作業は、屋根よりは楽だった。

 

 少なくとも、床の上でできる。

 

 金属ラックを組み、小型水耕容器を置き、スポンジ培地を並べる。LEDライトを上から吊るす。タイマーを接続する。

 

 ネジを落とした。

 

「どこ行った」

 

「足元だよ」

 

 リュシアが拾ってくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「これで1枚、手間賃を取れるかい」

 

「取らないでください」

 

 セルマは薬草棚との距離を見ていた。乾燥薬草の棚にLEDの光が当たりすぎないように、少し離す。水耕容器の近くには布や紙を置かない。澪は持ってきたカーテンと突っ張り棒を出した。

 

「六畳間で寝られなかったので、光を仕切ります」

 

「澪、自分の部屋で失敗したんだね」

 

 リュシアが笑う。

 

「はい。寝られませんでした」

 

「薬草に負けたんだ」

 

「言い方」

 

 澪はカーテンを吊るし、棚の周りを仕切った。

 

 閉めると、内側だけがぼんやり明るくなる。完全に閉めると熱がこもりそうなので、下を少し開ける。隙間から細い光が床に落ちた。

 

「これなら、夜でもまぶしくない……はず」

 

 言ってから、澪は自分の六畳間で同じようなことを言った気がして黙った。

 

 今度は部屋が違う。

 

 寝るのは澪ではない。

 

 セルマは錬金術師だから、きっと平気だろう。

 

 そう思うことにした。

 

 

 

 

 

 治癒草の小株を水耕棚へ移す時、澪は自然と息を止めていた。

 

 前に鉢植えを移した時より、小株は小さい。根も短い。スポンジ培地へ挟み、薄めた養液を入れる。LEDを点けると、カーテンの内側が淡く光った。

 

 セルマ工房の奥に、小さな植物工場ができてしまった。

 

 澪は鑑定する。

 

----------------------------------

治癒草水耕試験苗

 状態:移植直後

 培地:スポンジ

 水耕適性:試験開始

 光量:適正

 養液濃度:薄めで適正

 根:環境変化中

 推奨:照射時間 8時間から開始

----------------------------------

 

「8時間から開始。いきなり長時間じゃないんだ」

 

 澪はほっとした。

 

 セルマはカーテン越しの光を眺めている。

 

「錬金術師の工房なのに、薬草が揺れない灯りで育っているわ」

 

「すみません」

 

「謝ることではないわ。変なだけで」

 

「変なのは否定されないんですね」

 

 リュシアが言う。

 

「場所代がかからないなら悪くないね」

 

「もう商売の話ですか」

 

「場所ができたら、次は数だよ」

 

 澪はカーテンの内側を見た。

 

 まだ治癒草の小株は1つだけだ。けれど、水耕棚には穴がいくつもある。全部を埋めるつもりはない。詰め込みすぎれば、葉が重なり、根が絡み、薬効も落ちる。それはもう、鑑定に先回りされる気がしていた。

 

 澪は棚全体へ鑑定をかけた。

 

----------------------------------

治癒草水耕棚

 栽培方式:簡易水耕

 光源:揺れない灯り

 棚数:1

 推奨株数:6株

 上限株数:8株

 過密警告:12株以上

 注意:葉の重なり、根の絡み、薬効低下

----------------------------------

 

「推奨6株……」

 

 澪は棚を見た。

 

 六畳間を追い出されたわりに、増える数は思ったより慎重だった。

 

「植物工場部って言ったのに、最初は6株……」

 

 リュシアはすぐに返した。

 

「6株が何度も葉を出すなら、商売では十分だよ」

 

「何度も?」

 

 澪は治癒草の鉢植えを思い出した。

 

 そうだ。

 

 治癒草は、株ごと刈る草ではない。紫蘇と同じだ。外側の大きく育った葉を摘み、中心の芽を残せば、また新しい葉が出る。

 

 澪は水耕棚の小株を見ながら、指で空中に葉を摘む仕草をした。

 

「紫蘇みたいですね」

 

「シソ?」

 

 セルマが聞き返した。

 

「葉っぱを全部刈るんじゃなくて、外側の大きい葉だけ摘むんです。真ん中の新しい葉は残します。そうすると、また次の葉が出るんです」

 

 セルマは治癒草の中心にある小さな芽を見た。

 

「それなら分かるわ。薬草も、成長する場所を残せば何度か採れる」

 

 リュシアがすぐに言った。

 

「つまり、一度植えたら何回か売れる葉が出るんだね」

 

「言い方が商売です」

 

「商売の草だろ」

 

 澪は否定できなかった。

 

 水耕棚の表示が、さらに細かく変わる。

 

----------------------------------

治癒草水耕棚

 栽培株数:6株想定

 想定総葉数:48〜72枚

 成熟葉:24〜36枚

 採取推奨:外側の成熟葉

 初回採取可能:合計14〜18枚

 再生葉:3〜5日で展開開始

 次回採取目安:7〜10日後

 注意:中心芽を傷つけると株の回復が遅れる

----------------------------------

 

「全部の葉を使えるわけじゃないんだ……」

 

 澪は少し肩を落とした。

 

 セルマは当然のように頷く。

 

「薬草は枚数ではなく、採る葉を選ぶものよ。若すぎる葉は弱い。育ちすぎた葉は荒れる。中心を切れば、次が遅れる」

 

「紫蘇の収穫より緊張しますね」

 

「シソが何かは分からないけれど、雑に摘んでは駄目ということね」

 

「はい」

 

 リュシアは、水耕棚の穴を数えていた。

 

「6株で、最初に14枚から18枚。7日から10日でまた採れる。しかも場所代はかからない」

 

「計算が早い」

 

「商売だからね」

 

 澪はカーテンの内側を見た。

 

 まだ治癒草の小株は1つだけだ。

 

 それでも、リュシアの頭の中では、もう6株分の葉が摘まれ、セルマの小瓶へ入り、澄みポーションの材料になっているのかもしれない。

 

 怖い。

 

 でも、少し分かる。

 

 

 

 

 

 その夜、澪はセルマ工房に残って、照射時間の確認をしていた。

 

 LEDはカーテンの内側に収まっている。六畳間の時ほど部屋全体を照らしてはいない。床に細い光が漏れる程度だ。

 

 澪は満足しかけた。

 

 これなら大丈夫。

 

 そう思った時、セルマが調合作業台へ小瓶を並べ始めた。

 

 夜の工房は、いつもならランプの火が揺れている。炎の光は温かいが、影も揺れる。小瓶の目盛りや、月塩の粒、薬草粉のわずかな色の違いを見るには、少し気を使うのだろう。

 

 セルマはカーテンの隙間から漏れる光の近くへ、小瓶を持っていった。

 

 透明な瓶の目盛りが、すっと見えた。

 

 セルマの表情が変わった。

 

「これ、夜でも手元が見えるわ」

 

「薬草用の灯りなんですけど」

 

「薬草にも使えて、調合にも使えるなら、良い灯りよ」

 

 セルマの声が、普段より少し明るい。

 

 澪は嫌な予感がした。

 

「セルマさん、ちょっと嬉しそうですね」

 

「ええ。ランプの火は揺れるもの。これは揺れない」

 

「そこなんですね」

 

「そこよ。月塩の粒が見える。薬草粉の色も見やすい。火を近づけないから、乾いた草の匂いも変わらない」

 

 セルマは月塩の小瓶を持ち上げた。カーテンの隙間から漏れる白い光で、粒の大きさを確かめる。次に薬匙を置き、澄みポーション用の小瓶を光に透かした。

 

 ご機嫌だった。

 

 はっきり分かるくらい、ご機嫌だった。

 

 リュシアが横から言う。

 

「澪、薬草棚を置いたら、錬金術師が夜ふかししやすくなったよ」

 

「健康に悪い方向へ便利にしてしまった……」

 

 セルマは小瓶を光に透かしながら、悪びれもせずに言った。

 

「夜の調合が少し楽になるわ」

 

 澪はカーテンの内側の治癒草を見た。

 

 植物工場部を作ったつもりだった。

 

 だが、同時にセルマ工房の夜間作業灯も作ってしまったらしい。

 

 工房の便利さが、また一段上がった。

 

 そして、その便利さはたぶん、仕事を増やす。

 

 

 

 

 

 夜のセルマ工房は、外から見ればいつも通りだった。

 

 石壁。木の扉。薬草の匂い。棚に並ぶ瓶。奥に吊るされたカーテン。

 

 けれど、カーテンの内側では治癒草の小株がLEDの光を浴びている。ポータブル電源の小窓では、澪にだけ読める数字がゆっくり動いていた。セルマには、それは見慣れない印が変わる箱に見えているはずだった。それでも、屋根の薄い板が光を受け、線を通って、この箱に力をためていることは伝わっている。

 

 セルマはいつもより機嫌よく、小瓶や薬匙を片づけていた。

 

 澪はカーテンの隙間から治癒草を見て、六畳間で眠れなかった夜を思い出した。

 

 ここなら、少なくとも澪は眠れる。

 

 セルマは、むしろ起きて作業しそうだった。

 

「こっちの世界で、光る棚が動いてる……」

 

 澪が呟くと、リュシアが横で言った。

 

「草を増やすためにね」

 

 セルマが、片づけた小瓶を棚に戻しながら続けた。

 

「薬を作るために、草を育てる。草を育てるために、揺れない灯りを置く。順番としては間違っていないわ」

 

「間違ってはいないんですけど、どんどん大きくなってます」

 

「それが商売だよ」

 

 リュシアはあっさり言った。

 

 澪はカーテンの内側の光を見た。

 

 治癒草はまだ1株。

 

 棚もまだ1つ。

 

 けれど、押入商会がまた新しい扉を開けてしまったことだけは分かる。

 

 セルマ工房の奥で、押入商会植物工場部は、錬金術師の夜ふかしまで照らしながら、誰にも申請しないまま静かに発光を始めた。

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