押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第372話 これで荷物を持たなくていいニャ

 

 領都の酒場を出たあと、レイニャは澪たちと途中まで同じ夜道を歩いた。

 

 孤児院へ続く道の手前で皆と別れ、応急修理されたハープを両腕で抱え直す。

 

 いつものように背負えば楽なのだが、今夜ばかりは弦の様子が気になった。

 

 明日には、教えてもらった楽器工房へ持っていかなければならない。

 

「今夜も頑張ったニャ」

 

 ハープへ声をかけると、自分まで褒められたような気がした。

 

 孤児院の門をくぐり、病人用離れへ向かおうとしたところで、母屋の扉が開いた。

 

「レイニャ、おかえり!」

 

「遅かった!」

 

「今日も歌った?」

 

 寝間着姿の子どもが三人、戸口から顔を出している。

 

 その後ろには、腕を組んだシスターもいた。

 

「歌ったニャ〜」

 

「大声は駄目ですよ」

 

「分かったニャ」

 

 レイニャが声を落とすと、子どもたちも真似をして身を寄せた。

 

「歌った?」

 

「いっぱい歌ったニャ」

 

「飛行船は?」

 

「見たニャ」

 

「大きかった?」

 

「ものすごく大きかったニャ」

 

 両手を広げかけたが、片方にはハープを抱えている。

 

 仕方がないので、空いている手だけを思い切り伸ばした。

 

「このくらい?」

 

「もっとニャ」

 

「乗った?」

 

「まだニャ」

 

 子どもたちの顔が少し残念そうになる。

 

 レイニャは胸を張った。

 

「でも、来週乗るニャ」

 

 三人が一斉に口を開いた。

 

 声が出る直前、シスターが唇へ指を当てる。

 

「本当?」

 

「どこ行くの?」

 

「空の上?」

 

 小声なのに、勢いだけは少しも弱くない。

 

「レヴァニアへ行くニャ」

 

「理央も一緒ニャ」

 

「それから、飛行船で試すこともあるニャ」

 

「何を試すの?」

 

「それはレイニャもよく分からないニャ」

 

 分かっているのは、理央が《順風満帆》を意識することだけだ。

 

 何が起こるかは真壁にも分からないらしい。

 

 分からないから試すのだと言い切るところが、いかにも真壁だった。

 

「お仕事だったの?」

 

「今夜の歌は、ちゃんと仕事だったニャ」

 

「お金もらった?」

 

「もらったニャ〜」

 

 レイニャは腰の袋へ手をやった。

 

 前金と残りの報酬、それに客から受け取った投げ銭は分けて入れてある。

 

 全部を見せるつもりはなかったが、報酬の袋を少しだけ持ち上げた。

 

「いっぱい?」

 

「大事なお金ニャ」

 

「いっぱいなんだ」

 

「大事な方ニャ」

 

 そこは譲らなかった。

 

 一人の女の子が、抱えているハープへ顔を近づける。

 

「これ、どうしたの?」

 

 応急修理された弦へ気づいたらしい。

 

「歌ってる途中で切れたニャ」

 

「壊れたの?」

 

「今は直してもらったニャ」

 

 レイニャは弦に触れないよう、木枠だけをそっと撫でた。

 

「でも、明日ちゃんと直してもらいに行くニャ」

 

「もう歌えない?」

 

「今日はもう歌わないニャ」

 

 子どもたちは揃って残念そうな顔をした。

 

「遅いですからね」

 

 シスターが先に答える。

 

「続きは明日にしましょう」

 

「レイニャ、明日もいる?」

 

「いるニャ」

 

「じゃあ、飛行船の話して」

 

「いいニャ」

 

「空から帰ってきたら、上から見た話もするニャ」

 

 約束ができると、子どもたちはようやく寝室へ戻っていった。

 

 最後の一人まで見送ってから、シスターがレイニャを見る。

 

「今日はずいぶん遅くまで働いたのですね」

 

「楽しかったニャ」

 

「それなら何よりです」

 

 シスターはハープの弦にも目を向けた。

 

「無理に弾かず、今夜は休んでくださいね」

 

「そうするニャ」

 

 返事をした時、少し離れた廊下で小さな笑い声が聞こえた。

 

 まだ寝室へ入っていない子がいるらしい。

 

 レイニャが覗くと、数人が一人の女の子を囲んでいた。

 

「何してるニャ?」

 

「ネネの手品」

 

 輪の中央にいるネネが、手のひらを差し出した。

 

 小さな木の実が一つ載っている。

 

「見てて」

 

 ネネが得意げに言った。

 

 次の瞬間、木の実が消えた。

 

「ニャ!?」

 

 レイニャの耳が立つ。

 

 ネネは空になった手を裏返し、何も持っていないことを見せた。

 

 もう一度手のひらを上へ向ける。

 

 靄が揺らぎ、木の実が戻った。

 

「消えたニャ!」

 

「手品だよ」

 

「もう一回ニャ」

 

 木の実が消える。

 

 今度は真横から見た。

 

 もう一度頼み、後ろからも見た。

 

 ネネの袖にも、床にも、木の実はない。

 

「どこへ隠したニャ?」

 

「収納」

 

 レイニャの尻尾が止まった。

 

「収納?」

 

「うん」

 

 今度は自分から木の実を出してみせる。

 

 レイニャはネネへ《鑑定》を向けた。

 

────────────────────────────────

 

ネネ

 

収納:1

 

────────────────────────────────

 

「本当に《収納》ニャ!」

 

 ネネは胸を張った。

 

「手品って言った方が、みんな喜ぶの」

 

「理央と同じニャ」

 

「理央姉ちゃんは、もっと大きいの入れられるよ」

 

「それは見たニャ」

 

 空陸エアカーを出した時も、荷物を片づけた時も、理央は驚くほど自然に《収納》を使っていた。

 

 押入商会の者たちにとっては、物が消えたり現れたりする方が普通なのかと思い始めていたところだ。

 

 けれど、孤児院のネネまで同じ技能を持っている。

 

「ネネも収納持ちだったニャ?」

 

「うん」

 

「どうして今まで言わなかったニャ?」

 

「聞かれなかったから」

 

「それはそうニャ……」

 

 レイニャは納得しかけて、もう一度ネネの手を見た。

 

 見れば見るほど羨ましい。

 

 旅では、何をするにも荷物がついてくる。

 

 着替えも食料も旅道具も、使わない間は背中で重さになる。

 

 雨の日には濡れないよう気を使い、狭い宿では置き場所を探す。

 

 ハープまで抱えているレイニャには、手ぶらで歩ける技能がまぶしく見えた。

 

「レイニャもできないの?」

 

 ネネに聞かれた。

 

「できないニャ」

 

 答えながら、何となく自分へ《鑑定》を向ける。

 

 今日一日、朝から何度も技能を使った。

 

 新町では子どもたちへ物語を聞かせ、夜の酒場では客の声を拾いながら歌った。

 

 弦が切れたあとは笛に合わせ、怪我人へ《治癒》も使った。

 

 今の自分がどうなっているのか、まだ確かめていない。

 

 視界に表示が開いた。

 

────────────────────────────────

 

レイニャ

 

種族:ケット・シー族

性別:女

 

現在ジョブ:吟遊詩人Lv3

前職:白魔道士Lv9

 

地図:5

演奏:4

歌唱:3

語り:4

聞き耳:6

野営:6

交渉:3

白魔法:8

治癒:8

解毒:7

浄化:6

鑑定:2

 

未使用SP:1

 

────────────────────────────────

 

「……ニャ?」

 

 レイニャは表示を閉じた。

 

 もう一度開く。

 

 数字は変わらない。

 

「吟遊詩人Lv3になってるニャ」

 

「上がったの?」

 

「上がってるニャ!」

 

 子どもたちがまた集まり始める。

 

「《演奏》もLv4ニャ」

 

「《歌唱》もLv3ニャ」

 

「《語り》もLv4になってるニャ〜!」

 

「すごい?」

 

「すごいニャ」

 

 自分で答えた。

 

「でも《収納》はないの?」

 

 ネネの一言で、レイニャは表示の下へ目を移した。

 

 先ほどは見当たらなかった行が増えている。

 

────────────────────────────────

 

収納:芽あり(+)

 

未使用SP:1

 

────────────────────────────────

 

「…………ニャ?」

 

 目を擦った。

 

 表示は消えない。

 

「あるニャ!」

 

「何が?」

 

「《収納》ニャ!」

 

「レイニャもできるの?」

 

「まだ芽ニャ」

 

 けれど、横には見覚えのある印がある。

 

 セレヴィアで《鑑定》を得た時と同じものだ。

 

 未使用のSPも一つある。

 

 迷う理由はなかった。

 

「取るニャ」

 

 レイニャは迷わずSPを入れた。

 

────────────────────────────────

 

収納:1

 

未使用SP:0

 

────────────────────────────────

 

 表示が変わった。

 

 しかし、自分の手は見た目には何も変わっていない。

 

「どうするニャ?」

 

「入れたい物を見て、入れるの」

 

 ネネが木の実を差し出した。

 

「やってみる?」

 

「やるニャ」

 

 受け取った木の実を手のひらへ載せる。

 

 これを、目の前から消す。

 

 理央やネネがしていたように、自分の中にある見えない場所へ移す。

 

 そう意識した瞬間、木の実の周りへ靄が浮かんだ。

 

 小さな実が消える。

 

 手のひらには何も残っていない。

 

「……入ったニャ?」

 

「出してみて」

 

 入れた木の実を思い浮かべる。

 

 靄が現れ、同じ場所へ木の実が戻った。

 

「入ったニャーーーー!」

 

「静かに」

 

 廊下の向こうからシスターの声が飛んできた。

 

 レイニャは両手で口を押さえた。

 

 子どもたちも肩を震わせている。

 

「入ったニャ〜!」

 

 今度は小声で言った。

 

 木の実をもう一度入れる。

 

 出す。

 

 ネネから借りた小さな布袋でも試した。

 

 どちらも問題なく消え、思った場所へ戻ってくる。

 

「これで、あたしも収納持ちニャ」

 

「レイニャも手品できるね」

 

「手品より、もっといいことに使うニャ」

 

「何に使うの?」

 

「荷物ニャ」

 

 レイニャは病人用離れに置いてある旅鞄を思い浮かべた。

 

 あれも、ハープも、全部入れてしまえばよい。

 

 明日からは肩も背中も自由になる。

 

「今から入れるニャ」

 

「続きは明日です」

 

 いつの間にか近くまで来ていたシスターが、笑顔で告げた。

 

「でも、取ったばかりニャ」

 

「だからこそ、明るい時間に試してください」

 

「まだ眠くないニャ」

 

「明日も楽器工房へ行くのでしょう?」

 

 言われて、腕の中のハープを見た。

 

「行くニャ」

 

「では、寝てください」

 

「分かったニャ……」

 

 レイニャは木の実をネネへ返し、子どもたちと別れた。

 

 病人用離れの空室へ戻ってからも、自分の掌を何度も見た。

 

 試したくて仕方がない。

 

 それでも旅鞄には手をつけず、枕元に置いていた小さな硬貨を一枚だけ収納した。

 

 靄とともに消える。

 

 出せば、また手のひらへ戻る。

 

「明日から、手ぶらニャ」

 

 硬貨を袋へ戻し、レイニャはようやく毛布へ潜り込んだ。

 

 

 

 翌朝、レイニャは目を開けるなり上体を起こした。

 

 昨夜入れた《収納》が、夢でなかったかを確かめる。

 

 腰の袋から出した硬貨へ意識を向けると、靄に包まれて消えた。

 

 呼び戻せば、すぐに手のひらへ戻る。

 

「あるニャ」

 

 レイニャは寝台から下りた。

 

 身支度を整え、床に置いてあった旅鞄を見る。

 

 中には着替えや洗面道具、旅先で使う細かな品、それに手帳が入っている。

 

 これまで何度も背負ってきた鞄だ。

 

 肩紐の当たる場所まで身体が覚えている。

 

「これを持たなくていいニャ」

 

 旅鞄へ意識を向ける。

 

 昨夜の木の実よりも大きな靄が広がり、鞄を包んだ。

 

 一瞬だけ抵抗を感じたあと、床から鞄が消える。

 

 頭の奥へわずかな重さが加わった気がした。

 

 けれど、不快というほどではない。

 

「入ったニャ〜」

 

 両肩を回す。

 

 背中には何もない。

 

 次に、寝台へ立てかけていたハープを見た。

 

 応急修理中の楽器を背負って歩くより、《収納》へ入れた方が安全かもしれない。

 

「ハープも入れるニャ」

 

 靄が木枠を包む。

 

 ハープも消えた。

 

 両手も、両肩も、背中も空いた。

 

 レイニャは腕を大きく広げた。

 

「これで荷物を持たなくていいニャ〜!」

 

 一歩進む。

 

 二歩目で足が止まった。

 

「……ニャ?」

 

 額へ手を当てる。

 

 熱はない。

 

 痛いわけでもない。

 

 けれど、頭の奥を内側から押されているような妙な重さがある。

 

「頭がなんか重いニャ」

 

 もう一歩進もうとしたところへ、開いていた戸からネネが顔を出した。

 

「何してるの?」

 

「荷物を全部入れたニャ」

 

「入れすぎじゃない?」

 

「これだけニャ?」

 

 旅鞄と、小型とはいえ木製のハープである。

 

 昨夜の木の実や布袋とは重さがまるで違う。

 

 レイニャはハープを出した。

 

 靄の中から楽器が戻ると、頭の圧迫感が少し引いた。

 

「軽くなったニャ」

 

 もう一度ハープを入れる。

 

「重いニャ」

 

 出す。

 

「軽いニャ」

 

 入れる。

 

「重いニャ」

 

「遊んでるの?」

 

「確かめてるニャ!」

 

 ネネが笑う。

 

 その声を聞きつけた子どもたちまで寄ってきた。

 

「もう一回やって」

 

「見世物じゃないニャ」

 

「ネネは平気なの?」

 

「小さい物しか入れないもん」

 

「賢いニャ……」

 

 昨夜は羨ましいだけだったが、Lv1にはLv1なりの限界があるらしい。

 

「便利なのに不便ニャ!」

 

「Lv1だもん」

 

「レベルを上げればいいニャ?」

 

「たぶん」

 

 ネネの返事は軽かった。

 

 レイニャの耳が立つ。

 

 上げ方を知っていそうな顔が、すぐに一人浮かんだ。

 

 

 

 朝食を終えると、レイニャは旅鞄だけを《収納》へ入れ、ハープを抱えて孤児院を出た。

 

 向かったのは、昨日見学した押入家具工房と侯爵領事業所である。

 

 朝の仕事が始まったばかりの事業所で、理央は発送を待つ荷物の札を確かめていた。

 

「理央〜」

 

 呼び声を聞いた理央が顔を上げる。

 

 レイニャの姿を見たあと、その後ろも確かめた。

 

「どうしたんですか?」

 

「収納が弱いニャ〜」

 

「収納?」

 

 理央の手が止まった。

 

「誰のです?」

 

「あたしのニャ」

 

「昨日まで持ってませんでしたよね?」

 

「昨日の夜、取ったニャ」

 

 理央はしばらく黙った。

 

「昨日の夜?」

 

「ネネが見せてくれたら、芽が出たニャ」

 

「見せてもらって生えるものなんですか……」

 

「生えたニャ」

 

 それ以上は、理央にも否定しようがなかった。

 

「それで、何が弱いんです?」

 

「旅鞄とハープを入れると、頭が重くなるニャ」

 

「一度見せてもらえますか?」

 

「いいニャ」

 

 レイニャは抱えていたハープへ意識を向けた。

 

 靄が広がり、楽器が消える。

 

 数秒後、頭の奥へ圧迫感が戻ってきた。

 

「ほらニャ」

 

 後頭部を押さえる。

 

 理央の顔から驚きが消えた。

 

「ああ……」

 

「知ってる顔ニャ!」

 

「知ってます」

 

「理央もなったニャ?」

 

「なりました」

 

「治し方も知ってるニャ?」

 

「治すというより、鍛えるんですけど」

 

「教えてほしいニャ」

 

 理央は即答せず、レイニャの頭と、消えたハープがあった場所を見比べた。

 

「その前に、澪さんへ相談しましょう」

 

「理央が教えてくれないニャ?」

 

「訓練はできます」

 

「じゃあ、どうして澪のところへ行くニャ?」

 

「私の物じゃないので」

 

「何があるニャ?」

 

「まだ言えません」

 

「気になるニャ!」

 

 理央は笑いを堪えながら、事業所の奥へ向かった。

 

 レイニャもすぐ後を追った。

 

 

 

 澪は事業所の小部屋で、昨日届いた書類を確認していた。

 

 理央が戸口から声をかける。

 

「澪さん、少しいいですか?」

 

「はい?」

 

「レイニャさんが《収納》Lv1になったんですけど」

 

 澪の手が止まった。

 

「……いつです?」

 

「昨日の夜ニャ」

 

「昨日までありませんでしたよね?」

 

「昨夜、生えたニャ」

 

 澪はレイニャを《鑑定》し、表示を見て小さく息を吐いた。

 

「本当にLv1ですね」

 

「早いですよね」

 

「早いなあ……」

 

 澪の声には、呆れと感心が半分ずつ混じっていた。

 

「旅鞄とハープを両方入れると、頭の奥が重くなるそうです」

 

「限界ですね」

 

「やっぱりそうですよね」

 

 理央が少し声を落とす。

 

「澪さん」

 

「はい」

 

「あれ、まだあります?」

 

 澪が理央を見る。

 

 理央は何も言わずに見返した。

 

 短い沈黙のあと、澪は周囲を確かめ、戸を閉めた。

 

「レイニャさん」

 

「ニャ?」

 

「これは内緒だよ」

 

 急に声が小さくなった。

 

 レイニャの耳が前を向く。

 

「秘密の薬ニャ?」

 

「普通に配っている物ではありません」

 

 澪は収納から小瓶を取り出した。

 

 以前に理央が見た瓶とは、封の形が少し違う。

 

「《竜血疲労耐久強化薬》です」

 

 理央が名前を告げた。

 

「名前が強いニャ」

 

「火竜の素材から作った薬です」

 

「もっと強くなったニャ」

 

 レイニャは小瓶を覗き込んだ。

 

「これを飲むと、いっぱい入るニャ?」

 

「容量は増えません」

 

「頭の重いのが治るニャ?」

 

「治りません」

 

「じゃあ、何がいいニャ?」

 

 澪は小瓶を指先で持ち直した。

 

「同じ負荷を受けても、疲労度が上がりにくくなります」

 

「今ある疲れを消す薬でもありません」

 

「収納の限界へ近づけば、圧迫感も残ります」

 

「残るものが多いニャ」

 

「でも、休憩を挟んで練習できる回数が増えます」

 

 レイニャは少し考えた。

 

「結果として、《収納》を上げやすくなるニャ?」

 

「そういう使い方はできます」

 

 澪はもう一度レイニャを《鑑定》した。

 

 昨夜遅くまで働いたとはいえ、体調に異常はない。

 

 元白魔道士で、自分の身体の変化もある程度は分かる。

 

 取得したばかりの《収納》をこれから鍛えるつもりでいる。

 

 真壁が味を変えた新型を、押入商会の中心人物以外へ使った例はまだない。

 

 条件が、あまりにも揃っていた。

 

 いい実験台かもしれない。

 

「澪?」

 

 レイニャに呼ばれ、澪は目を逸らした。

 

「何でもないです」

 

「今、何か考えてたニャ」

 

「何でもないです」

 

 二度目の返事は少し速かった。

 

「澪さん?」

 

 理央まで声をかける。

 

「安全性は確認しています」

 

「聞いてないことまで答えたニャ」

 

 レイニャの尻尾がゆっくり揺れた。

 

「飲んでいいニャ?」

 

「効果と注意点を理解したうえなら」

 

「飲むニャ」

 

 レイニャが手を出す。

 

 澪は小瓶を渡した。

 

「レイニャさん」

 

 理央が止めるように声をかける。

 

「ニャ?」

 

「それ、かなり苦――」

 

 言い終わる前に、レイニャは蓋を開けて飲み干した。

 

 理央の口が開いたまま止まる。

 

 レイニャは舌を動かし、口に残った味を確かめた。

 

「……ニャ?」

 

「水、要ります?」

 

「普通ニャ」

 

「え?」

 

「ちょっと薬っぽいけど、苦くないニャ」

 

 理央がゆっくり澪へ顔を向けた。

 

「澪さん」

 

「はい」

 

「私の時と違うんですけど」

 

「真壁さんが改善しました」

 

「改善?」

 

「薬効を変えずに、苦味を抑えたそうです」

 

「私の時、冷やしてもものすごく苦かったんですけど」

 

「はい」

 

「飲んだあと、果実水まで用意されてましたよね?」

 

「覚えています」

 

「その苦情で改善したんですか?」

 

 澪は少しだけ目を逸らした。

 

「参考にはなったと思います」

 

「私、味見役だったんですか?」

 

「結果的には……」

 

「理央のおかげで苦くなくなったニャ?」

 

 レイニャが嬉しそうに尋ねる。

 

「そこまで喜ばれると怒りにくいですけど、納得はいかないです」

 

「ありがとニャ〜」

 

「どういたしましてでいいんですか、これ」

 

 理央は澪を見た。

 

 澪は三度目に目を逸らした。

 

「今日、澪はよく目を逸らすニャ」

 

 

 

 訓練には、事業所の一角にある作業用の空間を使った。

 

 人の出入りを避け、床には重さの分かる袋をいくつか並べる。

 

 澪は少し離れた場所へ椅子を置き、《鑑定》でレイニャの疲労度を見ることになった。

 

 理央はレイニャの旅鞄を床へ出させた。

 

「まず、中身を分けます」

 

「全部ニャ?」

 

「重さを変えながら試すので、全部です」

 

「乙女の鞄ニャ」

 

「見られて困る物は、自分で分けてください」

 

「それならいいニャ」

 

 着替えと身の回りの品は袋のまま端へ寄せる。

 

 そのほかの旅道具を軽い物からいくつかに分けた。

 

 理央は最も軽い袋を指す。

 

「最初はこれを入れてください」

 

「理央が教えるニャ?」

 

「はい」

 

「理央なら優しそうで安心ニャ」

 

 澪が一瞬だけ何か言いたそうな顔をした。

 

 しかし、何も言わなかった。

 

「収納して、すぐ出してください」

 

「分かったニャ」

 

 靄が袋を包む。

 

 消えた袋を、同じ場所へ戻す。

 

「もう一度です」

 

 収納する。

 

 出す。

 

「もう一度」

 

「同じのニャ?」

 

「同じ物を同じように扱えるかも確認します」

 

 レイニャは言われたとおりに繰り返した。

 

 軽い袋なら、木の実と大差ない。

 

 何度か続けても頭は重くならなかった。

 

「次はこれです」

 

 理央が一回り大きな袋へ手を移す。

 

 それも入れる。

 

 出す。

 

 さらに少し重い袋へ進む。

 

「待つニャ」

 

「はい?」

 

「だんだん重くなってるニャ」

 

「そうですよ」

 

「最初に言ってなかったニャ」

 

「軽い物から始めると言いました」

 

「重くしていくとは言ってないニャ」

 

「軽いままでは限界が分からないじゃないですか」

 

 理央の答えには迷いがない。

 

「理央、楽しんでないニャ?」

 

「楽しんでません」

 

「本当ニャ?」

 

「私も同じことをやりましたから」

 

「仕返しニャ!?」

 

「違います」

 

 理央は一拍置いた。

 

「経験の共有です」

 

「言い方が怖いニャ」

 

 澪が椅子から二人を見た。

 

「その言い方、誰かに似てきたなあ……」

 

「誰です?」

 

「いえ、続けてください」

 

 今度は澪が目を逸らした。

 

 訓練を再開する。

 

 レイニャは最初こそ元気だった。

 

 薬のおかげか、何度出し入れしても身体の疲れは増えにくい。

 

 しかし、重い袋を《収納》へ残したまま次を加えると、頭の奥にあの感覚が戻ってきた。

 

「……来たニャ」

 

 猫耳が横へ伏せる。

 

「どんな感じです?」

 

「頭の奥が押されるニャ」

 

「痛みは?」

 

「痛くはないニャ」

 

 もう少しだけ意識を向ける。

 

 圧迫感が一段強くなった。

 

「グギギってするニャ」

 

「そこで止めます」

 

 理央はすぐに言った。

 

 レイニャは袋をすべて外へ出す。

 

 圧迫感が引いていき、ほっと息を吐いた。

 

「終わりニャ?」

 

「休憩です」

 

「終わりじゃないニャ!?」

 

 水を渡され、用意されていた椅子へ座る。

 

 軽食も出た。

 

 そこだけ見れば、ずいぶん親切な訓練である。

 

「理央、先生みたいニャ」

 

「澪さんに教わったとおりにしているだけです」

 

「澪は優しかったニャ?」

 

 理央が答える前に、澪が口を開いた。

 

「無理はさせてませんよ」

 

「聞き方を変えるニャ」

 

 レイニャは水を飲み、理央を見る。

 

「厳しかったニャ?」

 

「疲労度を見て、まだできると言われました」

 

「今と同じニャ」

 

「そうですね」

 

 理央が壁の時計へ目を向ける。

 

「そろそろいいですね」

 

「何がニャ?」

 

「休憩が終わりです」

 

「もっと休めるニャ」

 

「疲労度は下がってます」

 

「数字で休憩を終わらせるニャ!?」

 

「澪さんが私にやった方法です」

 

 澪が首を傾げた。

 

「そうでしたっけ?」

 

 理央が黙って澪を見る。

 

 澪はまた視線を外した。

 

「やっぱり今日、澪はよく目を逸らすニャ」

 

 次の組では、最初より少し軽いところから始めた。

 

 いきなり限界へ近づけることはしない。

 

 軽い袋を何度か出し入れし、慣れたところで重さを増やす。

 

 圧迫感が強くなれば止め、全部出して休む。

 

 澪が疲労度を確認し、水を飲んでからもう一度始める。

 

 同じことの繰り返しに見えても、レイニャには少しずつ違いが分かった。

 

 最初は意識を向けてから靄が出るまでに間があった。

 

 何度も繰り返すうちに、その間が短くなる。

 

 入っている物を思い浮かべるのも楽になった。

 

 どの袋を先に入れたか、一つずつ探さなくても分かるようになってくる。

 

 昼が近づくころ、レイニャは限界近くまで入れた袋をすべて外へ戻した。

 

 呼吸を整え、自分へ《鑑定》を向ける。

 

────────────────────────────────

 

収納:2

 

────────────────────────────────

 

「……ニャ?」

 

 もう一度見る。

 

 数字は変わらない。

 

「Lv2ニャ!」

 

「上がりました?」

 

「《収納》Lv2になったニャ〜!」

 

 レイニャの尻尾が大きく揺れた。

 

 理央も表情を緩める。

 

「では、荷物を試してみましょう」

 

「それを待ってたニャ」

 

 旅鞄へ意識を向ける。

 

 靄に包まれた鞄が消えた。

 

 続いて、そばへ置いていたハープも《収納》する。

 

 昨夜と同じ二つが、今は自分の《収納》へ収まっている。

 

 数秒待つ。

 

 頭へ手を置く。

 

「……重くないニャ」

 

 一歩進む。

 

 二歩進む。

 

 その場で軽く跳ねた。

 

「軽いニャ〜!」

 

 肩紐に引かれる感覚がない。

 

 歩くたびに背中で荷物が揺れることもない。

 

 両手まで空いている。

 

「これなら、どこまででも歩けるニャ」

 

「疲れたら休んでくださいね」

 

「今日は疲れにくいニャ」

 

「今日だけではありませんよ」

 

「薬で疲労耐久そのものが上がっていますから」

 

 澪が釘を刺す。

 

「疲れなくなったわけではありませんよ」

 

「分かってるニャ」

 

 レイニャはくるりと一回転した。

 

 何も背負っていないだけで、身体まで別物になったように軽い。

 

「理央」

 

「はい」

 

「スパルタだったけど許すニャ」

 

「ありがとうございます」

 

「これで終わりニャ」

 

 理央が少し首を傾げた。

 

「終わり?」

 

「《収納》Lv2になったニャ」

 

「はい」

 

「旅鞄もハープも入ったニャ」

 

「入りましたね」

 

「だから終わりニャ」

 

 理央は床に残っている、もう一段重い袋へ目を向けた。

 

「せっかく薬も飲みましたし」

 

 レイニャの耳が止まる。

 

「……ニャ?」

 

「Lv2の限界も確認しましょう」

 

「理央?」

 

「はい」

 

「もう十分ニャ」

 

「まだ疲労度に余裕があります」

 

 澪が表示を確かめる。

 

「ありますね」

 

「澪まで敵ニャ!」

 

「危険なところまではやりませんよ」

 

「危険じゃないところまで追いかけてくるニャ!」

 

 理央が次の袋を用意する。

 

 レイニャは身を翻した。

 

 旅鞄もハープも収納済みなので、逃げるにはこの上なく身軽である。

 

「旅人は自由ニャ〜!」

 

「レイニャさん」

 

「もうお昼ニャ〜!」

 

「まだ訓練中です」

 

「自由がないニャ〜!」

 

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