孤児院へ戻る道の途中で、理央が足を止めた。
「私は事業所へ戻ります」
「まだ仕事するニャ?」
「午後の仕事が残っていますから」
理央は朝からレイニャの《収納》訓練につき合っていた。
その後は旅支度まで手伝い、領都の買い物にも同行している。
仕事へ戻ると言われれば、これ以上引き留める理由はなかった。
「今日はありがとニャ」
「どういたしまして」
「また教えてほしいニャ」
「普通に使っていれば慣れますよ」
理央は、レイニャが小脇に抱えている厚手の布を見た。
「ただし、買い物以外でも使ってくださいね」
「ちゃんと旅支度にも使ったニャ」
「出発前に容量を埋めないでください」
「分かってるニャ」
返事をしたレイニャの目が、道沿いの露店へ動いた。
理央もそちらを見る。
「今、何を見ました?」
「何も見てないニャ」
「本当ですか?」
「理央、午後の仕事が待ってるニャ」
「そうでした」
理央はまだ少し疑っていたが、事業所へ向かう道を歩き始めた。
レイニャは手を振り、その背中が人波へ紛れるまで見送った。
これで、ようやく自由な時間である。
太陽はまだ高い。
孤児院へ戻るには早かった。
昨日までなら、一度荷物を置きに戻るところだったが、旅鞄もハープも《収納》の中にある。
腕に抱えた布も軽い。
このまま、まだ見ていない場所へ行ける。
「どこ行くニャ〜」
領都の道を眺めながら考える。
家具工房は見た。
共同商館も見た。
飛行船の町まで行った。
そこで、共同商館で会った錬金術師を思い出した。
セルマはポーションを作っている。
レイニャは今でこそ吟遊詩人だが、長いあいだ白魔道士として旅をしてきた。
知らない町へ入れば、薬屋の場所を確かめる。
治療する者がいるかを聞く。
どんな薬草が採れ、どんな怪我や病が多いのかを見る。
それは職を変えた今も、身体に残った旅の癖だった。
「薬の工房、見てみたいニャ」
レイニャは近くの店で道を聞き、新セルマ工房へ向かった。
教えられた場所へ着くと、レイニャは道の真ん中で建物を見上げた。
「……大きすぎるニャ」
見上げても、屋根がずいぶん遠い。
レイニャが各地で見てきた薬師の店は、店の奥に調合台が一つある程度のものが多かった。
大きな店でも、乾燥棚と薬草棚、小さな倉庫がつくくらいである。
目の前の建物は、薬師が一人で使う大きさではなかった。
開いた扉から、籠を抱えた若者が出てくる。
その後ろからは空瓶を載せた台車が現れ、別の者が記録板を持って横切った。
「ここ全部、薬の工房ニャ?」
返事の代わりに、建物の中から乾いた薬草の匂いが流れてきた。
レイニャが入口へ近づくと、瓶の箱を運んでいた弟子が足を止めた。
「何か御用ですか?」
「セルマに会いたいニャ」
「お約束はありますか?」
「ないニャ」
即答すると、弟子が少し困った顔をした。
「共同商館で会ったレイニャが来たって言ってほしいニャ」
「少々お待ちください」
弟子が奥へ向かうあいだ、レイニャは入口の端へ寄った。
人の動線を塞がない場所で待つ。
薬を運んでいる者へ、不用意にぶつかるわけにはいかない。
しばらくして、濃紺の外套を着たセルマが現れた。
「本当に来たのね」
「来たニャ〜」
「何か具合が悪いの?」
「元気ニャ」
「では、薬を買いに?」
「工房を見たいニャ」
セルマの目が、レイニャの猫耳から腕の布へ移り、また顔へ戻った。
「見物なら、あまり面白い場所ではないわよ」
「あたし、前は白魔道士だったニャ」
「そういえば、治癒が使えるのだったわね」
「旅先で薬もいっぱい使ったニャ」
レイニャは建物の奥を覗いた。
「ここで、どうやって作ってるのか見たいニャ」
セルマは少し考えた。
「作業中の台には触れないこと」
「触らないニャ」
「弟子が物を運んでいるところへ飛び出さないこと」
「飛び出さないニャ」
「勝手に薬草を口へ入れないこと」
「しないニャ」
「返事だけは早いわね」
「旅人は決断が早いニャ」
「では、ついてきなさい」
セルマの後ろへ続くと、すぐ脇に箱型の昇降機があった。
「ここにもあるニャ」
「瓶や材料を運ぶのに便利なのよ」
扉が閉じる。
箱が静かに動き出しても、灯りの火は揺れなかった。
「地上に5階あって、地下にも2階あるわ」
「薬屋じゃないニャ」
「薬を作る工房よ」
「大きさが工房じゃないニャ」
セルマは返事をせず、わずかに口元を緩めた。
最初に通された区画では、何人もの弟子が薬草を選り分けていた。
葉の色を見て、傷んだものを外し、使えるものを籠へ移している。
別の台では器具を洗い、乾いた布で水気を確かめていた。
壁際では、同じ形の瓶が列ごとに揃えられている。
セルマは一つの作業へ加わらなかった。
弟子の手元を見て回り、必要な時だけ声をかける。
「そこは葉先だけで決めないで」
「茎も確認しなさい」
「はい」
弟子は選びかけた薬草を戻し、茎を指で確かめた。
別の台へ移ると、セルマは記録板と籠の札を見比べる。
「この分は、先に状態をもう一度見て」
「混ぜてからでは分け直せないわ」
「分かりました」
指示を出すと、また次の作業へ向かう。
「セルマは作らないニャ?」
「作っているわよ」
「今は見てるだけニャ」
「全部を私が作っていたら、弟子はいつまでも見ているだけでしょう」
セルマは、洗い終えた器具を光へかざした弟子へ頷いた。
「任せられる仕事は任せるの」
「失敗しそうなら止める」
「出来上がった薬は、私も確認するわ」
小さな薬師の店では、薬師本人が薬草選びから調合、瓶詰めまで行う。
ここでは一つの薬が、多くの手を通って出来上がっていく。
それでも、誰がどこまで作業したのか分かるよう、籠にも瓶にも札がついていた。
「人が多いのに、混ざらないニャ」
「混ざったら薬にならないわ」
セルマは当然のことのように言った。
次に案内された区画では、白い光の下に栽培槽が並んでいた。
同じ高さに揃った治癒草の葉が、風もないのにわずかに震えている。
根元へ一定の間隔で水が流れる音がした。
レイニャは先ほどまでより静かに近づいた。
「触っていいニャ?」
「その列なら、葉を傷つけなければいいわ」
許可を得てから、葉の裏と茎を見る。
指先で張りを確かめ、顔を寄せて匂いを嗅いだ。
「同じ匂いニャ」
「同じ治癒草だからでしょう」
「そうじゃないニャ」
レイニャは隣の株も確かめた。
「野で採ると、同じ治癒草でも違うニャ」
「葉が硬いのも、匂いが薄いのもあるニャ」
「雨のあとに採ったのと、乾いた日に採ったのでも違うニャ」
セルマの顔から、見物人へ説明する時の表情が消えた。
「使ったことがある人の見方ね」
「弱ってる人に使う薬なら、効き方が毎回違うと困るニャ」
「そのために、育てるところから揃えているの」
セルマは栽培槽の端に下がる札を示した。
株の区分と状態、手入れをした日が記されている。
「原料が大きく違えば、同じ手順で作っても同じ薬にはならないわ」
「薬草を作るところも、薬作りニャ?」
「そうよ」
レイニャはもう一度、揃って並ぶ葉を見た。
白魔道士だったころは、薬瓶を受け取るところから先だけを考えることが多かった。
必要な時に薬があり、患者へ使えるなら、それでよかった。
瓶へ入るより前の違いを、ここまで見たことはない。
「次へ行くわよ」
「まだ見たいニャ」
「戻ってからにしなさい」
「戻ってくるニャ?」
「あなたの質問が終わればね」
「それは難しいニャ」
今度はセルマが、はっきりとため息をついた。
廊下の先から、声を揃えて薬草の特徴を答える音が聞こえた。
開いた扉の向こうでは、若い弟子たちが机へ座っている。
前に立つ年長の弟子が、乾燥させた葉を一枚ずつ見せていた。
葉の見分け方を答えたあとは、使う量と器具の扱いを確認する。
机には記録用の紙も開かれていた。
「弟子が弟子に教えてるニャ」
「同じところを間違える人は多いもの」
「一度できた者に教えさせると、自分の理解も確かめられるわ」
レイニャは扉の外から、しばらく授業を眺めた。
「あたしが行った村に、薬を作れるお爺さんがいたニャ」
「その人が熱を出したら、村中の薬が止まったニャ」
セルマがレイニャを見る。
「治す人まで一緒に倒れたから、大変だったニャ」
「その村には、弟子はいなかったの?」
「薬草を採る子はいたニャ」
「でも、薬を作れるのはお爺さんだけだったニャ」
「そう」
短く答えたセルマの視線が、教室の弟子たちへ戻る。
「ここは、セルマの薬をいっぱい作る場所じゃないニャ」
「違うの?」
「セルマみたいに薬を作れる人を増やす場所ニャ」
「そうなるように作った工房よ」
「すごいニャ」
「私が作った建物ではないけれどね」
「誰が作ったニャ?」
「真壁さんよ」
レイニャは天井を見上げた。
「急に納得したニャ」
セルマは何も言わなかった。
否定できなかったらしい。
教室を出たあと、セルマは隣の図書室も見せてくれた。
棚には薬草の見分け方や調合について書かれた本が並び、これまで工房で残してきた記録も種類ごとに綴じられている。
「読めば薬を作れるニャ?」
「本だけで作らせるつもりはないわ」
「では、何のためニャ?」
「教わったことを確かめるためよ」
分からない時に戻れる場所があれば、教えた者がそばにいない時も、記憶だけに頼らずに済む。
廊下の先には工房長室があり、その机にも何冊もの記録帳が積まれていた。
セルマはそこで製造量や材料の残り、弟子から上がった報告を確認するという。
「薬を作るより、帳面を見てる時間も長そうニャ」
「工房が大きくなったら、作った量より分からない量の方が怖いのよ」
「工房長も大変ニャ」
「見なかったことにしてくれてもいいのよ」
「もう見たニャ」
調合を行う区画へ入ると、薬草の匂いがさらに濃くなった。
乾いた葉を量る者がいる。
決められた分だけ水を用意する者がいる。
火の状態を見ながら、器の中身をゆっくり混ぜている者もいた。
出来上がりを待つあいだにも、隣では使った量と時刻が記録されている。
レイニャは一つの台の前で立ち止まった。
「これは、何に使う薬ニャ?」
作業中の弟子がセルマを見た。
セルマが頷く。
「軽い傷の回復を助ける、飲むポーションです」
「血がいっぱい出た人には?」
「傷を塞いでから使います」
「ずっと食べてない人には?」
弟子の答えが止まった。
レイニャは責めずに、器の中身を見る。
「薬を飲ませても、水も食べ物もなかったら、また倒れるニャ」
「はい」
「高い熱が続いてるなら、薬だけ渡して歩かせたら駄目ニャ」
「休ませる場所もいるニャ」
弟子は記録板を持ち直した。
「使う人の状態も見る、ということですか?」
「そうニャ」
「薬は助けてくれるけど、全部やってくれるわけじゃないニャ」
セルマが腕を組む。
「今の話も記録しておきなさい」
「はい」
「そこまで書くニャ?」
「作る側ほど、瓶の中だけを見やすいのよ」
セルマは次の台へ歩きながら続けた。
「この冬、領内で使うポーションは減ったわ」
「病人が減ったニャ?」
「食べ物が届いて、寒さをしのげる場所が増えたの」
「身体が弱り切る前に休めた人も多いわ」
「薬が良くなっただけじゃないニャ」
「薬だけで人が元気になるなら、私の仕事はもっと簡単よ」
セルマは、瓶詰めを待つ薬を光へ透かした。
濁りや沈んだものがないか、一つずつ角度を変えて見る。
「薬は売った後が怖いのよ」
「飲むのは工房の外ニャ」
「ええ」
「間違った使い方をされても、悪くなってからでは見えないことがあるわ」
「だから、同じ薬を作って、量も決めて、記録を残すの」
レイニャは、光の中で揺れる透明な液体を見た。
「売った後は知らないって顔をする薬師もいるニャ」
「知っているの?」
「セレヴィアのリヴェルナで、最近よく名前を聞くニャ」
「どんな薬師?」
「店を増やしてるニャ」
「薬の値段とか、売り方の話になると名前が出るニャ」
「良い評判なの?」
「あんまり良くないニャ」
「名前は?」
「バルタザールだったニャ」
セルマの手が止まり、表情が変わった。
「姓は分かる?」
「ケラーだったと思うニャ」
「バルタザール・ケラー……」
セルマは、確かめるようにゆっくり名前を繰り返した。
「知ってるニャ?」
「前に、この領地で薬師ギルド長をしていた男よ」
レイニャは耳をセルマへ向けた。
「領民へ回す薬草を隠して、病が広がって値が上がるのを待っていたわ」
「横流しもしていた」
「侯爵家に捕らえられて、一族の財産を没収されたあと、領外へ追放されたの」
「それが本当に同じ人なら、遠くまで行ったニャ」
「姓まで同じで、また薬師をしているなら、同一人物かもしれないわね」
セルマはそう言ったが、すぐに続けた。
「でも、今も同じことをしているとは限らないわ」
「あたしが聞いたのも、町の噂ニャ」
「噂と事実は分けなければ駄目よ」
「分かってるニャ」
レイニャは、リヴェルナの広場から少し外れた通りを思い出した。
薬屋の看板を見た覚えはあるが、店へ入ったことはない。
「次にリヴェルナへ戻ったら、少し見てみるニャ」
「わざわざ調べに行く必要はないわ」
「旅のついでニャ」
「危ないと思ったら近づかないこと」
「それも旅人の基本ニャ」
セルマは近くにあった紙へ、名前と聞いた範囲だけを書き留めた。
それ以上は追及せず、弟子が持ってきた確認待ちの瓶へ視線を戻す。
工房では、さっきまでと同じように仕事が続いていた。
瓶詰めの区画へ移ると、レイニャは棚の前で立ち止まった。
「全部、同じ瓶ニャ」
高さも口の広さも揃っている。
蓋も同じように締まり、中身の量は並べた時にすぐ比べられた。
「旅先の薬屋だと、もっとばらばらニャ」
「小さい酒瓶に入ってる薬も見たニャ」
「容器が違えば、同じ一瓶と言っても量が違うでしょう」
「ここのは見れば分かるニャ」
「中身だけでなく、瓶まで揃えて一つの商品なの」
弟子が規定の位置まで薬を入れ、蓋を締める。
別の者が液面と瓶の状態を確かめ、記録へ印をつけた。
セルマも抜き取った一本を持ち上げ、色と濁りを確認する。
「一人が全部見るんじゃないニャ」
「同じ人が見落としたものを、次の人も見落とすとは限らないからね」
確認を終えた瓶は箱へ移された。
すぐに出荷されるものもあれば、別の区画へ運ばれるものもある。
「あっちは売らないニャ?」
「備蓄よ」
案内された場所には、封をした箱が順序よく収められていた。
入れた日と種類が分かるよう、札が正面へ向いている。
「全部売った方がお金になるニャ」
「冬に薬草が足りなくなったら?」
「困るニャ」
「病が広がったら?」
「もっと困るニャ」
「道が塞がって、外から何も届かなくなったら?」
「ここにあるのを使うニャ」
「そのために残しているの」
セルマは一番手前の箱の札を確かめた。
「売れる時に全部売るのは簡単よ」
「必要な時に薬がない方が怖いわ」
レイニャは箱の列を見た。
病が広がるのを待って薬草を隠した男の話を思い出す。
目の前の箱は、そんな時に値をつり上げるためのものではない。
病や雪で薬が足りなくなった時、迷わず開けるための箱だった。
出荷を待つ場所には、行き先ごとに分けた箱が並んでいた。
レイニャは一枚の札を見て、尻尾を立てる。
「レヴァニアニャ」
「読めるのね」
「来週、そこへ行くニャ」
「あなたも?」
「リュシアさんの買い付けについていくニャ」
「バルタザールがいるリヴェルナとは別ね」
「あっちはセレヴィアの王都ニャ」
「来週行くのは、南のレヴァニアニャ」
「名前を聞き間違えたら大変ね」
「旅人は行き先を間違えないニャ」
「レヴァニアの薬は見たことあるニャ?」
「売る側の報告ならあるわ」
「向こうの薬師や治療師が、実際にどう使っているかまでは見ていないわね」
「じゃあ、あたしが見てくるニャ」
「調べてこいとは言わないわよ」
「旅の途中で見るだけニャ」
「気になったことがあれば、帰ってから教えて」
「覚えてたら教えるニャ」
「そのくらいでいいわ」
レイニャは素直に頷いた。
知らない土地で薬屋を覗くのは、白魔道士だったころからの癖である。
今度は、棚に並ぶ薬だけでなく、その薬がどこから来たのかも考えるかもしれない。
それだけで、旅先の見え方は少し変わりそうだった。
見学を続けているうちに、工房へ差す光が弱くなっていた。
弟子たちは調合を終え、使った器具を洗っている。
薬草を元の場所へ戻し、今日使った量を記録する者もいた。
栽培槽では、水の流れと葉の状態を最後に確かめている。
出荷する箱の蓋が閉じられ、札がもう一度読み上げられた。
「もう終わりニャ?」
「今日の調合はね」
「片づけと記録が終わるまでが仕事よ」
レイニャは窓の外を見た。
昼過ぎに来たはずなのに、空はもう橙色へ変わっている。
「長くいたニャ」
「質問が終わらなかったもの」
「セルマもいっぱい見せたニャ」
「途中から、見せた方が早いと思ったのよ」
最後の確認を終えたセルマは、廊下の窓辺で足を止めた。
レイニャも隣へ並ぶ。
窓の向こうには、領都の屋根が重なっている。
その先に畑が広がり、細い街道が夕日に照らされていた。
遠くの地形は橙色の靄に溶けている。
レイニャは旅の途中で、数え切れないほど夕焼けを見てきた。
海へ沈む夕日も、山の向こうへ消える光も知っている。
それでも、この窓から見るのは初めてだった。
朝には名前しか知らなかった建物の中で、今も弟子たちが最後の記録を書いている。
白い光の下では治癒草が育ち、この建物には冬のための薬が残されている。
屋根の向こうには、今朝食事をした孤児院がある。
道を曲がれば家具工房があり、その先には共同商館がある。
来たばかりの町なのに、昨日より知っている屋根が増えていた。
「何を見ているの?」
「知ってる場所を探してたニャ」
「見つかった?」
「いっぱいあったニャ」
セルマも窓の外を見た。
「旅人は、景色の見方が違うのね」
「最初は全部知らない景色ニャ」
「歩くと、少しずつ知ってる場所になるニャ」
「この工房も?」
「もう知ってるニャ」
「大きすぎる薬の工房ニャ」
「それだけ?」
「薬を作れる人を作ってる工房ニャ」
セルマは一度だけ瞬きをして、それから小さく笑った。
「今日見たことも歌にするの?」
「薬草を量る歌は難しいニャ」
「用量を間違える歌はやめなさい」
「そこはセルマが確認するニャ」
「歌まで品質管理させる気?」
「薬の歌ニャ」
「なおさら嫌よ」
橙色の光が、並んだ二人の影を廊下へ長く伸ばしていた。
工房を出るころには、空の端が薄紫へ変わり始めていた。
「私は共同商館へ寄るけれど、あなたはどうするの?」
「ついていくニャ」
「即答ね」
「お腹減ったニャ」
二人で夕方の領都を歩く。
店先の灯りが一つずつ点き、仕事を終えた人たちが家路へ向かっていた。
セルマが、レイニャの腕に残った厚手の布を見る。
「それ、工房へ来た時から持っていたわね」
「今日買ったニャ」
「《収納》を覚えたのでしょう?」
「買い物を入れすぎたから、これは外に出したニャ」
「覚えたその日に?」
「《収納》が小さいニャ」
「買いすぎを治す薬はないわよ」
「セルマでも作れないニャ?」
「作らないわ」
昼間より冷え始めた風の中を、レイニャの笑い声が先へ走った。
共同商館の地下へ下りると、リュシアが二人を見つけて眉を上げた。
「珍しい組み合わせだね」
「午後ずっと工房を見てたニャ」
「ずっと?」
「この子、見物に来たはずなのに、弟子より質問が多いのよ」
「薬は気になるニャ」
「元白魔道士だったね」
リュシアは空いている席を顎で示した。
「話は食べながらにしな」
「待ってたニャ〜」
レイニャは厚手の布を椅子の背へ掛け、席へ着いた。
運ばれてきた温かい煮込みへ、まず鼻を近づける。
薬草の匂いに囲まれていたせいか、食事の香りがいつも以上に強く感じられた。
「美味しいニャ」
「まだ口へ入れてないだろ」
「匂いでも分かるニャ」
「食べてから言いな」
リュシアに返され、レイニャは素直に匙を取った。
午後に見た薬の話は、セルマが必要なところだけ話した。
レイニャは説明を任せ、煮込みとパンへ集中する。
食べ終わるころには、店内の席もかなり埋まっていた。
昼に歌を聞いた客が、レイニャへ気づく。
一人がこちらを見て、次にレイニャの背中を見た。
「今日はハープを持ってないのか?」
近くの客まで会話を止める。
レイニャも、自分の空いた背中へ手を回した。
「あるニャ」
「どこに?」
「ここニャ〜」
淡い靄が腕の中へ集まり、使い慣れたハープが現れた。
客席から声が上がる。
セルマが、空になった皿とハープを交互に見た。
「今、食べ終わったばかりでしょう」
「歌う分は別腹ニャ」
「そんなわけあるかい」
リュシアが即座に返した。
レイニャは椅子から立ち、ハープを抱え直した。
「今日は薬の工房を見てきた歌ニャ〜」
「もう歌にしたの?」
「薬草を量るところから始めるニャ」
「用量だけは間違えないで」
セルマの声に笑いが起こり、レイニャの指が最初の弦を弾いた。