翌朝、レイニャは朝食を済ませると、押入商会侯爵領事業所へ顔を出した。
昨日の午後を新セルマ工房で過ごし、夜は共同商館で歌っている。
さすがに今朝は遅くまで寝ているだろうと澪は思っていたのだが、猫耳は朝から元気に立っていた。
「おはようニャ〜」
「おはようございます」
「早いですね」
「旅人は朝が早いニャ」
レイニャはそう言いながら、空いている椅子へ腰を下ろした。
背中にハープはなく、旅鞄もない。
昨日覚えた《収納》を、もう普通に使っているらしい。
「今日は何をしに来たんですか?」
理央が尋ねると、レイニャは首を傾げた。
「遊びに来たニャ」
「仕事場ですよ、ここ」
「昨日も皆いたニャ」
「昨日は仕事中でした」
「今日もいるニャ」
「今日も仕事中です」
理央が困った顔で澪を見る。
澪にも、追い返すほどの理由はなかった。
出発は来週である。
それまで領都を見て回ると言っていたし、仕事の邪魔をしないなら好きにしてもらって構わない。
「見ているだけなら大丈夫ですよ」
「分かったニャ」
返事だけは素直だった。
レイニャは机の端に置かれていた端材を手に取り、指先で軽く叩き始める。
一定の拍子が、小さく机へ響いた。
「昨日の歌の続きですか?」
「薬草を量るところが、まだ上手く歌にならないニャ」
「本当に作ってるんですね」
「見たものは歌になるニャ」
昨夜もかなり歌っていた。
念のため、澪はレイニャへ《鑑定》を向けた。
現在ジョブは吟遊詩人Lv3のままである。
《地図》5、《聞き耳》6、《野営》6。
長く一人旅を続けてきただけあって、危険を見つけ、避け、夜を越える技能は高い。
前職で身につけた《白魔法》8、《治癒》8、《解毒》7、《浄化》6も残っている。
怪我や毒に見舞われても、自分や同行者を助けられる。
《収納》も2まで上がり、旅の荷物はかなり軽くなった。
澪は、その先まで表示を追った。
そして、もう一度上へ戻った。
剣術はない。
弓もない。
攻撃に使える魔法も、相手の攻撃を防ぐ技能も見当たらなかった。
澪は瞬きをして、表示を最初から見直した。
やはりない。
「澪さん?」
理央が、手元の帳票から顔を上げた。
澪はレイニャへ聞こえないよう、理央を少し離れた場所へ招いた。
「あの子、あのステータスで一人旅をしてるんですよね」
「そうですね」
「戦う技能が、一つもないんです」
理央はレイニャを見る。
本人は端材を叩きながら、薬草を量る場面に合う拍子を探していた。
「でも、《地図》と《聞き耳》が高いんですよね?」
「はい」
「だから、今まで無事だったんじゃないですか」
人の噂を聞く。
危ない道を避ける。
野営する場所を選ぶ。
夜の物音へ誰より早く気づく。
戦わずに済むよう動くことも、旅人の立派な身の守り方である。
「それは分かるんですけど……」
澪の頭には、アルヴェラへ向かった時の光景が浮かんでいた。
街道で馬車を襲っていた武装集団。
その先の廃銀山で、連れ去られた人々を閉じ込めていた者たち。
捕らえた人間を、引き取り手が来るまで置いていたという供述。
あの一帯を、レイニャが一人で通っていた可能性もある。
荷物を奪われるだけで済むとは限らなかった。
「アルヴェラの辺りで、人を捕まえていた連中がいたでしょう」
「廃銀山の……」
理央の表情から、わずかに明るさが消えた。
「もし、ああいう人たちに囲まれてたら危なかったなって」
「そうですね……」
レイニャは、目立つ猫耳と尻尾を隠さず一人で旅をしている。
それだけで、悪意のある者の目を引くことはある。
「二人とも」
いつから聞いていたのか、真壁が書類から目を上げた。
「それではいけないな」
「避けるだけじゃ駄目ですか?」
「避ける判断は正しい」
真壁は椅子から立ち、レイニャへ視線を向けた。
「戦わずに済むなら、その方がよい」
「では、何がいけないんです?」
「相手が盗賊だけではないことだ」
この世界には魔物がいる。
金を渡しても見逃さない。
事情を話しても待たない。
野営中に近づき、気づいた時には逃げ道を塞いでいることもある。
「危険を先に見つける力はある」
真壁はレイニャの《地図》や《聞き耳》を否定しなかった。
「だが、常に逃げ道が残るとは限らん」
「最低限、追手を止める術はあった方がよいだろう」
「倒すためではなく、逃げるためですか」
「その通りだ、理央君」
話を聞いていたレイニャの耳が、二人の方へ向いた。
「あたしの話をしてるニャ?」
「聞こえてました?」
「《聞き耳》6ニャ」
「そうでした」
小声にした意味が、きれいになくなった。
澪は少し恥ずかしくなりながら、レイニャの前へ戻った。
「勝手に話を進めて、すみません」
「心配してたニャ?」
「はい」
「あたしは、危ないところには行かないニャ」
「それで長く旅を続けてきたことは分かっています」
「でも、魔物に道を塞がれた時のために、逃げる手段を増やしませんか?」
レイニャは、机を叩いていた指を止めた。
「戦士になる話ニャ?」
「いや」
答えたのは真壁だった。
「君は吟遊詩人だ」
「それを変える必要はない」
「逃げるための一手だけ増やす」
レイニャは少し考えた。
その間、真壁は急かさなかった。
「旅を続けるためなら、覚えたいニャ」
「では、《重力》と《雷》あたりですか?」
理央がすぐに候補を出した。
「《重力》なら、相手を重くして動きを止められます」
「《雷》なら、近づいてきた魔物を退けられます」
「悪くない」
真壁がわずかに口元を上げた。
澪は、その顔に覚えがあった。
何かを思いついた時の顔である。
「では、澪君開発の、あのやり方だな」
「……はい?」
真壁が片手を上げる。
靄の中から、黒い箱が現れた。
机へ置かれたそれを見て、理央の目が明るくなる。
「理央君」
「了解です」
理央は黒い箱を受け取り、保管棚の方へ向かいかけた。
「ちょっと待ってください」
二人が同時に澪を見る。
「何で、それだけで通じるんですか?」
「以前にも行っているからだが」
「そうですけど」
「雷の授業をして、雷箱を使って、池へ行くんですよね?」
「手順をよく覚えているではないか」
「私がやったからです」
「ゆえに、澪君開発の育成法だ」
「育成法として残した覚えはありません」
理央が、黒い箱を抱えたまま笑いを堪えている。
「理央さんも笑わないでください」
「笑ってません」
「顔が笑ってます」
「何が始まるニャ?」
レイニャが黒い箱へ近づこうとする。
澪はすぐ、その前へ立った。
「まず勉強です」
「戦う話だったのに、授業になったニャ」
「理解しないまま使う方が危ないんです」
「まさか、いきなり池へ行くつもりではないだろうね、澪君」
「行きません」
真壁に先回りされ、澪はますます複雑な気分になった。
自分が昔、試行錯誤で始めた方法を、なぜ真壁の方が正式な手順らしく扱っているのだろう。
澪は、ゲンダイで用意していた子ども向けの科学絵本を机へ広げた。
雷や電気を、大きな絵で説明する本である。
書かれている文字は日本語なので、レイニャには読めない。
今日は絵だけを使い、言葉は澪が補う。
必要な名前は、別の紙へ異世界文字で書き足した。
「これが、雲です」
「それは知ってるニャ」
「雲の中には、小さな水の粒や氷の粒がたくさんあります」
澪は、雲の中を拡大した絵を指した。
白い粒と青い粒が、風に巻き上げられて動いている。
「空の上なのに、水があるニャ?」
「見えにくいくらい小さい粒です」
「冷えると氷にもなります」
「雲の中は、静かじゃないニャ?」
「雷ができるような大きな雲の中では、かなり激しく動きます」
水や氷の粒が上へ押し上げられ、また落ち、ぶつかり合う。
その様子を、澪は指で絵の上へなぞった。
「ぶつかると、雷になるニャ?」
「すぐにはなりません」
「ぶつかるうちに、見えない電気が同じ場所へ片寄っていきます」
「電気は見えないニャ?」
「普段は見えません」
「でも、たまっていくニャ?」
「はい」
澪は次のページを開いた。
雲の上と下で、電気の片寄りが違う様子が描かれている。
「電気がたまりすぎると、そのままではいられなくなります」
「逃げたくなるニャ」
「そう考えてもいいです」
「通れる道ができた瞬間、一気に流れます」
指を、雲から地面へ動かす。
「それが、大きな雷です」
レイニャは絵本へ顔を寄せた。
猫耳が、さっきから澪の説明に合わせて小さく動いている。
「空が光ってから、音が来るのは何でニャ?」
「光の方が、音よりずっと速いからです」
「同じ雷なのに、届く速さが違うニャ?」
「はい」
「遠いほど、音が遅れて来ます」
「あれは、雷が迷ってるわけじゃなかったニャ」
「迷ってはいません」
レイニャは真剣に頷いた。
次のページへ進むかと思ったところで、その指が前の絵へ戻った。
雲。
水の粒。
氷の粒。
見えない電気。
レイニャは順番に指し、机を指先で軽く叩き始めた。
「これ、歌にした方が覚えやすいニャ」
「歌ですか?」
「雲の家で、水の子が走るニャ」
とん、とん、と指が拍子を刻む。
「氷の子にぶつかって、電気の子が増えるニャ」
「そこは、少し違います」
澪が止めると、レイニャの指も止まった。
「増えるんじゃないニャ?」
「増えるというより、片寄って集まります」
「最初からいるけど、皆で同じところへ行くニャ?」
「今日は、その理解で大丈夫です」
レイニャは、今の節を最初からやり直した。
水の子と氷の子が、雲の中を走る。
ぶつかるたび、見えない電気の子が片側へ集まる。
いっぱいになっても、まだ出口はない。
「それで、道ができるニャ」
「はい」
「見つけた道を、一気に走るニャ」
「そうです」
レイニャの指が机を強く叩いた。
「空が光って、遅れて音が追いかけるニャ」
今度は、澪も止めなかった。
長い歌詞にはなっていない。
まだ、説明を短い言葉へ置き換えている途中である。
それでも、最初に口にした時より順番が整っていた。
「雷は、光った時に急に生まれるわけじゃないニャ?」
「はい」
「見えない間に、電気がたまってるニャ」
「その通りです」
「たまった電気が、通れる道を見つけて走るニャ」
「大まかには、それで合っています」
レイニャは説明を丸ごと覚えているわけではない。
歌へ入れるために、何が先で、何が後なのかを自分で確かめている。
順番がつながらなければ、歌の中でも話がつながらない。
質問するたび、レイニャの言葉は少しずつ正確になっていた。
「それ、もう吟遊詩人の仕事ですね」
理央が、隣で聞きながら言った。
「仕事ニャ?」
「知ったことを、ほかの人にも分かる形へ変えてるじゃないですか」
澪も、そこで気づいた。
《語り》で順番を整える。
《歌唱》で覚えやすい言葉にする。
《演奏》で人に聞いてもらう。
レイニャが今していることは、確かに吟遊詩人の仕事だった。
「これ、子どもにも歌えるニャ」
レイニャの耳が、ぴんと立つ。
「文字が読めなくても、歌なら覚えられるニャ」
「孤児院で歌うんですか?」
「ちゃんとできたら歌うニャ」
「でも、雷を出す歌だって思われません?」
「雷がどうして落ちるか分かる歌ニャ」
「そこは最初に言った方がいいですね」
「歌う前の《語り》で言うニャ」
すでに演目の形まで考え始めている。
澪は、雷の授業をしているはずだった。
いつの間にか、新しい歌の相談になっていた。
けれど、脱線しているとは思わなかった。
レイニャは、歌にすることで雷を理解している。
しかも、その理解は次の誰かへ渡せる形になり始めていた。
澪は絵本を閉じず、その横へ小さく切った紙を置いた。
次に、プラスチックの定規と乾いた布を出す。
「今度は何するニャ?」
「小さい電気を見ます」
「見えないって言ったニャ」
「電気そのものではなく、起きることを見ます」
澪は定規を布で何度かこすり、細かな紙片へ近づけた。
紙片がふわりと持ち上がる。
いくつかは定規へ貼りついた。
「魔法ニャ?」
「使ってません」
レイニャは定規と紙を交互に《鑑定》した。
不思議そうに眉を寄せる。
「魔力は出てないニャ」
「これも電気です」
「雷より小さすぎるニャ」
「大きさは全然違います」
「でも、電気が片寄って、紙を引っぱっています」
レイニャも布と定規を受け取った。
澪がしたようにこすり、紙片へ近づける。
最初は何も起きない。
「力が足りないニャ?」
「力より、布と定規をきちんと触れさせてください」
もう一度こすると、今度は紙片が一つだけ立ち上がった。
「動いたニャ!」
「はい」
「歌も魔法も使ってないニャ」
「電気は、魔法がなくてもあります」
レイニャはもう一度、紙片を持ち上げた。
巨大な雲の中で起きることと、机の上の小さな紙が動くこと。
見た目はまるで違う。
それでも、どちらにも見えない電気が関わっている。
レイニャは短い拍子を口の中で繰り返し、歌の途中へ何かを足した。
「小さい電気は、静かニャ」
「全部が雷みたいな音を出すわけではありませんから」
「見えなくても、ちゃんと働いてるニャ」
その言葉を聞いて、真壁が黒い箱を机の中央へ戻した。
「では、次はこれだな」
「雷箱ニャ?」
「正式にはバッテリーです」
澪は、以前の授業でも使った説明を繰り返した。
「この中へ、空の雷がそのまま入っているわけではありません」
「違うニャ?」
「電気をためて、必要な時に流せるようにした道具です」
レイニャは絵本の雲と、黒いバッテリーを見比べた。
「雲の小さい版ニャ?」
澪は答える前に少し悩んだ。
「ものすごく大ざっぱに言えば、今日はそれでいいです」
「明日は駄目ニャ?」
「もっと詳しく知りたくなったら、違いも説明します」
「今日は雲の小さい版で覚えるニャ」
理央が横で笑った。
「澪さん、小学生へ教えるより大変そうです」
「理央さんも説明する側ですよ」
「えっ」
「《雷》6ですよね」
「そうでした」
理央は急に笑う側ではなくなった。
真壁だけが、変わらない顔で二人を見ていた。
「理解は進んだようだな」
「まだ実物を動かす前の説明です」
「ならば、安全の話へ進もう」
その一言で、澪も表情を改めた。
理央が靄から、バッテリーと、導線の先に金属棒がついた道具を取り出す。
水辺で使う時は、その一式を《雷箱》と呼んでいた。
続いて、ゴム手袋とゴム長靴を並べた。
説明に使った黒いバッテリーだけとは違う。
水辺で訓練するため、一式にまとめられた道具である。
「ここからは、冗談なしです」
「分かったニャ」
レイニャの返事から、さっきまでの軽さが消えた。
「電気は便利ですが、間違えれば人も死にます」
「特に、水の近くでは危険です」
澪は手袋を持ち上げた。
「これは電気を通しにくくするための物です」
「つければ絶対に安全、ではありません」
「破れていないか、自分で確かめます」
次に長靴を示す。
「足元も同じです」
「濡れていたり、傷んでいたりしたら使いません」
レイニャは一つずつ手に取り、表と裏を確かめた。
「旅の道具と同じニャ」
「どういう意味です?」
「雨具も、穴が開いてたら雨具じゃないニャ」
「使う前に見るニャ」
「そういうことです」
澪は《雷箱》の操作用スイッチを指した。
「触っていい場所は、ここだけです」
「私たちが合図するまで触りません」
「電気を流したら、止めます」
「止めたことを確認するまで、水へ近づきません」
「魚が浮いても、すぐ取りに行かないニャ」
「はい」
「自分では分からないことがあったら?」
「分かった顔で触らないニャ」
レイニャは即答した。
「聞くニャ」
長い旅を続けてきた者の答えだった。
戦う技能はなくても、危険へ近づく時の考え方は身についている。
「手順を言ってみてください」
「道具を先に確かめるニャ」
「合図を待つニャ」
「触っていいところだけ触るニャ」
「電気を流して、止めるニャ」
「止まったのを皆で確かめるまで、水へ近づかないニャ」
「大丈夫です」
澪が頷くと、レイニャは小さく息を吐いた。
「歌にしないのかね」
真壁が尋ねる。
「これは歌にしないニャ」
「なぜだね?」
「楽しくなって、先に手が動いたら危ないニャ」
真壁は満足そうに、ほんの少しだけ頷いた。
「よい判断だ」
澪も同じ気持ちだった。
歌へ変えることと、軽く扱うことは違う。
レイニャは、その境目をきちんと分かっている。
真壁が《雷箱》を持ち上げた。
「では、実習といこうか」
「やっぱり実習があるニャ……」
「池ですね」
理央が嬉しそうに言った。
「どうして、そんなに楽しそうなんですか」
「前に上手くいったからです」
「前に進みすぎたんです」
レイニャは、真壁の《雷箱》と理央の顔を交互に見た。
「押入商会の授業は、いつも池へ行くニャ?」
「いつもではありません」
「今回で2度目だな」
「数えなくていいです」
一行が向かったのは、以前、理央の訓練にも使った灌漑用の管理池だった。
4月の日差しを受けた水面が、風に細かく揺れている。
岸辺には新しい草が伸び始め、冬には枯れていた水路脇にも薄い緑が戻っていた。
「ここ、来たことがあるんです」
理央が池を見渡した。
「理央も魚を獲ったニャ?」
「獲りました」
「雷で?」
「雷で」
レイニャの目が、理央から澪へ動いた。
「本当に、雷を覚える池ニャ」
「池が覚えさせるわけではありません」
「でも、理央もここで覚えたニャ?」
「私は、その前から持ってました」
「では、何を覚えたニャ?」
理央が返事に詰まる。
あの日、この池で使ったのは《地図》、《鑑定》、《雷》、《重力》、《収納》だった。
その結果、作家見習いのレベルと《共鳴》が上がり、のちには漁師まで転職候補へ現れた。
「……いろいろです」
「説明を諦めたニャ」
澪は二人の会話を聞きながら、レイニャへ向き直った。
「レイニャさん、《地図》で池の中を見てください」
「魚も見えるニャ?」
「名前までは分からなくても、動いている位置は拾えるはずです」
レイニャが池へ意識を広げる。
すぐには何も言わなかった。
水面と、自分の《地図》を何度か見比べる。
「小さいのが、いっぱい動いてるニャ」
レイニャの指が、岸から離れた場所を追った。
「あっちは集まってるニャ」
その指が、少し右へ動く。
「でも、こっちに大きいのがいるニャ」
細かな反応の群れとは別に、ゆっくり動く大きな反応があるらしい。
澪と理央も《世界地図》で確かめた。
数は以前ほど多くないが、駆除対象を選んで訓練するには足りている。
大きな反応が水面近くへ上がると、黒い魚影が見えた。
レイニャがすぐに《鑑定》を向ける。
「ビッグバスって出たニャ」
以前に駆除したものと同じく、小魚や水草を食い荒らす大型魚である。
「あれだけを対象にします」
澪が言うと、レイニャも水面へ目を凝らした。
「ほかの魚は獲らないニャ?」
「はい」
「訓練のために、何でも浮かせるわけではありません」
レイニャが、すぐに頷く。
旅の途中で食べ物を得ることには慣れていても、必要のない命まで取るつもりはないらしい。
「浮かせた魚は、食べるニャ?」
「食材に回せるものは、全部回します」
「それなら分かったニャ」
真壁が池から少し離れた乾いた場所へ《雷箱》のバッテリーを置いた。
その横で、理央が胸元のブローチを外した。
紫色の石を銀線で留めた、理央がいつも身につけている物である。
「レイニャさん、今日はこれを貸します」
「大事な物じゃないのかニャ?」
「大事な物ですから、終わったら返してください」
「そこは絶対返すニャ」
レイニャが両手で受け取る。
「何のブローチニャ?」
「成長促進の加護があります」
澪が補足した。
「身につけている間、経験を得る効率が3倍になります」
「3倍ニャ!?」
レイニャが落としそうになり、慌てて握り直した。
「大事な物を驚かせないでほしいニャ」
「驚いたのはレイニャさんです」
理央が苦笑しながら、ブローチを上着へ留めるのを手伝った。
「私がここで訓練した時も、それをつけていました」
「理央は、どれくらい上がったニャ?」
「魚を10匹捕まえて、作家見習いLv5からLv10です」
「魚を捕まえて、作家が5も上がったニャ?」
「私も今でも少しおかしいと思っています」
「ただし、見習いジョブだったから上がりやすかった可能性はあります」
澪は、そこだけは念を押した。
「吟遊詩人でも同じだけ上がるとは限りません」
「上がるまで魚を捕まえ続けるニャ?」
「必要なところまでです」
「10匹が目標ではありません」
理央はスイッチが切れていることを確かめ、バッテリーから導線でつながった金属棒を池の所定位置へ入れた。
操作するのは、乾いた岸に置かれたスイッチだけである。
先ほどまで嬉しそうだった顔は、もう仕事をする時のものへ変わっていた。
「レイニャさん、手袋と長靴をもう一度確認してください」
「破れてないニャ」
「内側は?」
「濡れてないニャ」
「足元は滑りませんか?」
レイニャはその場で片足ずつ動かし、土の感触を確かめた。
「大丈夫ニャ」
「では、立つ場所はここです」
理央が地面へ置いた印を示す。
「合図があるまで?」
「触らないニャ」
「終わったら?」
「止まったのを確認して、それから魚を回収するニャ」
澪は、レイニャの尻尾まで印の内側に収まっていることを確かめた。
本人が立つ場所を守っていても、長い尻尾だけが余計なところへ触れては困る。
「尻尾も気をつけてくださいね」
「尻尾まで授業を受けるニャ?」
「レイニャさんの尻尾ですから」
レイニャは尻尾を前へ回し、腹の前で両腕に抱えた。
「これなら一緒に聞けるニャ」
「そのまま動かさないでください」
「厳しいニャ」
「水辺の電気ですから」
返した澪の声に笑いがないと分かると、レイニャも口を閉じた。
レイニャが最初の対象を《地図》で追う。
ビッグバスの反応が、ほかの魚から離れて岸寄りへ動いた。
理央も《世界地図》で位置を確かめる。
「来ます」
水面のすぐ下に、黒い魚影が見えた。
澪は全員の位置を見回してから、レイニャへ合図を出した。
レイニャが、教わったスイッチへ手を添える。
合図に合わせてスイッチを入れると、バッテリーの電気が導線と金属棒を通って水中へ流れた。
水面がびくりと震える。
黒い魚影の進む向きが乱れ、大きな魚体が横向きに浮かび上がった。
「止めてください」
レイニャがすぐにスイッチを切る。
理央が停止を確認するまで、誰も岸へ近づかなかった。
「止まっています」
「回収します」
網で岸へ寄せた魚を、レイニャが《鑑定》する。
「生きてるニャ」
「状態は分かりますか?」
「麻痺して、動けなくなってるニャ」
「そのとおりです」
理央が魚を置くための板と、締めるための道具を用意した。
「食材にするなら、ここからもレイニャさんの仕事です」
「あたしが締めるニャ?」
「はい」
「捕まえるところだけでは、経験になりにくいんです」
理央は、魚を苦しませないための手順を短く教えた。
レイニャは道具を受け取り、一度だけ息を整えた。
旅の途中で獲物を食べたことはある。
自分で捕らえた命を、自分の手で食料にすることも初めてではない。
「ちゃんと食べるニャ」
レイニャは目を逸らさず、教わったとおり手早く魚を締めた。
もう一度《鑑定》し、生命活動が止まったことを確かめる。
その魚は食材用として、レイニャ自身の《収納》へ入れた。
「今ので、最初から最後までです」
「探して、捕まえて、締めて、持って帰るニャ」
「はい」
「では、もう一度です」
「もう次ニャ?」
「成長促進は、見ているだけでは3倍になりません」
「急に世知辛い加護になったニャ」
2匹目からは、レイニャが手順を声に出した。
《地図》で探す。
《鑑定》で対象を確かめる。
道具と足元を確かめる。
合図を待つ。
流す。
止める。
停止を確認してから回収する。
最後は、自分で締める。
3匹目には、澪が言わなくても尻尾を前へ回した。
「尻尾、確認したニャ」
「そこも毎回言うんですか?」
「大事だって言ったニャ」
「言いましたけど」
理央が吹き出しかけ、すぐに水面へ意識を戻した。
冗談を言っても、合図の前にレイニャの手が動くことはなかった。
魚が浮くたび、必ず停止を待つ。
回収したあとは《鑑定》で状態を確かめる。
麻痺している魚は、教わった手順で一匹ずつ締める。
その繰り返しの中で、レイニャの口から小さな節が漏れ始めた。
雲の中で、水と氷が動く。
見えない電気が片寄って、出口を待つ。
道ができれば、一気に走る。
完成した歌ではない。
同じ箇所を何度も変え、時々止まり、目の前の水面を見てまた直す。
「箱の中でも、電気は出口を待ってるニャ?」
「雲と同じではありませんが、必要な時に流せるよう、ためてあります」
「同じにしすぎたら駄目ニャ」
「はい」
レイニャは歌いかけた節を一つ戻した。
雲と箱を、同じ言葉にはしなかった。
代わりに、どちらにも電気がたまり、通れる先があれば流れるというところだけを残す。
次の通電を終え、レイニャがスイッチから手を離した直後、指先に今までとは違う感覚が残った。
「今、ぴりっとしたニャ」
《雷箱》は、すでに止まっている。
濡れた道具からも十分に離れていた。
澪がレイニャへ《鑑定》を向ける。
技能欄に、さっきまではなかった表示が増えていた。
《雷》、芽あり。
「《雷》の芽が出ています」
「雷が生えたニャ!」
「まだ芽です」
「出せないニャ?」
「SPがないので、今は取得できません」
レイニャが自分を《鑑定》する。
現在ジョブは吟遊詩人Lv3のままで、未使用SPは0だった。
「芽はあるのに、育てられないニャ」
「ですから、続きをします」
水面には、今の通電で麻痺した魚がまだ浮いている。
「芽を眺める前に、あの魚を締めてください」
「理央、急に現実へ戻すニャ」
「レイニャさんが捕まえた魚です」
停止確認を終えると、レイニャは網で魚を回収した。
《鑑定》で麻痺を確かめ、教わった手順で締め、食材用の《収納》へ入れる。
理央が次の対象を探そうとすると、レイニャがその肩を掴んだ。
「先生が楽しそうすぎるニャ」
「気のせいです」
「目が池を見てるニャ」
「魚を探しているだけです」
レイニャは疑わしそうな顔をしながらも、自分の《地図》へ意識を戻した。
次も、その次も、雷を出したのは《雷箱》だった。
レイニャは魚の場所と種類を確かめ、自分でスイッチを操作し、自分で締めた。
そして、また一匹を食材用の《収納》へ入れた時、目の前に表示が重なった。
--------------------------------
現在ジョブ:吟遊詩人Lv3
↓
Lv4
--------------------------------
そして、《鑑定》。
--------------------------------
レイニャ
種族:ケット・シー族
性別:女
現在ジョブ:吟遊詩人Lv4
前職:白魔道士Lv9
状態:正常
--------------------------------
既得スキル
地図:5
演奏:5
歌唱:4
語り:5
聞き耳:7
野営:6
交渉:4
白魔法:8
治癒:8
解毒:7
浄化:6
鑑定:3
収納:3
雷:芽あり(+)
--------------------------------
未使用SP
1
--------------------------------
「SPが増えたニャ!」
「魚を締めるところまで繰り返した経験が入りましたね」
「魚を締めて、吟遊詩人が上がったニャ?」
澪は答えに詰まった。
雷の仕組みを学び、歌へ変え、《地図》と《鑑定》を使い、捕獲から食材にするところまで行った。
一日のどこからどこまでが吟遊詩人の経験として数えられたのか、澪にも切り分けられない。
「今日ずっと、雷の歌を作っていましたから」
理央が助け船を出した。
「最後にしてたのは魚締めニャ」
「歌い、理解し、実践した」
真壁が池を見たまま答えた。
「吟遊詩人の経験として不足あるまい」
「吟遊詩人って、魚まで締める仕事だったニャ?」
「少なくとも、レイニャさんは締めました」
「あたしだけの仕事になってるニャ」
レイニャは納得しきれない顔をしたが、すぐに《雷》へ視線を戻した。
「このSPを使えばいいニャ?」
「決めるのはレイニャさんです」
「今日の目的は、旅で逃げるための手を増やすことです」
澪がそう言うと、レイニャは迷わなかった。
「《雷》に使うニャ」
未使用SPを1使う。
芽だった表示が変わった。
--------------------------------
既得スキル
雷:1
--------------------------------
未使用SP
0
--------------------------------
「今度こそ生えたニャ!」
「今度は芽ではありません」
レイニャの耳と尻尾が同時に立った。
理央は池から十分に離れた乾いた土の上へ、小さな目印を置いた。
「では、出して止める練習です」
「やっぱりすぐ次へ行くニャ……」
最初は、指先が少し温かくなっただけだった。
2度目には、短い光が出たものの、目印より手前で消えた。
レイニャは焦らず、朝に作った節を低く口ずさむ。
電気が片寄る。
通れる道ができる。
ためたものが、一気に走る。
歌に合わせて、指先から細い光が伸びた。
今度は目印まで届き、小さな音を立てて消える。
「できたニャ!」
「今の強さを覚えてください」
「強くすることより、止められることの方が大事です」
理央の注意に、レイニャは頷いた。
もう一度だけ出し、今度は自分の意思で短く切る。
「止められたニャ」
「では、池へ戻りましょう」
「休憩はどこへ行ったニャ?」
「雷を出す前に少し休みました」
「あれはSPを眺めてた時間ニャ」
理央は答えず、池の方へ歩き出した。
池へ戻ると、レイニャは自分の《地図》で次の反応を探した。
大きな反応が単独で岸へ寄るまで待つ。
魚影が見えたところで《鑑定》し、ビッグバスだと確かめる。
近くに小さな魚の反応はない。
「来るニャ」
レイニャが指先を水面へ向けた。
《雷箱》は、すぐに使える状態のまま置かれている。
しかし、スイッチへ手を置く者はいない。
作りかけの歌を一節だけ口ずさむ。
細い雷が水面へ走った。
ビッグバスが大きく身を反らし、銀色の腹を見せて浮かび上がる。
「止めるニャ」
レイニャは自分で《雷》を切った。
停止を確認してから網で回収する。
《鑑定》の表示は、麻痺して行動できないものの、まだ生きていると告げていた。
「今度は、あたしの雷で捕まえたニャ」
「はい」
「では、最後までお願いします」
レイニャは頷き、魚を手早く締めた。
生命活動が止まったことを自分で確かめてから、《収納》へ入れる。
探すところから食材にするところまで、初めて自分の技能でやりきった一匹だった。
それでも、訓練は一匹では終わらなかった。
レイニャは《地図》で、ほかの魚から離れた反応を選ぶ。
水面へ近づいた魚を《鑑定》し、対象でなければ見送る。
ビッグバスだけを《雷》で麻痺させ、回収し、締める。
同じ順番を崩さず、何度も繰り返した。
成長促進の加護が、積み上げた経験を3倍の速さで技能へ結びつけていく。
やがて、池の中を追っていた反応の輪郭が、それまでよりはっきりした。
レイニャが自分へ《鑑定》を向ける。
《地図》6。
「《地図》が上がったニャ」
「ずっと自分で魚を探していましたからね」
次の魚を確かめた時には、状態の見え方も少し詳しくなった。
《鑑定》4。
「こっちも上がったニャ」
「見るだけではなく、通電前と通電後、締めたあとまで確認しています」
「同じ魚を3回も見るからニャ」
「必要な確認です」
さらに一匹を締めて《収納》へ入れたところで、ジョブの表示も変わった。
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現在ジョブ:吟遊詩人Lv4
↓
Lv5
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《鑑定》。
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レイニャ
種族:ケット・シー族
性別:女
現在ジョブ:吟遊詩人Lv5
前職:白魔道士Lv9
状態:正常
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既得スキル
地図:6
演奏:6
歌唱:5
語り:6
聞き耳:7
野営:6
交渉:4
白魔法:8
治癒:8
解毒:7
浄化:6
鑑定:4
収納:4
雷:2
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未使用SP
1
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「また上がったニャ……」
「理央さんほどではありませんね」
澪が言うと、理央は真面目な顔で頷いた。
「私は見習いでしたから」
「その言い方だと、見習いの方が成長するみたいニャ」
「実際、必要な経験は少なかったのだろう」
真壁が食材用の魚を見て、訓練を止めた。
「魚を追うのは、ここまででよい」
「次は《重力》です」
理央が明るく言った。
「まだあるニャ!?」
池の上を渡った鳥が、驚いたように飛び去った。
訓練場所を、水辺から十分に離れた平らな草地へ移した。
理央は収納から砂袋と、水を入れた桶を出す。
「まず、普通に持ってみてください」
レイニャは砂袋の口を両手で掴み、持ち上げた。
「旅鞄より少し重いニャ」
「では、下ろしてください」
理央が砂袋へ《重力》を使う。
「もう一度どうぞ」
レイニャが同じつもりで持ち上げ、勢い余って袋を胸元まで引いた。
「軽いニャ!」
「重さを弱めました」
「中の砂が減ったニャ?」
「減ってません」
レイニャは袋の口を開き、中を覗いた。
先ほどと同じだけ砂が詰まっている。
「元へ戻します」
理央が《重力》を解く。
レイニャの腕が、急に下へ引かれた。
「戻す時は先に言ってほしいニャ!」
「今、言いました」
「言ってすぐだったニャ」
「では、次は3つ数えます」
今度は、重くする方だった。
理央が3つ数えたあと、レイニャは砂袋へ手をかける。
さっきより力を込めても、ほとんど持ち上がらない。
「砂が増えたニャ?」
「増えてません」
「同じ袋なのに、ずるいニャ」
「重さに、ずるいも何もありません」
理央は《重力》を戻し、次は水桶で同じ変化を見せた。
水の量は変わらない。
桶の形も変わらない。
それでも、腕へかかる重さだけが変わる。
レイニャは何度も持ち比べ、足の置き方まで変えて感触を確かめた。
「旅の荷物に使ったら便利ニャ」
「便利ですけど、今日の目的は護身です」
理央が砂袋へ手を向けた。
「追ってくる人や魔物を、一時的に重くできます」
「足が動きにくくなるニャ?」
「はい」
「相手を倒しきれなくても、その間に離れられます」
「《地図》で逃げ道を探して、《重力》で追ってくる相手を遅くするニャ」
「そういう使い方です」
レイニャは、すぐに自分の旅へ当てはめた。
戦うための技能だと説明するより、ずっと理解が早い。
理央が砂袋を軽くし、重くし、元へ戻す。
レイニャはそのたび、手のひらへ伝わる変化へ意識を集中した。
今度は、自分で砂袋へ手を向ける。
「重くするニャ」
何も変わらない。
もう一度試す。
砂袋は動かなかったが、レイニャの耳がぴくりと揺れた。
「今、少しだけ違ったニャ」
「どんな感じでした?」
「持ち上げる前から、下へ引っぱられた気がしたニャ」
「その感覚を、もう一度追ってみてください」
レイニャは、砂袋を追ってくる魔物へ置き換えた。
倒す必要はない。
一歩を遅くする。
その間に、自分は逆の方向へ走る。
砂袋の底が、草へわずかに沈んだ。
「今のニャ?」
「はい」
澪が《鑑定》を向ける。
技能欄に、新しい芽が現れていた。
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重力:芽あり(+)
--------------------------------
「芽が出ています」
「また生えたニャ?」
「こちらは、まだ芽です」
澪は、未使用SPも確かめた。
魚の訓練を続け、吟遊詩人Lv5へ上がった時に得た、2つ目のSP1である。
「SPを1使えば、《重力》を覚えられます」
レイニャは、すぐには返事をしなかった。
砂袋を見る。
次に、自分の手を見る。
ジョブのレベルが上がって得たSPは、別の技能へ使うこともできる。
ここで使わず、旅の途中まで残すこともできた。
真壁も、理央も、決めろとは言わなかった。
澪は、レイニャが考える時間を待った。
「これがあったら、戦わなくても逃げられるニャ?」
「必ず逃げられるとは言えません」
真壁が答える。
「Lv1で止められる相手にも限りがある」
「だが、何もない時よりは選べる手が増える」
「強い魔物には効かないかもしれないニャ」
「その時は、今までどおり先に避けることだ」
「最初から戦いに行くための技能ではない」
レイニャは、少しだけ笑った。
「それなら、あたしに合ってるニャ」
もう一度、砂袋へ目を落とす。
「旅を続けるために使うニャ」
レイニャが、自分の意思でSPを1使った。
芽だった表示が変わる。
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既得スキル
重力:1
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未使用SP
0
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「取れたニャ」
「使ってみますか?」
理央が聞いた。
レイニャは一瞬だけ嫌そうな顔をしたあと、砂袋へ手を向ける。
「これで最後ニャ?」
「今日は」
「今、少し間があったニャ」
「今日は最後です」
理央が言い直す。
レイニャは砂袋へ意識を集中した。
少し重くする。
先ほどより、はっきりと袋の底が草へ沈んだ。
自分で持ち上げようとして、腕へ力を入れる。
「重くなってるニャ」
「戻せますか?」
レイニャが意識を解く。
砂袋の重さが元へ戻った。
「戻ったニャ!」
理央が嬉しそうに頷く。
「次は、動いている物へ――」
「今日はここまでです」
澪は間に入った。
「まだ言い終わってません」
「言い終わる前に止めたんです」
「澪君の判断が妥当だな」
真壁まで同意すると、理央は諦めて砂袋を収納した。
レイニャが、心の底から息を吐く。
「押入商会へ遊びに来ただけだったニャ……」
「仕事場だと言いましたよね」
「遊びに来たら、雷と重力を覚えたニャ」
「普通は覚えません」
「ここでは覚えたニャ」
反論できず、澪は口を閉じた。
帰り支度を整える前に、澪はもう一度レイニャの技能を確かめた。
レイニャは借りていたブローチを外し、両手で理央へ返した。
「ありがとニャ」
「落とさずに返ってきました」
「信用されてなかったニャ?」
「大事な物ですから」
「貸す時にも聞いたニャ」
朝にはなかった《雷》2と《重力》1が並んでいる。
スキルは朝からだいぶ上がったようだ。
吟遊詩人Lv5。
未使用SPは0。
けれど、レイニャが戦士になったわけではない。
危険を《地図》と《聞き耳》で先に見つけ、《野営》で安全な場所を選ぶ旅は、これまでと変わらない。
そこへ、避けきれなかった相手の足を《重力》で止め、必要なら《雷》で退ける手段が加わった。
逃げた先で怪我や毒に見舞われても、レイニャには元から高い《治癒》と《解毒》がある。
今までの旅の仕方を変えるのではない。
最後に足りなかった一手が加わっただけだった。
「これなら、少し安心できます」
澪が言うと、レイニャは自分の指先を見た。
「澪は心配性ニャ」
「一人旅の人に言われたくありません」
「あたしは慎重ニャ」
「そこは知っています」
レイニャが笑い、池の方へ顔を向けた。
風が水面を渡り、耳の先の毛を揺らす。
「あ」
レイニャは、途中になっていた雷の節を小さく歌い始めた。
雲の中で、水と氷が動く。
見えない電気が、片側へ集まる。
通れる道ができたなら、一気に走る。
先に空が光り、あとから音が追いかける。
朝の歌より、順番も言葉も正確になっていた。
「孤児院で歌ったら、みんな覚えそうですね」
理央が言うと、レイニャの耳が立つ。
「文字が読めない子も覚えられるニャ」
「雷を出す方法の歌だと、勘違いさせないでくださいね」
「雷ができるまでの歌だって、最初に語るニャ」
前置きまで、すでに決めている。
レイニャは、今度はハープがあるつもりで指を動かした。
雷を覚えるために作った歌が、自分だけのためではなくなっている。
聞いた子どもは、雷が鳴った時、雲の中で何が起きているのかを思い出せる。
文字が読めなくても、次の子へ歌えるかもしれない。
レイニャが旅を続ければ、その歌も一緒に次の町へ行く。
「これ、仕事になるニャ」
「吟遊詩人の?」
「そうニャ」
レイニャは、少し考えてから首を横に振った。
「歌うだけじゃないニャ」
「知らないことを教えてもらって、あたしが分かる歌にするニャ」
「それを、次の町で歌うニャ」
酒場で客を楽しませたり、旅先で起きた出来事を伝えたりするだけではない。
役に立つ知識まで、自分の声で次の町へ持ち運べる。
それは、文字に頼らず知識を届けながら旅を続けられる、レイニャによく似合う仕事だった。
「次は何を歌にするんですか?」
理央が聞く。
レイニャは、新セルマ工房で見た光景を思い出した。
「薬草を量る歌が、まだ途中ニャ」
「昨日から作ってた歌ですね」
「雷の歌も仕上げるニャ」
「忙しくなりましたね」
「押入商会へ来ると、歌が増えるニャ」
レイニャはもう一度、雷の最初の節を口ずさんだ。
「知らないことを覚えると、歌が増えるニャ」
今度の節には、水の子と氷の子がぶつかり、片側へ寄った電気が道を見つけて走るところまで、きちんと入っていた。