押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第376話 一回しか歌ってないニャ

 

 レイニャは、孤児院へ向かう間、ずっと指先で拍子を取っていた。

 

 歩く速さとは少しずれた拍子で、猫耳の先まで小さく動いている。

 

 昨日より柔らかくなった朝の風が、湿った土と若草の匂いを運んでいた。

 

 道の両側では店の戸板が外され、屋根の向こうからは朝食を作る薪の煙が細く上がっている。

 

 前を歩くレイニャの背中に、いつものハープはない。

 

 旅鞄も毛布も、まとめて《収納》に入っている。

 

 後ろから見ていると、つい数日前まで大きな荷物を背負っていた人物とは思えない。

 

 レイニャが急に立ち止まった。

 

「ここ、長いニャ」

 

「どこですか?」

 

 澪が尋ねると、レイニャは小声で同じ節を二度歌った。

 

 二度目は言葉が一つ減り、最後の音が少し伸びた。

 

「雲の中の水と氷が動くところニャ」

 

「朝からずっと直してたんですか?」

 

 理央に聞かれ、レイニャの耳がぴくりと傾いた。

 

「朝からじゃないニャ」

 

「じゃあ、いつからです?」

 

「目が覚める少し前からニャ」

 

「寝てる時からじゃないですか」

 

「夢の中は朝に入らないニャ」

 

 理央は澪を見た。

 

 澪にも、夢の中の時間をどう数えるべきかは分からない。

 

「昨日より、ちゃんと雷になったニャ」

 

「昨日も雷の歌でしたよ」

 

「昨日は途中だったニャ」

 

「雷に完成と未完成があるんですね」

 

「歌にはあるニャ」

 

 レイニャは即答し、また歩き出した。

 

 昨日の雷の訓練が終わってからも、言葉の順番を入れ替え続けたらしい。

 

 最初に雲の中で水と氷が動き、見えない電気が偏って集まると続ける。

 

 空気の中に通れる道ができて一気に走るところへ運び、最後は光が先に届き、音があとから追いかけてくる。

 

 大事な順番は変えず、長い言葉だけを歌いやすい形へ直していた。

 

 どうしても節へ入らない言葉は、歌う前の《語り》へ回すという。

 

 《雷》を2まで上げたことより、その順番を歌へ収められたことの方が、今のレイニャには重要なようだった。

 

 孤児院が近づくと、庭から子どもたちの声が聞こえてきた。

 

 洗った食器が触れ合う音に、水を入れた桶が石へ当たる音が重なる。

 

 門の前でレイニャはもう一度、最後まで小声で歌った。

 

 それから《収納》へ手を伸ばす。

 

 淡い靄が両腕へ集まり、古い小型ハープが現れた。

 

「それじゃ、聞いてもらうニャ」

 

 

 

 ハープを抱えたレイニャが庭へ入ると、子どもたちがすぐに寄ってきた。

 

「今日も歌うの?」

 

「歌うニャ」

 

「子守歌?」

 

「朝から眠らせる気かニャ」

 

 小さな笑い声が広がった。

 

 子どもたちはレイニャが孤児院で過ごした最初の夜にも、すでに何曲か歌を聞いている。

 

 猫耳とハープは、もう珍しいだけのものではなかった。

 

 木製の長椅子を使うようシスターに言われ、年上の子たちが小さな子を前へ座らせる。

 

 澪と理央は、子どもたちの後ろに立った。

 

 レイニャはすぐに弦へ触れず、集まった顔を一人ずつ見た。

 

「今から歌うのは、雷がどうして鳴るのかの歌ニャ」

 

「雷を出す歌じゃないニャ」

 

「歌っても、指からバリバリってならないニャ」

 

 子どもの一人が、自分の指先をじっと見た。

 

「ならないの?」

 

「ならないニャ」

 

「ちょっとだけも?」

 

「ちょっとだけも出ないニャ」

 

「じゃあ、聞いても大丈夫だ」

 

「歌は大丈夫ニャ」

 

「本物の雷が鳴ったら、建物の中へ入るニャ」

 

 澪は、口を挟む必要がなかった。

 

 昨日は何度も説明したことが、もうレイニャ自身の言葉になっている。

 

 レイニャは納得したらしい子どもたちを見回し、最初の弦を爪弾いた。

 

 明るすぎず、怯えさせるほど重くもない調べが、朝の庭へ流れ出す。

 

 風に揺れる洗濯物の下で、子どもたちが耳を傾けた。

 

 レイニャは、雲を見上げる旅人の《語り》から始めた。

 

 空を覆った雲の中では、目に見えないほど小さな水と氷が動いている。

 

 その語りが終わると、ハープの拍子が少し軽くなった。

 

 雷の歌は、水と氷が雲の中を行き交うところから始まった。

 

 動き、触れ合ううちに、見えない電気が別々の場所へ集まっていく。

 

 どちらかがいっぱいになり、空気の中へ道ができる。

 

 そして、止まっていたものが一気に走る。

 

 そこまで歌うと、レイニャは次の節に入る前に、右手を空へ上げた。

 

「ぴかっ」

 

 子どもたちの視線が、その手を追う。

 

 レイニャは一拍遅れて、左手で弦の端から端までを強く撫でた。

 

 低い音が、ゴロゴロと庭に広がる。

 

「ごろごろ」

 

 前の子が、すぐに真似をした。

 

 レイニャは笑いながら、もう一度右手を上げた。

 

「先に空が光るニャ」

 

 今度は子どもたちの声が重なった。

 

「先に空が光る!」

 

 レイニャが低い弦を鳴らす。

 

「あとから音が追いかけるニャ」

 

「あとから音!」

 

 二回目の繰り返しでは、声を重ねた子が三人に増えた。

 

 三回目には、後ろに座っていた年上の子まで、小さく口ずさんでいた。

 

 レイニャは子どもたちが声を上げるたび、弦を鳴らす手を少し緩めた。

 

 自分の声で覆わず、覚えた言葉が聞こえるようにしている。

 

 澪は歌詞より、子どもたちの顔を見ていた。

 

 雲や電気という言葉が出てくるたび、難しそうに眉を寄せる子もいる。

 

 レイニャはその顔を見つけると、次の繰り返しを少しゆっくり歌った。

 

 やがて最後の低い音が消え、庭に食器を洗う音が戻ってきた。

 

 しかし、子どもたちの一人は、まだ小さく歌っている。

 

「先に光って、あとから音」

 

 隣の子が、その続きを口ずさんだ。

 

「その前に、雲の中で集まる」

 

 レイニャの耳が、少しずつ前へ向いていく。

 

 自分が歌っていないのに、歌が目の前で続いていた。

 

「ねえ、雷って、光った時に急にできるんでしたっけ?」

 

 澪が聞くと、子どもたちの顔が一斉にこちらへ向いた。

 

「違うよ」

 

「その前に雲の中で電気が集まる」

 

「水と氷も動く!」

 

「そうでした」

 

 澪は二問目を理央へ譲った。

 

「じゃあ、光と音はどっちが先ですか?」

 

「光!」

 

「おとがあと!」

 

 今度は迷う子がいなかった。

 

「この歌を全部覚えたら、雷を出せる?」

 

 別の子が尋ねた。

 

「出ないニャ」

 

「でも、レイニャは出せるんでしょ?」

 

「あたしの《雷》と、この歌は別ものニャ」

 

「じゃあ、これは何の歌?」

 

「雷ができるまでを知る歌ニャ」

 

「雷を出す歌じゃないニャ」

 

 レイニャは自分の指先を見せたが、そこへ電気をともすことはしなかった。

 

 澪は口を挟まず、その返事を聞いていた。

 

 レイニャがハープを抱いたまま、子どもたちへ身を乗り出す。

 

「ほんとに覚えてるニャ!」

 

「歌ってたもん」

 

「もう一回歌う!」

 

「次はあたしが歌う」

 

「わたしも!」

 

 子どもたちが一度に言い始めた。

 

 レイニャは、誰がどこを歌うかをその場で決め、今度は子どもたちの声を中心にハープを鳴らした。

 

 先ほどより節は揺れ、言葉も少し間違った。

 

 それでも、原因と結果の順番だけは崩れなかった。

 

 一曲が終わるころには、庭の反対側で洗濯物を干していた年上の子まで一緒に歌っていた。

 

「雷の歌、姉ちゃんにも歌っていい?」

 

「いいニャ」

 

「聞いた人がまた歌ったら、歌は旅をするニャ」

 

 レイニャはそう言ってから、自分がずっとそれをしてきたことに気づいたように笑った。

 

 どこかで覚えた歌を次の町へ運ぶ。

 

 今度は、旅の出来事だけでなく、知ったことも運び始めていた。

 

 

 

 午後、レイニャは澪と一緒に新セルマ工房を訪れた。

 

 地上階の作業区画に入ると、乾いた薬草の匂いが鼻へ届いた。

 

 窓から差す日の光が、並んだ瓶と木皿の縁を明るくしている。

 

 秤皿が触れ合う小さな音に、乳鉢が一定の間隔で底を擦る音が重なっていた。

 

 セルマは、一つの作業台で記録板を確かめていた。

 

 こちらに気づくと、まずレイニャの腕の中にあるハープを見る。

 

「できたの?」

 

「できたニャ」

 

「まず私に聞かせるのよ」

 

「約束通りニャ」

 

 セルマは記録板を作業台へ戻し、レイニャの前へ来た。

 

「用量を間違える歌はやめてと言ったけれど、覚えている?」

 

「そこはセルマが確かめるニャ」

 

「自分でも確かめなさい」

 

「確かめるニャ」

 

 返事を聞いたセルマは、作業台の端へ腰を預けた。

 

 弟子たちは手を止めない。

 

 ただし、乾燥した薬草を分ける手も、瓶の口を確かめる目も、普段よりわずかにゆっくりになった。

 

 聞いていないふりをして、みんな聞いている。

 

 レイニャはそれに気づいたのか、少し得意そうに胸を張った。

 

「この歌は、薬の作り方を教える歌じゃないニャ」

 

 レイニャが最初の音を鳴らした。

 

 歌は、土から芽を出す薬草から始まった。

 

 光と水を得て育った葉が採られ、人の手で一枚ずつ選ばれていく。

 

 悪い部分を外し、種類を混ぜず、それぞれの皿へ分ける。

 

 ここまでは、セルマの表情は変わらない。

 

 レイニャは拍子を一つ上げ、薬草を秤へ運んだ。

 

 秤の上で軽く広がった葉を、昨日見たままに歌う。

 

 木皿の縁から葉があふれそうに見えたその光景を、レイニャは「少し多めに盛る」と歌った。

 

「止めて」

 

 セルマの声と同時に、ハープの音が止まった。

 

 レイニャの指は、次の弦に触れる直前で止まっている。

 

「今、何と歌ったの?」

 

「少し多めに盛る、ニャ」

 

「どうして増えたの」

 

「増やしたんじゃないニャ」

 

 レイニャは、近くの木皿へ指を向けた。

 

「乾いた葉はふわっとして、多く見えたニャ」

 

「それは見た目の話でしょう」

 

「そうニャ」

 

「歌だけ聞いた人に、その皿は見えないのよ」

 

 レイニャの耳が少し開いた。

 

 見た光景を歌にしたつもりだった。

 

 しかし、「少し多めに盛る」だけが歌に残れば、決められた量より増やせという意味に聞こえる。

 

「こっちの方が歌いやすかったニャ」

 

「薬を歌いやすくしないで」

 

「言い方を変えただけニャ」

 

「意味も変わっているの」

 

 セルマは音量を上げなかった。

 

 それでも、それ以上反論できない響きがあった。

 

 レイニャがハープを持ち直したとき、少し離れた作業台から、細い声が聞こえた。

 

「少し多めに、盛る……」

 

 年若い弟子が、薬草を分けながら、さっきの節を口ずさんでいた。

 

 本人は、レイニャたちがこちらを見ていることに、まだ気づいていない。

 

 レイニャの耳が、その声へ向いた。

 

 耳先も、尻尾も、ぴたりと動かなくなった。

 

 朝の孤児院でも、同じことが起きた。

 

 子どもたちが、一度聞いた雷の節を口ずさんだ。

 

 あの時は、胸が温かくなるほど嬉しかった。

 

 今は、同じことが、レイニャの胸の中へ冷たく落ちた。

 

「……一回しか歌ってないニャ」

 

「だから怖いのよ」

 

 セルマの声は静かだった。

 

 年若い弟子がようやく視線に気づき、手を止めた。

 

「私、何か間違えましたか?」

 

「今の歌は忘れてほしいニャ」

 

「もう覚えてしまいました」

 

 レイニャの耳が、さらに外側へ開いた。

 

「思い出さないようにするニャ」

 

「そう言われると、余計に頭の中で流れます」

 

「どうするニャ……」

 

「正しい方で覚え直すの」

 

 セルマは、弟子が使っていた秤の皿を見た。

 

「今の作業は止めなさい」

 

「はい」

 

「記録板と秤を見ながら、最初からやり直して」

 

「分かりました」

 

 実際に間違った量で次の工程へ回したわけではない。

 

 それでも、一度頭へ入った間違いは、作業の手元から外さなければならない。

 

 年若い弟子は皿の葉を元の容器へ戻し、記録板を自分の正面へ置き直した。

 

 その横で、レイニャはしばらくハープを抱いたまま動かなかった。

 

 目の前の作業台には、秤と記録板が並んでいた。

 

 セルマは数値を追い、弟子は一皿ずつ量ったあとに記録まで確かめている。

 

 薬は、歌の節だけで作られているわけではない。

 

 レイニャはハープを持ったまま、セルマのところまで歩いた。

 

「量のことを歌から外すニャ」

 

「それがいいわ」

 

「薬師が秤で確かめるって歌にするニャ」

 

「それなら聞いてあげる」

 

「最後まで聞いてほしいニャ」

 

「正しいならね」

 

 レイニャは作業台の端へ腰を下ろし、自分の帳面を《収納》から出した。

 

 帳面に書かれていた言葉を一本の線で消す。

 

 その下へ、「量は薬師が秤で確かめる」という意味の言葉を書いた。

 

 口の中で読むと、元の言葉より拍が一つ多い。

 

 レイニャは弦を一音鳴らし、言葉の切れ目を変えた。

 

 二回口ずさみ、また一音鳴らす。

 

 今度は収まった。

 

「最初からやるニャ」

 

 レイニャは工房を見回し、弟子たちが再び手を動かし始めたのを待ってから、ハープへ指を置いた。

 

 二度目の歌では、薬草の葉が皿の上でふわりと広がるところまでは変わらなかった。

 

 しかし、その量を歌が決めることはない。

 

 量は薬師が秤で確かめ、記録を残し、次の人へ渡す。

 

 そして次の人も、渡されたものをもう一度確かめる。

 

 一つの手が見逃しても、次の手が拾う。

 

 昨日レイニャが見た工房の姿は、今度こそ正しく歌の中へ入った。

 

 年若い弟子が、今度は正しい節を小さく口ずさんでいる。

 

 レイニャは歌いながらその声を聞き、ほんの少しだけ速さを緩めた。

 

 正しい言葉が、弟子の声にはっきり残るように。

 

 歌が終わると、セルマはすぐに口を開かなかった。

 

 作業台の上の記録板を見て、年若い弟子が秤を見ていることを確かめる。

 

 それからレイニャへ顔を向けた。

 

「今度は大丈夫よ」

 

「歌いやすいニャ」

 

「正しくて歌いやすいなら、文句はないわ」

 

 レイニャの耳が、ようやくいつもの向きへ戻った。

 

「正しい方も、もう覚えました」

 

 弟子が言う。

 

「間違った方は忘れたニャ?」

 

「正しい方と一緒に残ってます」

 

「消えてないニャ……」

 

「作業中には正しい方を使います」

 

「それでいいのよ」

 

 セルマに言われ、弟子は今度こそ作業へ戻った。

 

 レイニャは、少し不満そうに尻尾を一度だけ振った。

 

「間違った歌って、消すの難しいニャ」

 

「だから、外で歌う前に持ってきなさい」

 

「次からそうするニャ」

 

「次があるのね」

 

「見たものは歌になるニャ」

 

 セルマは息を吐いた。

 

 もっとも、本当に嫌なら、最初から聞いてあげるとは言わなかっただろう。

 

 

 

 夕方、一日の仕事が終わりに近づいた押入商会侯爵領事業所には、紙をめくる音が続いていた。

 

 真壁は机の端で書類を確かめ、理央は検品表の数を追っている。

 

 澪は、工房で起きたことを最後まで話した。

 

「一回で覚えたのなら、伝達手段としては優秀だ」

 

「そこを褒めるんですか?」

 

 理央が顔を上げる。

 

「間違いまで伝わる点が問題なのだろう」

 

「そうですけど」

 

「歌自体に問題があるわけではない」

 

 真壁は書類から目を上げ、帳面に向かっているレイニャを見た。

 

 レイニャは反省を言葉にせず、雷の歌と薬草の歌を開いていた。

 

 雷の頁の端には澪の名が書き足され、薬草の頁にはセルマの名があった。

 

「とても良い方法とは言えませんね」

 

 澪が言うと、レイニャは帳面から顔を上げた。

 

「あたしは読むけど、旅で会う人がみんな文字を読めるわけじゃないニャ」

 

「分かっています」

 

「覚えやすいのは、すごく良いと思います」

 

「でも、間違ったら同じくらい覚えやすいニャ」

 

 そこまでは、レイニャ自身も理解していた。

 

「専門の者から聞いた話なら、歌う前にその本人へ一度聞かせればよい」

 

「今日のセルマみたいにニャ?」

 

「そうだ」

 

「聞いたのと、自分で分かったのと、詳しい人に確かめたのを、分けるニャ」

 

「それが良いだろう」

 

 レイニャは、聞いた話へ耳の形を添え、自分の目で確かめた話の旁には目の形を描いた。

 

 詳しい者に聞かせた歌の末尾には丸い印を一つ置き、一人旅の間にも区別できるようにした。

 

「全部、押入商会へ持ってこなくていいですからね」

 

「レヴァニアからじゃ遠すぎるニャ」

 

「そこは安心しました」

 

「雷の歌は、澪に何度も直されたから大丈夫ニャ」

 

「何度もって言わなくていいです」

 

「それだけ確かめたということだろう」

 

 真壁に言われ、澪は否定しきれなかった。

 

 レイニャは満足そうに帳面を閉じた。

 

 淡い靄が帳面とハープへまとわり、二つとも腕の中から消える。

 

 もう旅鞄の奥へ無理に押し込む必要はなかった。

 

 

 

 事業所を出ると、昼より冷たくなった風が通りを抜けていた。

 

 屋根の間から見える空は、夕日の赤から薄い紫へ変わり始めている。

 

 来週には、レイニャはこの空を飛行船で渡り、レヴァニアへ向かう。

 

「次は何を歌にするんですか?」

 

 理央が尋ねた。

 

 昨日までのレイニャなら、すぐに答えていただろう。

 

 しかし、今日は猫耳が一度だけ前へ動き、短い間が空いた。

 

「知らないことを覚えると、歌が増えるニャ」

 

 昨日と同じ言葉だった。

 

 レイニャは自分の胸元を一度軽く叩く。

 

「でも、歌にしていいところは、ちゃんと確かめるニャ」

 

 澪は何も足さなかった。

 

 レイニャは歩きながら、直したばかりの薬草の節を小さく口ずさんだ。

 

 間違えた言葉は、もうその歌に入っていない。

 

 来週、レイニャは今日の歌を《収納》へ入れ、空の向こうへ運んでいく。

 

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