押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第38話 光る棚の初収穫

 

 朝のセルマ工房は、いつもなら薬草の乾いた匂いと、炭火の残り香で始まる。

 

 けれどその日は、工房の奥に吊られたカーテンの下から、淡い白い光が細くこぼれていた。石床の上に、まっすぐで揺れない線が落ちている。火の灯りなら、空気の動きで影が少し揺れる。けれど、その光は棚の奥から静かに漏れたまま、床の同じところを照らしていた。

 

 澪は押し入れを抜けて工房へ入り、記録帳を抱え直した。

 

 六畳間から光る棚を追い出したはずなのに、今度は毎朝、セルマ工房へ棚の確認に来ることになっている。

 

 寝る場所は取り戻した。

 

 だが、仕事は増えた。

 

 澪はカーテンを少し開けた。中には、小さな水耕容器があり、スポンジ培地に挿した治癒草の小株が、揺れない灯りを浴びていた。昨日より、葉が少し起きている。根元はまだ頼りないが、萎れてはいない。

 

 水面には、白い光が薄く映っていた。

 

「よし……生きてる」

 

 澪は小さく呟き、鑑定をかけた。

 

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治癒草水耕試験苗

 栽培日数:1日

 状態:定着中

 根:短い

 葉:やや張りあり

 光量:適正

 養液濃度:薄めで安定

 推奨:照射時間 8時間維持

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 澪は記録帳を開き、日付の横に書き込んだ。

 

 照射時間8時間。養液薄め。葉やや張りあり。根、短い。

 

 書いたところで、ふと手が止まった。

 

 工房の調合作業台の近くに、セルマがいた。

 

 しかも、澪より先に起きて、光る棚のそばで小瓶を透かしている。

 

「セルマさん、もう使ってますね」

 

 澪が言うと、セルマは小瓶から目を離さずに答えた。

 

「この灯り、朝でも手元が見やすいわ」

 

「薬草用の棚です」

 

「薬草も見えるし、小瓶も見えるわ」

 

 セルマは当然のように言った。

 

 澪は、記録帳を持ったままカーテンと調合作業台を見比べた。

 

 設備が、もう工房側に取り込まれている。

 

 昨日作ったばかりなのに。

 

「……工房設備として乗っ取られるの、早くないですか」

 

「便利なものは、早く使った方がいいわ」

 

 セルマは悪びれず、小瓶の中の澄みポーションを光に透かした。

 

 揺れない灯りが、瓶の底のわずかな濁りまで見せていた。

 

 澪は、記録帳の余白に小さく書いた。

 

 セルマさん、朝から使用中。

 

 これは、栽培記録なのか、工房設備記録なのか。

 

 もう少しで欄を分けたくなった。

 

 

 

 

 

 3日目になると、澪の記録帳には、すでに線が増えていた。

 

 照射時間。養液の濃さ。水替え。葉の張り。根の色。セルマが夜に使ったかどうか。

 

 最後の項目は不要だと思うのだが、毎回使っているので書かないと実態に合わない。

 

 澪は工房の床に膝をつき、水耕容器を少しだけ引き出した。スポンジ培地の下を覗く。透明な容器の端に、白く細いものが見えた。

 

「根が出てる」

 

 思わず声が出た。

 

 セルマが隣にしゃがむ。彼女は指を伸ばしかけて、途中で止めた。薬草を見る時の慎重さが、自然に手を止めたのだろう。顔を近づけ、目だけで白い根を見る。

 

「土がないのに、根が迷っていないのね」

 

「スポンジで支えて、水と養液で育てます。たぶん」

 

「たぶんで薬草を育てるのね」

 

「鑑定があるので、たぶんよりは強いです」

 

 言いながら、澪は自分でも少し苦しいと思った。

 

 たぶんよりは強い。

 

 しかし確定ではない。

 

 鑑定をかける。

 

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治癒草水耕試験苗

 栽培日数:3日

 根:白く伸長開始

 葉:張り良好

 葉脈透明汁:微増

 光量:適正

 養液濃度:やや薄い

 推奨:養液を少量交換

----------------------------------

 

「養液を少量交換……」

 

 澪は作業台の端に置いた現代の小さな計量カップを取った。水を入れ、液体肥料を薄く溶かす。説明書の量より、さらに少ない。濃くすれば早く育つ気がするが、前回、活力剤でやりすぎかけた記憶がある。

 

 濃くしない。

 

 欲張らない。

 

 記録する。

 

 それが今回の作戦である。

 

 澪が小さな容器へ養液を移していると、入口の方からリュシアが顔を出した。

 

「また帳面が増えてる」

 

 最初の一言がそれだった。

 

 澪は記録帳を胸の前に引き寄せた。

 

「植物工場部の栽培記録です」

 

「部が増えると帳面も増えるんだね」

 

「増やしたくて増やしてるわけじゃないです」

 

「でも増えてる」

 

「それはそうですけど」

 

 リュシアは工房の奥を覗き込んだ。カーテンの内側で治癒草が灯りを浴びている。水面の光を見て、少し目を細めた。

 

「根が出たなら、第一歩だね」

 

「商売っぽい言い方をすると、そうですね」

 

「商売だからね」

 

 澪は何も言えず、薄い養液をそっと容器へ戻した。

 

 記録帳の端に、また1行増えた。

 

 3日目、根白い。リュシアさん、帳面を発見。

 

 余計な記録が増えていく。

 

 

 

 

 

 5日目の朝、カーテンを開けた瞬間、澪は小さく息を呑んだ。

 

 治癒草の葉が、一回り大きくなっていた。

 

 土で育てた鉢植えの葉より、少し柔らかそうに見える。色も明るい。葉脈の周りの透明な筋が、揺れない灯りを受けて見えやすくなっている。

 

 セルマもすぐに気づいた。

 

 彼女は葉を摘まず、まず見る。外側の葉、中心の芽、葉の縁、葉脈の筋。小瓶を見る時と同じ目で、治癒草の状態を確かめていく。

 

 澪は鑑定した。

 

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治癒草水耕試験苗

 栽培日数:5日

 根:白く伸長

 葉:張り良好

 葉脈透明汁:増加傾向

 光量:適正

 養液濃度:やや薄いが安定

 推奨:養液交換、照射時間10時間へ延長

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「照射時間10時間へ延長……また記録することが増えた」

 

 澪は記録帳を開いたまま、肩を落とした。

 

 セルマは光る棚を見た。

 

「灯りをつける時間を長くするの?」

 

「はい。今までより少し長くします」

 

「夜の作業にも少し助かるわね」

 

「やっぱりそっちに使うんですね」

 

 セルマは否定しなかった。

 

 むしろ、小瓶を一つ手に取って、カーテンの隙間から漏れる光へ近づけた。瓶の中の液体が揺れずに見える。火の灯りと違って、影が跳ねない。

 

 澪は、植物を育てるための棚が、錬金術師の夜間作業環境まで整えていることを改めて思い知った。

 

 便利にすると、使われる。

 

 使われると、仕事が増える。

 

 押入商会の法則にしてもいいかもしれない。

 

 その日の記録帳には、照射時間10時間へ延長、と書いた。

 

 その横に、セルマさん少し嬉しそう、と小さく付け足した。

 

 

 

 

 

 追加の小株を棚に移す作業は、澪が思ったより細かかった。

 

 鉢植えの治癒草から、脇芽を分ける。小さなハサミの刃を拭く。切る場所を何度も見直す。中心の芽は残す。外に出た小さな芽を選ぶ。

 

 スポンジ培地に挟む時も、根元を潰さないように指先を緩める。

 

 1つ。

 

 2つ。

 

 3つ。

 

 棚の穴が少しずつ埋まっていく。

 

 リュシアは横から穴の数を数えていた。セルマは葉の向きと間隔を見ている。澪は、空いている穴を見るとつい埋めたくなるが、前に過密警告という言葉を見た記憶がある。

 

 嫌な予感がして、棚全体へ鑑定をかけた。

 

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治癒草水耕棚

 栽培方式:簡易水耕

 光源:揺れない灯り

 棚数:1

 推奨株数:6株

 上限株数:8株

 過密警告:12株以上

 注意:葉の重なり、根の絡み、薬効低下

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「推奨6株……」

 

 澪は棚を見た。

 

 穴はもっとある。

 

 しかし、薬草にとってちょうど良い数は別らしい。

 

 リュシアはすぐに言った。

 

「6株が何度も葉を出すなら、商売では十分だよ」

 

「何度も、ってところが大事ですね」

 

「一度きりなら畑と同じだろ」

 

 澪は治癒草の外側の葉を見た。

 

 紫蘇のように摘めるなら、確かに何度も採れる。外の大きい葉を摘んで、中心を残す。そうすれば、また次が出る。

 

 その話をきちんとするのは、収穫の時でいい。

 

 今は、6株をきれいに並べる。

 

 澪は余った穴に手を伸ばしかけ、ぐっと止めた。

 

 増やすより、まず育てる。

 

 記録帳にそう書いた。

 

 自分用の戒めである。

 

 

 

 

 

 初収穫の朝、澪はカーテンを開けて、しばらく動けなかった。

 

 6株の治癒草は、棚の中で思ったよりしっかり育っていた。外側の葉は大きくなり、中心には小さな新芽が残っている。葉脈の透明な筋は、揺れない灯りを受けて細く光っていた。

 

 澪は数え始めた。

 

「1、2、3……あれ、これは若葉? これは傷み葉?」

 

 途中で分からなくなった。

 

 リュシアが横から覗き込み、あっさり言う。

 

「澪、葉を数える顔じゃなくて、帳面に負けてる顔だね」

 

「葉っぱが思ったより多いんです」

 

 セルマは枚数ではなく、葉の状態を見ていた。外側の葉を一枚持ち上げ、中心芽には触れない。水で育てた葉は、土の葉よりやわらかそうにしなる。

 

 澪は棚全体を鑑定した。

 

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治癒草水耕棚

 栽培方式:簡易水耕

 栽培株数:6株

 総葉数:58枚

 成熟葉:31枚

 若葉:21枚

 傷み葉:6枚

 採取推奨:外側の成熟葉

 初回採取可能:合計14〜18枚

 再生葉:3〜5日で展開開始

 次回採取目安:7〜10日後

 注意:中心芽を傷つけると株の回復が遅れる

----------------------------------

 

「58枚あるのに、採っていいのは18枚まで……」

 

 澪は肩を落とした。

 

 セルマは当然のように言った。

 

「薬草は枚数ではなく、採る葉を選ぶものよ」

 

 澪は外側の大きな葉を指で示した。中心にある小さな芽には触らない。

 

「紫蘇みたいですね」

 

「シソ?」

 

「葉っぱを全部刈るんじゃなくて、外側の大きい葉だけ摘むんです。真ん中の新しい葉は残します。そうすると、また次の葉が出るんです」

 

 セルマは中心芽を見た。

 

「それなら分かるわ。薬草も、成長する場所を残せば何度か採れる」

 

 リュシアがすぐに言った。

 

「つまり、一度植えたら何回か売れる葉が出るんだね」

 

「言い方が商売です」

 

「商売の草だろ」

 

 澪は否定できなかった。

 

 たしかに、これはもう商売の草だった。

 

 

 

 

 

 澪は小さなハサミを持ち、外側の成熟葉へ指を添えた。

 

 葉は柔らかかった。土で育った治癒草より、少し水を含んでいるような手触りがある。葉柄の根元を見つけ、中心芽を傷つけない角度で切る。摘んだ葉は小皿へ置いた。

 

 1枚。

 

 2枚。

 

 葉脈の透明な汁が、切り口近くで少し光る。

 

 青臭さも少し立った。

 

 セルマは摘んだ葉を鼻先へ近づけた。ただし近づけすぎない。匂いを浴びるのではなく、拾うように確かめる。

 

「土の葉より柔らかいわ。香りも早く出る」

 

 リュシアは枚数を数えている。

 

「12枚。13枚。14枚」

 

 澪はそこで手を止めた。

 

「14枚で止めます?」

 

「もう少し取れるだろ」

 

 リュシアが棚を見た。

 

 セルマは中心芽を見て、外側の葉を確認した。

 

「最初は欲張らない方がいいわ。株が次を出す力を見るの。今回は16枚まで」

 

「16枚か」

 

 リュシアは少しだけ考える顔をした。

 

「少ないですか」

 

 澪が聞くと、リュシアはすぐに返した。

 

「昨日まで0枚だったんだよ」

 

「そう言われると、急に多く感じます」

 

 澪は15枚目と16枚目を摘んだ。

 

 中心には新芽が残っている。

 

 外葉を取られた治癒草は、少しすっきりしたように見えた。紫蘇を摘んだ後の鉢を見た時と似ている。まだ終わりではなく、次に伸びる準備を残した姿だった。

 

 

 

 

 

 収穫した葉を小皿に並べると、16枚でもそれなりの量に見えた。

 

 澪は皿の上へ鑑定をかける。

 

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水耕治癒草

 状態:採取直後

 葉質:柔らかい

 葉脈透明汁:多い

 主薬効:通常株比 141%

 エグミ:低

 青臭さ:やや高い

 抽出推奨法:蒸気浸透抽出

 推奨蒸気温度:43〜47℃

 推奨通過時間:9分

 注意:通常株より蒸気量を弱める

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「9分……」

 

 澪は表示を見て声を漏らした。

 

 通常株は14分。高薬効鉢植えは11分。水で育てた株は9分。

 

 短くなっている。

 

 セルマは現代の数字そのものは読めないが、澪の声と説明で、時間が短いことを理解した。

 

「柔らかい葉は扱いやすい。でも、崩れやすい」

 

 セルマは葉を一枚持ち上げ、光に透かした。

 

「薬効は早く来る。青臭さも早く来る。だから短く、弱く」

 

 澪は頷いた。

 

 鑑定だけではない。

 

 セルマは葉の柔らかさ、香りの立ち方、透明な汁の太さを見て、同じ結論へ近づいている。

 

 錬金術師だ。

 

 澪は、あらためてそう思った。

 

 

 

 

 

 セルマ工房の作業台に、清め水、冷却瓶、摘んだ水耕治癒草を並べる。

 

 澪は収納内工程を使う準備をした。今回は温度を低めにする。時間も短め。蒸気は弱め。前回の一番雫より、さらに慎重に葉を通す。

 

----------------------------------

工程登録

 水耕治癒草蒸気浸透抽出

 蒸気源:清め水

 通過層:水耕治癒草

 回収先:冷却瓶

 目標:薬効成分のみを蒸気へ移す

 除外:エグミ、苦味、青臭さ

 必要蒸気温度:43〜47℃

 必要通過時間:9分

 開始します

----------------------------------

 

 澪は息を整えた。

 

 蒸気を通す。

 

 葉にぶつけるのではなく、葉脈の透明な汁の近くを通す。柔らかい葉を荒らさない。急がない。けれど時間は短い。

 

 5分で鑑定が変わった。

 

----------------------------------

蒸気浸透抽出中

 経過時間:05分

 薬効移行:61%

 青臭さ移行:微量

 推奨:蒸気量を弱める

----------------------------------

 

「青臭さ、出かけてます」

 

 澪の声が少し上ずった。

 

 セルマは皿に残った葉を見た。

 

「葉が柔らかい。撫でるくらいでいいわ」

 

「蒸すんじゃなくて、撫でる……」

 

 澪は収納内の蒸気の流れを細くした。水蒸気を強く通すのではなく、葉脈に触れて、すぐ離れるように意識する。

 

 撫でる。

 

 澪はその言葉を頭の中で繰り返した。

 

----------------------------------

蒸気浸透抽出中

 経過時間:09分

 薬効移行:95%

 エグミ移行:0%

 苦味移行:0%

 青臭さ移行:低

 冷却雫:回収可能

 推奨:回収

----------------------------------

 

「回収します」

 

 澪は冷却瓶を取り出した。

 

 瓶の底に溜まった雫は、透明だった。ただ、前回の一番雫より軽く見える。強く光るというより、水の中に柔らかくほどけたような澄み方をしていた。

 

 澪は鑑定する。

 

----------------------------------

水耕治癒草薬効露

 分類:抽出露

 主薬効:切り傷修復

 製法:蒸気浸透抽出

 薬効濃度:高

 透明度:高

 エグミ:なし

 苦味:なし

 青臭さ:低

 葉質由来:柔らかい薬効移行

 推奨:月塩による軽い安定化

----------------------------------

 

 セルマは月塩の瓶を取った。

 

 前回より、匙に乗せる量が少ない。蜜晶もごく微量だった。澪は鑑定で変化を見ながら、セルマの手元を追う。

 

 雫の揺れが静まり、透明なまま落ち着いた。

 

「これは強いというより、軽いわね」

 

 セルマが言った。

 

「軽い薬?」

 

「水の中に、葉が無理なくほどけた感じがする」

 

 澪には少し分かるようで、やっぱり分からなかった。

 

 だが、セルマは確かに違いを見ている。

 

 リュシアが小瓶を覗き込んだ。

 

「光雫、ってところかね」

 

「また名前が出た」

 

「名前がないと売れないよ」

 

 セルマは小瓶を手にしたまま首を振った。

 

「まだ試作品よ」

 

「試作品にも名前はいるよ」

 

 リュシアは平然と言う。

 

 澪は、光雫、と記録帳の端に小さく書いた。

 

 正式名ではない。

 

 候補。

 

 候補のはずだった。

 

 リュシアが見つけた名前は、だいたいそのまま残る。

 

 嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 試作が終わると、リュシアは水耕棚を見に行った。

 

 6株。

 

 初回16枚。

 

 7日から10日で次回。

 

 そして薬効露が取れた。

 

 リュシアの目が、商売の目になっていくのを、澪は横から見ていた。

 

「これ、棚がもう1ついるね」

 

「棚を分ける前に、棚を増やす話をしないでください」

 

「土の草、鉢の草、水の草。分けて作れば、品も分けられる」

 

 リュシアはもう、3種類の草を別商品として見ている。

 

 セルマも否定しなかった。

 

「棚が増えれば、灯りも必要になるわね」

 

「セルマさんまで」

 

 澪はポータブル電源の方を見た。

 

 小さな光る小窓には、澪にだけ読める数字が出ている。思ったより減っていた。照射時間を伸ばし、夜の調合にも少し使った。そりゃ減る。減って当然だ。

 

 当然なのだが、減り方を見ると心に来る。

 

「この箱、もうけっこう減ってます」

 

 澪が言うと、セルマは光る小窓を覗いた。

 

「光を出すと、箱の中の力も減るのね」

 

「はい。棚を増やすと、箱も足りません」

 

 リュシアがすぐに言った。

 

「じゃあ、箱も増やすのかい」

 

「言わないでください」

 

 反射で返した。

 

 でも、言われなくても分かっている。

 

 棚を増やすなら、灯りがいる。

 

 灯りを増やすなら、箱の力がいる。

 

 箱の力を増やすなら、屋根のシートも増えるかもしれない。

 

 澪は頭の中で、セルマ工房の屋根に発電シートがもう1枚貼られる光景を想像した。

 

 とても嫌なほど、あり得た。

 

 

 

 

 

 カーテンの内側では、外葉を摘まれた治癒草が中心芽を残して立っていた。

 

 少しだけすっきりしている。

 

 終わった草ではなく、次の葉を出す草の姿だった。

 

 作業台の小瓶には、水耕治癒草薬効露が入っている。セルマは揺れない灯りの下で、それを何度も光に透かして見ていた。リュシアは棚と箱と次の収穫日のことを考えている顔だった。

 

 澪は記録帳を閉じた。

 

 初収穫は成功した。

 

 水耕治癒草から薬効露も取れた。

 

 嬉しい。

 

 嬉しいはずなのに、視界の端には、2台目の棚と2つ目の箱がちらついている。

 

 押入商会植物工場部は、初収穫の喜びより早く、2台目の棚と2つ目の箱の気配を光らせていた。

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