レヴァニア王国の王都にあるルネスタ商館は、朝から金属の音で満ちていた。
倉庫の戸が開け放たれ、奥には鉄材と銅を置く場所が空けられている。
リュシアが手をかざすと、指先の前に靄が広がった。
靄が晴れた床に、鉄材と銅の木箱が並ぶ。
理央も手を伸ばし、今日売る分の高級ポーションを収納から取り出した。
木箱の中で瓶が触れ合い、澄んだ音を立てる。
「この分だけですね」
「ええ。残りは入れたままよ」
港で荷を下ろした時、ナジムたちは積荷帳面と実物を照らし合わせ、飛行船で運んできた品をすべて確かめていた。
その後、王都まで運ぶ貨物はリュシアと理央の収納へ移された。
今日商館へ出すのは、ここで売る分だけだ。
関税担当者は帳面を開き、鉄材の束を見比べていた。
「到着時に全部確認したのに、ここでも数えるんですね」
理央が声を落とす。
「港で確認したのは、運んできた荷全体だ。今日は王都で売る分の数量を確かめる」
ナジムは担当者の指先を追いながら答えた。
「帳面と合わなければ、先へ進められないからな」
「そういうものなんですね」
担当者が鉄材の数を読み上げる。
ナジムは一つずつ帳面に記し、最後に顔を上げた。
「鉄材は一致しています。銅もお願いします」
銅の束が木箱から取り出され、同じように確かめられた。
確認の間、リュシアはルネスタと向かい合っている。
「ポーションは、まずこの本数を店に置いてみたいね」
「はい。実際に使った方の反応を見て、次の便を考えます」
「鉄と銅は工房へ声をかけておこう。待っている親方もいる」
「必要な量がまとまれば、次の輸送に合わせられます」
関税担当者がポーションの箱を開けた。
布に包まれた瓶が一列ずつ並び、光を受けて淡く輝く。
「こちらは、今日店へ出す分です」
リュシアが告げる。
担当者は瓶を数え、ナジムが帳面へ転記した。
最後の一本を確かめ終えると、担当者は蓋を戻した。
「本日の売却分は確認できました」
「ありがとうございます」
ナジムが帳面を閉じる。
ルネスタは、商館の者たちが木箱を棚へ運ぶのを見届けた。
「これで店に並べられる。ようやく客の顔が見られるね」
「運んだ品が、必要な人の手に渡るところまで見届けたいです」
リュシアは最後の箱の位置を直し、袖についた木屑を払った。
「荷の方はひと区切りね」
「商談は続けますが、二人は出ても大丈夫ですよ」
ナジムが帳面を抱えたまま言った。
レイニャは、開いた窓から通りを覗いていた。
荷車の車輪が石畳を鳴らし、店先から聞き慣れない呼び声が上がる。
焼いたパンの甘い匂いに、香辛料の刺激が混じっていた。
「こっちのパン、甘い匂いがするニャ」
「さっきの串焼きも気になります」
「理央は食べることばっかりニャ?」
「レイニャも匂いを追ってますよ」
「これは街の調査ニャ」
レイニャは胸を張ったが、鼻先は窓の外へ向いたままだった。
リュシアが笑う。
「戻る時間だけ守れば、街を見てきていいよ」
「本当にいいんですか?」
「せっかくレヴァニアの王都まで来たんだから。ルネスタとの話は続くし、ナジムも確認をまとめてくれる」
「夕方までに戻るニャ」
「約束ね」
理央はレイニャと顔を見合わせた。
「今日は、レイニャが歌いたくなるものを探すんでしたよね」
「理央が面白いと思うものもニャ」
「両方見つけましょう」
「じゃあ、まずは市場ニャ」
「はい」
市場の通りへ出ると、焼き菓子の甘い匂いが風に乗ってきた。
色鮮やかな布の下で、果物売りが客を呼び止めている。
籠には、理央が名前を知らない赤い実や、拳ほどもある黄色い果実が積まれていた。
レイニャは歩くたびに立ち止まり、売り手の声や、店先で鳴る楽器へ耳を向ける。
理央は値段札を見てから品物を眺め、同じ布でも織り目や色糸の違いを確かめていた。
「この模様、細かいですね」
「こっちの青は、空の色みたいニャ」
「値段は隣のお店の方が少し安いです」
「買うの?」
「まだ決めてません」
「理央は見つけるのが早いニャ」
「レイニャは、音の方を見つけるのが早いです」
レイニャが返事をしようとした時、耳がぴたりと横へ向いた。
人の声と荷車の音に混じって、カン、と短い音がする。
続けて、カン、ガリッ。
「今の、聞こえましたか?」
「鍛冶屋じゃないですか」
理央は通りの先を見た。
この辺りには、金属を扱う店もいくつかある。
「鍛冶屋なら、もっと怒ってる音するニャ」
「怒ってる音?」
「火を使って叩く音は、もっと大きいニャ。今のは、隠れて削ってるみたい」
レイニャは人通りの少ない横道を指した。
市場の喧騒が、曲がり角の向こうで急に遠くなる。
狭い路地の頭上には洗濯物が渡され、壁際に樽と空箱が寄せられていた。
その奥に、古びた倉庫が見える。
「扉が閉まっていますね」
「窓も板でふさいであるニャ」
倉庫の脇には、泥のついた木箱が置かれていた。
周りの箱より新しく、泥もまだ乾ききっていない。
レイニャの耳が、また音を拾う。
今度は倉庫の下から、金属をこするような音がした。
「地下に何かあるのかもしれません」
「見てみるだけニャ」
「近づきすぎないでくださいね」
二人が路地の角から様子をうかがっていると、入口から男がやってきた。
男は大きな布袋を抱え、誰も見ていないか確かめるように辺りを見回す。
理央とレイニャは、軒の陰へ身を寄せた。
男は倉庫の扉には触れなかった。
泥のついた木箱を横へずらすと、その下から鉄板が現れる。
鉄板を持ち上げた男の足元に、地下へ続く階段が口を開けた。
男は袋を抱えたまま降りていき、最後に鉄板が閉じる。
路地に音が戻るまで、二人は動かなかった。
「見たのは、木箱と鉄板と階段です」
理央が息をひそめて言う。
「地下に何人いるかは、まだ聞いただけニャ」
レイニャは帳面を開き、見たことには目の印、聞いた音には耳の印をつけた。
階段の下から、複数の足音が重なる。
カン、カン、と金属を叩く音が、また聞こえ始めた。
それに混じって、低い声が階段を上がってくる。
「二十枚」
「明日の朝までに五十だ」
「型がもう駄目だ」
「表の銀をもう少し増やせ」
「見た目が同じならいい」
「王都の中では使うな」
「荷は明日の西門だ」
理央はレイニャを見た。
「偽銀貨を作っているんでしょうか」
「まだ耳ニャ」
レイニャは「二十枚」と「五十」の横にも耳の印をつけた。
その時、地下の音が止んだ。
階段の上で、誰かが息を呑む気配がした。
「上がってくるニャ」
二人は顔を見合わせ、路地の奥へ走った。
路地を抜けた二人は、すぐ近くの乾物屋へ飛び込んだ。
店の中には、干した魚と香辛料の匂いがこもっている。
店主が、籠を抱えたまま目を上げた。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
「見てるだけです」
理央は並んだ袋を眺めるふりをした。
外を通り過ぎる足音が、店先で止まった。
地下から出てきた男が、入口から二人を見ている。
「さっきの路地にいたな」
理央の喉が詰まる。
レイニャは干し果物の籠へ顔を向けたまま、男に答えた。
「吟遊詩人ニャ。王都を見て回ってるところ」
「歌い手か」
「まだ歌は作ってないニャ」
「それで何を見てる」
「この果物、どんな歌に合うか考えてたニャ」
男は二人をしばらく見た。
理央は干し果物の値札を読んでいるふりを続けた。
「中央市場へ行けば菓子もある」
男はそう言い残し、通りへ消えた。
レイニャは、男の足音が遠ざかってから、ようやく肩の力を抜いた。
「今の、歌になりそうですか」
「まだニャ」
店主が小さく笑う。
「吟遊詩人なら、あの古い倉庫の話を歌にするのかい」
理央は袋から顔を上げた。
「ご存じなんですか?」
「昔は金属を扱う店だったよ。ずいぶん前に閉めたはずだがね」
「今も荷車が来るんですか」
「夜に西門へ向かう荷車を見たって話は聞くよ。同じ印の箱が積んであったとか」
店主は乾物の袋を並べ直した。
「噂だ。中身までは知らない」
レイニャは帳面を開き、店主から聞いた荷車の話の横にも耳の印をつけた。
「おじいさん、これを一つください」
レイニャが、干し果物の籠から小さな一片を選んだ。
「それは酸っぱいよ」
「大丈夫ニャ」
「本当に?」
「吟遊詩人は、何でも味わってみるニャ」
代金を払って店を出ると、レイニャはさっそく干し果物をかじった。
耳が横に倒れる。
「……酸っぱいニャ」
「お店の人の言った通りですね」
「でも、買ったからには食べるニャ」
レイニャは、残りを小袋へしまった。
「商館へ戻りましょう」
「報告するニャ」
二人は市場の人波へ戻り、来た道を急いだ。
商館へ戻ると、ルネスタとリュシアはまだ話を続けていた。
ナジムが顔を上げ、レイニャの帳面に気づく。
「裏通りの倉庫で、男が木箱の下から地下へ入りました」
理央は、路地で見たことを順に伝えた。
「地下からは金属を叩く音と、二十枚、五十枚、銀を増やせという声が聞こえました」
「銀貨の製造か」
ルネスタが眉を寄せる。
「偽銀貨かもしれません。でも、実物は見ていません」
レイニャは帳面を開き、目の印と耳の印を示した。
「見たことはこっちニャ。聞いただけのことは、こっち」
「分けてくれたのは助かる」
ナジムは帳面を見て頷いた。
「今の段階では、偽銀貨と決めつけない方がいい。西門へ出る荷の記録を調べる」
「夜に西門へ向かう荷車の噂なら、私も聞いている」
ルネスタは腕を組み、少し考えた。
「荷札があっても、中身まで同じとは限らない。まずは箱の印を探してみよう」
ナジムは調べる帳面を手元へ引き寄せた。
リュシアは二人を見た。
「倉庫へ戻るのはなし。誰かを追いかけるのもだめ。箱に触らないこと」
「分かりました」
「地下にも入らないニャ」
「そこは当然です」
「約束ですよ」
リュシアは念を押してから、少し表情を緩めた。
「あとは私たちに任せて、中央市場を見ておいで」
「今度こそ観光ですね」
「そうニャ。市場で理央の好きそうなものを探すニャ」
二人は頷き、商館を後にした。
中央市場へ戻ると、焼き菓子の屋台の前に人だかりができていた。
甘い匂いに誘われて近づいた理央の耳に、少年の声が飛び込む。
「仕事をした報酬なんだ。偽物なんて知らないよ」
「この銀貨は使えない」
菓子屋の主人が、少年の手から銀貨を受け取った。
少年は十二、三歳ほどに見えた。
駆けつけた衛兵が一枚を確かめ、短く息を吐く。
「またか」
理央はレイニャを見た。
レイニャも、先ほど地下から聞こえた言葉を思い出したように、耳を立てている。
「朝、荷物を運んだんです」
少年は衛兵に向かって言った。
「手伝ったら、これをもらっただけだよ」
「誰から?」
「帽子をかぶった男。声が低かった。二頭立ての荷車で来た」
理央は少年の前にしゃがんだ。
「荷車に、何か印はありましたか?」
「箱に三角があった。真ん中に線が一本」
「箱は、いくつくらい?」
「二十個より多かったと思う」
少年は悔しそうに銀貨を握った。
「一緒に働いたのは、僕を入れて四人か五人。みんな同じ銀貨をもらった」
「また来いって言われたの?」
「明日の朝も来いって」
レイニャは少年の手元を見た。
「仕事をしただけなのに、困ったニャ」
「僕、捕まるの?」
「君は仕事の報酬を受け取ったんでしょう」
理央は答えたが、衛兵の顔を見て言葉を選んだ。
「この子を、仕事場へ連れていくわけにはいきません」
「当然ニャ。紙に描いてもらうニャ」
レイニャは少年の前に紙を置いた。
「場所を描いてもらえますか。覚えている範囲でいいんです」
少年は、菓子屋から借りた紙に道を描き始めた。
最初の角、壊れた水桶、壁の欠けたところ。
レイニャは横から、目印になりそうなものを尋ねる。
「大きな木はあった?」
「葉っぱが半分落ちた木ならあったよ」
「そこを曲がると?」
「古い染料倉庫」
理央が、紙とレイニャの帳面を見比べた。
「さっきの金属倉庫とは別の場所ですね」
「作る場所と、荷を集める場所が違うのかもしれないニャ」
「まだ分かりません。でも、同じ事件なら役割が分かれている可能性があります」
少年の指が、描いた道を押さえている。
その時、市場の入口から衛兵が駆け込んできた。
「西門だ。荷車から銀貨がこぼれた」
紙を受け取った衛兵の表情が変わる。
「すぐ来てくれ。現場で話す」
理央は、レイニャと並んで立ち上がった。
市場の人波が割れ、衛兵たちが西門へ向かう。
二人も、その後を追った。
西門の近くには、衛兵と荷車が集まっていた。
一台の荷車が横倒しになり、荷台からこぼれた銀貨が石畳を埋めている。
馬は別の衛兵に預けられ、御者は腕を押さえられていた。
荷台に残った木箱には、三角の中へ一本線を引いた印がある。
「少年の話と同じ印です」
理央が告げる。
衛兵は地面の銀貨を拾い、菓子屋で見たものと並べた。
「細工も同じだ。これだけあれば、もう見間違いとは言えない」
レイニャは散らばった銀貨に近づきかけ、衛兵の制止で足を止めた。
「触らない方がいいニャ」
「そうですね」
「逃げた荷車は?」
理央の問いに、衛兵は西の街道へ視線を向けた。
「別の一台も逃げた。途中で荷を捨てていったらしい」
御者が連行される。
「商館へ知らせを走らせろ。ナジムとリュシアにもだ」
衛兵隊は二人を伴い、最初の倉庫へ向かった。
古い扉の前で、先頭の衛兵が手を上げる。
別の者たちが路地の出口を押さえ、扉を開ける準備をした。
「中に人がいるニャ」
レイニャが耳を向ける。
階段の下から、複数の足音が重なって聞こえた。
「全員、距離を取れ」
衛兵が合図し、扉が押し開かれる。
暗い階段の奥で、誰かが走った。
「逃げるぞ!」
衛兵たちが地下へ降りていく。
理央とレイニャも、その後に続いた。
倉庫の地下には炉と作業台が並び、銀色の円盤が床に散っていた。
壁際には、さっきの印をつけた箱がいくつも積み上がっている。
「煙だ!」
奥から煙が流れ出し、視界をふさいだ。
衛兵の声が途切れ、足音がいくつも別の方向へ散っていく。
「こっちにもいるニャ」
レイニャは煙の向こうへ耳を澄ませた。
煙の向こうから、地面を擦るような足音が続いていた。
レイニャは耳を向ける。
「右へ曲がって、それから下へ行ったニャ」
「ここに穴がある!」
衛兵の声が響いた。
壁際の古い鉄格子が持ち上げられ、その下に暗い穴が口を開けていた。
理央は膝をついて、穴の中を覗き込む。
古い排水路の入口らしい。
しゃがんで中を見た瞬間、理央の《世界地図》に細い線が浮かんだ。
穴から奥へ、さらに地上へ続く経路がつながっていく。
「この先に出口があります。路地の向こうへ抜ける道です」
「衛兵に伝えて。先回りできる」
レイニャの声が煙の中で鋭く響く。
理央は通路の方向を告げた。
衛兵たちが二手に分かれ、ひと組が排水路を進み、もうひと組が地上の出口へ走る。
煙の向こうで、靴音が急に近づいた。
「理央!」
レイニャの手が伸びる。
男が煙を割って、理央へ向かってきた。
理央は反射的に腕を上げた。
「《重力》!」
男の身体だけが重くなり、床へ押し戻された。
衛兵が駆け寄り、男の腕を背へ回した。
理央は、男が動かなくなったのを見てから手を下ろした。
指先が震えている。
レイニャは何も言わず、その手を握った。
理央は息を吸い、握り返す。
衛兵から知らせを受けたリュシアが、少し遅れて地下へ入ってきた。
「無事でよかった」
リュシアは二人の顔を確かめ、肩へ手を置いた。
「話は後。今はここから出よう」
排水路の出口でも、逃げた男たちを押さえたと衛兵が報告した。
倉庫の外へ出た頃には、路地の入口まで衛兵が塞いでいた。
押収された道具が、倉庫前の布の上に並べられている。
炉、型、削るための道具。
銀色の円盤は、菓子屋で見た偽銀貨と同じ大きさだった。
箱には、三角の中に一本線を引いた印がある。
ナジムとルネスタも商館から駆けつけ、衛兵の説明を聞いていた。
「この帳面に、作った枚数や運んだ数が書いてあるそうです」
ナジムがページをめくる。
数字と短い符号が並ぶ中で、ひとつの記載に目が止まった。
「北・灯台・七」
「それだけですか?」
理央が覗き込む。
「他は枚数と荷の記録ばかりだ」
衛兵が別の証拠品を差し出した。
木札には、同じ三角と一本線の印が焼きつけられている。
その隣に、七の文字があった。
「この王都で灯台と言うと、海の灯台ではないかもしれない」
ルネスタが札を見た。
「北に古い見張り塔がある。そう呼ぶ人もいるんだ」
「北の見張り塔……」
理央は木札にある七を、帳面へ写し取った。
「七番の荷かニャ」
「七番目の場所かもしれません」
「それとも、別の意味?」
理央は答えず、帳面の「北・灯台・七」の横に耳の印をつけた。
レイニャの耳が、北の方を向いている。