押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第383話 七人で一組でした

 

 

 その言葉に、ナジムが真壁を見た。

 

「胸元を調べてもらえるかね」

 

 真壁は、男へ手を伸ばさなかった。

 

 ナジムが衛兵に目配せする。

 

 男は座らされたまま、肩を強張らせた。

 

「触るな」

 

 それまで黙っていた男が、初めて声を荒らげた。

 

 レイニャの耳が、男の方を向く。

 

「今、心臓が速くなったニャ」

 

「そうか」

 

 真壁はそれ以上、何も言わなかった。

 

 衛兵は男の襟元を探り、首に掛かった細い紐を見つけた。

 

 服の下から出てきたのは、銀色の枠にはまった小さな黒い石だった。

 

 ナジムが衛兵に合図し、紐を切らせず、留め具を外させる。

 

 黒い石が男の胸から離れた。

 

「あ……」

 

 エリフが小さく声を漏らした。

 

「どうしたの?」

 

 理央が尋ねる。

 

「消えた」

 

「何が?」

 

「膜です」

 

「この人の周りにあったものが……なくなりました」

 

 エリフは、男の胸元を見たまま答えた。

 

 真壁が理央へ視線を向ける。

 

 理央は頷き、男を見た。

 

「《鑑定》」

 

----------------------------------

ラシム・デミル

 分類:人間

 現在ジョブ:密輸商 Lv14

 状態:拘束

 疲労度:24%

 身体異常:なし

----------------------------------

既得スキル

 交渉:8

 計算:7

 鑑定:6

 収納:7

 馬車操作:5

 偽装:8

 隠密:7

 毒物取扱:5

 薬学:6

 錬金:4

----------------------------------

 

 理央は、表示を見たまま言葉を止めた。

 

「変わったニャ?」

 

「はい」

 

「名前は?」

 

「ラシム・デミルです」

 

 男の目がわずかに動いた。

 

「商人じゃありません」

 

「密輸商、レベル14です」

 

 理央は必要なスキルを読み上げた。

 

「《偽装》8、《隠密》7」

 

「《毒物取扱》5、《薬学》6」

 

「《収納》7、《錬金》4」

 

「さっきと全然違うニャ」

 

「私の鑑定は、最初に偽装された方を見ていたみたいです」

 

 理央の声に落胆はなかったが、黒い石から目を離せなかった。

 

「鑑定を破ったのではあるまい」

 

 真壁は石を見た。

 

「見せる情報を差し替えたと考える方が自然だ」

 

「え?」

 

「エリフ君の言う膜があった時だけ、表示が変わっていたのだろう」

 

「はい」

 

「今は何も見えません」

 

 真壁は小さく頷いた。

 

「ならば、鑑定そのものを消したわけではない」

 

「偽の札を一枚、上から貼ったようなものか」

 

「そんなこともできるんですね」

 

「できたから、今ここにある」

 

 真壁は黒いペンダントを見ていた。

 

 ナジムは衛兵に、石へ直接触れないよう布を重ねさせた。

 

 外した紐も、留め具も、別々に保管するよう指示する。

 

 理央は、表示の変わった男とペンダントを見比べた。

 

 さっきまで画面にあった名前は、今はどこにもない。

 

 

 

「これは押収します」

 

 ナジムは、衛兵に黒い石を布で包ませた。

 

「当然だ」

 

 理央の視線が、包まれた石を追う。

 

「理央君」

 

「はい」

 

「今は分解しない」

 

「……まだ何も言ってません」

 

「顔に出てたニャ」

 

 レイニャに言われ、理央は口を結んだ。

 

「気になるのは分かる」

 

「だが、証拠品だ」

 

 ナジムの言葉に、理央は頷いた。

 

 エリフはペンダントから目を離さず、男の周りをもう一度確かめていた。

 

「今は、膜がありません」

 

「外したことで消えた、というところまでは確かだな」

 

 真壁はそう言い、仕組みについてはそれ以上触れなかった。

 

 黒い石は衛兵に預けられ、他の押収品と分けて保管された。

 

 ナジムは、回収した時刻と、身につけていた場所も記録するよう命じた。

 

 エリフが見た膜の消失と、理央の鑑定表示が変わったことも、別々の証言として残す。

 

 ナジムは理央たちに確認した。

 

「今分かったことだけを記録します」

 

「仕組みの推測は、あとで区別できるようにしておきます」

 

 真壁はそれに頷いた。

 

 黒い石の表面には目立った傷もなく、外から見ただけでは何に使う道具なのか分からない。

 

 理央は、手を伸ばす代わりに、その形をノートへ簡単に描いた。

 

 調べるのは、ナジムの管理下に移ってからだ。

 

 

 

 ナジムは衛兵に指示し、ラシムを船着き場の端に座らせた。

 

 拘束は解かず、周囲には二人の衛兵が立つ。

 

 真壁は正面に腰を下ろしたが、声を張り上げなかった。

 

「ラシム・デミル」

 

 男は黙っていた。

 

「アルダよりは、こちらの方が呼びやすいな」

 

 ラシムは真壁を睨んだ。

 

「答えたくなければ、黙っていて構わん」

 

 理央は意外そうに真壁を見た。

 

「こちらで分かっていることから進める」

 

 真壁は、指を折るでもなく、確認済みの事実を一つずつ口にした。

 

「偽銀貨」

 

「地下工房」

 

「旧染料倉庫」

 

「西門」

 

 男は反応を見せなかった。

 

「北の見張り塔」

 

「地下道」

 

「閉鎖採石場」

 

 川辺に並べられた鉛板へ、真壁の視線が移る。

 

「鉛張りの特殊輸送箱」

 

「鎮静薬」

 

「そして、七番」

 

 ラシムの呼吸が、そこでわずかに乱れた。

 

 レイニャが耳を向ける。

 

「七番で変わったニャ」

 

 真壁は軽く頷いた。

 

「それから、鑑定偽装」

 

 男の視線が、衛兵の持つ包みに動いた。

 

「君が黙っていても、ここまでは来ている」

 

 真壁は相手の顔を見た。

 

「六人の捜索を急ぎたい」

 

「知らん」

 

「そうか」

 

 真壁は立ち上がった。

 

「ならば別のところから進めよう」

 

 ラシムは、質問が続くと思っていたのか、真壁が立ち上がっても背を目で追っていた。

 

 理央はノートの端に、真壁が口にした項目を書き並べた。

 

 理央は、ノートに書き並べた場所を線でつないだ。

 

 西門から見張り塔へ、そこから地下道へと、別々だった出来事がひと続きになっていく。

 

 その先にいる六人の所在だけが、まだ白紙だった。

 

 ラシムの供述がなくても、事件の道筋は少しずつ見えていた。

 

 だが、六人の行き先だけは別だった。

 

 真壁が欲しいのは、自白ではなく、彼らを見つけるための情報だった。

 

 理央もそのことを理解し、ラシムの反応を見ながら、次の質問を待った。

 

 

 

 真壁はラシムから少し離れた場所で足を止めた。

 

「船」

 

 ラシムの呼吸に変化はない。

 

「貴族」

 

 男の指が一度動いた。

 

「一番」

 

 今度は、目がわずかに細くなる。

 

「セレヴィア」

 

 ラシムは黙ったままだったが、顎に力が入った。

 

「人間ではない存在」

 

 男の指先が、膝の上で動いた。

 

「今の、指も動いたニャ」

 

「何がだ」

 

「人間じゃないって言った時ニャ」

 

「猫の耳を信用するのか」

 

「ケット・シーニャ」

 

「そこは譲らないんですね」

 

 理央が小さく口を挟んだ。

 

「反応したから正解、とは限らん」

 

 真壁はレイニャに念を押した。

 

「恐れたのかもしれん」

 

「腹を立てたのかもしれん」

 

「別の誰かを思い出した可能性もある」

 

「分かってるニャ」

 

「だが、質問を選ぶ材料にはなる」

 

 真壁は次の言葉を急がなかった。

 

 ラシムは目を伏せ、口を閉ざしたままだった。

 

 レイニャは耳を動かし、男の呼吸を追っていた。

 

 聞こえた変化を、すぐに意味へ結びつけることはしない。

 

 真壁も、反応の有無だけで答えを決めるつもりはなかった。

 

 次に何を尋ねるかを考える材料が、一つ増えただけだった。

 

 レイニャが拾ったのは、言葉の答えではない。

 

 ラシムがその瞬間に何を感じたかも、まだ分からなかった。

 

 

 

 真壁はラシムへの質問を止め、エリフへ向き直った。

 

 リュシアが水の器を渡し、エリフは両手で受け取った。

 

「無理なら休もう」

 

「大丈夫です」

 

「一度に全部話さなくていい」

 

「覚えている範囲で構わん」

 

 真壁の言葉に、エリフは一度頷いた。

 

「一番は、ジェムさんです」

 

 理央がノートを開く。

 

「仕事は?」

 

「古い物を扱う店にいたって聞きました」

 

「三十歳くらいだったと思います」

 

「技能は覚えているかね」

 

「《鑑定》9」

 

「《真贋判定》8です」

 

 理央はその二つを書き留めた。

 

「二番は、ゼイネプさん」

 

「薬師で、《毒物感知》8」

 

 エリフは水を一口飲んでから、続きを話した。

 

「三番のケマルさんは、測量の仕事をしていました」

 

「《地図》8と、《測量》8です」

 

「四番はレイラさんです」

 

「古い本や、破れた紙を直す仕事だって」

 

「《古文書解読》8、《記憶》7」

 

 理央は、エリフが口にした技能を確かめながら書き足す。

 

「五番のカディルさんは錠前職人です」

 

「《解錠》9と、《罠感知》7」

 

「六番はオヌルです」

 

「まだ若くて、魔術師見習いでした」

 

「《結界感知》8、《魔力追跡》7」

 

 そこでエリフは、器を置いた。

 

「七番が、私です」

 

「《魔力感知》8と、《隠蔽看破》4」

 

 ノートには七人の名前が並んだ。

 

 理央は、最後の行まで書いたことを確かめ、エリフに水を戻した。

 

「ありがとう」

 

「少し休もう」

 

 リュシアがそう言うと、エリフは器を持ち直した。

 

 名前と技能を一度に聞かれた時より、今は呼吸が落ち着いている。

 

 理央は、まだ尋ねたいことがいくつもあったが、ノートを閉じて待った。

 

 七人の名前は書き留めた。

 

 急いで先へ進めるより、エリフが話せる分だけを確かめる方がよかった。

 

 理央は一人ずつの技能の後ろに、短い言葉で仕事の内容を書き足した。

 

 後で読み返した時、数字だけが並んで分からなくならないようにした。

 

 エリフが話した順番も崩さず、理央は一つずつ確かめた。

 

 真壁は急かさず、必要な時だけ短く尋ねた。

 

 エリフが答えに詰まると、リュシアはすぐに次の質問を重ねず、水を飲む時間を作った。

 

 

 

 理央が書き終えたノートを、真壁が横から覗き込んだ。

 

 視線は一番から七番までをゆっくり追い、最後まで行ってから、もう一度上へ戻る。

 

「何か変ですか?」

 

「変というより、揃いすぎている」

 

「揃ってる?」

 

 真壁は一番の名前を指で示した。

 

「物の正体を見抜く」

 

 次に二番へ移る。

 

「毒を見つける」

 

「三番は、土地を測って位置を知る」

 

「四番は古い文字を読む」

 

「五番は錠を開け、罠を見つける」

 

「六番は結界を探り、魔力を追う」

 

 最後に、七番のエリフを見る。

 

「隠された魔力を見つける」

 

 リュシアが、ノートを覗き込んだ。

 

「探索……?」

 

「私もそう見える」

 

「でも、あの人たちはエリフさんを商品って呼んでいました」

 

 理央の言葉に、真壁はラシムを見た。

 

「そう呼んでいただけだ」

 

「用途まで商品とは限らん」

 

 ルネスタが腕を組む。

 

「高く売るためなら、もっと違う技能の人間も混ざりそうだな」

 

「その通りだ」

 

 真壁はノートの脇に目を落とした。

 

「腕の立つ傭兵や治癒術師、鍛冶師や錬金術師」

 

「商才のある者もいる」

 

「値の付く技能はいくらでもある」

 

「ところが、この七人は違う」

 

「調べる技能ばかりですね」

 

「そして、戦う技能がない」

 

 真壁はノートを閉じず、七人の名を見た。

 

「これは商品一覧ではない」

 

 一同の視線が集まる。

 

「班を作っている」

 

 エリフの指が、器の縁を握った。

 

 売買されるために集められたのなら、技能にここまで偏りがある理由は見つからない。

 

 それぞれの力は、単独で戦うためのものではなかった。

 

 七人を一緒に置いて初めて、ひとつの仕事に届くように見える。

 

「一人ずつ売るなら、技能がこれだけ偏る必要はない」

 

 真壁の言葉に、リュシアはエリフを見た。

 

「何かを探させるために集めたってこと?」

 

「今のところは、そう考えるのが自然だ」

 

 

 

「班……」

 

 エリフが呟いた。

 

「どうしたの?」

 

「前に、四番が来た時……誰かが言ってたんです」

 

 理央がノートを持ち直す。

 

「四番がいれば読めるって」

 

「四番はレイラだな」

 

 真壁が確かめると、エリフは頷いた。

 

「五番が来た時も、五番なら開けられるって」

 

 カディルの《解錠》と《罠感知》が、理央の目に浮かぶ。

 

「六番がいないと、壁が分からないって言ってました」

 

 オヌルの《結界感知》と《魔力追跡》。

 

 理央は、先ほど書いた技能を指でなぞった。

 

 エリフは自分の手を見ていた。

 

「私が捕まった時、外で誰かが言ったんです」

 

「これで全部揃った、って」

 

 理央は息を止めた。

 

「七人で……」

 

 エリフが頷く。

 

「本当に一組だったんだ」

 

「その可能性は高い」

 

 真壁は、言葉を慎重に選んだ。

 

 エリフが顔を上げる。

 

「じゃあ、みんなまだ……」

 

 続きは声にならなかった。

 

「七人揃える必要があるなら、先の六人を途中で捨てる理由は薄い」

 

 真壁は、エリフの目を見た。

 

「生きているとは保証できん」

 

 エリフの指が器の縁を離れた。

 

「だが、探す価値は十分にある」

 

 エリフは、すぐには答えなかった。

 

 それから小さく頷き、水を一口飲んだ。

 

 六人の顔を思い出すように、エリフの視線がノートの上を辿った。

 

 名前は残ったが、居場所まではまだ見えない。

 

 理央は、すぐに「助けに行こう」とは言わなかった。

 

 場所も、六人の状態も分かっていない。

 

 理央は、ここで希望だけを先に渡すのは違うと思った。

 

 真壁の言葉は、約束ではない。

 

 だが、探す理由を失わずに済む言葉だった。

 

 エリフは器を持つ手に力を戻した。

 

「ジェムさんの言葉を、ちゃんと伝えたかったんです」

 

 それ以上は続けず、エリフは水を飲んだ。

 

「ジェムさんが、みんなを待っていたのかもしれません」

 

 真壁はすぐに肯定も否定もしなかった。

 

「その可能性も含めて、捜索しよう」

 

 

 

 しばらく、誰も次の質問をしなかった。

 

 リュシアがエリフの器へ水を足し、彼女は両手で受け取った。

 

 真壁は、ノートから目を上げた。

 

「エリフ君」

 

「一番のジェムが、人間ではないかもしれないと言ったそうだな」

 

 エリフの表情が曇った。

 

「はい」

 

「いつ頃のことかね」

 

「捕まって三日くらいだったと思います」

 

 その頃は、ジェムとゼイネプ、それにエリフの三人しか揃っていなかった。

 

 一人ずつ別の部屋へ呼ばれ、持っているスキルやレベル、何ができるのかを細かく尋ねられたという。

 

「エリフ君に質問したのは、どんな男だった?」

 

「背が高くて、黒っぽい髪でした」

 

「名前は分かるかね」

 

「聞いた気もするんです」

 

「でも、思い出せません」

 

 エリフは眉を寄せ、目を閉じた。

 

「顔は普通でした」

 

「普通なのに、思い出せないの?」

 

 理央が尋ねる。

 

「顔を見たはずなのに、後から考えると、何歳だったのか分からなくなるんです」

 

 若く見えた気もする。

 

 もっと年上だった気もする。

 

 エリフは、どちらとも言い切れない様子で首を傾けた。

 

「声はどうだったニャ?」

 

 レイニャに聞かれ、エリフは少し考えた。

 

「変でした」

 

「口が動いて、そのあと少し遅れて聞こえるみたいで」

 

「声が遅れて?」

 

「ほんの少しです」

 

「私だけかと思いました」

 

 理央は、ジェムの顔を思い浮かべようとした。

 

 だが、名前と技能以外の手掛かりは、まだ何もない。

 

 エリフは、自分の記憶を確かめるように視線を動かした。

 

「その男は、何か道具を持っていましたか」

 

 理央の問いに、エリフは首を横に振った。

 

「そこまでは覚えていません」

 

「分かることだけでいい」

 

 真壁が区切ると、エリフは息をついた。

 

 自分の記憶が曖昧だからといって、見たものまでなかったことにはならない。

 

 けれど、確かでない部分を確かだと言う必要もなかった。

 

 理央はノートに「背が高い」「黒っぽい髪」「年齢不明」「声が遅れる」と記した。

 

 

 

「ジェムさんも、その男を見たんですか?」

 

 理央が訊くと、エリフは頷いた。

 

「何度か《鑑定》したって言ってました」

 

「最初は?」

 

「普通の名前が出て、分類は人間だったそうです」

 

「スキルは少なかったって」

 

「少し時間を置いて、もう一度見たら、名前が空白になってた」

 

 エリフの指が器の側面をなぞる。

 

「それで、さらに鑑定したら、別の名前になったって」

 

「鑑定するたびに変わったんですね」

 

「うん」

 

「スキルも、本当に必要なものだけだったって」

 

 ジェムはその表示を不審に思った。

 

「隠してるんじゃない」

 

「本当の結果の上に、別のものを被せてる」

 

 そう言ったのだという。

 

 理央は、衛兵が預かっている黒いペンダントを見た。

 

「ラシムさんと同じ仕組みでしょうか」

 

「似ている可能性はある」

 

 真壁はすぐに答えた。

 

「同じとは限らん」

 

 黒い石を外したことでラシムの表示は変わった。

 

 ジェムが見た男に、同じ道具が使われていたとはまだ言えない。

 

「ジェムさんは、もう一つ言ってました」

 

 エリフの声が低くなる。

 

「人間のふりをしている何かかもしれない、って」

 

 真壁はエリフを見た。

 

「それはジェムの推測だな」

 

「はい」

 

 理央はノートの端に小さく「推測」と書き添えた。

 

 表示が変わることと、相手が人間でないことは別の話だった。

 

 真壁は、ノートの「推測」という文字を指先で示した。

 

「ここは分けておこう」

 

 理央は頷き、鑑定の結果と、ジェムの見立てを別の行にした。

 

 ペンダントを外す前後で、ラシムの表示が変わった。

 

 ジェムが見た男にも似た点はあるが、同じ仕組みだと結論づける材料はなかった。

 

「ジェムさんは、これを見てからそう言ったんですか?」

 

 理央が黒い石を指す。

 

「違います」

 

「あの男の鑑定結果のことです」

 

 エリフの答えを受け、理央は二つの話を混同しないよう、ノートの間に線を引いた。

 

 

 

「その次の日、ジェムさんだけ別の部屋へ移されました」

 

 エリフは器を膝の上に置いたまま言った。

 

「戻ってこなかったんです」

 

 リュシアが、エリフの肩に掛けた毛布を直した。

 

「連れていかれる時、何か言われたの?」

 

 エリフは目を伏せた。

 

 廊下で、手を縛られたジェムとすれ違った。

 

 見張りが近くにいたので、声はごく小さかった。

 

「北じゃなく東を見ろ」

 

 理央は、聞き漏らさないようにノートを押さえた。

 

「最初は、意味が分からなかったんです」

 

 ジェムは続けた。

 

「扉じゃない」

 

 短い沈黙のあと、もう一度、エリフの口から言葉が出る。

 

「鏡だ」

 

「鏡……」

 

 理央が繰り返す。

 

「最後に、東の鏡を開けるなって」

 

 その言葉が終わる前に、少し離れた場所から声が飛んだ。

 

「それ以上聞くな!」

 

 ラシムだった。

 

 一同が振り返る。

 

 レイニャの耳が、ぴんと立った。

 

「今までで一番大きいニャ」

 

「黙れ!」

 

 エリフの肩が跳ねた。

 

 リュシアがすぐに彼女との間へ入り、真壁も手を上げた。

 

「エリフ君、続きはもういい」

 

 真壁はそれからラシムを見た。

 

「東の鏡」

 

 その言葉だけを、静かに置いた。

 

 ラシムは、エリフではなく真壁を見ていた。

 

 真壁は問いを重ねず、エリフの返事を待つのをやめた。

 

 リュシアは少女の隣に残り、レイニャはラシムの方へ耳を向ける。

 

 今の叫びは、今までの短い返答とは明らかに違っていた。

 

 エリフは器を持つ手を震わせていた。

 

 リュシアが器を受け取り、彼女の手を毛布の上に戻す。

 

「もう話さなくていいよ」

 

 エリフは短く息を吐いた。

 

 

 

「知らん」

 

 ラシムは、真壁から目を逸らした。

 

「そうか」

 

 真壁は頷いた。

 

「ならばいい」

 

 彼はナジムへ向き直る。

 

「六人の捜索を急ぎましょう」

 

 数歩進んだところで、背後からラシムの声がした。

 

「東へ行っても無駄だ」

 

 真壁は足を止めた。

 

「鏡は見つからない」

 

 理央がラシムを見る。

 

「知ってるじゃないですか」

 

「知ってるニャ」

 

 レイニャの声も重なった。

 

 ラシムは口を閉じ、しまったという顔をした。

 

 真壁は振り返った。

 

「そうか」

 

「鏡はあるのか」

 

 男は答えない。

 

「場所は?」

 

「知らん」

 

 レイニャが耳を傾けた。

 

「そこは、あんまり変わらないニャ」

 

「本当に場所そのものは知らんのかもしれんな」

 

 真壁の言葉に、ラシムはわずかに目を動かした。

 

「では、場所を知っている者は?」

 

 沈黙が続く。

 

「地図師か?」

 

 真壁が候補を口にすると、ラシムの肩がわずかに上がった。

 

「今、変わったニャ」

 

「なるほど」

 

 真壁は、ラシムの目を見た。

 

「地図師」

 

「……灰鴉」

 

 ラシムは、答えたあとで唇を噛んだ。

 

 真壁は名前を繰り返さず、理央のノートへ視線を向けた。

 

 理央は「地図師」と「灰鴉」を並べて書く。

 

「その人に連絡を取りたいのかね」

 

 真壁が尋ねた。

 

「地図が必要な時は、そうする」

 

 ラシムは、余計なことを話したという顔で口を閉じた。

 

 まだ、分かったのは呼び名と役割だけだった。

 

 

 

「灰鴉?」

 

 理央が聞き返す。

 

「通り名だ」

 

「本名は知らん」

 

「地図師なのかね」

 

「そうだ」

 

 ルネスタが、王都の東に目を向けるように顔を動かした。

 

「東区に古い測量店がある」

 

「昔からある店だ」

 

「灰鴉の店ですか?」

 

「そこまでは知らない」

 

「店なら知っているだけだ」

 

 ルネスタは、それ以上のことを知ったふうには言わなかった。

 

「店の裏へ、青い石を三つ置け」

 

 ラシムが続ける。

 

「縦に、だ」

 

「三つ並べるんですね」

 

「翌朝、二つに減っていたら、その夜に使いが来る」

 

 理央は、青い石を置く位置をノートに書いた。

 

「灰鴉本人は、ほとんど姿を見せない」

 

「場所を知っているのは、あいつだ」

 

 ナジムが確認する。

 

「連絡役ではなく、鏡の場所そのものを知っているということか」

 

「地図を引いたのもあいつだ」

 

 ラシムは、それきり口を閉じた。

 

 灰鴉が味方なのか、敵なのかは分からない。

 

 ただ、東区の測量店が次の手掛かりになった。

 

 王都の街区を知るルネスタは、東区の道筋なら案内できるという。

 

「店の場所が分かれば、そこまでは行ける」

 

「通りから先は、着いてから確かめよう」

 

 ルネスタは、灰鴉の居場所まで知っているようには振る舞わなかった。

 

 青い石を置く場所も、店の裏としか分からない。

 

 理央は聞き取った情報に線を引き、未確認の部分を残した。

 

 見つけた道具や場所の話と、ラシムが口にした連絡方法は、別々に扱わなければならない。

 

 ナジムも記録を残すよう衛兵に指示した。

 

「青い石を三つ置いたあと、誰が二つにするんですか?」

 

「知らん」

 

「使いが来たら、そこで話す」

 

 真壁は、石を置く手順と返事が来る時刻を分けて記録するよう理央に伝えた。

 

 

 

 真壁は、しばらくラシムを見ていた。

 

「ありがとう」

 

「礼を言うな」

 

「では、言い直そう」

 

 真壁は立ち上がった。

 

「助かった」

 

「勝手にしろ」

 

 ラシムは顔を背けた。

 

 真壁がその場を離れようとした時、男が声を上げた。

 

「鏡へは行くな」

 

 理央たちは足を止めた。

 

「どうして?」

 

「知らん」

 

「また知らんニャ」

 

「本当に知らん!」

 

 先ほどまでの突き放す声とは違った。

 

 ラシムは、口を結んでから続けた。

 

「だが、行った奴が戻ってきても、前と同じじゃない」

 

「何が違うの?」

 

 リュシアが訊いた。

 

「性格かもしれん」

 

「記憶か、話し方か……何かがずれる」

 

「別人になるんですか?」

 

「分からん」

 

 ラシムは首を横に振った。

 

「同じ人間なのかも分からん」

 

 理央は、エリフの顔を見た。

 

 ジェムの警告と、ラシムの話は重なっている。

 

 それでも、二人が何を見たのか、どこまで確かなのかは分からなかった。

 

「君は行ったことがあるのかね」

 

「ない」

 

「行く気もない」

 

「なるほど」

 

 真壁はそれ以上、問いを重ねなかった。

 

 ラシム自身も、鏡を恐れているように見えた。

 

 その話が本人の経験なのか、組織の中で聞いたことなのかは分からない。

 

「そこへ行った人の話を、君は直接聞いたのかね」

 

 真壁が尋ねる。

 

 ラシムは答えず、顔を背けた。

 

 真壁は、その沈黙から先を決めつけなかった。

 

 

 

「東の鏡……」

 

 理央が呟くと、レイニャが尻尾を揺らした。

 

「行くニャ?」

 

 真壁はすぐには答えなかった。

 

「このまま向かうのは悪手だ」

 

「どうしてです?」

 

「分からないことが多すぎる」

 

 真壁は、黒いペンダントの包みを一瞥した。

 

「鑑定偽装」

 

「印象が定まらない男」

 

「東の鏡」

 

「戻った者が同じではないという証言」

 

 彼は理央たちを見た。

 

「ここから先は、魔術の専門家を入れた方がいい」

 

 理央は頷いた。

 

 現場で分かったことだけを頼りに進むには、手掛かりの性質が変わり始めている。

 

「理央君」

 

「はい」

 

「ヴァルト君を呼びたまえ」

 

 理央は安全な場所を思い浮かべ、《関門接続》を使った。

 

 靄が集まり、船着き場の端に扉が開く。

 

「ヴァルトさん!」

 

 向こうからヴァルトが顔を出した。

 

「理央さん、どうしました?」

 

「鏡があって、人をさらって、七人集めて、戻ってきた人が同じじゃないかもしれなくて」

 

 ヴァルトは、説明の続きを待った。

 

「説明が圧縮されすぎだ」

 

 真壁が言った。

 

「だって、長いんです」

 

「干し果物から話すニャ」

 

「そこからですか?」

 

 理央がレイニャを見る。

 

「本当にそこから始まったからね」

 

 リュシアが言うと、理央は返事に困った。

 

「長くていい」

 

「順番に話したまえ」

 

 すぐに現場へ向かうのではなく、まず分かっていることを揃える。

 

 理央はノートを開いたまま、扉の向こうを待った。

 

 現場にいる全員を一度に通すのではなく、まずヴァルトに状況を見てもらう。

 

 真壁は、扉の向こうへ手を伸ばす前に、理央へもう一度だけ確認した。

 

「向こうは安全なのだね」

 

「はい」

 

「人のいない場所につないでいます」

 

 リュシアはエリフの隣から離れず、レイニャはラシムを見張っていた。

 

 真壁はヴァルトに場所を譲った。

 

 扉の向こうに誰がいるか、理央は呼び出す前に確かめていた。

 

 ここへ来てもらうのは、状況を伝えてからだ。

 

 現場を見せればすべて分かるとは考えていない。

 

 ヴァルトにも、ペンダントのこと、七人の技能、ジェムの言葉を順に見てもらう必要があった。

 

 

 

 扉の向こうから、ヴァルトが船着き場を見渡した。

 

 衛兵と拘束されたラシムの向こうに、鉛板や箱の部材が並んでいる。

 

 黒い石を包んだ布も、衛兵の手元にあった。

 

 毛布を掛けられたエリフのそばでは、リュシアが水の器を支えていた。

 

 ナジムとルネスタが見守り、理央とレイニャは開いたノートを手にしている。

 

 ヴァルトは、まず衛兵の配置と拘束者の様子を確かめた。

 

 次に、鉛板と切り離された容器へ視線を移す。

 

 彼は現場にいる顔を一人ずつ見た。

 

 誰かが説明を始める前に、まず全員の無事と拘束の状態を確かめているようだった。

 

 扉を開ける前に理央が呼んだ時より、そこにいる人は増えていた。

 

 ヴァルトは目を細めた。

 

「……ずいぶん増えましたね」

 

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