押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第385話 鍵を返してもらおう

「――鍵を返してもらおう」

 

 声が届いたのは、鏡の中の男の口が動いたあとだった。

 

 理央は返事をしかけた唇を閉じ、レイニャに掴まれた袖を握り返した。

 

 黒い鏡の前には、理央と真壁、ヴァルト、レイニャ、リュシアの五人がいた。

 

 リュシアは外周に残した衛兵をナジムへ預け、境界の裂け目が一度だけ広がった隙に、理央たちへ追いついていた。

 

 裂け目はすぐに閉じ、ナジムは衛兵を率いて境界の外側に残った。

 

 人数を預かると決めたリュシアも、今は鏡から目を離せずにいた。

 

 理央の収納の中で、灰色の小片が震えていた。

 

 最初は、指先で感じ取れるかどうかというほどの細かな振動だった。

 

 それが少しずつ強まり、収納内の区画を分ける感覚まで揺さぶり始める。

 

「……動いてます」

 

「何がだ」

 

「鍵です、収納の中で震えています」

 

 ヴァルトの表情が硬くなった。

 

「理央さん、隔離を強めてください」

 

「強めるって、どうすれば」

 

「分類を通常から単独へ移してください、外とのつながりを切る方です」

 

 理央は息を整える間もなく、収納の区画を開いた。

 

 灰色小片だけを他の物品から切り離し、分類を単独に変えて、探索の対象からも外す。

 

 ただ奥へしまい込むのとは違う。

 

 収納の中で距離を取るのではなく、外の何かと結びついている関係を断つ操作だった。

 

 指示を終えると、小片の震えが弱まった。

 

 鏡の中のシナンの輪郭が、黒い水面に石を落としたように歪んだ。

 

「――どこへ……」

 

 声が途中で割れ、今度は小片が完全に静まった。

 

 鏡の中の人影も消えた。

 

 残ったのは、周囲を映さない黒い面だけだった。

 

 理央は、思わず口を開いた。

 

「返しません」

 

 真壁が彼女を見た。

 

「理央君」

 

「あ」

 

「返事をするなと言っただろう」

 

「……すみません」

 

「言いたくなるやつだったニャ」

 

「君まで同意しなくてよい」

 

 ほんの一瞬だけ、張りつめていた空気が緩んだ。

 

 けれどヴァルトは、鏡から目を離さなかった。

 

「完全に切れたとは限りません」

 

「分かっている」

 

 真壁はすぐに視線を足元へ移した。

 

「まず、六人を出す」

 

 

 

真壁は自分以外の四人を順に見て、短く役割を割り振った。

 

「理央君は鍵を隔離したまま、私は温度を見る」

 

「ヴァルト君は接続構造を調べてくれ」

 

「レイニャ君は地下と周囲の音を頼む」

 

「任せるニャ」

 

 真壁はリュシアへ向き直った。

 

「君は退路と人数を頼む、何かあれば止めてくれ」

 

「分かった、全員いるか数える役だね」

 

「そうだ」

 

「一人足りない、は無しだよ」

 

 リュシアは返事をして、全員の立ち位置を確かめた。

 

 理央は収納の隔離区画に意識を残し、ヴァルトは黒い面から伸びる魔力を探り、真壁は手にしたスマートグラスを掛け直した。

 

 レイニャの耳は、鏡の向こうではなく地面へ向いている。

 

 レイニャは《聞き耳》を使い、近くの音と地下から届く音を分けて拾った。

 

 誰か一人に任せるのではなく、五人が別々の手掛かりを拾う形ができた。

 

「三つ同時だ」

 

「はい」

 

 真壁は頷き、鏡の周囲に目を凝らした。

 

 

 

 スマートグラスの画面では、黒い鏡の縁が周囲よりわずかに冷えて見えた。

 

 温度差だけでは、それが何に使われるものかまでは分からない。

 

 真壁は視線を足元へ下げ、鏡の根元から地面へ伸びる細い筋を見つけた。

 

 筋は一本ではなく、北から北東、東、南東、南、南西、西、北西へと八方向に広がっていた。

 

 どれも周囲よりわずかに冷たく、落ち葉の下へ潜るように続いていた。

 

 真壁は一度、画面から目を離して肉眼で地面を見た。

 

 そこには枯れ葉と草の影しかなく、冷たい筋がどこを通っているのかは分からない。

 

 彼は足をずらし、影が動いても筋の位置が変わらないことを確かめた。

 

「線がある」

 

「どこです?」

 

「地表だ、八方向へ伸びている」

 

 ヴァルトは腰を落としたが、手を地面には触れなかった。

 

「同じ方向に魔力線があります、地表の下へ続いています」

 

 真壁が見た温度差と、ヴァルトが追った魔力の流れは、ほとんど同じ場所を通っていた。

 

「地下まで見えているわけではありません」

 

 真壁は理央へ釘を刺すように言った。

 

「分かるのは表面の温度だけだ、地下の形はまだ分からん」

 

「はい」

 

 ヴァルトは地面から視線を離した。

 

「古い大型封印に、似た配置があります」

 

「ここに何かを閉じ込めているんですか」

 

 理央の声に不安が混じった。

 

「似ているだけです、まだ封印と決めないでください」

 

「分かりました」

 

 理央は鏡ではなく、八方向の線を見た。

 

 その先に何があるのかを知りたくなったが、今は答えを急ぐ場面ではない。

 

 

 

 ヴァルトは八本の魔力線を目で追い、交わる中央へ視線を戻した。

 

「地中に固定点が八つあります」

 

「杭か」

 

「そう呼ばれるものに近いですが、実物が杭とは限りません」

 

 ヴァルトは言葉を選ぶように一度黙り、地面の線を順に指でなぞるように示した。

 

「埋めた術式かもしれませんし、石柱や魔石の可能性もあります」

 

「役割は何だ」

 

 すぐには答えず、ヴァルトは黒い鏡と灰色小片を順に見た。

 

 これまでに見た接続の反応が、頭の中で一つずつ並んでいく。

 

「封印に似てはいます」

 

「やっぱり何かを閉じ込めているんですか」

 

「そこまでは言えません」

 

 ヴァルトは中央を指した。

 

「むしろ、ここに接続点を置き続けるための構造に見えます」

 

「位置を固定しているのか」

 

「はい、八方向から中央を押さえて、同じ場所に接続面を保つためのものかもしれません」

 

 真壁は黒い面を見た。

 

「向こう側へつなぐ場所を固定している」

 

「その見方が、今分かっている現象には近いです」

 

「鏡を壊せば、止まるんでしょうか」

 

 理央の問いに、ヴァルトはすぐ首を振った。

 

「何が起きるか分かりません、壊すのは避けた方がいいでしょう」

 

 真壁も同じ考えだった。

 

「鏡には触らない、調べるのも後だ」

 

 彼は鏡から視線を切った。

 

「六人を出す」

 

 

 

 ヴァルトがもう一度線を追うと、北東へ伸びる一本だけが他より薄く見えた。

 

「北東だけ弱いです」

 

「私が鍵を使ったからでしょうか」

 

 理央の顔が曇った。

 

 境界を開けるために、小片を一度外へ出した。

 

 あの時に切れ目が開いたのは、北東側だった。

 

 今、同じ方角の線だけが弱い。

 

 理央の指先が冷たくなった。

 

 それが今の変化につながったのなら、自分が危険を大きくしたのではないか。

 

「可能性はあります」

 

 ヴァルトは慎重に答えた。

 

「ですが、全体の構造はまだ維持されています、今すぐ何かが開く状態ではありません」

 

 理央は、返す言葉を探して口を閉じた。

 

「原因と責任の話は後だ、今は六人を出す」

 

 真壁の声に、理央の視線が地面から戻った。

 

「……はい」

 

 その時、足元から鈍い音が届いた。

 

 ゴン、と地中の石を拳で叩いたような響きだった。

 

 少し間を置いて、同じ音がもう一度鳴った。

 

 レイニャの耳が地面へ向く。

 

「下からニャ」

 

「何かいるの?」

 

 リュシアの問いに、ヴァルトは首を振った。

 

「分かりません、構造が動いた音かもしれませんし、人が作業している音かもしれません」

 

 その返事が終わる前に、地面の奥から声が響いた。

 

「鍵が消えた!」

 

「接続が落ちる!」

 

 レイニャが顔を上げた。

 

「人の声ニャ」

 

 真壁は迷わなかった。

 

「六人も下だ、入口を探す」

 

 

 

 レイニャは片膝をつき、地面へ耳を寄せた。

 

 石の向こうで、慌ただしい足音がいくつも交差している。

 

「走ってるニャ、上の方にも何人かいる」

 

 レイニャは耳の向きを変えた。

 

「その下にも人がいるニャ」

 

 途切れ途切れの声が、地下から這い上がってくる。

 

「鍵が消えた!」

 

「接続基部が反応した!」

 

 レイニャは聞き取れた言葉だけを伝えた。

 

「こっちの操作に気づいたな」

 

 真壁は、彼女の言葉の続きを待った。

 

 また人の声がする。

 

「四番!」

 

「文字を読め!」

 

 レイニャの耳がぴんと立った。

 

 理央は毛布を掛けたエリフの顔を思い浮かべた。

 

「四番はレイラさんです」

 

 すぐ別の声が重なった。

 

「五番を連れてこい!」

 

 リュシアの表情が変わった。

 

「いる」

 

 番号を呼ばれているだけではない。

 

 誰かが生きたまま、役目を強いられている。

 

「入口を探す」

 

 真壁はそう言って、理央へ目配せした。

 

 

 

 理央は《世界地図》を広げた。

 

 見えているのは円形の地上遺跡と、その周囲の林だけで、地下は空白のままだった。

 

「やっぱり地下は出ません」

 

「入口を見つける」

 

 ヴァルトが円形広場の端を見た。

 

「この辺りに隠蔽があります、中央の仕掛けとは別のものです」

 

 彼が指した先は草に覆われ、低木の根が石の縁まで伸びていた。

 

 理央はしゃがみ込み、草の根元を指で分けた。

 

「ここですか」

 

 理央は平石の周囲を手で探り、風が出ている継ぎ目を見つけた。

 

 石の表面には苔が薄く広がり、最近誰かが動かした跡は見えない。

 

「下から空気が上がってるニャ」

 

 レイニャの耳が、平らな石板の継ぎ目を向いた。

 

 理央は石板の上に生き物の反応がないことを確かめた。

 

「表面だけ外します」

 

 収納の靄が草と薄い土を包み、石板の一部を持ち上げるように消した。

 

 その下から、冷たい空気と暗い階段が現れた。

 

 同時に、《世界地図》の空白へ細い線が走った。

 

「出ました、地下へ続いています」

 

「経路は?」

 

 理央は地図を拡大した。

 

「三本です、北西は長くて、南は部屋が多いです」

 

 東へ伸びる線は、途中から南側の大きな部屋へ枝分かれしていた。

 

「六人の声、南寄りニャ」

 

 真壁は東の通路を選んだ。

 

「東から入る、複雑な部屋を避けよう」

 

 

 

 石階段は狭く、壁の両側に古い煤の跡が残っていた。

 

 先頭のレイニャが足を止めるたび、真壁もその背後で止まり、理央とリュシア、ヴァルトが互いの距離を詰めすぎないように続いた。

 

「前に二人ニャ」

 

 角の先に、武器を持った見張りがいる。

 

 声を潜めた会話が聞こえた。

 

「七番はまだか」

 

「川で止まったらしい」

 

「先に四番をやらせろ」

 

 エリフを連れてこいという意味だった。

 

 理央の指が強張ったが、真壁が片手を上げて制した。

 

 彼は二人の間合いと、背後に続く通路を目で測った。

 

「生け捕りだ」

 

 理央は頷き、壁際から必要な範囲だけに意識を向けた。

 

「《重力》」

 

 二人の肩が沈み、膝が石床についた。

 

 一人が持っていた短剣を落とし、もう一人の棒が床に転がる。

 

 真壁はそれを靴先で遠ざけた。

 

「命は取らん、そのまま伏せていたまえ」

 

 レイニャの耳は、後ろの通路へ向いていた。

 

「後ろは来てないニャ」

 

 リュシアが二人の拘束を確認してから、先へ進むよう促した。

 

「じゃあ行こう」

 

 捕らえた二人を残し、一行は足音を抑えて奥へ向かった。

 

 

 

 南側の大部屋では、机を囲む者たちの手が止まっていた。

 

 レイニャは扉の隙間から音を拾い、指を折った。

 

「中、九人ニャ」

 

「六人は動きが少ない、三人は歩いてるニャ」

 

 真壁は扉の横に立ち、全員の位置を目で確かめた。

 

「入る」

 

 扉を押し開けると、最初に見えたのは作業台の上に重ねられた古い石板だった。

 

 その横でレイラが身を屈め、削れて読みにくい文字を何度も紙へ写し取っていた。

 

 ケマルの前には大きな図面が広げられていて、方位と距離を示す線が、途中で幾度も引き直されている。

 

 壁際ではカディルが鉄枠の錠に手を掛けていた。

 

 指先には小さな擦り傷がいくつも走り、解除機構の脇には罠のばねが露出していた。

 

 オヌルは床の魔術陣を前に膝をつき、壁へ走る結界線を追わされているようだった。

 

 ゼイネプの側には栓を抜かれた瓶と、色の異なる粉末が並んでいた。

 

 ジェムは石片や金属片を一つずつ手に取り、鏡に似た破片を別の皿へ分けていた。

 

 作業台を囲む六人は、声を掛け合うこともなく、互いの手元を見ていた。

 

 レイラが文字の一つを指すと、ケマルは図面の方位を直し、カディルは錠のばねから目を上げた。

 

 ジェムは皿に並んだ破片を二つ選び、オヌルへ見せるように差し出した。

 

 互いの作業を確かめながら、六人は一つの答えを組み立てていた。

 

 

 

「誰だ!」

 

 一人が振り返り、二人が武器へ手を伸ばした。

 

 その隙に、三人目が奥の扉へ走った。

 

 理央は逃げた男を追わず、残った二人だけに意識を絞った。

 

「《重力》」

 

 二人の身体が床へ沈んだ。

 

 一人は武器を握ったままうつ伏せになり、もう一人は床に手をついた。

 

「一人逃げるニャ!」

 

 理央は反射的にその背を追いかけようとした。

 

「追うな」

 

 真壁の声が鋭く飛んだ。

 

「六人が先だ」

 

「はい」

 

 理央は走りかけた足を止めた。

 

 リュシアは倒れた二人を視界の端に置いたまま、六人へ近づいた。

 

「動ける人?」

 

 最初に顔を上げたのはジェムだった。

 

 声はかすれ、唇は乾いていた。

 

「七番は?」

 

 理央は迷わず答えた。

 

「助けました、安全な場所にいます」

 

 ジェムの肩が、目に見えて落ちた。

 

 レイラは書きかけの紙から手を離し、目を閉じた。

 

 カディルは鉄枠に置いていた手を下ろし、ゼイネプは瓶から視線を外した。

 

 ケマルが深く息を吐き、オヌルは床についた指をゆっくり曲げた。

 

 ジェムは壁へ手をついた。

 

「……そうか」

 

 その一言だけで、理央には彼らがどれだけエリフを気に掛けていたか伝わった。

 

 

 

「話は後にしよう、まず立てる人から教えて」

 

 リュシアは救出者を見回し、肩を貸せる者と支えが必要な者を確かめた。

 

 ジェムは壁を支えにすれば歩けそうだった。

 

 ゼイネプも自分の足で立ち、ケマルは膝が揺れながらも、肩を貸せば進めると言った。

 

 レイラは長いあいだ同じ姿勢でいたらしく、足にしびれが残っていた。

 

 カディルの手には傷があったが、歩行に支障はなさそうだった。

 

 オヌルは立ち上がろうとしたものの、膝が抜けて床へ崩れた。

 

 レイニャがすぐ腕を支えた。

 

「無理ニャ」

 

「状態を見ます」

 

 理央は、オヌルが怖がらないよう声をかけてから《鑑定》を使った。

 

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オヌル

 分類:人間

 現在ジョブ:魔術師見習い

 状態:衰弱

 疲労度:高

 身体異常:鎮静薬残留/軽度脱水

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 命に関わる異常は表示されていなかったが、長い地下通路を歩かせる状態ではない。

 

 オヌルは目を開けていたが、焦点が合うまで少し時間がかかった。

 

 理央が呼びかけると、遅れて視線が動き、指先が床を探るように触れた。

 

「歩かせない方がいいです」

 

 ゼイネプもオヌルの唇と呼吸を見て、器の水を一口だけ含ませた。

 

「水を一気に飲ませないで、薬がまだ残ってる」

 

「運ぶ方法は?」

 

 リュシアの問いに、理央の頭には先日助けたエリフのことが浮かんだ。

 

 人間を《生体収納》に入れたのは、あの時が初めてだった。

 

 短時間で外へ出せたのも、確かめられたのは一人だけだ。

 

「……《生体収納》があります」

 

 真壁は理央を見た。

 

「エリフさんを助けた時、一人なら短時間はできました」

 

「今回も一人だけにします、出たらすぐ状態を確かめます」

 

「前例は一回だけです、長時間にしない方がいいでしょう」

 

 ヴァルトの声は静かだった。

 

「はい」

 

 理央はオヌルの目線に合わせてしゃがんだ。

 

「少し変な方法なんですけど、外へ出るまで私の《生体収納》に入ってもらえますか」

 

 オヌルは説明を理解しきれない様子で、ジェムの顔を見た。

 

 ジェムが理央に尋ねた。

 

「安全なのか」

 

「一回だけ、人を短時間入れて助けたことがあります」

 

「絶対とは言えません、でもこのまま歩くより負担は少ないと思います」

 

 理央は危険を隠さなかった。

 

 自分の能力なら絶対に大丈夫だと、今ここで言い切ることはできない。

 

 それでも、弱ったオヌルをこの通路へ歩かせる方が、理央には怖かった。

 

 オヌルは少し考え、弱く頷いた。

 

「……頼む」

 

「はい」

 

 理央はほかの五人を収納の対象から外し、オヌル一人だけを《生体収納》へ移した。

 

 収納の中には、生体反応が一つだけ浮かんでいた。

 

「入りました」

 

 リュシアはすぐに人数を数え直し、六人が揃っていることを確かめた。

 

 

 

「待ってくれ」

 

 ジェムが、出入口へ向かいかけた一行を止めた。

 

「短く」

 

 真壁が応じた。

 

「俺たちだけじゃない」

 

 理央は振り返った。

 

「まだ人がいるんですか」

 

 ジェムは首を横に振った。

 

「人じゃない」

 

 その言葉で、部屋の空気が変わった。

 

 ジェムは一度だけ鏡が揺れた時、向こう側に見えたものを鑑定したという。

 

 名前も、ジョブも、レベルも出なかった。

 

 ただ一瞬、分類欄にだけ見慣れない文字が浮かんだ。

 

「《境界外存在》」

 

 理央はヴァルトを見た。

 

「ヴァルトさん、知っていますか」

 

「いいえ、私は知りません」

 

 ヴァルトは間を置かずに答えた。

 

 ヴァルトが知らないと即答したことで、理央はかえって言葉を失った。

 

 彼もまた、分からないものへ無理に意味を当てはめようとはしなかった。

 

 ジェムは一度、口を閉じたまま理央たちの顔を見渡した。

 

 彼が知っているのは、目にした表示と、向こう側で起きていた動きだけだった。

 

「一つだけだったのか」

 

 真壁の問いに、ジェムはまた首を振った。

 

「少なくとも三ついた、一つはずっとこっちを見てた」

 

 理央の脳裏に、鏡の中のシナンの目がよみがえった。

 

「残りの二つは、向こうで何かを開こうとしていた」

 

「扉か」

 

「違う、もっと大きい」

 

 ジェムは言葉を探すように、少し黙った。

 

「門だ」

 

 理央は息をのんだ。

 

 七人の技能と灰色小片、地中の固定点が、一つの目的へ向けて揃えられていたのかもしれない。

 

「だから七人を集めたんですね」

 

「たぶんな、俺たちはこっち側を開くために集められた」

 

 真壁は、話を先へ広げなかった。

 

 

 

 理央には、ジェムへ聞きたいことがいくつもあった。

 

 ヴァルトも黙っていたが、目はジェムの表情を確かめている。

 

「外で聞く」

 

 真壁はそれだけ告げた。

 

「六人を救うために来た、六人を連れて帰る」

 

 ジェムは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

「見たものの正体を調べるのは、その後だ」

 

「私も賛成です、地下の構造が安定している保証はありません」

 

 ヴァルトも短く同意した。

 

 真壁が彼へ目を向けた。

 

「ヴァルト君、撤退路を見てくれ」

 

「分かりました、真壁さん」

 

 理央は《世界地図》に指を置き、いま通ってきた道をなぞった。

 

 地上へ続く線はまだ見えている。

 

 理央はジェムたちの疲れた顔を見て、全員を連れて戻る道筋を頭の中で確かめた。

 

 

 

 理央はルネスタ商館の奥にある客室を思い浮かべた。

 

 そこにはエリフが待っている。

 

 帰るために《関門接続》を使おうとしたが、いつもなら手の先に集まる靄がどこにも現れなかった。

 

「……え?」

 

 理央は目を瞬かせ、意識を切り替えてもう一度試した。

 

 何も起きない。

 

「ちょっと待ってください」

 

 レイニャが耳を立てた。

 

「どうしたニャ?」

 

「外へ扉が作れません」

 

 理央は、さっき通ってきた林の場所を思い浮かべた。

 

 そこにも開かない。

 

「使えないのかい」

 

 リュシアの問いに、理央は首を振った。

 

「ここから外の場所が、つかめないんです」

 

 《世界地図》を見直すと、遺跡の内部と地下通路は表示されたままだった。

 

 外の森や街道は、境界の向こうで途切れている。

 

「中は地図に出ます、外へつながらない」

 

 扉を開けば帰れると、いつの間にか信じていた。

 

 その道が目の前で消え、理央の指先が冷たくなった。

 

 呼吸が浅くなり、喉の奥で吸った空気がつかえる。

 

 この場所から出られないかもしれないという考えが、ひと息ごとに大きくなった。

 

 

 

「理央さん」

 

 ヴァルトが、彼女の焦りを急かさないように声をかけた。

 

「もう一度だけ、地下の別の場所へ開けられますか」

 

 理央は、先ほど通った階段の手前を思い浮かべた。

 

 今度は靄が集まり、狭い扉の形を作った。

 

「……開きます」

 

 真壁は扉と地図を交互に見た。

 

「術そのものを止められたわけではないな」

 

「はい、止められているなら内部同士でも開かないはずです」

 

「じゃあ、なんで外だけ……」

 

 ヴァルトはすぐに答えを決めず、地図の空白と壁の魔力線を見比べた。

 

「ここが外の場所との関係を切られているのかもしれません」

 

「関係を?」

 

「今いる場所そのものが、外側の空間から位置として参照できない状態です」

 

 ヴァルトは理央の《世界地図》を見た。

 

「中からも外を接続先として捉えられない、そう考えると今の現象には合います」

 

「場所ごと隔離しているのか」

 

「断定はできませんが、その可能性が高いです」

 

 真壁は追及を止めた。

 

「原因は外へ出てから考える」

 

 理央は冷えた指を握り、もう一度地図へ目を戻した。

 

 内部の道はまだ見えている。

 

 帰り道があるなら、まずはそこを通るしかなかった。

 

 

 

 レイニャの耳が後方へ向いた。

 

「来るニャ」

 

 真壁は身を寄せ、人数を尋ねた。

 

「後ろに三人、その後ろにもいるニャ」

 

 足音は近づいたり遠ざかったりせず、一定の間隔で石床を打っていた。

 

 追っている者たちが急いでいるのか、待ち伏せしているのかさえ、音からは読み取れない。

 

 少し間を置いて、レイニャは眉を寄せた。

 

「三人の歩き方が同じニャ」

 

「シナンと?」

 

「同じくらい変ニャ、歩幅も間もずっとそろってる」

 

 そのほかにも複数の足音が続いていた。

 

 救い出した五人は歩けても、長い距離を急げる状態ではない。

 

 オヌルは理央の収納にいる。

 

 ここで敵を待ち受ける理由はなかった。

 

 真壁は《世界地図》を見て、別の道を指した。

 

 南は部屋が多く、北西は遠回りになる。

 

 その先に、地図上では細い空間が残っていた。

 

 通路かもしれないが、今いる道との間には石壁がある。

 

 理央は壁を見た。

 

 壁を抜けば近道になる。

 

 ただし、その一手がどこまで遺跡に影響するかは、彼女には判断できなかった。

 

「この壁の石だけを少し収納すれば、向こうへ抜けられませんか」

 

 理央の問いに、真壁は壁を見た。

 

「可能性はある、だが術式を確かめてからだ」

 

 

 

 理央は壁へ手を伸ばした。

 

 その手を止めたのは、ヴァルトの声だった。

 

「待ってください、どこでも抜いていい壁ではありません」

 

 彼は壁へ近づきすぎず、表面を伝う魔力を探った。

 

「上と下に術式が通っています」

 

「ここを切ると、中央へ影響するかもしれません」

 

 真壁は壁全体を見た。

 

「抜ける場所は」

 

 ヴァルトは中央の一角を示した。

 

「今見える範囲では、この部分に線がありません」

 

「人の胸から腰ほどの幅なら、通路を作れます」

 

「人一人分ですね」

 

「はい、広げすぎないでください」

 

 ヴァルトは、上と下を走る術式の線を目で追い、指先を中央の空白へ移した。

 

 理央は彼の指が止まるのを待ってから、収納の範囲を決めた。

 

 理央はヴァルトが示した場所を確かめてから頷いた。

 

「分かりました」

 

 収納の靄が壁の中央だけを包み、石材を人ひとりが通れる大きさに取り除いた。

 

 向こう側には暗い通路が続いている。

 

 レイニャはすぐに耳を向けた。

 

「人はいないニャ」

 

「通る」

 

 真壁の声に合わせ、リュシアが救出者を一人ずつ送り出した。

 

「ジェム、いるね」

 

「いる」

 

「ゼイネプ」

 

「いるよ」

 

 ケマル、レイラ、カディルも、返事をしながら壁の向こうへ抜けた。

 

 理央は収納内の生体反応を確かめた。

 

 オヌルは一人、確かに中にいる。

 

 最後に真壁とヴァルト、レイニャ、リュシア、理央が通り、理央は保存した石材を元の位置へ戻した。

 

 完全に元通りではないが、追手がすぐに抜ける隙間は塞がった。

 

 壁の向こうで足音が止まった。

 

「――七番はどこだ」

 

 声が遅れて響いた。

 

 理央は返事をしなかった。

 

 レイニャが彼女の袖をつまみ、小さく引いた。

 

 理央は頷き、歩き出した。

 

 

 

 通路は低く、天井から落ちる水滴が石床に小さな音を立てていた。

 

 排水路のようにも見えたが、床には水が流れた跡が少ない。

 

 壁に刻まれた円と縦長の楕円は、黒い鏡の輪郭に似ていた。

 

「排水路ではありません」

 

 ヴァルトは刻みを見ながら言った。

 

「保守通路だと思います、接続設備の裏側へ触れるための造りに見えます」

 

「表を開かず、内側から調整する通路か」

 

「その可能性があります」

 

 前方に淡い光が見えた。

 

 湿った石の匂いに、金属を濡らした時のような冷たい匂いが混じっている。

 

 通路の刻みは連続しておらず、ところどころ削れたり、別の線に塗りつぶされたりしていた。

 

 壁の一部に、細長い板のような面が埋め込まれている。

 

 黒い鏡そのものではない。

 

 それでも、板の奥では同じ黒さがわずかに揺れていた。

 

「声するニャ」

 

 レイニャが告げた直後、光の向こうに人影が浮かんだ。

 

「七番を連れてこい」

 

 別の声が続いた。

 

「七番がいなければ開かない」

 

「……エリフさん」

 

 リュシアは理央の表情を見て、そっと頷いた。

 

「助けたこと自体が、止めているんだね」

 

 ヴァルトは黒い面を見つめた。

 

「そう見えます」

 

 また声がした。

 

「鍵を返せ」

 

 理央は収納へ意識を向けた。

 

 隔離した灰色小片が、再び震えている。

 

「またです」

 

「理央さん、隔離はそのままにしてください」

 

 真壁はヴァルトへ目を向けた。

 

「何が起きている」

 

「向こう側が、こちらの接続点を維持できなくなっているようです」

 

「切れているのか」

 

「まだです、ただかなり不安定です」

 

 黒い面の輪郭が、一度大きく揺らいだ。

 

 

 

 淡い光の中の黒い面は、さきほどより狭くなっていた。

 

 人影は揺れ、誰が話しているのかも判然としない。

 

「鍵を返せ」

 

「七番を連れてこい」

 

「まだ間に合う」

 

 理央は言葉を返さなかった。

 

 鏡の声を聞くのは初めてではないが、今度はレイニャに袖を掴まれなくても、唇を閉じていられた。

 

 灰色小片は隔離区画の中で震え続けている。

 

 理央は外へつながる感覚をさらに遠ざけるように、隔離状態を保った。

 

 鍵を外へ出せば、境界の切れ目がまた開くかもしれない。

 

 接続が戻れば、向こう側を助けることになる。

 

 震えは強まっていたが、理央は隔離を解かないと決めた。

 

 黒い面に白い線が走った。

 

 ガラスが割れた音はしない。

 

 映像そのものが細かくほぐれ、奥の景色を保てなくなっていく。

 

「真壁さん」

 

 ヴァルトの声が急に張りつめた。

 

「接続先が崩れています」

 

 真壁は黒い面を見た。

 

「こちらの術式が壊れたのか」

 

「違います、こちら側の回路は残っています」

 

 ヴァルトは壁に触れず、そこを流れる魔力を追った。

 

「向こう側を指定していた接続情報が失われています」

 

「接続情報が……?」

 

 理央は意味をつかめず、ヴァルトの言葉を待った。

 

「こちら側の道が壊れたのではありません、行き先を示す情報が消えていくのです」

 

 黒い面の奥に、大きな輪郭が浮かんだ。

 

 門のようにも見えるが、形は崩れ、こちら側へ伸びてくる様子はなかった。

 

 ジェムが見たものは、あれなのかもしれない。

 

 けれど、確かめるために近づく者はいなかった。

 

「待て……!」

 

 声が初めて焦りを帯びた。

 

「それを断てば、二度と――」

 

 音がひしゃげた。

 

「おのれ……我らの……悲願が――」

 

 最後の言葉は、途中で消えた。

 

 黒い面も消え、壁にはくすんだ板状のものだけが残った。

 

 レイニャが耳を立てたまま動かなかった。

 

「……音、ないニャ」

 

 理央は隔離区画を開き、小片へ《鑑定》を使った。

 

----------------------------------

名称:不明

分類:魔術触媒

状態:機能停止

主材質:判別不能

付与術式:判別不能

接続状態:切断

接続先:なし

----------------------------------

 

「接続状態は切断、接続先はありません」

 

 真壁はヴァルトを見た。

 

「戻る可能性は」

 

 ヴァルトは接続口、地面の魔力線、灰色小片の順に確かめた。

 

 答えを急がなかった。

 

「ありません」

 

 理央は彼を見た。

 

「少なくとも、この遺跡と鍵に残った術式からは、同じ向こう側へ接続できません」

 

「理由は」

 

「こちら側の術式を直しても、もう接続先を指定できません」

 

「じゃあ、向こうはもう来られないんですか」

 

「この経路からは来られません」

 

 真壁は一度だけ頷いた。

 

「十分だ」

 

 ヴァルトが周囲へ意識を向けた。

 

「真壁さん、隔離境界も落ちています」

 

 《世界地図》を開いていた理央は、空白の外に森の地形が戻ってくるのを見た。

 

「外が戻りました」

 

 切れた接続の向こうではなく、すぐ外にある森と街道が地図へ再びつながっていく。

 

 

 

 理央はルネスタ商館の奥の部屋を思い浮かべた。

 

 森の位置を地図で確かめると、今度は距離と向きが手の中で結びついた。

 

 《関門接続》を使う。

 

 靄が集まり、扉の輪郭を作った。

 

「開きました」

 

 誰もすぐには動かなかった。

 

 理央は先に扉の向こうを確かめ、レイニャも耳を傾けた。

 

「向こうに人いるニャ、ルネスタのところニャ」

 

 リュシアの肩から力が抜けた。

 

「帰れるね」

 

「先に救出者だ」

 

 真壁の指示で、リュシアが歩ける五人を順番に呼んだ。

 

 ジェム、ゼイネプ、ケマル、レイラ、カディルが、一人ずつ扉をくぐった。

 

「ジェム、いるね」

 

「いる」

 

「ゼイネプ」

 

「いるよ」

 

 ケマル、レイラ、カディルも返事をした。

 

 理央は《生体収納》にいる反応を確かめた。

 

「オヌルさんもいます」

 

「全員ニャ」

 

 リュシアは最後にもう一度、通路に残る者がいないか振り返った。

 

 全員の足が扉を越えたのを見届けてから、理央たちは境界の向こうへ戻った。

 

 ヴァルトは、もう黒くならない接続口を最後に見た。

 

「残りますか」

 

 真壁が尋ねると、ヴァルトは首を振った。

 

「いいえ。今ここに残る必要はありません」

 

「では帰ろう」

 

 五人と救出者たちは、再びつながった扉を越えた。

 

 

 

 ルネスタ商館の奥の客室には、毛布を掛けたエリフが待っていた。

 

 水差しと器が手の届く場所に置かれ、入口の外には衛兵が立っている。

 

 扉が開き、ジェムが姿を見せた。

 

 エリフは腰を浮かせた。

 

「……ジェムさん」

 

 ジェムは足を止めた。

 

「七番」

 

 エリフは小さく首を振った。

 

「エリフです」

 

 一拍置いて、ジェムの顔がゆるんだ。

 

「……エリフ」

 

 ゼイネプが彼女の名を呼び、ケマルは「よかった」と声を落とした。

 

 レイラの目に涙が浮かび、カディルは顔をそむけた。

 

「オヌルは?」

 

 エリフの問いに、理央はすぐ収納へ意識を戻した。

 

「今、出します」

 

 靄が広がり、オヌルの身体が毛布の上へ現れた。

 

 理央はすぐに《鑑定》を使った。

 

「収納で増えた異常はありません」

 

 衰弱も鎮静薬の残留も軽度の脱水も、収納する前と変わっていなかった。

 

 ゼイネプが脈と呼吸を確かめ、レイニャは隣へ膝をついた。

 

「薬、残ってるニャ、先に《解毒》するニャ」

 

 理央は頷いた。

 

「お願いします」

 

 レイニャはオヌルの胸元へ両手をかざし、《解毒》を使った。

 

 ゼイネプは呼吸と脈を見守り、理央は《鑑定》の表示が変わらないか確かめた。

 

 リュシアは水と毛布を運び、ルネスタは衛兵に入口を守らせた。

 

 全員が部屋へ戻り、誰も番号で呼ばれずにそこにいた。

 

 エリフの指が毛布の縁をほどき、ジェムの肩へ伸びた。

 

 ジェムはその手を受け止め、何も言わずに一度だけ頷いた。

 

 

 

 エリフは一人ずつ、仲間の顔を見た。

 

「ジェムさん」

 

「ここにいる」

 

「ゼイネプさん」

 

「いるよ」

 

「ケマルさん」

 

「大丈夫だ」

 

「レイラさん」

 

 レイラは目元を拭き、頷いた。

 

「カディルさん」

 

「いる」

 

 最後に、エリフは横になったオヌルを見た。

 

「オヌル」

 

 弱い返事が、毛布の向こうから返った。

 

 理央は部屋の端へ下がった。

 

 レイニャも隣に座らず、リュシアは飲み物だけを置いて距離を取った。

 

 真壁もヴァルトも、すぐに言葉を挟まなかった。

 

 ここは彼らが取り戻した時間だった。

 

「みんな、いなくなったから」

 

 エリフの声は途中で揺れた。

 

「もう……」

 

 ジェムは言葉を探した。

 

「俺たちも、七番が来ないから失敗したんだと思ってた」

 

 彼は言葉を切り、エリフの顔を確かめた。

 

「……いや」

 

「エリフが来ないから、向こうの計画は失敗したんだと思ってた」

 

 エリフは毛布の端を握った。

 

「失敗?」

 

「向こうの計画がだ」

 

 番号ではなく名前を呼ぶ声が、部屋の中に一人ずつ増えていった。

 

 

 

 七人が椅子や寝台へ落ち着いた頃、真壁はジェムに向き直った。

 

「先ほどの門について、話せる範囲だけでいい」

 

 ジェムは水を一口飲んでから答えた。

 

「鏡の向こうにいたのは、少なくとも三つだ」

 

「一つは、こっちを見ていた」

 

「残り二つは向こうで大きなものを開こうとしていた」

 

「門か」

 

「そうだ、扉って大きさじゃなかった」

 

 ジェムには、それ以上のことは分からなかった。

 

 何を通すつもりだったのかも、どこにあったのかも、確かめる手段は残っていない。

 

 理央は灰色小片を取り出さず、収納の隔離区画から《鑑定》を使った。

 

 表示は変わらず、接続先はなかった。

 

「でも、もうつながらないんですよね」

 

「はい、こちら側の術式を直しても、もう接続先を指定できません」

 

 ヴァルトは静かに続けた。

 

「同じ接続を作り直すことはできません」

 

 ジェムは確かめるように彼を見た。

 

「本当に?」

 

「少なくとも、私が見た術式には復旧先がありません」

 

 真壁は彼らの間に割って入らず、最後に短く言った。

 

「ならば、今はそれでいい」

 

 レイニャが、張り詰めていた息をようやく吐いた。

 

「よかったニャ」

 

 リュシアも頷き、眠るオヌルとエリフたちを見渡した。

 

「それで十分だよ」

 

 エリフは仲間たちを見回した。

 

「私たち、もう番号じゃないんですよね」

 

「はい、名前があります」

 

 理央はそう答えた。

 

 レイニャの耳が、柔らかく揺れた。

 

「じゃあ、名前で呼ぶニャ」

 

「エリフ」

 

 レイニャの声に、ジェムたちもそれぞれの名で応じた。

 

 客室には、水を置く音と、重なって返る名前が静かに満ちていった。

 

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