押し入れの向こうは異世界でした   作:Brooks

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第388話 帰っても、また出られるニャ

 

 

 ハリルの治療院を出て試験ドックへ戻ると、飛行船の下には、もう帰路の荷が集まっていた。

 

 荷車が停まるたびに、車輪の音に代わって木箱を下ろす音が響く。

 

 昼過ぎの風が広い係留場を渡り、頭上の気嚢を低く鳴らしていた。

 

 真壁は理央とレイニャを乗降口へ向かわせ、カーゴの脇へ目をやった。

 

 リュシアが荷札を読み、乗員が留め具を締めている。

 

「そちらはどうかね」

 

「最後の確認中。そっちは?」

 

「医者に預けるものは預けてきた」

 

「なら、あとは帰るだけだね」

 

 そう答えたリュシアの目が、真壁の肩越しへ動いた。

 

 セリム・カラハンが荷車の通る道を外れ、こちらへ歩いてくる。

 

 真壁は固定作業の邪魔にならない方へ足を移し、相手を迎えた。

 

 セリムは足を止めて飛行船を見上げた。

 

 外装の下から張り出した影が、2人の立つ地面まで届いている。

 

 縄を引く乗員へも一度目を向けたが、乗降口へは進まず、真壁へ向き直った。

 

「7人とも生きていたと聞いた」

 

「ええ」

 

 セリムの視線が、真壁の顔に留まる。

 

 脇を荷車が通り過ぎるまで待ってから、声を落とした。

 

「礼を言わせてくれ」

 

 真壁は返事を急がず、相手の言葉を受けた。

 

 背後で荷縄を引き直す声がする。

 

 その声にセリムの目が一瞬動き、すぐ戻った。

 

「我々が連れ出せたのは、彼らがまだ生きていたからだ」

 

「それでもだ。生きている者を、連れ戻してくれた」

 

 今度は、真壁も小さく頭を下げた。

 

 セリムはそれ以上の返答を求めなかった。

 

 手を背へ回し、飛行船の下で進む作業を眺める。

 

 乗員が縄の端を引き、別の者が箱の動かないことを確かめた。

 

 リュシアが帳面に印をつけ、次の荷へ移る。

 

「積荷はまとまったようだな」

 

「間もなく出られる」

 

 真壁が答えると、セリムは通路の方へ半歩退いた。

 

 乗員が2人の横を通り、乗降口へ上がっていく。

 

 セリムはその背を見送ったが、船内へ案内を求める言葉は出なかった。

 

 真壁は上着の内側へ手を入れた。

 

「出る前に、もう一件。そちらへ渡しておきたい話がある」

 

 畳んだ紙を出すと、セリムが目を戻した。

 

「今度は何だ」

 

「今日、王都の北側で起きた事故だ」

 

 

 

 真壁は紙を開き、風に持っていかれないよう端を押さえた。

 

 セリムがその前へ寄る。

 

「北部農地へ運ばれる『肥料』が6樽あった。用水路脇で荷車が事故を起こし、1樽が破損した」

 

「水へ入ったのか」

 

「流出した。荷車を起こそうとして水へ入った者たちと、その水を飲んだ犬に中毒が出た」

 

 セリムの眉が動いた。

 

「人の方は」

 

「治療を受けている。犬のポルも、今はハリルの治療院だ」

 

 真壁は伝票の写しを上へ重ねた。

 

 セリムは行き先の記載へ指を置き、次に品名を読む。

 

「肥料で中毒、という報告か」

 

「札にはそう書いてある。中身はセリファ草濃縮液だ。農業用薬剤だが、植物性の毒液でもある」

 

 真壁は、確認事項を記した紙の該当箇所を示した。

 

「残る5樽は、理央君が開けずに《鑑定》した。同じ内容物だ」

 

「封は?」

 

「5樽とも有効だった」

 

 セリムの指が伝票から離れた。

 

 紙の端が風で浮き、真壁が押さえ直す。

 

「では、途中で開けられたわけではないと」

 

「封緘が有効なのは確認した。誰が、どこで中身を入れたかまでは分からん」

 

 真壁は次の記載へ指を移した。

 

「樽は古い薬液樽だ。再充填された履歴がある。元の焼印を削った跡に、新しい『肥料』札がついていた」

 

 セリムはその行を読み終えても、すぐには顔を上げなかった。

 

 離れたところで箱を下ろす音がし、荷役人の声が続く。

 

「偽装か」

 

「故意か、詰め替え工程の間違いか、荷札の取り違えか。そこまでは分からん」

 

 真壁は指を紙から外した。

 

 セリムが改めて品名の欄を読む。

 

「同じ荷は、ほかにも残っているか」

 

「共同倉庫に、同じ送り元の3樽があった。倉庫の責任者が出庫を保留している」

 

「中身も同じなのか」

 

「その3樽については、そこまで確認していない」

 

 真壁の返事を聞いて、セリムは紙を1枚ずつ重ねた。

 

 事故の6樽と、倉庫に残る3樽の記載を見比べ、伝票写しを一番上へ戻す。

 

「用水路はどうした」

 

「水門と立入制限は農地側へ引き継いだ。倉庫の荷は、そちらの責任者が管理している」

 

 真壁は紙をそろえ、相手へ差し出した。

 

「確認できたのはここまでだ。送り元と再充填、荷札、それからここまでの経路は、そちらで調べてもらいたい」

 

 セリムは受け取った紙の厚みを指で確かめ、折り目に沿って畳んだ。

 

「引き受ける。同じ荷がほかへ出ていないかも、こちらで調べる」

 

「頼む」

 

 乗降口で乗員が手を上げた。

 

 真壁がそれに応じると、セリムは受け取った紙を懐へ収めた。

 

 空いた真壁の手元を見てから、船へ目を向ける。

 

「良い航海を」

 

「それでは」

 

 真壁は挨拶を返し、乗降口へ歩き出した。

 

 セリムはついてこなかった。

 

 荷車の横へ退き、最後の乗員が船へ戻るまで、地上に立っていた。

 

 

 

 理央は窓際の席に座り、膝の上へ鞄を置いた。

 

 隣ではレイニャが外套を整え、手琴が通路へ出ないよう脇へ寄せている。

 

 リュシアは最後に戻った真壁へ荷の確認を伝え、乗員の声に応じて座席についた。

 

 船の外では、セリムが乗降口から離れた場所に立っていた。

 

 こちらの窓を見つけたのか、一度だけ手を上げる。

 

 真壁が応じると、扉が閉じ、地上の声が遠くなった。

 

「今度は飛んで帰るニャ」

 

「せっかく乗ってきたんですしね」

 

 昨夜は扉を抜けた先が侯爵領だった。

 

 今日は窓の向こうに、まだレヴァニアの空がある。

 

 理央は座席の固定具を確かめ、外を見た。

 

 係留索が順に外され、張っていた縄が地面へ下りていく。

 

 低い振動が靴底へ伝わり、肘掛けに置いた指にも届いた。

 

 飛行船は急に跳ね上がらず、足場と同じ高さで少し浮いてから、ゆっくり地面を離れた。

 

 箱を抱えていた荷役人が、箱ごとこちらを見上げている。

 

 その顔が見えなくなると、ドックを囲む道と王都の屋根が、一緒に窓へ収まり始めた。

 

「上がってるニャ」

 

 レイニャの耳が前へ向く。

 

 来る時にも見たはずなのに、理央も視線を外せなかった。

 

 通りを動く荷車はもう車輪を見分けられず、家々の間を進む小さな点になっている。

 

 治療院もあの屋根のどれかに隠れているのだろう。

 

 鞄の下に添えた手へ、薄い手帳の角が当たった。

 

 ハリルは今も、患者のそばを行き来しているはずだ。

 

 理央は窓から顔を少し離し、背もたれへ身体を預けた。

 

 今日の仕事を預けてこられたことが、ようやく身体に追いついてきた。

 

「今回も、無事に帰れますように」

 

 小さく言って、《順風満帆》を意識する。

 

 隣の耳が、すぐこちらへ向いた。

 

「また願うニャ?」

 

「願って悪いことないですよ」

 

「願うだけで航路が安定するなら、安いものだ」

 

 近くの席から真壁が言った。

 

 理央は少し笑い、肘掛けを握り直した。

 

 上昇の途中では、横から風を受けるたびに細かな揺れがあった。

 

 やがてその揺れが減り、窓の外をこする音も一定になっていく。

 

 高度が落ち着いたせいなのか、風の具合が変わったのか、理央には分からない。

 

 真壁も窓と床を一度見ただけで、何も言わなかった。

 

「今日は書かないニャ?」

 

 レイニャが鞄へ鼻先を向ける。

 

「あとで。今は、見てたいです」

 

 ノートを出す代わりに、理央は鞄を膝から足元へ下ろした。

 

 レイニャも背もたれに寄りかかり、窓へ顔を向ける。

 

 屋根の集まりが遠ざかった先には、畑と道が広がっていた。

 

 地上では長く感じた曲がり角まで、空から見ると細い線の途中にしか見えない。

 

 その向こうを雲の影がゆっくり横切り、飛行船は影よりも先へ進んでいった。

 

 

 

 王都はもう見えなくなっていた。

 

 窓の下を畑が流れ、遠くの山は、近くの道よりもゆっくり形を変える。

 

 理央はその山並みを眺めながら、隣へ顔を向けた。

 

「レイニャさんの故郷って、どっちの方なんですか?」

 

「ずーっと西の方ニャ」

 

「ずーっと?」

 

「ずーっとニャ」

 

 レイニャは腕を伸ばした。

 

 窓ではなく船内の方を指しているので、理央はその指先を見てから顔を戻す。

 

「それじゃ場所が分からないです」

 

「遠いっていうのは分かるニャ」

 

「そこは、すごく分かりました」

 

 笑う理央につられて、レイニャのひげが動いた。

 

「西の海の人たちの国ニャ。その中でも、かなり西ニャ」

 

 理央は《世界地図》を開いた。

 

 侯爵領とレヴァニアの位置を見てから、西方へ意識を移す。

 

 地形を広く捉えると、山地も海岸も幾つもの場所に続いていた。

 

「村の名前は?」

 

「フェルナ村ニャ」

 

 理央は地図へ目を戻した。

 

 名前を聞いても、フェルナ村を示す印が現れるわけではない。

 

 今見ている山のどれにその村があるのか、分からないままだった。

 

「どうしたニャ?」

 

「《世界地図》で探してます。《関門接続》で行けないですかね」

 

 レイニャの耳が両方ともこちらへ向いた。

 

「行けるニャ?」

 

「場所さえ分かれば……たぶん。でも名前だけじゃ足りないです」

 

 理央は窓の山並みを指して尋ねた。

 

「ああいう山の中ですか? それとも、海のそば?」

 

「海から少し入った山の方ニャ。上からだと海が見えるニャ」

 

「海の見える山……北か南に、大きな川はあります?」

 

「北にあるニャ。大きい川ニャ」

 

 理央は海岸から内陸へ目を移し、川の通る向きを追った。

 

 条件に合いそうな場所を見つけても、さらに西を見ると別の川がある。

 

 1つ目を村だと決めてしまえば早いが、レイニャの家族がいるのは、そのどれか1つだった。

 

「近くに大きな町は?」

 

「東へ歩いて、2日くらいニャ」

 

「……2日」

 

 理央は座席へ背を戻した。

 

 誰が、どんな道を歩いて2日なのかで、地図の上の幅が変わってしまう。

 

 レイニャは指先を膝へ戻し、考えるように尻尾の先を揺らした。

 

「まだ足りないニャ?」

 

「手掛かりは増えました。でも、似たところが残ってます」

 

 理央はノートを取り出し、村名の下へ海と川の位置を書いた。

 

 東の町までは線を引き、横に「徒歩2日程度」と添える。

 

 レイニャが身を寄せ、紙をのぞき込んだ。

 

「山がないニャ」

 

「これから描きます」

 

「耳みたいなのが2つあるニャ」

 

 理央のペンが止まった。

 

「耳?」

 

「村の近くの山ニャ。こう、2つ並んでるニャ」

 

 レイニャは自分の両耳を指し、次に指先で山の形を作った。

 

 理央はその形を紙へ描き、もう一度地図の山地を見る。

 

 海の見える山、大きな川、その南に村があって、近くに双峰。

 

 さっきより探す場所は狭くなったが、扉の向こうへ立たせたい場所としては、まだぼやけていた。

 

「帰ったあと、地図を広げて調べればよかろう」

 

 真壁が近くからノートへ目を向けた。

 

「その山の見え方も、聞いておきたまえ」

 

「はい。もう少し描いてもらいます」

 

 理央はレイニャへペンを渡した。

 

 レイニャは小さな山の線を足してから、こちらを見た。

 

「本当に行くつもりニャ?」

 

「場所が分かったら。今のまま扉を開けるのは、ちょっと怖いです」

 

 理央は地図を閉じ、レイニャの描いた山を見直した。

 

 2つの尖った峰は、確かに耳に似ていた。

 

 

 

 レイニャはペンを返してからも、ノートの山を眺めていた。

 

 窓を通った雲の影が、紙の上まで薄くする。

 

「村には、家族もいるんですか?」

 

「いるニャ。父さんと母さんと、ばあちゃんニャ」

 

 そこで終わりだと思って、理央は頷いた。

 

「兄ちゃんと姉ちゃんと、弟と妹もいるニャ」

 

「……きょうだい、多いですね」

 

「親戚まで数えたら、もっといるニャ」

 

「待ってください。そこまでは数えなくて大丈夫です」

 

 理央が両手を上げると、レイニャは楽しそうに喉を鳴らした。

 

 故郷の人々を思い浮かべているのか、耳が前へ向き、尻尾が座席の脇で揺れる。

 

「村も大きいんですか?」

 

「家は50くらいニャ。ケット・シーが多い村ニャ」

 

 理央は旅装のレイニャが何人もいる景色を思いかけ、慌てて村で暮らす人々へ置き換えた。

 

 全員が手琴を持って旅へ出てしまったら、村にならない。

 

 レイニャは紙の山へ指を置き、線の下を軽く叩いた。

 

「この辺からだと、家の方が見えるニャ」

 

「そこ、帰り道なんですね」

 

「そうニャ」

 

 理央は山の下へ小さく印をつけた。

 

 地図の手掛かりだった形が、レイニャの見慣れた景色になっていく。

 

「じゃあ、帰りたいんじゃないですか?」

 

 紙に触れていた指が止まった。

 

 レイニャは否定せず、窓の方へ顔を向けた。

 

「帰りたいニャ」

 

 返事はすぐだったが、その次が来るまで間があった。

 

 遠い山の手前を、雲の影が流れている。

 

「でも、帰ったら、また出にくいニャ」

 

 理央は書きかけた文字をやめ、ペンをノートの上へ置いた。

 

「旅をするために、吟遊詩人になったんですよね」

 

「そうニャ。白魔道士はLv9までいったけど、知らないところに行きたかったニャ」

 

 レイニャの手が、脇へ置いた手琴に触れた。

 

「村を出たのは、2年か3年くらい前ニャ」

 

「その時、反対されたんですか?」

 

「心配はされたニャ。帰ったら喜ぶと思うニャ」

 

 レイニャは少し考えてから、理央へ顔を戻した。

 

「うちの村で、白魔道士は貴重ニャ」

 

「ほかに治療できる人は?」

 

「薬草師が1人いるニャ。でも、白魔法で大きな怪我を治せるのは、ほとんどあたしだけだったニャ」

 

 理央は、治療院で患者へ手をかざしていたレイニャを思い出した。

 

 あの人が家へ帰ってきたら、家族だけでなく、困っている人も喜ぶだろう。

 

「帰ったら、怪我した人を放っておけないニャ」

 

「……そうですね」

 

「病気の人も見に行くニャ。よくなったか気になるし、次の日も行くニャ」

 

 理央は何か言おうとして、口を閉じた。

 

 それは、今日ハリルがしていたことでもあった。

 

 治療したから終わりにはせず、患者の手首へ指を戻していた。

 

「何日かいたら、今度はずっといてくれるって、思うニャ」

 

 レイニャは手琴から手を離し、膝へ置いた。

 

「そう思ってもらえるの、嫌じゃないニャ」

 

 声はいつもと同じくらいの大きさだった。

 

 理央は頷いたが、簡単な返事はできなかった。

 

 帰れば家族に会えて、村の人も助けられる。

 

 そのあとでまた出かけたいと言う時、誰の顔を見ることになるのだろう。

 

 理央には、フェルナ村の人々の顔は分からない。

 

 それでも、今朝の患者がほっとして笑った顔なら知っていた。

 

「一回戻ったら……また外に出るのが、出にくくなるニャ」

 

 レイニャは窓へ目を向けた。

 

 手琴の縁へ添え直した指が、弦に触れる手前で止まる。

 

 理央も窓を見た。

 

 景色は変わらず後ろへ流れているのに、村へ帰る道のことは、さっきより難しくなっていた。

 

 

 

 理央は膝の上のノートを閉じかけ、もう一度開いた。

 

 猫の耳に似た山と、その下の小さな印がある。

 

 村があるという西の山地から侯爵領までは、地図の上でも長い距離があった。

 

 けれど理央は今朝、孤児院を出る時、レヴァニアまでの道のりを考えなかった。

 

 扉を開いて、リュシアのいる商館へ行っただけだ。

 

「でも、《関門接続》があれば、ちょくちょく帰れますよ」

 

「……ニャ?」

 

 レイニャの耳が、片方だけこちらを向いた。

 

「場所が分かったら、ですけど。村へ行って、用事が終わったら、またこっちへ戻ればいいんじゃないですか?」

 

「こっちへ?」

 

「はい。帰ったら、ずっと村にいなきゃいけないわけじゃないですよね」

 

 レイニャは顔ごと理央へ向けた。

 

 何か言いかけてから、紙の上の村を見た。

 

「帰って、それから……また戻るニャ?」

 

「昨日も、そうしたじゃないですか。レヴァニアから孤児院へ帰って、今朝はまた来て」

 

 レイニャの視線がノートから足元へ下りた。

 

 理央の鞄を見ているようで、何か別のものを思い浮かべているようでもあった。

 

 理央は返事を待った。

 

 窓の外をこする風の音と、床の下の低い音が、会話のない席へ戻ってくる。

 

「そんな帰り方、考えたことなかったニャ」

 

 レイニャはゆっくり顔を上げた。

 

「旅の途中で、家に行ってもいいニャ?」

 

「いいと思います。家族に旅の話をして、また行ってきますって」

 

「怪我した人がいたら?」

 

「診て、必要なら少し残って……そこは、その時に決めるんじゃないですか」

 

 言いながら、理央も考え直した。

 

 すぐに帰れることと、いつでも呼ばれることは、近いところにある。

 

 村で何か起きるたびにレイニャが必要なら、扉があっても気持ちは村から離れられないかもしれない。

 

 それに、村の人はどうやって知らせるのだろう。

 

 今朝のように、用事を済ませて戻るだけで全部が片づくわけではなかった。

 

「でも……レイニャさんがいない時でも、困らないようにできたら」

 

「何の話ニャ?」

 

「まだ考えてる途中です」

 

 理央は足元の鞄へ手を伸ばした。

 

 上からそっと押さえると、ノートとは別の薄い手帳が指に触れる。

 

 ハリルの診療覚書の写しだ。

 

 症状と処置のあとに、翌日の様子まで書いてあった。

 

 魔法を使う人がそばにいなくても、前にどうなったかを読むことならできる。

 

 村の薬草師は、どんな怪我や病気を診ているのだろう。

 

 その人が困るのは、何が足りない時なのだろう。

 

 薬なのか、道具なのか、自分で診てよいか迷う時に相談できる相手なのか。

 

 理央は鞄から手を離した。

 

 今日覚えた《医術》も《白魔法》も、《治癒》と《解毒》も、まだLv2だ。

 

 レイニャの代わりに自分が行けばいい、とは言えない。

 

 患者に触れる前にハリルへ尋ねたことも、レイニャの手を見ながら真似したことも、まだ幾つもあった。

 

「薬草師さんにも、話を聞いてみたいです」

 

 理央が言うと、レイニャは首を傾けた。

 

「治療のことニャ?」

 

「はい。レイニャさんがいない間、どうしてるのかなって。私も何か、手伝えるかもしれないですし」

 

 手伝えることを探すなら、今日見たポーションも頭には浮かぶ。

 

 けれど、あの瓶はハリルが使い方を確かめるために預かったものだ。

 

 村へ持っていく品として、今ここで数えることはできなかった。

 

「何が要るか、まず現地を見たまえ」

 

 真壁が席から短く言った。

 

「地図の上では、患者の顔までは分からん」

 

「……はい」

 

 理央はペンを取り、山の絵の端へ「フェルナ村を探す」と書いた。

 

 その横へ、レイニャが顔を寄せる。

 

「あたしも探すニャ」

 

「故郷なのに?」

 

「地図の中のあたしの村は、まだ分からないニャ」

 

 理央は笑って、ノートを2人の間へ寄せた。

 

 レイニャは描いた山の先を指でなぞり、窓へ目をやる。

 

「帰っても、また出られるニャ」

 

 口に出してから、もう一度山の絵を見た。

 

 理央はその言葉を急いでノートへ書かず、隣で一緒に外を眺めた。

 

 これから見に行く場所の中に、レイニャの家があってもいい。

 

 その道を探すための手掛かりは、今、膝の上にあった。

 

 

 

 窓へ差し込んでいた光が、ドックの作業灯に変わった。

 

 理央は膝のノートを閉じ、足元の鞄へ戻す。

 

 ヴァルディス侯爵領の地下ドックでは、見慣れた足場のそばに乗員が待っていた。

 

 飛行船がゆっくり収まり、窓の外の柱が動かなくなる。

 

 地上とは違う冷えた空気の中で、係留の声が順に響いた。

 

「着いたニャ」

 

 レイニャが言っても、理央はまだ座っていた。

 

 身体はもう立ちたがっているのに、降機の声を聞くまでは待つ。

 

 ようやく扉が開くと、荷役の音が船内へ入ってきた。

 

 理央は鞄を持ち、レイニャに続いてギャロップを降りた。

 

 足場を渡った先で、真壁とリュシアがカーゴの方へ向かう。

 

「君たちは先に行きたまえ。こちらは荷を下ろす」

 

「朝の分も入ってるんだから、帰りにまた寄ってね」

 

 リュシアに言われ、理央は自分の収納へ預かった食品箱を思い出した。

 

「はい。レイニャさんを送ったら、戻ります」

 

「お土産も出すニャ」

 

 レイニャが先へ歩きかけて、また足を止めた。

 

「買ってきたの、忘れるところだったニャ」

 

「それは子どもたちが覚えてそうです」

 

 理央は笑い、真壁たちへ挨拶をしてからレイニャの隣へ追いついた。

 

 

 

 孤児院へ向かう道では、斜めの光が建物の壁を照らしていた。

 

 地下で冷えた頬に外の風が当たり、理央は鞄の持ち手を握り直す。

 

 レイニャは手琴の位置を直しながら歩き、時々、何かを思い出したように尻尾の先を動かした。

 

 村の山を考えているのかと尋ねる前に、孤児院の窓から子どもの声がした。

 

 レイニャの耳がそちらへ向く。

 

 戸を開けると、食堂から食器を重ねる音が聞こえ、廊下には外から戻った子どもの足音が響いていた。

 

「あ、帰ってきた!」

 

 通りかかった子が足を止める。

 

「今日、どうだった?」

 

「今は荷物を置くニャ」

 

 レイニャが答えている間に、食堂の戸口から別の顔が出た。

 

 小さな足音が増え、レイニャは廊下の真ん中で両手を上げる。

 

「押すなニャ。順番ニャ!」

 

「何か買った?」

 

「見せて!」

 

「食べるのある?」

 

 理央は少し脇へ退き、後から来る子どものために道を空けた。

 

 レイニャがこちらを見る。

 

「理央も見るニャ?」

 

「見ます。出す場所、空けましょう」

 

 理央が食堂の机を示すと、子どもたちが先に入って椅子を引いた。

 

 レイニャは走らないよう声をかけ、手琴を土産の包みとぶつからない場所へ置く。

 

 理央も鞄を脇へ寄せた。

 

 目を輝かせている顔を眺めるうちに、ノートの小さな山の絵が浮かんだ。

 

 フェルナ村でも、レイニャの話を待つ人がいる。

 

 帰って、旅の話をして、土産を渡す。

 

 また出かけたあとも、村にいる人が困らずに済むよう、手伝えることがあればいい。

 

 まずは、あの山を探そう。

 

 理央は机の端へ残っていた器を脇へ移し、レイニャのために場所を空けた。

 

 包みが1つ置かれると、子どもたちが机へ身を寄せる。

 

「まだあるニャ。そんなに前へ来たら、置けないニャ」

 

 後ろへ下がる子どもにつられて、椅子の脚が床を鳴らした。

 

 レイニャは空いた場所へ次の包みを置き、待っている顔をぐるりと見回した。

 

「お土産いっぱい買ってきたニャ」

 

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高位戦術ドロイド、HT2-392は転生者である。▼戦艦の艦橋で撤退戦の指揮を取っていた彼女は、船ごとワープ事故で異世界に。大量のドロイドたちと共に見知らぬファンタジー世界にやって飛ばされることになる。▼SFドロイドたちがファンタジーに殴りこむ物語が、今始まる。


総合評価:2268/評価:8.69/連載:39話/更新日時:2026年07月19日(日) 17:00 小説情報


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