ハリルの治療院を出て試験ドックへ戻ると、飛行船の下には、もう帰路の荷が集まっていた。
荷車が停まるたびに、車輪の音に代わって木箱を下ろす音が響く。
昼過ぎの風が広い係留場を渡り、頭上の気嚢を低く鳴らしていた。
真壁は理央とレイニャを乗降口へ向かわせ、カーゴの脇へ目をやった。
リュシアが荷札を読み、乗員が留め具を締めている。
「そちらはどうかね」
「最後の確認中。そっちは?」
「医者に預けるものは預けてきた」
「なら、あとは帰るだけだね」
そう答えたリュシアの目が、真壁の肩越しへ動いた。
セリム・カラハンが荷車の通る道を外れ、こちらへ歩いてくる。
真壁は固定作業の邪魔にならない方へ足を移し、相手を迎えた。
セリムは足を止めて飛行船を見上げた。
外装の下から張り出した影が、2人の立つ地面まで届いている。
縄を引く乗員へも一度目を向けたが、乗降口へは進まず、真壁へ向き直った。
「7人とも生きていたと聞いた」
「ええ」
セリムの視線が、真壁の顔に留まる。
脇を荷車が通り過ぎるまで待ってから、声を落とした。
「礼を言わせてくれ」
真壁は返事を急がず、相手の言葉を受けた。
背後で荷縄を引き直す声がする。
その声にセリムの目が一瞬動き、すぐ戻った。
「我々が連れ出せたのは、彼らがまだ生きていたからだ」
「それでもだ。生きている者を、連れ戻してくれた」
今度は、真壁も小さく頭を下げた。
セリムはそれ以上の返答を求めなかった。
手を背へ回し、飛行船の下で進む作業を眺める。
乗員が縄の端を引き、別の者が箱の動かないことを確かめた。
リュシアが帳面に印をつけ、次の荷へ移る。
「積荷はまとまったようだな」
「間もなく出られる」
真壁が答えると、セリムは通路の方へ半歩退いた。
乗員が2人の横を通り、乗降口へ上がっていく。
セリムはその背を見送ったが、船内へ案内を求める言葉は出なかった。
真壁は上着の内側へ手を入れた。
「出る前に、もう一件。そちらへ渡しておきたい話がある」
畳んだ紙を出すと、セリムが目を戻した。
「今度は何だ」
「今日、王都の北側で起きた事故だ」
真壁は紙を開き、風に持っていかれないよう端を押さえた。
セリムがその前へ寄る。
「北部農地へ運ばれる『肥料』が6樽あった。用水路脇で荷車が事故を起こし、1樽が破損した」
「水へ入ったのか」
「流出した。荷車を起こそうとして水へ入った者たちと、その水を飲んだ犬に中毒が出た」
セリムの眉が動いた。
「人の方は」
「治療を受けている。犬のポルも、今はハリルの治療院だ」
真壁は伝票の写しを上へ重ねた。
セリムは行き先の記載へ指を置き、次に品名を読む。
「肥料で中毒、という報告か」
「札にはそう書いてある。中身はセリファ草濃縮液だ。農業用薬剤だが、植物性の毒液でもある」
真壁は、確認事項を記した紙の該当箇所を示した。
「残る5樽は、理央君が開けずに《鑑定》した。同じ内容物だ」
「封は?」
「5樽とも有効だった」
セリムの指が伝票から離れた。
紙の端が風で浮き、真壁が押さえ直す。
「では、途中で開けられたわけではないと」
「封緘が有効なのは確認した。誰が、どこで中身を入れたかまでは分からん」
真壁は次の記載へ指を移した。
「樽は古い薬液樽だ。再充填された履歴がある。元の焼印を削った跡に、新しい『肥料』札がついていた」
セリムはその行を読み終えても、すぐには顔を上げなかった。
離れたところで箱を下ろす音がし、荷役人の声が続く。
「偽装か」
「故意か、詰め替え工程の間違いか、荷札の取り違えか。そこまでは分からん」
真壁は指を紙から外した。
セリムが改めて品名の欄を読む。
「同じ荷は、ほかにも残っているか」
「共同倉庫に、同じ送り元の3樽があった。倉庫の責任者が出庫を保留している」
「中身も同じなのか」
「その3樽については、そこまで確認していない」
真壁の返事を聞いて、セリムは紙を1枚ずつ重ねた。
事故の6樽と、倉庫に残る3樽の記載を見比べ、伝票写しを一番上へ戻す。
「用水路はどうした」
「水門と立入制限は農地側へ引き継いだ。倉庫の荷は、そちらの責任者が管理している」
真壁は紙をそろえ、相手へ差し出した。
「確認できたのはここまでだ。送り元と再充填、荷札、それからここまでの経路は、そちらで調べてもらいたい」
セリムは受け取った紙の厚みを指で確かめ、折り目に沿って畳んだ。
「引き受ける。同じ荷がほかへ出ていないかも、こちらで調べる」
「頼む」
乗降口で乗員が手を上げた。
真壁がそれに応じると、セリムは受け取った紙を懐へ収めた。
空いた真壁の手元を見てから、船へ目を向ける。
「良い航海を」
「それでは」
真壁は挨拶を返し、乗降口へ歩き出した。
セリムはついてこなかった。
荷車の横へ退き、最後の乗員が船へ戻るまで、地上に立っていた。
理央は窓際の席に座り、膝の上へ鞄を置いた。
隣ではレイニャが外套を整え、手琴が通路へ出ないよう脇へ寄せている。
リュシアは最後に戻った真壁へ荷の確認を伝え、乗員の声に応じて座席についた。
船の外では、セリムが乗降口から離れた場所に立っていた。
こちらの窓を見つけたのか、一度だけ手を上げる。
真壁が応じると、扉が閉じ、地上の声が遠くなった。
「今度は飛んで帰るニャ」
「せっかく乗ってきたんですしね」
昨夜は扉を抜けた先が侯爵領だった。
今日は窓の向こうに、まだレヴァニアの空がある。
理央は座席の固定具を確かめ、外を見た。
係留索が順に外され、張っていた縄が地面へ下りていく。
低い振動が靴底へ伝わり、肘掛けに置いた指にも届いた。
飛行船は急に跳ね上がらず、足場と同じ高さで少し浮いてから、ゆっくり地面を離れた。
箱を抱えていた荷役人が、箱ごとこちらを見上げている。
その顔が見えなくなると、ドックを囲む道と王都の屋根が、一緒に窓へ収まり始めた。
「上がってるニャ」
レイニャの耳が前へ向く。
来る時にも見たはずなのに、理央も視線を外せなかった。
通りを動く荷車はもう車輪を見分けられず、家々の間を進む小さな点になっている。
治療院もあの屋根のどれかに隠れているのだろう。
鞄の下に添えた手へ、薄い手帳の角が当たった。
ハリルは今も、患者のそばを行き来しているはずだ。
理央は窓から顔を少し離し、背もたれへ身体を預けた。
今日の仕事を預けてこられたことが、ようやく身体に追いついてきた。
「今回も、無事に帰れますように」
小さく言って、《順風満帆》を意識する。
隣の耳が、すぐこちらへ向いた。
「また願うニャ?」
「願って悪いことないですよ」
「願うだけで航路が安定するなら、安いものだ」
近くの席から真壁が言った。
理央は少し笑い、肘掛けを握り直した。
上昇の途中では、横から風を受けるたびに細かな揺れがあった。
やがてその揺れが減り、窓の外をこする音も一定になっていく。
高度が落ち着いたせいなのか、風の具合が変わったのか、理央には分からない。
真壁も窓と床を一度見ただけで、何も言わなかった。
「今日は書かないニャ?」
レイニャが鞄へ鼻先を向ける。
「あとで。今は、見てたいです」
ノートを出す代わりに、理央は鞄を膝から足元へ下ろした。
レイニャも背もたれに寄りかかり、窓へ顔を向ける。
屋根の集まりが遠ざかった先には、畑と道が広がっていた。
地上では長く感じた曲がり角まで、空から見ると細い線の途中にしか見えない。
その向こうを雲の影がゆっくり横切り、飛行船は影よりも先へ進んでいった。
王都はもう見えなくなっていた。
窓の下を畑が流れ、遠くの山は、近くの道よりもゆっくり形を変える。
理央はその山並みを眺めながら、隣へ顔を向けた。
「レイニャさんの故郷って、どっちの方なんですか?」
「ずーっと西の方ニャ」
「ずーっと?」
「ずーっとニャ」
レイニャは腕を伸ばした。
窓ではなく船内の方を指しているので、理央はその指先を見てから顔を戻す。
「それじゃ場所が分からないです」
「遠いっていうのは分かるニャ」
「そこは、すごく分かりました」
笑う理央につられて、レイニャのひげが動いた。
「西の海の人たちの国ニャ。その中でも、かなり西ニャ」
理央は《世界地図》を開いた。
侯爵領とレヴァニアの位置を見てから、西方へ意識を移す。
地形を広く捉えると、山地も海岸も幾つもの場所に続いていた。
「村の名前は?」
「フェルナ村ニャ」
理央は地図へ目を戻した。
名前を聞いても、フェルナ村を示す印が現れるわけではない。
今見ている山のどれにその村があるのか、分からないままだった。
「どうしたニャ?」
「《世界地図》で探してます。《関門接続》で行けないですかね」
レイニャの耳が両方ともこちらへ向いた。
「行けるニャ?」
「場所さえ分かれば……たぶん。でも名前だけじゃ足りないです」
理央は窓の山並みを指して尋ねた。
「ああいう山の中ですか? それとも、海のそば?」
「海から少し入った山の方ニャ。上からだと海が見えるニャ」
「海の見える山……北か南に、大きな川はあります?」
「北にあるニャ。大きい川ニャ」
理央は海岸から内陸へ目を移し、川の通る向きを追った。
条件に合いそうな場所を見つけても、さらに西を見ると別の川がある。
1つ目を村だと決めてしまえば早いが、レイニャの家族がいるのは、そのどれか1つだった。
「近くに大きな町は?」
「東へ歩いて、2日くらいニャ」
「……2日」
理央は座席へ背を戻した。
誰が、どんな道を歩いて2日なのかで、地図の上の幅が変わってしまう。
レイニャは指先を膝へ戻し、考えるように尻尾の先を揺らした。
「まだ足りないニャ?」
「手掛かりは増えました。でも、似たところが残ってます」
理央はノートを取り出し、村名の下へ海と川の位置を書いた。
東の町までは線を引き、横に「徒歩2日程度」と添える。
レイニャが身を寄せ、紙をのぞき込んだ。
「山がないニャ」
「これから描きます」
「耳みたいなのが2つあるニャ」
理央のペンが止まった。
「耳?」
「村の近くの山ニャ。こう、2つ並んでるニャ」
レイニャは自分の両耳を指し、次に指先で山の形を作った。
理央はその形を紙へ描き、もう一度地図の山地を見る。
海の見える山、大きな川、その南に村があって、近くに双峰。
さっきより探す場所は狭くなったが、扉の向こうへ立たせたい場所としては、まだぼやけていた。
「帰ったあと、地図を広げて調べればよかろう」
真壁が近くからノートへ目を向けた。
「その山の見え方も、聞いておきたまえ」
「はい。もう少し描いてもらいます」
理央はレイニャへペンを渡した。
レイニャは小さな山の線を足してから、こちらを見た。
「本当に行くつもりニャ?」
「場所が分かったら。今のまま扉を開けるのは、ちょっと怖いです」
理央は地図を閉じ、レイニャの描いた山を見直した。
2つの尖った峰は、確かに耳に似ていた。
レイニャはペンを返してからも、ノートの山を眺めていた。
窓を通った雲の影が、紙の上まで薄くする。
「村には、家族もいるんですか?」
「いるニャ。父さんと母さんと、ばあちゃんニャ」
そこで終わりだと思って、理央は頷いた。
「兄ちゃんと姉ちゃんと、弟と妹もいるニャ」
「……きょうだい、多いですね」
「親戚まで数えたら、もっといるニャ」
「待ってください。そこまでは数えなくて大丈夫です」
理央が両手を上げると、レイニャは楽しそうに喉を鳴らした。
故郷の人々を思い浮かべているのか、耳が前へ向き、尻尾が座席の脇で揺れる。
「村も大きいんですか?」
「家は50くらいニャ。ケット・シーが多い村ニャ」
理央は旅装のレイニャが何人もいる景色を思いかけ、慌てて村で暮らす人々へ置き換えた。
全員が手琴を持って旅へ出てしまったら、村にならない。
レイニャは紙の山へ指を置き、線の下を軽く叩いた。
「この辺からだと、家の方が見えるニャ」
「そこ、帰り道なんですね」
「そうニャ」
理央は山の下へ小さく印をつけた。
地図の手掛かりだった形が、レイニャの見慣れた景色になっていく。
「じゃあ、帰りたいんじゃないですか?」
紙に触れていた指が止まった。
レイニャは否定せず、窓の方へ顔を向けた。
「帰りたいニャ」
返事はすぐだったが、その次が来るまで間があった。
遠い山の手前を、雲の影が流れている。
「でも、帰ったら、また出にくいニャ」
理央は書きかけた文字をやめ、ペンをノートの上へ置いた。
「旅をするために、吟遊詩人になったんですよね」
「そうニャ。白魔道士はLv9までいったけど、知らないところに行きたかったニャ」
レイニャの手が、脇へ置いた手琴に触れた。
「村を出たのは、2年か3年くらい前ニャ」
「その時、反対されたんですか?」
「心配はされたニャ。帰ったら喜ぶと思うニャ」
レイニャは少し考えてから、理央へ顔を戻した。
「うちの村で、白魔道士は貴重ニャ」
「ほかに治療できる人は?」
「薬草師が1人いるニャ。でも、白魔法で大きな怪我を治せるのは、ほとんどあたしだけだったニャ」
理央は、治療院で患者へ手をかざしていたレイニャを思い出した。
あの人が家へ帰ってきたら、家族だけでなく、困っている人も喜ぶだろう。
「帰ったら、怪我した人を放っておけないニャ」
「……そうですね」
「病気の人も見に行くニャ。よくなったか気になるし、次の日も行くニャ」
理央は何か言おうとして、口を閉じた。
それは、今日ハリルがしていたことでもあった。
治療したから終わりにはせず、患者の手首へ指を戻していた。
「何日かいたら、今度はずっといてくれるって、思うニャ」
レイニャは手琴から手を離し、膝へ置いた。
「そう思ってもらえるの、嫌じゃないニャ」
声はいつもと同じくらいの大きさだった。
理央は頷いたが、簡単な返事はできなかった。
帰れば家族に会えて、村の人も助けられる。
そのあとでまた出かけたいと言う時、誰の顔を見ることになるのだろう。
理央には、フェルナ村の人々の顔は分からない。
それでも、今朝の患者がほっとして笑った顔なら知っていた。
「一回戻ったら……また外に出るのが、出にくくなるニャ」
レイニャは窓へ目を向けた。
手琴の縁へ添え直した指が、弦に触れる手前で止まる。
理央も窓を見た。
景色は変わらず後ろへ流れているのに、村へ帰る道のことは、さっきより難しくなっていた。
理央は膝の上のノートを閉じかけ、もう一度開いた。
猫の耳に似た山と、その下の小さな印がある。
村があるという西の山地から侯爵領までは、地図の上でも長い距離があった。
けれど理央は今朝、孤児院を出る時、レヴァニアまでの道のりを考えなかった。
扉を開いて、リュシアのいる商館へ行っただけだ。
「でも、《関門接続》があれば、ちょくちょく帰れますよ」
「……ニャ?」
レイニャの耳が、片方だけこちらを向いた。
「場所が分かったら、ですけど。村へ行って、用事が終わったら、またこっちへ戻ればいいんじゃないですか?」
「こっちへ?」
「はい。帰ったら、ずっと村にいなきゃいけないわけじゃないですよね」
レイニャは顔ごと理央へ向けた。
何か言いかけてから、紙の上の村を見た。
「帰って、それから……また戻るニャ?」
「昨日も、そうしたじゃないですか。レヴァニアから孤児院へ帰って、今朝はまた来て」
レイニャの視線がノートから足元へ下りた。
理央の鞄を見ているようで、何か別のものを思い浮かべているようでもあった。
理央は返事を待った。
窓の外をこする風の音と、床の下の低い音が、会話のない席へ戻ってくる。
「そんな帰り方、考えたことなかったニャ」
レイニャはゆっくり顔を上げた。
「旅の途中で、家に行ってもいいニャ?」
「いいと思います。家族に旅の話をして、また行ってきますって」
「怪我した人がいたら?」
「診て、必要なら少し残って……そこは、その時に決めるんじゃないですか」
言いながら、理央も考え直した。
すぐに帰れることと、いつでも呼ばれることは、近いところにある。
村で何か起きるたびにレイニャが必要なら、扉があっても気持ちは村から離れられないかもしれない。
それに、村の人はどうやって知らせるのだろう。
今朝のように、用事を済ませて戻るだけで全部が片づくわけではなかった。
「でも……レイニャさんがいない時でも、困らないようにできたら」
「何の話ニャ?」
「まだ考えてる途中です」
理央は足元の鞄へ手を伸ばした。
上からそっと押さえると、ノートとは別の薄い手帳が指に触れる。
ハリルの診療覚書の写しだ。
症状と処置のあとに、翌日の様子まで書いてあった。
魔法を使う人がそばにいなくても、前にどうなったかを読むことならできる。
村の薬草師は、どんな怪我や病気を診ているのだろう。
その人が困るのは、何が足りない時なのだろう。
薬なのか、道具なのか、自分で診てよいか迷う時に相談できる相手なのか。
理央は鞄から手を離した。
今日覚えた《医術》も《白魔法》も、《治癒》と《解毒》も、まだLv2だ。
レイニャの代わりに自分が行けばいい、とは言えない。
患者に触れる前にハリルへ尋ねたことも、レイニャの手を見ながら真似したことも、まだ幾つもあった。
「薬草師さんにも、話を聞いてみたいです」
理央が言うと、レイニャは首を傾けた。
「治療のことニャ?」
「はい。レイニャさんがいない間、どうしてるのかなって。私も何か、手伝えるかもしれないですし」
手伝えることを探すなら、今日見たポーションも頭には浮かぶ。
けれど、あの瓶はハリルが使い方を確かめるために預かったものだ。
村へ持っていく品として、今ここで数えることはできなかった。
「何が要るか、まず現地を見たまえ」
真壁が席から短く言った。
「地図の上では、患者の顔までは分からん」
「……はい」
理央はペンを取り、山の絵の端へ「フェルナ村を探す」と書いた。
その横へ、レイニャが顔を寄せる。
「あたしも探すニャ」
「故郷なのに?」
「地図の中のあたしの村は、まだ分からないニャ」
理央は笑って、ノートを2人の間へ寄せた。
レイニャは描いた山の先を指でなぞり、窓へ目をやる。
「帰っても、また出られるニャ」
口に出してから、もう一度山の絵を見た。
理央はその言葉を急いでノートへ書かず、隣で一緒に外を眺めた。
これから見に行く場所の中に、レイニャの家があってもいい。
その道を探すための手掛かりは、今、膝の上にあった。
窓へ差し込んでいた光が、ドックの作業灯に変わった。
理央は膝のノートを閉じ、足元の鞄へ戻す。
ヴァルディス侯爵領の地下ドックでは、見慣れた足場のそばに乗員が待っていた。
飛行船がゆっくり収まり、窓の外の柱が動かなくなる。
地上とは違う冷えた空気の中で、係留の声が順に響いた。
「着いたニャ」
レイニャが言っても、理央はまだ座っていた。
身体はもう立ちたがっているのに、降機の声を聞くまでは待つ。
ようやく扉が開くと、荷役の音が船内へ入ってきた。
理央は鞄を持ち、レイニャに続いてギャロップを降りた。
足場を渡った先で、真壁とリュシアがカーゴの方へ向かう。
「君たちは先に行きたまえ。こちらは荷を下ろす」
「朝の分も入ってるんだから、帰りにまた寄ってね」
リュシアに言われ、理央は自分の収納へ預かった食品箱を思い出した。
「はい。レイニャさんを送ったら、戻ります」
「お土産も出すニャ」
レイニャが先へ歩きかけて、また足を止めた。
「買ってきたの、忘れるところだったニャ」
「それは子どもたちが覚えてそうです」
理央は笑い、真壁たちへ挨拶をしてからレイニャの隣へ追いついた。
孤児院へ向かう道では、斜めの光が建物の壁を照らしていた。
地下で冷えた頬に外の風が当たり、理央は鞄の持ち手を握り直す。
レイニャは手琴の位置を直しながら歩き、時々、何かを思い出したように尻尾の先を動かした。
村の山を考えているのかと尋ねる前に、孤児院の窓から子どもの声がした。
レイニャの耳がそちらへ向く。
戸を開けると、食堂から食器を重ねる音が聞こえ、廊下には外から戻った子どもの足音が響いていた。
「あ、帰ってきた!」
通りかかった子が足を止める。
「今日、どうだった?」
「今は荷物を置くニャ」
レイニャが答えている間に、食堂の戸口から別の顔が出た。
小さな足音が増え、レイニャは廊下の真ん中で両手を上げる。
「押すなニャ。順番ニャ!」
「何か買った?」
「見せて!」
「食べるのある?」
理央は少し脇へ退き、後から来る子どものために道を空けた。
レイニャがこちらを見る。
「理央も見るニャ?」
「見ます。出す場所、空けましょう」
理央が食堂の机を示すと、子どもたちが先に入って椅子を引いた。
レイニャは走らないよう声をかけ、手琴を土産の包みとぶつからない場所へ置く。
理央も鞄を脇へ寄せた。
目を輝かせている顔を眺めるうちに、ノートの小さな山の絵が浮かんだ。
フェルナ村でも、レイニャの話を待つ人がいる。
帰って、旅の話をして、土産を渡す。
また出かけたあとも、村にいる人が困らずに済むよう、手伝えることがあればいい。
まずは、あの山を探そう。
理央は机の端へ残っていた器を脇へ移し、レイニャのために場所を空けた。
包みが1つ置かれると、子どもたちが机へ身を寄せる。
「まだあるニャ。そんなに前へ来たら、置けないニャ」
後ろへ下がる子どもにつられて、椅子の脚が床を鳴らした。
レイニャは空いた場所へ次の包みを置き、待っている顔をぐるりと見回した。
「お土産いっぱい買ってきたニャ」